マルコ15:40-41 <ガリラヤからともに来た女たち>
並行マタイ27:55-56、ルカ23:49
参照ヨハネ19:25-27
マルコ15 (田川訳)
40女たちもまた遠くから見ていた。その中にはマグダラのマリアと、小ヤコブとヨセの母マリアと、サロメが居た。41イエスがガリラヤに居た時に、彼に従い、仕えていた者たちである。彼とともにエルサレムに上って来た女はほかにも多く居た。
マタイ27
55多くの女たちがそこで、遠くから、見ていた。イエスに仕えるためにガリラヤからイエスに従って来ていた者たちである。56その中にはマグダラのマリアと、ヤコブとヨセの母マリアと、ゼベダイの子らの母が居た。
ルカ23
49彼の知人たちはみな、またガリラヤからともに彼に従って来た女たちも、立って、遠くからこれを見ていた。
参ヨハネ 19
25イエスの十字架のところに彼の母と、彼の母の姉妹でありクローパーの(妻?である)マリアと、マグダラのマリアが立っていた。 26それでイエスは母と自分が愛した弟子が立っているのを見て、母に言う、「女よ、見よ、汝の息子」。27それからその弟子に言う、「見よ、汝の母」。そしてその時からその弟子は彼女を自分のところに引き取った。
マルコ15 (NWT)
40 やや離れたところでは女たちも見ていたが,その中には,マリア・マグダレネ,それに小ヤコブとヨセの母マリア,そしてサロメがいた。41 これらは,[イエス]がガリラヤにおられた時,彼に伴って仕えていた者たちであった。また,彼と一緒にエルサレムに来ていたほかの大勢の女たちがいた。
マタイ27
55 なおまた,そこでは大勢の女たちがやや離れた所で見ていたが,それはイエスに仕えるためガリラヤから付いて来た者たちであった。56 その中にはマリア・マグダレネ,またヤコブとヨセの母マリア,およびゼベダイの子らの母がいた。
ルカ23
49 また,彼を親しく知っていた者たちは皆,やや離れた所に立っていた。それに,共にガリラヤから彼に付いて来た女たちも,これらのことを見つめて立っていたのである。
参ヨハネ 19
25 しかしながら,イエスの苦しみの杭のそばには,その母と,母の姉妹,[そして]クロパの妻マリアとマリア・マグダレネが立っていた。26 それでイエスは,自分の母と,自分の愛する弟子がそばに立っているのをご覧になり,母にこう言われた。「婦人よ,見なさい,あなたの子です!」27 次に,その弟子に言われた,「見なさい,あなたの母です!」 それで,その時から,その弟子は彼女を自分の家に引き取った。
共観福音書では、ガリラヤの女たちは、イエスの十字架のそばにはおらず、「遠くから」(apo makrothen)見守る。
ヨハネでは、「十字架のところに」(para tO staurO)いて、十字架上のイエスから直接声をかけられる。
NWTは、「やや離れたところ」と「そばに」と訳している。
原文では、マルコ・マタイには分離を意味する前置詞apoが付いており、すぐ近くではなく「遠く」(makrothen)離れたところにいる。ルカも前置詞がないだけで、同じ副詞(makrothen)を用いている。
ヨハネの前置詞paraは「そば、まわり」という意味であり、十字架のすぐそばにいたこととしている。
ゴルゴタの丘の処刑場に死刑囚の親族がすぐそばで立ち会えた可能性はないものと思われる。
NWTはヨハネにイエスが母の世話を委ねる話が出て来るので、遠くにいるのでは聞こえるはずもないので、共観福音書を「やや離れたところ」と訳し、イエスの声が聞こえる範囲にいた、と読ませたいのであろう。
マルコで主役となっているのは、女性たちであり、「イエスに従がい、仕えていた者たち」(Ekolouthoun autO kai diEkonoun autO)とは、「女たち」を指す。
マタイは、マルコの「女たち」(gynaikes)を「多くの女たち」(gynaikes pollai)と、数を増大させてくれているが、登場する女性の数は変わらない。
ルカにおけるガリラヤからイエスに従がってきた女たちは、単に十字架場面のつけ足しとなっている。
マルコは受難物語の最後の部分に、ガリラヤから来た女たちのことを三度続けて言及する。(15:40-41,47,16:1)
マルコにおけるこのガリラヤの女たちに対する強調された言及は、大祭司邸でイエスを三度否認したペテロやイエスの逮捕時にイエスを捨てて逃げた弟子たちと対照をなしている。
「十字架」の場面にも、「復活」の朝の墓もうでの場面にも、最後まで弟子たちは登場しない。
マルコにおいて、弟子たちに言及されるのは、三度イエスを否認して、身を投げ出して、泣いたペテロが最期である。(14:66-72)
マルコ以外の福音書では、いずれも弟子たちが「復活」のキリストに出会った話で終わる。
しかし、マルコでは、弟子たちが「復活」したイエスに出会うことはない。
ガリラヤから来た女たちでさえ、「復活」したイエスと出会うことはない。
女たちは、イエスの「十字架」を見守り、「埋葬」も身守り、安息日明けに真っ先に、墓もうでに出かける。
イエスが「甦った」ことを告げられるが、女たちは誰にも何も言わなかったとしている。
マルコによれば、イエスの復活は、弟子たちに伝えられることはなかった。
しかし、ペテロをはじめとする十二使徒たちは、イエスの死後、自分たちこそ「復活」のキリストに出会ったのだ、と一番弟子気取りで、キリスト教を興し、伝道した。
マルコとしては、本当の事実はこうであった、と自分の知っている情報を強調したくなったのであろう。
この段に登場する女性に関して。
マルコ・マタイでは、最初に「マグダラのマリア」(maria hE magdalEnE)の名があげられている。
マタイにはマルコと異なる表現もあるが、ルカに女性の名前は出て来ない。
ルカでの「マグダラのマリア」は、「七つの悪霊が出て行ったマグダラと呼ばれるマリア」(8:2)と紹介されている。
直訳は、「マグダラ人マリア」。
ルカの記述により、名前の知られていない「罪多き女」(7:31,37)と同一視され、「悔悛の娼婦」とみなされたり、イエスにより「精神障害を癒された女性」と解説されたりする。
いずれも、憶測による伝説であり、新約の中で彼女がしたのは、イエスの十字架を見守り、埋葬を見守り、翌日真っ先に墓もうでをした、ということだけである。
彼女の行動はイエスの死を悼むこの女性の誠実さと心の温かさを示しており、「罪深き売春婦」や「邪悪な悪霊に憑かれた悪女」のイメージからは程遠い。
ルカの「七つの悪霊が出て行った」という形容句にしても、その前にある「悪霊や病気(原義:弱さ)から癒された女たち」と並べられており、「七つの悪霊が出て行った」という句が、「マグダラのマリア」にだけかかるのか、マリアのあとに出て来る女性や多くの女性たちの誰かを指しているのかはっきりしない。
「マグダラのマリア」にかかるとしても、感染力の高い「流行性の病気」を当時は「汚れた霊に憑かれている」とみなされていたし、それ以外の「病気」を「弱さ」による、と表現していた。
とすれば、「マグダラと呼ばれるマリア」(maria hE kaloumenE magdalEnE)さんは、流行性の病気により、重篤な状態に陥っていたが、イエスにより癒された女性なのかもしれない。
マルコ16:9には、「七つの悪霊を追い出してもらったマリア・マグダレネ」が登場するが、ルカから持ち込まれた後代の付加であるのは議論の余地もない。
つまり、マルコの時代にはまだ「マリア・マグダレネ」に関して「七つの悪霊が追い出された」とか、「罪多き女」という伝承はなかったのであるが、ルカの時代にはまことしやかに信じられるようになっていた、ということである。
マルコは「小ヤコブとヨセの母マリア」(maria hE tou iakObou tou mikrou kai iOse)と「小ヤコブ」としているが、マタイは「ヤコブとヨセの母マリア」((maria hE tou iakObou kai iOsE)と「小」(tou mikrou)を削っている。
マルコは、「マリア」という名前に「女性形主格の定冠詞」(he)を置き、この女性を説明するのに「小ヤコブ」と「ヨセ」の属格をkaiで繋いでいる。
つまり、この「マリア」という女性は、「小ヤコブとヨセ」の母であるというのだから、「小ヤコブ」と「ヨセ」とは兄弟ということになる。
マルコで、「ヤコブとヨセ」が兄弟であり、母が「マリア」であるとの関係を示しているのは、ここ15:41と15:47のほかに、もう一つ6:3に出て来る。
そこでは、イエスに関して6:3「この者は、大工で、マリアの息子、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないか」とある。
NWTは「ヨセ」ではなく「ヨセフ」としているが、「ヨセ」は「ヨセフ」の省略形である。
とすれば、マルコの「小ヤコブ」とは、イエスの兄弟である「ヤコブ」を指すことになり、「マリア」はイエスの母である「マリア」を指すことになる。
このヤコブは、後にエルサレム教会の指導者となる「ヤコブ」(使徒15:13,21:18、ガラ1:19ほか)である。
「小ヤコブ」を「イエスの弟ヤコブ」とする説明は、古代からあり、ヒエロニムスも認めているそうである。(ラグランジュ p85)
現代の学者で「小ヤコブ」=「イエスの弟ヤコブ」を支持するのは、ラグランジュ、エルサレム聖書、TOBなどの主としてフラン語のカトリックの学者たちである。
それに対し、ドイツのリュールマン、グルニカ、グルトマンや英国のクランフィールド等は、確かな根拠もなく、「イエスの弟」ではありえないとし、「ハルパイの子のヤコブ」(マルコ3:18)としている。
WTも「使徒アルパヨの子ヤコブ」説を支持している。
*** 洞‐2 1023ページ ヤコブ,II ***
3. イエス・キリストの別の使徒で,アルパヨの子。(マタ 10:2,3; マル 3:18; ルカ 6:15; 使徒 1:13)一般にアルパヨはクロパと同一人物であると信じられており,その可能性は十分にあります。もしそうであれば,ヤコブの母はマリア,つまり「小ヤコブとヨセの母」マリアになります。(ヨハ 19:25; マル 15:40; マタ 27:56)この使徒が小ヤコブと呼ばれたのは,ゼベダイの子であった別の使徒ヤコブよりも背丈が低かったか,年が若かったためかもしれません。
WTは、ゼベダイの子の使徒ヤコブより、背が低かったか、年が若かったから、アルパヨの子の使徒ヤコブが「小ヤコブ」であるとしている。
十二使徒における「大小」の表現であることを前提とする使徒崇拝信仰的解釈である。
しかし、「小ヤコブ」という表現は、マルコにただ一度登場するだけで、他の福音書には出て来ない。
マタイはアルパヨの子を「ヤコブ」(10:3)としているが、マルコではアルパヨの子は「レビ」と「ヤコブ」の二人が出て来る。(2:14、3:18)。
マルコの「小ヤコブ」は「ヨセ」と兄弟であり、マタイも「ヤコブとヨセ」を兄弟としている。
マルコの「小ヤコブ」、マタイの「ヤコブ」が「アルパヨの子ヤコブ」であるとしたら、マルコはヤコブの兄弟を「ヨセ」ではなく「レビ」とするはずである。
アルパヨの子を「ヨセ」とする記述やアルパヨの子たちの母が「マリア」という名前であったことを示唆する記述は、マルコにもマタイにも新約のどこにもない。
マルコには、イエスの弟を「ヤコブとヨセ」とする記述があり、彼らの母を「マリア」とする記述があるにもかかわらず、マルコの「小ヤコブ」を「アルパヨの子のヤコブ」と解釈するのは、伝統的護教主義信仰を盲目的に信じるのでない限り、かなりの無理があるように思える。
マルコは、なぜ「ヤコブ」に「小」(tou mikrou)を付け、マタイはなぜ「小」を外したのか。
新約で、もっとも有名な「ヤコブ」とは、最初のイエスの弟子の一人であり、十二使徒の一人ともされたゼベダイの子「ヤコブとヨハネ」兄弟の兄「ヤコブ」である。
人名に「小」という形容語を付けるのは、常識的には、他のヤコブと比べて「小さい」、つまり年齢が若い、という意味である。
イエスの弟ヤコブは、ゼベダイの子の使徒ヤコブより、ずっと若かった、あるいは単に背が低かったから、マルコは「小ヤコブ」と呼んだのかもしれない。
しかしながら「小ヤコブ」という呼び方には、定冠詞を付け「小」と言っているのだから、「例の小さい奴のことだよ」という多少の軽蔑の意味も含んでいる。
マルコは、イエスの家族や親族をイエスに対して無理解な存在(3:21,31-35)として描いており、使徒たちと同様、否定的な存在として描いている。
「ヨセ」(iOsE)は、ギリシャ語男性語尾-osを付けた「ヨセフ」(iOsEphos)の省略形で、「ヨセ」(iOsEs)とギリシャ語表記したもの。
マルコで登場するほかの「ヨセフ」は、イエスの遺体を引き取った「アリマタヤのヨセフ」(iOseph ho apo arimathaias)だけであるが、省略形の「ヨセ」とは表記されていない。
人名を省略形で「ヨセ」と呼ぶことにも、いささか軽く扱う意識が伴なう。
マタイは、マルコの「小ヤコブとヨセの母マリア」という表現を見て、このマリアがイエスの母を指すことに気がついたのであろう。
しかしながら、後にエルサレムの指導者となったイエスの弟「ヤコブ」に「小」を付けて呼ぶことには、いささか抵抗があったのであろう。
マタイは、マルコの「サロメ」(salOmE)を「ゼベダイの子らの母」(hE mEtEr tOn huiOn zebedaiou)という句に置き換えている。
マルコがイエスの弟を「小ヤコブ」とするのであれば、「大ヤコブ」はゼベダイの子の使徒ヤコブである。
マルコが「小ヤコブ」らの母をマリアと紹介するのであれば、「大ヤコブ」の母にも登場してもらおうと考えたのかもしれない。
そこで、マルコの「小ヤコブ」の「小」を外し、単に「ヤコブ」とし、マルコの「サロメ」をゼベダイの子の使徒ヤコブとヨハネの母に仕立てることにしたのかもしれない。
「サロメ」という名前は、マリアと並んで多いユダヤ人女性の名前である。
ゼベダイ子らの母は、息子の使徒たちが神の国でイエスの左右の座につくことを要求した権力志向の強い女性である。
イエスの逮捕時に身の危険を感じた彼女の息子たちは、イエスの十字架の前に逃亡している。
イエスの仲間であることが知れたら無傷では済まない状況で、無実の犯罪者として処刑される十字架の場面に、彼女も彼女の息子たちがいた可能性も、九分九厘ないと思われる。
そのような人間はその時々の権威に媚び、自分の身に火の粉が降りかからないよう画策するものである。
ルカには、マルコにあるガリラヤから来た女たちの名は一つもないが、マルコにはない主語が付加されている。
ルカでは、「彼の知人たちみな」(pantes hoi gnOstoi autou)という男性形の主語が「ガリラヤの女たち」よりも、を先に置かれている。
ルカの男尊女卑指向がもたらした付加であり、イエスに従がってきたのは「彼の知人たちみな」という男性が中心であり、「ガリラヤの女たち」は、名前もない添えものにされている。
ヨハネにおけるガリラヤの女たちは、イエスの十字架を遠くから見守るのではなく、十字架のそばにおり、十字架上のイエスから、直接声をかけられる。
ヨハネに、「ヤコブとヨセの母マリア」という句は出て来ないが、「イエスの母」と「イエスの母の姉妹」が「マリア」という名前であると読める句が出て来る。
ヨハネもマルコの「小ヤコブとヨセの母マリア」をイエスの兄弟であるヤコブとヨセの母マリアと読んだのかもしれない。
ただしヨハネの文は、三人とも四人とも読める表現で、「彼の母と、彼の母の姉妹であり、クローパーの(妻?である)マリアと、マグダラのマリア」と書かれている。
原文は、 he mEtEr autou kai he adelphE tEs mEtros autou maria he tou clOpa kai maria hE magdalEnEで、「彼の母」kai「彼の母の姉妹」「マリア」「クローパーの」kai 「マグダラのマリア」の並びである
A kai B,マリア,C kai Dの表現であり、A=「彼(イエス)の母」、D=「マグダラのマリア」は問題なく別々の女性と読める。
問題は、最初のkaiと二番目のkaiに挟まれた「彼の母の姉妹」「マリア」「クローパーの」という句をどう読むか。
これを、BとCの間にコンマを入れ、A kai B, C kai Dとすると、「AとB」と「CとD」の二組の女性と読むことになる。
つまり、「彼の母と彼の母の姉妹」と「クローパーのマリアとマグダラのマリア」という二人のマリアと読むことになり、四人の女性となる。
イエスの母の「マリア」と合わせて三人の「マリア」と「イエスの母の姉妹」となる。
四人の女性と読んでも、A kai Bが「マリア」にかかると読むと、AもBも「マリア」という名前と読むことができる。
「クローパーのマリア」とも読めば、「マグダラのマリア」と合わせて、四人のマリアとなる。
A kai BC kai Dと読み、CをBの同格的説明と読めば、「彼の母」と「彼の母の姉妹であるクローパーのマリア」と「マグダラのマリア」の三人の女性と読むことになる。
イエスの母の「マリア」と合わせて三人の「マリア」となる。
「クローパーの」(tou klOpa)は、男性形属格表現である。
男性の名前に男性の属格表現が付けば、ほぼ例外なしに、父親の名前であり、○○の父クローパーという意味になる。
しかしここは「マリア」という女性の名前の後に女性形定冠詞が置かれ(maria he)、「クローパーの」(tou klOpa)という男性形属格が置かれている。
この「クローパーの」という男性属格は、女性形定冠詞(he)にかかり、「マリア」(maria)という名前の女性にかかる。
男性属格表現が女性にかかる場合、未婚であるなら「父親の名前」であるから、「クローパーの娘マリア」と読むことになる。
しかし女性が、既婚であるなら「夫の名前」を指すのが普通である。
とすれば、この「クローパーのマリア」(maria he tou klOpa)とは「クローパーの妻であるマリア」という意味である可能性もある。
この個所を三人と読むか四人と読むかは未だ結論が出ていないようである。
古代には句読点はないが、ヴルガータは三人と読んでいたそうである。(A et BC et D)
十六世紀でも、エラスムス、ルター、オリヴェタンは、句読点を用いているが、三人と読んでいる。(A, et BC, et D)
その後、英語ではジュネーヴ聖書以来、仏語ではルイ・スゴン、独語では現代版ルターほかが、A, et B, C, et Dと間に全部コンマを入れて、「AとB、CとD」と読めるだけでなく、西洋語のコンマは同格の意味も持つから、「AとBすなわちCとD」とも読めるように訳されている。
ネストレが27版以来、四人説に従がっているので、最近の聖書は四人と読めるように訳されている。
NWTは(RNWTも)四人説に従がい「その母(イエスの母親)と、母(親)の姉妹、そしてクロパの妻マリアとマリア・マグダレネ」。
主な和訳聖書もすべて、四人と読めるように訳している。
三人でも四人でもどちらでも良いような問題であるが、マルコのガリラヤからともに来た女たちと照らし合わせると、イエスの母の姉妹の名前が微妙になる。
マルコでは、三人の女性の名前があげられているが、イエスの母「マリア」について、はっきりとイエスの名をあげず、「小ヤコブとヨセの母マリア」とし、イエスの弟たちの名前をあげている。
ヨハネがマルコを意識しているのであれば、「イエスの母」と「小ヤコブとヨセの母」は同じ「マリア」であり、「マグダレネのマリア」は共通している。
ヨハネの女性を三人とすれば、マルコの「サロメ」と「彼の母の姉妹であるクローパーのマリア」と同一人物ということになる。
しかし、そうなると「イエスの母の姉(妹)」は「サロメ」と「マリア」という二つの名前を持つことになる。
「イエスの母」は「マリア」であり、「イエスの母の姉(妹)」も「マリア」という名前だったということになる。
「マリア」はヘブライ語名「マリアム」のギリシャ語表記であるし、「サロメ」も本来はアラム語名である。
同じ人物が二つのヘブライ語名由来の名前を持つことや、「姉」と「妹」が同じ名前を持つことが、当時あったのであろうか。
当時のユダヤ人が、ヘブライ語名とギリシャ語名の二つを持つことは、サウロとパウロの例が示すように珍しくなかったようである。
しかし、ユダヤ人が、二つのヘブライ語名の名前を持っていた可能性はかなり低いようである。
姉妹同士が同じ名前であったという事例も存在しているという。(Dar kleine Pauly IV)
ヨハネの女性を四人と読めば、三人のマリアと「イエスの母の姉妹」となり、イエスの姉妹の名前を「サロメ」と考えることもできる。
三人と読めば、三人のマリアと読むことになる。
マルコでは、二人のマリアと一人のサロメである。
この「サロメ」という女性が登場するのは、マルコ15:40と16:1だけで、名前以外の情報はどこにも書かれていない。
おそらく、マルコかヨハネのどちらかが、正しい情報を提供しているが、他方が間違った情報を導入してしまったのだろう。
マタイはマルコの「サロメ」を「ゼベダイの子ら母」と使徒「ヤコブとヨハネ」の母に想定したが、ヨハネ書には、ゼベダイの息子たちの名前として「ヤコブ」も「ヨハネ」も出て来ない。
むしろヨハネ書の原著者からはペテロとともに十二使徒たちの中でも最も重要な三人組の二人の存在は、完全に排除されている。(1:41、21:2参照)
「サロメ」をゼベダイの息子たちの母の名前に想定し、イエスの十字架を見守っていたとしているのはマタイである。
ヨハネに登場する「愛された弟子」を「使徒ヨハネ」とし、ゼベダイの息子もその母も十字架を見守っていたとすることはできないであろう。
マタイの創作を前提に、ヨハネに登場する「愛された弟子」を「ゼベダイの息子」に想定するのも、マタイを前提に聖書霊感説信仰を読み込もうとする、護教的解釈であろう。
サロメに関するWTの見解。
*** 洞‐1 1024–1025ページ サロメ ***
(Salome)[多分,「平和」を意味するヘブライ語の語根に由来]
1. マタイ 27章56節とマルコ 15章40節を比較すると,サロメは,ゼベダイの子ら,つまりイエス・キリストの使徒であったヤコブとヨハネの母ではないかと思われます。前のほうの聖句は二人のマリア,すなわちマリア・マグダレネと,(小)ヤコブとヨセの母マリアの名を挙げ,それと共にゼベダイの子らの母も,イエスが杭につけられた際その場にいたと述べています。一方,後のほうの聖句は,その二人のマリアと一緒にいた女性の名をサロメとしています。
同様の根拠に基づいて,サロメは,イエスの母であったマリアの実の姉妹であるとの推測もなされています。この考えが出されている理由は,ヨハネ 19章25節の聖句が,それら同じ二人のマリア,すなわちマリア・マグダレネと「クロパの妻マリア」(一般に小ヤコブとヨセの母と理解されている)の名を挙げ,さらに次のように述べているからです。「イエスの苦しみの杭のそばには,その母と,母の姉妹……が立っていた」。もしこの聖句が(イエスの母について述べていることに加えて),マタイとマルコが述べたのと同じ3人の人物について語っているのであれば,サロメはイエスの母の姉妹であったことになります。他方,マタイ 27章55節とマルコ 15章40,41節は,イエスに付いて来た他の大勢の女性たちがその場にいたと述べていますから,サロメはその中の一人であったのかもしれません。
サロメは主イエス・キリストの弟子であり,マタイ,マルコ,およびルカ(8:3)が暗示しているとおり,イエス・キリストに伴い,自分の持ち物をもって奉仕していた女性たちの中に入っていました。
サロメをゼベダイの子らの母とする見方が正確であるなら,サロメは,イエスに近づいて,自分の息子たちがイエスの王国でイエスの右と左に座ることができるようにしてくださいと願い出た人物と同じです。マタイは母がその願いをしたと述べていますが,マルコはヤコブとヨハネがそのように求めたことを示しています。これは,息子たちがそのような願いを抱いていて,母にその依頼をしてもらったものと考えられます。この点は,他の弟子たちがその願いについて聞いたとき,母親に対してではなく,その二人の兄弟に対して憤慨したというマタイの報告からも裏付けられます。―マタ 20:20‐24; マル 10:35‐41。
イエスの死後三日目,夜が明けるころ,サロメは他の女性たちと共にイエスの遺体に香料を塗るためイエスの墓に行きました。しかし彼女たちは,石が転がしのけてあるのを見たにすぎません。そしてみ使いが墓の中にいて,こう宣言しました。「彼はよみがえらされました。ここにはいません。見なさい,彼を横たえた場所です」― マル 16:1‐8。
十字架上のイエスが、「自分が愛した弟子」に「母マリア」の世話を委ねたとするヨハネの話は教会的編集者による創作物語であろう。
イエスの母がキリスト信者の誰かに世話されたことは確かもしれないが、この「愛された弟子」が「使徒ヨハネ」であり、「ヨハネの著者」であるとする説は、原著者がゼベダイの息子たちを無視していることからして、無理がある。
十字架の場面に「十二弟子」たちは登場せず、使徒たちは大祭司の裁判時には逃亡している。
ヨハネ書のところどころ(13:23、19:26、21:20)に登場するこの「イエスに愛された弟子」は、「使徒たち」以上にイエスに愛された特別な弟子として登場する。
おそらく、この使徒たち以上に「イエスに愛された弟子」とは、教会的編集者が自分自身を投影させて創作した架空の人物であるように思われる。