マルコ 2:18-22 <断食問答> 並行マタイ9:14-17、ルカ5:33-39

 

マルコ2

18そしてヨハネの弟子たちや、パリサイ派もまた、断食をしていた。来て彼に言う、「何故ヨハネの弟子たちやパリサイ派の弟子たちは断食をするのに、あなたの弟子たちは断食しないのか」。19そしてイエスは彼らに言った、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、断食することなどありえない。花婿が一緒にいる限りは、断食することなどありえないのだ。20しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう。その時にはその当日には、断食するだろう。21まだ晒していない布を誰も古い衣服に継ぎあてしたりしない。そういうことをすれば、継ぎ布が衣服をひき裂く。新しいものが古いものを。そして裂け目はもっとひどくなる。22また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、新しい酒が革袋を破り、酒は失われ、革袋も駄目になる。新しい葡萄酒は新しい革袋に」。

 

マタイ9

14その時ヨハネの弟子たちが彼のもとに進み出て、言う、「なぜ我々やパリサイ派の者たちが断食をするのにあなたの弟子たちは断食しないのか」。15そしてイエスは彼らに言った、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる限りは、嘆くことなぞありえない。しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう。そしてその時には、断食する。

16まだ晒してない布片を誰も古い衣服に継ぎあてたりしない。その継ぎ布が衣服を引き裂くからであるそして裂け目はもっとひどくなる。17また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、革袋が破れ、酒はこぼれ、革袋も駄目になる。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだそうすれば、どちらも保たれる」。

 

ルカ5

33だが彼らは彼に言った、「ヨハネの弟子たちはしばしば断食をし、また祈祷もしているパリサイ派の弟子たちもそうだ。だがあなたの弟子たちは食べたり飲んだりしている」。34イエスは彼らに対して言った、「花婿が一緒にいる間は、婚礼の客に断食なぞさせることはできない35しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろうその時にはその日々においては、断食することになろう」。また彼らに対して譬えを語った、「誰も新しい衣服から継ぎ布を切り取って古い服に継ぎあてをあてたりしない。そいうことをすれば、新しい衣服から取った継ぎ布も古い服にあわない。37また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、新しい酒が革袋を破り、酒はこぼれ、革袋も駄目になる。38新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきものだ39また、古い葡萄酒を飲んでから、新しい葡萄酒を欲する者はいない。古いものがいいと言うのである」。

 

 

 

 

 

この「断食問答」伝承は、18-20節までの断食問題と21-22節の「新しい布とぶどう酒」の比喩という二部構成となっている。

 

断食問題は20節までで完結しており、21-22節は直接的には断食問題とは無関係な比喩が展開されている。

 

二つの比喩は、断食問題を解くための鍵というよりも格言的説話であり、断食問題と共通する鍵言葉は存在しない。

 

おそらく別々の伝承だったものが、一つの物語として編集され、伝承されたものと思われる。

 

 

物語の導入は、三人とも「取税人との食事」伝承の続きという構成である。

 

マルコ2

18そしてヨハネの弟子たちや、パリサイ派もまた、断食をしていた。来て彼に言う、「何故ヨハネの弟子たちやパリサイ派の弟子たちは断食をするのに、あなたの弟子たちは断食しないのか」。

 

マタイ9

14その時ヨハネの弟子たちが彼のもとに進み出て、言う、「なぜ我々やパリサイ派の者たちが断食をするのにあなたの弟子たちは断食しないのか」。

 

ルカ5

33だが彼らは彼に言った、「ヨハネの弟子たちはしばしば断食をし、また祈祷もしているパリサイ派の弟子たちもそうだ。だがあなたの弟子たちは食べたり飲んだりしている」。

 

 

マルコでは、「ヨハネの弟子たち」(hoi mathEtai iOannou)と「パリサイ派」(hoi tOn pharisaiOn)が「断食」励行の主体となって、話が展開されている。

 

しかし、「来て」(erchontai)、「彼に言う」(legousin autO)の動詞は、どちらも無人称的三人称の複数形。

 

無人称的三人称は、主語が特定されているわけではない。

一般的にそういうことが言われていた、という趣旨。

 

NWT「それで、彼らがやって来て…」、RNWT「それでイエスの所に来て…」、英訳はどちらも(So they came and said to… )と訳しているが、多くの和訳聖書は、「人々がイエスのところにやって来て…」と、「人々」を主語にしている。

 

「ヨハネの弟子たち」と「パリサイ派」が来て、イエスに対して、はっきりと断食問答を仕掛けた、というのではなく、「ヨハネの弟子たち」(hoi mathEtai iOannou)と「パリサイ派」(hoi ton pharisaiOn)は、「断食をしていた」(Esan nEsteuontes)という事実を指摘している。

 

「ヨハネの弟子たちやパリサイ派の弟子たちが断食しているのに、なぜイエスの弟子たちは断食をしないのか、ということが問題となった、という趣旨の文。

 

 

この導入句は、マルコの編集句であるが、なぜ「ヨハネの弟子たち」と「パリサイ派」VS「イエスの弟子たち」という直接対決というのではなく、婉曲的な表現となっているのか。

 

マルコにおいては、ヨハネ書などとは異なり、「ヨハネの弟子たち」と「イエスの弟子たち」との間に対立があったという話は存在しない。

 

洗礼者ヨハネは、パリサイ派について、「まむしらの子孫」(マタイ3:7)と称するほど、批判的であった。

 

「ヨハネの弟子たち」と「パリサイ派」が共闘して、「イエスの弟子たち」に対して、実際に論争を仕掛けたとは考え難い。

 

おそらく、マルコと洗礼者ヨハネ集団との間には、「断食」に関しても、直接的な論争はなかったのであろう。

 

マルコに届いた原伝承では、おそらく「ヨハネの弟子たち」だけだったと思われる。

 

しかし、「断食」励行を推奨していたのは、「ヨハネの弟子たち」だけではなく、「パリサイ派」も同様である。

 

それで、マルコはある意図をもって、「ヨハネの弟子たち」に「パリサイ派」を追加したのかもしれない。

 

 

ユダヤ教において伝統的に断食するのは、ティシュリの月の10日にあたる「贖罪日」(レビ23:27以下他)に定められていた。

 

ヨハネとその弟子たちは、ユダヤ教の厳格な律法遂行主義者である。

パリサイ派は、律法で定められた場合以上に、宗教的敬虔の表現として、断食励行を推奨していた。

 

マルコでは、「断食」に関して、「ヨハネの弟子たち」や「パリサイ派」と「イエスの弟子たち」との間で、問題となっていたことが指摘されている。

 

 

マタイでは、「ヨハネの弟子たち」(hoi mathEtai iOannou)が、イエスに断食問答を仕掛けたことになっており、「パリサイ派の者たち」(hoi pharisaioi)は、彼らの話の中に登場する断食励行派という扱いである。

 

 

ルカにおける「彼らは言った」(eipon)とは、三人称複数形の動詞が置かれているだけで、「彼ら」という主語があるわけではない。

 

前段の「取税人との食事」の続きであり、主語となる「彼ら」とは、30「パリサイ派やその律法学者」(hoi grammateis autOn kai hoi pharisaioi)を指している。

 

ルカでは、「パリサイ派とその律法学者」がイエスに断食問答を仕掛けたことになっているが、「ヨハネの弟子たち」は含まれていない。

 

 

マルコでは、最初は「ヨハネの弟子たちやパリサイ派」(hoi mathEtai iOannou kai hoi tOn pharisaiOn)と言っておきながら、次には「パリサイ派の弟子たち」(hoi mathEtai tOn pharisaiOn)と「パリサイ派」(tOn pharisaiOn)の方にも「弟子たち」(hoi mathEtai)という語を付加している。

 

洗礼者ヨハネは一人の人物だから、「ヨハネの弟子たち」という表現はありえる。

「パリサイ派」は一つの集団、宗派であるから、「パリサイ派の弟子たち」という言い方はありえない。

 

おそらくマルコとしては、イエスの弟子たちに関しても、「あなたの弟子たち」(soi mathEtai)と「弟子たち」(mathEtai)という語を付加しているので、三つとも揃えているだけであろう。

 

マルコでは、「あなたの弟子たちはなぜ断食しないのか」と「彼に言う」(legousin autO)が、イエスも「断食しない」ことを知りながら、「イエス」ではなく、「弟子たちの断食」を問題としている。

 

これは、「取税人との食事」でも、「イエス」にではなく、「弟子たち」に対して文句を言ったのと同じ構造であろう。

 

本当はイエスに直接文句をつけたいのだが、矛先を御しやすい「弟子たち」に向けたということ。

 

イエス個人が断食をしないのは百歩譲って仕方がないとしても、弟子たちを集めて自分たちのユダヤ教の宗教信条を否定するような影響力を与えてもらっては困ると主張したいのであろう。

 

イエス自身は、かなり自覚的に「断食」というユダヤ教の宗教行為に関して否定的であった。(マタイ11:18-19、ルカ7:31-35参照)

 

断食問題は、イエスの生前に、ヨハネの弟子たちやパリサイ派とイエスの弟子たちとの間で問題になっていたのであろうが、イエスの受難後も、イエスの弟子たち同士の間でも議論となっていたのだろう。

 

それで、マルコとしては、エルサレムのキリスト教団の現状を念頭に置き、イエスに対してではなく、イエスの弟子たちを批判の対象として、断食問題を展開させているのかもしれない。

 

 

マタイでは、「彼のもとに進み出て」(proserchontai autO)、イエスに対して、「言う」(legontes)。

 

マタイにおいて、イエスに対してものを言う時には、キリスト様に対する相応しい敬意を示し、「進み出て」(proserchontai)、崇拝感情を表現しなければならない。

いつものことである。

 

ルカの「彼に言った」の「彼に」(pros auton)には、対象をはっきりと示す前置詞prosが付いており、批判の矛先を弟子たちだけでなく、イエスに対しても向けている。

 

ルカは、「断食」(nEsteuousin)だけでなく、「祈祷」(deEseis)に関しても問題としている。

 

「断食」というユダヤ教の宗教行為と並べられていることからすれば、単に神に対して「祈る」ことを批判しているのではなく、断食と同じく、宗教的敬虔さを示す儀式としての「祈祷」行為を想定しているのであろう。

 

ルカは、マルコの「断食しない」(ou nEsteuousin)を、「食べたり飲んだりしている」(esthiousin kai pinousin)と言い替えている。

 

「食べる」ことだけでなく「飲む」ことも批判の対象に加えているのは、「取税人との食事」と同様。

 

婚礼における祝宴の場面であるのだから、「食べ物」だけでなく「飲み物」も提供されているはずだと考えたのだろう。

 

ルカさんは、この種の細かい正確さにうるさい。

 

 

ユダヤ教の信者たちは「断食をする」のに、イエスの弟子たちは「なぜ断食をしないのか」という問題に対して、イエスは次のように答える。

 

マルコ2

19そしてイエスは彼らに言った、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、断食することなどありえない。花婿が一緒にいる限りは、断食することなどありえないのだ。20しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう。その時にはその当日には、断食するだろう。

 

マタイ9

15そしてイエスは彼らに言った、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる限りは、嘆くことなぞありえない。しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう。そしてその時には、断食する。

 

ルカ5

34イエスは彼らに対して言った、「花婿が一緒にいる間は、婚礼の客に断食なぞさせることはできない。35しかし、自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう。その時にはその日々においては、断食することになろう」。

 

 

マルコでは、「断食することなどありえない」(mE(ou) dynantai nEsteuein)という表現が二度繰り返されている。

 

「花婿が一緒にいる間は」(en hO ho nymphios met autOn)と、「花婿が一緒にいる限りは」(hoson chronon echousin ton nymphion met autOn)とは、「いる間は」(en ho)を、「いる限りは」(hoson chronon echousin)と言い直して、強調している。

 

「婚礼の客」(hoi hyioi tou nymphOnos)の直訳は、「婚礼部屋の子ら」。

「婚礼部屋」(nymphOn)とは、「花婿が居る部屋」のこと。

婚礼の場において、花婿の文字通りの「子ら」が婚礼部屋に居ることは通常ありえない。

 

ヘブライ語やアラム語では、その事柄に関係する人々のことを「子ら」と表現することが多い。

 

「婚礼に関係する人々」、「花婿」の「婚礼」に出席する人々を指して、「婚礼部屋の子ら」と表現したのであろう。

つまり「婚礼に招かれた客」という趣旨。

 

「花婿が一緒にいる間は」、「花婿が一緒にいる限りは」と繰り返されている句は、「断食をすることなどありえない」という答えに対して、どちらも条件を付与するものである。

 

「花婿が一緒にいる」という条件が満たされている限りは、「断食をすることなどありえない」ということ。

 

 

20節の「自分たちから花婿が取り去られる日々」(hEmerai hotan aparthE ap autOn ho nymphios)の「日々」(hEmerai)とは、「日」(hEmera)の複数形である。

 

「自分たちから花婿が取り去られる」とは、「イエスの受難」を想定している表現である。

つまりこの表現は「イエス」が「キリスト」であることを前提に、「花婿」を「イエス」の比喩としていることになる。

 

この「日々」とは、「イエスの死後の日々」、つまり「イエスの十字架以降の時代」という意味で使っているのは間違いないであろう。

 

「イエス」を「花婿」に譬え、イエスの死後における「婚礼の客」である「キリスト信者」に言及する表現となっている。

 

当然この言葉は、イエス自身の言葉とは考えられない。

イエスの死後にイエスをキリストとする人間によって付け加えられた言葉であろう。

 

イエスは、「キリストであるなどと誰にも語るな」(マルコ8:29-30)と自分がキリストであることを否定している。

とすれば、この部分は、イエスをキリストに仕立てた初期キリスト教団によって作られた伝承と考えられる。

 

前半の断食問答は、19節のイエスが語った言葉に、イエスをキリストとする初期キリスト教団が20節で条件句を付加し、伝承させたものと考えられる。

 

19節後半の「花嫁が一緒にいる限り」という条件句が、受難を念頭にキリストとなるイエスを想定しているのであれば、この条件句も初期キリスト教団による付加となる。

 

19節前半の「花婿が一緒にいる間」とは、婚礼において花婿と一緒に祝う客の喜びの状況を比喩するものであり、イエスが語ったものであるとしても、「花婿」を「キリスト」の比喩としているものではないであろう。

 

「イエスが自分たちと一緒にいる間」、「イエスが自分たちと一緒にいる限り」という条件が満たされている限り、断食することなどありえない、というのがマルコの主張であろう。

 

おそらく断食問題に関するイエスの本来の考えは、「断食をすることなどありえない」というものだったと思われる。

 

イエスは、「断食」という行為そのものを否定したのか、それとも断食に見られる「宗教的偽善」を否定したのか問題とされることが多い。

 

WTも、「断食」そのものが否定されているわけではなく、正しい動機で行われる「断食」と「不誠実な断食」とを区別し、「偽善的な断食」を否定している。

*** 洞‐2 173ページ 断食 ***

限られた期間,一切の食物を断つこと。正しい動機で行なわれる断は,過去の罪に関して敬虔な悲しみと悔い改めを表わす行為でした。(サム一 7:6; ヨエ 2:12‐15; ヨナ 3:5)さらに,大きな危険に面した時,神の導きを切実に必要とする時,試みを耐え忍んだり誘惑に遭ったりしている時,あるいは研究したり黙想したり,神の目的に注意を集中したりする時にも断食はふさわしいことでした。(代二 20:3; エズ 8:21; エス 4:3,16; マタ 4:1,2)断食は自ら自分に加える一種の処罰ではなく,エホバのみ前でへりくだることでした。(エズ 8:21; 9:5。王一 21:27‐29と比較。)

 

イエスは地上におられた時,ご自分の弟子たちに次のような諭しをお与えになりました。「断食をしているときには,偽善者たちのように悲しげな顔をするのをやめなさい。彼らは,断食をしていることが人々に見えるように,自分の顔を醜くするのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けています。しかし,あなたが断食をしているときには,頭に油を塗り,顔を洗いなさい。断食をしていることが,人にではなく,ひそかなところにおられるあなたの父に見えるためです。そうすれば,ひそかに見ておられる父があなたに報いてくださるでしょう」。(マタ 6:16‐18)イエスはここでパリサイ人の不誠実な断食を暗に示されました。それについては,別の時にある例えの中で指摘なさいました。(ルカ 18:9‐14)パリサイ人は週に2回,週の2日目と5日目に断食するのが習慣でした。―ルカ 18:12。

 

 

 

しかしながら、「断食」行為そのものが、一種の「宗教的行為」である。

「断食」行為が否定されているのであるから、その宗教的行為に見られる宗教的意義も当然否定されている。

 

「断食」に見られる「宗教的偽善」だけが否定されているというのであれば、「偽善のない断食」という「宗教的行為」が必要となる。

 

「断食」が宗教的に意味づけられた行為である以上、偽善があろうとなかろうと、自派の「断食」に、別の新たに正当とされる宗教的意義が付与されるだけである。

 

「断食」を是としている限り、いくら「正しい動機の断食」を宗教的に意味のあるものと定義しても、「断食」という宗教的意義も形骸化するだけで、いずれ「断食」と言う行為そのものが無意味となるだけである。

 

イエスにとって、断食しようと、しまいと、どうでも良いことだったのであろう。

 

そもそも、「断食」などという行為を遂行できるのは、普段はたらふく満足できるだけ食事の摂れる裕福な有閑階級の話であろう。

 

額に汗して働く「地の民」にとっては、「食べたり、飲んだり」することが、日常的な喜びだったのであろう。

 

その日常的な喜びを否定する「断食」のような宗教性をイエスは疑問視したのであり、「断食することなどありえない」としていたのであろう。

 

 

前半では、「断食をすることなどありえない」ことを前提としながら、条件が付与されている。

 

後半では、条件を満たすなら、「断食するだろう」という、「断食する」ことを前提とした論理にすり替わっている。

 

おそらく、イエスとともに活動を共にしていた人々は、イエスの考えをそのまま受け継ぎ、断食という宗教行為を意識的に退けていたのであろう。

 

しかしイエスの死後、ペテロたちを中心とするエルサレムの初期キリスト教団は、再ユダヤ教化し、断食をするようになっていたのであろう。(使徒13:2,14:23、ルカ2:37参照)

 

「断食容認派」には、イエスが断食をしなかったのにもかかわらず、自分たちが再び断食をするようになったことを正統化する必要があった。

 

それで、初期キリスト教団は、イエスの言葉に20節の断食を肯定する条件句を付加し、伝承を流布させたのであろう。

 

おそらく、マルコに届いた段階で、この断食問答は一つのキリスト伝承として流布されていたものと思われる。

 

イエスは断食問題に関して、前半と後半では異なる前提で答えている。

その背景には、イエスの死後、断食を宗教的偽善として完全に排除したキリスト教会も存在したしユダヤ教的断食を許容したキリスト教会も存在していたのだろう。

 

とすれば、この伝承は文字通りに「ヨハネの弟子たち」+「パリサイ派の弟子たち」VS「イエスの弟子たち」という構図を示しているのではないであろう。

 

キリスト教内の断食問題を背景に、マルコは「断食をする者」として、「ヨハネの弟子たち」や「パリサイ派の弟子たち」をあげ、「断食をしない者」として「イエスの弟子たち」を対比させているのかもしれない。

 

つまり、洗礼者ヨハネ教団やパリサイ派を母体とする「断食容認派」のキリスト信者とイエスの言葉に忠実であろうとする「断食反対派」のイエス信者との論争を描こうとしているのかもしれない。

 

とすれば、そこにはペテロをはじめとするエルサレム教団に対するマルコの「断食容認」批判が含まれているのであろう。

 

 

「花婿が取り去られる日々」という表現の「日々」(hEmerai)とは、定冠詞なしの「日」の複数形。

 

それに対し、「断食をするだろう」としている、「その時」(tote)と同列に並べられている「その当日」(tE hEmera)とは、定冠詞付きの「日」の単数形。

 

複数形の「日々」を受けるのであるから、常識的には、単数形ではなく、定冠詞付きの複数形で受けるのが当然のように思われる。

 

並行記述のマタイの「その時」(tote)とは、「花婿が取り去られる日々」(hEmera)を指していると読める

 

ルカは、マルコの「その時」(tote)はそのまま写し、単数形での「その日には」(en ekeinE tE hEmera)については、「その日々においては」(en ekeinais tE hEmerai)と定冠詞付き複数形の「日々」に変えている。

 

純粋なギリシャ語人間のルカは、直前で「日々」と複数形で言っているのに、すぐ後で、定冠詞を付け単数形で「その日」と受けているマルコに対し、間違っている、ギリシャ語を知らない奴だとでも思って、定冠詞付き複数形に変えてくれたのであろう。

 

 

しかしながら、マルコは、複数の「日々」を、ある意図をもって単数で「その日には」と受けていると思われる。

 

 

この「複数形」の「日々」と「単数形」の「日」を使い分けている事にはどんな意味があるのだろうか。

 

「自分たちから花婿が取り去られる」とは、「イエスが十字架刑に処せられ弟子たち一緒に過ごせなくなる」ことを指している。

 

複数形の「自分たちから花婿が取り去られる日々」の方は、「イエスが十字架で殺された以後の日々」、つまり「イエスの受難後の時代」を指しているのは、間違いないであろう。

 

それを意図的に定冠詞付きで単数形の「日」と受けているのだから、特定の日を念頭に置いているのは確かである。

 

とすれば、「自分たちから花婿が取り去られる日々」を受けて、単数形で「その日」と受けているのであるから、「花婿が取り去られるその当日」を指していると解するのが素直であろう。

 

つまりマルコにおいて、「その時」と「その日」は同義であり、「イエスの十字架の日」当日だけを指しているのであり、「花婿が取り去られる日々」を受けて、「十字架後の時代」を指しているわけではないであろう。

 

マルコとしては、イエスの不在は十字架と復活の間の短い時に過ぎず、「その時」には、「その当日」には、婚礼の客であるイエスの弟子たちが断食することもあり得る、という趣旨で、「断食するだろう」というのであろう。

 

マルコは、「断食することなどありえない」ことを前提に、限定的な意味で「断食するだろう」と読ませている。

 

マルコでは、「花婿が一緒に居る間」、「一緒に居る限りは」、「断食することなどありえないのだ」。

しかし、イエスが十字架で殺された日一日ぐらいは、断食するだろう、と言っていることになる。

 

マルコでは、イエスの受難後もイエスは弟子たちに先立ち導くと約束されている。(マルコ14:28、16:7)

 

つまり、マルコにおいてイエスは、十字架後も弟子たちと「一緒に居る」のである。

 

マルコにおいて、弟子たちが「断食するであろう」とするのは、十字架の受難当日の一日だけである。

 

それ以外の日は、イエスの生前中もイエスの十字架後も、イエスは弟子たちと一緒に居るのであるから、「一緒に居る限りは、断食することなどありえない」というのがマルコの主張であろう。

 

マルコの原文の「取り去られる日々」(hEmerai)が複数形であり、次の「その日」(tE hEmera)が単数形であることには、重要な示唆がある。

 

 

 

マタイは、マルコの「花婿が一緒にいる間は、断食することなどありえない」という文を削除し、後半の文を、「花婿が一緒にいる限りは、嘆くことなぞありえない」という文と書き変えている。

 

マルコの文を同じ文の繰り返しと読み、「断食する」を「嘆く」に変えて、後半だけを採用したのであろう。

 

マタイが「嘆く」に変えたのは、当時の「断食」が「ヨハネの弟子たち」による禁欲的な宗教修行のためだけでなく、「パリサイ派」に見られるように、悲しみや「嘆き」の表現として、儀式的に行なうものでもあったからであろう。

 

 

マタイは、「自分たちから花婿が取り去られる日々が来るだろう」に続く文で、マルコの「その当日には」(en ekeinE tE hEmera)という定冠詞付き単数の「日」を含む句を削除し、「その時」(tote)だけを採用している。

 

その結果、マタイの「その時」(tote)とは、やがて来る30「自分たちから花婿が取り去られる日々」(hEmerai hotan aparthE ap autOn ho nymphios)を指すこととなった。

 

マタイでは、イエスの生前となる「花婿が一緒に居る限り」においては、イエスが自分たちと一緒に居るのだから、断食をして「嘆くことなぞありえない」。

 

しかし、イエスの十字架後の日々、「その時」(tote)が来たなら、「断食する」という「断食推奨」の主張に変わっている。

 

マルコの、十字架以後もイエスは「一緒にいる」のだから「断食不要」、という主張から、イエスは弟子たちと「一緒にいない」のだから、「断食をして」、イエスの死を「嘆き」、悲しもうではないか、という真逆の主張に変質してしまったのである。

 

 

ルカは、マルコが「自分たちから花婿が取り去られる日々」の複数形の「日々」(hEmerai)を、次の句で「その当日」(tE hEmera)と単数形の「日」に変えていることの意味を理解しなかったのであろう。

 

それで、マルコが「その時」(tote)、「その日には」(en ekeinE tE hEmera)と単数形で言い換えているのに対し、ルカは「その時」(tote)を「その日々においては」(en ekeinais tais hEmerais)と複数形にして、言い換えている。

 

その結果、ルカにおける「その時」(tote)、「その日々」(tais hEmerais)とは、マタイと同じく、やがて来る「自分たちから花婿が取り去られる日々」のことを指すこととなった。

 

ルカもマタイと同じく、十字架以後の時代には、キリスト信者たちに断食を容認し、推奨する話となっている。

 

おそらく、初期キリスト教団は、断食を容認し、再ユダヤ教化し、宗教的権威主義に戻りつつあったのであろう。

 

とすれば、マルコに届いた初期キリスト教団によって流布された断食問答伝承は、定冠詞付き複数形の「日々」で受けており、「その時、その日々においては断食するであろう」という趣旨のものだったと考えられる。

 

それをマルコは定冠詞付き単数形の「日」に受け直すことによって、エルサレムの「断食容認派」のキリスト教団に対する批判を込めて、「断食反対派」の主張と読めるよう、編集したものと思われる。

 

 

このマルコの単数形の「日」を毎週の金曜日、もしくは毎年のイエスの十字架の日(聖金曜日)を指すとするのが定説のようである。(ローマヤー、J.Behm、トロクメほか)

 

二世紀の使徒教父文書の一つである「十二使徒の訓話」(ディダケー8:1)の中で、ユダヤ教における月曜と木曜の断食習慣に言及しており、キリスト教徒には別日となる火曜と金曜の断食励行が推奨されている。

 

しかしながら、金曜日もしくは聖金曜日の断食の習慣は、一世紀末~二世紀初めのキリスト教徒によって始められた習慣であり、マルコの時代には認められない。

 

マルコが「断食するだろう」としている「日」とは、単数の「日」(hEmera)であり、「毎週の金曜日」あるいは「毎年の記念日」(聖金曜日)という複数形の「日々」(hEmerai)ではない。

 

たった一回限りの定冠詞付きの「その日」、つまり「自分たちから花婿が取り去られる日」、十字架当日の一日に限り、確かにイエスの友たちは断食をしたであろう、というものである。

 

断食の習慣を条件付きで容認し、慣習化することをイエスの言葉が示唆しているとするのは、マルコのイエス像とは一致しない。

 

むしろ、マタイやルカのイエス像と一致する。

 

マルコはユダヤ教的宗教慣習に逆戻りするエルサレムの使徒集団に対して、一貫して批判的である。

 

 

ルカは、マルコの「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、断食することなどありえない」という表現を、「花婿が一緒にいる間は、婚礼の客に断食なぞさせることはできない」と書き変えている。

 

マルコが単に「断食することなどありえない」(mE dynanta… nEsteuein)と自動詞で言い切っているのに、「断食なぞさせることはできない」(mE dynasthe… poiEsai nEsteuein)と使役の動詞を使っている。

 

おそらくルカは、マルコの句を文字通りの婚宴の場面と解したのであろう。

 

花婿から婚礼を一緒に祝うように招かれた客に対して、花婿が婚宴の場で招待客に食べたり飲んだりするな、などと指図することなぞありえない、とマルコの文を解し、使役の主動詞を付加してくれたのであろう。

 

ルカは、ぶどう酒の革袋の譬に関しても、文字通りのぶどう酒に関する教訓として解しているようである。

 

 

二つの格言的譬えを断食物語に添えて一つの物語に仕立てたのが、マルコであるなら、「断食」そのものに対して反対していることは確かであると思われる。

 

イエスは、二つの譬話で断食問題に回答する。

 

マルコ2

21まだ晒していない布片を誰も古い衣服に継ぎあてしたりしない。そういうことをすれば、継ぎ布が衣服をひき裂く。新しいものが古いものを。そして裂け目はもっとひどくなる。22また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、新しい酒が革袋を破り、酒は失われ、革袋も駄目になる。新しい葡萄酒は新しい革袋に」。

 

マタイ9

16まだ晒してない布片を誰も古い衣服に継ぎあてたりしない。その継ぎ布が衣服を引き裂くからであるそして裂け目はもっとひどくなる。17また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、革袋が破れ、酒はこぼれ、革袋も駄目になる。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだそうすれば、どちらも保たれる」。

 

ルカ5

36また彼らに対して譬えを語った、「誰も新しい衣服から継ぎ布を切り取って古い服に継ぎあてをあてたりしない。そいうことをすれば、新しい衣服から取った継ぎ布も古い服にあわない。37また、誰も新しい葡萄酒を古い革袋に注いだりしない。そういうことをすれば、新しい酒が革袋を破り、酒はこぼれ、革袋も駄目になる。38新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるべきものだ39また、古い葡萄酒を飲んでから、新しい葡萄酒を欲する者はいない。古いものがいいと言うのである」。

 

 

「まだ晒していない布を古い衣服の継ぎあてにしない」という教えや「新しいぶどう酒は古い革袋に注がない」という教えは、断食の慣習とは全く無関係である。

 

これらの教えそのものは、一種の生活の知恵であり、宗教的な説話とも無関係である。

 

実際にイエスが語った言葉かもしれないが、「継ぎ布」の話も「新しいぶどう酒」の話も、元来は「断食」とは無関係な二つの格言的伝承だったのであろう。

 

それが断食問答に対するイエスの解答として一つの物語に組み込まれている。

 

マルコにおける断食問題に関するイエスの基本的な姿勢は、イエスの弟子たちが「断食することなどありえない」というものである。

 

仮に「断食する」としてもイエスの十字架当日だけであり、イエスの死後も、イエスは弟子たちと一緒にいるのであり、「断食することなどありえない」、というものであった。

 

そして、その主張を補強するように、二つの譬を語っている。

 

マルコは、ユダヤ教に由来する「断食の習慣」を「古い衣服」と「古い革袋」に譬え、イエスの福音を「まだ晒していない布片」と「新しいぶどう酒」に譬えて、論理を展開している。

 

まず、「まだ晒していない布片」を「古い衣服」に「継ぎあて」したりしない。

そんなことをすれば、「晒していない新しい継ぎあて」が「古い衣服」を引き裂くからである、という。

 

まだ水に晒していない布は、縮む力が強く、何度も水に晒されて縮んでいる古い衣服の裂け目をさらにひどくしてしまう。

 

「新しいもの」が「古いものを」、引き裂く、というのである。

 

 

また、「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に注いで、保存したりしない。

そんなことをすれば、「新しいぶどう酒」が「古い革袋」を破り、「新しいぶどう酒」も「古い革袋」も駄目になる。

 

だから、「新しいぶどう酒」は「新しい革袋に」、というのである。

 

「革袋」とは、中に水や酒などの飲物を入れ、持ち運び用に用いるもので、保存用の容器ではない。

今日の水筒の役割をするもので、保存用には、瓶や壺などのしっかりとした容器を用いる。

 

収穫して圧搾したばかりのぶどう酒を古い革袋に入れたら、発酵により炭酸ガスが発生し、革袋を破ってしまう。

 

 

どちらの譬も、「新しいもの」が持つ活動的な力に焦点を当てている。

 

 

マルコの主張は明らかであろう。

 

「断食」というような「ユダヤ教的習慣」を「イエスの福音」に持ち込むことは、「古い衣服」に「まだ晒していない布」で継ぎあてするようなものだ。

そんなことをしたら、「衣服の裂け目はもっとひどくなる」。

「新しいもの」が「古いもの」を引き裂くのである。

 

それはまた「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に入れるようなものだ。

 

そんなことをしたら、「新しいぶどう酒」が「古い革袋を破ってしまい、酒も革袋も駄目になってしまう。

 

だから、「新しいぶどう酒は新しい革袋に」と言っている。

 

ただし、「古いぶどう酒は古い革袋に」とは言っていない。

 

「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に入れて、持ち運ぶようなことをしてはならない、というのがマルコのイエスの主張である。

 

つまり、「キリスト教団」は「ユダヤ教的習慣」に逆戻りして、「再ユダヤ化」してはならない。

 

そんなことをしたら、「宗教的権威主義」に戻ることになり、「パリサイ派」と同じになる。

「イエスの福音」は、駄目になる、と言いたかったのであろう。

 

「イエスの福音」は、古い衣服を引き裂く、活動的な力に満ちた「まだ晒していない布片」のようなものである。

 

活動的な力に満ちた状態を保ち、「イエスの福音」のままに成長してゆくべきだ、というのがマルコの主張である。

 

その主張からすれば、マルコにおける単数形の「日」が、「断食の慣習を許容する」特定の「日」を指すとは考えにくいのである。

 

 

この「日」を「終末の日」を意味すると解釈する説もある。(G.Braumann,An jenem Tag,Mk ii 20,NovTest VI,1963,S.264-267)

 

「その日」というのは、当時のユダヤ人の間では終末的術語であり、「終末の日」を意味するというのである。

 

WTなら大歓迎しそうな説である。

 

単数形の「終末の日」とは、文字どおりには、「創造宇宙の終焉」である「地球最後の日」となる「ただ一日」を指すと解されるのが普通である。

 

新約の中で、定冠詞付き単数の「その日」が、「終末の日」を指して使われている箇所は、ルカ21:34他いくつかある。

 

しかし、「その日」という表現がいつでも「終末の日」を指すというのではなく、文脈の中で定冠詞付き単数の「日」が、「終末の日」を指しているというだけである。

 

「イエスの死後の時代」あるいは「イエスが復活した以降の時代」を指して、「終末の日」が使われているとされる新約の個所は見当たらない。

 

単数形の「終末の日」に始まりと終わりがあり、複数の「日々」を意味するとしても、「宇宙の終焉」が始まり、終わるまでの短い期間の「日々」を指すと解されるのが普通。

 

単数形の「その日」が「終末の日」を意味すると解するためには、「花婿」が単に「イエス」の比喩ではなく、「終末の日」に到来する「メシア」の比喩であると解釈しなければ成立しない。

 

その解釈に従がえば、「花婿が一緒にいる間」とは、「イエスが受難する前」の「弟子たち一緒に活動していた期間」というのではなく、イエスがメシアとして再臨する「終末の日」に「メシアと一緒にいる」という宗教的状態にあるという意味になる。

 

「メシアが到来する終末の日」となれば、「メシアと一緒にいるという宗教的状態」となるから、断食という宗教的行為は意味がない、と言っていることになる。

 

そして、その期間、その限りにおいては、断食することなどありえない、と言っていることになる。

 

とすれば、イエスの受難後、「終末の日」にメシアとして再臨するまでの、「花婿が取り去られる日々」の期間は、「イエスが一緒にいない期間」となるのだから、キリスト教とは「断食する」ということになる。

 

マルコでは、イエスは自分がメシアであることを否定しており、ペテロを始め、弟子たちの誰も言うな、と厳命している。(マルコ8:29-30)

 

「花婿」が「メシア」の比喩であるとするならば、生前イエスのイエスが弟子たちと一緒にいる間も、「メシア」であることを自覚していたことになる。

 

とすれば、イエスは生前にはメシアであり、受難後はメシアではなくなり、終末の再臨後は再びメシアとして到来するということになる。

 

受難後に復活したイエスは、メシアとして到来する「終末の日」までは、弟子たちと「一緒にいない」ので、「断食する」と言っていることになる。

 

「その日」を「終末の日」と解するならば、「花婿が取り去られる日々」という同じ状況の中で、「断食する」と解釈されたり、「断食しない」と解釈されたりすることになる。

 

生前のユダヤ教の「断食」を宗教的に否定しておきながら、受難後のキリスト教の「断食」に関しては、宗教的に意味のある行為として推奨していることにもなる。

 

それでは、「ユダヤ教の習慣」を「キリスト教の習慣」に取り入れることとなり、「イエスの福音」を「ユダヤ教の革袋」に入れてはならない、というマルコの主張にも反することになる。

 

 

旧約でも新約でも、「花婿」という表現がすべて「メシア」を意味するわけではない。

 

旧約にも、後期ユダヤ教の諸文献にも、メシアを花婿で例える比喩は見当たらない。

 

「花婿」をキリストの比喩としているのは、新約文書だけである。

 

 

「終末の日」とは、宇宙の終焉を迎える日である。

 

そんな「日」に「断食」という宗教的行為を実践しても、何の意味もなさないであろう。

 

宗教的敬虔の顕示や嘆きと悔い改めを示す行為としての「断食」が、西暦前6世紀の「エルサレムの崩壊」と結び付けられている箇所は旧約にいくつか存在する。

 

確かに、新約には、「嘆く」ことが「終末の日」と結び付けられている箇所は、いくつか存在するが、「断食」が「終末の日」と結び付けられている箇所は旧約にも新約にも登場しない。

 

 

マルコにおける単数形の「その日」を「終末の日」を指すと解釈するには、「エルサレムの崩壊」と「終末の日」とは預言の「予型」と「対型」であることを「真」として、前提としなければ成立しない論理である。

 

キリスト教がユダヤ教の表象の成就であることを積極的に支持しているのは、マルコではなく、マタイである。

 

WTなら飛び付くような説ではあるが、「断食」の習慣と「終末」の日とを結びつけるのは無理があるように思える。

 

初めに結論ありきで、我田引水的に論理を構築させた、矛盾の多い牽強付会の解釈のように思える。

 

ここは、複数の「花婿が取り去られる日々」を単数の「日」で受け直しているのであるから、単数の「花婿が取り去られる日」、つまりを「イエスが十字架刑に処された当日」を指すと解するのが素直であろう。

 

それで、田川訳では、「その日」ではなく、「当日」と訳出したのだろう。

 

 

マタイは、「まだ晒していない布片」の譬えに関して、ほぼそのまま写しているが、接続詞を変えている。

 

マルコの「そういうことをすれば、継ぎ布が衣服を引き裂く」(ei de mE airei plErOma ap autou)という並列の文を、マタイは、「その継ぎ布が衣服を引き裂くからである」(airei gar to plErOma autou apo tou himatiou)と接続詞を変え、原因と結果を示す構文に変えてくれている。

 

主従関係に厳しいマタイ好みの構文なのであろう。

 

さらに、マルコの「新しいものが古いものを」という結論の句を削除している。

マルコは、直前の文に対する説明的一般化であり、「新しいもの」が「古いもの」を駆逐していく力強さに焦点を当てている。

 

マタイは、無駄な重複と考え、削除したのであろう。

 

その結果、「まだ晒していない布」と「古い衣服」が共存する道が残る事となった。

 

 

マタイにおける「新しいぶどう酒」の譬に関しては、マルコの「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」(to kainon tou palaiou)という動詞のない文に、「新しいぶどう酒は新しい革袋へ入れるものだ」(ballousin onion neon eis askous kainous)とマルコの文に「入れる」(ballousin)という動詞を補ってくれている。

 

さらに、「そうすれば、どちらも保たれる」(kai amphotera syntErountai)という句を付加している。

 

マルコでは、「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に入れてはならないのは、「新しいぶどう酒」が「古い革袋」を破るからである。

 

「新しいぶどう酒」を「新しい革袋」に入れるのは、「新しいぶどう酒」を駄目にしないためである。

 

「古い革袋」を駄目にしないことが、命題ではない。

 

それが、マタイでは、「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に「入れてはならない」のは、「新しいぶどう酒」も「古い革袋」も、どちらも駄目にしないためである、という結論となっている。

 

「そうすれば、どちらも保たれる」(kai amphotera syntErountai)という三語を付加することにより、マタイは断食のようなユダヤ教的慣習をキリスト教に持ち込むことを擁護していることになった。

 

「新しいぶどう酒」は「新しい革袋」に入れ、「古いぶどう酒」は「古い革袋」に入れて携帯し、どちらも駄目にしないように、運んでくべきだ、という話にすり替わっている。

 

「断食」のようなユダヤ教の習慣も、ユダヤ教とは異なるキリスト教の枠組みに組み入れて保存していくべきであり、ユダヤ教と同じ枠組みに入れてはならない、という話になってしまったのである。

 

キリスト教もユダヤ教もどちらも共存してゆくべきだ、というのである。

 

キリスト教をユダヤ教の成就とみなしているマタイらしい結論である。

 

 

ルカは、マルコの「まだ晒していない布片」を「新しい衣服から切り取った継ぎ布」と言い換えている。

 

普通は、まだ晒していない布をすぐに使うことはしないものである。

マルコは、そんなことすればどうなるかを、キリスト教にユダヤ教的宗教慣習を持ち込んで融合させようとすることに譬えて論じているのである。

 

それをルカは、単に「新しい衣服」と「古い衣服」を縫い合わせて、一緒にしてはいけない、という教訓話に理解したのであろう。

 

それで、「まだ晒していない布片」ではなく、「新しい衣服から切り取った継ぎ布」と書き換えたのであろう。

 

誰もわざわざ「新しい衣服」を「古い衣服の継ぎ布」にするために「切り取る」ことはしない、という常識の教訓話に修正してくれたのである。

 

おまけに、マルコの「継ぎ布が古い衣服を引き裂く」という話を無視して、「新しい衣服からとった継ぎ布は古い服に合わない」(tO palaiO ou symphOnei epiblEma to apo tou kainou)と、「似合う」(symphInei)、「似合わない」(ou symphOnei)という話に矮小化させてしまったのである。

 

 

ルカにおける「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」という話も同様である。

 

マルコの文に、39「古いぶどう酒を飲んでから、新しいぶどう酒を欲する者はいない。古いものがいい、と言うのである」(kai oudeis pinOn palaion eytheOs thelei neon legei gar ho palaios chrEstoteros estin)という句を付加している。

 

「イエスの福音」に「断食」に代表されるユダヤ教的宗教教義を融合させようとしてはならない。ユダヤ教的基準でキリスト教を推し進めてはならない、という批判を織り込んでいるマルコの表現を理解できなかったのであろう。

 

それを「継ぎ布」の話と同じように、「新しいもの」と「古いもの」とを一緒にしてはいけない、という教訓話に理解したのである。

 

 

ルカは、マルコの「新しいぶどう酒」を「古い革袋」に入れると、新しい酒が革袋を破り、酒も革袋も駄目になる。「新しいぶどう酒」は「新しい革袋へ」に、という動詞のない話に、「入れるべきものだ」(blEteon)と言う動詞を付加しただけで、ほぼそのまま写している。

 

ルカはマルコの話を、「新しいぶどう酒」を「古い革袋に入った古いぶどう酒」と混ぜてはいけない。

そんなことをしたら、おいしいはずの古いぶどう酒が駄目になってしまうからだ、という意味に解したのであろう。

 

それで、「新しいぶどう酒よりも古いぶどう酒の方がいい」、と言うことは誰でも知っているではないか、という趣旨の文を付加したのであろう。

 

ルカは、「新しいぶどう酒」の発酵する力が「古い革袋」を破ることは理解していたのであろう。しかし、「イエスの福音」が「ユダヤ教の慣習」を打ち破りながら進展していくダイナミズムの力を描写していることは理解できなかったのであろう。

 

この共観福音書間に見られるちぐはぐさは、マタイやルカがマルコを写しているのでなければ生じえない事象であり、逆はありえない。

 

マタイででもそうであるが、ルカにおいても、マルコより先に書かれたことは考えられない事象である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし、WTが唱えるように聖書霊感説に基づいて、共観福音書がそれぞれ同じイエスの話を角度を変えて記録しているというのであれば、どのような矛盾が生じるのか。

 

以前「新しいぶどう酒は、新しい革袋へ」という記事で取り上げた。

 

文字数の関係で、次回、RNWTの訳を加えて、若干、加筆して、投稿する予定。