マルコ2:13-17 <収税人との食事> 並行マタイ9:9-13、ルカ5:27-32

 

マルコ2

13そしてまた海辺へと出て行った。そして群衆はみな彼のもとにやって来たので、彼らを教えるのであった。14そして通りすがりハルパイの子レヴィが取税所に座っているのを見た。そしてレヴィに言う、「私に従いなさい」。そして立って、彼にって行った15そして彼がレヴィの家に座っていることがあるそして多くの収税人と罪人がイエスやその弟子たちとともに食事の席についていた多くの者がいて、そして彼に従ってきたのである16そしてパリサイ派の律法学者が、彼が罪人や取税人とともに食事をしているのを見て、彼の弟子たちに言った、「取税人や罪人と一緒に食事をしているぞ。どういうことだ」。17そしてイエスがこれを聞き、彼らに言う、「丈夫な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。私は義人を招くためでなく、罪人を招くために来たのだ」。

 

マタイ9

9そしてイエスはそこから(出て)通りがかりに、取税所にマタイという人が座っているのを見た。そしてその人に言う、「私にいなさい」。そして立って、彼に従って行った10そして彼が食事の席についていたことがあった。そして見よ多くの取税人と罪人が来て、イエスやその弟子たちとともに食事の席についた11そしてパリサイ派の者たちが見て、彼の弟子たちに言った、「あなた方の先生はなぜ取税人や罪人と一緒に食事をするのか」。12彼がこれを聞き、言った、「丈夫な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。13行って、学ぶがよい、我、慈悲を望む、犠牲(の供え物)ではないとはどういうことかを。私は義人を招くためでなく、罪人を招くために来たのだから」。

 

ルカ5

27その後出て行くと、レヴィという名前の取税人が取税所に座っているのを見た。そして彼に言った、「私に従いなさい」。28して一切を残し、立って、彼に従って行った29そしてレヴィは彼のために自分の家で大きな饗宴をもよおした。そして取税人などの大勢の群がいて、彼らとともに座っていた。そしてパリサイ派やその律法学者が、彼の弟子たちに対して文句をつけて言った、「何故あなた方は取税人や罪人と一緒に食べたり飲んだりするのか」。31そしてイエスは答えて彼らに対して言った、「健康な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。32私は義人を招くためでなく、罪人を悔改めへと招くために来たのだ」。

 

 

 

キリスト教においては、伝統的に使徒マタイの召命物語としても有名な伝承でもある。

ただし、取税人の名前をマタイとしているのはマタイ福音書だけである。

 

マルコは取税人の素性をハルパイの子レヴィとしており、ルカは、レヴィという名前を紹介しているだけ。

 

取税人と出会う導入句も三者三様。

微妙に異なっている。

 

マルコ2

13そしてまた海辺へと出て行った。そして群衆はみな彼のもとにやって来たので、彼らを教えるのであった。14そして通りすがりハルパイの子レヴィが取税所に座っているのを見た。そしてレヴィに言う、「私に従いなさい」。そして立って、彼にって行った

 

マタイ9

9そしてイエスはそこから(出て)通りがかりに、取税所にマタイという人が座っているのを見た。そしてその人に言う、「私にいなさい」。そして立って、彼に従って行った

 

ルカ5

27その後出て行くと、レヴィという名前の取税人が取税所に座っているのを見た。そして彼に言った、「私に従いなさい」。28して一切を残し、立って、彼に従って行った

 

 

マルコにおける前段の「身体麻痺患者の癒し」は、「カペルナウムの家」での出来事という設定である。

「家」に、定冠詞が付いておらず、その「家」がイエスの家、つまり「イエスの自宅」であるか、それとも「他の人の家」を想定しているのか、はっきりしない。

イエスの「群衆」人気を描写する際の常套句となるマルコの導入句であると思われる

 

この段は、場面が展開し、「海辺」(para tEn thalassan)、つまりガリラヤ湖畔へと出て行った時の出来事という設定である。

 

マタイでは、「そこから出て」(ekeithen)、通りがかりに、取税所でマタイに出会う。

マタイでは、ガリラヤ湖畔に出て行った時とはされておらず、レヴィという名前は出て来ない。

マタイにおける前段の「身体麻痺患者の癒し」は、イエスの自宅があるカペルナウムの「自分の町に帰って来た」時に、「彼のところ」(autO)に連れて来られた、という設定である。

 

前段からのつながりからすれば、「そこから出て」(exeithen)とは、イエスが「自分の家」を出て行った時にという趣旨になる。

 

ルカにおける前段の「身体麻痺患者の癒し」は、マルコ・マタイとは異なり、カペルナウムではなく、ユダヤにある都市での出来事という想定である。

 

「その後出て行くと」(meta tauta exElthen)とは、「身体麻痺患者の癒し」を終えて、その場所を「出て行く」という意味であるから、レヴィという名の取税人と出会ったのも、マルコ・マタイのガリラヤ湖周辺とは異なり、ユダヤにある都市での出来事という設定となる。

 

 

マルコは、「群衆はみな彼のもとにやって来たので、彼らを教えるのであった」と、イエスが群衆と共にいる姿を前面に押し出している。

マルコのイエスは、従っている群衆と共にいるのであり、レヴィに関しても特別扱いしている様子はない。

 

マタイも「通りすがり」の出来事として入るが、イエスと共いる群衆の姿はない。

それゆえ、「私に従いなさい」と招命され、「従って行った」マタイは特別な存在となっている。

 

ルカになると、召命された者の特別感はさらに強調されている。

マルコの句に、「一切を残し」(katalipOn hapanta)という句を付加し、「立って、彼に従がって行った」とされている。

 

厳密に言えば、「一切を残し」(katalipOn hapanta)とは、イエスの召命を受け、「すべてものを捨てて」、出家信者の道に入ったという意味ではない。

その場に一切を残したままで、座っていたので、「立って」、イエスについて行った、という趣旨。

 

ルカとしては、初期の弟子たちが、一切の財産を捨てて、キリスト教会の共同体に参加したという理念を読み込み、「十二使徒」を理想化しようとしているのであろう。

 

 

NWTの理想化はさらに強化されている。

 

原文では「従いなさい」(akolouthei)という命令形の動詞を、マルコでもマタイでもルカでも、すべて「追随者になりなさい」(NWT)、「弟子になりなさい」(RNWT)と訳している。

 

つまり、レヴィ(マタイ)は「追随者」(NWT)、「弟子」(RNWT)としてイエスに見染められて、招命された特別な存在であるかのように描かれている。

 

しかし、原文では一語の動詞があるだけで、「追随者」「弟子」などという大層な言葉が使われているわけではない。

 

しかもイエスの言葉に応えて「従って行った」(EkoloutheEsen)と訳されている動詞も、イエスが招命した時の「従いなさい」(akolouthei)という動詞と態や時制が異なるだけで、同じ動詞が使われている。

 

「従って行った」のマルコ、マタイはアオリスト形、ルカは現在形という違いはあるが、原文には「彼に従って行った」とあるだけである。

 

それにもかかわらず、マルコ・マタイ「そのあとに従った」(NWT・RNWT)、ルカ「その後に従うようになった」(NWT・RNWT)と訳し、いかにも即座にそれまでの宗教を棄教し、啓示を受けたかのように無条件で献身してキリスト教信仰に帰依する姿として描かれている。

 

NWT・RNWTは、原文に忠実な字義訳聖書との看板を標榜している。

「従う」という動詞を「追随者になる」(NWT)、「弟子になる」(RNWT)と訳すのであれば、同じ動詞を使っているこちらも「追随者となった」(NWT)、「弟子となった」(RNWT)と訳すべきではなかろうか。

 

ルカの「一切を残し」に関しては、「一切のものを後にして」(NWT・RNWT)と訳している。

 

マルコの「イエスに従う」とは「イエスと同じ生き方に従う」という意味であり、特定のキリスト教の教理に賛同して、その信者になるという意味ではない。

 

「統治体」や会衆の指導者たちは、WT信者に対しては、「一切のものを後にして」、「統治体の追随者」、「統治体の弟子」になるように勧める。

 

しかし、「統治体」自身が「一切のものを後にして」、「イエスの追随者」にも「イエスの弟子」にもなるつもりがないことは、確かなことのようだ。

 

 

マルコにおいて、取税所でイエスが「従いなさい」と声をかけたのは、「ハルパイの子レヴィ」(leuin ton tou halphaiou)。

 

マタイにおいて、取税所に座っていたのは、「マタイ」(matthaion)という別の名前の人物。

 

ルカにおいては、「ハルパイの子」は付いておらず、単に「レヴィという名」(onomati leuin)の人物。

 

 

マルコの西方系とカイサリア系の写本の中に、「ハルパイの子レヴィ」を「ハルパイの子ヤコブ」としているものがある。

これは、マルコ3:18の十二使徒の表に出て来る「ハルパイの子ヤコブ」に合わせたもので、イエスに従った者を「十二人」に統合しようとする正統派キリスト教信仰の所産であろう。

 

より古いシナイ写本やバチカン写本、他の大文字写本は「レヴィ」の読みを取っている。

つまり、この「レヴィ」とマルコ3;18の「ハルパイの子ヤコブ」とは別の人物である。

 

NWT・RNWTは、「ハルパイ」を「アルパヨ」と表記している。

アラム語綴りは、Halphaiであるが、ラテン語訳は、文頭の気息音(h)を抜き、Alphaeusと綴っている。

現代西欧諸語もそれを受けて、Alphaeus,Alphee等と表記され、口語訳等も「アルパヨ」と表記している。

 

NWT・RNWTも伝統的日本語表記に倣ったのであろう。

 

ネストレはアラム語の綴り(Haphai)を念頭にHaipaiosとギリシャ語表記している。

ギリシャ語綴りにするのであれば、語頭の気息音を大文字写本では表記しないから、Alphaiosとなるところである。

 

 

マタイは、マルコの「ハルパイの子レヴィ」を「マタイ」に変えただけでなく、マルコ3:18の「十二弟子」の表の「マタイ」を、マタイ10:3で「取税人マタイ」と「マタイ」という名前に「取税人」を付加した。

 

その結果、マタイ福音書では、「使徒マタイ」は「取税人マタイ」と同一人物とされた。

 

さらに、後代の聖書無謬信仰により、マルコの「ハルパイの子レヴィ」とも同一人物とされていく。

 

さらに1世紀末以降この取税人マタイが「マタイ福音書」を書いた、ということにされていく。

これも福音書を十二使徒の権威と結び付けようとする根拠の乏しい正統派キリスト教信仰の所産である。

 

正典化運動が展開し、マタイ書人気が高じるにつれて、「取税人マタイ」と「使徒マタイ」も同一視され、「レヴィ」はマタイの別名とされるようになる。

 

聖書の正典化運動が興るまで、「ハルパイの子レヴィ」と「取税人マタイ」が同一人物とみなされた形跡はない。

 

「使徒」信仰が確立されると、「取税人マタイ」は、「福音書著者マタイ」と信じられるようになっていく。

 

 

WTは伝統的なキリスト教の護教主義的解釈に基づき、マルコの「アルパヨの子レビ」とマタイの「取税人マタイ」とは同一人物であるとし、「レビ・マタイ」という名前だったと解説している。

 

同時に最初に書かれたマタイ福音書の著者でもあり、ヘブライ語で書いたものをギリシャ語に翻訳した人物でもあると解説している。

 

*** 洞‐2 875ページ マタイ ***

(Matthew)[多分,「エホバの贈り物」を意味するヘブライ語マタテヤの短縮形]

ユダヤ人で,レビという名でも知られ,イエス・キリストの使徒となり,マタイという名の付された福音書の筆者となった人。マタイはアルパヨという人の子で,イエスの弟子となる前は収税人でした。(マタ 10:3; マル 2:14。「収税人」を参照。)レビがイエスの弟子となる前からマタイという名を持っていたのか,弟子になった時点でその名を得たのか,それとも使徒として任命された時にイエスからその名を与えられたのか,聖書は明らかにしていません。

 

*** 塔09 11/1 23ページ ヘブライ語やギリシャ語を学ぶ必要がありますか ***

マタイによる福音書は,使徒マタイによって元々ヘブライ語で書かれた,と考えられています。しかしそうだとしても,今日まで保存されてきたものは原文のギリシャ語訳です。それを翻訳したのはマタイ自身であった,と思われます。

 

 

イエスの十二弟子であったとされるガリラヤ出身の「使徒マタイ」がギリシャ語で福音書を書いたとすることは、当時のパレスチナにおける言語環境やヘレニズム都市の社会状況からして無理がある。

 

 

マタイ福音書がヘブライ語で最初に書かれたと解する根拠が乏しいことは、以前の記事で述べた。

 

「正典成立まで①②③⑤」

 

初期キリスト教時におけるパレスチナの言語環境の詳しい状況については、田川健三著「書物としての新約聖書」第二章に詳述されている。

 

WTの解釈を「真理」として信じるのは自由であるが、よく調べもせずに歴史的な事実とは異なる解釈を「真理」として信じるのは、「盲信」の部類であろう。

 

「ハルパイの子レヴィ」と「取税人マタイ」が同一人物である可能性はない。

「取税人マタイ」と「福音書著者マタイ」が同一人物である可能性もない。

 

 

続いて食事の場面に移るのであるが、これも三者三様。

微妙に設定が異なっている。

 

マルコ2

15そして彼がレヴィの家に座っていることがあるそして多くの収税人と罪人がイエスやその弟子たちとともに食事の席についていた多くの者がいて、そして彼に従ってきたのである16そしてパリサイ派の律法学者が、彼が罪人や収税人とともに食事をしているのを見て、彼の弟子たちに言った、「収税人や罪人と一緒に食事をしているぞ。どういうことだ」。

 

マタイ9

10そして彼が家で食事の席についていたことがあった。そして見、多くの取税人と罪人が来て、イエスやその弟子たちとともに食事の席についた11そしてパリサイ派の者たちが見て、彼の弟子たちに言った、「あなた方の先生なぜ取税人や罪人と一緒に食事をするのか」。

 

ルカ5

29そしてレヴィは彼のために自分の家で大きな饗宴をもよおした。そして取税人などの大勢の群がいて、彼らとともに座っていた。30そしてパリサイ派やその律法学者が、彼の弟子たちに対して句をつけて言った、「何故あなた方は取税人や罪人と一緒に食べたり飲んだりするのか」。

 

 

マルコは、弟子たちとパリサイ派の律法学者たちの論争を、イエスが収税人レヴィの家で食事をしていた時の出来事としている

原文は「そして彼が彼の家に座っていることがある」(kai egeneto en tO katakeisthai en tE oikia autou)。

 

「彼の家」(tE oikia autou)の「彼」(autou)が主語と同じ「彼」を指すのであれば、「イエスの家」ということになる。

しかし、「イエスの家」であれば、後半の「彼の家」(tE oikia autou)に、「彼の」(autou)は必要がない。

定冠詞+「家」(tE oikia)だけで良い。

 

つまり、この「彼の」(autou)とは、主語の「彼」とは別の「彼」を指しているのであり、「取税人レヴィの家」ということになる。

 

 

マタイの「そして彼が彼の家で食事の席についていたことがあった」の原文は、kai egeneto autou anakeimenou en tE oikiaというもの。

マルコとは「彼の」(autou)の位置が違う。

マタイでは動詞の後に。

マルコでは「家」の後に置かれている。

 

マタイの「彼の」(autou)と「家で」(en tE oikia)とは、主語と同じ「彼の家」を指すことになる。

つまり「イエスが自分の家」で弟子たちとともに食事をしているところに、取税人と罪人が来て、皆が一緒に食事をした時の出来事と読むことになる。

 

おそらく、マタイとしては、罪人たる取税人の家にイエス自らが足を運んで、食事をするというマルコの設定を受け入れ難く思い、逆に彼らがイエスのところに押しかけたという設定にしたのだろう

 

マルコの文における代名詞の位置を変えるだけで、自分の意図に合わせて場面を逆転させているのだから、マタイの語学的センスには恐れ入る。

 

また、マタイは、マルコの「食事の席についていた」の後に続く「多くの者がいて、そして彼に従がってきたのである」という句を削除している。

 

マタイにおいて、イエスに「従がう」のは、「群衆」ではなく、「弟子たち」だけである。

 

おそらくマタイとしては「弟子たち」以外の「多くの者」がイエスに「従がってきた」とする描写を避けたかったのだろう。

 

 

ルカはマルコと同じくレヴィの家での出来事としているが、設定は大きく異なっている。

 

マルコのイエスは、イエスがレヴィの家に自分から出かけて行き、一緒に食事をする。

主体はあくまでもイエスにある。

ルカでは、主体がイエスからレヴィに移っている。

「レヴィが自分の家でイエスのために盛大な饗宴を催した」とされており、イエスはレヴィの招待に応じた客という扱いである。

 

ルカにとって「イエスに従う」=「キリスト信者になる」ということは、「救い」を意味している。

レヴィはイエスによって「救われた」ことに対する感謝のお礼として、イエスのために饗宴を催したという設定にしたのである。

 

マルコでは、そのような特別な催事ではなく、日常的に食事をしている時の出来事という扱いである。

 

ルカでは、召命したイエスよりも、「救われた」レヴィの側に重きが置かれている。

 

「悔い改め」て、キリスト信者に導くことがキリスト教の使命としているルカ神学に相応しい設定変更であろう。

 

 

マルコに「多くの者がいて、そして彼に従がってきたのである」とあるが、「多くの者」に「パリサイ派の律法学者」が含まれているとも読める。

 

「そして」(kai)を関係代名詞(hoti)に変えている写本がある。(Θ、D、ラテン語訳の多くの写本)

 

「彼に従がってきた」の句は「多くの者」にかかるので、「彼に従がってきた者が大勢いた」と読むことになる。

 

イエスに従がってきた者は「多くの者」だけで、その中に「パリサイ派の律法学者」は含まれないことになる。

 

 

「多くの者がいた」で文を区切り、「そして」を次の文に文頭に読むと、「多くの者がいた。そしてパリサイ派の律法学者たちが彼に従がってきた」と読むことになる。(シナイ写本、ほか)

 

とすれば「パリサイ派の律法学者」も「イエスに従がってきた多くの者」に含まれるとも読めることになる。

 

しかし、マルコは「(イエスに)従がう」(akoiloutheO)という動詞を、単に一緒にくっついてやって来た、という意味ではなく、「イエスに賛同して同じ生き方をしようとする」という意味に用いる。

 

写本の重要性やlectio difficiliorの原則、マルコのものの言い方の癖などからして、関係代名詞(hoti)ではなく、「そして」(kai)が原文。

 

しかしながら、「パリサイ派の律法学者もイエスに従がった」という趣旨に読むのは、彼らがイエスの行動を批判する発言と矛盾する。

 

おそらくマルコとしては、「多くの者がイエスに従がってきた」のであるが、パリサイ派の律法学者たちは彼らと対立しており、弟子たちに文句を言った、という構図を考えているのであろう。

 

ルカは、マルコの文をそう読んでいる。

マタイはこの句を削除しているが、マタイもルカも、パリサイ派の中にもイエスに従がって来た者がいたというのではなく、イエスグループ(取税人+弟子たち)とパリサイ派の者たちとを対立関係に描いている。

 

 

パリサイ派の者たちは、イエスと弟子たちの行動をを批判する。

 

マルコ2

15…そして多くの取税人と罪人がイエスやその弟子たちとともに食事の席についていた。…16そしてパリサイ派の律法学者が、彼が罪人や取税人とともに食事をしているのを見て、彼の弟子たちに言った、「取税人や罪人と一緒に食事をしているぞ。どういうことだ」。

 

マタイ9

10そして見よ、多くの取税人と罪人が来て、イエスやその弟子たちとともに食事の席についた11そしてパリサイ派の者たちが見て、彼の弟子たちに言った、「あなた方の先生はなぜ取税人や罪人と一緒に食事をするのか」。

 

ルカ5

30そしてパリサイ派やその律法学者が、彼の弟子たちに対して句をつけて言った、「何故あなた方は取税人や罪人と一緒に食べたり飲んだりするのか」。

 

 

マルコでは、「パリサイ派の律法学者」(hoi grammateis tOn pharisaioi)が、「取税人や罪人と一緒に食事をしていること」(hoti meta tOn telOmOn kai hamartOlOn esthiei)に対して、イエスではなく、弟子たちに言う。

 

マタイでは、「パリサイ派の者たち」(hoi pharisaioi)が、「あなたがたの先生」(ho didaskalos humOn)が「なぜ取税人や罪人と一緒に食事をするのか」(dia ti meta tOn telOnOn kai hamartOlOn esthiei)と、イエスに対して「あなた方の先生」という敬称を付加して、弟子たちに言う。

 

ルカでは、「パリサイ派やその律法学者」(hoi grammateis autOn kai hoi pharisaioi)が、「何故あなた方は取税人や罪人と一穂に食べたり飲んだりするのか」(dia ti meta tlOnOn kai hamartOlOn esthiete kai pinete)と、「食事」だけではなく、「飲む」ことも(kai pinete)付加している。

 

パリサイ派の者たちがイエスと弟子たちの行動を批判したのは、理由がある。

ユダヤ人の取税人はローマ権力のために働くため、異邦人との接触も多く、密接な関係にある。

それゆえ、彼らは、売春婦や強盗と同列の「罪人」とみなされていた。

パリサイ派の者たちは、儀式的に穢れているとみなした者たちと飲食を共にすることを、彼らの穢れに染まる行為と考えていたからである。

 

律法に詳しいマタイは、導入句で、「そして見よ」(kai idou)という間投詞を付加し、いかにもユダヤ人にとっては異例の出来事であるかのように、読者の注目を誘っている。

 

 

マルコの「収税人や罪人と一緒に食事をしているぞ。どういうこと」(hoti meta tOn telOnOn kai hamartOlOn esthiei kai pinei)の直訳は、「彼が取税人や罪人と一緒に食事をしているのはどういうことだ」。

 

「どういうことだ」は、原文のhotiを訳したもの。

この語(hoti)は、単に名詞節を導入する軽い接続詞で、英語のthatに相当する。

しかし、この場合、ti hotiの省略であると考えられる。

「なぜ」ほど強くはないが、hoti 以降に関して、否定視していることを示している。

 

このhotiに関する省略表現は、時々登場するようで、マルコでは9:11,28にも出て来る。

 

 

マタイとルカもそう読んだので、二人ともマルコのhotiをはっきりとdia ti (なぜ)に修正してくれている。

 

 

マルコの「彼の弟子たちに言った」(elegon tois mathEtais autou)を、マタイは「彼の弟子たちに言った」(eipon tois mathEtais autou)と別の動詞を使っている。

意味は同じ。

 

ルカは「彼の弟子たちに対して」(pros tous mathEtas autou)と対象をはっきり示す前置詞を置き、「文句をつけて言った」(egoggyzon)と「ぶつぶつと文句を言う」という別の動詞を使っている。

 

用例の多くは、「小さい声でぶつぶつと文句を言う」と言うよりも、「結構大きい声ではっきり文句を言う」という意味に使われているようだ。(VGT参照)

 

 

イエスも弟子たちもともに取税人や罪人たちと食事をしていたのに、パリサイ派の者たちは、イエスに対してではなく、弟子たちに批判の言葉を投げつける。

 

WT資料には、明確な解説を見つけられなかったが、JW内では、パリサイ派の律法学者たちは、イエスの行動が理解できなかったのであるが、イエスがメシアであることは認めていたので、直接イエスを批判することはできないと考え、弟子たちに質問した、などと解説される。

 

 

しかし、パリサイ派の律法学者たちがイエスをメシアだと認めていたわけではなかろう。

 

むしろ、自分たちよりすぐれた人物の足を引っ張りたがるプライドの高い御人連中は、直接ご本人に対してものを言うのがこわいので、単に相対しやすい弟子たちに矛先を移しただけだと思われる。

 

 

弟子たちに対してなされたパリサイ派の批判に対して、イエスが答える。

 

マルコ2

17そしてイエスがこれを聞き、彼らに言う、「丈夫な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。私は義人を招くためでなく、罪人を招くために来たのだ」。

 

マタイ9

12彼がこれを聞き、言った、「丈夫な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。13行って、学ぶがよい、我、慈悲を望む、犠牲(の供え物)ではない、とはどういうことかを。私は義人を招くためでなく、罪人を招くために来たのだから」。

 

ルカ5

31そしてイエスは答えて彼らに対して言った、「健康な者は医者を必要としない。病人が必要とするのである。32私は義人を招くためでなく、罪人を悔改めへと招くために来たのだ」。

 

 

この論争物語の焦点は、イエスの「私は義人を招くためでなく、罪人を招くために来たのだ」という言葉にある。

 

この言葉は三人の福音書著者に共通しているが、三者三様の取り上げ方をしている。

 

三者ともイエスとパリサイ的律法主義者との対立という構図で描かれてはいるが、それぞれのイエスは異なる価値観を持っている。

 

このイエス像の違いは、福音書著者のキリスト教観の違いでもある。

 

マルコの「丈夫な者」(hoi ischuontes)の直訳は「強くある者」。

マタイは「丈夫な者」(hoi ishuontes)とそのまま写している。

ルカは「健康な者」(hoi hugiainontes)とややわかり易く書き替えてくれている。

 

 

マルコの「私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだ」の原文は、ouk Elthon  kalesai dikaious alla hamartOlous。

 

マタイの「私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来たのだから」の原文は、ou gar Elthon kalesai dikaious all hamartOlous。 

マルコとの違いは、garという理由を導く接続詞を付加していること。

 

ルカの「私は義人を招くためではなく、罪人を悔い改めへと招くために来たのだ」の原文は、ouk elElutha kalesai dikaious alla hamartOlous eis maetanoian

マルコとの違いは、末尾に「悔い改めへと」という句が付加されていること。

 

 

マルコのイエスは、「義人を招くためでなく、罪人を招くために来た」と言う。

つまり、義人を招くよりも、罪人を招く方がより重要で、意味がある、と言っている。

 

「義人」「罪人」とは、旧約律法を前提とした「義」と「罪」である。

しかし、「罪人」が是認を受け、「義人」は是認されない、というのであるから、律法の基準からすれば逆である。

 

つまり、マルコにおけるこのイエスの言葉は、逆説的な意味であり、宗教的、伝統的社会規範や支配構造に対する批判である。

 

「義人」と「罪人」という当時のユダヤ教の律法を前提に、「義」と「罪」を定める社会規範の存在そのものを問題にしているのである。

 

支配者層が定めた律法と称する基準に従い「義人」としている者たちは本当に「義人」なのですか。

あなた方が「罪人」としている「罪人」とは本当に「罪人」なのですか。

 

支配者層が自分たちに都合の良いように「義」と「罪」を定めるのであれば、むしろ「義人」は「罪人」であり、「罪人」は「義人」である、と価値観の逆転を主張しているのがマルコにおけるイエスの言葉である。

 

マルコのイエスは、社会的強者である「義人」の「義」ではなく、社会的弱者である「罪人」の「義」の価値が認められるべきである、と逆説的に主張しているのである。

 

 

マタイは、マルコの「私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来た」という言葉に、旧約ホセア6:6を付加している。

 

「我、慈悲を望む、義性(の供え物)ではない、とはどういうことかを」行って学んで来い、というのである。

 

そして、理由を導くgarという接続詞を置いて、マルコの「私は義人を招くためではなく、罪人を招くために来た」という言葉を続けている。

 

神が望むのは、慈悲であり、「慈悲の行為」は、「義性(の供え物)」を神に捧げる行為よりも重要であることを学べ、というのである。

 

つまり、「罪人を招く」というのは、「慈悲の行為」であり、「義人」であるイエスが慈悲を示して「罪人」を招いたように、だから、あなた方も「慈悲」を持たねばならない、という説教に仕立て直したのである。

 

マタイのイエスに「義人」と「罪人」の規範の逆転は存在しない。

ユダヤ教律法が求める「義」と「罪」の基準のままであり、「義人」は「罪人」に「慈悲」を示すことを学び、より「義」を示すべきだ、というのである。

 

「罪人に対する慈悲」の行為が付加されただけであり、ユダヤ教律法主義の基本的価値観はそのままである。

律法主義における「義」と「罪」に関する基準の逆転はない。

 

マタイでは、旧約の引用を付加することにより、イエスは、むしろユダヤ教律法における「義」と「罪」に関する価値観を踏襲し、受容していることになっている。

 

イエスに「従がう」者たちは、「義人」に対してだけではなく、イエスのように「罪人」にも「慈悲」を示す憐れみ深い「義人」となることを忘れるべきではない、というのがマタイにおけるイエスの主張となってしまったのである

 

「義」と「罪」を定める権威を持つ支配者層は、「慈悲」を示すなら「義人」であるという評価は変わらず、彼らが「罪人」と認定した人たちの「罪」は逆転することはなく、相変わらず「罪人」のままである。

 

 

ルカのイエスは、マルコのイエスにおける逆説的主張とは真逆に、「義人」を擁護する主張に変えてしまっている。

 

表現的には、マルコの文に、「悔い改めへと」(eis maetanoian)という句を付加しているだけである。

 

ルカは、イエスが「罪人を招く」のは、「罪人を悔い改めへと招くために来た」のであり、「義人を招くためでない」という主張にした。

 

つまり、「義人」は「義」であるから、「悔い改め」は必要ない。

しかし、「罪人」が「義」とされるためには、「悔い改め」へと招かれなければない、というのである。

 

「義」と「罪」の基準は、「義人」が定める基準のままである。

しかも、「悔い改め」が必要なのは「罪人」だけであるから、やはり「義」と「罪」の逆転は生じない。

 

ルカとしては、すべての人間は「悔い改めて」、キリスト信者となり、「義人」とならなければならないというのであろう。

 

しかし、「義」と「罪」の基準を定めるのは、権力を持つ側が持っているので、やはり支配者層にとって都合の良い、「義」と「罪」のままである。

 

むしろ、「義人」には「悔い改め」が必要ない、というのだから、「義人」と称する支配者層の「義」を独善的に定める権威とその「義」を擁護出来る律法主義を独善的に構築する権利を持つことさえ可能にする道を開くことになっている。

 

「罪」を「義」と認定することも、「義」を「罪」と認定することも、「義」と「罪」を認定する権利を持つ者には可能となっている。

 

ルカのイエスの主張は、むしろ「罪人の憐れみ」を「義」の基準とするマタイ以上に、パリサイ派的律法主義精神を積極的に擁護できるイエスの主張に変容させている。

 

 

こうして、マタイとルカはマルコのイエスの逆説的反抗の精神を骨抜きにした

 

彼らは、一般の被支配者層の群衆とともに歩んだイエスの姿と教えを、権力を持つ支配者にとって、都合の良い「義人」と「罪人」に認定できるイエスの教えに変容させてしまったのである。