マルコ3:13-19 <十二人の選び> 並行 マタイ10:1-4、ルカ6:12-16
マルコ3:13-19
13そして山に上り、彼自身の望む者を呼びよせる。そしてその者たちが彼のもとに来た。14そして十二人を定めた。自分とともに居らせ、また宣べ伝えるために派遣し、15悪霊どもを追い出す権威を持たせるためである。16そして十二人を定めた。そしてシモンにペテロという名をつけた。17そしてゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネを。そして彼らにボアネルゲス、すなわち雷の子という名前をつけた。18そしてアンドレアスとフィリポスとバルトロマイとマタイとトマスとハルパイの子ヤコブとタダイオスとシモン・カナナイオスと、19イスカリオテのユダを。この者がイエスを引き渡したのである。
マタイ10:1-4
1そして十二弟子を呼びよせ、汚れた霊に対する権威を与えて、これを追い出すことができるようにし、またすべての病気や患いも癒すことができるようにした。2十二使徒の名前は以下のとおりである。第一にペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンドレアス、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、3フィリポスとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、ハルパイの子ヤコブとタダイオス、4シモン・カナナイオスと、イエスを引き渡すこともしたイスカリオテのユダ。
ルカ6:12-16
12その頃、彼が祈るために山へと出て行くことがあった。そして夜を徹して神に祈っていた。13そして夜があけると、弟子たちを呼んで、その中から十二人を選んだ。そしてその十二人に使徒という名をつけた。14彼がペテロという名をつけたシモン、そしてその兄弟アンドレアス、そしてヤコブ、そしてヨハネそしてフィリポス、そしてバルトロマイ、15そしてマタイ、そしてトマス、そしてハルパイの子ヤコブ、そして熱心派と呼ばれたシモン、16そしてヤコブの子ユダ、そしてイスカリオテのユダである。この者が引き渡す者となった。
伝承としては、イエスが選んだ十二人の名前の表が伝わっていただけであろう。
マルコの導入句にある「山に上り、望む者を呼び寄せる」という設定は、編集上の状況設定であり、伝承された十二人の表を元に、マルコが創り上げた編集上の物語であろう。
マルコでは、この場面で初めて「十二人」が選ばれたことになっている。
しかし単に「十二人を定め」、「派遣した」とあるだけ。
つまり、「十二人」の特別なグループを設定して、派遣したのであるが、彼らを「使徒」として任命したわけではない。
それに対しマタイでは、すでに選ばれた「十二弟子」が「十二使徒」として存在しており、その前提で、ここでは「十二人」を病気治療のために派遣した、としている。
しかし、その「十二人」がいつ定められたかに関するマタイの記述は存在しない。
マタイは「十二弟子」という表現を「十二使徒」と言い換えている。
つまり、マタイにとっての「弟子」(mathEtEs)とという語は、「使徒」(apostolos)を指しているということ。
ルカにおいては、この場面で「十二人を選び、その特別なグループに「使徒」(apostolos)という称号を与えた、としている。
この場面を「十二使徒の選び」として描いているのは、ルカだけである。
マタイは、マルコの動機である宣教と悪霊祓いの権威を与えるためという目的に病気治癒の権威を付加している。
病気の原因も「汚れた霊」と信じられていたのだから、追い出す権威が行使できるなら、病気や患いも癒すことができると考えていたのだろう。
ルカには、十二使徒を定めた目的に関する記述はない。
マルコとルカは、「十二人」の選びが山での出来事であるとしているが、マタイでは場所は明示されていない。
「使徒」の原語であるapostosは「派遣する」(apostelllo)という動詞から派生したものであるが、マルコでは「使徒」(apostolos)という称号は使われていない。
文字通り、十二人を「自分とともに居らせ」、宣教のために「派遣した」存在という位置付けである。
「自分と共に居らせ」とあることからすると、マルコにおける「十二人」のあるべき存在とは、イエスと同じ精神でイエスの生き方を貫く存在であり、かつイエスの福音を宣教するための存在であるべき、と考えていたのだろう。
マルコにおいて「使徒」という権威称号がイエスの弟子の呼称としては一度も使われておらず、6:30でhoi apostoloiというapostolosの複数形が使われているが、固有名詞的に「使徒たち」という意味ではなく、文字通りの意味で「派遣された者たち」という意味でしか使われていない。
マルコからすれば、使徒集団の実態は、イエスから「派遣された」と主張しているが、「イエスとともに居る」集団とは大きく異なって見えていたのだろう。
マルコにおける田川訳とNWT(RNWT)の比較。
NWTにおけるマルコでは、田川訳「十二人を定めた」(原文:epoiEsen dOdeka)を「十二人[の群れ]を作り」と原文には登場しない[群れ]という語を補い、さらに「また彼らを「使徒」と名づけられた」という文を加えている。この付加文は、ルカ6:13後半と全く同じである。
RNWTにおいても、「十二人を選び、使徒と呼んだ」と、そのまま付加文付きを本文としている。
この付加文が付いている写本と付いていない写本がある。
この句を入れている写本は、アレキサンドリア系の主要な写本(B、シナイ、Cの第一写記)、カイサリア系の主な写本(Θ、f13、シリア語写本の一部、コプト語訳)である。
入れていない写本は、アレキサンドリア系でもLや小文字写本の33、カイサリア系でのf1がある。つまりアレキサンドリア系とカイサリア系それぞれの大元の原本に本当にこの句が入っていたかどうかは分からない、ということになる。
さらに、西方系といわゆるビザンチン系は一致してこの句が入っていない。
lectio difficiliorの原則からすれば、原文にはこの句は入っていなかった、と考えるのが妥当である。
もしもマルコの原文に「彼らを使徒と名づけた」(「使徒と呼んだ」)という句が入っていたのであれば、正統派教会の多数の写本家たちが削る必要はないからである。
むしろ一世紀末から二世紀以降には、「十二人」を「使徒」と呼ぶ言い方が教会的権威の呼称として確立していたことを考えるなら、ルカを知っている写本家たちがこの句をマルコに持ち込んだものと考えるのが妥当。
結局、NWTは原文に忠実に再現しようとしているのではなく、聖書霊感説を補強する意図のもとに、原文にはない語や句を恣意的に付加して本文として組み込んでいるのである。
マルコ3:14におけるそのような傾向はNWT(RNWT)だけではなく、他の和訳聖書にも見られる。
岩波訳
「そして彼は十二人を立て、[その彼らを使者としても任命し]た」。[ ]付きで採用。
新共同訳
「そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた」。本文に採用。
前田訳
「そこで十二人をお決めになった」。不採用。
新改訳
「そこでイエスは十二弟子を任命された」。原文に「弟子」という言葉はなく、「作った」「定めた」という動詞があるだけで「任命した」とは書かれていない。
塚本訳
「そこで十二人(の弟子)をお決めになった」。原文にはない(弟子)という語を補う。
口語訳
「そこで十二人をお立てになった」。不採用。
文語訳
「ここに十二人を擧げたまふ」。不採用。
和訳だけではなく、英訳でも同様である。
He appointed twelveのあとにwhom he called apostles、あるいはwhom also nemed apostlesと付加している多くの英訳聖書がある。(ESV、NLT、ISV、NET、他多数)
田川訳に戻って、十二使徒の表を検討してみる。
共観福音書における十二人の表に関しても、実は微妙な違いがある。
ヨハネ書には、十二使徒の表はおろか、「使徒」(apostolos)という呼称すら登場しない。
マルコ マタイ ルカ
| シモン・ペテロ | ペテロ・シモン | シモン(ペテロ) |
| ヤコブ(ゼベダイの子) | ヤコブ(ゼベダイの子) | ヤコブ |
| ヨハネ(ゼベダイの子) | ヨハネ(ゼベダイの子) | ヨハネ |
| アンドレアス | アンドレアス | アンドレアス |
| フィリポス | フィリポス | フィリポス |
| バルトロマイ | バルトロマイ | バルトロマイ |
| マタイ | マタイ(取税人) | マタイ |
| トマス | トマス | トマス |
| ヤコブ(ハルパイの子) | ヤコブ(ハルパイの子) | ヤコブ(ハルパイの子) |
| タダイオス | タダイオス | ユダ(ヤコブの子) |
| シモン・カナナイオス | シモン・カナナイオス | シモン(熱心派) |
| イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ |
マタイは十二使徒の表の中でマタイを収税人と紹介している。
マタイ9:9-13「取税人との食事」物語でマタイは取税人の名前を「マタイ」であると紹介している。
しかし、並行のマルコ2:13-17における「取税人との食事」物語では、取税人の名前は「マタイ」ではなく、「ハルパイの子レヴィ」であると紹介されている。
並行のルカ5:27-32でも取税人の名前は「レヴィ」であると紹介されている。
つまり、マルコの「十二使徒」の表に出て来る「マタイ」と「取税人との食事」物語の主人公である「ハルパイの子レヴィ」とは別人ということになる。
ところが、マタイは、マルコの「取税人との食事」物語の主人公を「レヴィ」ではなく、「マタイ」に変更した。
さらに「十二使徒」の表に出てくる「マタイ」に「取税人」という註解を加えた。
マタイは、この二人を同一人物に仕立ててしまったのである。
一世紀末以降、福音書を十二使徒の権威と結び付けようとされるようになる。
正典化運動の高まりから、使徒信仰と聖書霊感説信仰が強化され、福音書がイエスの実像を多角的に著わしたものであり、聖書=無謬の神の言葉という前提で、福音書も解釈されるようなる。
その結果、「ハルパイの子レヴィ」=「取税人マタイ」=「十二使徒マタイ」=「マタイ福音書著者マタイ」=「ハルパイの子レヴィ・マタイ」と一人に人物に統合されていったのである。
WT(だけではないが、伝統的キリスト教会)におけるマタイに関する説明は、福音書に書かれている記述や史実を無視した、まさしく聖書霊感説を前提に解説をしている。
*** 洞‐2 875–876ページ マタイ ***
(Matthew)[多分,「エホバの贈り物」を意味するヘブライ語マタテヤの短縮形]
ユダヤ人で,レビという名でも知られ,イエス・キリストの使徒となり,マタイという名の付された福音書の筆者となった人。マタイはアルパヨという人の子で,イエスの弟子となる前は収税人でした。(マタ 10:3; マル 2:14。「収税人」を参照。)レビがイエスの弟子となる前からマタイという名を持っていたのか,弟子になった時点でその名を得たのか,それとも使徒として任命された時にイエスからその名を与えられたのか,聖書は明らかにしていません。
イエス・キリストはガリラヤにおける宣教の初期のころ(西暦30年か31年の初めごろ)と思われますが,カペルナウムかその近くの収税所にいたマタイを召されました。(マタ 9:1,9; マル 2:1,13,14)『彼は一切のものを後にして立ち上がり,イエスに従うようになりました』。(ルカ 5:27,28)マタイは自分がキリストに従うよう召されたことを祝うためだったのではないかと思われますが,「盛大な歓迎の宴を設け」ました。その宴にはイエスとその弟子たちだけでなく収税人や罪人も大勢出席しました。このことでパリサイ人や書士たちは当惑し,キリストが収税人や罪人と飲食を共にするとはどういうことかとつぶやきました。―ルカ 5:29,30; マタ 9:10,11; マル 2:15,16。
後に,西暦31年の過ぎ越しの後,イエスは12使徒をお選びになりましたが,マタイはその一人でした。(マル 3:13‐19; ルカ 6:12‐16)聖書は様々な箇所で一団としての使徒たちのことを述べていますが,キリストの昇天後のくだりになるまで再びマタイのことが名指しで述べられている箇所はありません。マタイは復活後のイエス・キリストを見(コリ一 15:3‐6),イエスから別れ際の指示を受け,天へ昇って行かれるイエスを見ました。こうしたことの後,マタイと他の使徒たちはエルサレムに帰りました。使徒たちはエルサレムの,ある階上の間にいましたが,そこにいた人々の一人として特にマタイの名が挙げられていますから,マタイは西暦33年のペンテコステの日に聖霊を受けた120人ほどの弟子の一人であったに違いありません。―使徒 1:4‐15; 2:1‐4。
マルコとマタイには「タダイオス」という名前が「十二使徒」の一人として表に登場するが、ルカにはその名前がない。
代わりに「ヤコブの子ユダ」という名前が「十二使徒」の表に登場する。
聖書中で「タダイオス」という名前は、ここのマルコとマタイの「十二使徒」の表にしか登場しない。
ルカはいわゆるQ資料とマルコ書を手元において福音書を書き進めている。
手元の資料を確かめながら書き進めているのであるから、タダイオスという人物を「ヤコブの子ユダ」と間違えて記述したとは考えにくい。
ルカの記した使徒行伝1:13では、イエスの昇天の際に臨場した十二使徒の表の中にも、「ヤコブの子ユダ」という名前が登場する。
おそらくルカは、マルコとQ資料の「十二使徒」の表を加味し、「ヤコブの子ユダ」を十二使徒の表に加えたものと考えられる。
一方マタイは、マルコの表の名前はそのまま採用し、マタイという名に「収税人」という註解を加えて十二使徒の表を完成させたのであろう。
この名前の違いを解決するために「タダイオス」と「ヤコブの子ユダ」という二人の人物が、聖書霊感説に基づき、「ヤコブの子ユダ・タダイオス」という一人の人物に統合されて解釈されるようになったのである。
「取税人ハルパイの子レヴィ」と「取税人マタイ」という二人の人物が「ハルパイの子レヴィ・マタイ」と同一人物と解釈されたのと同じ構図である。
*** 洞‐2 1051ページ ユダ,II ***
3. 12使徒の一人。タダイとも「ヤコブの子ユダ」とも呼ばれています。マタイ 10章3節とマルコ 3章18節にある使徒たちの名簿では,アルパヨの子ヤコブとタダイが結び付けられています。ルカ 6章16節と使徒 1章13節の名簿にはタダイが含まれておらず,その代わりに「ヤコブの子ユダ」となっているので,タダイは使徒ユダの別名であるという結論に導かれます。タダイという名前が時折用いられているのは,ユダという名の二人の使徒たちが混同される可能性があったからかもしれません。ある翻訳者たちはルカ 6章16節と使徒 1章13節を,「ヤコブの兄弟ユダ」と訳出しています。両者がどのような関係にあったのか,ギリシャ語は正確には示していないからです。しかしシリア語ペシタ訳は確かに「子」という言葉を充てています。したがって,現代の多くの翻訳は「ヤコブの子ユダ」と読んでいます。(改標,聖ア,新世,ラムサ)聖書中にユダとだけ言及されているのはただ1か所,ヨハネ 14章22節です。この節では彼のことが「イスカリオテでないユダ」と呼ばれており,これはどちらのユダについて述べているかを示す手段となっています。
ジェームズ王欽定訳のマタイ 10章3節には,「タダイ」の前に「レバイオス,またの名は」という句が挿入されています。これは公認本文に基づいていますが,ウェストコットとホートの本文はこれを省いています。なぜならシナイ写本などの幾つかの写本には載っていないからです。
欽定訳の「レバイオス」に関して註解されているが、マルコ、マタイのD写本では「タダイオス」ではなく「レバイオス」になっていることを反映させたもの。
ギリシャ語本文に「レバイオス、またの名は」という句が挿入されているわけではなく、公認本文(Textus Receptus)がD写本を組み込んで本文としたもの。
-osの語尾はギリシャ語の男性名詞を作る接尾語であるから、「レヴィ」というまたの名をマタイが持っていた、という聖書霊感説を読み込んだものであろう。
「シモン」に関して、マルコとマタイは「カナナイオス」という添名を与えているが、ルカは「熱心派」という呼び方でシモンを紹介している。
マルコとマタイの原文は、Kananaiosと表記されている。
マルコ、マタイに「カナナイオス」(Kananaios)という添名があるのは、他にも「シモン」という名前を持つ「ペテロ」と区別するためであろう。
Knanaiosという表記は、「カナの人」、あるいは「カナンの人」という意味に解釈されていた。
実際、KnanitEs(「カナの人」の意)としている写本も多いという。
最近は並行であるルカのzElOtEnという表記から、マルコ、マタイの「カナナイオス」とは、アラム語の「熱心な者、熱心派」(Kanean)にギリシャ語男性語尾-osをつけた音写であろうと解釈されているようである。
マルコ、マタイのkananaiosに対するルカの表記は、zElOtEnであるが、エルサレム崩壊時に神殿に立てこもったユダヤ教の一派、いわゆる「熱心党」と呼ばれた集団の呼称である。「zElOtEs:ゼーローテース」の男性単数対格形が使われている。
ルカの時代には、この語は「熱心党」という政治集団の呼称として一般にも使われていたそうである。
ルカの時代には「熱心党」の存在は知られていたが、マルコの時代、少なくてもイエスの時代にはまだ「熱心党」と呼ばれる組織集団は顕在化してはいない。
それゆえ、マタイはともかく、マルコの「カナナイオス」は「熱心党」を指すとは考えにくい。
マルコ当時のユダヤ教では神信仰に熱心な人をKanaeanと呼んでいた.
マルコもおそらくその意味で使っているのであろう。
ルカはマルコのアラム語の「熱心な人」(Kanaean)という意味の表現をギリシャ語に訳して、「ゼーローテーン」(zElOtEn)と表記くれた、という可能性もある。
しかし、ルカ当時のギリシャ語で敢えて固有名詞的に「熱心党」を指す語を選んでいることからすると、十二使徒の一人である「シモン」という人物が、当初から、あるいは後に「熱心党」の一員として活動した人物として知られていた、という可能性が高い。
田川訳が「熱心党」という表記ではなく、「熱心派」という表記にしているのは、彼らが単なる政治党派の集団ではなく、本来は宗教的党派であったことによる。
たとえばユダヤ教の宗派である「パリサイ派」を「パリサイ党」とは呼ばず、「派」と呼ぶのと同様であろう。
ルカが「カナナイオス」という表記ではなく、「ゼーローテーン」(zElOtEn)と表記していることからしても、マルコ(60-65年)より先にルカ(56-58年)が書かれたと解説するWTの教えは真実ではあり得ない。
もちろんマタイ(41年)が最初に書かれた福音書であるという解説も同様である。
マタイは、「熱心党」を意味する「ゼーローテース」という語を使っているわけではないが、マルコより先に書かれているはずはない。
ここはそのまま、マルコの表記を写しているだけであると思われる。
NWT(RNWT)では、ルカの「ゼーローテーン」を「熱心な者」(「熱心な人」)と訳しているが、脚注には「熱心党の人、熱心者」という註を紹介している。
この語が本来は「熱心党」を指す語であることを認めている。
しかしながら、十二使徒の一人が、「熱心党」の一員であるということになれば、JWの政治関与禁止令の正当性に聖書的根拠がないことになる。
WT教理に支障が出ないように、「熱心な者」の訳を採用したのであろう。
しかも、政治参加しているキリスト教をすべて偽物であり、大いなるバビロンの一部である、という教理との整合性も取れることになる。
しかし、イエスが宗教的政治的組織の一員を十二使徒の一人として神の組織の代表として任命し、悪霊や病気を制する権威を与えた、というのでは、WT教理が破綻してしまうことになる。
サタンの用いるこの世の三大組織が偽りの宗教、政治、商業体制であり、政治家は「偽預言者」、「大いなるバビロンの情夫」という解釈の教理である。
これでは、WT教理によって、WTが聖書を曲解している大いなるバビロンの一部であり、WTがサタン組織の一部であることを認めなければならなくなる。
まさしく「自らの言葉によって自らが裁かれる」ことになる。(マタイ12:37参照)
イエスに関しても、聖書に関しても、WT教理に関しても、WT信者であるJWに対しても、神に関しても、「裏切る」行為となってしまう。
「熱心党」という訳を採用するわけにはいかないのだろう。
参考までに他の和訳では…
フランシスコ会訳2013
「熱心党と呼ばれていたシモン」
岩波訳
「熱心党員と呼ばれていたシモン」
新共同訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
前田訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
新改訳
「熱心党員と呼ばれるシモン」
塚本訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
口語訳
「熱心党と呼ばれたシモン」
文語訳
「熱心党と呼ばるるシモン」
他の和訳聖書では、すべての訳が「熱心党」と訳している。NWT(RNWT)だけが「熱心な者」(「熱心な人」)と訳しているのである。
ユダ・イスカリオテに関して田川訳では、一貫して「引き渡す」という表現を用いているが、NWT(RNWT)ではマルコ、マタイでは「裏切った」。ルカでは「反逆者となった」と表記している。
マルコ、マタイの「引き渡す」と訳されているギリシャ語は、paradidOmiという動詞である。
マルコの原文は、ioudan iskariOtEn hos kai paredOken auton。
ユダ・イスカリオテという名詞に関係代名詞を付けて、彼がイエスをアオリスト形で「引き渡した」と説明的に彼に関する情報を加えている。
マタイの原文は、ioudas iskariOtEs ho kai paradous auton。
ユダ・イスカリオテという名詞に続けて、動詞を単なるアオリスト形ではなく、アオリスト分詞形にして、マルコの文をほぼそのまま写している。
「ユダ・イスカリオテ」という名前と「イエスを引き渡した者」という分詞表現は同格的な意味を持つことになる。
つまり、マタイは「引き渡した者」という分詞表現を、「ユダ・イスカリオテ」の代名詞的意味を持つ語として使っているのである。
ルカの原文は、ioudan iskariOtEn hos kai egeneto parodotEs。
ユダ・イスカリオテという名詞に続けて、マルコ、マタイと同じく関係代名詞を用いて表現しているが、「引き渡す」(paradidOmi)という動詞ではなく、「引き渡す者」(prodotEs)となった、名詞表現を用いている。
ルカの名詞表現は「引き渡す」(paradidOmi)という動詞に「~する者」(-tEs)という名詞語尾を付けた造語。
一般のギリシャ語では、名詞表現で「引き渡す者」と言われても、誰が何をどのような意味で「引き渡した」のか曖昧で、意味不明となる。
普通なら、動詞を分詞形にして目的語を付け、「~を引き渡す者」と表記しなければ、どのような人物を想定しているのが判別できない。
しかし、この名詞表現はルカの時代にはキリスト教関係文書においては、「ユダ・イスカリオテ」を指す語として定着していた。
おそらく、ルカとしては「引き渡す者」と言えば、と誰を指すか明らかだったので、固有名詞化して使ったのであろう。
「引き渡す」(paradidOmi)という動詞自体に「裏切る」とか「反逆する」という意味があるわけではない。
para(close/beside)+didOmi(give)であり、「手渡す、差し出す、届ける」という趣旨である。
ユダ・イスカリオテに関してparadotEsという語が使われるようになり、元となった動詞にも「裏切る」というニュアンスが付加されてしまったものである。
ユダの「イエスを官憲に引き渡す」行為から、あいつは「引き渡す者」だ、という言い方がされるようになる。
もともとの語には「裏切る」という意味はなかったのであるが、仲間を官憲に引き渡すことは仲間に対する裏切り行為であるから、「裏切る」という意味を帯びる事となる。
「パラドテース」(paradotEs)が「ユダ・イスカリオテ」の代名詞として使われるようになり、「裏切り者」という意味で使われるようになったのである。
NWTでは、マルコにもマタイにも「後に」、ルカには「そして」という訳語が付加されているが、これは原文のkaiを訳したもの。
通常andの意味に解されるが、ここではkaiが連続して使われており、厳密な意味で時間的経過後に、とか預言成就的な意味で、という趣旨ではなく、並列的に、「しかも、また他方では」という趣旨。
むしろNWT(RNWT)の問題は、原文では「引き渡す」という意味しかない語を「裏切る」と訳しながら、同じ動詞を語源とするルカの名詞に「反逆」という語を当てていること。
バプテストのヨハネが引き渡される場面であるマルコ1:14(並行マタイ4:12)では、同じ動詞が使われているにもかかわらず「捕縛される」と訳している。
ユダに関してだけ、「裏切る」と訳されている。
原文に忠実であると主張し、どうしても「裏切る」という言葉を使いたいのなら、せめて訳語を統一し、ヨハネに関しても「捕縛される」ではなく、「裏切られる」と訳されたらいかがでしょう。
ルカの「反逆者」に関しても、「裏切る者」とか「裏切り者」に統一されたら良かったのではないだろうか。
マルコとマタイは「裏切る」なのに、なぜ、ルカだけ、「反逆者となった」と訳しているのか、不明。
英訳NWT(RNWT)のマルコ、マタイは、who later betrayed him。
ルカは、who turned traitor。
おそらく、原文のギリシャ語を重視して和訳しているのではなく、単に英訳NWT(RNWT)を和訳しているだけだからなのだろう。
「反逆者」とは、既存の権威や体制などに、変革を目指して抵抗したり、反対行動を取る人を指す。
ユダ自身は、イエスを官憲に引き渡したが、イエスの権威に抵抗したり、反抗的な態度を示したわけでもない。
当時、イエスの権威が確立されていたわけではなく、むしろ既存のユダヤ教体制の権威に服従した側面もあるのだから、ユダに関して「反逆」という表現は適切ではないように思える。
もしかしたら、統治体の権威体制に異議を唱えたり、変革を目指そうとする者たちに対して「ユダ」=「反逆者」という刷り込みを与え、WTの組織体制に対する批判を封じ込める意図があるのかもしれない。
和訳聖書の中で、「反逆」という語を使っている聖書はNWT(RNWT)だけである。
文語訳聖書の「賣る者」という訳を別にすれば、ほかはすべて「裏切者」と訳されている。
シモンにつけられた「ペテロ」という添名について。
ペテロ(Petros)
「岩」という意味のあだ名で有名。(マタイ16:18)
ギリシャ語では女性名詞の「岩」(petra)と「岩」から生じた個々の石ころを意味する男性名詞の「石」(petros)という語がある。
おそらく、ギリシャ語の厳密な違いというよりも、petraが女性名詞でpetrosが男性名詞なので、男性に対するあだ名なのでpetrosにしたのだろう。
ただし、初めからギリシャ語で「ペテロ」(petros)というあだ名が付けられたというわけではない可能性が高い。
パウロは、自分の書簡の中でシモン・ペテロのことをただの一度も「シモン」(simOn)とは呼んでいない。
ガラテア2,7,8で「ペテロ」(petros)と呼ぶ以外は、一貫して「ケファ」(kEphan)を用いている。
おそらく「ペテロ」という添名が先にあったのではなく、アラム語で「岩」(ケファ)と呼ばれていたのがのちにギリシャ語に訳されたのであろう。(ガラテア1:18)
マタイだけでなくマルコもイエスが付けたものとされているが、実際のところ、「岩」(petros)という添名が、なぜ、いつごろ、誰が付けたのかは、一切不明。
イエス自身が付けたとすれば、「ケファ」が添名であった可能性が高いが、後のキリスト教会が付けた「ペテロ」という添名が遡ってイエスが付けたものにされた可能性もないとは言えない。
しかしながら、マルコやパウロの段階だけでなく、ヨハネ福音書の原著者の段階では、マタイが記しているようなペテロの上に教会を建てて教会の基礎となるという解釈はまだ知られていない。
つまり、マタイの解釈は、イエスの時代ではなく、ペテロ崇拝が確立した段階で後の教会によって流布されたものと考えられる。
とすれば、「岩」(petros)というあだ名は、シモンの性格が頑固だから「岩」とされたのか、体つきが「岩」みたいにがっしりしていたのか、由来は不明となる。
ドイツ語や英語等でPeterなどと表記される。
これは、ラテン語では、最初Petrusとしていたが、語頭以外のアクセントのない音節でtr-という音の繋がりができると発音し難いので、間にe音を入れて、Peterusとされた。
それが、ゲルマン諸語に入り、ラテン語男性語尾が落ちてPeterとされたもの。
シモン・ペテロのことは、新約で二回だけ「シメオン」と呼ばれている。(使徒15:14、第二ペテロ1:1)
「シモン」はギリシャ語名である。
「シメオン」という名のユダヤ人がギリシャ語世界に対しては「シモン」と名のった、と説明される。
しかし、「シモン」の兄弟である「アンドレアス」は明確にギリシャ語名である。
兄の「アンドレアス」(アンデレ)はギリシャ語名しか持たず、ユダヤ名は持っていない。
とすれば、弟の「シモン」ももともとユダヤ名は持っておらず、初めから「シモン」というギリシャ語名しか持っていなかった、と考えられる。
使徒行伝の著者であるルカは、イエスの母「マリア」(maria)に関しても、「マリアム」(mariam)と書く。
これはヘブライ語名「ミリヤム」(miriam)をギリシャ語綴りにしたもので、旧約的な格調を持たせようとする場合が多い。(ルカ1:27他多数)
ルカがシモン・ペテロを「シメオン」(symeOn)と表記するのも同様に、旧約的な格調を持たせるためであり、「シモン」(simOn)が「シメオン」(symeOn)というヘブライ語名も持っていたからではないと思われる。
第二ペテロ書簡はパウロ書簡を意識して真似したパウロ派による公堂書簡であり、著者は、ペテロではない。
ルカはパウロと宣教旅行を共にしており、親パウロ派である。
ルカがペテロを「シメオン」と呼んでいたことを知っていたパウロ派の著者が、知っているとこを見せようとして、「シモン・ペテロ」の「シモン」をヘブライ語綴りのsymeOnとしてくれただけであろう。
「シメオン」を「シモン・ペテロ」のヘブライ語名とする根拠とはならない。
シモン・ペテロが初期キリスト教において重要な役割を果たしていたことは間違いないであろう。
しかし、マタイ16:18のイエスがペテロに対して「岩(petros)の上に教会を建てる」とする予言は、初期キリスト教会の権威を高めるために作成し、流布させた伝承であると考えられる。
ゼベダイの子ヤコブとヨハネにつけられた「ボアネスゲス」という添名について。
ボアネルゲス(BoanErges)
ヘブライ語の「ベネー・レゲシュ」(benE regeshu 雷の子)をアラム語読みにしたものだろうと言われている。
アラム語読みにしても「ボア」(boa)の二つの母音の説明は付かないというし、「レゲシュ」(regesh)にしても「レゲズ」(regez)という説もあり、定かではない。
伝統的な和訳聖書(前田訳、新改訳、塚本訳、口語訳、文語訳)では、「ボアネルゲ」と語尾の「ス」を外して表記されているが、これは語尾の「ス」がギリシャ語男性名詞語尾に見えるため「ボアネルゲ」と表記されたもの。
NWT(RNWT)、共同訳、フランシスコ会訳、岩波訳、新共同訳は、「ボアネルゲス」と表記されている。
Living Bibleには、カタカナ表記はなく、「雷の子」と呼ばれたと訳されている。
フィリポス(Philipos)
本来ギリシャ語の名前。
和訳聖書の多くが「ピリポ」「フィリポ」と表記しているが、これはギリシャ語男性名詞語尾-osを省いたもの。
バルトロマイ(Barthoromaios)
「バル」(bar)は「子」意味するアラム語。語尾の-osは男性名詞語尾で、「トロマイの子」の意味。
「トロマイ」は旧約に出て来る「タルマイ」(Thalmai)という名前が訛ったものだろうと言われる。
これをギリシャ語名のPtolemaiosと結び付ける節もあったが、音がちょっと似ているというだけのこじつけ。
この人物をヨハネ1:45などに出て来る「ナタナエル」と同じ人物に想定するのは、福音書で知られているイエスの弟子の名前を何でも「十二使徒」に結び付けようとする聖書霊感説信仰に基づく軽薄な使徒信仰。
ちなみにWTは「バルトロマイ」を「ナタナエル」の別名としている。
*** 洞‐2 573ページ バルトロマイ ***
(Bartholomew)[トルマイの子]
イエスの12使徒の一人。一般にナタナエルのことだと考えられています。福音書の幾つかの記述を比較すると,ヨハネがナタナエルという名前をフィリポと関連づけているのと同じ仕方で,マタイとルカはバルトロマイとフィリポを結び付けていることが分かります。(マタ 10:3; ルカ 6:14; ヨハ 1:45,46)
マタイ(Matthaios)
旧約に何人か出て来る「マティテヤ」(Mattitheyaエズラ10:43他)の省略形。
有名なマカバイ兄弟の父親もMattathiasとして表記される。
この名前の省略形にはいろいろな形があり、使徒1:23に出て来るユダの代わりに選ばれ使徒となった「マッティア」(Matthias)もその一つ。
トマス(ThOmas)
本来ギリシャ語名。
ヨハネ11:16等に出て来る「双子と呼ばれるトマス」と重ねて解釈されるが、マルコ、マタイ、ルカでは単に「トマス」とのみ呼ばれているだけ。
彼が「双子」と呼ばれたのは、ThOmasという語が、アラム語の「トマ」(TheomA)と音が似ているからであると言われている。
(G.Dlman,Grammatik des jidisch-palastinishen Aramaisch,2.Aufl.1905,145,Anm.6)
アラム語の「双子」(The’OmaA)は略してThOmAと発音されたが、ギリシャ語の「双子」(didymos)とは無関係。
おそらく、この人物はもともとギリシャ語名に「トーマス」と名づけられていたのであるが、アラム語の「双子」(「トーマ」)との音の類似から、一部の人たちの間で「双子」というあだ名が付けられていたのだろう。
ヨハネ書の原著者はその伝承を受け継いだものと思われる。ヨハネ福音書で「トマス」は7回出て来るが、そのうち3回は「双子と呼ばれているトマス」(thOmas ho legomenos didymos)という言い方で登場する。(11:16、20:24、21:2)
従がって、「トマス」が本当に双子であったかどうかは、不明。
逆に彼はもともとアラム語でThOmAという名前だったのだが、音が似ているので、ギリシャ語でも、ThOmasと呼ばれるようになった、という説もある。(BI-Debr §53,3d,Anm.9)
しかし、パレスチナのユダヤ人であっても生まれつきギリシャ語名をつけることは、ペテロの兄弟がアンドレアスというギリシャ語名であったように、良くあった現象である。
アラム語の「双子」(ThOmA)という名前を自分の子どもの本名につけることは、常識的には考えられないので、ギリシャ語名のThOmasの方が先であろう。
この「トマス」は、後世の伝説でイエスの弟ユダと同一人物とされる。
この伝説の起点は、偽典トマス行伝31。
ここでは、まだトマスのことを「キリストの双子(の兄弟)」と呼んでいるだけである。
その後、マルコ6:3で言及されているイエスの兄弟「ユダ」と同一視され、「トマス」=「ユダ」と信じられるようになったもの。
収税人マタイがレビと同一視され、使徒マタイとも同一視されたのと同様の聖書霊感説信仰に基づく根拠の乏しい使徒信仰の類。
WTはトマスをギリシャ語名ではなく、アラム語に由来する「双子」と断定している。
*** 洞‐2 347ページ トマス ***
(Thomas)[「双子」を意味するアラム語に由来]
このイエス・キリストの使徒は,「“双子”」あるいはデドモと呼ばれました。(マタ 10:3; マル 3:18; ルカ 6:15; ヨハ 11:16,脚注)トマスは自分の感情を表わしたり,あるいは疑いを口に出したりする際にいささか衝動的な人であったようです。しかし,いったん疑いが取り除かれると,自分の信仰を認めることをためらいませんでした。
タダイオス(Thaddaios)
本来ギリシャ語名のTheodosias、Theodotos、TheodOrosなどの省略形。
使徒5:36に出て来る「テウダス」(Theudas)も同様の省略形。
D写本は、他の福音書も一貫してこの人物の名前を「タダイオス」(Thaddaios)ではなく、「レバイオス」(Lebaios)としている。
理由は不明。
カナナイオス(Kananaios)というシモンに付された添名は、他にもシモンという名前を持つシモン・ペテロと区別するためのものであろう。
ペテロの方も、二人を区別するために、「シモン」ではなく、添名の「ペテロ」と呼ばれることが多かったと思われる。
マルコのイスカリオテ(IskariOth)というユダに付された添名には、ギリシャ語語尾をつけて、IskariOtEsとしている写本も多い。
マタイは、ユダの添名をIskariOtEsとしている。
マルコのIskariOtEsという綴りの添名は、マタイの綴りをマルコに持ち込んだもの。
「イスカリオテ」(IskariOth)の語源は、ヘブライ語のIsh KeriOthで、ishは「人」+KeriOthは地名で、「カリオートスの人」とする説が有力。
実際、シナイ写本のヨハネ6:71やベザ写本のヨハネ12:4では「ユダ・イスカリオテ」を「カリュオートス出身のユダ」(ioudan apo KaryOtou)と表記している。
候補地としては、エレミヤ48:24に出て来る「ケリオート」(KeriOth)もしくは「ケリヨト」(KariOth)。
とすれば、詳細は不明であるが、ユダはユダヤ地方の出身ではなく、死海東岸地方のモアブ地方の出身ということになる。