マルコ1:35-39 <近隣の町村での活動> 並行マタイ4:23、ルカ4:41-44
マルコ1
35そして朝、まだ真っ暗だったが、立って出て行き、寂しいところに行って、そこで祈っていた。36そしてシモンとその仲間たちが彼を追いかけて行き、37そして見つけた。そして彼に言う、「みんながあなたを探しています」。38そして彼らに言う、「よそにも行こう。付近の町村にも。そこでもまた私は宣べ伝えねばならない。そのために出てきたのだから」。39そして彼らの会堂へと、ガリラヤ全土へと、行って宣べ伝え、また悪霊を追い出した。
マタイ4
23そして彼はガリラヤ全土を巡回して、彼らの会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中にあるあらゆる病気、あらゆる疾患を癒した。
ルカ4
42夜が明けると、出て、寂しいところへと行った。そして群衆が探して、彼のところまでやって来て、自分たちのところから去らないようにと引き止めた。43しかし彼は群衆に対して、「私はほかの諸都市にも神の国を福音として宣ベ伝えねばならない。そのために私は派遣されたのだから」と言った。44そしてユダヤの諸会堂へと宣教したのであった。
参マルコ1
34そして彼は様々な病気の病人を大勢癒し、多くの悪霊を追い出した。
ルカは、マルコの順を追って、「まとめの句」の後に「近隣の町村での活動」を置いている。
それに対し、マタイはマルコの順を追うのを止め、「まとめの句」は「山上の説教」(5-7章)が終わった8章の中に、「近隣の町村の活動」は「山上の説教」の直前に置いている。
マタイにとってイエスは、治療行為者である前に、まず説教者である。
イエスの活動におけるいくつもの奇跡的病気治癒物語を並べる前に、マタイとしてはまず「山上の説教」を置きたい。
それで、マルコにはないイエスの出生をキリストとすべくアブラハムまで遡る創成の系図と誕生物語を置き、マルコに従がって、イエスが活動を始める前に、悪魔の誘惑とペテロたちの召命を置いた。
そのままマルコを追って行くと、最初にいくつもの奇跡的病気治癒の物語を並べて行かなければならなくなる。
それで、マルコの順に従がうのを止め、「山上の説教」に入るために、一区切りつけることにしたのだろう。
そこでマタイは、マルコの「近隣の町村での活動」から1:39とマルコの「まとめの句」から1:32-34だけを採用して、「山上の説教」に入る前の「まとめの句」に利用したと思われる。
マルコは、前段と同じく二重表現と思える書き出しで、「朝」(prOi)、「まだまっ暗だった」(ennychon lian)と文を始めている。
「朝」(prOi)の直訳は、「早い」。
「朝早く」という意味ではなく、一日のうちの「早い」時間帯、つまり「朝」という趣旨。
「まだまっ暗だった」(ennychon lian)の直訳は、「まさに夜の中にある」。
まず、「朝」のことである、と述べて、さらにその時は「まだ夜中のようだった」と説明しているのであろう。
前段の「夕方になり」、「陽が沈むと」という書き出しと同じく、二重表現のつもりではなく、漠然とした「時」の表現に、補足説明を加えているのだろう。
ルカは、単に「夜が明けると」(genomenEs de hEmeras)、出かけた、としている。
マルコは、イエスが祈るために「寂しいところ」(erEmon topon)に出かけた、としている。
ルカは、「寂しいところ」(erEmon topon)に行ったのが、「祈るため」とはしていない。
マルコにおいて、「寂しい」(erEmos)という形容詞に、「場所」(topos)を意味する名詞を付ける表現は、ほかにも1:45,6:31以下に見られる。
マルコは、ここでは形容詞として用いているerEmosという語を1章の四個所(1:3,4,12,13)では定冠詞を付けtE erEmO、tEn erEmonと絶対用法で名詞化して用いている。
ほかにも8:4では、女性形のerEmiaを単に名詞化して(erEmias)とし、用いている。
マルコがそれぞれの表現を異なる意味で使っているとは思えないが、「寂しい」(erEmos)とは、「人の気配のしない」という意味で、「寂しい」、「荒野」、「人里離れた」(NWT)などと訳されている。
形容詞に冠詞を付ける絶対用法で名詞的な意味に用いる場合は、形容詞で用いるよりも、意味が強くなる。
「場所」(topos)を付けて用いている場合は、「砂漠」や「荒野」というイメージではなく、少し「人里から離れた場所」というイメージであろうか。
「寂しいところ」を祈りの場所としたとしても、イエスが祈りのための定めていた特定の場所、というのではないであろう。
当時のカペルナウムは大都市ではないので、周辺には、「人里離れた寂しい」場所がたくさんあったと思われる。
イエスは、起きて、祈るためにそのような静かな場所に出かけたという趣旨であろう。
マルコのイエスは、積極的な激しい活動の合間に、時々人里離れた「寂しいところ」に行って休息する。
前の項では、「夕方」、「陽が沈むと、イエスは、町じゅうの「病人や悪霊に憑かれた人たち」を癒し、多くの悪霊を追い出し、精力的に活動している。
続く、この項では、「朝」、「まだ真っ暗だった」時に、そこを「出て行き」、「寂しいところ」(erEmon topos)に行く。
イエスの出かける「寂しいところ」(erEmon topos)とは、「休息」の場所であり、「次の活動に備える」ための場所でもあるのだろう。
前述したが、別の場面でもerEmosという語が使われている。
荒野の預言者とされた洗礼者ヨハネが登場した場所も、「荒野」(tE erEmO)である。
サタンの誘惑に遇った場所も「荒野」(tEn erEmon)である。
マルコにおける「荒野」(tE erEmO)は、神的な存在と出会う場所である。
面白いのは、マルコはこの「休息」という意味で、「寂しい」(erEmos)という形容詞を使う時には、必ず「場所」(topos)という名詞を付けて用いている。(1:35,45,6:31,32,35,8:4)
また「寂しいところ」(erEmon topon)という表現は、マルコの並行個所を除くと、すべてマルコの編集句の中にだけ登場する。
一方、定冠詞付き絶対用法での「荒野」(tE erEmO)という言い方の時は、その箇所に「休息の場所」という意味はない。
「寂しい」という形容詞を定冠詞付き絶対表現(tE ereEmon)で使うことは、マルコの言い方ではなく、おそらく伝承資料をそのまま写しているのだろう。(1:3,4,12,13)
マタイにerEmosという語は5回(3:1,3,4:1,11:7,24:26)、定冠詞付き絶対用法(tE erEmO)で登場する。
erEmosという語を「寂しい」という形容詞として使っている箇所は2か所。
一つは「寂しい場所です」(erEmos estin ho topos)14:15。
並行マルコ6:31,32の「寂しい場所」(erEmon topon)を叙述用法にしている。
もう一つは「寂しい場所で」(en erEmia)15:33。
並行マルコ8:4の「寂しい場所で」(en erEmias)と同じくerEmos の女性形erEmiaを名詞化して用いている。
ただしマルコは複数形であるが、マタイは単数形にしている。
文法的には、単数形でも複数形でも意味は通じる。
マルコは6章の五千人の供食において群衆を50-100人ごとの単位に分け下り、単位ごとに荒野に座している姿が頭にあったので、複数形にしたのだろう。
マタイはマルコが四千人の供食においては、群衆が一つの場所に集まっているとしているのだから、単数形に修正してくれたのだろう。
ルカには、6回(3:2,4,4:1,7:24,8:29,15:4)、定冠詞付き絶対用法で登場する。
erEmosという形容詞を「寂しい」という意味で使っている箇所は、ここのマルコ1:35「寂しいところ」(erEmon topos)の並行個所であるルカ4:42で「寂しい場所」(erEmon topos)と出て来るだけである。
マタイは五千人の供食の中でマルコに二度出て来る「寂しいところに」(eis erEmon topon)という表現を「寂しい場所である」(erEmos estin ho topos)と無駄な繰り返しを避けるように言い換えている。
マルコとマタイに出て来るもう一つの供食物語である四千人の供食にもerEmosという語が登場するが、マルコが女性形複数でerEmiasとしているところを同じく女性形を単数にして、erEmiaと修正している。
ルカには、五千人の供食物語が一つだけ登場するだけであるが、マルコの「寂しいところに」(eis erEmon topon)という表現をそのまま「寂しいところに」(eis erEmon topon)としている。
供食物語には、「寂しいところ」(erEmon topon)とする伝承と女性形を用いてerEmiasとする伝承の二種類が存在していたのだろう。
マルコとマタイは別々の伝承と考え、二つとも採用し、ルカは同じ伝承の別バージョンだと考え、人数の多い五千人の供食の方だけを採用したのだろう。
マタイとルカが、マルコを写しているのは明らかであろう。
共観福音書におけるerEmosの使い方からして、定冠詞付きの絶対用法で「荒野」(tE erEmO)とする、あるいは女性形を名詞化して使うのは伝承の表現だったのだろう。
「場所」(topos)という語を付けて「寂しいところ」(erEmon topon)とする言い方はマルコに属するものと考えられる。
イエスが「寂しいところ」(erEmon topon)で次の活動に備えて、祈っていると、イエスの「休息」を邪魔する存在が登場する。
マルコは、それを「シモンとその仲間」である、と言う。
マルコのこれまでの話によると、イエスに召命されたのは、シモンとアンドレアスの兄弟とゼベダイの子ヤコブとヨハネの兄弟の二組の兄弟たちだけである。
イエスの一番弟子であるはずの「シモンとその仲間たち」は、イエスの「休息」を邪魔するだけでなく、イエスの意図も理解していない。
彼らはイエスを追いかけて行き、「みんながあなたを探している」と言い、イエスをカペルナウムの地にとどまらせようとする。
それに対しイエスは、まず「よそにも行こう。付近の町村にも。」(agOmen allachou eis tas echomenas kOmopoleis)と言う。
「付近の町村」(tas echomenas kOmopoleis)は、「よそ」(allachou)の同格的説明句。
「よそにも行こう」(agOmen allachou)と言い切ってから、「付近の町村に」と付け加えている。
それから「そこでもまた私は宣ベ伝えなければならない。そのために出て来た」と、シモンとその仲間たちに説明する。
イエスの一番弟子たちはイエスの意向を理解していないことを露呈する。
結局、イエスは彼らの意向に沿うのではなく、「彼らの会堂へと、ガリラヤ全土へと、行って宣ベ伝え、また悪霊を追い出した」のである。
「彼らの会堂で」(en tais synagOgais aytOn)とは、シモンたちのいるカペルナウムの会堂を指しているのか、それともよその付近の町村の会堂を指しているのか。
「彼らの会堂」とは、「付近の町村」への宣教活動を受けているのだから、「付近の町村」の人々の会堂を指していると読める。
これを「よその」を「付近の町村」にかけて、「ほかの町村にも行こう」という趣旨に解すると、少し意味が違ってくる。
イエスはシモンとその仲間たちの意向に沿って、まずカペルナウムの会堂でも宣ベ伝え、悪霊を追い出した。それに加えて、ほかの町村にも、行って宣ベ伝え、悪霊を追い出した、という趣旨になる。
「よその」を「付近の町村」にかけると、「彼らの会堂」とは、宣教に行く付近の町村の会堂だけを指すのではなく、シモンとその仲間たちの会堂を含むことになってしまう。
主な和訳聖書では、「ほかの町や村に行こう。そこでも私は宣教する」あるいは「ほかの町や村にも行こう。そこで私は宣教する」という趣旨で訳されている。
「ほかの」(allachou)を「近くの町や村」(tas echomenas kOmopleis)にかけて訳していなくても、「そこでも」と続けているので、すべての和訳聖書では「ガリラヤ全土」(holEn tEn galilaian)の「彼らの会堂」(tais synagOgais autOn)の中に、シモンとその仲間の会堂も含まれていると読める訳となっている。
並行のマタイ4:23「彼はガリラヤ全土を巡回して、彼らの会堂で教え」とあるので、この文だけを見れば、「ガリラヤ全土を巡回して」を受けていると解し、「巡回先の人々の会堂」を指している、と解することができる。
しかし、マタイは前段にガリラヤの海のほとりでの「シモンたちの召命」伝承を置いている。
それで、ガリラヤ全土の「彼らの会堂」には、シモンとその仲間たちの会堂も含むと読める。
しかし、この個所におけるマルコの「彼らの会堂」には、シモンとその仲間たちの会堂は含まれていない。
マタイもそう読んだので、「ガリラヤ全土を巡回して、彼らの会堂で教え」と書き換えたのだろう。
シモンとその仲間たちの意図に反して、彼ら以外のガリラヤ全土の会堂へ行って、宣べ伝え、治療活動を行なった、というのがマルコのイエスである。
前項とこの項は対比関係にある。
「夕方」、「陽が沈むと」→「朝」「まだ真っ暗だった」
「積極的な治療活動」→「寂しいところでの休息」
「群衆に対する癒し」→「シモンたちに対する拒否感情」
これらを総合的、考察すると、マルコは、エルサレム教会においてキリスト教を立ち上げた「シモンとその仲間たち」に対して、あなた方は「イエスを追いかけて行き、イエスを見つけた」と主張し、「みんなが我々の見つけたイエスを探している」と主張しているが、イエスは、「よそに行こう」と言って、そこを「立って出て行った」のではないか。
シモンとその仲間たちが唱えるキリスト教に、イエスはおらず、むしろガリラヤのキリスト教の中にこそ、イエスが生きているのだ、と言いたいのではなかろうか。
マルコは、単に「行って宣ベ伝えた」(Elthen kErussOn)と明確な目的語を置いていない。
マタイは、「御国の福音を宣ベ伝えた」(kErussOn to euaggelion tEs basileias)としている。
マルコにとって宣ベ伝えるのはイエスの「福音」であるが、イエスの活動全体が「福音」そのものである。
マタイのように「御国の福音」という言い方はしない。
マルコにとって定冠詞付きの「福音」(tou enaggeliou)とは、絶対的なものであり、別の修飾語を付ける必要はない、とするのがマルコの考え方であろう。
しかし、マタイは「福音」だけでは意味が明確ではないと考えているので、属格の「御国」(tEs basileias)、対格的属格の意味で「御国に関する」という意味を付与したのである。
マタイにとってのイエスは、「御国に関する福音」を伝える宣教師、また説教師である。
ルカは、マルコを改竄しているのが、よく理解できる。
マルコでは、イエスを探しに来て、引き止めたのは「シモンとその仲間たち」である。
ところが、ルカにおいては、「群衆」(ochloi)がイエスを引き止め、イエスは「弟子たち」ではなく、「群衆」に対して、説教する。
「私は他の諸都市にも神の国を福音として宣べ伝えねばならない。そのために私は(神から)派遣されたのだから」と。
「弟子たち」はイエスの意図も次の行動も理解しており、無理解なのは無知な「群衆」であるかように、仕立て直ししたのである。
ルカの「弟子たち」は常にイエスと共に行動する、イエスの最大の理解者でなければならないのである。
またマルコでは「よそ」(allachou)である「付近の町村」(tas echomenas kOmopleis)、つまり前項の舞台であるカペルナウム以外の付近の町村で「宣ベ伝える」(kEruchO)ために「出て来た」(exelEutha)と述べている。
それに対し、ルカは「ほかの都市にも」(kai tais heterais polesin)「神の国を福音として宣ベ伝える」(euaggelisasthai me dei tEn basileian tou theou)のは、「そのために派遣されたのだから」(hoti eis touto apestalmai)と説教する。
「福音として宣ベ伝える」は一語の他動詞euangelizomai。
ルカはマルコの「福音」(euangelion)という名詞を用いない。
ルカは、「福音」という名詞概念を重要視しておらず、「福音宣教する」という動詞概念を重視している。
「神の国を福音として宣ベ伝える」の直訳は、「神の国を宣教することが私を縛っている」。
ルカにとって、神の国を宣教することが、キリスト信仰の要なのであろう。
ルカは、マルコが単に「行って宣ベ伝えた」(Elthen kErussOn)、つまり、カペルナウムの町から「出て来て」「宣ベ伝えた」としているのを、「派遣された」(apestalmai)と修正してくれた。
ルカは、イエスの福音宣教が自発的な意思に基づくものではなく、「神によって此の世に派遣された」キリストとしての活動であることにしたのである。
その結果、ルカにおいて、イエスは神の国を福音宣教する伝道師であり、神の国宣教こそが「神のミッション」であることにされてしまった。
ルカの時代には、キリスト教宣教が拡大し、イエスの神格化が深まっている証拠である。
ルカは、マルコの「町村」(kOmopoleis)という「村」(kOmE)と「都市」(polis)をくっつけて一単語にした合成語の複数形を、「都市」(polis)の複数形に変えている。
ルカではpolisをメインとした大都市中心の福音宣教となり、マルコで中心であった町や村の群衆に対する治療活動は二の次にされることになった。
ルカの都市・エルサレム重視、地方・群衆蔑視の指向が垣間見える。
さらに、マルコにおける「彼らの会堂」とは、「ガリラヤの諸会堂」を指しているにもかかわらず、「ガリラヤ全土」を「ユダヤ」に書き換えている。
舞台を「ガリラヤの諸会堂」から「ユダヤの諸会堂」へと変更させたのである。
マルコのイエスは歴史的事実からしても、ガリラヤ人であり、ガリラヤで活躍した人物である。ユダヤ(エルサレム)に行くことはあっても、生活や活動の中心とはしなかった人間である。
それにもかかわらず、ルカはイエスの活動を最初に総括して紹介するこの個所で、ガリラヤを無視し、ユダヤを中心とする宣教活動がイエスの中心であることにしたのである。
ここにもルカのガリラヤ蔑視、ユダヤ重視、つまりエルサレム重視の精神が発揮されている。
WTは、マタイ41年ごろ、ルカ56-58年ごろ、マルコ56-58年ごろに書き終えられた福音書であると公式に発表している。
NWTのどの版でも良いが、巻末にある「聖書の各書の一覧」で確認できる。
一体、何を根拠にこの数字を出したのか、「真理の擁護者」と称するなら、是非ともご説明いただきたいものです。
付録 <ある日の第二会場での呼び出し>
WTの教理変更が相次いできたのに、その根拠が曖昧で、奇妙で異例な教えにも黙って統治体に従え、という研究記事を発表した2013年ごろのこと。
統治体を盲信すべし、と堂々と主張する組織に辟易し、聖書の原典研究を始めようとした。
割り当てや註解で、信仰とは理性による神聖な奉仕でなければならない、という趣旨の発言をしていたところ、長老団の一部に注意人物と認定されたようだ。(笑)
集会後、ご立派な巡回監督の指示のもと、MTS出身の長老団たちに、第二会場に呼び出され、「協会はヘブライ語やギリシャ語で聖書研究することを勧めていません」、と釘を刺してきた。(笑)
念のため、黙って携帯の録音機能をONにしておいた。
「協会が提供する情報で十分であるから、ヘブライ語やギリシャ語から聖書を学ぶ必要はない。協会は勧めていない。」という説明。
「それはなぜですか、何が問題なのですか」と質問。
「協会も長老団も、ギリシャ語から聖書を学ぶこと勧めていない」と繰り返すだけ。
「JWはすべて聖書研究生であるはずです。協会の提供する情報をよりよく理解するためには、英語の記事や協会の提供する英訳聖書からでも疑問が解けない場合もあり、原文を理解しないで、聖書の深い意味を理解できるのでしょうか。」と質問。
「協会の提供する霊的食物に満足していないのですか」とキレ気味で逆質問。
「霊的食物をもっと取り入れたいから、個人研究として、原典研究しようとしているだけですが…。協会はギリシャ語から新約聖書を翻訳していないのですか。それとも協会では、ギリシャ語を学ぶことを禁止しているのですか」と逆質問。
「協会は禁止してはいませんが、長老団も勧めていません」との再返答。
「協会が禁止していないのなら、原文で聖書研究することが、なぜ問題になるのでしょうか」と再質問。
平行線で埒が明かず、まともな答えがないので、「解りました、良く考え、検討します」、と話し合いを打ち切り、現在に至る。
意地でも原文から聖書を読んで理解しようとする気にさせてくれました。(笑)
今となって、原典研究させたくない理由が、よく理解できました、とさ。