マルコ1:40-45 <癩病人の癒し> 並行マタイ8:1-4、ルカ5:12-16
マルコ1
40そして彼のもとに一人の癩病人が来る。彼に頼んで、膝まづき、言う、「もしもお望みなら、あなたは私をきよめることがおできになります」。41彼は怒って、手をのばしてその男にさわり、言う、「望む。清められよ」。42そしてすぐに、癩はその男を離れ、その男は清められた。43そしてその男をきつく叱りとばし、すぐに追い出した。44そしてその男に言う、「見よ、誰にも何も言うな。行って、自分を祭司に見せ、自分の清めについてモーセが定めたものを供えなさい。彼らに対する証のために」。45その男は出て行って、大いに宣べ伝え、言葉を広めはじめた。そこで彼はおおっぴらに町の中にはいることができなくなり、外の寂しいところにとどまることとなった。そしてあらゆるところから彼のもとに人がやって来るのであった。
マタイ8
1彼が山から下って来ると、多くの群集が彼に従って来た。2そして見よ、一人の癩病人が進み出て拝礼し、言った、「主よ、もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」。3そして手をのばしてその男にさわり、言った、「望む。清められよ」。そして直ちにその男の癩病は清められた。4そして彼にイエスは言う、「見よ、誰にも言うな。行って、自分を祭司に見せ、モーセが定めた供え物を供えなさい。彼らに対する証しとなるように」。
ルカ5
12そしてそれらの都市のうちの一つに彼がいた時に、そして見よ、癩に満ちた男がいるということがあった。イエスを見てひれふし、願って言った、「主よ、もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」。13そして手をのばしてその男にさわり、言った、「望む。清められよ」。そして直ちに癩はその男を離れた。14そして彼はその男に、誰にも言わないように、と命じた。「ただ、去って、自分を祭司に見せ、自分の清めについてモーセが定めたように供えなさい。彼らに対する証のために」。15しかしむしろ彼についての話が広まってゆき、大勢の群衆が聞くために、また自分の病気も癒されるようにと集って来た。16しかし彼自身は荒野に退いて、祈っていた。
この伝承は、前半の癩病人の奇跡的治癒物語と後半の旧約律法に対する証の指示という二部構成となっている。
全体としては、前半よりも、後半に重きが置かれている。
マルコとマタイは「一人の癩病人」(lepros)という単数の男性形名詞。
マタイはマルコをそのまま写している。
ルカは「癩に満ちた男」(anEr plErEs lepras)と男性形単数の「人」(anEr=a man)という名詞を用いて表現。
聖書における「癩病」とは、必ずしも今日「ハンセン病」と呼ばれる疾病だけを指す言葉ではなかったようである。
多少の皮膚疾患や湿疹や真菌性の皮膚炎やアレルギー性の皮膚炎も含めて、皮膚に異常が出る症状をすべて「癩病」と呼んでいたと考えられる。
ユダヤ教世界だけではないが「癩病人」は、当時の社会において、神からの罰を受けた穢れた存在の代表でもあった。
もし、イエスが治療したとされる奇跡物語の病気がストレスに起因する皮膚疾患であるなら、触れたり、愛情深い言葉や暗示的な行動を指図する威厳ある言葉によって、症状が軽くなったり、発疹が引いたという話はありうるかもしれない。
もちろん、この話が実際にはどのようなものであったのかは、今となっては不明である。
会話の部分は、三者ともほぼ同じ趣旨であるが、それぞれの導入句や編集句の構成の違いにより、それぞれの宗教観が滲み出ている。
マルコ1
40そして彼のもとに一人の癩病人が来る。彼に頼んで、膝まづき、言う、「もしもお望みなら、あなたは私をきよめることがおできになります」。
マタイ8
1彼が山から下って来ると、多くの群集が彼に従って来た。2そして見よ、一人の癩病人が進み出て拝礼し、言った、「主よ、もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」。
ルカ5
12そしてそれらの都市のうちの一つに彼がいた時に、そして見よ、癩に満ちた男がいるということがあった。イエスを見てひれふし、願って言った、「主よ、もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」。
マルコの「癩病人の癒し」伝承は、イエスのもとに「一人の癩病人が来る」という導入句で始まり、どこの土地での出来事かは、不明。
マルコの前項は、イエスがガリラヤ全土で、宣教や治療活動をした、という話。
次項の「身体麻痺患者の癒し」では、再びカペルナウムに戻って来ているという設定。
とすれば、マルコとしては、前項の「ガリラヤでの活動」を物語る一つの出来事として、この伝承を置いた、ということなのだろう。
マタイの「癩病人の癒し」は、「山上の説教」のすぐ後に置かれている。
マタイは、「ペテロたちの召命」の後、マルコの順に従がうのではなく、「カペルナウムの会堂での活動」の代わりに、5-7章にわたる長い「山上の説教」を挿入した。
続く8章から、またマルコに戻るのであるが、「カペルナウムの会堂での活動」からではなく、1章の最後に置かれている「癩病人の癒し」から、始めている。
マタイにおける「癩病人の癒し」は、「山から下って来た」時の出来事という設定。
これは、マタイが前項で「山上の説教」を置いたため、山から下る必要が生じたのである。
ルカもマルコの順に従がうのではなく、「近隣の町村での活動」の後、ヨハネ21章と共通の大漁の奇跡話を「ペテロたちの召命」物語と合成して置き、次に「癩病人の癒し」伝承を置いている。
ルカにおける「癩病人の癒し」は、「それらの都市のうちの一つにイエスがいた時」という設定。
「そして生じた」(kai egeneto en…)という書き出しで始めて、アラム語ヘブライ語の構文を意識している。
しかしながら、主語となる名詞節(hoti…)がつながるべきところをen+不定詞の構文で続けており、無理して真似ている感じである。
ルカの「ペテロたちの召命」物語に登場する場所は、5:1「ゲネサレト湖のほとり」だけである。
12「そして彼らは舟を陸につけ、一切を捨てて、彼に従がった」という結びの編集句に続いて、「癩病人の癒し」伝承が置かれている。
とすれば、ルカにおける「癩病人の癒し」伝承は、ガリラヤ湖に面した都市の一つでの出来事ということになる。
ところが、ルカは「ペテロたちの召命」の前項に置いた「近隣の都市での活動」では、ガリラヤ湖周辺の都市ではなく、「ユダヤの諸会堂」で宣教した、としている。
ルカが、マルコの「ガリラヤ全土」を「ユダヤ」に変えたのである。
その結果、ルカにおける「ペテロたちの召命」は、ユダヤにあるガリラヤ湖畔の都市での出来事とも読めることになった。
マルコでは、39「ガリラヤ全土へと、行って宣ベ伝え、また悪霊を追い出した」という文に続いて、「そして彼のもとに一人の癩病人が来る」という文で始めている。
ルカは「それらの都市のうちの一つに」という句を補足してくれた。
マルコの言葉足らずの部分を補ってやろうと考えのだろうか。
ルカは「ガリラヤ湖畔」で生じたはずの「ペテロたちの召命」から、「癩病人の癒し」に移る際、場所の移動を記していない。
その結果、ルカにおける、「それらの都市」とは「ユダヤの都市」を指し、「それらの都市の一つ」(en mia tOn poleOn)で「癩病人の癒しが生じた、と読めることになっている。
ルカにおけるこのちぐはぐな繋がりは、マルコを写しながら、マルコの「ガリラヤ」を「ユダヤ」に変え、マルコとは異なる順番に編集し、間にガリラヤ湖畔で生じた「ペテロたちの召命」物語を挟んだために生じたのであろう。
あるいは、ルカがパレスチナの地理に不案内で、ガリラヤ湖畔もユダヤ地方の一部だと思っているのだろうか。
NWT「[イエス]がある都市にいた別の時のことであったが…」
RNWT「イエスがある町にいた別の時のこと…」と訳している。
原文には「別の」などという語は出て来ない。
「ある町」ではなく、「それらの町(polis)の一つで」(en mia tOn poleOn)とあるだけ。
ルカのこの奇妙な地理感覚を消し、整合性を取るために、「別の」という原文にはない語を[ ]も付けず本文に入れて、補足してくれている。
他の和訳聖書のすべてもNWTほど露骨ではないが、「イエスがある町におられた時…」と前項との関係を切り離して、ルカのガリラヤにおける地理感覚のちぐはぐさを消してくれている。
マルコでは、「癩病人」が「来て」(erchetai)、イエスに「頼んで」(parakalOn)「膝まづいて」(gonypetOn)、彼の願いを「言う」(legOn)。
マタイでは、「進み出て」(proselthOn)「拝礼して」(prosekunei)から、イエスに「言う」(legOn)、つまり言葉を発する。
ルカでは、イエスを見て、「ひれふし(pesOn epi prosOpon)、「願って」(edeEthE)から、「言葉を発する」(legon)。
マルコの「頼んで」(parakaleO)は、パウロ書簡でおなじみの動詞。
原義は、「そばで呼びかける」。
人に声をかけるのは、よろしくお願いします、と頼むことにも通じるので、派生した意味の一つとして「頼む」を意味するようになった。
普通に人が人に対してものを頼む場合に使う。
ほかにも、「慰める」「励ます」「訓戒を与える」「説教する」など、状況や「呼びかける対象」により、様々な意味に訳される。
「膝まづいて」(gonypetOn)は、文字通り「膝をつける」行為を指す動詞。
マタイでは、神の子イエス・キリスト様にお願いするのだから、マルコのように単に「来る」(erchomai)のではなく、「進み出て」(proserchomai)、近づかなければならない。
お願いするにしても、マルコの「膝まづく」だけでは不十分なようで、きちんと「拝礼する」(proskuneO)必要があるようだ。
「拝礼する」の原義は、「~に対して口づける」。
神殿で神の像の足か手の先に対し、あるいは宮殿で権力者の手に対して口づけし、絶対的服従を示す行為を指す動詞。
マタイにおいて癩病人が癒されるには、イエスに対して、権力者が要求する臣下としての忠誠の宣誓儀式や偶像崇拝の帰依者と同じような精神態度が必要のようだ。
ルカの「ひれふし」(pesOn epi prosOpon)の直訳は、「顔の上に倒れ」。
文字通り、顔を地面につけてひれ伏す行為を指している。
マルコの「膝まづく」よりも、マタイの「拝礼する」よりも、さらに深くイエスを尊崇していることを示す行為が必要となっている。
マルコでは、普通に人が人に対して「頼んで」いるだけであったが、ルカの「願う」(deomai)は、宗教的な祈りなどの時に用いられる動詞。
ルカでは、イエスに対して、人間同士がするような面と向かってお願いするなどという行為は許されず、顔を地面につけてひれ伏し、神様に祈るようにしてお願いしなければならないことになっている。
マタイとルカでは、癩病人がイエスに対して「主よ」(kurie)と呼びかけて近づくが、マルコの癩病人は「主よ」と呼びかけることはしない。
マタイとルカでは、「主よ」と呼びかける以外にも、読者に対して、「そして見よ」(kai idou)という呼びかけがなされている。
これは旧約で良く用いられる表現で、ある種の厳粛さや劇的な出来事を印象付ける場合に用いられる。
マタイもルカも、旧約表現を挿入することにより、さぁ~、いよいよこれからキリスト様の奇跡が始まるよ、という強い印象を与える演出を施したかったのだろう。
あるいはマルコとは別のQ資料には、「見よ」と入っていたのか。
マルコのこの個所にそのような演出表現の言葉はない。
マルコの原文では、癩病人が「来て」(erchetai)、「頼んで、膝まづき」(parakalOn auton kai gonyoetOn auton)の順番だったと書いてある。
「来て」が主動詞で、「頼んで」と「膝まづく」はどちらも分詞で、kaiで繋がれている。
人にものを「頼む」なら、まず「膝まづき」それから「頼む」というのが正解であろうが、原文では「頼む」が先にある。
B写本と小文字写本の一つとコプト語写本の一部では「膝まづく」という語を削除し、単に「来て、頼んだ」という読みにしている。
おそらく、「頼んで」から「膝まづく」のはおかしいと思った写本家が、削除してくれたのだろう。
NWT「ひざまでついて懇願し」、RNWT「ひざまずいて、嘆願し」と順番を逆にして、原文の奇妙さを消している。
癩病人は、「もしもお望みなら、あなたは私を清めることがおできになります」とイエスに言う。
マルコ1
41彼は怒って、手をのばしてその男にさわり、言う、「望む。清められよ」。42そしてすぐに、癩はその男を離れ、その男は清められた。43そしてその男をきつく叱りとばし、すぐに追い出した。
マタイ8
3そして手をのばしてその男にさわり、言った、「望む。清められよ」。そして直ちにその男の癩病は清められた。
ルカ5
13そして手をのばしてその男にさわり、言った、「望む。清められよ」。そして直ちに癩はその男を離れた。
マルコのイエスは、癩病人のお願いする言い方がお気に召さないようだ。
イエスは「怒って」(orgistheis)、「手をのばしてその男にさわり」、「望む、清められよ」と言う(legei)
マタイとルカは、マルコの「怒って」(orgistheis)を削っている。
マルコの「怒って」(orgistheis)は、西方系写本の読み。
それ以外の系統の写本は「憐れんで」(splanchistheis)の読みを採用している。
「もしもお望みなら、あなたは…できます」(ean thelEs dynasai …)という言い方は、「お願いですから、私を清めて下さい」と誠心誠意の気持から懇願や嘆願しているわけではない。
直訳は、「もしもあなたが望むのであれば、あなたは私を清めることが出来るだろうか」。
「あなたには私を清める能力があるのですが、果たして私を清めてくれる気になってくれるだろうか」という趣旨。
イエスの能力を心から信頼し、心からの願いを謙虚に吐露しているわけではない。
仮定法の構文を用い、if ever you may be willing, you are able me to cleanseと言っている。
裏読みするなら、私はイエスの病気治癒能力を認めているのだから、私の癩病を清めさせてやってもいいですよ、あなたにその能力があることは知っているが、果たしてあなたにその気はあるのでしょうか、と言っているようにも受け取れる。
腹に一物ある含みのある言い方である。
イエスは、「怒って、手をのばしてその男にさわり」、「望む、清められよ」と言葉を発し(legei)、癩病人の男が、清められることを望んでいることを伝える。
「そしてすぐに」(kai ethys)はマルコの口癖。
物語の次の展開を示しているだけで、時間的な意味で「すると直ちに」「するとたちまち」という意味ではない。
マタイとルカは、マルコの「そしてすぐに」を「そして直ちに」(kai eutheOs)と時間的な意味に解し、イエスが「言う」と、「直ちに生じた」という意味に解している。
マルコでは、癩病人が清くなることをイエスが望んでいることを明らかにすると、場面は展開し、「癩はその男を離れ、その男は清められた」。
イエスは、病気治癒を望んでいるだけではなく、実際に治癒能力も備わっていることを実証した。
マルコのイエスが「怒って」、「望む、清められよ」と言葉を発し、清められた後、イエスは43「その男をきつく叱りとばし、すぐに追い出した」。
こちらの「すぐに」(eutheOs)は、マタイやルカと同じ副詞で、時間的な意味で「直ちに」という意味。
マルコの「怒って」を削除したマタイとルカは、この句も削除している。
彼らの憐れみ深いイエス・キリスト像にはそぐわなかったのだろう。
「叱りとばし」(embrimEsamenos)の原義は、「鼻をならしてものを言う」という意味の動詞。
「鼻をならす」までとは行かなくても、誰かに対して「鼻の穴をふくらまして」ものを言っているのであるから、それがどんな言い方なのか想像できるであろう。
少なくても、音声とともにきつく息が吐かれ、「怒り」とともに言葉が発せられているはずである。
「追い出した」(exebalen)の原義は、「外にほうり出す」という意味。
やさしくその場を去らせた、というイメージではない。
むしろ、「さあ、行け、行け、行け!」と、せかすように外に追い出した、という趣旨。
そこにも、怒りもしくは排他的な感情が込められている。
マルコの「怒って」(orgistheis)の読みを、「憐れんで」(splanchistheis)の読みとしている西方系写本以外の系統の写本も、43節に関しては、「そしてその男をきつく叱りとばし、すぐに追い出した」(kai embrimEsamenos auto eutheOs exebalen auton)という読みを採用している。
NWTは、41「そこで[イエス]は哀れに思い、手を伸ばして彼にさわり、…」。
43「さらに[イエス]は厳重な命令を与えて直ちに彼を去らせ」。
RNWTは、41「イエスはかわいそうに思い、手を伸ばして彼に触り、…」。
43「イエスは次のように厳重に命じて直ちにその男性を去らせ」。
田川訳「怒って」を、NWT「哀れに思い」、RNWT「かわいそうに思い」と訳しているが、西方系以外の系統の写本の読みである「憐れんで」(splanchnistheis)を採用したもの。
マルコの場合、西方系の読みが原文を示している可能性が高い。
原文が「憐れんで」であるなら、後代の写本家が「怒って」と書き換えたことが説明できない。原文に「怒って」とあったのを、後代の写本家がイエスのメシア像にそぐわないので「憐れんで」と書き換えたのであれば理解できる。
lectio difficiliorの原則からしても、「怒って」を採用すべきところ。
NWTは原文に忠実であろうとするのではなく、WTの描くイエス像に調和した柔和で慈愛に満ちたメシア像を描くために、「哀れに思い」というカトリック伝統のバチカン写本の読みを採用している。
田川訳「きつく叱りとばし」をNWT「厳重な命令を与えて」、RNWT「厳重に命じて」と訳し、「追い出した」を「去らせ」と訳したのは、「怒って」ではなく、「哀れに思い」という語のイメージに何とか調和させようとしたかったのであろう。
主な和訳聖書は以下の通り。
共同訳 「深く憐れんで」
フ会訳 「憐れに思い」
岩波訳 「腸(はらわた)がちぎれる想いに駆られ」
新共同訳「深く憐れんで」
前田訳 「あわれんで」
新改訳 「深くあわれみ」
塚本訳 「怒りに燃え」
口語訳 「深くあわれみ」
文語訳 「憫みて」
Living B 「心からかわいそうに思い」。
マルコ1:41を「怒って」の読みを採用しているのは「塚本訳」だけ。
しかしながら「(その哀れな姿を見て悪魔に対する)怒りに燃え、手をのばしてその人にさわり」と解釈を入れた訳にしている。
「憐れんで」(splanchnizomai)は、「内臓」(splanchna)という名詞を他動詞化したもの。
この名詞は一つの臓器ではなく、心臓、肺、肝臓等々をひっくるめた内臓全体を指す。
従って特定の感情にあてはめられるわけではなく、様々な感情に広くあてはめられる。
多くは怒り、または心配、愛情等々。
古代ギリシャ人の考え方では、人間の感情は日本語や西洋語で心臓が感情の場所と言われるように、一つ一つ別の内臓が担当している。
たとえば、横隔膜(phren)は、心臓に隣接しているせいか、心情や配慮の場所とされていた。
岩波訳は「憐れんで」(splanchnizomai)の原義となっている「内臓」(splanchna)に、「腸」(はらわた)にあてたもの。
「怒って」の読みを採用しなかったのは、NWT同様、「憐れみと慈愛に満ちたキリスト像」をイエスから切り離すことができなかったのだろう。
「塚本訳」も「(その姿を見て悪魔に対して)怒り」と訳したのも同様だろう。
原文を見る限り、この伝承箇所に「悪魔」や「悪霊」を示唆する表現はない。
イエスが「怒った」のは「悪魔」に対してではなく、あくまでも「癩病人」個人に対してである。
イエスが彼に対して「怒って」いたので、治療後に、この人を「きつく叱りとばし」「すぐに追い出した」というのであれば、話に整合性がある。
しかし、イエスが悪魔に対して怒っていたのに、癩病人を「きつく叱りとばし」「すぐに追い出した」というのでは、癩病人に対する八つ当たりである。
イエスが癩病人を「憐れんで」、治療したのに、「きつく叱りとばし」、「すぐに追い出した」のでは、イエスは矛盾した性格の持ち主ということになろう。
NWT「厳重な命令を与えて、直ちに彼を去らせ」、RNWT「厳重に命じて、直ちにその男性を去らせ」と訳している。
他の和訳聖書も同様。
共同訳 「彼を厳しく戒めて、すぐに立ち去らせ」
フ会訳 「その人を厳しく戒め、すぐに立ち去らせたが」
岩波訳 「彼に対して厳しく息まき、すぐに彼を去らせた」
新共同訳「すぐに立ち去らせようとし、厳しく注意して」
前田訳 「きびしくいましめて、彼をすぐに去らせて」
新改訳 「きびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた」
塚本訳 「いきり立ち、すぐその人を追い出して」
口語訳 「きびしく戒めて、すぐにそこを去らせ」
文語訳 「去らしめんとて、厳しく戒めて」
Living Bは、43節を全文削除している。
「怒って」ではなく、「憐れんで」の読みと整合性を取ろうとして訳されているものが多いが、「厳重な命令を与える」というような、厳かにかしこまった言い方ではない。
鼻をふくらませて「厳重な命令を与えられ」、すぐに、追い出されるようにして、「立ち去る」ことを要求されたのであれば、言われた側は、「怒られて」いると思うに違いない。
それを「憐れんで」、あるいは、「哀れに思って」のことであるというのでは、理解不能である。
「憐れみ」とは、真逆の行為である。
まるで、愛するから排斥すると言っているようである。
NWT「厳重な命令を与えて、直ちに彼を去らせ」は、英訳NNT「Furthermore, he gave strict orders and at once sent him away」の和訳である。
慈愛に満ちたイエス像を崩したくないための「訳」であろう。
英訳RNWTは、furthermoreをthenに変更しているだけ。
癩病人を癒したイエスは、彼に特別な指示を与える。
マルコ1
44そしてその男に言う、「見よ、誰にも何も言うな。行って、自分を祭司に見せ、自分の清めについてモーセが定めたものを供えなさい。彼らに対する証のために」。
マタイ8
4そして彼にイエスは言う、「見よ、誰にも言うな。行って、自分を祭司に見せ、モーセが定めた供え物を供えなさい。彼らに対する証しとなるように」。
ルカ5
14そして彼はその男に、誰にも言わないように、と命じた。「ただ、去って、自分を祭司に見せ、自分の清めについてモーセが定めたように供えなさい。彼らに対する証のために」。
「きつく叱りとばし」、すぐに「追い出した」後に、その人に「言う」ことできないであろうが、「頼んで」、「膝まづいて」と同様、マルコはそのあたりの論理矛盾はあまり気にとめないようである。
常識的には、追い出す前に、ものを言っておかなければならない。
それで、和訳聖書の多くは、違和感のないように配慮した訳としてくれている。
共同訳 「すぐ立ち去らせ、こう言われた…」
フ会訳 「すぐ立ち去らせたが、その時、こう仰せになった…」
岩波訳 「すぐに去らせた。そして彼に言う…」
新共同訳「すぐにその人を立ち去らせようとし、…言われた…」
前田訳 「すぐに去らせていわれる…」
新改訳 「すぐに彼を立ち去らせた。そのとき彼にこう言われた…」
口語訳 「すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた…」
文語訳 「厳しく戒めて言い給ふ…」
Living B 43節を削除し、42節を44節に繋いでいる。
NWT 「直ちに彼を去らせ、…と言われた」
RNWT 「直ちにその男性を去らせた。…」
英訳RNWTはat once sent him away, saying to himと訳しているのに、「去らせた」でピリオドを打ち、「彼に言われた」を削除している。
和訳RNWTは、もはや原文に忠実どころか、英訳RNWTにも忠実ではなくなっているようである。
マタイとルカは、マルコのイエスが癩病人を「きつく叱りとばし、すぐに追い出した」とある句を削除しているので、この種の違和感は存在しない。
「見よ」(hora)も、ヘブライ語に多い言い方で、それが七十人訳を通じてユダヤ人のギリシャ語に入って来た言い方。
マタイ・ルカの「そして見よ」(ka iidou)と同様、いささかかしこまったことを表現する時に読者に呼びかける言い方。
マタイは、マルコの「見よ、誰にも何も言うな」(hora mEdeni mEden eipEs)の「何も」(mEden)を削り、「見よ、誰にも言うな」(hora mEdeni eipEs)としている。
マタイの「見よ」(hora)も、マルコと同じ「見よ」(hora)で、マルコをそのまま写している。
ギリシャ語ユダヤ人であるマタイには、「見よ」(hora)という間投詞にアラム語人間であるマルコ同様、違和感がなかったのであろう。
ルカは、14「彼はその男に、誰にも言わないように、と命じた」(autos parEggeilen auto mEdeni eipein)と間接話法に修正し、「見よ」(hora) は削除している。
異邦人のギリシャ語人間であるルカには、ヘブライ語アラム語由来の間投詞を多用することに違和感があったのだろう。
ルカもマタイと同じく、マルコの「誰にも何も言うな」の「何も」(mEden)を削除し、「誰にも言うな」(mEdeni eipein)と修正してくれている。
二人ともマルコの「誰にも何も」(mEdeni mEden)という否定語が二重に続く表現をくどいと思ったのだろうか。
あるいは同種のQ資料伝承には、「何も」(mEden)が付いていなかったのか。
二人ともマルコを参照としていることからすると、おそらく前者。
マルコでは、44「その男に言う」(legei autO)だけであったが、ルカではわざわざ主語を置いて14「その男に命じている」(autos parEggeilen autO)。
ルカにとって、他ならぬ絶対的権力者たるイエス・キリスト様がおっしゃるのだから、イエスが「言う」ことに対しては、すべて「命じられた」こととして受け止めなければならないのであろう。
マルコの「モーセが定めたものを」(ha prosetachen mOsEs)供えなさいに対し、マタイは「モーセが定めた供え物を」(ho prosetachen mOsEs)供えなさい。
ルカは、「モーセが定めたように」(kathOs prosetachen mOsEs)供えなさい」。
マルコとルカの「彼らに対する証のために」に対し、マタイは「彼らに対する証となるように」と訳されているが、原文はすべて同じでeis marturion autois。
マタイだけではないが、eis とenが混同されて用いることも多いので、マタイのeisをenの意味に訳したもの。
治療後にモーセの律法に従って祭司に見せるように、という旧約律法重視の設定は、ガリラヤの民間伝承というよりも、エルサレム教団における旧約律法重視の思想を強く反映しているように思える。
マルコにおけるこの物語は、民衆に寄り添い、奇跡的治癒をするイエスの事実よりも、むしろ日常生活においても旧約律法を厳格に遵守すべきであることを癩病人にいらつきながら、教化させようとするイエスの姿勢が描かれている。
このイエス伝承において重要視されているのは、治癒された癩病人ではなく、「彼らに対する証」である、とイエスは説くのである。
律法に対するこの物語のような律法重視の厳格なイエスの態度は、マルコの2章以下、あるいは7章以下に登場するイエスの態度とは異なっている。
そこでのイエスは、断食や安息日や清めの儀式などの重要項目の律法に対して自由であり、人間の伝承を確立しようとするユダヤ教指導者に対して、批判的である。
エルサレムのキリスト教団はメシア信奉のユダヤ教におけるイエスをキリストとして信奉する一宗派として発足したものである。
キリスト教こそ真のユダヤ教として旗揚げしたエルサレム教団のイエスの姿がこの癩病人の癒し物語に映し出されているのであろう。
イエスの名を使っても、思うように旧約律法重視のキリスト教団の教えを受け入れなかった民衆が多くいたのであろう。
それに対して、いら立ったエルサレムのキリスト教団がイエスの名を借りて制作した伝承である可能性が高いように思われる。
しかしながら、マルコにおける癒された癩病人は、「誰にも何も言うな」というイエスの指示を無視する。
マルコ1
45その男は出て行って、大いに宣べ伝え、言葉を広めはじめた。そこで彼はおおっぴらに町の中にはいることができなくなり、外の寂しいところにとどまることとなった。そしてあらゆるところから彼のもとに人がやって来るのであった。
ルカ8
15しかしむしろ彼についての話が広まってゆき、大勢の群衆が聞くために、また自分の病気も癒されるようにと集って来た。16しかし彼自身は荒野に退いて、祈っていた。
マタイは、「彼らに対する証しとなるように」という句で「癩病人の癒し」を終えている。
事の顛末を示す癒された癩病人の行動に関するマルコの結びの句をバッサリと削除している。
マタイには癒された者の喜びの気持などに興味がないようだ。
マタイにとっては、主イエスの奇跡を記し、イエスがキリストであることが立証されればそれで十分なのであろう。
マルコの「言葉を広め始めた」(diaphEmizein ton logon)の「言葉」には定冠詞が付いている。
マルコの頭の中では、説明を擁さない決まった概念を指していることになる。
マルコの言う「福音」と同義に考えているか、あるいはイエスのことを伝える「言葉」という趣旨であろう。
ルカは、マルコの定冠詞付き「言葉」(ton logon)を「彼についての話」(ho logos peri autou)としてくれている。
定冠詞付き「言葉」の絶対用法ではなく、「彼についての」という形容が付いている定冠詞付き「言葉」であるので、「彼についての話、噂」という限定された意味になる。
ルカがマルコの定冠詞付き「言葉」を「イエスに関する噂、話」と解したのであろう。
マルコの結びである、イエスの「誰にも何も言うな」という指示に従わず、イエスに癒された癩病人が、「大いに宣べ伝え、言葉を広めはじめた」というのも非常に示唆的である。
律法重視のエルサレム的イエスに、イエスの治癒者は従わなかったが、そのイエスの意図とは異なる結果となり、大勢の民衆がイエスのもとに集って来た、というのである。
ここにも、マルコに一貫として流れる弟子重視のエルサレム批判と民衆重視のガリラヤ擁護という構図が出ている。
マルコでは、癒された癩病人が喜びのあまり、「誰にも言うな」というイエスの指示を無視し、「大いに宣ベ伝え、言葉を広め始めた」ため、イエスは郊外の「寂しいところにとどまる」ことを余儀なくされてしまう。
それでも「あらゆるところから人々がイエスのもとにやって来る」。
イエスが寂しいところや荒野に行くのは、活動を終えた後、次の活動に備えて休息するためであり、神と向き合うためでもある。
イエスが活動を終えて、休息しようとしても、多くの人々が集ってくるほど、イエスは群衆に人気があった、ということをマルコは肯定的に描いている。
それに対してルカは、イエスが寂しいところに退いたことと、群衆がイエスのもとに押し寄せたことの順番を入れ替えている。
ルカでは、癒された癩病人の話が噂となって広まってゆき、大勢の群衆が押し寄せ、イエスの話を聞くためだけではなく、自分の病気も癒されることを期待して集ってきたとしている。
しかし、イエスは、その群衆を避けるように、荒野に退いて、一人で祈っていたのだ、と群衆に対して否定的な感情で描かれている。
ルカにとっての「群衆」は、イエスを理解しない烏合の衆なのである。
このマルコとルカの群衆に対するイエス像の違いは、単にルカがマルコの文の前後を入れ替えたことにより、生じただけではないであろう。
マルコでは、癒された癩病人が、「誰にも言うな」と禁じられたにもかかわらず、その男は、The「福音」を大いに宣べ伝えてしまい、イエスの名声は広まってしまった。
その結果、イエスは大ぴらに町の中に入ることができなくなり、「さびしいところ」(erEmois topois)にとどまらざるを得なくなった。
マルコにおけるイエスの過ごす「さびしいところ」(erEmois topois)とは、イエスにとっての「休憩の場所」であり、「神と邂逅する場所」である。(1:35参照)
それにもかかわらず、あらゆるところから、民衆はイエスのところにやって来るのであった、という流れである。
マルコでは、奇跡の結果を語ることを禁じれば禁じるほど、イエスの「福音」は人々の間で広まっていった、という構図である。
イエスの「福音」がいかに広く民衆に受け入れられていたかを強調している。
マルコのイエスには、常に民衆に取り囲まれ、民衆に歓迎されている姿がある。
それに対し、ルカでは、「誰にも言わないように」というマルコではイエスの言葉を導入句にし、律法規定に従って祭司の指示に従がうように、という命令だけをイエスの言葉としている。
イエスについての話が広まった原因は、癒された癩病人がイエスの禁句の命令に反したことにあるとはされていない。
むしろ彼はイエスの命令を遵守したのであるが、イエスの奇跡的治癒行為と彼についてのうわさ話により、大勢の群衆に広まっていった。
その結果、群衆は我先にと自分の病気も癒されようとして、イエスのもとに集って来た。
しかし、イエスはそんな群衆を置き去りにして、荒野に退いて、祈っていた、という構図である。
ルカのイエスは、群衆に対して非常に冷たいのである。
群衆がイエスのもとに集うのは、イエスの話を「聞く」ためというよりは、病気を癒されたいがためであり、群衆に対して距離を置いているイエスの姿がある。
マルコとルカのイエス像の違いは、単にマルコの文の前後をルカが入れ替えただけのことから生じているわけではないであろう。
むしろ、それぞれの福音書著者の宗教観から生じているイエスの姿なのであろう。
「沈黙の命令」と「メシアの秘密」に関して。
WTだけではないが、イエスが悪霊に対して「沈黙の命令」をしたり(1:25,34,3:12,4:39)、癒された病人に対して「沈黙の命令」をする(1:44-45、5:18-20、5:43、7:36、8:26)のは、いわゆる「メシアの秘密」を守るためである、と解説される。
*** 塔08 2/15 28ページ 6節 マルコによる書の目立った点 ***
1:44; 3:12; 7:36 ― 自分の奇跡が言い広められることをイエスが望まなかったのはなぜですか。
イエスが人々に望んだのは,世間を騒がせるうわさや正確さを欠くようなうわさに基づいて結論することではなく,イエスがキリストであるかどうかを自ら確かめ,その証拠に基づいて自分で判断することでした。(イザ 42:1‐4。マタ 8:4; 9:30; 12:15‐21; 16:20。ルカ 5:14)
「沈黙の命令は、「イエスがキリストであるかどうか」は、秘匿されており、自ら確かめ、自分で判断するためであった、という解説である。
マタイは12:15-21「預言者の言葉の成就」の項で、並行マルコ3:6-12の文に手を加え、最後にイザヤの引用を付加している。
WTがマルコ1:44ほかをイザヤ42:1-4を参照に、「神が是認した選んだ者」を自分で見極めるためとする註解は、マルコにマタイを読み込もうとするもの。
WTの解説は聖書霊感説信仰に基づき、四福音書が四つの視点からイエスの生涯と活動を記録した歴史的記述であり、書き手は四人であるが、著者は一人の神であるということを前提にしている。
それぞれの並行個所は、同じ出来事の視点を変えた表現であり、一つの出来事を立体的に描写しているのであるから、相互に補完している関係にあると解釈している。
しかし、マルコ1:44にも7:36 にも、イザヤを示唆する表現は出て来ない。
「信仰は一つ」であり、イエスの「沈黙の命令」も、すべて相互に入れ替え可能な一つの真理で解釈されるものと信じているのだろう。
WTでは、「メシアの秘密」という表現は出て来ないが、イエスは生前からメシアであったのであるが、それが人々に知られることは望まず、復活の時まではそれを秘密に保とうとした、という解説がなされる。
JWの多くはこのWT解説を、統治体の主張に基づいて、神が統治体を通して神の民に啓示した真理の一つであり、統治体に「聖なる力」が注がれている証拠と自分で判断しているようである。
しかしながら、WTが説く、いわゆるこの「メシアの秘密」は、ドイツのルター派神学者W・ヴレーデの著作「福音書におけるメシアの秘密」(Das Messiasgeheimnis in den Evangelion,1901初版、1913再版、1963第三版)のパクリである。
WTはヴレーデと同じく、イエスの「沈黙の命令」のすべてを「メシアの秘密」と解しているが、悪霊に対する「沈黙の命令」と「癒された病人」に対する「沈黙の命令」とは異なる思想に基づくものと解すべきもののようである。
また弟子たちに対する「沈黙の命令」に関しても、それぞれの福音書では異なるニュアンスで書かれている。
同じ出来事の並行記述でも、マルコとマタイでは異なるし、マタイとルカでも異なるニュアンスで「沈黙の命令」を解しているようである。
それぞれの「沈黙の命令」に関しては、その箇所ごとで考察することにする。
この「癩病人の癒し」におけるマルコの「沈黙の命令」に関しては、人々に語るなと禁じれば禁じるほどますます人々はイエスの「言葉」を宣べ伝えたというものである。
44節前半で、イエスは癩病人に「誰にも何も話すな」と命令する。
それと共に44節後半で、自分の体を祭司に見せ、モーセの命じたものを供えよ、と命令する。
つまり、癩病人に対して、自分は癒されたといって、喜び勇んで、勝手にそれを人々にふれて回ってはならず、律法の規定通りに必要な手続きに従え、と命令している言葉である。
マルコが採用したこの伝承には、イエスもまた旧約律法に忠実なユダヤ主義者であったことを裏付けたい意図が感じられる。
イエスの実像と異なるキリスト像を宣教しようとするエルサレムのキリスト教団の護教論を反映した伝承が元であろう。
マルコの意図が反映されているわけではない。
むしろマルコの意図は45節の編集句に表われていると思われる。
エルサレムのキリスト教団の描くイエスの「沈黙の命令」にもかかわらず、イエスの「言葉」=「福音」は、ますます広まった、というのである。
伝承では、祭司によってまず確認されるまでは、「宣教」を始め、ともかく他のことはするな、という命令である。
このイエスの指示は、エルサレムのユダヤ教祭司の権威に対する服従を促しており、キリストに癒されたキリスト信者に対して、エルサレムのキリスト教会の指導者に対する服従命令を示唆するイエスの言葉でもある。
マルコは、結びの編集句でこれを、沈黙を命令すれするほど、イエスの名声と福音はますます広まった、という構図に仕立てている。
要するに、マルコの意図は、「メシアの秘密」を守ることにあるのではなく、逆に「イエスの出来事」や「福音」が広く宣べ伝えられることを強調することにある。
イエスの「福音」が「弟子たちの間に秘密」として保持されていたのではなく、いかに広く「群衆」に受け入れられていたのかを強調するところにマルコの主張がある。
従がって、この個所の「沈黙の命令」は「メシアの秘密」を守るために発せられたのではなく、奇跡伝承に伴うキリスト教以前の宗教的意識を反映させた「沈黙命令」だったと考えられる。
奇跡行為は人に隠してなされるものでなければ、特別なものとはなり得ない。
奇跡はその行われる場面においても、それを物語る場合にも、神秘的な効果を与えるために、秘匿されるものである。
宗教心理的なある種の「おそれ」と共に、奇跡的出来事が実施されなければ、受益者のありがたみや物語の特別感は薄れるものである。
本来は、この「癩病人の癒し」伝承における「沈黙の命令」も、「奇跡の秘密」を守り、「関係者の特別感」と「神秘的効果」を高めるための命令だったものと思われる。
マルコは、いわばそれを逆用し、奇跡の結果を語ることを禁じる秘密の動機を伝承のままに伝えるのではなく、禁止にもかかわらずますますイエスの名声は広まった、とイエスの福音がいかに広く群衆に受け入れられたかを強調するために利用したのであろう。
それは、同時に、このイエス伝承を作ったエルサレムのキリスト教団が描くイエス像に対する批判とアンチ・テーゼをあぶり出すための文学的手法として、「沈黙の命令」をするイエスと「沈黙の命令」を破る奇跡受益者の両方を併記させたのであろう。
「行って、自分を祭司に見せ、自分の清めについて、モーセが定めたものを供えなさい。彼らに対する証のために」というのがキリストの受益者に対するイエスの指示である。
「行って」とは、どこに行くのか明示されていない。
しかし、ユダヤ教において「清め」の宣言を行えるのは祭司だけである。(レビ13,14章参照)
祭司は、神殿のあるエルサレム在住である。
そこには、キリスト教からの恵みを受けることを望む者やキリスト信者としての受益者は、エルサレムにあるキリスト教団の指導者から、清めの証しを受けなければならない、というテーゼが示唆されている。
その際、「モーセが定めたものを供えなさい」と指示されている。
キリスト教はユダヤ教から正統に継承された宗教として出発している。
つまり、ユダヤ教の神殿税や供え物に対応する寄付金や献納物をエルサレムのキリスト教団に寄付せよ、というイエスの示唆である。
そうすれば、エルサレムのキリスト教団において、祭司の職務にある者が、キリストにより、「清められる」、つまり「罪」は許される、という「自分の清め」に関する「証」が受けられるというのである。
エルサレムのキリスト教団は、「罪の赦し」の「証し」として、「聖霊を受けた」、と宣言していた。(使徒行伝2,8,10,11章参照)
エルサレムのキリスト教団は、キリスト信者に聖霊を授与する権利を独占しようとして、ペテロを始め十二使徒を中心とする教団の指導者たちにユダヤ教の祭司的役割を担わせていたのだろう。
マルコは、そうしたエルサレムのキリスト教団に対する批判を込めて、癒された癩病人はイエスの指示を無視して、イエスの福音を大いに宣ベ伝えた、という構図に仕立てたのであろう。
むしろ、癒された癩病人に対するイエスの命令を無視する「言葉」を宣教すればするほど、イエスの福音と名声は大いに広まり、あらゆるところから、人がやって来ることになる、とされている。
ペテロや使徒たち重視するエルサレムのキリスト教団の権威に従がうことではなく、彼らのキリスト教を無視し、むしろ彼らの禁忌に逆らうことにこそ、イエスの「言葉」とキリスト教宣教の繁栄がある、とマルコは訴えたいのであろう。