マルコ1:16-20 <ペテロたちの召命> 並行マタイ4:18-22、参照ルカ5:1-11

 

マルコ1 (田川訳)

16そしてガリラヤのほとりを通っていた時にシモンと、モンの兄弟アンドレアスが海で投網しているのを見た。漁師だったのである。17そして彼らにイエスは言った、「私の後からついて来なさい。あなた方が人間の漁師になるようにてあげよう」。18そしてすぐに、網を捨てて。彼に従った19そして少し行くと、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを見た。彼らもまた舟で網をつくろっていた。20そしてすぐに彼らを呼んだ。そして自分たちの父ゼベダイを雇い人たちとともに舟の中に残して、彼の後について行った

 

マタイ4

18ガリラヤの海のほとりを歩いていた時に、彼は二人の兄弟、テロと呼ばれるシモンとその兄弟アンドレアスが海で投網を投げているのを見た。漁師だったのである。19そして彼らに言う、「私の後からついて来なさい。あなた方を人間の猟師にしてあげよう」。20彼らは直ちに網を捨てて、イエスに従った。21そしてそこから更に行くと、ほかの二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイとともに舟で自分たちの網をつくろっているのを見た。そして彼らも呼んだ。22彼らは直ちに舟と父親を捨てて、彼に従った。

 

参ルカ5

群衆が彼のもとに群がって、神の言葉を聞いていた時に、彼自身はゲネサレト湖のほとりに立っている、ということがあったそして二艘の舟が湖のほとりにいた。漁師は舟からあがって網を洗っていた。そのうちの一艘に乗り込み、シモンの舟であったが、陸から少し漕ぎ出すようにと頼んだ。座って、舟から群衆を教えたのである。語り終えた時に、シモンに言った、「深いところまで出て行き、あなた方の網をひろげてごらんなさい」。そして答えてシモンが言った、「師よ私たちは一晩中苦労して、何も獲れなかったのですよ。でも、おっしゃるのですから、網をひろげてみますか」。そしてやってみると、非常に多数の魚を捕らえ、網が裂けるほどだった。それでほかの舟の仲間に手伝いに来てくれるようにと合図した。彼らも来て、二つの舟がいっぱいになり、舟が沈むほどだった。シモン・ペテロはこれを見て、イエスの膝もとにひれふし、言った、「私から離れて下さい。私は罪ある人間です、主よ」。漁で彼らがとらえた魚のことで、驚愕が彼を包んだからである。また彼とともにいた者たちも皆驚いた。10ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、シモンの同僚であるが、同様であった。そしてシモンに対してイエスが言った、「恐れるな、今から後はあなたは人間たちを生け捕りにする者となるであろう」11そして彼らは舟を陸につけ、一切を捨てて彼に従った

 

参ヨハネ1

35翌日またヨハネは立った彼の弟子のうち二人も36そしてイエスが歩いているのをじっと見て、言う、「見よ神の子羊」。37そして二人の弟子は彼がそう言うのを聞き、イエスについて行った38イエスはふり返り、彼らがついて来るのを見て、彼らに言う、「何を求めているのか」。彼らは彼に言った、「ラビ、訳すると先生、どこに留まっておいでですか」。39彼らに言う、「来なさいそうすればわかる」。それで彼らは来て、どこに留まっているかを見、自分たちもその日は彼のもとに留まった。およそ第十時午後四時)であった。40ヨハネから聞いて彼について行った二人のうち、一人はシモン・ペテロの兄弟アンドレアスであった。41この者がまず自分の兄弟シモンを見つけ、彼に言う、「我々はメシア、訳すとキリスト、を見つけた」。42彼をイエスのところに連れて行った。イエスは彼をじっと見て、言った、「あなたはヨハネの子シモンであるあなたはケパ、訳すとペテロ、と呼ばれるであろう」。

 

参ヨハネ21

その後イエスはティベリアスの海で再びみずからを弟子たちに顕わした。次のような仕方で現わしたのである。シモン・ペテロと、双子と呼ばれるトマスと、ガリラヤのカナ出身のナタナエルと、ゼベダイの子らほかに彼の弟子たちのうち二人が一緒にいた。彼らにシモン・ペテロが言う、「漁をしに行こう」。彼らが彼に言う、「我々もあなたと一緒に行こう」。彼らは出て、舟に乗った。そしてその夜には何も取れなかった。すでに明け方になって、イエスが岸辺に立った。もっとも弟子たちはイエスだとは知らなかった。それで彼らにイエスが言う、「子らよ、何かおかずにするもの(魚)はお持ちか」。彼に答えた、「ない」。彼は彼らに言った、「舟の右側に網を投げてごらん。見つかるよ」。それで投げた。そして魚がいっぱいで、もはや網を引き揚げることもできなかった。

 

 

 

「ペテロたちの召命」における、マルコとマタイの場面設定は、同じであるが、ルカの場面設定は異なっている。

 

ヨハネにおける「ペテロたちの召命」は、共観福音書とはまったく異なる内容となっている。

 

 

マルコは、最初の弟子の召命を、「ガリラヤの」(tEn thalassa tEs galolaias)の「ほとりを通っていた」(paragon)時の出来事としており、シモンとアンドレアスの兄弟だった、と述べている。

 

マタイもマルコと同じく「ガリラヤの海」での設定であり、「ほとりを歩いていた」(perpatOn)時の出来事としている。ただし、シモンについては、「ペテロと呼ばれる」(ton legomenon petron)という付加情報を入れている。

 

ルカは、ガリラヤの海を「ゲネサレト湖」(tEn liminEn gennEsaret)と記述しており、「ほとりに立っている」(En hestOs para)時に、シモンらが召命されたことを伝えている。

 

ルカは、ヨハネ21章と共通する奇跡的大漁話を中心に据え、マルコと共通する四人の弟子たちを召命した話に仕立てている。

 

ヨハネでは奇跡的大漁話が復活後のイエスの顕現伝承の一部として語られている。

 

ルカはガリラヤのどこかで作られた聖者伝承をイエスと結び付け、召命物語に組み込み、ヨハネは復活後のイエスに関する顕現物語に組み込んだのだろう。

 

ルカはマルコの直接の並行記事を写す時には、ギリシャ語を手直しし、多少自分の考えを導入する程度で、基本的にはマルコの文を再現している。

しかし、マルコにはない別の物語を導入する場合には、マルコのあちこちの場面設定や言葉遣いを適当に削除して利用する

 

このルカ5:1-3のゲネサレト湖のほとりで群衆がイエスの話を聞いていたという設定は、マルコ4:1の設定を借用したものである

 

ヨハネに共観福音書との共通点はほとんどない。

シモンとアンドレアスの兄弟の名前が一致している程度。

アンドレアスは洗礼者ヨハネの弟子であり、彼の言葉を聞き、自らの意思でイエスに従って行ったのであり、イエスからの召命を受けて、イエスの弟子になったのではないことを伝えている。

その舞台も、ガリラヤ湖周辺ではなく、洗礼者ヨハネの活動の場であるユダヤで起きた出来事であると想定されている。

 

もう一組の一番弟子兄弟であるゼベダイの子らに関しては、ヨハネ21:2で「ゼベダイの子ら」という表現で登場するだけで、ヤコブとヨハネの名前は、ヨハネ書には登場しない。

 

他方、共観福音書では、名前が登場するだけで、それほど目立たない存在であるフィリポスとナタナエルに関して、ヨハネ書では最初の弟子としてアンドレアスやペテロよりも重要視されている。(ヨハネ1:44‐45)

 

 

マルコ・マタイの「ガリラヤの海」とは、もちろん本当の「海」ではなく、「湖」のことである。日本語でも「うみ」という言葉が「海」と「湖」のどちらの意味にも用いられるのと同じように、ギリシャ語の「うみ」(thalassa)も「海」と「湖」は厳密には区別されていない。

 

マタイはマルコを写しているだけであるが、ルカは、ギリシャ語を母語とするギリシャ語人間らしく、ユダヤ人ギリシャ語の言い方が気になったのだろう。

正確に「湖」(IimnEn)という語を用いてくれている。

 

ヨハネ6:1では、ガリラヤ湖に関して、「ガリラヤの、つまりティベリアスの海」(tEs thalses tEs galilaias tEs tiberiasos)と同格で言い換えている。

おそらくヨハネは、マルコの「ガリラヤの海」という言い方を意識して、それは我々が通常「ティベリアの海」と呼んでいる湖のことである、と説明を加えたのであろう。(ヨハネ21:1参照)

ヨハネの時代でも、「ガリラヤの海」という言い方は一般的ではなかったことを示している。

 

「ガリラヤの海」という言い方は、当時のユダヤ教文献には一度も出て来ない表現であるという。(『マルコ福音書』上巻 p68)

 

NWTはすべて「キネレトの海」訳しているが、旧約では、キンネレト(Kinnereth)またはキンロート(Kinroth)の海(民数34:11、ヨシュア13:27、12:3、)と呼ばれており、これが訛って、後代の「ゲネサレト湖」という呼び方になったという。

 

ヘレニズム時代のユダヤ教文献でも一様に「ゲネサレト湖」「ゲネサレトの海」と呼ばれている。(第一マカバイ11:67、ヨセフス「古代史」13:158,18:28、「ユダヤ戦記」3:10:7、「自伝」65)

「ガリラヤの海」という言い方は見られない。

 

ルカが、「ガリラヤの海」ではなく、「ゲネサレト湖」と呼んだのは、それが当時の一般的な呼び方だったからであろう。

とすれば、この湖を「ガリラヤの海」と「ガリラヤ」という名前を冠して呼ぶ言い方したのはマルコが初めてであり、ヨハネの時代には広く認識されていたのかもしれない。

 

そうではないとしても、マルコは当時としてはあまり普通の言い方ではなかった呼び名を意識的に採用しているのであるから、イエスの舞台であるガリラヤ地方とは、ガリラヤ湖を中心とした地域という認識だった、ということになる。

ここにもマルコの、エルサレムではなく、ガリラヤ重視の姿勢が見える。

 

マルコは、シモンに関してここでは「ペテロ」という異名を紹介していない。

マルコでは、十二人を定めた際に、イエスがペテロという名を付けた(3:16)と紹介している。

 

マタイでは、シモンがペテロと呼ばれることは、教会の基礎岩となる重要な出来事である。(16:18)

それで、シモンに関しては最初の登場の際から、「ペテロ」の呼称を配し、「シモン・ペテロ」と紹介したのだろう。

 

ルカにおいても、シモンを「シモン・ペテロ」と言い換えて、紹介している。

しかし、マタイ16:18の「ペテロが教会の基礎岩になる」というイエスの言葉を、ルカは伝えていない。

マルコと同様に十二人の選びの際に、イエスがペテロとも呼んだ(6:14)、と伝えているだけである。

 

ヨハネは、ギリシャ語で「ペテロ(peteros)」(岩)という呼び名はアラム語の「ケパ(kEphas)」(岩)という語を訳しただけである、と紹介している。

しかしながら、マタイのように、シモンの信仰を高く評価したから、イエスがペテロという異名を与えた、という話は記述されていない。

ヨハネ書において、ペテロの扱いは共観福音書とは異なり、非常に低い。

 

ギリシャ語の「シモン」という名前は、ユダヤ系の名前の「シメオン」に由来するとWTは説明している。ちなみにWTにおけるペテロの評価は、カトリックを偽りの宗教の主要な部分と批判していながら、カトリック並の高評価である。

 

*** 洞‐2 720ページ ペテロ ***

イエス・キリストのこの使徒に関しては,聖書中に五つの異なった呼び方があります。それは,ヘブライ語の「シメオン」,ギリシャ語の「シモン」(「聞く; 聴く」を意味するヘブライ語の語根に由来),「ペテロ」(聖書中ではこの人だけが持つギリシャ名),それに相当するセム語の「ケファ」(ヨブ 30:6; エレ 4:29で用いられているヘブライ語のケーフィーム[岩]と関連があるかもしれない),そして「シモン・ペテロ」という結合形です。―使徒 15:14; マタ 10:2; 16:16; ヨハ 1:42。

 

*** 塔80 1/1 17ページ 4節 最も偉大な政府の「鍵」を用いる ***

4 イエスはかつてご自分の忠実な使徒シモン・ペテロに奉仕の特権の戸を開こうとされた際,次のように述べられました。「あなたはペテロ[ギリシャ語ではペトロス,ラテン語ではペテルス]であり,この岩塊の上に[ギリシャ語ではタウテーイ テーイ ペトラーイ,ラテン語ではハンク ペトラム]わたしは自分の会衆を建てます。ハデスの門はそれに打ち勝たないでしょう。わたしはあなたに天の王国の鍵を与えます。なんでもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものでありなんでもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」― マタイ 16:18,19。

 

 

「シモン」(SimOn)という名は、ヘブライ語の「シメオン」(ShimeOn)をギリシャ語化したものかもしれないが、SimOnという綴りの名前は、ギリシャ語でアリストファネスにもすでに登場する。

兄弟の「アンドレアス」(Andreas)は、明らかにギリシャ語名であるから、「シモン」もヘブライ語由来ではなく、もともとギリシャ語名だった可能性もある。

 

「シモン・ペテロ」を「シメオン」と呼ぶ言い方は、教会権威がある程度確立された以降の使徒15:14に出て来るだけで、ユダヤ人キリスト教系の権威を正統化したい思惑があるのであろう

 

 

マルコでは、3:16でイエスが「ペテロ」という異名を与えるまでは、一貫して「シモン」という言い方を通している。

またそれ以後は一貫して「ペテロ」という呼び名を用いており、他の福音書筆者のように「シモン・ペテロ」という呼び方はしない。

 

ただし、受難物語の14:37でイエスが「ペテロ」に対して、「シモン」と呼びかけた、という伝承が載せられている。

おそらく、これは、伝承の言葉をマルコがそのまま写したものと思われる。

初期キリスト教界においては、一般的に「ペテロ」という呼称が浸透していたのであろう。

 

ゼベダイの子ヤコブとヨハネはいずれもヘブライ語由来の名前である。

「ゼベダイ」のギリシャ語綴りでは、Zebedaiosであるが、ヘブライ語名のZebedaiにギリシャ語男性語尾-osを付けたもの。

ヤコブのギリシャ語綴りはIakObosであるが、ヘブライ語名Ia’kObに-osを付けたもの。

ヨハネ(IOannEs)は、ヨハナン(IOhAnAn)をギリシャ綴りにしたもの。

 

この四人は、使徒を中心とした初期キリスト教団の最重要人物とされている。

 

マルコでは、ペテロたち四人は、イエスが声をかけたところ、「そしてすぐに」(kai eutheOs)、網を捨てて、イエスに従った」としている。

マルコの「そしてすぐに」とは、1:10と同じく、文の区切りを示すマルコの口癖のようなもので、文字通りの時間的意味で、「○○した後、すぐに、直ちに」という趣旨ではない。

 

マタイは、マルコの口癖を、文字通りの意味で「直ちに」と解したので、前文を関係代名詞(hoi)で受け、hoi de eutheOsと書き換えている。

deは文頭を示す接続小辞であるから、マタイがマルコのeutheOsの意味を強調して受け取っていることがわかる。

 

これが実際に起きた事実であるならば、通りすがりの初対面の人間から、「我に従え」と呼ばれたので、何の前提もなしに「すべてを捨てて、弟子として従った」ということになる。

しかし、これは常識ではあり得ない話である。

「直ちに」であるのなら、なおのことである。

 

マルコによれば、イエスが悪霊を追い出した後、うわさがガリラヤ周辺全域に広まった(1:21-28)後に、イエスが会堂を「出て」、シモンとアンドレアスの家に「行った」時、姑の熱病をイエスに告げ、癒された(1:30)とする伝承を取り上げている。

 

「出て行った」(exerchomai)という動詞の主語が曖昧で、三人称単数の読みと複数の読みの写本が存在している。

 

単数の読みは、カイサリア系、西方系とB写本。

複数の読みを採用しているのは、B写本以外のアレクサンドリア系といわゆるビザンチン系の写本。

 

マルコの写本にとっては重要なカイサリア系に加えて、西方系やアレクサンドリア系の最重要写本であるB写本まで、単数形の読みを採用しているのであるから、単数形の読みを採用するところである。

 

ところが、正文批判の原則を無視して、ネストレは複数形の読みを採用している。

 

段落のはじめの動詞を写本家たちが複数の系の読みにしているのは、おそらくイエスと弟子たちがいつも一緒になって行動していた、という刷り込みがあるからであろう。

 

シモンとアンドレアスはイエスと出会い、弟子となった後も、始終、イエスに従って、イエスと一緒に活動していたのではない可能性もある。

 

マルコを読む限り、イエスは一人で会堂を出て、シモンとアンドレアスの家に行ったが、その際彼らは、会堂からイエスと一緒に同行していたのではないとも読める。

ヤコブとヨハネは一緒に同行していたのかもしれないが、彼らは、姑と一緒に家の中にいて、イエスに事情を告げたのかもしれない。

 

ガリラヤ地方でイエスが活動している限りにおいては、彼らはいわゆる出家信者ではなく、漁師を続けていながら、同時にイエスの弟子でもあった、ということなのだろう。

 

繰り返しになるが、マルコのイエスが、エルサレムに向かうのは、受難の死を遂げる時の一度だけである。

それまでのマルコにおけるイエスの活動の舞台は、ガリラヤが中心である。

 

ガリラヤにおいて、イエスが声をかけたら、「直ちに弟子になってイエスの後に従った」という表現は、使徒たち集団が発足させたエルサレム教団による理想化を読み込んだ表現であろう。

 

エルサレム教会が、初期の母教会として権威づけられていく過程において作り出された、「理想としての弟子像」を読み込み、イエスの使徒たちは、イエスに声をかけられたら、すぐにすべてのものを後にして、イエスに従った篤信の人間たちの集団であることを印象付けるために神格化されたものであろう。

 

使徒行伝の初めの数章でも、キリスト教団の参加者は、財産を一切寄贈して、共同体として参加したのであり、私有放棄をしない者には神の裁きが下る、ことにされている。(4:32-5:11)

 

これらも歴史的事実というより、初期キリスト教団において、弟子、使徒の権威を高めるために理想化された伝承であろう。

 

WTは、NWTマルコのkai eutheOsを「すると、直ちに」、マタイのhoi de eutheOsを「彼らは直ちに」、と訳し、文字通りの時間的な順位に従って「直ちに」の意味に解し、イエスの弟子の理想的かつ模範的行動として描こうとしている。

 

ルカは、マルコ(並行マタイ)とは異なり、まず先にイエスの説教と奇跡の場面を描き(4:19-44)、イエスの「神の子」信仰を確立してから、イエスが弟子たちを召命した、という構図に仕立てている。

 

ルカとしては、マルコの「そしてすぐに応じた」という召命話の奇妙さを消すために、説教と奇跡物語をその前に挿入したのであろう。

 

彼らがイエスの神の子としての活動を見聞きしていたのなら、「すぐに応じた」としても理解できるという設定にしたのであろう。

 

ルカは、マルコの「(網を)捨てて、彼に従った」「aphentes (ta diktua autOn) EkolouthEsan autO」(1:18)だけを貰い受け、結びの句で「(一切を)捨てて、彼に従った」「aphentes (hapanta) EkolouthEsan autO」(5:11)と繋いでいるので、マルコを踏襲していることが理解できる。

 

共観福音書の著者たちが集めた資料に限らず、おそらく、教会に伝わっていた伝承は、ほとんどすべて、篤信の直弟子たちの存在を前提にして語られたものであったと思われる。

 

マルコとしては、まずどのようにしてイエスの弟子たちが誕生したのかを最初において、「弟子たち」(mathEtais)とは、「常にイエスとともにいる存在」であるという基礎的理念を設定しているのであろう。

 

「弟子」(mathEtEs)の語幹となっているmath-には、the “mental effort needed to think something throughという含みがある。

 

「常にともにいる」と言っても、必ずしも物理的に常に行動を共にするという意味ではなく、精神的に常にイエスと同じ意思や理念に基づいて活動するという趣旨である。

 

マルコとしてはイエスの弟子たちとはそのような存在であるべきであると考えているのだろう。

 

 

イエスがシモンとアンドレアスに呼びかけた「人間の漁師になる」という言葉は、マルコとマタイでは、微妙に表現が異なっている。

 

その違いは、マルコの「あなた方が人間の漁師になるようにさせる」(poEsO humas genesthai helieis anthrOpOn)の中動相の不定詞「(漁師に)なる」(genesthai=to-be-becoming)をマタイが削り、「あなた方を人間の漁師にさせる」(poiEsO humas halieis anthrOpOn)と書き換えたことによる。

そのために、マタイでは主語であるイエスの使役の意味が強くなったのである。

 

マルコのイエスは「あなた方が人間の漁師になる」と言うが、マタイのイエスは「あなた方を漁師にする」と言う。

意味的にはどちらも同じであると思われるかもしれないが、マルコとマタイではイエスの向いている主体が異なっている。

 

マルコの主体は「あなた方」にある。弟子である「あなた方が」イエスの後に従うことにより、あなた方自身が「人間の漁師」になる、という趣旨である。

 

一方、マタイの主体は「イエス」にある。あなた方がイエスの後に従うなら、「イエスが」あなた方を「人間の漁師」にしてくれる、という意味になる。

 

つまり、マタイ教団のイエスに従わないなら、「人間の漁師」にはなれない、という趣旨になる。「人間の漁師」になれるかどうかは、「実際のイエスの言葉や生き方に従うか」どうかではなく、「マタイの描く神格化されたイエスに従うか」どうかにかかっていることになる。

 

現実に生きたマルコのイエスではなく、ペテロたちによるユダヤ人エルサレム教会系初期キリスト教団による神格化されたマタイ教団のイエスに従うかどうかで、イエスに従うキリスト信者であるかどうか、「人間の漁師」の資格にかなっているかどうかが判断されることになる。

判断するのは教会の指導者であり、彼らがイエスの役割を果たすことになる。

 

自らがイエスに学び、自らの意思で「イエスの後に従うか」どうかではなく、教団が描く「イエスの後に従がう」かどうか。

つまり、教団の指導者に従がうかどうかの方が重要であることにすり替えられてしまったのである。

 

マタイはマルコの文を写しながらも、自らの主義主張を織り込むため、微妙に表現を変えることにより、イエスの神格化と教会権威の確立を図っているのであろう。

 

 

この個所のNWTとRNWTのイエスの言葉を比較してみる。

NWTマルコ1:17「わたしに付いて来なさい。そうすれば、あなた方を、人をすなどる者にならせましょう」。

NWTマタイ4:19「わたしに付いて来なさい。そうすれば、あなた方を、人をすなどる者にしてあげましょう」。

 

マルコの訳はマタイよりの表現ではあるが、まだ辛うじて原文の意味を残している。

 

しかし、RNWTは原文無視もはなはだしく、完全にWT教理を読み込んだ改竄訳となってしまっている。

RNWTマルコ1:17「私に付いてきなさい。魚ではなく人を集める漁師にしてあげましょう」。

RNWTマタイ4:19「私に付いてきなさい。魚ではなく人を集める漁師にしてあげましょう」。

 

RNWTでは、マルコとマタイは、一字一句まで完全に一致している。しかもどちらの原文にも、「魚ではなく」などという句も、「集める」という動詞も、どこにも書かれていないのに、である。

 

マルコの「漁師になる」のと、マタイの「漁師にしてもらう」のでは大きな違いがあるが、RNWTでは、そのニュアンスの違いは全く伝わらない。

 

RNWTは、マタイがマルコを写しているにもかかわらず、マルコの原文を無視して、マルコの方をマタイに合わせているのである。

 

しかも、イエスの言葉にWT解釈を織り込みながら、原文の意味に忠実な訳と称しているのだから、驚きである。

残念ながら、もはや、聖書ではなく、WT教理に忠実な、WT解釈を正当化するための聖書風読み物に分類した方がよさそうな代物となってしまっている。

 

マルコのイエスとマタイのイエスは、似てて非なる者である。

マルコとマタイは異なる著者であるのだから、イエスのイメージが異なっているのは、当然と言えば当然である。

 

しかし、聖書霊感説信仰者は、無意識のうちに福音書間の矛盾を整合化する論理を構築しようとする。

聖書は神の言葉であるから矛盾があるはずがない、という信仰を前提で読むので、聖人イエス、神の子信仰に調和するイエス像を描きながら、イエスを自分が理想とする姿に作り変えてしまう。

 

それぞれの福音書のイエスが実際には何を言わんとしているのか、それぞれの著者がどんな意図でイエスの伝承を取りあげたのか、深く考えようとはしないのである。

 

たとえば聖書は神の王国という一貫した主題のもとに書かれている神の言葉であるという理念を事実と考え、自分の信仰する聖書理解やイエス像を前提にして、福音書を読み、神の子信仰やメシア信仰、終末信仰などと調和したイメージを強化させて読もうとする。

 

初めから矛盾しているものを矛盾なく理解しようとすることなど不可能である。

それ故、相互の矛盾に関しては無視するか、その都度時間的あるいは空間的設定などを次々に変えて、矛盾を解消させる論理を構築させようとするのだろう。

その結果、新たな矛盾が生じることになる。

 

あらゆる詭弁を弄しても、それでも矛盾が解消されない場合は、聖書の文言さえ、信仰と調和させようと書き換えても、問題はなし。

きっと失われた原文にはそう書かれていたに違いない、と信じるなら、それは霊的なことであり、神の意志に沿った考えであると判断するのだろう。

 

とにもかくにも聖書正典信仰は理性的な判断を狂わせるようだ。

 

閑話休題。

 

 

 

イエスが、ペテロたちに呼びかけたとされる、NWT「人をすなどる者」、RNWT「魚ではなく人を集める漁師」と訳す、原文直訳「人間の漁師」(helieis anthrOpOn)とは、どういう意味なのであろうか。

*** 洞‐1 275ページ 魚(うお) ***

比喩的な用法  聖書の中で人間はときに魚になぞらえられています。網に入る魚のように,人間も『災いの時にわなに掛かる』という観点から,召集者は人間を魚と比較しました。(伝 9:12)イエス・キリストはご自分の追随者を人をすなどる者としましたし,義人を良い魚に,邪悪な者を投げ捨てられてしまうふさわしくない魚になぞらえました。―マル 1:17; マタ 13:47‐50。

 

*** 洞‐1 1156ページ 狩猟と漁業 ***

比喩的  漁は軍事的な征服を表わす場合があります。(アモ 4:2; ハバ 1:14,15)一方,イエスは弟子を作る業を,人をすなどることになぞらえました。(マタ 4:19)エホバが『多くのすなどる者や狩人を呼びにやる』ことについて述べたエレミヤ 16章16節は,良い意味にも悪い意味にも取れるかもしれません仮にこの聖句がイスラエル人の故国への帰還について述べた15節と直接関係しているとすれば,この聖句は悔い改めたユダヤ人の残りの者を捜し出すことについて述べていることになります。そうでない場合,すなどる者や狩人とは,不忠実なイスラエル人見つけ出して一人もエホバの裁きを逃れられないようにするという目的で送り出される敵の軍勢のことになります。―エゼ 9:2‐7と比較。

 

 

WTはこの表現を「弟子を作る業」の比喩だと解している。しかし、エレミヤ16:16の「すなどる者」と関連させ、終末預言おける「残りの者」を集める業に解するには無理があるようである。「良い意味にも悪意味にも取れる」と自ら認めているとおりである。

 

エレミヤの「すなどる者」とは「人々を捕囚に追いやる者」を指しており、イスラエルの敵であるバビロニア人を指す比喩である。

つまり、マルコ(並行)の「人間の漁師」という表現を、終末と関連付けて、人々を分ける業、とか、ふさわしい人々を組織に導く業を指している解釈するには無理がある。

むしろ、「人々を捕囚にして神の民の敵であるバビロンに追いやる者」として、「人をすなどる者」とするのであれば、エレミヤの相応しい比喩と言えるのかもしれない。

 

 

マルコ(並行)では、「人間の漁師になる」ことと「イエスに従がう」こととが結び付けられている。

とすれば、「人間の漁師になる」ということは「イエスと同じ業を行なう」ことを意味しているのであろう。

 

つまり「イエスに従う」とは、「イエスが行なったような福音活動をする」こと、あるいはそれも含めて「イエスの精神を踏襲した生き方」をして、人々をひきつける人間となることを指していると思われる。

 

単に、教会指導者のイエスマンとなることや教会の宣伝マンとなることではないように思える。

 

マルコ(並行マタイ)の「人間の漁師」(helieis anthrOpOn)を、ルカは、「人間たちを生け捕りにする者」(anthropous esE zOgrOn)という表現に変えている。

 

「漁師」(helieus)という語は、「塩」(hals)から派生したもので、「塩の仕事をする者」→「海の仕事をする者」→「魚をとる者」の意味。

 

もともと「魚をとる者」という意味がある語に、属格名詞で「人間の」という語を並べるのは、ギリシャ語人間のルカにとっては違和感があったのだろう。

それで、「漁師」という語を避け、「人間を生きたまま捕ることをするであろう」と動詞を使う表現に変えたのであろう。

 

マタイはマルコの「漁師」という語をそのまま写していることが原文を見るとすぐ理解できるが、ルカもマルコを見ながら、言い換えていることが理解できる。

 

ルカが福音書の冒頭で、多くの者が手をつけた伝承を自分の方が詳細に、順序よく書いて、閣下に送呈するという体裁をとっているが、実はマルコ福音書を意識して、書き換えていることが理解できる個所の一つである。

 

RNWTの「魚ではなく人を集める漁師」というマルコとマタイの表現は、それぞれの原文ではなく、ルカの「人間を生け捕りする者」という原文の表現に解釈を織り込んで表現したものと思われる。

まともな聖書学者たちからが新世界訳聖書を相手にしないのは当然のことであろう。

 

それはともかくとして、マルコにおいて「弟子たち」の象徴的な存在であるペテロは「イエスのような生き方をした人物とは描かれていない。

 

マルコにおけるペテロの最後の登場は、イエスの受難に際して、イエスを否認した人物として描かれている。(14:71)

 

初期キリスト教団において、使徒という絶対的権威を持っていた指導的立場の存在は、「常にイエスとともにいる存在」でもなく、イエスを裏切り、イエスの仲間であることを否認する存在として、マルコでは登場するのである。

 

イエスの言葉を思い出し、「身を投げ出して、泣いた」状態のままで終わるのが、マルコにおけるペテロの姿である。

 

マルコが、エルサレムで初期キリスト教団を設立した使徒集団とその権威に対して、批判的な思いを持っていたのは明らかであろう。

 

「使徒」、「弟子」と威張っておいでですが、イエスを否認したのは、ほかならぬ「使徒」と称し「弟子」である、と公言されているあなた方ではないですか。

 

イエスの弟子であると公言なさるのであれば、イエスと常に同じ精神を踏襲する生き方をし、本当にイエスが話した言葉に従うべきなのではありませんか、と言いたかったように思えるのである。

 

「真のクリスチャン」と自称する方々や「神から聖霊により証印を押されている」と自己申告されるにもかかわらず、イエスとは似ても似つかない生き方をされている方々にも、マルコが現代にいたなら、同じような批判を展開するのではなかろうか。

 

 

ついでに、ヨハネ福音書における最初の弟子召命物語にももう少し触れておく

ヨハネ福音書では、マルコ(マタイ)ともルカとも異なる、まったくの別の伝承を伝えている。

 

共観福音書では、まず四人の者がイエスの弟子になったとしているが、ヨハネでは五人である。しかも、メンツが違っている。

マルコ(並行)では、ペテロとアンドレアス、ヤコブとヨハネの二組の兄弟に、イエスが呼びかけて、それに対して四人がすぐに呼応し、イエスの後に従う、という構図である。


しかし、ヨハネでは、イエスから召命を受けるのは、フィリポスだけである。共観福音書では十二使徒の一人として名前が出て来るだけの人物である。

 

洗礼者ヨハネの弟子であった二人がイエスについて行く。

そのうちの一人はアンドレアスであり、ペテロに証言してイエスのもとに連れて行く。

ヨハネの弟子であったもう一人に関して、名前も記していない。

翌日、フィリポスがイエスから召命を受け、ナタナエルに証言し、イエスを認める。(1:43-51)

 

つまり、ペテロとアンドレアルは登場するが、ヤコブとヨハネは登場しない。

代わりフィリポスとナタナエルの名があげられており、名前の明かされていない洗礼者ヨハネの弟子であったもう一人の人物の合計五人がイエスの最初の弟子となったとヨハネ書は述べているのである。

おそらく五人全員が洗礼者ヨハネの弟子であった可能性が高いと思われる。

 

共観福音書では漁作業中に召命を受け、イエスの後に従ったとされているが、アンドレアス(ともう一人の弟子)は洗礼者ヨハネの弟子として洗礼活動中に、イエスについて行ったのであり、イエスの呼びかけに応じて、後について行ったのではない。

しかも、最初にイエスをメシアと認定したのは、ペテロではなく、アンドレアスが最初だったとしている。

 

そして、ゼベダイの子であるヤコブとヨハネは、ヨハネ書における「最初の弟子たちの召命」伝承には登場しない。

21:2でヨハネという名前を挙げずに単に「ゼベダイの子ら」という呼び方で彼らに言及されているだけである。

しかしながら、21章は原著者の文ではなく、後代における教会的編集者の付加文である。

 

その後もヨハネ書には、ゼベダイの子らは登場しないのである。

 

共観福音書においては、ヤコブとヨハネはペテロとともにイエスの弟子たちの中でも最も重要な三人組である。

アンドレアスよりもペテロの方が重要視されている。

 

キリスト教の出発点であるエルサレム教会における三人組の重要性についてヨハネ福音書の原著者が知らなかったとは考えにくい。

ヨハネ書の原著者はゼベダイの子たちを意図的に黙殺しているのである。

 

ヨハネ書において、イエスから「わたしについてきなさい」と召命されているのは、フィリポスだけである。(1:43)

シモン・ペテロやアンドレアスよりもフィリポスの方がヨハネ書でははるかに重要視されている。(6:5,7、12:21,22、14:8

 

ヨハネ書の原著者が何を意図してそのような描き方をしたのかは、別の機会に譲ることにするが、弟子たちの召命物語は、どの伝承が真実を伝えているのか、などと詮索しても、今となっては確かめようもないことである。

 

どれをどのように信じても、信仰の自由でしょうが、福音書はイエスの姿を、角度を変えて描いている一つの真実の記録の書であると信じるのだけは止めた方がよいようである。

 

また、福音書の中で最初書かれたのは「マタイ書」である、と教える組織や解説書も、うのみにしない方がよさそうである。