マルコ 1:21-28 <カファルナウムの会堂での活動> 並行ルカ4:31-37
マルコ 1
21そしてカファルナウムにやって来る。そしてすぐに、安息日に会堂にはいり、教えるのであった。22そして彼の教えに人々は驚嘆した。律法学者のようではなく、権威ある者のように彼らを教えたからである。23そしてすぐに、彼らの会堂に汚れた霊に憑かれた人がいて、叫んで、24言った、「俺たちとあんたの間にどういう関係がある、ナザレ人のイエスさんよ。俺たちを滅ぼすためにお出になったってわけか。あんたが誰だか、知ってるぞ。神の聖者だろ」。25そしてイエスは彼を叱りつけ、言った、「黙れ、この人から出ていけ」。26そして汚れた霊は彼をひき裂き、大声をあげて、彼から出て行った。27そしてみんなが驚き、互いに議論して言った、「これはいったい何だ。権威ある新しい教えだ。汚れた霊にさえ命令すると、霊どもはこの人に聞き従う」。28そして彼についてのうわさが、すぐにどこでも、ガリラヤの周辺地帯全域に、広まった。
ルカ 4
31そしてガリラヤの都市カファルナウムに下って来た。そして安息日に彼らを教えるのであった。32そして彼らはその教えに驚嘆した。その言葉には権威があったからである。33そして会堂で汚れた悪魔の霊に憑かれた人が居て、大きな声で叫んだ、34「えああ、俺たちとあんたの間にどういう関係があるのか、ナザレ人イエスさんよ。俺たちを滅ぼすためにお出になったってわけか。あんたが誰だか、知っているぞ。神の聖者だろ」。35そしてイエスは、彼を叱りつけ、言った、「黙れ、この人から出て行け」。そして悪霊は彼を(人々の)真ん中へと叩きつけて、彼から出て行ったが、彼を傷つけることはなかった。36そしてすべての人々に驚きが生じ、互いに語りあって言った、「この言葉は何だ、権威と力を持って汚れた霊どもに命じると、霊どもが出て行くとは」。 37そしてその周辺のすべての場所に彼についての噂が広まった。
マルコとルカは、それぞれの設定の違いにより、導入句において多少異なっているが、ほぼほぼ、ルカがマルコをそのまま写しているのが理解できる。
マタイは、汚れた霊がイエスを「神の聖者」と発言するマルコの伝承を削除している。
マタイのイエスにおけるカファルナウムでの活動に関する言及は、悪魔の誘惑後のまとめの句の中で、4:13でイエスが「カファルナウムに住んだ」(katOkEsen eis kapharnaoum)とあるだけ。そこも、定型引用として旧約預言の成就に重きが置かれており、カファルナウムでの具体的な活動には特に言及されていない。
マルコにおける「カファルナウムでの活動」は、「ペテロたちの召命」の後に置かれている。
ルカは、「ペテロたちの召命」前に、「カファルナウムでの活動」と「近隣の町村での活動」とを置いている。
「カファルナウムでの活動」は、ナザレの会堂での「イエスの活動宣言」に続く設定である。
マルコにおける「ペテロたちの召命」はガリラヤ湖畔での出来事であるから、同じガリラヤ湖畔の町であるカファルナウムには、単に「そして…やって来る」(kai eisporeuontai)だけで良い。
それに対し、ルカは前段にナザレでの会堂によるイエスの活動宣言を置いている。
それで、カファルナウムに移動するためには、高地にあるナザレからガリラヤの都市へと「そして…下って来る」(kai katElthen)必要が生じたのであろう。
ルカはカファルナウムを「都市」(polin)としているが、実際にはいわゆるローマ法制上の「都市」(polis)ではない。
ヨハネ6:69には、マルコ1:24(並行ルカ4:34)と共通の「神の聖者」(ho hagios tou theou)という表現が出て来る。
NWTでは、マルコとルカは共に「神の聖なる者」との表記であるが、ヨハネでは「神の聖なる方」となっている。
RNWTでは、すべて「神の聖なる方」に統一されている。
英訳はNWTもRNWTも、すべてthe Holy One of Godである。
NWTヨハネが原文では同じ表記のマルコ・ルカの「神の聖なる者」を「神の聖なる方」と和訳したのは、訳者が異なることによる表記の違いか、校正の見落としであろう。
RNWTでは「神の聖なる方」に統一されている。
イエスに関する表現であるから、「者」よりは「方」とする方が、より敬意が感じられ、相応しいと判断したのだろう。
マルコ(ルカ)では、汚れた霊(汚れた悪魔の霊)が、イエスの正体を「神の聖者」だと証言する。だが、ヨハネでは、悪霊ではなく、シモン・ペテロがイエスに対し「神の聖者」であることを信じ、認識していると証言する。
ヨハネにおける「神の聖者」というペテロの発言は、非常に含みのある表現となっている。
詳細は後述する。
マルコは21「そして…やって来る」(kai eisporeunontai・・・)という言い方で段落を始めている。
「kai+動詞の現在形」で文を始めるマルコの癖である。
ギリシャ語をはじめとする西洋語の「時」に関する厳密な文法が規定されている言語からすると違和感のある文となるようだ。
この現在形は、セム語的な発想によるものであり、古代ヘブライ語動詞には時に関して、現在、過去、未来を厳密に区別する文法的範疇は存在しない。
現在形であっても、過去の意味であったり、現在完了の意味だったり、未来を意味することもある。
同じセム語系に属する日本語も同様に時制は曖昧で、「居た」という過去形表現であっても、「居る」という現在の意味であったり、「行く」という現在形表現であっても、これから「行く」という未来を意味することもある。
マルコの現在形を「歴史的現在」と説明する学者もいるが、歴史的現在なら、段落全体を一貫して現在形で書くのが普通。
ところがマルコの現在形は、過去を表わすアオリスト形と併存しているし、多くは段落のはじめに登場する。
段落の途中でもしばしば登場する。
ギリシャ語文法における歴史的現在を意識しているのではなく、アラム語が母語のマルコであるから、無意識のうちにアラム語的時制のギリシャ語となってしまったのであろう。
ギリシャ語人間のルカは「下って来た」(katElthen)とアオリスト形で過去の意味に文法的に正しく修正してくれている。
田川訳では、「カファルナウム」と表記しているが、伝統的には「カペルナウム」と表記されるのが普通。
「カファルナウム」と表記している和訳聖書は田川訳だけ。
ほかはすべて「カペルナウム」。
「カペルナウム」(Capernaoum)という表記は、ビザンチン系の写本やACLf1に出て来る綴りに基づくもの。
他の大文字重要写本は、「カファルナウム」(Capharnaoum)と表記。
ヴルガータでは、まだCapharnoumと表記されていたが、ルターがビザンチン系小文字写本のテキストに基づき、Capernaoumと表記した以降、「カペルナウム」という表記が定番化された。
ルカは「都市」(polin)と書いているが、ローマ法による行政区分としての「都市」(polis)指定は受けていない。
WTの解説によると
*** 洞‐1 598ページ カペルナウム ***
(Capernaum)[「ナホムの村」または「慰めの村」を意味するヘブライ語に由来]
ガリラヤ湖の北西岸にあった,イエスの地上での宣教において重要な役割を果たした都市。そこには収税所がありました。イエスはその収税所にいたマタイをご自分の弟子となるよう召されました。(マタ 9:9)また,軍の駐屯地もあったと思われます。というのは,ある百人隊長がそこに住んでいたからです。(マタ 8:5)それらの点に加えて,そこには奴隷たちを所有するほど裕福な,王の従者が住んでいたこと(ヨハ 4:46‐53)も考えると,カペルナウムはかなり大きくて重要な,それゆえに「ガリラヤの都市」と呼ばれるに値する都市であったように思われます。―ルカ 4:31。
二つの主要な遺跡が,カペルナウムのあった場所として指摘されてきました。カーン・ミンエー(ホルバト・ミンニーム)の廃墟は,ガリラヤ湖に面し,ゲネサレの平原の北東の隅に位置しており,多くの人からカペルナウムがあった場所とみなされました。しかし,そこでの発掘調査は,その廃墟が元はアラブ人のものであったことを示しています。それで残るのは,カーン・ミンエーから湖岸に沿って北東へさらに約4㌔,ヨルダン川がガリラヤ湖に流れ込む地点から南西にそれとほぼ同じ距離の所にある広大な廃墟,テル・フーム(ケファル・ナフーム)だけです。この辺りの湖岸の平原はかなり狭くなっていますが,古代にはヨルダン川からカペルナウムを経てゲネサレの平原を通る道路があり,メソポタミアやダマスカスからパレスチナを通ってエジプトにまで至る大通商路につながっていました。この地域は,幾つかの泉の水がゲネサレの平原を流れてガリラヤ湖の青い湖水に注ぎ込んでおり,それらの泉の水が運ぶ大量の植物性の物質に多くの魚が引き寄せられるため,漁師にとって非常に好都合な場所となっています。
「カペルナウム」とは、ヘブライ語で「ケファル・ナフム」(慰めの村)をギリシャ語綴りにしたものであるが、WTが解説するような「ガリラヤ」を代表するような「都市」というイメージではなかったようである。
ガリラヤには、ティベリアス、セッフォリス、マグダラ等の重要な「都市」(polis)がいくつもあり、それらに比すれば、カペルナウムはごく小さい町、むしろ村に過ぎなかった。
実際には、漁村であったようである。
イエスの時代には、ヘロデ・アンティパスとフィリポスとの支配領域の境界に位置していたので、収税所(2:14)や百卒長(マタイ8:5)が常駐していたのであり、WTが解説するように、多くの人口を抱える大都市だったから、というわけではない。
「ヨセフス」の著作を読むと、カペルナウムが多少の「物資の集散地」であったのは確かなようである。
WTだけではないが、多くの註解書は「カペルナウム」をイエスの時代の歴史的に重要な都市、交通の要所となる、「かなり大きく重要な都市」と位置付けている。
WTの註解では、「広大」と言いながら「平原はかなり狭く」とあるし、「大通商路」に面しているのかと思いきや「つながっている道路」があるだけと説明したり、何とか「大きく重要な都市」に仕立てようとする思惑が交錯している。
実際にイエスが「奇跡活動」を開始した場所がカペルナウムであったのかどうか定かではない。だが、イエスの奇跡伝承や聖者物語がカペルナウムに多く残されていたのは事実であろう。
マルコからすれば、エルサレム教会よりも重要なキリスト教会が存在していたのかもしれない。
いずれにしても、マルコはイエスの活動の拠点をカペルナウムに設定したのである。
マタイとルカには、カペルナウムに関して、「裁きの日」に、不信仰のゆえ「滅び」をイエスが呪詛したという伝承が伝えられている。(マタイ11:23、ルカ10:15)
マルコに、この伝承はない。
この伝承においてマタイとルカでは導入句が異なっているが、内容に大きな違いはなく、どちらもQ資料由来。
マタイは、カペルナウムを「強力な業が数多くなされながらも、悔い改め」なかった都市と並べて、「汝は天にまで上ったとでもいうのか、むしろ地獄へ」とイエスが呪詛したとしている。
ルカでもカペルナウムが、「悔い改めなかった」ゆえに、「天に高められず地獄に下る」としている。
ここから見えて来るのは、カペルナウムの庶民に対して、イエスが強力な業を数多く実施した。そこには、イエスを信奉する人々が大勢いた、ということ。
しかし、マタイ派の流れのキリスト教会(エルサレム教会を母教会とするユダヤ人系キリスト教)の宣教師をカペルナウムは受け入れなかった、ということであろう。
マタイにおいてもルカにおいても、「悔い改める」とはキリスト信者になることを意味している。
少なくてもペテロたちが形成したエルサレムのキリスト教会の宣教師たちが自分たちの教会権威に服すべきものとして統一しようとしたが、失敗した。
その腹いせに、イエスの口に呪詛の言葉を置き、伝承化され、Q資料に残されていたのであろう。
ヨハネ書でも、カペルナウムに言及する箇所(2:12,4:46,6:16-,6:59)がいくつかあるが、イエスの活動の本拠地として扱っている。
マタイとルカが共に扱っている、イエスがカペルナウムを呪詛したとするQ資料伝承は、おそらくキリスト信者間では有名な伝承であったであろうから、マルコも当然知っていたものと思われる。
とすれば、マルコはカペルナウムに関するイエスの呪詛の伝承を外したのは意図的であろう。
「悔い改め」ないから「呪詛する」とする権威主義的に強権発動するイエスをマタイとルカは採用したが、マルコは、実際のイエスにはそぐわないと判断したのかもしれない。
カペルナウムでの活動に関して、マルコが28「ガリラヤの周辺地帯全域に広まった」としているのに対し、ルカは「ガリラヤ」という地名を削除し、単に37「その周辺のすべての地域」と書き換えている。
ルカとしては、カペルナウムをイエスの活動の中心地に据えたくなかったのだろう。
カペルナウムに関して、キリスト教に関係すると思われる4世紀ごろのラビが伝える興味深い伝承がある。
カペルナウムの一般住民が異端に走って罪人となった、というのである。
二世紀初めころのラビ・ハナニヤがこの異端に反対したが、彼らは聞き入れなかった、という。(G.Dalman,Orte und Wege Jesu,3,Aufl,Gutersloh,1924)
カペルナウムはユダヤ人を源とする町であり、ラビの言う「異端」とはユダヤ教から見た「罪人」とみなされた人のことである。
おそらくユダヤ教を離れて、「異端」とされる別の宗教に宗旨変えするユダヤ人庶民が大勢いた、ということであろう。
この「異端」がキリスト教を意味するのであれば、カペルナウムには、エルサレム教会を母体とする正統派ユダヤ人キリスト教の流れとは異なる別のキリスト教会が存在しており、彼らとは異なるイエスの活動と生き方を継承しようとしていた異なる宗派のキリスト教集団が存在していたことになる。
少なくても、カペルナウムという町(村)は、伝統的かつ戒律的なユダヤ教に固着している風土の町ではなかったのだろう。
ユダヤ人の町でありながら、かなり自由な気質の住民が多く存在していたことは確かなようである。
パリサイ派の律法学者の教えよりもイエスの教えを愛した自由な気質のユダヤ人がマルコの当時からカペルナウムの民衆に根付いていたのであろう。
エルサレム教会系の権威主義的な宣教師が失敗するのも無理がなかったのかもしれない。
マルコは、イエスをナザレ出身者であることをはっきりと指摘している(1:9,24)。
それにもかかわらず、マルコはガリラヤ湖畔の村カペルナウムをイエスの最初の活動の場と設定した。
しかし、マタイは、イエスが本格的に活動をカペルナウムで始める前に、出生地であるナザレに帰している。(マタイ4:13)
一方、ルカは、イエスの活動の開始場所を出身地であるナザレの会堂に設定している。(ルカ4:16~)
二人とも、イエスが出身地でもない地方都市を本拠地として宗教活動を始めたとするマルコの記述に違和感を覚えたのであろう。
常識的に考えるなら、宗教的な、あるいは聖人的な活動をどこから最初に始めるかは、重要な問題である。
教祖の聖地になりうるからである。
マタイもルカもイエスの生誕地をエルサレムに設定しているが、まず出身地であるナザレから活動を開始するのが自然だと考えたのであろう。
しかし、マルコは、1:9,24でナザレに言及した以降は、まるで無視するかのように6章まで登場しない。
しかも、「ナザレ物語」(6:1-6)は、イエスが故郷で退けられた、という話である。
マルコにとってのナザレとは、イエスを退けた「親族」の出身地なのである。(3:20-21)
後にエルサレム教会の重鎮となったヤコブなどのイエスの親族たちに対するマルコの拒否感情がここにも見られるのである。
マルコでは、エルサレムやイエスの親族に対してマタイやルカとは異なる否定的な感情が向けられているのである。
マルコにおけるこの物語では、「カペルナウムの会堂におけるイエスの教え」(1:21-22)と「汚れた霊につかれた者の癒し」(1:23-26)の二つの要素が結合されている。
1:27-28は二つの要素の話を結びつける「結びの編集句」である。
21「安息日に会堂に入り、教えるのであった」の、「安息日」(sabbasin)は複数形で、「教えるのであった」(edidasken)は未完了過去形。
複数形の「安息日」(sabbasin)でも単数の「安息日」(sabbas)を意味する場合も多く、この個所も「ある安息日に」と単数の意味に解されることが多い。
しかし、「教えるものであった」の動詞が未完了過去であり、過去における動作の反復を意味している。
つまり、「ある一つの安息日に」という意味ではなく、「安息日ごとに」「安息日になると」イエスが会堂に出かけて行って話をして、「教えることがよくあった」、という趣旨である。
反復ゆえに「安息日」が複数形となっているのである。
NWTは、原文のギリシャ語未完了過去を「~しはじめた」と訳している。
多くの和訳聖書も同じであるが、これは未完了過去を英語の過去進行形で表現する習慣をそのまま和訳したもの。
未完了過去が出てくれば、何でも「~しはじめた」と訳せばよいとした英語訳の伝統に従っただけのものであるようだ。
原文の意味も、実際にその時から「~しはじめた」という趣旨ではない。
「安息日になるとすぐ、イエスは会堂に入って教えはじめられた」とすると、イエスは安息日をまだかまだかと心待ちにしており、安息日になると一目散に会堂に入り、大勢の人々を前に教えはじめた、というイメージになる。
現実とは考え難い。
「すると、人々はその教え方にすっかり驚いた」と続くので、奇跡的なイエスの教え方や話をイメージすることになる。
NWTでは、「イエスの教え」(his teacthing)について「すっかり驚いた」のではなく、「イエスの教え方」(his way of teaching)に「すっかり驚いた」と訳している。
その結果、「教え」(teaching)の本質ではなく、「教え方」(the way of teaching)の技術的な側面に注目することになる。
原文の「教え」(didachE)は、「教える」(didaskO)の名詞であり、「教え方」という意味ではない。KIは原文の「教え」(didachE)を、teachingと字義訳しているのであるが、NWTは、his way of teachingと「訳」している。
ちなみに、この「教え」を「教え方」と訳している和訳聖書は他に存在していない。
英訳でも、wayの意味を付加しているのは、GNT: the way he taughtだけであり、他はhis teachingと訳している。
his wayとイエス独自の教え方に驚いたという趣旨に訳している聖書はNWTのほかにはなさそうである。
RNWTは、NWTのthey became astonished at his way of teachingから、they were astonished at his way of teaching に変えているが、原文の未完了形をbecome ~と訳さず、通常の過去形に訳しているだけで、his way of teachingはそのままである。
1:23の「そしてすぐに」を時間的な意味で解釈すると、汚れた霊に憑かれた人が「すぐに」会堂にいた、というのは奇妙である。
1:21の「そしてすぐに」と同じく、時間的な意味で「すぐに」「直ちに」という意味ではなく、文の区切りを示すマルコの口癖の表現である。
1:21-22のイエスの教えに関する描写は、マルコがまとめた編集句であるが、マルコの原資料にはもっと具体的なイエスの伝承が残されていたのであろう。
そのイエス伝承をマルコは「律法学者のようではなく、権威ある者のよう」なので、人々は驚いた、とまとめたのであろう。
では、「律法学者のようではなく、権威ある者のよう」なイエスの教えとは、どのようなものだったのだろうか。
WTは次のように説明する。
*** 追 第10章 101ページ 7節 『こう書いてあります』 ***
イエスが神の言葉を引用した時のことを考えると,み言葉に深い畏敬の念を抱いておられたことが分かります。聴衆は『その教え方にすっかり驚き』ました。『イエスが権威を持つ者のように教えておられ,書士たちのようではなかったから』です。(マルコ 1:22)書士たちは教える際,いわゆる口伝律法に言及したり,昔の博学なラビを引き合いに出したりすることを好みました。イエスは,口伝律法やラビをただの一度も権威として持ち出しませんでした。むしろ,神の言葉を究極の権威とみなし,『こう書いてあります』と幾度も述べました。こうした表現を繰り返し用いて,追随者たちを教え,間違った考えを正しました。
WTの解釈によると、「書士たちの教え=口伝律法やラビを権威とする教え」であり、「イエスの教え=神の言葉を究極の権威とする教え」という理解である。
もっともであると思われるかもしれないが、「書士」と「イエス」の「教え方」(the way of teaching)の違いに着目しているだけである。
どちらも「教え」が「旧約」の権威に依存している点では、同じことを主張しているだけである。
当然ながら、書士やラビたちは、旧約を無視して、口伝律法やラビを権威としていたわけではない。
「書士」「律法学者」(grammateis)の直訳は、「書物の人たち」であり、「書物」(grammata)とは「旧約聖書」を指し、主として「律法」を指す言葉である。
律法を研究し、人々に教え、ユダヤ教の指導者になった人たちを「書物の人たち」と呼んだのである。
口伝律法(トーラー)は、「旧約」の施行細目を定めたものであるし、博識なラビたちの考え(ミドラッシュ)は「旧約」の解釈であり、むしろ「旧約」を「神の言葉」として究極の権威を持つものと考えていた。
イエスが「こう書いてあります」と「究極の権威」として言及した「神の言葉」とは、イエスの生前に「新約」は存在していないのであるから、当然「旧約」のことである。
とすれば、イエスが権威を持つ者のように教えていたという「~と書いてある」という言い方は、イエスではなく、むしろ律法学者の物言いであったということになる。
WT的には、当時の「口伝律法」は現代の「ものみの塔誌」に相当し、「博識なラビを権威とする教え」とは、「統治体の教え」や「著名な巡回や長老の教え」に相当すると考えることができるかもしれない。
WTの解釈に従えば、皮肉的な見方をすれば、あるいはそうではなくても、WTや博識な統治体を権威とする教えは、「イエスの教え方」ではなく、「書士たちの教え方」に属することになる。
「イエスの教え方」に従うのなら、聖書を独自に解釈したWTや博識な統治体の成員を「ただの一度も権威として持ち出し」ては、ならないはずである。
むしろ「神の言葉(=聖書)だけを究極の権威」とみなして、「こう書いてあります」というのが、WT的には「イエスの教え方」に従った「正しい教え」であるということになるのではないだろうか。
WTの自己矛盾的解釈を「仮にそれが事細かに記されるとすれば、世界そのものといえども、その書かれた巻物を納めることはできないであろうと思う」(ヨハネ21:25)。
聖書には、こう書かれています。
これは皮肉である。
本題に戻り…
では、イエスは、どのように「権威ある者のように」教えたのであろうか。
マルコは、「こう書いてあります」とイエスが教え、それが「権威ある者のような教え方」だったと言っているのではない。
イエス自身が「権威ある者」のように教えていた、と述べているのである。
確かに律法学者は伝承の言葉の権威に依存しており、「ラビ○○は、……と言ったラビ○○が言っている」という形式を取るのが特色であった。
先達のラビの名をあげて系譜の正当性を主張したのである。
それらのラビの系譜はモーセの律法にさかのぼることが重要なのであり、旧約に書かれていることが正しく権威ある証拠とされたのである。
それに対して、イエスはそのような伝統としての権威を引き合いに出して語ったのではなく、自分自身が「権威」を持っている者のように語った、とマルコは述べている。
しかし、イエスが旧約預言者のように直接的に神の声を伝えた、というのではない。
旧約預言者は、自分の言葉を語ろうとしたのではなく、常に神の言葉を伝えようとした。
だから預言者は常に「主はこのように言った」という導入句で民に語りかける。
律法学者がラビ的伝統と律法の権威に依存していたのに対し、預言者は直接に神の権威に依存していた。
しかし、イエスは預言者とも異なり、自らの言葉で、自らの権威で語るのである。
イエスは律法学者のように「ラビ○○は言ったと伝えられている」と教えたのでもなく、預言者のように「神はこのように言った」と教えたのでもない。
イエスは、「我、汝らに告ぐ」(egO legO humin)という言い方で教えたのである。
山上の垂訓に残されているイエスの言葉を思い出すなら、イエスの教えがどのようなものだったか理解できるであろう。
繰り返し、「あなた方は……と言われていることを聞いている。しかしわたしはあなた方に言う……であろうと」(マタイ5:21-、27-、33-、38-、43-他)と教えたのである。
あるいは、「アメーン、我汝らに告ぐ」(amen legO humin)(NWT「あなた方に真実に言いますが」)という言い方で(マタイ5:17‐、6:1‐、6:5‐、6:16‐他)、旧約にも神の権威にも依存せずに、自らの理解と判断をそのまま、人々に伝えたのである。
これはイエスが自分を神の位置に置き、自分の判断を神の判断として教えていた、というのではない。
他者の権威に依存するのではなく、しかし、自分の主張を絶対化するのでもなく、事実を事実としてありのままに見て、当然に言うべきことと判断したなら、確信を持って言う。
「はいははい。いいえはいいえ。それ以上のものは悪から生じる」(マタイ5:37)
そのようなイエスの確信が、「律法学者のようではなく、権威ある者のように教える」イエスの姿であったように思う。
マタイは山上の垂訓を「群衆は彼の教えに驚嘆したのであった。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者のように彼らを教えたからである」(7:28-29)と結んでいる。
「彼の教えに人々は驚嘆した…」というマルコ1:22をそのまま写しているのである。
NWTはマタイの箇所も「イエスの教え方」と訳しているが、人々は「イエスの教え」に驚嘆したのであり、「イエスの教え方」に驚嘆したのではない。
あくまでも、「イエスの教え」に驚嘆したのである。
マルコのこの物語のもう一つの要素である、悪霊祓いの話(1:23‐26)であるが、これは典型的な奇跡物語の型に沿っており、ほぼ伝承の言葉遣いをそのまま採用したものと思われる。
1:23の「そしてすぐに」(kai eythys)も、時間的な意味での「すぐに」という意味ではない。
前述の出来事が起きて「直ちに」という意味ではなく、次の文への移行を示しているだけである。
悪霊がイエスの名を呼ぶことによってイエスの力から身を守ろうとしたり、イエスが悪霊に「黙れ」と命令を下し、呪縛を解かせたり、悪霊が出て行く時に、ひきつけや大声をあげさせ出て行くことの証拠とする、という表現は悪霊祓い物語の典型的な特色である。
人々が27「驚いた」(exeplEssonto)という言葉で結ぶのも奇跡物語の定型である。
ローマ時代やその地方に限ったことではないが、イエス当時において、あらゆる種類の精神疾患の病気は、悪霊もしくは「汚れた霊」が憑り付いていると信じられていた。
流行性の疫病や他の病気も同様に「霊」の仕業と考えられていた。
たとえば人間が「癩病」になるのは、「汚れた霊」が人間に憑り付くから「癩病」が発症するのであり、「悪霊」が出て行くと「癩病」も去り、癩病は癒されると考えられていた。(マルコ1:42ほか)
COVID19のパンデミック時に一時流行した、アマビエや祈祷に悪霊退散を託す護符的信仰や信仰治療も、似たような発想であるように思う。
イエスが自ら、心因性の精神疾患やストレス障害の患者などの「悪霊につかれた人」から「悪霊」を追い出そうと試みたことが何度もあったことは事実であると思われる。(ルカ11:20,10:18参照)
少なくてもイエスを含めて当時の人々は、イエスの治療行為、あるいは奇跡的行為に関して、本当に「悪霊」なるものを追い出したとみなしたのだろう。
そしてそのような行為が伝説化され、物語化され、脚色が加えられ、聖人伝承として巷間に流布していくことになったのだろう。
JWの経験談が実際とはかけ離れた壮大な話に盛られていくのと同じであろう。
伝説的要素を外してこの話を分析すると、「ナザレ人イエス」が「神の聖者」という表現と結び付けられていることに気付く。
「神の聖者」という表現は、マルコにおいてはここにしか登場しない。
ヨハネ6:69には「神の聖者」という表現が用いられているが、ルカの並行を除くと新約の他の文書に「神の聖者」という表現は出て来ない。
ユダヤ教の文献でも、「神の聖者」という表現が「メシア的称号」として用いられる箇所は出て来ない。
旧約に出て来る「主の聖者」(詩篇106(105):16)という称号は、祭司アロンを呼ぶ称号であり、「祭司」と同義。
民数記16:5‐7の「聖者」も同様に「祭司」を指す。
士師記13:7,16:17の七十人訳B写本はヘブライ語原文の「神のナジル人」を「神の聖者」と訳している。
A写本は、「神のnaziraios」とヘブライ語の単語をそのままギリシャ語に音写している。
ナジル人というのはnazar(特別に選別する、神に捧げる)という動詞から派生した語で、神に捧げられた特別な人間、つまり神に対して特別に誓いを立てている人間を指している。(民数記6章参照)
WTは「開拓者」を現代の「ナジル人」と比喩しているのでご存知の方も多いと思う。
旧約偽典外典でも「聖者」という語は「天使」を指したり、「預言者」を指したりする用い方はある。
新約でもルカ1:70、使徒行伝3:21の「聖なる(者)」(tOn hagion)は、「預言者」を指しているが、「神の聖者」(ho hagios tou theou)という表記ではない。
結局、メシア的な意味で「神の聖者」という表現を用いている箇所は、マルコ(並行のルカ)とヨハネのほかには見当たらないのである。
ヨハネにおけるイエスに対するペテロの「神の聖者」という発言は、マルコにおけるイエスに対する悪霊の「神の聖者」という発言を念頭に、マルコとは別の意図で語られている。
マルコの伝承はヘブライ語原文の士師記16:17「神のナザレ人」という表現を意識して、「神の聖者」という表現と「ナザレ人イエス」という表現とを意図的に結びつけているのであろう。
つまり、一方では「ナジル人」を意訳して「神の聖者」としているのであり、他方では「ナジル人」と「ナザレ人」とを語呂合わせして「イエス」にかけているのである。
イエスが「ナジル人」であるというわけではないが、ユダヤ人のイエス信者が旧約のナジル人についての箇所とを結びつけて、イエスの活動を解釈し、伝説化されたのであろう。
実際にイエスはお酒も飲んでいたようであるし、ナジル人の誓約を立てていたはずもないのであるが、マルコは届いた伝承を採用したのであろう。
悪霊が証言した「神の聖者」という表現とそれに対してイエスが「黙れ」と命令したということから、いわゆる「メシアの秘密」なる理論が提出されている。
悪霊がイエスを「神の聖者」と呼んだのは、イエスが「メシア」であることを知っていたからであり、イエスが悪霊に「黙れ」と命令したのは、イエスが十字架刑で贖いとなるまで、人間には「メシア」であることが秘密であったから、という解釈である。
WTだけではないが、多くのキリスト教がこのドグマを受け入れている。
しかし、悪霊を追い出す時に悪霊に「黙れ」と沈黙の命令を下すのは、典型的な悪魔払いの型であることは、多くの宗教に共通する特色である。(E.Rhode,Pschyche,Bd.ll.S,427)
マルコにおいても、「黙れ」と命令するのは、「悪霊」に対してだけではなく、「嵐」を鎮める物語においても、イエスは「黙れ」と命令している。(マルコ4:35‐41)
しかも、どちらにも「黙れ」(pephimOso)と命令する際の動詞に「叱りつける」(epetimEsen)が使われている。
「黙れ」と悪霊を「叱りつける」のは、メシアの秘密を守ることを意図した命令ではなく、嵐のような形をとって活動する「霊」を鎮圧する際にも、「黙れ」と「叱りつける」。
つまり、目に見えない「霊」の作用と信じられていた症状を鎮静化する時には、「黙れ」と「叱りつける」のが定番だったのであろう。
従がって、「ナザレ人イエス」=「神の聖者」という悪霊の呼びかけも、「メシアの秘密」を守るというキリスト教ドグマからではなく、古代の宗教観から理解されるべきものだろう。
そもそも、イエスの生前にはキリスト教もキリスト教ドグマも存在していなかったのである。
古代において名前とは単なる呼称ではなく、相手の名前を知り、名前を呼ぶ、ということは相手に対して支配力を持つということを意味した。
現代でも、ファースト・ネームで呼び合う関係はかなり親しい間柄でないと違和感を覚えるものである。
仕事関係でも、肩書や名字で呼び合うのが常識的であり、日本人で名字のない天皇を名前で呼ぶ人はいないのと似た感覚である。
悪霊が自分たちの敵を前にして、「イエス」の名を呼んで抵抗したのは、自分の身を守るために「イエス」の名を口にすることにより、イエスを支配して、逆にイエスを無力にしようとしたからであろう。
しかしながら、イエスの「黙れ」という沈黙命令の力の方が強かったので、悪霊は追い出されてしまったという話の流れであろう。
そして、悪霊は追い出されていく時の証拠として、最後の抵抗を試み、沈黙が訪れた時、悪霊祓いの成功となり、人々は「驚嘆した」というのが、奇跡物語の筋である。
古代の宗教観に照らして考えるなら、WTが「神」の名を用いることをJW信者に強く勧めることは、「神」を支配する力を持ちたいという「悪霊」と同じ精神的欲求を持つ構造をしているのではないかと思う。
確かにユダヤ教には、いたずらに「神の名」を唱えてならない、という律法解釈の行き過ぎはあるのかもしれない。
しかしながら、当時の宗教観を無視して、いたずらに「神の名」を唱えて、自分の願望を遂げようとすることは「イエスの教え」とは違うように思う。
WT信者のJWは、「神の名」を口に出して祈ることや呼びかけることを神との親密さを示す証拠と考えている人が多い。
むしろ、「神の名」を呼んで、神を支配しようとする「悪霊」の精神構造と同じであるように思えるのである。
神の名の正確な発音は不明であるようであるが、ともかく神の名と信じる名前を唱えることが、神のご意思であり、身を守る助けと信じるのであれば、信仰の自由ですから、どうぞご自由に。
違う名前で呼ばれて、応える方が人違いならぬ神違いでなければ良いのですが…
これも皮肉ですが…。
本題に戻り…
「イエスの教え」と「悪霊祓い伝承」の二つの要素を一つの物語として融合させたマルコの編集には、どんな意図があったのだろうか。
「イエスの教え」に人々は「驚嘆した」(exeplEssonto)とあるが、「驚嘆する」とは通常奇跡物語の結論で使う表現であり、「教え」に「驚嘆する」(explessO)という語を用いるにはいささか違和感がある。
一方、「悪魔祓いの奇跡物語」に関しては、「権威ある新しい教え」と評価している。
「悪魔祓い」の出来事を「教え」と表現するのもやはりいささか違和感がある。
ルカは、イエスが行なった奇跡を「権威ある新しい教え」(didachE kainE kat exousian)と表現するのは奇妙であると思ったであろう。
「権威と力を持って命じる」(en exousia kai dynamei epitassei)とマルコの「新しい教え」(didachE kainE)という語を削って書き換えている。
おそらく、マルコは「イエスの教え」も「イエスの奇跡物語」もどちらも同じく「驚嘆すべき出来事」であり、「権威ある新しい教え」と相互に互換可能な評価をしているのであろう。
どのような意図でマルコは、「教え」と「奇跡」を同義の評価を持つ出来事として、イエスの最初の活動の一つの物語として融合させたのであろうか。
もしも、「イエスの教え」の面だけが強調されるなら、どうしてもイエスの生き方の実像が薄くなる。
「教え」だけが抽象化され、普遍化されてしまい、格言的教訓話として、実像としてのイエスを離れて、独り歩きしてしまう。
他方、「イエスの奇跡物語」だけが強調されてしまうなら、聖人化され、神格化された「超人」としてのイエスが独り歩きしてしまい、語られた状況での「教え」の実体が隠されてしまう。
1:27の結びの句でマルコが「権威ある新しい教え」という評価を、奇跡物語に適用することによって、「イエスの教え」と「イエスの奇跡物語」の双方を分離不可分の「イエスの実体」として位置づけようとしたのではなかろうか。
「権威ある者のように教える」イエスの姿と、「民衆の中で癒しを行なう」イエスの姿を一人の人間の生き方として描写しようとしたのではないかと思われる。
そして、そのようなイエスの姿が、「すぐにどこにでも、ガリラヤの周辺地帯全域に、広まった」、とマルコはイエスの活動のオープニングを結ぶのである。
マタイやルカのように、ユダヤ教やユダヤ政治の中心地であるエルサレムからイエスの活動が始まるのではなく、地方の庶民の村であるガリラヤの村から、マルコのイエスの活動は始まるのである。
マルコとしては、ガリラヤの民衆の中で生きて語り、人々を癒したイエスを語りたかったのであろう。
ヨハネ6:69には、「神の聖者」(ho hagios tou theou)というマルコ1:24と共通の表現が出て来る。
それは、カペルナウムでの出来事とされている。(6:59参照)
多くのイエスの弟子たちが、イエスの話を理解できず、離れて行ったとされている箇所で、ペテロだけがイエスを「神の聖者」として認めて、イエスに対する信実を全うしたと解説される個所である。
ヨハネ書の原著者の時代にも、マタイやルカのQ資料と同様、キリスト信者の間でカペルナウムはイエスに躓いた町として認識されていたのだろう。
しかしながら、ヨハネ書における「神の聖者」という表現は、マルコ書と照らし合わせて考慮すると、実に含みのある表現となっている。
参ヨハネ6
59このことを彼はカファルナウムの会堂で教えて言ったのであった。
60それで彼の弟子たちの多くの者が聞いて言った、「この言葉は堅い。誰が聞いていられよう」。61しかしイエスは、このことについて彼の弟子たちがぶつぶつ言っている、ということを自分のうちで知って、彼らに言った、「これがあなた方を躓かすのか。62それでもしも人の子がもともと居たところに上って行くのをあなた方が見たら・・・。63霊が生命を作るものなのであって、肉は何の役にも立たない。私があなた方に語った発言は、霊であり、生命であるのだ。64だが、あなた方の中には信じない者たちがいる」。というのも、イエスははじめから、どの者たちが信じないかを知っていたのだ。そして誰が彼を引き渡すか、ということも。65そして言った、「この故に私はあなた達に、誰も父によって与えられるのでない限り、私のもとに来ることができない、と言ったのだ」。
この場面でペテロがイエスを「神の聖者」と呼んだのは、イエスを捨てて、去って行った多くの弟子たちやユダヤ人たちとは異なり、十二使徒こそ、イエスのことを正しく認識していた証拠だ、解説される。
この解釈は、ブルトマンやブラウンなどの著名な聖書学者だけでなく、他の神学者たちや私の知る限りすべてのキリスト教やWTでも支持されている。
それ以外の解釈など、ありえないように思えるかもしれないが、田川訳は真逆の解説をしている。
なぜか。
まず、61「彼の弟子たち」(hoi mathEtai autou)はイエスの発言を理解できず、61「ぶつぶつ言っている」(gogguzousin)。
この「弟子たち」(hoi mathEtai)は、十二人使徒たちと区別されているわけではない。
64「引き渡した」(paradOsOn)は単数形の動詞であり、引き渡した弟子とは、ユダを指している。
イエスは、イエスに躓いた弟子たちに対し、64「あなた方の中には信じない者たちがいる」(eisin ex humOn tines hoi ou pisteuousin)と終始複数形で語る。
さらに、64「どの者たちが信じないかを」(tines eisin hoi mE pisteuontes)と複数形の動詞を使い、イエスを信じない者たちが、イエスを引き渡したユダ一人だけではなく、「十二弟子」の中に複数存在していることを示唆している。
続いて「そして」(kai)という順接の接続詞を用い、64「誰が彼を引き渡すか、ということも」(kai tis estin ho paradOsOn auton)と繋いでいる。
この場面のイエスは、イエスと供に歩むことをしなかった「弟子たちの中の多くの者」と「十二弟子たち」とを明確に区別しているわけではない。
むしろ、「イエスを信じない者たち」と「イエスを引き渡したユダ」とを、同列においている。
「弟子たち」の中の「信じない」複数の者と、順接で繋ぎ、イエスを官憲に「引き渡した」ユダとは、同質の弟子であると言っているのである。
「十二使徒たち」の複数の者と十二使徒でありながらイエスを裏切った「ユダ」とを同列の者として扱っているのである。
多くのキリスト教は、これを、「信じない」複数の者とは、「十二人」以外の「弟子たち」のことを指しており、「十二人」は正しく信じていたのだ、と解説する。
しかしながら、続く節は、その解釈が通用しないことを示している。
参ヨハネ6
66それでこの時から、弟子たちの中から多くの者が後ろに去って、もはや彼と供に歩むことをしなかった。67それでイエスが十二人に言った、「あなた方もまた去ろうとしているのではないのか」。68シモン・ペテロが答えた、「主よ、私たちが去って誰のところに行くでしょうか。あなたは永遠の生命についての発言をお持ちです。69そして私たちはあなたが神の聖者であるということを信じてきましたし、また認識もしたのです」。70彼らにイエスが答えた、「あなた方十二人を選んだのは私ではなかったのか。そしてあなた方の中から一人が悪魔となっている」。71彼はイスカリオテ人シモンの子ユダのことを言ったのである。この者が彼を引き渡すことになったのだ。十二人のうちの一人。
ドイツの著名な神学者であるブルトマン始め、他の神学者たちもほぼ同様に、ヨハネにおけるこの物語を、本当にイエスを理解し、信じることが出来なかった者たちは、一旦はイエスの弟子となったが、結局はイエスに躓いて、去って行った。
しかし、真の弟子である「十二人」は、この時にイエスのことを真に認識し、理解を示した、と解説する。
ペテロの「あなたが神の聖者です」という発言は、「十二人」こそ、イエスの真の理解者であったことを示しているのだ。
だから彼ら「十二人」は、この時以降も踏みとどまって、イエスの「真の弟子」であり続けたのだ、と解説している。
WTも同様である。
しかし、イエスは66「もはや彼と供に歩むことをしなかった」弟子たちと並べて、67「十二人」に対して、66「それであなた方もまた去ろうとしているのではないのか」(oun ho iEsous tois dOdeka mE kai humeis thelete hypagein)と質問する。
「それで」(oun)という接続詞は、前文を受けてその理由を導くものであり、「十二人に」(tois dOdeka)という句に続いて、否定語+kaiという順接の接続詞(me kai)を付けて、「あなた方は去ろうとしている」(humeis thelete hypagein)と反論しているのである。
このイエスの「十二人」に対する質問は、去って行った「弟子たち」と比べて、「十二人」は本物の弟子だ、という口調で言われているわけではない。
むしろ、その逆である。
イエスのこの問いに関して、ペテロは69「私たちはあなたが神の聖者であることを信じてきました」と答える。
しかし、ヨハネのイエスはマタイのイエス(16:16-20)とは異なり、このペテロの返答をまるで評価していない。
ヨハネのイエスは、ペテロのイエスを「神の聖者」と評価する発言に、70「あなた方十二人を選んだのは私ではなかったのか」と反論する。
さらに70「そして」(kai)、「あなた方の中から一人が悪魔となっている」と「十二人」とイエスを裏切った「ユダ」を「悪魔」として、順接の接続詞を用いて、同列において、文を続けている。
この順接の「そして」(kai)という接続詞を、和訳聖書のすべてが、逆接の意味に解させようとしている。
共同訳 「ところが、その一人は悪魔だ」
フ会訳 「それなのに、あなた方の一人は悪魔である」
岩波訳 「しかし、あなたがtの一人は悪魔である」
新共同訳 「ところが、その中の一人は悪魔だ」
前田訳 「それなのにそのうちのひとりは悪魔です」
塚本訳 「ところが、そのうち一人は悪魔だ」
口語訳 「それだのに、あなたがたのひとりは悪魔である」
文語訳 「然るに汝らの中の一人は悪魔なり」
Living B 「だが、なんてことだ。悪魔が一人まぎれ込んでいる」
NWT 「それでも、あなた方のうちの一人は中傷する者です」
RNWT 「しかし、あなた方の一人は中傷する人です」
英訳聖書も同様である。
原文では順接の接続詞であるkaiを逆接の意味に解したがる理由は、ユダ以外の使徒たちはイエスに対する篤信の信徒であるというキリスト教ドグマの刷り込みがあるからであろう。
しかし、イエスの問いに対して自慢げにペテロが答えた「あなたが神の聖者である」という返事に対して、当のイエスはまるでその答えを無視するかのように、「あなた方十二人を選んだのは私ではなかったのか」と答えるのである。
「十二人」と「ユダ」とを区別しているわけではない。
「そしてあなた方の中から一人が悪魔となっている」と付け加えるのである。
もちろん「悪魔となっている一人」とは、イスカリオテ人のユダを指しているのであるが、ヨハネのイエスは、ユダは「あなた方の中の一人」に過ぎない、と言っている。
つまり、ヨハネ書の原著者は、「十二人」が「悪魔」となった「ユダ」と本質的には同類であると評価しているのである。
マルコでは、イエスに対する「神の聖者」であるという発言は、「汚れた霊」が叫んだ言葉である。
マルコのイエスは、悪霊の言葉を「黙らせる」のであるが、「神の聖者」という発言を称賛しているわけではない。
むしろ、不快に思い、「黙れ」と命令するのである。
「神の聖者」という表現をメシア的な意味で用いているのは、マルコの箇所とヨハネの個所だけである。
ヨハネの個所でも、「神の聖者」という発言に続いて、「悪魔」に言及している。
ヨハネの原著者がマルコの場面を意識して書いていることは明らかである。
ヨハネにおいて、「悪魔」と呼ばれているのは、「ユダ」一人であるが、ヨハネにおけるペテロの「神の聖者」発言と続く、イエスの「悪魔」発言は、マルコの記述と密接に繋がっている。
マルコにおける「第一回受難予告」における「ペテロのキリスト告白」の場面を思い出してほしい。
マルコ8
29そして彼は彼らにたずねた、「あなた達自身は私が何者だと言っているのか」。ペテロが答えて、彼に言う、「あなたこそキリストです」。30そして、彼のことについて誰にも言うなと、彼らを叱りつけた。31そして、人の子は多く受難し、長老、祭司長、律法学者によって廃棄され、殺され、三日後に復活することになっている、と彼らを教えはじめた。32そしてこの言葉を公然と語った。そしてペテロが彼を連れだし、叱りつけはじめた。33彼はふり向いて、自分の弟子たちを見、ペテロを叱りつけた。そして言う、「私の後ろにひっこんでいろ、サタンよ。お前は神にかかわることを考えず、人間にかかわることを考えている」。
ペテロは、イエスが「キリスト」であると告白する。
この構図は、ヨハネにおけるペテロの「神の聖者」発言と同じである。
それに対しイエスは、「誰にも言うな」と「叱りつける」。
これは、マルコにおける「黙れ」と「汚れた霊」を「叱りつける」構図と同じである。
ヨハネのイエスは、「ユダ」を「悪魔」と呼んでいる。
マルコでのイエスは、「ペテロ」に対して33「ひっこんでいろ、サタンよ」と発言している。
ヨハネでは、ユダが70「あなた方の中からの一人」であることを指摘している
マルコでは、ペテロをサタンとする発言は、ペテロだけに対する発言ではなく、「弟子たち」を代表する存在としてペテロが叱りつけられている構図となっている。
これは、引き渡したのは「ユダ」であるが、71「十二人の一人」に過ぎないとするヨハネの構図とも同じである。
ヨハネ書の原著者は、ペテロの「神の聖者」発言を積極的に誉めるつもりで書いているわけではない。
ペテロの発言を積極的に評価しようとするのは、マタイにおける「ペテロの信仰告白」(16:16)を前提にヨハネ書を解釈しようとするものであろう。
マタイはマルコのペテロ批判をペテロ称賛に書き変えたのであるが、ヨハネ書の原著者にペテロを称賛する気持ちはない。
使徒行伝における初期キリスト教の伝承からすると、おそらくペテロは自分たちこそ、イエスの生前から、イエスはキリストだと、はっきり認識し、告白していたのだ、と自慢げに宣伝して歩いていたのであろう。
その「告白」を彼らのキリスト教の根拠に据えて、キリスト教を拡大していったのであろう。
マタイとルカはそのキリスト教の流れにある。
ヨハネのこの場面は「パンの奇跡」(6:1-13)に続く場面として描かれている。
マルコでも「第一回受難予告」(8:27-33)は、「四千人の供食」(8:1-9)の続きの場面である。
おそらく、ヨハネ書の原著者は、マルコ8:27~の場面を下敷きにしつつ、マルコ1:24の「神の聖者」発言を導入したものと考えられる。
とすれば、ヨハネさんはここでペテロに対してきわめて大きな皮肉を書いていることになる。
彼は、マルコ8:33でペテロさんご自慢の「あなたこそキリストです」発言に対して、イエスがペテロを「悪魔、サタン」呼ばわりしたことを知っている。
それで、サタンの子分たちである「汚れた霊」が言っていることをペテロの口においてやろうではないか、ということにしたのであろう。
確かにヨハネはマルコとは異なり、ペテロを「悪魔」と呼ぶことまではしておらず、「十二人」の一人は悪魔ではないか、と指摘しているだけである。
しかしながら、それははっきりと悪魔的行為をしたのはユダだけかもしれないが、ペテロをはじめとする「十二人」も本質的にはユダと同じではないか、と指摘しているのである。
ブルトマン、ブラウンほか神学者たちやキリスト教の教会での解説は、ペテロがイエスを「神の聖者」と呼んだのは、イエスを捨てた他の弟子たちとは異なり、十二使徒こそ、イエスの理解者であり、真の弟子である証拠であると解説する。
WTも同様である。
そうした解説を支持する人たちは、この場面でのイエスが、ペテロの「神の聖者」発言を誉めるどころか、まったく無視して、「十二人」に対して、批判的な言葉を投げつけていることを、どう説明するのだろうか。
ヨハネ書の著者が、ペテロの「神の聖者」発言を誉めるつもりであるなら、ほかの個所でもイエスのことを「神の聖者」と呼んだことであろう。
しかしながら、ヨハネ書においてイエスのことを「神の聖者」とする概念が出て来るのはここだけである。
この著者は、自分が積極的に採用する概念はイエス自身の口におくか、地の文で書くかのどちらかであり、「弟子たち」の口に置くようなことはしない。
イエスを「神の聖者」と呼ぶのは、「汚れた霊」(マルコ)と「ペテロ」(ヨハネ)だけなのだから、マルコとヨハネは、「ペテロ」と「悪霊」が同質であると考えていたことは、すぐ理解できるであろう。
ルカは、使徒信奉者であり、マルコの意図を理解せず、マルコの「汚れた霊」(pneumati akathartO)に、「悪魔」を入れ、「汚れた悪魔の霊」(pneuma daimoniou akathartou)と強調してくれたのだろう。