マルコ 1:14-15 <福音の宣言> 並行マタイ4:12-17
マルコ 1 (田川訳)
14ヨハネが引き渡された後、イエスはガリラヤに来て、神の福音を宣ベ伝え、15言った、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音において信ぜよ」。
マタイ 4
12ヨハネが引き渡されたと聞いて、彼はガリラヤへと去った。13そしてナザレをあとにし、ゼブルンとナフタリの地域にある海ぞいのカフェルナウムに来て、住んだ。14預言者イザヤを通して言われた言葉が成就するためである。15「ゼブルンの地よ、ナフタリの地よ。海ぞいの道よ、ヨルダンの対岸よ、異邦人のガリラヤよ。16闇に住む民は大いなる光を見た。死の地域、死の陰に住む者たちに光がのぼった」。17この時からイエスは宣べ伝えはじめて、言った、「悔い改めよ、天の国が近づいたのだから」。
ルカ 4
14そしてイエスは霊の力においてガリラヤへともどって行った。そして周辺のすべての土地に彼について噂が広まった。15そして彼は彼らの会堂で教え、すべての人々が、彼に栄光を帰した。
16そしてナザレに行った。自分が育てられた土地である。自分の習慣に従って安息日に会堂に入り、読むために立った。17そして彼に預言者イザヤの巻物が与えられた。そして巻物を広げ、次のように書かれてある個所を見つけた。
18主の霊が私の上にある。
主が私に油注ぎ給うたからだ。
貧しい者たちに福音を伝えるために、
私を遣わし給うたのだ。
囚われた者たちに開放を、
また盲人に見えるようになることを告知するため、潰された者たちを解放して送り出すため、
19主に受け入れられる年を告知するためである。
20そして巻物を閉じて世話係の人に返却し、座った。そして会堂にいるすべての者の眼が彼を見つめたのである。21そして彼らに対して、ここに書かれてあることが、今日、あなた方の耳で成就したのだ、と語りはじめた。
マルコにおけるイエスの宣教宣言とマタイにおけるそれとは、微妙に異なっている。
マタイとルカは、イエスの宣教宣言をイザヤ預言と関係づけているが、それぞれ異なる箇所の引用としている。
ヨハネにイエスによる活動開始宣言は出て来ない。
初めから、象徴的なロゴス(ho logos)として登場する。
マルコは、「ヨハネが引き渡された後」(meta de to paradothEnai ton iOannEn)、イエスが宣教を開始した、と述べている。
マタイも同じく、「ヨハネが引き渡されたとイエスが聞いて」(akousas de ho iEsous hoti iOannEs paredothE)、と過去形で述べており、イエスの宣教開始は、ヨハネが引き渡された後としている。
「引き渡す」(paradidOmi)とは、支配当局に逮捕されること意味する語で、特にイエスの逮捕について良く用いられている。(9:31、14:10、15:1ほか多数。新約全体で120回)
マルコに従えば、洗礼者ヨハネとイエスの宣教とは基本的には重なっていないことになる。
洗礼者ヨハネ教団としては、「悔い改めの洗礼を宣ベ伝えていた」(1:2)のかもしれないが、ヨハネ自身の洗礼活動は終了した後に、イエスの宣教活動が始まった、と読める。
とすれば、ペテロをはじめとするイエスの弟子たちは、イエスの宣教開始宣言後に、招命を受けるのであるから、ヨハネから洗礼を受けていたかもしれないが、洗礼者ヨハネとは活動を共にしていないことになる。
しかしながら、ヨハネ福音書は、マルコのこの記述を否定している。
イエスが弟子たちとともにユダヤで洗礼を施していたが、「ヨハネもまたエルサレムに近いアイノーンで洗礼をさずけていた。……つまりヨハネはまだ牢獄にとらわれてはいなかったのである」(3:22-24)とある。
ヨハネ福音書に従えば、イエス集団と洗礼者ヨハネ集団は、エルサレムの比較的近くで、互いに同時に洗礼活動をしていたことになる。
マルコは、洗礼者ヨハネとイエスを分離させ、先駆者とキリストという構図で描こうとしている。
マタイはマルコ以上に露骨にイエスを上位におこうとしているし、ルカはイエスとヨハネとの洗礼の関わりを消そうとしている。
洗礼者ヨハネの逮捕はヘロデ・アンティパスの治世中(前4-後39)の出来事である。
イエスの死は30年前後であるから、マルコに従うなら、洗礼者ヨハネの宣教期間は30年以前には終了していなければならない。
ヨハネ自身のイエスの先駆者としての洗礼活動は、非常に短い期間のものとなるし、イエスの活動期間も非常に短いものとなる。
ヨセフスはアンティパスがアレタスとの戦争(後36年頃)に敗れたのは、ヨハネを処刑したことの天罰だ、と噂されたとしている。(『古代史』18・5)
ヨハネの処刑がいつ行われたのかはっきりしないが、ヨハネの捕縛はイエスの処刑(30年ごろ)以前でなければならない。
ヨセフスに従がうなら、ヨハネの捕縛後に、イエスが宣教を始めるのには、不可能であると思われる。
あるいは、アレタスとの戦争までの6年以上にわたる長い間、ヨハネに対する処刑故に天罰が下ると噂されていたことになるのだが…
いずれにしても共観福音書の著者たちは、必ずしも、歴史的な事実をそのままルポルタージュとして描こうとしているのではなさそうである。
ヨハネ福音書の著者は、マルコの間違いを指摘するために、宣教者ヨハネとその弟子たちも、イエスとその弟子たちも、洗礼を施し、悔い改めの宣教をしていたとする記事を書いたのであろう。
後(4:2)で、実際には、イエスは洗礼を施しておらず、弟子たちだけが施していたのだ、と訂正している。
おそらくイエスの弟子たちの実態としては、イエスの活動開始以前から洗礼者ヨハネの弟子として洗礼活動を行っていたのだろう。
イエスの活動が始まり、イエスの評判が高まって行くに連れ、イエスの弟子となったヨハネの弟子たちもイエスの人気を利用して洗礼を施しており、洗礼者ヨハネの洗礼活動と拮抗するようになっていったのだろう。
実際にイエス自身は洗礼を施すことはしておらず、弟子たちが施していたのであろうが、やがて両陣営の間に緊張が生まれるようになったのだろう。
ヨハネの逮捕後、ヨハネの弟子たちの洗礼活動は衰退していき、イエスの弟子たちの洗礼活動の方が興隆し、キリスト教に引き継がれていったというところだろうか。
マルコにおけるイザヤ預言の成就とされている洗礼者ヨハネとイエスに関する二重の適用から来る矛盾や、マタイおける洗礼者ヨハネとイエスの活動開始の宣言が「悔い改めよ、天の国が近づいたのだから」とまったく同じ音信で始まっていることなどを史実的な資料と合わせて考えると、上記のような実態が想像される。
マルコは「ガリラヤに来て」(Elthen ho iEsous eis tEn galilaian)イエスの活動の始まった、としている。
一方マタイは、イエスが「ガリラヤへと去った」(anechOrEsen eis tEn galilaian)、その後「ナザレを後にし」(katalipOn tEn nazareth)、イエスの活動が始まった、としている。
マルコでは、イエスが洗礼者ヨハネのもとに出て来た時に、すでに「ガリラヤのナザレを出て来て」(1:9)いるので、イエスの宣教活動の舞台をガリラヤ湖畔に移動させても違和感はない。
一方、マタイは、イエスがナザレを拠点とした人物だと最初に説明してしまった(2:23)ので、高地のナザレからガリラヤ湖畔に活動の舞台を移動させるために、説明を要することになったのである。
話の筋をマルコに準じながら、マルコと設定を変えたので、マルコとは異なる説明をして整合性を取ることが必要となったということだろう。
マルコの「ガリラヤ重視の指向」は非常に強い。
他方、マタイやルカは、「エルサレム指向」が強い。
マルコでは、主人公であるイエスが最初に登場する場面(1:9)でも、宣教開始の場面(1:14)でも、最後の晩餐後にオリーブ山に行く時にも(14:28)、復活後においても「あなた方を先立ち導いてガリラヤへと行く」(16:7)とあり、一貫して「エルサレム」ではなく、「ガリラヤ」に思いの中心があるイエスが描かれている。(他にも1:16,28,39、3:7、7:31、9:30、15:40,41)
マルコにおいて、イエスが「エルサレム」に上るのはただ一度だけである。
「エルサレム」への旅立ちは「死」への旅立ちである。
マルコにおける「エルサレム」は、イエスがキリストとなった町ではなく、イエスを殺した町である。
一方、マタイは、イエスの洗礼物語の前に、ダビデにつながる系図を配し、エルサレムでの誕生物語を置き、イエスがガリラヤ出身ではなく、ユダヤのベツレヘム出身に仕立てようとしている。
マタイにとって、キリストが生まれる町は、「聖なる町」であり、「王の住まい」でもある「エルサレム」でなければならないのだろう。
マタイは旧約預言の成就という形の定型引用を多用しているが、「エルサレム」重視であり、「ガリラヤ」は脇に追いやられている。
マタイ2;23でも旧約に「ナザレ人と呼ばれる」とあるから、渋々、仕方なく「ナザレと呼ばれる町に住みついた」ことにしたとさえ感じられる。
1:9「イエスがガリラヤのナザレから出て来た」とあるマルコ福音書が広く流布していたので、出身地まで誤魔化すことは出来なかったのであろう。
マタイにとっては、イエスがナザレ人であるかどうかという問題よりも、旧約預言成就としてのキリスト・イエスの存在が重要なのである。
マタイの中で、この後に生じる漁師である「ペテロたちの召命」は、自らイエスをナザレ人と設定したにもかかわらず、ナザレではなく、ガリラヤ湖畔で生じる。
ナザレはガリラヤ地方の高地であるが、ペテロたちが生活していたのはガリラヤ湖畔の町である。
そのため、イエスには「ナザレをあとにする」必要が生じたのである。
マタイが「預言者イザヤを通して言われた言葉」とは、イザヤ8:23-9:1の引用であるが、七十人訳ともヘブライ語本文とも一致しない。
文意は七十人訳とほとんど同じであるが、言葉遣いがいろいろと異なる。
七十人訳
「ゼブルンの地、ナフタリの地、海辺の道、そして海沿いやヨルダンの向こうに住む残りの者たち、異民族の者たちの(住む)ガリラヤ、ユダヤの諸地域、闇の中を歩んでいる民よ。おまえたちは見るのだ、大きな光を!死の陰の地に住む民よ。光がおまえたちの上に輝く」(秦訳)
ヘブライ語本文
「先にはゼブロンの地、ナフタリの地に恥を被られたが、後には海辺の途、ヨルダンの彼方、異国人の地方に栄光を与えられた。暗闇を歩んでいた民は大いなる光を見、死の陰の地に坐したる者に光が照らした」(関根訳)
マタイの引用文がどのようにして形成されたかは不明。
しかしながら、イザヤの「海ぞいの道」とは、文字通りの「海」=「地中海沿岸地帯」、つまり、フェニキア地方を指している。
しかし、マタイは「海」=「ガリラヤ湖」と解釈し、「ガリラヤ湖ぞい」の意味で、預言成就の定型引用としている。
地中海を指している表現を「海」=「湖」であるから、「ガリラヤ湖」でも預言成就だとすり替え、我田引水した解釈である。
ルカの「エルサレム」指向は、マタイ以上に強い。
それでも、イエスの活動の始まりを、「ナザレの会堂」に設定している。
マタイと同じく、マルコの記述を無視することは出来なかったのだろう。
しかしながら、マルコとは異なるナザレのおける「イエスの活動宣言」としている。
ルカでは、悪魔の誘惑を退けた後、「ガリラヤへともどって行った」(4:14)という設定にしてある。次の場面が「ナザレの会堂でのイエスの活動」であったとしても違和感はない。
マタイもそうであるが、特にルカは、マルコの構成とは異なる編集方針のもとに、順番を変えて構成されている。
マルコに、ルカにおける「ナザレの会堂」におけるイエスの活動開始宣言はない。
もちろんマタイにもない。
ルカは、ユダヤ民族がイエスを拒絶したので、キリスト教はユダヤ民族を捨てて、異邦人へと向かって行く、というシナリオを「ナザレの会堂」におけるイザヤ預言の成就とすることにより、展開させようとしているのである。
おそらく、ルカ個人の創作というよりも、ルカ周辺のキリスト教会で形成されていた伝承であろう。
ルカは、「イエスの洗礼」伝承においても、マルコの「ガリラヤのナザレから出て来た」という句を削除し、単に「イエスもまた洗礼を受け」としている。
意図的に「ガリラヤ」や「ナザレ」という語を排除しようとする意図が見える。
マタイの引用であるイザヤでも「異邦人のガリラヤ」と表現されているように、南のユダヤ人にとっては、イザヤの時代から「異邦人」の臭いがする辺境地方だったのだろう。
「ガリラヤ」は北のイスラエルに属し、「エルサレム」は南のユダヤに属する町である。
ユダヤ教の聖地である「聖なる町」「エルサレム」からすれば、「ガリラヤ」は「闇の中」「死の陰の地」のようなものだったのだろう。
イエスの活動の場を、「ガリラヤ」に設定したマルコは、「神の福音を宣べ伝えた」(kErussOn to euaggelion tou theou)と続けている。
マタイは単に「その時からイエスは宣べ伝えはじめた」(apo tote Erchato ho iEsous kErussein)としている。
マタイのイエスは、「福音」(to euaggelion)ではなく、「悔い改めよ」(metanoeite)という命令と「天の国が近づいたから」(eggiken gar hE basileia tOn ouranOn)という理由を添えて、「宣べ伝える」のである。
マルコはイエス自身が「宣教する」(kErussOn)者であり、宣教の内容は定冠詞付き「福音」(to euaggelion)であるとしている。
マルコにとっての定冠詞付き「福音」とは1:1「イエス・キリストの福音」である。
イエスは自ら「福音」を体現しているものであり、「宣教する」存在なのであろう。
マルコにとって、「イエスの活動が持っている意義」を含めて、The「福音」であり、「イエス・キリストの福音」なのであろう。
「神の福音」とは、マタイの言うところの「天の国」についての福音のことではない。
属格の「の」を目的格的属格と解すると「神についての福音」となるが、ここは主格的属格である。
つまり、「神が持つ福音」「神から送られた福音」という趣旨になる。
「福音」に「神の」という属格を付ける表現(to aggelion tou theou)は、パウロ書簡に多く見られる。
マルコのこの個所と、疑似パウロ系書簡の第一ペテロ4:17以外は、パウロ書簡にしか出て来ない。(ローマ1:1、第二コリント11:7、第一テサロニケ2:8,9)
つまり、「神の福音」という表現は、パウロ派キリスト教用語に属する表現である。
しかし、パウロは、自分が宣教している「福音」、つまり「パウロ派的キリスト教解釈」を「神の福音」と呼んでいる。
十字架後のキリストとなったイエスにしか興味がないパウロにとって、生前のイエスのことなどどうでも良いことであり、マルコのように「イエス自身の存在や生き方」を「神の福音」と呼んでいるのではない。
同じ言葉を使っていても、パウロとマルコのイエスに対する意識は大きく異なっている。
マルコはパウロ派が「神の福音」と称するいわゆる「キリスト教」を宣教していたことを知っていたのであろう。
パウロが使う意味とは「異なる意味」でパウロ派用語を用い、「神の福音」と呼んで、「イエスの宣教の開始」を宣言しているのである。
当然、そこにはパウロの対する批判が含まれているのだろう。
ちょっとお待ちなさいな、パウロさんよ!
「神の福音」「神の福音」(to agglion tou theou)と称して、勝手なキリスト教を宣教しておられますが、イエスと違う教えを「神の福音」(to agglion tou theou)としてお披露目するのはいかがなものでしょうか…。
「神の福音」(to agglion tou theou)とおっしゃりたければ、まず「イエスの実存」を評価し、「イエスの生き方」を踏襲するのが筋ではございませんか…、と言いたかったのだろうか。
マタイは、「この時からイエスは宣べ伝えはじめた」(apo tote Erchato ho iEsous kErussein)としている。
「はじめた」(Erchato)は、中動相アオリスト形であるから、この時からずっと「○○しはじめた」という趣旨になる。
文字通りに解すると、イエスはこの時だけでなく、それ以後も、「悔い改め」の呼びかけを続けていた、という意味になる。
イエスが宣ベ伝えたとしている「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」(metanoeite Eggiken gar hE basileia tOn ouranOn)という言葉は、3:2の洗礼者ヨハネの宣教の開始宣言とまったく同じである。
マタイは、洗礼者ヨハネの洗礼は、「水による」(en hydati)洗礼、イエスの洗礼は「聖霊による」(en pneumatic hagio)洗礼と分離させているが、宣教内容はどちらもまったく同じ「悔い改め」と「終末信仰」。
つまり、イエス集団はヨハネ教団と同じ活動をしていたが、イエスの死後、キリスト教団が、「水の洗礼」を「霊の洗礼」と称して、ヨハネの言葉をイエスの口に置き、ヨハネ教団を吸収し、引き継いだものと考えられる。
マタイとしては、ユダヤ教からキリスト教団の移行の正統性を担保するために、敢えて、洗礼者ヨハネの宣教の言葉とイエスの宣教の言葉を揃えたのであろう。
神の恵みは、ユダヤ教からキリスト教へと移ったのだと。
しかもそれは神の意図するところだったということは旧約預言成就からして明らかである、と言いたいのであろう。
マルコが語る福音の内容は、4つ。
4つの文が断定的な言い方で並べられている。
「時は満ちた」(peplErOtai ho kairos)。
kai「神の国は近づいた」(Eggiken hE basileia tou theou)。
「悔い改めよ」(metanoeite)。
kai「神の福音において信ぜよ」(pisteuete en tO euaggeliO)。
原文は2+2の様式になっており、「時は満ちた」と「神の国は近づいた」はkai(=and)で繋がれており、「悔い改めよ」と「神の福音において信ぜよ」がkai(=and)で繋がれている、二つのブロックで構成されている。
アラム語・ヘブライ語の詩における二行並行のような形式である。
ヘブライ語詩文形態と解すると、はじめの二つと後の二つをそれぞれ一対の表現とみなし、同義反復とも考えられる。
後半の二つ「悔い改め」と「神の福音」という表現は、イエス自身の言葉というよりも、死後のキリスト教団に属する用語である。
それと対比させるように前半の言葉が並べられている。
前半の二つのロジックをイエスの自身に属する言葉として、後半の二つのロジックは使徒キリスト集団に対しする批判として、マルコは意図的に配置したのだろうか。
「時は満ちた」の「時」(kairos)は、パウロのガラテア4:4「時が満ちた」の「時」(kronos)とは異なる単語が使われている。
パウロの場合は救済史的時間表を念頭に、一定の定まった期間が満ちて、神がその子を派遣して、女から生まれさせた、という趣旨である。
一方マルコの「時」(kairos)は、「今の時点の時」「良い機会」という意味であり、「今こそ宣教を開始する決定的な時だ」という趣旨である。
パウロが意図しているように、神が定めた時間表の「時刻」(kronos)が到来したので、宣教開始した、という意味ではない。
「神の国は近づいた」(Eggiken hE basileia tou theou)の「近づいた」(Eggiken)は完了形である。
字義通り解釈すると、動作の完了ということだから、神の国はもうすでに近づいてきてしまっている、ということになる。
つまり、神の国はもうここに来ている、現在の事柄であるという趣旨になる。
アラム語の「近づく」という動詞の完了形は、同じアラム語系に属する日本語の「春が来た」と同じように、「来ている」ということも意味する。
とすれば、マルコは「神の国」が近い将来に到来する、という意味で言っているのではなく、イエスの福音の宣教とともに、現に神の国は来ているという意味で言っているものと思われる。
ユダヤ教においてもキリスト教においても「神の国」とは、悪と矛盾に満ちた此の世に対して終末をもたらす状態の到来である。
ただし、ユダヤ教の終末メシア信仰に見られる「神の国」思想とイエスの「神の国」思想は、同じものではない。
ユダヤ教における神の国信仰においては、救済の対象になるのはあくまでもユダヤ人、あるいは改宗者に限定される。
ユダヤ人に限定されているわけではないという点ではキリスト教団も同じであるが、マルコのイエスが語る「神の国」思想は、「エルサレム」vs「ガリラヤ」という構図を描きながら、特に「ガリラヤ」の救済に向けられているようである。
「ガリラヤの人々」の救済という意味ではなく、当時の「ガリラヤ」という土地が持つ地域性や精神的風土を表象として、「エルサレム」を表象とする救済と対照させているようである。
イエスの後のキリスト教団は特にエルサレムを中心としたキリスト教団は、ユダヤ教の「神の国」信仰をキリスト教的「神の国」にスライドさせただけで、本質的にはユダヤ教と一派閥のような宗教集団だったのだろう。
マルコのイエスは「神の国」については語るが、「神の国を信ぜよ」とは言わずに「福音を信ぜよ」と言う。
マルコの「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」という四つの要素を、マタイは、最初と最後の要素を削り、「悔い改めよ、天の国は近づいたのだから」と二つの要素だけを残し、「だから」(gar)という理由を表わす接続詞を加えて書き換えた。
マタイにおいて、イエスは、「天の国」の根拠にして、「悔い改め」を呼びかけて宣教した、ということにしてしまったのである。
マルコが「悔い改めよ」と「神の国は来た」という句を並列に並べている。
ということは、両者が同じ事態を言い換えて表現しているとも考えられる。
2+2の構造で、4つを並列に並べているということは、
「時は満ちた」=(今こそその時である)、「神の国は来た」=(今は神の国が来ているのだ)。
それは同時に、「悔い改めよ」=(悔い改める時だ)、「福音において信ぜよ」=(イエス・キリストの福音を根拠に信じる時だ)、
とマルコは言いたいのではなかろうか。
さらに、後半の二つにはキリスト教団に対する批判が潜んでいることを考慮すると、「彼らの説く悔い改め」ではなく、「彼らの福音」ではなく、「イエスの実存と生き方を信じて」という意味も込められているのだろう。
マルコの「福音において信ぜよ」(pisteuete en tO euaggeliO)の「において」はen=inという前置詞を使っている。
ギリシャ語の「信じる」という動詞は自動詞であるから、信じる「対象」となるものに対して、普通は前置詞を付けずに「与格」を置くか、前置詞を付けるのであれば、eisかepi(~の上に)、あるいはpros(~に対して)を用いる。
en(~の中に、おいて)を用いる用例は出て来ない。
つまり、「信じる」という動詞にenという前置詞を使った場合、単に「福音を信じる」という意味ではなく、直訳するなら、「福音において信じる」という含みのある表現となる。
eisとenは混同されるから、同じだと思われる方もいるかもしれないが、それはenの代わりにeisが用いられる場合であり、eisの代わりにenが混同されて用いられる例はない。
つまり、マルコは意図的に「福音において信ぜよ」(pisteuete en tO euaggeliO)と言っているのであり、単に「福音を信ぜよ」と言っているわけではない。
マルコとしては、定冠詞付き「福音」という言葉の中に含まれる「イエスのすべて」を信じなさい、という意味が込められているのだろう。
マタイは、マルコの「イエスという福音」を、ユダヤ教においてメシアとされた洗礼者ヨハネの言葉をそのまま利用して、もうすぐ天の国が到来して神の最後の審判が始まるのだから、悔い改めて、我々と共に行動して、最後の審判を通過しよう、という趣旨の「福音」にしてしまったのである。
マタイもルカも洗礼者ヨハネの宣教の中心であった「悔い改め」と「神の国」を中心にイエスの宣教を描こうとする。
しかし、マルコのイエスが「悔い改め」を口にするのはここ一か所だけである。
「悔い改め」という語は6:12にも出て来るが、その「悔い改め」は洗礼者ヨハネに関するものでイエスが口にする「悔い改め」ではない。
マルコのイエスは基本的に「悔い改め」を口にしない。
マタイとルカのイエスは、「悔い改め」と「終末の裁き」を結びつけて語る。(マタイ11:20-24、12:41、ルカ5:32、10:13、11:32、13:1-5、15:7、17:4、24:47)
マルコのイエスは、被支配者層の弱者に対して奇跡や癒しを行なう人であり、祭司たちや神殿貴族、律法学者や長老などの宗教支配者層に対して厳しく抵抗する人である。
マルコのイエスは、支配者層だけでなく、使徒とされる弟子たちに対しても批判的なイエスである。
マタイとルカは、使徒たちの直弟子たちをイエスの側近、信仰の模範として特別扱いする。
マタイのイエスは、山上の垂訓を語る説教壇からの教団の指導者のイメージが非常に強い。
イエスは、優れた律法教師である。
ルカのイエスは、神の国と悔い改めを宣ベ伝える宣教者のイメージが非常に強い。
それは、ルカが「福音」(euangelion)という名詞ではなく、「福音する」(euangelizomai)という他動詞を多用することと無関係ではない。
多くの訳が「福音を告げる、伝える、宣ベ伝える」と訳している。
NWT(RNWT)は、マルコ原文の「福音を信ぜよ」(pisteuete en tO euaggeliO)を、「良いたより(良い知らせ)に信仰を持ちなさい」と訳している。
「信じる」という動詞表現ではなく、「信仰」という名詞表現にしたのは、「WTが説くキリスト教信条だけを信じなさい」と読ませたいからなのだろう。
もしかしたら、en euangelion=in good-newsであるから、「良いたよりを」ではなく、「良いたよりに」であると考え、日本語的に「信仰を持ちなさい」と整えただけかもしれない。
しかしながら、原文は「信じる」という一語の動詞である。
「信仰」という語を使うと、特定の宗教信条を信仰する、という意味になる。
原文の動詞は、「信頼する」「信実である」という意味の自動詞である。
それを「信仰を持つ」という意味の他動詞であるかのように、「訳」しているが、原文に「信仰」という名詞も「持つ」という動詞も存在しない。
「信仰」という語を用いることにこだわり、「持つ」という語まで入れているのは、たとえ「信じられない」としても、WT教理に「信仰を持ちなさい」、という意味に読めてしまう。
もしかしたら一世紀の人々も最初はキリスト教を信じられなかったけれども、悔い改めた人は「信仰を持てたのだ」、現代のWT信条も同じだ、ということも刷り込みたかったのだろうか。
NWTは、原文の「悔い改めよ」(metanoeite)を、マルコもマタイも「あなた方は悔い改めて」とわざわざ「あなた方は」という主語を付けて強調して訳している。
原文は、二人称複数形命令文の動詞「悔い改めよ」(metanoeite)一語があるだけで、主語は明記されてはいない。
わざわざ「あなた方は」を付けて強調して訳すことにより、「我々」はすでにイエスの側に居り、すでに悔い改めている存在であるが、「あなた方は悔い改めるべき」存在である。
イエスのように伝道している我々の伝道を受ける「あなた方は」、「我々の」良いたよりに信仰を持つ必要がある。
さらに「我々の言う良いたより」は「イエスの言う良いたより」である。
「我々の言うこと」を聞かないことは「イエスの言うこと」を聞かないことと同じだ、とも読めてしまうのである。
RNWTでは、マルコもマタイも、「あなた方は」を削除している。
「我々」も「あなた方」も「良いたよりに信仰を持たなければならない」と「悔い改め」を呼びかけているのだろうか。
とすれば、以前のWTの「良いたより」は「良いたより」ではなかったことになる。
NWTが、「あなた方は」を入れて「訳」したのは、ますます意図的であったということにもなる。
まあ、どちらでも良いのですが、NWTにしてもRNWTにしても、字義訳として信頼できる聖書ではないことだけは、確かなようである。