小ネタ②WTは本当に神に従いたいと思っているのだろうか?(第一テサロニケ3:11より)

 

「我らの父でもある神ご自身が、また我らの主イエスが、我々の道をあなた方のもとへとまっすぐに導いてくださいますように」(田川訳)

 

「では、私たちの神また父ご自身が、そして私たちの主イエスが、私たちの道を都合よくあなた方の方に向けてくださいますように」(NWT)

 

   「まっすぐに導いて」(田川訳)「都合よく・・・向ける」(NWT)と訳されているギリシャ語は、kateuthunoという動詞で、原文ではアオリスト形ででてきます。字義的には、接頭語のkat(a)+euthyno「まっすぐにする」で接頭語の「下に」は強調。単に「まっすぐにする」という意味。道のないところに道を開くという意味ではなく、回り道をするのではなく端的にまっすぐに行けるようにする、という趣旨。

 

   パウロのこの言葉は、「我々の道」つまりパウロの伝える福音が、まっすぐに、神ご自身また私たちの父からのものとして導かれて、「あなた方」に届くように、また同じようにイエスにもまっすぐに導かれて、イエスからのものとして「あなた方」のもとに届くように、という趣旨である。

 

   それを「都合よく向ける」と訳すと、この言葉は、「我々の道」つまり「WTの真理」を、都合よく向けることによって、神からのもの、またイエスからのものとして「あなた方」のところに届くように、という意味に解されることになる。(W)

 

   日本語の「都合よく」には「ふさわしく」という意味もあるのだが、KIの字義訳が、kateuthunaiをmay he straighten down(まっすぐにしますように)と訳しているのに、英訳が、direct (our way) prosperrousuly(都合よく導く、方向付けをする)と訳している。

 

   ここに「都合よく」という訳を入れたのは、私たちは聖書を「都合よく」解釈していますが、あなた方には、神またイエスからのものであるかのように、あなた方の思いを「向けて」くれますように、という主旨なのであろうか。(W)

 

   この訳からは、自らが神やイエスに従うことを望んでいるようには、とても思えないし、信者を神のもとに導きたいと思っているようにも見えないのである。(W)

   WTの指導者たちは、本当に神に従いたいと思っているのだろうか?本当に神の民を集めたいと思っているのだろうか?

 

   思わず本音が聖書の中に出てしまったのだろうか?これが神の霊感を受けた証拠であるとしたら面白い。(W)