マルコ15:16-23 <嘲弄、受難の道> 並行マタイ27:27-34、ルカ23:26-33
参照ヨハネ19:1-3
マルコ15 (田川訳)
16兵士たちは彼を中庭の中まで、つまり代官屋敷(の中庭)のことだが、イエスを連れて出た。そして一部隊全員を集合させた。17そして紫の衣を彼に着せ、また荊の冠を編んで彼にかぶせた。18そして彼に挨拶して、言った、「幸あれ、ユダヤ人の王様」。19そして彼の頭を葦で叩き、つばを吐きかけ、膝をついて拝礼したりした。20そして彼を嘲弄したあと、紫の衣を脱がせ、自分の衣を着せた。そして十字架につけるために外に引き出した。21そして、たまたま通りかかったキュレネ人シモンなる者を、畑からの帰りだったのだが、徴用し、彼の十字架を担わせた。シモンはアレクサンドロスとルフォスの父親である。22そして彼をゴルゴタという場所に連れて来る。訳せば「しゃれこうべの場所」である。23そして彼に没薬を混ぜた葡萄酒を与えたが、彼は受け取らなかった。
マタイ27
19彼が裁き壇に座っていると、妻が人を遣わして言った・・・・・・
27その時、代官の兵士たちはイエスを代官屋敷の中に連れて来た。そして彼に対して一部隊全員を集合させた。28そして緋色の外套を着せて、彼を被った。29そして荊で冠を編んで彼の頭にのせ、また葦を右手に持たせた。そして彼の前に膝まづき、嘲弄して言った、「幸あれ、ユダヤ人の王様」。30そしてつばを吐きかけ、葦を取り上げて、彼の頭を打った。31そして嘲弄したあと、外套を脱がせ、衣を着せた。そして十字架につけるために外に引き出した。32外に出ると、キュレネ人でシモンという名前の人物に出くわしたので、この者を徴用して、彼の十字架を担わせた。33そしてゴルゴタ、つまり「しゃれこうべの場所」というところに来て、34彼に胆汁をまぜた葡萄酒を飲むようにと与えたが、なめただけで、飲もうとはしなかった。
ルカ23
26彼を引いて行く時、キュレネ人シモンなる者が畑から帰って来るのをつかまえて、十字架を担わせ、イエスの後からついて行かせた。27彼には民と女たちが非常に大勢ついて行った。女たちは(胸を)打って、イエスのことを嘆いていた。28この女たちの方を振り向いて、イエスが言った、「エルサレムの娘たちよ、私のことを泣き嘆くな。むしろ自分自身のことを、また自分の子らのことを泣き嘆け。29何故なら、見よ。幸い、石女よ、子を産まなかった母胎よ、幸い、はぐくまなかった乳房よ、と言われる日が来るであろう。30その時人々は山に向かて、我々の上に落ちかかれ、と、また丘に向かって、我々を隠してくれ、と言いはじめるだろう。31生木にもこういうことがなされるのであれば、枯木には何が生じるであろうか」。
32またほかの二人の悪人も彼とともに死刑にされるために引かれて行った。33そして「しゃれこうべ」と呼ばれる場所に来た時に、そこで彼を十字架につけた。また二人の悪人も一人を右に、一人を左に。
参ヨハネ19
1それでその時、ピラトはイエスをつかまえて、鞭打たせた。2そして兵士たちが荊で冠を編んで、彼の頭にのせた。そして紫の衣を彼にかぶせ、3彼のもとに来て、言った、「拝啓、ユダヤ人の王様」。そして彼に殴打を加えた。
4そして再びピラトは外に出た。……
マルコ15 (NWT)
16 そこで,兵士たちは彼を中庭に,つまり総督の官邸内に引いて行った。そして,全部隊を呼び集めてから,17 彼に紫[の衣]をまとわせ,いばらの冠を編んでかぶらせた。18 そして,「こんにちは,ユダヤ人の王よ!」と[言って]あいさつを始めた。19 また彼らは,葦で彼の頭をたたいたり,つばをかけたり,ひざをかがめて敬意のしぐさをしたりするのであった。20 最後に,[イエス]を愚弄し終えた彼らは,紫[の衣]をはいで,彼の外衣を着せた。そして,杭につけるために連れ出した。21 また,田舎から来た通行人で,アレクサンデルとルフォスの父である,キレネのシモンという者を奉仕に徴用して,彼の苦しみの杭を持たせた。
22 こうして彼らは[イエス]をゴルゴタ[という]場所に連れて来た。これは,訳せば,“どくろの場所”という意味である。23 ここで彼らは没薬を混ぜたぶどう酒を与えようとしたが,[イエス]はそれを受けようとされなかった。
マタイ27
27 それから,総督の兵士たちはイエスを総督の官邸内に連れて行き,全部隊を彼のところに集めた。28 そして,彼の衣をはいで緋色の外とうを掛け,29 いばらで冠を編んでその頭に載せ,葦をその右手に[持たせた]。そして彼の前にひざまずき,「こんにちは,ユダヤ人の王よ!」と言って愚弄した。30 それから,彼につばをかけ,その葦を取って頭をたたきはじめた。31 最後に,[イエス]を愚弄し終えた彼らは,外とうを取りのけて彼の外衣を着せ,杭につけるために引いて行った。
32 彼らは,出て行く際に,シモンという名のキレネ生まれの人を見つけた。彼らはこの男を奉仕に徴用して[イエス]の苦しみの杭を持たせた。33 そして,ゴルゴタ,すなわち“どくろの場所”と呼ばれる所に来た時,34 彼らは胆汁を混ぜたぶどう酒を[イエス]に与えて飲ませようとした。しかし,その味を見たのち,飲もうとはされなかった。
ルカ23
26 さて,[イエス]を引いて行くさい,彼らは,キレネ生まれで,田舎から来たシモンという者を捕まえて苦しみの杭を負わせ,イエスの後ろからそれを運ばせた。27 しかし,非常に大勢の民と女たちが,悲嘆のあまり身を打ちたたき,彼のことを嘆き悲しみながらそのあとに付いて行った。28 イエスは女たちのほうを向いて,こう言われた。「エルサレムの娘たちよ,わたしのために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい。29 見よ,人々が,『うまずめは,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房とは幸いだ!』と言う日が来るからです。30 そのとき彼らは,山に向かって,『我々の上に倒れかかれ!』と言い,丘に向かって,『我々を覆ってくれ!』と[言い]始めるでしょう。31 というのは,木に水気のある時に彼らがこうしたことを行なうのであれば,それが枯れた時にはどんなことが起こるでしょうか」。
32 しかし,ほかに二人の悪行者が,彼と共に処刑されるため,やはり引かれて行った。33 そして,“どくろ”と呼ばれる所に着いた時,彼らはそこで[イエス]を杭につけ,そしてその悪行者たちを,一人をその右に,一人をその左にして[杭につけた]。
参ヨハネ19
1こうしてその時,ピラトはイエスを捕らえてむち打った。2 そして,兵士たちはいばらで冠を編んで彼の頭に載せ,紫の外衣をその身にまとわせた。3 それから彼のもとに寄って来て,「こんにちは,ユダヤ人の王よ!」と言うのであった。また,彼の顔に平手打ちを加えたりした。4 それからピラトは再び外へ行って,彼らにこう言った。……
マルコは、「ローマ兵による嘲弄」を「ピラトの裁判」が終わった後に、ピラトの代官屋敷内でなされた出来事としている。
マタイは代官屋敷の外にいたイエスを屋敷の中に入れ、「ローマ兵による嘲弄」がなされたとしているが、イエスに着せたとする衣の色はマルコと異なっている。
ルカは、マルコの「ローマ兵による嘲弄」を削除し、「受難への道」だけを採用している。
ルカはイエスに対する大祭司らの嘲弄を、「ペテロのイエス否認」と「大祭司の裁判」の間(22:63-65)に組み込んでいる。
ほかにもルカでは、ヘロデの兵たちによる「イエスに対する愚弄」と「イエスに外套を着せる」話(23:11)が、「ヘロデの審問」(23:5-12)の中に組み込まれている。
当時ガリラヤはローマの直轄地ではなく、ヘロデ・アンティパスが支配していた。
おそらくルカは、ローマ市民権を持っていたペテロがヘロデ・アグリッパに上訴した事例(使徒25:23-26:32)が頭にあり、ガリラヤ人に対する裁判権はヘロデにあったと考えたのであろう。
しかし、この時代に、自分の市民権のあるところで裁判を受ける権利がある、というのはローマ市民権を持つような特権階級に限られていた。
普通は逮捕された土地の支配者に裁判権がある。
ローマ市民権を持つ者に対する特権が、ガリラヤの市民権を持つ者に与えられていたとする事実もないし、そもそもガリラヤにローマ市民権のような特権がローマから与えられていたとする記録もない。
ヘロデは管轄区であるガリラヤのティベリウスにある宮殿にいたはずであり、ローマの直轄地となっていたユダヤのエルサレムでガリラヤ人の裁判をすることはありえない話である。
ピラトとヘロデに関するエピソードは、ルカによる創作物語であろう。
ルカには「ローマ兵の嘲弄」と「荊の冠と外套」のエピソードは登場しない。
ルカの設定では、朝に「大祭司の裁判」が行われ、ピラトの公邸に引き渡され「ピラトの審問」が行われ、「ヘロデの審問」を受け、再びピラトに送り返され「ピラトの裁判」がなされ、ユダヤ人たちの要求によりバラバの釈放とイエスの死刑判決が下され、ゴルゴタに引いて行かれ、「十字架刑」に処され、第九時(午後三時)までに、受難が完了していなければならない。
これでも一日の出来事としては時間的に不可能だと思われるのであるが、さらに「ローマ兵の嘲弄」まで組み込んでいたら、とても朝から夕方までの出来事として納めるには時間が足りなくなってしまう。
ルカのイエスにとっては、長すぎる一日である。
ヨハネはマルコと同じく「ローマ兵による嘲弄」がピラトの屋敷内での出来事としているが、イエスに判決を出す前の出来事に設定している。
マルコ15
16兵士たちは彼を中庭の中まで、つまり代官屋敷(の中庭)のことだが、イエスを連れて出た。そして一部隊全員を集合させた。17そして紫の衣を彼に着せ、また荊の冠を編んで彼にかぶせた。18そして彼に挨拶して、言った、「幸あれ、ユダヤ人の王様」。19そして彼の頭を葦で叩き、つばを吐きかけ、膝をついて拝礼したりした。20そして彼を嘲弄したあと、紫の衣を脱がせ、自分の衣を着せた。そして十字架につけるために外に引き出した。
マタイ27
27その時、代官の兵士たちはイエスを代官屋敷の中に連れて来た。そして彼に対して一部隊全員を集合させた。28そして緋色の外套を着せて、彼を被った。29そして荊で冠を編んで彼の頭にのせ、また葦を右手に持たせた。そして彼の前に膝まづき、嘲弄して言った、「幸あれ、ユダヤ人の王様」。30そしてつばを吐きかけ、葦を取り上げて、彼の頭を打った。31そして嘲弄したあと、外套を脱がせ、衣を着せた。そして十字架につけるために外に引き出した。
参ルカ23
11ヘロデもまた自分の兵たちとともに彼を馬鹿にし、からかって、きらきらした服を着せて、ピラトのもとに送った。
ヨハネ19
1それでその時、ピラトはイエスをつかまえて、鞭打たせた。2そして兵士たちが荊で冠を編んで、彼の頭にのせた。そして紫の衣を彼にかぶせ、3彼のもとに来て、言った、「拝啓、ユダヤ人の王様」。そして彼に殴打を加えた。4そして再びピラトは外に出た。そして彼らに言う、「見よ、余はあの者を外に、汝らのところに連れて来る。あの者に余はいかなる事由も見出さない、ということを汝らが知るためである」。5それでイエスは外に出て来た。荊の冠と紫の衣をつけたままである。そして(ピラトは)彼らに言う、「見よ、この人」。……
マルコにおける前段の「ピラトの裁判」では、大祭司たちがイエスをピラトに引き渡した後、場面の転換はなく、すべてピラトの代官屋敷内での出来事と読める。
それに対し、ヨハネでは、ユダヤ人たちはピラトの屋敷内には入らず、門の外で待機しており、イエスだけを屋敷内に連れて行き、審問したという構図になっていた。
史実的には、ヨハネの構図が実際の出来事であろう。
ところが、マルコのこの段の冒頭を、田川訳は、「兵士たちは彼を中庭の中まで、つまり代官屋敷(の中庭)まで、イエスを連れて出た」、つまりイエスを「代官屋敷の中に」ではなく、「代官屋敷に中にある中庭に」イエスを連れ出した、という趣旨に訳している。
それに対し、NWTは、「中庭に、つまり総督の官邸内に引いて行った」と訳している。
中庭は代官屋敷の中にあるのだから、「中庭」でも「官邸の中に」でも、同じであろう、と思われるかもしれない。
しかし、この違いにこだわるのは、「官邸内に」と読むと、その前のイエスは、官邸の「外に」いたことになるからである。
しかし、マルコにおける前段の「ピラトの裁判」は、一貫して「官邸内」での出来事であるかのように描かれており、祭司長らによってピラトに引き渡されて以来、イエスが官邸の「外に」連れ出されていたとする場面はない。
マルコにおいてイエスが「外に」連れ出されるのは、「ローマ兵らの嘲弄」が終わった後であり、その時に初めて、ピラトの代官屋敷の20「外に引き出さ」れる。
マルコの「中庭の中まで、つまり代官屋敷(の中庭)まで」という句の原文は、esO tEs aulEs ho estin praitOrion(KI: inside the courtyard which is Praetorium)。「中に」「中庭の」「関係代名詞」「ある」「代官屋敷に」の並び。
マタイは、「代官の兵士たちはイエスを代官屋敷の中に連れて来た」と描写している。
マタイには、「中庭」(tEs aulEs)という語はなく、「代官屋敷の中に」(eis to praitOrion KI: into the Praetorium)としている。
つまり、マタイはマルコとは異なり、「ピラトの裁判」が代官屋敷の「外」で行なわれており、この時初めて、イエスが代官屋敷の「中に」に連れて来られた、と考えている。
おそらく、マタイはマルコの「中庭の中に、すなわち代官屋敷にある」という描写を分かりにくいと思い、「中庭に」(tEs aulEs)を削って、「代官屋敷の中に」としてくれたのであろう。
マタイでは、19「ピラトの妻における夢の話」が挿入されているが、「彼が裁き壇に座っていると、妻が人を遣わし」と描写しており、ピラトの裁判が、イエスに対する審問も含めて、一貫して、代官屋敷の「外に」ある裁き壇で行なわれたものとしている。
とすれば、イエスの審問と判決が、ピラトの代官屋敷内での出来事としているマルコの「中庭の中に、すなわち代官屋敷の中にある」という句を、どのような意味に読むことができるのか。
イエスが「外に」いたのではないとすれば、どこから「中に」、「中庭に」連れ出されたのか。
田川訳が「中庭」という語を補っているのはなぜか。
マルコは、まず兵士たちがイエスを「中庭の中に」(esO tEs aulEs)連れ出した、と書いており、そのあとに「代官屋敷にある」(ho estin paraitOrion)という関係代名詞句が続く。
「代官屋敷にある」(ho estin paraitOrion)という句は、「中庭」(tEs aulEs)にかかる説明句であるから、イエスが「中庭」に連れ出されたことは、間違いない。
問題は、イエスがどこから「中庭に」引き出されたのか。
代官屋敷の「内に」いたのか、「外に」いたのかである。
イエスが代官屋敷の「外に」いるものと描写しているのはマタイであり、マルコではない。
マルコは一貫してピラトの裁判をピラトの代官屋敷「内の」出来事としている。
とすれば、マルコのイエスは「代官屋敷の中」から「代官屋敷にある中庭の中に」連れだされたことになる。
おそらくマルコは、それまでイエスは「中庭」ではなく、「代官屋敷」の建物の内でピラトの審問を受けていたのであるが、判決が下され、イエスは兵士たちに引き渡され、代官屋敷の中にある中庭まで、連れ出された、ということを描写しているのであろう。
NWTの訳に従がうと、イエスは代官屋敷の「外に」いたのであるが、ピラトの判決後、兵士たちに引き渡され、代官屋敷内に連れて行かれた、という趣旨になる。
マルコのこの個所を、NWTのように、代官屋敷の「外に」にいたイエスが、この時、代官屋敷の「中に」引いて行かれた、と読めるように訳されている聖書はマタイを基準にマルコを解釈しようとするものであろう。
共同訳 「邸宅、すなわち総督官邸の中に」
フ会訳 「中庭、すなわち総督官邸の中庭に」
岩波訳 「館――これは総督本館の意――の中に」
新共同訳 「官邸、すなわち総督官邸の中に」
前田訳 「官邸すなわち総督公舎の中へ」
新改訳 「邸宅、すなわち総督官邸の中に」
塚本訳 「官邸、すなわち総督官舎、の中に」
口語訳 「邸宅、すなわち総督官邸の内に」
文語訳 「官邸の中庭に」
LivingB 「総督官邸内の兵営に」
Living Bibleの「兵営」は「一部隊」を意識したものであるが、和訳聖書の中で、田川訳と同じく、「官邸内にある中庭に」という趣旨に訳しているのは、フランシスコ会訳と文語訳だけである。
ヨハネでは、イエスの審問に関しては、一貫してピラトの屋敷内で行なわれており、イエスの審問がピラトの屋敷内での出来事であることに関してはマルコと共通している。
しかし、ヨハネにおいて、ユダヤ人が関係する場面では、ピラトが屋敷の「外に」出て来て、宣言や質疑応答に応えている。
ヨハネにおいて、イエスがピラトに引き渡されて以後、初めてピラトの屋敷の「外に」に出たのは、「イエスに対する嘲弄」後、5「外に出てきた」時であるが、9「再び代官屋敷の中に入り」イエスを審問している。
イエスが完全に代官屋敷の「外に」引き出されるのは、「外に」いる暴徒のようなユダヤ人たちによって、12「イエスを釈放するなら、皇帝に背く者である」と脅された後のことであり、13「ピラトが裁き壇の上に座った」時に、「イエスを外に引き出して」いる。
ユダヤの代官であるピラトの最大の任務は、ユダヤ地方の治安維持にある。
ピラトとしては、大祭司に扇動されたユダヤ人集団が暴徒化し、ローマ皇帝に背く者として訴追される危機感を感じていた。
ヨハネの描写によれば、「吠える」ユダヤ人に対して最後の説得を試みるために、13「イエスを外に引き出して、裁き壇の上に座った」のであろう。
マルコには、ピラトとユダヤ人との会話がピラトの代官屋敷の「外」でなされたとする描写はない。
しかしながら、ユダヤ人であるマルコにとって、ユダヤ人が「異邦人」の屋敷内に入ることなどないことは、常識だったのかもしれない。
あるいは、受難物語伝承における細かな部分に修正を加えるのではなく、伝承のままに写しているだけかもしれない。
いずれにしても、ヨハネの描写の方が正確であろう、
ただし、ヨハネでは、「ローマ兵による嘲弄」が「ピラトの裁判」の途中に組み込んでおり、まだイエスの判決はなされていない時の出来事としている。
一方、マルコでは、イエスに対するピラトの判決がなされた「後」に、中庭に引き出されて「ローマ兵の嘲弄」がなされている。
被告に対する鞭打ちが判決の前になされることは、考え難い。
罪人の判決は、公のものでなければならず、代官屋敷の外にある「裁き壇」でなされたはずである。
判決が確定する前に、罪人として「鞭打ち」される理由もないはずである。
この点に関しては、「イエスに対する嘲弄」が「ピラトの判決」がなされた「後」に、なされたとしているマルコの方が正確であろう。
また、ヨハネでは「イエスに対する鞭打ち」は、ユダヤ人たちがピラトにバラバの釈放を要求した後に、1「そしてその時」(tote oun)になされたとしている。
とすれば、場面の転換はないのであるから、ヨハネの「イエスに対する鞭打ち」は、ユダヤ人たちがいる場所、すなわちピラトの代官屋敷の「内」ではなく、「外」で、なされたことになる。
ところがヨハネは、イエスを鞭打たせ、茨の冠を載せ、紫の衣を着せ、殴打を加えると、4「そして再びピラトは外に出た」、5「それでイエスは外に出て来た」としている。
とすれば、「イエスに対する嘲弄」は、マルコと同じく、ピラトの代官屋敷の「内」でなされたことになる。
つまり、ヨハネでは「イエスに対する嘲弄」がどこでなされたのかに関して、19:1と19:4、5で、食い違っているのである。
ヨハネ19:1-3はマルコ15:16-19と共通する多くの表現がある。「兵士たち」「編む」「荊」「冠」「紫の衣」「拝啓、ユダヤ人の王様」。
ただし、細かくは異なる表現もある。
マルコの「荊の冠を編む」(plechantes akanthinon stephnon)に対しヨハネは「荊で冠を編む」(plechantes stephanon ex akanthOn)。
マルコの「紫の衣」(porphyran)は一単語であるが、ヨハネの「紫の衣」(himation porphyroun)は二単語。
マルコの「着せる」(endyousin)に対しヨハネは「かぶせる」(periebalon)。
マルコの「葦で叩く」(etypton autou tEn kephalEn kalamO)が、ヨハネでは「殴打を加える」(edidoun auto rapismata)。
マルコの「幸あれ、ユダヤ人の王様」(chaire basileu tOn ioudaiOn)に対し、ヨハネの「拝啓、ユダヤ人の王様」(charie ho basileus tOn ioudaiOn)。
この「語」や「趣旨」は共通するが微妙に異なる表現が多いという事実は、ヨハネの頭の中にマルコの文があり、単にマルコを写しているのではなく、ヨハネがマルコの文を念頭に文を組み立てているということであろう。
とすれば、おそらく、ヨハネに受難物語を語った情報提供者(「もう一人の弟子」)の話では、「イエスに対する嘲弄」も、ピラトの代官屋敷の「内」の出来事であったのであろう。
ヨハネは、この個所を書くにあたり、ここでマルコの15:16-19も見直したのであろう。
しかしながら、「イエスに対する鞭打ちと荊の冠」の話を「イエスに対する判決」の前に組み込んでしまったので、マルコとの混同が生じ、19:4、5でピラトが「再び外に出」(exEthen oun palinexO)、「イエスは外に出て来た」(exElthen oun ho iEsous exO)としてしまったのだろう。
福音書間の他の相違としては、ローマ兵がイエスに着せた衣装を、マルコの「紫の衣」(porphyran)は一語であるが、ヨハネの「紫の衣」(himation porphyroun)は二語。
マタイは「緋色の外套」(chlamuda kokkinEn)と色が異なっている点。
WTはこの違いを次のように説明。
*** 洞‐1 265ページ 色 ***
キリストの外とう イエス・キリストが処刑される日に着せられた外とうの色のことで,一部の人々はその衣に関する聖書の記録に矛盾があると論じてきました。マタイは兵士たちがイエスに『緋色の外とうを掛けた』と述べていますが(マタ 27:28),マルコとヨハネはその色を紫としています。(マル 15:17; ヨハ 19:2)しかし,その衣の色を説明する仕方のそのような相違は矛盾ではなく,福音書筆者の個性の違いや筆者間に共謀のなかったことを証明しているにすぎません。マタイはその外とうのことを自分の目に映った通りに,つまり色彩に関する自分の評価にしたがって説明し,その衣の赤の色合いを強調したのです。ヨハネとマルコはその赤い色合いを控えめに感じ取り,それを紫としました。「紫」は青と赤の両方の要素を持つどんな色にも当てはまります。したがって,衣はある程度赤いものであったという点で,マルコとヨハネはマタイと一致しています。言うまでもなく,背景や光の反射によって色合いは違ってきたことでしょう。時間が異なれば,1か所にある水の色は空の特定の色や,ある特定の時間の光の反射の仕方によって違ってきます。それで,こうした要素を考慮すると,ローマの兵士たちがあざけりながら,人間としての生涯の最後の日にキリストに着せた外とうの色を描写するに際して,福音書筆者の間に食い違いのなかったことが分かります。
光の反射によって、「紫」にも「緋色」にも見える色だったので、矛盾ではないという説明。
しかし、マルコとヨハネで「色」は共通するが、別の表現であることや、マタイが「外套」(chlamys)という特別な語を使っていることに対する説明はない。
マタイの「外套」(chlamys)という語は、ローマの兵士が着る特別な外衣を指す語である。
ローマ兵の「外套」は「緋色」のものが通常の仕様であった。
マタイはローマ兵が自分の外套をイエスに着せて嘲弄したことを指摘するために、「緋色の外套」(chlamyda kokkinEn)としたのであろう。
マルコが「紫」としているのは、「紫」が高貴な階級の者の衣の色であり、「王」とされたイエスにふさわしいと思ったからであろう。
ヨハネはマルコと同じく「紫」としているが、マルコが「紫を彼に着せ」(endyousin auton porphyra)、ヨハネは「紫を彼にかぶせ」(himation porphyroun periebalon auton)と色を示す語以外は動詞も表現も異なっている。
ヨハネは、マルコの「紫」を頭において、書いているものと思われる。
イエスは十字架のために外に引き出される。
マルコ15
21そして、たまたま通りかかったキュレネ人シモンなる者を、畑からの帰りだったのだが、徴用し、彼の十字架を担わせた。シモンはアレクサンドロスとルフォスの父親である。22そして彼をゴルゴタという場所に連れて来る。訳せば「しゃれこうべの場所」である。23そして彼に没薬を混ぜた葡萄酒を与えたが、彼は受け取らなかった。
マタイ27
32外に出ると、キュレネ人でシモンという名前の人物に出くわしたので、この者を徴用して、彼の十字架を担わせた。33そしてゴルゴタ、つまり「しゃれこうべの場所」というところに来て、34彼に胆汁をまぜた葡萄酒を飲むようにと与えたが、なめただけで、飲もうとはしなかった。
ルカ23
26彼を引いて行く時、キュレネ人シモンなる者が畑から帰って来るのをつかまえて、十字架を担わせ、イエスの後からついて行かせた。27彼には民と女たちが非常に大勢ついて行った。女たちは(胸を)打って、イエスのことを嘆いていた。28この女たちの方を振り向いて、イエスが言った、「エルサレムの娘たちよ、私のことを泣き嘆くな。むしろ自分自身のことを、また自分の子らのことを泣き嘆け。29何故なら、見よ。幸い、石女よ、子を産まなかった母胎よ、幸い、はぐくまなかった乳房よ、と言われる日が来るであろう。30その時人々は山に向かて、我々の上に落ちかかれ、と、また丘に向かって、我々を隠してくれ、と言いはじめるだろう。31生木にもこういうことがなされるのであれば、枯木には何が生じるであろうか」。
32またほかの二人の悪人も彼とともに死刑にされるために引かれて行った。33そして「しゃれこうべ」と呼ばれる場所に来た時に、そこで彼を十字架につけた。また二人の悪人も一人を右に、一人を左に。
参ヨハネ19
16それでその時(ピラトは)彼を十字架につけるために彼らに引き渡したのであった。それでイエスを引き取った。17そして彼は自分で十字架を担い、しゃれこうべの場所と呼ばれるところへ出て行った。ヘブライ語ではゴルゴタという。18その場所で彼を十字架につけた。そして彼とともにほかに二人も。二人をこちら側とあちら側に、イエスを真ん中に。
共観福音書では、キュレネ人シモンが徴用され、ゴルゴタまで十字架を担いで行く。
ヨハネでは、イエス自身が十字架を担いで、ゴルゴタまでいく。
「キュレネ」(KyrEnE)は現代のリビアの東部にある港町。地中海に突き出た半島の先に位置しているので、古代地中海貿易では重要な港町の一つ。
「キュレネ人シモン」と言っても、「キュレネ」に住んでいる「シモン」というわけではない。
エルサレムでの出来事であり、ユダヤ人に対する刑のために徴用されているのだから、おそらく「異邦人」ではなく、「ユダヤ人」と思われる。
エルサレムに住んでいる「キュレネ出身のシモン」という名前のユダヤ人であろう。
マルコとルカでは、キュレネ人シモンが「畑からの帰り」であるとしているが、NWTは「田舎から来た」通行人としている。
「畑」、「田舎」と訳されている原文のギリシャ語は、agros。普通は「農地、畑地」を意味するが、「都市の外の土地」を指して用いられることもある。
仏独訳では、「畑、畑地」(champs,champagne)の意味に訳されている。
英訳では、ティンダルはまだfeldeとしているが、欽定訳以来、countryと訳されている。
和訳では、英訳の影響を受け、多くが「田舎から出て来て」(フ会訳、新共同訳、前田訳、新改訳、文語訳)、「郊外から来て」(口語訳)と訳している。
「徴用された」というのだから、畑仕事の帰りに、ローマ兵によって一マイルの無給奉仕を要求されたもの(マタイ5:41参照)と思われる。
マタイには、キュレネ人シモンを「徴用した」ことは述べられているが、彼が「畑からの帰り」であるとする説明はない。
ヨハネでは、イエスが「自分で十字架を担いで」、ゴルゴタに出て行った、とあり、キュレネ人シモンの話は登場しない。
マルコには、シモンに関して「アレクサンドロスとルフォスの父親である」(ton patera alexandrou kai rouphou)という話の筋とは関係のない息子たちとの関係を示す句が挿入されている。
それで、この二人の息子は、後にキリスト信者になったので信者の間では広く知られている人物だったとする仮説がある。
マルコ以外の福音書では、シモンの息子たちに関する記述はない。
マタイは、シモンに関して「キュレネ人シモンという名前の人物」(anthrOpon kurEnaion onomati simOna)としており、よく知らない人物として扱っている。
マルコの周辺ではシモンと息子たちとの関係はよく知られていたのであろうが、マタイ・ルカ・ヨハネの周辺ではほとんど知られていなかった人物なのであろう。
ルカは、ゴルゴタまでシモンと一緒に「民と女たちが非常に大勢」がついて行き、エルサレムの女たちに対してイエスが語りかける話を挿入している。
マルコでは、イエスの十字架を見守ったのはエルサレムの女たちではなく、ガリラヤの女たちである。
エルサレム崩壊を前提とするイエスの予言であり、実際のイエスの言葉ではあり得ない。
おそらく、ルカが見つけてきたイエス伝承を元に、旧約表現をよく理解できないままここに組み込んだものであろう。
「ゴルゴタ」(Golgotha)に関して、マルコは対格でGolgothanと活用語尾を付けているが、マタイは不変化詞にしている。
ルカに「ゴルゴタ」の表記はなく、対格で「しゃれこうべ」(kranion)と呼ばれる場所とあるだけ。
マルコは属格で「しゃれこうべ」(kraniou)、マタイは対格で「しゃれこうべ」(kranion)としている。
ヨハネは、属格で「しゃれこうべ」(kraniou)の場所、ヘブライ語で「ゴルゴタ」(Golgotha)とマタイと同じく不変化詞で用いている。
不変化詞のGolgothaは、「しゃれこうべ」のアラム語(gulgalthA)、ヘブライ語の(gulgOleth)が訛ったものと言われている。
エルサレムのやや北にある丘を指すが、丘の斜面に露出した岩にいろいろな穴が空いており、それが頭蓋骨のように見えたからとする説が有力。
マルコは「ゴルゴタ」で、イエスに「没薬を混ぜたぶどう酒」が与えられているが、受け取らなかった、としているが、マタイは「胆汁をまぜたぶどう酒」が与えられたが、なめただけで、飲もうとしなかった、としている。
マルコの「与えた」(edidoun: Imp)もマタイの「与えた」(edOkan: Aor)も態は異なるが、どちらも三人称複数形の動詞であり、主語は「兵士たち」を指している。
田川訳は主語を省略しているが、「ぶどう酒」を与えたのは、シモンではなく、ローマ兵であることを示している。
ルカとヨハネに、ゴルゴタについた時、イエスに「ぶどう酒」が与えられたとする記述はない。
ただし、ヨハネにはイエスが息を引き取る直前に、ローマ兵が「酢」を差し出し、イエスは口にしている(19:29-30)。
すべての福音書で、イエスの左右にもう二人の処刑囚が登場する。
マルコとマタイの囚人たちは、共にイエスを非難するが、ルカの囚人のうち一人はイエスに信仰を示す。
ヨハネの囚人たちがイエスに何か語ったことを示唆する記述は何もない。