マルコ15:1-15 <ピラトの裁判> 並行マタイ27:1-2,11-26、ルカ23:1-5,17-25
参照ヨハネ18:28-19:16
マルコ15 (田川訳)
1そしてすぐに、朝に、祭司長たちが長老、律法学者及び全議会とともに会議をなし、イエスを縛って引き出し、ピラトに引き渡した。2そしてピラトは彼に尋ねた、「汝はユダヤ人の王であるか」。彼は答えてピラトにいう、「あなたがそう言っておいでなのだ」。3そして祭司長たちが彼を多く告発した。4ピラトは再び彼に問うて言った、「汝は何も答えぬのか。見よ、彼らが何と多く汝を告発していることか」。5だがイエスはまったく何も答えなかったので、ピラトは驚いた。6祭のたびに、彼らが願い出る囚人を一人釈放することになっていた。7バラバという者がいた。暴動の時に殺人を犯した暴動犯らとともにつかまっていたのである。8そして群衆が上って来て、いつもなされているのと同じことを、と願いはじめた。9ピラトは答えて彼らに言った、「汝らはユダヤ人の王が釈放されることを欲しているのか」。10というのもピラトは、祭司長たちが彼を引き渡したのは妬みのせいだ、と知っていたからだ。11祭司長たちは、むしろバラバを釈放してくれるようにと、群衆を扇動した。12ピラトは再び答えて彼らに言った、「では、ユダヤ人の王はどうしろと言うのか」。13彼らは再び叫んだ、「十字架につけよ」。14ピラトは彼らに言った、「この者がどういう悪をなしたというのか」。彼らはますます叫んだ、「その者は十字架につけよ」。15ピラトは群衆に迎合しようと思い、バラバを釈放してやった。そしてイエスを鞭打って、十字架につけさせるために引き渡した。
マタイ27
1朝になると、全祭司長と民の長老らがイエスに対して、彼を殺そうと、会議をなした。2そして彼を縛って連れて出て、代官のピラトに引き渡した。
11イエスの方は、代官の前に立った。そして代官が彼に尋ねて言った、「汝はユダヤ人の王であるのか」。イエスは言った、「あなたがそう言っておいでなのだ」。12そして祭司長や長老たちによって告発されている間、何も答えなかった。13その時、ピラトが彼に言う、「聞いていないのか。彼らがなんと多く汝に反対する証言をなしていることか」。14そしてイエスがいかなることについても、一言も彼に答えなかったので、代官は非常にいぶかった。
15祭のたびに代官は群衆が望む囚人を一人、彼らのために釈放してやる慣わしだった。16その時たまたまバラバという有名な者が捕らわれていた。17そこで、彼らが集って来ると、ピラトが彼らに言った、「汝らは誰が釈放されることを欲しているのか。バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか」。18というのもピラトは、祭司長たちが彼を引き渡したのは妬みのせいだ、とわかっていたからだ。19彼が裁き壇に座っていると、妻が人を遣わして言った、「あなたとあの義人の間には何の関係もないのです。あの人のせいで私は今日、夢でひどく苦しみましたから」。20祭司長と長老たちは群衆を説いて、バラバを願い出るようにさせた。そしてイエスを滅ぼすように、と。21代官は答えて彼らに言った、「汝らは二人のうちどちらが釈放されることを欲しているのか」。彼らは言った、「バラバを」。22ピラトが彼らに言う、「では、キリストだと言われているイエスはどうしろと言うのか」。彼らはみな言う、「十字架につけさせよ」。23彼は言った、「この者がどういう悪をなしたというのか」。彼らはますます叫んで言った、「十字架につけさせよ」。24ピラトは、何も役に立たず、むしろ騒動になりそうなのを見て、水を取って群衆の前で手を洗い、言った、「この者の血に私は責任がない。汝ら、自分で見るがよい」。25そしてすべての民が答えて言った、「その血は我らと我らの子孫に(ふりかかるがよい)」。26その時、彼らにバラバを釈放してやり、イエスを鞭打って、十字架につけさせるために引き渡した。
ルカ23
1そして彼らの多数がみな立ち上がり、彼をピラトのところに連れて行った。2彼らは彼を告発しはじめて、言った、「この者は我らの民をゆがめ、皇帝に税金を払うのを妨げ、自分が王なるキリストであるなどと言っておる」。3ピラトは彼に尋ねて言った、「汝はユダヤ人の王であるのか」。彼は答えて彼に言った、「あなたがそう言っておいでなのだ」。4ピラトは祭司長たちや群衆に対して言った、「この者にはいかなる事由も見出せない」。5彼らは頑固に、この者はユダヤ全土に、それもガリラヤからはじめてここまで、教えまわって、民を攪乱している、と言い張った。
17……18だが大勢の者たちがそろって声をあげて言った、「そいつは連れて行け。バラバを我々に釈放せよ」。19この者は町で起こったある暴動と殺人の故に投獄された者である。20ピラトはイエスを釈放しようとして、また彼らに語りかけた。21だが彼らは声をあげて言った、「十字架につけよ。そいつは十字架につけよ」。22彼は三度彼らに対して言った、「この者がどういう悪をなしたというのか。この者には、死に値するような事由は何も見出されなかった。だから、懲らしめて釈放することにしよう」。23だが彼らは猛り立ち、大きな声で、彼を十字架につけるように要求した。そして彼らの声がまさった。24そこでピラトは彼らの要求するようにしようと決定した。25つまり彼らが要求したように、暴動と殺人の故に投獄されていた者を釈放し、イエスを彼らの主張に応じて引き渡したのである。
参ヨハネ18
28それでイエスをカヤパのところから(ローマの代官の)代官屋敷に連れて行く。朝早くだった。そして彼らは官邸には入らなかった。(穢れに)そまることなく過越の食事をするためである。
29それでピラトは外に、彼らのところに出て来た。そして言う、「この人について、あなた方はどんな訴因があるのだ」。30彼らは答えて、彼に言った、「この者が悪いことをしていなければ、我々はこの者を貴下のもとに引き渡したりはしない」。31それで彼らにピラトが言った、「あなた方が自分でこの者を連れで行って、あなた方の律法にしたがって裁くがよい」。彼にユダヤ人が言った、「我々には人を死刑にすることは許されていない」。32(これは)イエスが、自分がいかなる死を死ぬことになるのかを、予言して言った言葉が成就するためである。
33それで再びピラトは代官屋敷に入った。そしてイエスを呼び、彼に言った、「汝はユダヤ人の王であるか」。34イエスが答えた、「あなたは御自分からそういうことを言っておいでなのか。それとも他の者たちが私についてあなたに言ったのか」。35ピラトが答えた、「余がユダヤ人であるわけがないだろう。汝の民族と祭司長どもが汝を余に引き渡したのだ。汝は何をしたのだ」。36イエスが答えた、「私の王国は此の世からのものではない。もしも私の王国が此の世からのものであったら、私の従者たちが、ユダヤ人に私が引き渡されないように闘ったことであろう。だが、私の王国は此の世からのものではない。」。37それで彼にピラトが言った、「では汝は王ではないのか」。イエスが答えた、「私が王だというのは、あなたが言っておいでのことだ。私はこのために生れ、そしてこのために世に来た。すなわち真理について証言するためである。真理からの者はみな私の声を聞く」。 38彼にピラトが言う、「真理とは何か」。
そしてこう言って、(ピラトは)再びユダヤ人のところに出て来た。そして彼らに言う、「私はあの男にいかなる事由も見出さない。39過越の時に余が一人釈放してやるという慣習が汝らにある。それで余がユダヤ人の王を汝らのために釈放してやることを望むか」。 40それで彼らは再び吠えて言った、「そいつではなくバラバを」。バラバは強盗であった。
第十九章
1それでその時、ピラトはイエスをつかまえて、鞭打たせた。2そして兵士たちが荊で冠を編んで、彼の頭にのせた。そして紫の衣を彼にかぶせ、3彼のもとに来て、言った、「拝啓、ユダヤ人の王様」。そして彼に殴打を加えた。
4そして再びピラトは外に出た。そして彼らに言う、「見よ、余はあの者を外に、汝らのところに連れて来る。あの者に余はいかなる事由も見出さない、ということを汝らが知るためである」。5それでイエスは外に出て来た。荊の冠と紫の衣をつけたままである。そして(ピラトは)彼らに言う、「見よ、この人」。6それで祭司長たちや下役たちが彼を見て、吠えて言った、「十字架につけよ、十字架につけよ」。彼らにピラトが言う、「汝らがこの者を引き受けて、十字架につければいいではないか。余はこの者にいかなる事由も見出せないのだから」。7彼にユダヤ人が答えた、「我々には律法がある。この律法によれば、この者は自分を神の子となしたのであるから、死なねばならぬのだ」。8それでこの言葉を聞いた時に、ピラトはむしろ恐れた。9そして再び代官屋敷の中に入り、イエスに言う、「汝はどこから来たのか」。イエスは彼に返事を与えなかった。10それで彼にピラトが言う、「余に対しものを言わぬのか。汝を釈放する権限も十字架につける権限も余にある、ということがわからぬか」。11彼にイエスが答えた、「上からあなたに与えられたのでなければ、あなたは私に対していかなる権限もお持ちでない。この故に、私をあなたに引き渡した者はより大きい罪がある」。12そこで、ピラトは彼を釈放しようとした。だがユダヤ人が吠えて、言った、「もしもこの者を釈放なさるのなら、あなたは(ローマ)皇帝の友とは言えない。みずからを王となす者は誰でも、皇帝に背くのである。」。
13それでピラトはこれらの言葉を聞き、イエスを外に引き出して、リトストロートンと呼ばれる場所にある裁き壇の上に座った。ヘブライ語でガッバター。14過越の準備(の日)であった。時はおよそ第六時(正午)頃。そしてユダヤ人に言う、「見よ、汝らの王」。15それでかの者たちは吠えた、「上げろ、上げろ、十字架につけろ」。彼らにピラトが言う、「汝らの王を十字架につけるのか」。祭司長たちが答えた、「皇帝以外に我らは王を持たぬ」。16それでその時(ピラトは)彼を十字架につけるために彼らに引き渡したのであった。
それでイエスを引き取った。
マルコにおける「ピラトの裁判」はピラトの代官屋敷の中での出来事であり、イエスに対するピラトの審問もピラトと祭司長らユダヤ人たちとの会話やバラバ釈放の要求も場面の転換はなく、一見、ピラトの代官屋敷内での出来事と読める。
一方、ヨハネ福音書における「ピラトの裁判」は、イエスに対するピラトの審問はピラトの代官屋敷内での出来事として描かれているが、ユダヤ人が関係する祭司長ら一行とピラトとの会話やバラバ釈放の要求、イエスに対する判決に関しては、ピラトの代官屋敷の「外」で行なわれたという設定となっている。
マルコは、ピラトに対して、称号を付与していないが、マタイは「代官」(hEgemOn)という称号を付与している。(NWT他すべての和訳聖書が「総督」と訳出)
共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)の「ピラトの裁判」は、基本的に同じ流れで進行しているが、マタイには、マルコにはない「ユダの自殺話」(3-10)や「ピラトの妻の話」(19)が挿入されている。
おそらく、マタイもしくはマタイ派教会の創作。
ルカにも、マルコにはない「ピラトとヘロデに関するエピソード」(6-12)が組み込まれている。
イエスはローマの市民権を持っておらず、当時の時代背景からして、ありえない話である。
おそらく、パウロの事例(使徒25:23-26:32)をイエスにも適用させようとしたルカの創作であろう。
ヨハネにおける「ピラトの裁判」には、イエスの受難日(十字架刑)に関して、共観福音書とは根本的に異なる情報が記されている。
マルコ15
1そしてすぐに、朝に、祭司長たちが長老、律法学者及び全議会とともに会議をなし、イエスを縛って引き出し、ピラトに引き渡した。
マタイ27
1朝になると、全祭司長と民の長老らがイエスに対して、彼を殺そうと、会議をなした。2そして彼を縛って連れて出て、代官のピラトに引き渡した。
ルカ23
1そして彼らの多数がみな立ち上がり、彼をピラトのところに連れて行った。
参ヨハネ18
28それでイエスをカヤパのところから(ローマの代官の)代官屋敷に連れて行く。朝早くだった。そして彼らは官邸には入らなかった。(穢れに)そまることなく過越の食事をするためである。
マルコとマタイは、「ピラトの裁判」の始まりを、「朝に」としているが、ルカは「朝に」とはしていない。
ルカは前段の「大祭司の裁判」を「朝に」(22:66)に設定しているので、「ピラトの裁判」まで、「朝に」とするわけにはいかなかったのだろう。
ただし、共観福音書の流れは、イエスの逮捕は、「過越の食事」と「最後の晩餐」が祝われた以後の話であり、ピラトの裁判は、翌朝以降の話である。
マルコ(マタイ、ルカ)では、「最後の晩餐」(主の晩餐、聖餐式、記念式)は、ユダヤ教の「過越の食事」と共に行なわれており、イエスの十字架も、翌日の夕方までに終了している。
夕方から夕方を一日とするユダヤ暦の数え方からすると、どちらも同じ「ニサン15日」の出来事となる。
「過越の食事」に必要な「子羊の肉」や「無酵母パン」は、その前日となる「過越の準備の日」である「ニサン14日」が終わる夕方までに用意され、その日の夕方から始まる翌日となる「ニサン15日」に、「過越の食事」をし、「過越祭」が祝われる。
過越祭の起源に関する旧約の話は、出エジプト記12:1-20参照。
律法的規定に関しては申命記16:1-8、レヴィ記23:4-8参照。
申命記の「アービーブの月」は旧約の中でも非常に古い時期の暦の呼称で、後の呼称である「ニサンの月」と同じ。
共観福音書によると、ユダヤ暦で言うなら、「過越祭」(ニサン15日)が始まった夕方に「過越の食事」をし、「聖餐式の制定」をなし、オリーブ山に出かけ、大祭司の下役たちに逮捕され、「大祭司の裁判」がその日の夜のうちになされ(ルカは早朝に設定)、翌朝に「ピラトの裁判」が行われ、「十字架刑」に処刑された。
ユダヤ暦での「ニサン15日」一日うちに、イエスは「過越」の食事をし、「聖餐式を制定し」、「受難の死」を遂げた、ということになる。
つまり、「イエスの受難」(十字架刑)は、「過越祭」の始まりと同じ日の「ニサン15日」ということになる。
ヨハネ福音書によると、ピラトの裁判が「朝早く」であることは共観福音書と共通しているが、ユダヤ人の群衆は、ピラトの「代官屋敷」には入らなかった、とある。
その理由として、「(穢れに)そまることなく過越の食事をするため」であるとしている。
ピラトはローマ人の役人であり、ユダヤ人からすれば「異邦人」である。
ユダヤ人としては、ピラトの家に入ることが、「そまる」(meianthOsin字義:[錆や色に]そまる)ことになるので、入らなかったというのである。
大祭司をはじめイエスを告発したユダヤ人たちが、ピラトの代官屋敷に入らなかったのは、ユダヤ教の律法により規定された三大祭りの一つである「過越の祭」を祝うための大切な「食事」をする前に、「異邦人」の家の中に入って、異邦人の穢れに「染まる」わけには、いかなかったからというのである。
とすれば、ピラトの裁判は、「過越の食事」をする前の出来事であり、「過越祭」の日に行なわれたのではないことになる。
つまり、イエスの受難(十字架刑)は、「過越の準備の日」である「ニサン14日」の出来事であり、イエスの処刑が終わった日の夕方から「ニサン15日」が始まり、ユダヤ人たちは「過越祭」で「過越の食事」をしたことになる。
ヨハネ福音書によれば、「イエスの十字架」は、「過越の食事」の前の話であるから、ユダヤ人の弟子たちがイエスと一緒に「過越祭」を祝うことはできないはずである。
とすれば、ヨハネにおける「最後の晩餐」の話は、「過越祭」における「過越の食事」の話ではなく、「過越の準備の日」の出来事であることになる。
つまり、ヨハネ福音書における「最後の晩餐」は「ニサン15日」の「過越の食事」ではなく、「ニサン14日」に行なわれた「弟子たちとの最後の食事」ということになる。
マルコ(マタイ、ルカ)とヨハネでは、「最後の晩餐」も「イエスの十字架刑」も、一日ずれることになる。
どこから、この違いが生じたのか、宗教的典礼の起源譚としては奇妙な話である。
「イエスの受難日」(十字架刑)は、キリスト教にとって最大の重要事件であり、教祖様の命日でもある。
「最後の晩餐」時に制定されたとする「聖餐式」も、「浸礼式」とともにキリスト教発足時から守られてきたキリスト教の最重要儀式である。
宗教的典礼は、特定の「日」が宗教的に重要な出来事と結び付いて定められるのが由来・伝統の常識であり、暦上、どの日であるかは、最初の時期から、しっかり記憶されて伝承されてきたはずである。
キリスト教における最重要事項とも言える、「イエスの十字架」と「聖餐式」の伝承が、マルコとヨハネで異なっているである。
奇妙で異例な話である。
マルコもヨハネも、それぞれ自分が以前からよく知られていた話を信頼して書いている様子であり、それぞれの出来事に疑念を抱いている様子は全くない。
むしろどちらも、確信をもって受難物語を描いているように思える。
ただし、マルコにしてもヨハネにしても、歴史的に正確な事実を伝えようというよりも、どちらも神学的な意味付けから伝えられていた日付に従がっているようである。
つまり、イエスの「最後の晩餐」がユダヤ教の「過越祭」の「過越の食事」にとって替わるべきキリスト教の新しい「聖餐式」の出発を定めるものであるなら、イエスの十字架は「過越の食事」の日でなければならない。
それに対し、「イエスの十字架」が「過越の羊」にとって替わるべき、「人々の救い」のためにほふられた「義性の死」に定めるものであるなら、「イエスの十字架」は、「過越の羊」を屠る「過越の準備の日」でなければならない。
どちらも、キリスト教における神学的解釈から必要とされる日付であり、どちらのキリスト教神学にしても、初期教会の時代から提唱されていたものである。
なぜ、日付の混同が生じたのか、どのようにキリスト教会の最初期から二つのキリスト教神学が共存することになったのか、確かなことは不明である。
それでも、キリスト教の黎明期から少なくても二つのキリスト教神学が存在していたことは確かであろう。
イエスがこの時エルサレムに行ったのは、「過越祭」に参加するためであるから、イエスの死もヨハネ伝承の「ニサン14日」あるいはマルコ伝承の「ニサン15日」、どちらの可能性もある。
ただ、当時の政治的宗教的背景に照らして、現実的な視点からすれば、ローマ支配権力にとっても、ユダヤ教権力にとっても、ユダヤ教の最重要祭である過越祭の期間中に死刑執行を行なうことは避けたかったであろう。
ユダヤ人にとって、ローマ帝国によるユダヤ人に対する死刑は、「異邦人」の手による「聖なる民」を「罪人として死」に処す行為であるから、「二重の穢れ」を意味する。
ヨハネによれば、イエスには施されなかったが、通常の十字架刑では行なわないような「罪人の脚を折る」という処置が行なわれたとしている。(ヨハネ19:31-33)
マルコ(マタイ・ルカ)にはこの記述はなく、第九時(午後三時)にイエスが息を引き取った、とあるだけである。
イエスにも施そうとした「脚の骨を折る」という罪人の死を早めるための処置が、夕方から「過越祭」が始まることを意識したもので、その前に十字架刑を終わらせることを目的としたのであれば、「イエスの十字架」は「過越の準備の日」(ニサン14日)のうちになされたということになろう。
とすれば、史実的には、イエスが「過越祭」における「過越の食事」も「聖餐式の設定」も物理的にできるはずもない。
おそらく、ヨハネにあるように、「最後の晩餐」も「イエスの十字架」の「過越祭」の始まる前夜であり、夕方から始まるユダヤ暦の数え方からすれば、どちらも「過越の準備の日」(ニサン14日)の同日のうちに行なわれたのであろう。
受難物語に関しては、ヨハネ福音書の方が共観福音書より、信憑性が高いと思われる。
WTは「記念式」を夕方以降の「ニサン14日」に相当するとされる日に実施している。
ある意味では、聖書的であると言えるかもしれないが、マルコ(マタイ・ルカ)とヨハネでは、「最後の晩餐」の日が一日異なっていることについては、一切触れていない。
現役のWT信者の中で、共観福音書とヨハネでは、一日ずれることを知っているJWはほとんどいないと思われる。
マルコ(マタイ・ルカ)の「過越の食事」と「最後の晩餐」の日の方を、「ニサン14日」とし、「過越祭」が現代でもユダヤ暦の「ニサン14日」に相当する日から始まると解説している。
*** 論 138ページ 3節 記念式(主の晩さん) ***
エホバの証人は,1世紀当時に普通に用いられていたユダヤ人の暦による計算に従って,記念式をニサン14日の日没後に執り行ないます。ユダヤ人の1日は日没に始まり,翌日の日没まで続きます。ですから,イエスは記念式を制定された,ユダヤ暦のその同じ日に亡くなられました。ニサンの月は,春分に最も近い新月がエルサレムで見えるようになった後の日没に始まりました。その14日後が記念式の日付となります。(したがって,記念式の日付は現代のユダヤ人の守っている過ぎ越しの日付と合致しない場合もあります。それはなぜですか。現代のユダヤ人の暦月の始まりは,天文学上の新月と合致するよう定められており,18ないし30時間後にエルサレムで見えるようになる新月に合うよう定められてはいないからです。また,今日,大抵のユダヤ人は,過ぎ越しを,モーセの律法に述べられているところにしたがってイエスがなさったようにニサン14日に守るのではなく,ニサン15日に守っています。)
ユダヤ人がモーセの律法に従がい、過ぎ越しを「ニサン15日」に守るべきものとしていることを指摘しながら、イエスは「ニサン14日」に記念式を制定し、同じ日に「亡くなった」としている。
春分にもっとも近い新月がエルサレムで見えるようになった日の日没後がニサンの始まりであることを指摘し、ユダヤ教におけるニサンの暦月の始まりの数え方が現代とイエスの時代とでは異なることを正当化している。
月齢は29.5日周期であり、ユダヤ暦が30日周期であり、新月のずれが18-30時間後になる可能性はあるが、エルサレム基準でGMTとの時差は-2Hであり、現代でも古代でもその時差は変わらない。
イエスが「記念式を制定した日」も「亡くなった日」も「同じ日」であることを指摘しているが、その日が「ニサン14日」であったことの証明にはなっていない。
マルコ(マタイ・ルカ)では、「過越の食事」の後「記念式」が制定されたのであるが、共観福音書とヨハネでは、「記念式」と「イエスの十字架刑」とが異なる日となる事には、一切触れていない。
WT解説に従がえば、イエスはモーセの律法には従わずに、ニサン14日に「過越の食事」をしていたことになる。
むしろ、「過越の羊」を屠る日と「過越祭」の始まりとなる「過越の食事」をする日を同じ日であるかのように混同させ、共観福音書の方を「ニサン14日」の出来事であるかのようにすり替え、現代のユダヤ教徒の方が暦の数え方を間違えているかのように印象操作しているように思える。
「過越の食事」と「記念式」が同じ日の出来事であるとする共観福音書を支持しながら、「イエスの受難」(十字架刑)が「過越祭」における「過越の食事」の前日であるとするヨハネ福音書の記述は無視しているのである。
その矛盾を悟らせずにWT教理の正統性を主張するために、現代のユダヤ教に暦法の数え方を否定し、旧約におけるモーセの律法に基づく「過越祭」が始まる「ニサン15日」をイエスの時代では「ニサン14日」に相当するとして、旧約の日付をも否定しようとしているのであろう。
以上が、WTが最重要としている「記念式」の日付の実態である。
WTの統治体が、聖書に忠実であり、聖書の真理を託されている唯一の地上の組織であるという看板は、全く信用しない方が良いようである。
ピラトの尋問に関しても、共観福音書とヨハネではかなり異なっている。
マルコ15
2そしてピラトは彼に尋ねた、「汝はユダヤ人の王であるか」。彼は答えてピラトにいう、「あなたがそう言っておいでなのだ」。3そして祭司長たちが彼を多く告発した。4ピラトは再び彼に問うて言った、「汝は何も答えぬのか。見よ、彼らが何と多く汝を告発していることか」。5だがイエスはまったく何も答えなかったので、ピラトは驚いた。
マタイ27
11イエスの方は、代官の前に立った。そして代官が彼に尋ねて言った、「汝はユダヤ人の王であるのか」。イエスは言った、「あなたがそう言っておいでなのだ」。12そして祭司長や長老たちによって告発されている間、何も答えなかった。13その時、ピラトが彼に言う、「聞いていないのか。彼らがなんと多く汝に反対する証言をなしていることか」。14そしてイエスがいかなることについても、一言も彼に答えなかったので、代官は非常にいぶかった。
ルカ23
2彼らは彼を告発しはじめて、言った、「この者は我らの民をゆがめ、皇帝に税金を払うのを妨げ、自分が王なるキリストであるなどと言っておる」。3ピラトは彼に尋ねて言った、「汝はユダヤ人の王であるのか」。彼は答えて彼に言った、「あなたがそう言っておいでなのだ」。4ピラトは祭司長たちや群衆に対して言った、「この者にはいかなる事由も見出せない」。5彼らは頑固に、この者はユダヤ全土に、それもガリラヤからはじめてここまで、教えまわって、民を攪乱している、と言い張った。
参ヨハネ18
29それでピラトは外に、彼らのところに出て来た。そして言う、「この人について、あなた方はどんな訴因があるのだ」。30彼らは答えて、彼に言った、「この者が悪いことをしていなければ、我々はこの者を貴下のもとに引き渡したりはしない」。31それで彼らにピラトが言った、「あなた方が自分でこの者を連れで行って、あなた方の律法にしたがって裁くがよい」。彼にユダヤ人が言った、「我々には人を死刑にすることは許されていない」。32(これは)イエスが、自分がいかなる死を死ぬことになるのかを、予言して言った言葉が成就するためである。
33それで再びピラトは代官屋敷に入った。そしてイエスを呼び、彼に言った、「汝はユダヤ人の王であるか」。34イエスが答えた、「あなたは御自分からそういうことを言っておいでなのか。それとも他の者たちが私についてあなたに言ったのか」。35ピラトが答えた、「余がユダヤ人であるわけがないだろう。汝の民族と祭司長どもが汝を余に引き渡したのだ。汝は何をしたのだ」。36イエスが答えた、「私の王国は此の世からのものではない。もしも私の王国が此の世からのものであったら、私の従者たちが、ユダヤ人に私が引き渡されないように闘ったことであろう。だが、私の王国は此の世からのものではない。」。37それで彼にピラトが言った、「では汝は王ではないのか」。イエスが答えた、「私が王だというのは、あなたが言っておいでのことだ。私はこのために生れ、そしてこのために世に来た。すなわち真理について証言するためである。真理からの者はみな私の声を聞く」。 38彼にピラトが言う、「真理とは何か」。
マルコでは、ピラト(Pilatos)とあるだけであるが、マタイには、代官(hEgemOn)という称号が付いている。
ラテン語名は、Pontius Pilatus。五代目のローマ帝国のユダヤ駐在の代官(praefectus Judaeae)で、任期は26-36年。
後6年にユダヤ地方がローマの直轄地になって以来、エルサレムに代官屋敷が置かれたが、ユダヤ人を刺激しないためにエルサレムに常駐することはなく、原則としてカイサリアの港町に常駐していた。
ギリシャ語の「代官」(hEgemOn)は通常ローマ官職のprocuratorの定訳語であり、ローマの行政的な身分としてのprocuratorは、皇帝の直轄地の「代官」を指す呼称である。
ユダヤ地方の場合は、シリアの「地方長官、総督」(proconsul)の管轄下にあるから、正式には「代官」(procurator)ではなく、「長」(praefectus)という呼称であった。
ピラトの正式な官位は、praefectusであり、通称として「代官」(hEgemOn)と呼ばれていたのだろう。
NWTをはじめ和訳聖書はすべて、「代官・長」ではなく、「総督」と訳している。
マルコ(マタイ、ルカ)におけるイエスに対するピラトの審問は、「汝はユダヤ人の王であるか」(su ei ho basileus tOn ioudaiOn)というもの。
共観福音書における大祭司の裁判、ピラトの裁判のどちらについても、その細部の会話がどこまで正確に事実を記しているのか不明。
受難物語の大元は、おそらくエルサレム議会の議員のうちの誰かが、後にイエスの弟子たちに話を伝えたのであろうから、大祭司の裁判についてはある程度信頼できるとしても、マルコらが伝えるように、ピラトの裁判がピラトの公邸の中での出来事であるなら、その詳細について、それを目撃できたキリスト教側の者がいた可能性はないと思われる。
つまり、共観福音書における「ユダヤ人の王」をめぐるこのやりとりも、どこまで事実かどうか不明である。
しかしながら、十字架刑の時に付けてあった捨札に「ユダヤ人の王」という罪名が掲げられたのであるから、イエスが、「ユダヤ人の王」を偕称した、という罪で、十字架刑に処されたことは確かである。
イエスはピラトの質問に、マルコ(マタイ、ルカ)でも、「あなたがそう言っておいでなのだ」(su legeis)と答えるだけで、他の告発対して、マルコは「まったく何も答えなかった」(ouketi ouden apekrithE)、マタイは「彼に一言も答えなかった」(ouk apekrithE auto pros oude hen)とある。
何も答えないイエスに対して、マルコのピラトは「驚く」(NWT:驚嘆する)(thaumazein)が、マタイのピラトは「いぶかる」(NWT:不思議に思う)。
原文のギリシャ語は、どちらもthaumazOという同じ動詞。
マルコでは、奇跡物語の結びに使われている常套語で、「驚嘆する」という趣旨で使われているが、字義的には「いぶかる」という感じ。
マタイはその意味で使っているのだろう。
ルカは、「この者は我らの民をゆがめ、皇帝に税金を払うのを妨げ、自分が王なるキリストであるなどと言っている」という告発を取り上げているが、ルカによる付加。
おそらく、ルカとしてはイエスの「あなたがそう言っておいでなのだ」というピラトに対する返答を「そうだ」、つまりイエスが「キリスト」であることを肯定していると読ませたいための挿入であろう。
新改訳や口語訳はマルコもマタイもルカも、すべて、「そのとおりである」とイエスが「肯定した」ものとして訳している。
しかし、「大祭司の裁判」におけるマルコ14:62「私がそうだということは、あなたが言っておいでのことだ」(su eipas hoti ego eimi )とは異なり、この句に「私がそうだ」(hoti ego eimi)とある異読はない。
「あなたがそう言っておいでのことだ」(su legeis)という「あなた」という二人称主格単数の主語(su)に、目的語を持たない自動詞の動詞(legeis)を置いているだけの表現であり、積極的に「ユダヤ人の王」であることを肯定する意味はない。
文字通り、「それはあなたが言っている」という事実を指摘しているだけであり、むしろ強調されているのは、「言っている」ことの趣旨ではなく、「あなた」(su)という単数の主語である。
なお、マルコでは「祭司長たち」がイエスを告発するのであるが、マタイでは「祭司長や長老たち」によって告発されている。
ルカの「彼らの多数がみな」(hapan to plEthos auton)の「彼ら」とは、文法的には直前に出て来る「議員たち」を指す。
大祭司邸に集まった議員たちがみな、こぞって立ち上がり、イエスを告発した、という趣旨になる。
ヨハネにおけるピラトとイエスの問答は、共観福音書とは全く異なっている。
ピラトは、公邸に入ろうとしなかった大祭司のところから来たユダヤ人の告発者に対して、自ら「外に」出て来て、「訴因」を尋ね、「あなた方の律法にしたがって裁く」ように告げる。
ユダヤ人たちは、「死刑にすることは許されていない」と反論する。
この時期のユダヤは、ローマの直轄地であり、ユダヤ人支配者は主権を持っていなかった。
ローマの支配者は、面倒な事には手を出す気がなかったから、内政のほとんどはすべて大祭司に任せていた。
ただし、死刑相当の重大な犯罪の場合だけは、ユダヤに限らず、ローマの直轄地ではすべて、ローマの代官が自ら裁判をすることになっていた。
ヨハネにおけるピラトとユダヤ人との一連の問答は、いかにもありそうな話である。
史実的な資料からも権力には迎合するが民衆を弾圧する評判のあまりよろしくないピラトの慇懃無礼なもの言いや面倒な事にはかかわりたくないとする態度。
ユダヤ教の代表者(カヤパ?)と思われる人物の独善的で高慢なもの言いは、実際の人物像が明確でなければ創作しえない会話である。
それにこの会話は、ピラトの代官屋敷の「外の」入り口でなされたものであるから、大祭司について行った大勢の者たちも聞くことのできたはずである。
マルコやマタイには、ピラトとの間にこの種の会話は登場しない。
しかし、ルカ(23:4)にはヨハネ(18:38)と同じくピラトの「この者にはいかなる事由も見出せない」とする祭司長や群衆に対する宣言がなされている。
ルカの描写のようにこの宣言が、ピラトの代官屋敷内での出来事であるとするなら、キリスト教側の人間が知り得たはずはない。
しかし、ヨハネが描写するようにピラトの代官屋敷の外にある入り口での宣言であるなら、大勢の群衆の中にキリスト教側のユダヤ人が紛れ込んでいたとしても不思議はない話である。
ただし、ヨハネ18:32のイエスの死を「予言の成就」とする句は、教会的編集者による付加。
マルコ、マタイでは、イエスはユダヤ人たちの告発に何も答えないのであるが、ヨハネでは、イエスに「いかなる事由も見出さない」と納得するまで、さらに「ピラトの審問」が続く。
参ヨハネ18
33それで再びピラトは代官屋敷に入った。そしてイエスを呼び、彼に言った、「汝はユダヤ人の王であるか」。34イエスが答えた、「あなたは御自分からそういうことを言っておいでなのか。それとも他の者たちが私についてあなたに言ったのか」。35ピラトが答えた、「余がユダヤ人であるわけがないだろう。汝の民族と祭司長どもが汝を余に引き渡したのだ。汝は何をしたのだ」。36イエスが答えた、「私の王国は此の世からのものではない。もしも私の王国が此の世からのものであったら、私の従者たちが、ユダヤ人に私が引き渡されないように闘ったことであろう。だが、私の王国は此の世からのものではない。」。37それで彼にピラトが言った、「では汝は王ではないのか」。イエスが答えた、「私が王だというのは、あなたが言っておいでのことだ。私はこのために生れ、そしてこのために世に来た。すなわち真理について証言するためである。真理からの者はみな私の声を聞く」。 38彼にピラトが言う、「真理とは何か」。
マルコとマタイにこの種のピラトの審問は存在しないが、ヨハネにおけるこの場面のピラトのイエスに対する審問は代官屋敷内での出来事である。
代官屋敷内での会話であるなら、その場に居たローマ兵がキリスト教に転向したのでなければ、キリスト教側の人間が知り得た可能性は低い。
ピラトは、「外の」ユダヤ人たちから、再び屋敷内に戻り、屋敷内に引き取っていたイエスに、いきなり「汝はユダヤ人の王であるか」と尋ねる。
しかし、その前にイエスがユダヤ人の王だと偕称したとユダヤ人が訴えたとする記述はない。
少なくても、ユダヤ人たちがピラトに対して、イエスがユダヤ人の王であると自称した、という訴因がなければ成立しないイエスに対するピラトの審問である。
さらにヨハネにはマルコにはないイエスに対する審問が繰り返されるが、ピラトの問いに対して、37「それはあなたが言っていることだ」とイエスが言う話の流れは、マルコ15:2-3と同じである。
おそらく、ヨハネのこの部分は原著者がマルコを念頭に、自己流に脚色したものであろう。
ピラトがバラバを釈放することになる経緯についても、各福音書によって異なっている。
マルコ15
6祭のたびに、彼らが願い出る囚人を一人釈放することになっていた。7バラバという者がいた。暴動の時に殺人を犯した暴動犯らとともにつかまっていたのである。8そして群衆が上って来て、いつもなされているのと同じことを、と願いはじめた。9ピラトは答えて彼らに言った、「汝らはユダヤ人の王が釈放されることを欲しているのか」。10というのもピラトは、祭司長たちが彼を引き渡したのは妬みのせいだ、と知っていたからだ。11祭司長たちは、むしろバラバを釈放してくれるようにと、群衆を扇動した。12ピラトは再び答えて彼らに言った、「では、ユダヤ人の王はどうしろと言うのか」。13彼らは再び叫んだ、「十字架につけよ」。14ピラトは彼らに言った、「この者がどういう悪をなしたというのか」。彼らはますます叫んだ、「その者は十字架につけよ」。15ピラトは群衆に迎合しようと思い、バラバを釈放してやった。そしてイエスを鞭打って、十字架につけさせるために引き渡した。
マタイ27
15祭のたびに代官は群衆が望む囚人を一人、彼らのために釈放してやる慣わしだった。16その時たまたまバラバという有名な者が捕らわれていた。17そこで、彼らが集って来ると、ピラトが彼らに言った、「汝らは誰が釈放されることを欲しているのか。バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか」。18というのもピラトは、祭司長たちが彼を引き渡したのは妬みのせいだ、とわかっていたからだ。19彼が裁き壇に座っていると、妻が人を遣わして言った、「あなたとあの義人の間には何の関係もないのです。あの人のせいで私は今日、夢でひどく苦しみましたから」。20祭司長と長老たちは群衆を説いて、バラバを願い出るようにさせた。そしてイエスを滅ぼすように、と。21代官は答えて彼らに言った、「汝らは二人のうちどちらが釈放されることを欲しているのか」。彼らは言った、「バラバを」。22ピラトが彼らに言う、「では、キリストだと言われているイエスはどうしろと言うのか」。彼らはみな言う、「十字架につけさせよ」。23彼は言った、「この者がどういう悪をなしたというのか」。彼らはますます叫んで言った、「十字架につけさせよ」。24ピラトは、何も役に立たず、むしろ騒動になりそうなのを見て、水を取って群衆の前で手を洗い、言った、「この者の血に私は責任がない。汝ら、自分で見るがよい」。25そしてすべての民が答えて言った、「その血は我らと我らの子孫に(ふりかかるがよい)」。26その時、彼らにバラバを釈放してやり、イエスを鞭打って、十字架につけさせるために引き渡した。
ルカ23
17……18だが大勢の者たちがそろって声をあげて言った、「そいつは連れて行け。バラバを我々に釈放せよ」。19この者は町で起こったある暴動と殺人の故に投獄された者である。20ピラトはイエスを釈放しようとして、また彼らに語りかけた。21だが彼らは声をあげて言った、「十字架につけよ。そいつは十字架につけよ」。22彼は三度彼らに対して言った、「この者がどういう悪をなしたというのか。この者には、死に値するような事由は何も見出されなかった。だから、懲らしめて釈放することにしよう」。23だが彼らは猛り立ち、大きな声で、彼を十字架につけるように要求した。そして彼らの声がまさった。24そこでピラトは彼らの要求するようにしようと決定した。25つまり彼らが要求したように、暴動と殺人の故に投獄されていた者を釈放し、イエスを彼らの主張に応じて引き渡したのである。
参ヨハネ18-19
38……そしてこう言って、(ピラトは)再びユダヤ人のところに出て来た。そして彼らに言う、「私はあの男にいかなる事由も見出さない。39過越の時に余が一人釈放してやるという慣習が汝らにある。それで余がユダヤ人の王を汝らのために釈放してやることを望むか」。40それで彼らは再び吠えて言った、「そいつではなくバラバを」。バラバは強盗であった。
1それでその時、ピラトはイエスをつかまえて、鞭打たせた。2そして兵士たちが荊で冠を編んで、彼の頭にのせた。そして紫の衣を彼にかぶせ、3彼のもとに来て、言った、「拝啓、ユダヤ人の王様」。そして彼に殴打を加えた。
4そして再びピラトは外に出た。そして彼らに言う、「見よ、余はあの者を外に、汝らのところに連れて来る。あの者に余はいかなる事由も見出さない、ということを汝らが知るためである」。5それでイエスは外に出て来た。荊の冠と紫の衣をつけたままである。そして(ピラトは)彼らに言う、「見よ、この人」。6それで祭司長たちや下役たちが彼を見て、吠えて言った、「十字架につけよ、十字架につけよ」。彼らにピラトが言う、「汝らがこの者を引き受けて、十字架につければいいではないか。余はこの者にいかなる事由も見出せないのだから」。7彼にユダヤ人が答えた、「我々には律法がある。この律法によれば、この者は自分を神の子となしたのであるから、死なねばならぬのだ」。8それでこの言葉を聞いた時に、ピラトはむしろ恐れた。9そして再び代官屋敷の中に入り、イエスに言う、「汝はどこから来たのか」。イエスは彼に返事を与えなかった。10それで彼にピラトが言う、「余に対しものを言わぬのか。汝を釈放する権限も十字架につける権限も余にある、ということがわからぬか」。11彼にイエスが答えた、「上からあなたに与えられたのでなければ、あなたは私に対していかなる権限もお持ちでない。この故に、私をあなたに引き渡した者はより大きい罪がある」。12そこで、ピラトは彼を釈放しようとした。だがユダヤ人が吠えて、言った、「もしもこの者を釈放なさるのなら、あなたは(ローマ)皇帝の友とは言えない。みずからを王となす者は誰でも、皇帝に背くのである。」。
13それでピラトはこれらの言葉を聞き、イエスを外に引き出して、リトストロートンと呼ばれる場所にある裁き壇の上に座った。ヘブライ語でガッバター。14過越の準備(の日)であった。時はおよそ第六時(正午)頃。そしてユダヤ人に言う、「見よ、汝らの王」。15それでかの者たちは吠えた、「上げろ、上げろ、十字架につけろ」。彼らにピラトが言う、「汝らの王を十字架につけるのか」。祭司長たちが答えた、「皇帝以外に我らは王を持たぬ」。16それでその時(ピラトは)彼を十字架につけるために彼らに引き渡したのであった。
「過越祭」に際してローマの代官がユダヤ人の一人の囚人に恩赦を与える慣習に関して、マルコは6「祭のたびに、彼らが願い出る囚人を一人釈放することになっていた」。
マタイは15「祭のたびに代官は群衆が望む囚人を一人、彼らのために釈放してやる慣わしだった」。
ルカは、「過越祭」におけるローマの恩赦の慣習には触れておらず、25「ユダヤ人の要求により、
バラバを釈放し、イエスを彼らの主張に応じて引き渡した」とある。
直訳は「彼らの意思に引き渡した」。
NWT「イエスの方は彼らの意向にゆだねた」(Jesus to their will)。
一見、ユダヤ人たちの十字架につけろという意思に従がって、イエスをユダヤ人の手で死刑に処してもよい、という意味に読める。
しかし、ユダヤ人に死刑の権限はなく、彼らの主張に迎合し、(イエスを死刑にするために)、引き渡した、ということである。
ヨハネは39「過越の時に余が一人釈放してやるという慣習が汝らにある」とピラトがユダヤ人に告げる。
ローマ帝国とユダヤ間にいつこの恩赦の協定が結ばれたのかはっきりしないが、おそらくヘロデ大王の死後以降におけるローマに対するユダヤ人のガス抜き政策であり、前4年以降というよりは、ローマの直轄地になった後6年以降の可能性の方が高いと思われる。
マルコが「祭のたびに」(kata de heortEn)、マタイが「慣わしだった」(eiOthei)、ヨハネが「慣習が汝らにある」(estin de synEtheia humin)としていることからすると、「過越祭」が始まる前に行なわれる恒例行事であり、ユダヤ人の要請により恩赦を受けた囚人は、ともにユダヤ教の「過越祭」を祝ったのであろう。
バラバ(Barabbas)は、アラム語名であるが、Bar AbbAかBar RabbAnかで議論がある。
ギリシャ語綴りからすれば、rが一つであるから、Bar AbbA(父の子)という意味であろう。
日本語的には「父の子」という名前は奇妙に思えるが、意外と多く知られているという。(ビラーベック第一巻p1031)
rが二つの綴りを採用し、最後にnを加えたBar RabbAnをとると、「ラビ(師)の子」という意味になる。
マタイ27:17の註にも「師の子」という説明が書きこまれたいくつかの写本が存在するという。
マタイ27:16,17の写本にみられる異読には、「イエス・バラバ」となっているものがある。
主な重要大文字写本にはなく、Θ、f1ほかごく少数の写本とシリア語訳の一部に見られるだけ。
カイサリア系の写本であるから、マルコであれば重要な異読であるが、マルコの写本に「イエス・バラバ」とある写本は存在しない。
マタイにはカイサリア系という写本の系列は存在しておらず、マタイにおける写本の重要性からして、マタイの原文が「イエス・バラバ」であった可能性は考え難い。
テイラーほか一部の学者は、もともと「イエス」付きが原文であり、イエス・キリストと同じ名前であるのは冒涜であるから、後代の写本家が削ったのだろう、と主張している。
しかしながら、マタイではイエスとバラバの二人の囚人しか登場しない。
むしろ、二人の「イエス」がつかまって、一人が釈放され、キリストである「イエス」の方が十字架につけられた、とする方が劇的であるからとして、後代の写本家により、付加された可能性の方が高いと思われる。
バラバについて、マルコは「暴動の時に殺人を犯した暴動犯らとともにつかまっていた」としているが、マタイは「有名な者」としているだけで、罪状について何も述べていない。
マルコの「暴動」という表現を根拠にして、「熱心党」の一員、「反ローマ抵抗運動」の一員、あるいは「山賊一味」の首領などに推定するのは、すべて小説的想像に過ぎない。
イエスの受難時には、まだ「熱心党」も「反ローマ帝国運動」も存在していない。
原文の並びからすれば、「暴動」の時に殺人を犯したのは「暴動犯ら」であり、バラバは「暴動」の時につかまっていただけで、「暴動犯ら」とは無関係とも読める。
マタイの誇張的表現でなければ、ユダヤ人の間では、何らかの理由で「有名な者」だったのであろう。
ただし、ヨハネはバラバを40「強盗」としているので、「強盗バラバ」という言い方が普及している。
マルコでは、「群衆が上って来て」、バラバの釈放を願い出た、としている。
13章までのマルコの「群衆」(ho ochlos)は、一貫してイエスに対して好意的な存在であり、イエスの理解者である。エルサレム入城(11:8-10)に際しては、イエスをメシアとして歓迎している。
しかし、ここでの「定冠詞付き群衆」(ho ochlos)は、イエスを「十字架につけよ」と叫ぶ。
ここの「群衆」は、受難物語における「群衆」であり、14:43と同じく、祭司長たちによって動員された共産党の運動員のようなものである。
マルコの本論部分と同じ「群衆」ではない。
受難物語におけるマルコの「群衆」(ho ochlos)は伝承のままの言葉遣いで書いているのだろう。
マルコでは「群衆」が「上って来て」(anaboEsas)ピラトに願い出ているが、ピラトの代官屋敷はエルサレムの丘の上にあったので、「上って来て」と表現したのだろう。
マタイでは、「群衆」は上って行かないが、「群衆」がバラバの釈放を願い出る。
マタイにおける「群衆」は、マルコとは異なり一貫してイエスに対して無理解な存在であり、ここでは「祭司長と長老たち」に動員され、扇動された「群衆」である。
マタイのイエスに好意的でイエスの理解者であるのは「弟子たち」(十二使徒たち)だけである。
ルカは、「大勢の者たちそろって」がバラバの釈放を要求している。
ルカ23:1にも同種の表現が出て来るが、この個所の原文ギリシャ語は、「大勢の者がみな」(pan to plEthos)という言い方をくっつけて一単語の副詞(pamplEthei)としたもの。
「我々に」とは、13「祭司長や長老たちと民」を指しているから、彼らがこぞって、バラバの釈放を要求した、という趣旨になる。
田川訳もNWTも、その前にあるルカ23:17を削除している。
一部の写本(シナイ、西方系、ビザンチン系の多数)には、17「彼は祭のたびに彼らに対して一人の者を釈放してやらなければならないことになっていたのである」という句が入っている。
しかし、シナイ写本以外のアレクサンドリア系の重要写本は、すべてこの句を削除している。
この句はマタイ27:15とまったく同じであり、後代の写本家が、マタイの句をルカに持ち込んだものであろう。
マルコでは、イエスの告発が「祭司長たちの妬み」のせいであることを知っていたが、ピラトは祭司長たちの扇動による「群衆」に迎合し、バラバの釈放を決定し、イエスを鞭打ち、「群衆」に引き渡す。
マタイでは、ピラトが裁きを下す前に、ピラトの妻がイエスを「義人」とし、関わらないように人を遣わして、伝言させた、とする話(27:19)が挿入されている。
ユダの自殺話(27:3-10)と同様、マタイもしくはマタイ派教会による創作話であろう。
裏切り後のユダの話は、マルコもパウロもヨハネ福音書も何も伝えていない。
ルカは、使徒1:16-20で、マタイとは別伝承のユダの自殺を採用している。
マタイとルカが一致するのは、ユダが「自殺した」ということと、「血の土地」という表現だけで、ほかはまったく一致しない。
マタイもルカも、ユダの死を旧約の預言と結び付けようとしているが、マタイは実際にはゼカリヤ11:13であるが、エレミヤ書を適用しようとしている。
ルカは詩篇(69:25、109:8)を引用して、旧約の預言成就としている。
ユダの死を自殺とし、旧約に適用しようとしている点では一致しているが、伝承の内容も旧約の適用も一致しない。
つまり、マタイやルカの時期(80年代以降)になってようやく、まずユダが「自殺した」のだ、という噂が広められ、それを「血の土地」と結び付けることにした。
マタイ(マタイ派教会)では祭司長たちが銀三十枚で買った寄留者用の墓地と結び付け伝承化し、ルカ(ルカ派教会)はユダが自殺した場所と結び付けて伝承化したのだろう。
マタイ・ルカの時点では、どのように自殺したかもまだはっきりしなかったのであるが、創作が展開され、ドグマ的に旧約と結び付けようとする姿勢から、ユダが首をつったことにしたり、身投げしたことにしたり、とそれぞれの教会による神学的解釈を基にまことしやかに信じられるようになったのだろう。
ピラトの妻の話は、マルコには登場しない。ルカにもヨハネにも登場しない。
マタイにおけるユダの自殺話同様、イエスの無実を強調するためのマタイ(マタイ派教会)による創作物語であろう。
マタイには、24-25節にも、マルコには登場しないピラトの「群衆に対する弁明」とユダヤ人に対する「血の罪に対する責任転嫁」の話が挿入されている。
マタイにおける話の流れは、全編マルコを基調としており、ピラトが自ら積極的にイエスを逮捕し処刑したわけではなく、エルサレムのユダヤ人支配者勢力とそれに加担する右翼的群衆がピラトに圧力をかけ、イエスの処刑を迫った、というものである。
マタイは、イエスの殺害の基本的な責任は、ピラトではなくユダヤ人の側にあることを強調するために、これらの文を挿入したのであろう。
おそらく、これもマタイ(マタイ派教会)による小説的創作物語であろう。
しかしながら、イエスの処刑に責任があるのはエルサレム議会を中心とした支配勢力だけであって、ユダヤ人の群衆は祭司長たちに扇動されただけであり、責任はない、とするのも行き過ぎであろう。
彼らは、ユダヤ教の支配勢力に迎合したとはいえ、イエスを処刑するように、ピラトに要求している。
ピラトはピラトで、イエスを死刑に処する気などまったくなかったにもかかわらず、エルサレムのユダヤ人勢力が騒ぎ立てたせいで、騒乱になるのを恐れて、イエスの処刑を決断したのである。
ピラトがイエスに対する「血の罪」に対して「責任がない」と考えたとしても不思議ではない。
しかし、ピラトにはユダヤ人にはないイエスを釈放する権限を持っていたのであるから、全く責任がないとは言えないであろう。
ピラトはイエスに対する告発が、祭司長たちの「妬み」のせいであることを悟っており、群衆が祭司長たちの「扇動」であり、イエスが「悪をなしていない」を承知していながら、「群衆に迎合しようと思い」(マルコ15:15)、「騒動になりそうなのを見て」(マタイ27:24)、「猛り立ち…彼らの声がまさった」(ルカ23:23)ので、「釈放する権限も十字架に付ける権限もある」(ヨハネ19:10)にもかかわらず、イエスの方を十字架刑に処する方に権限を行使したのである。
被疑者が無罪であることを確信していながら、管轄区の有力者の圧力に迎合し、自己保身のために死刑判決の冤罪を生み出した裁判官が、「血の責任がない」と自己主張したところで、「血の責任」が無くなるわけではないであろう。
イエス自身の殺害については、キリスト教成立以前の話であるが、ユダヤ人における初期のキリスト教徒への弾圧を、ユダヤ人は正当化し、ピラトもしくはローマ帝国の責任に転嫁することもできないであろう。
イエスの死後に各地で起きたキリスト教徒に対する弾圧は、エルサレム議会の直接指導のもとになされたわけではなく、各地の右翼的ユダヤ人群衆が自衛という名の既得権益のためにキリスト教徒の逮捕や処刑を要求して、騒ぎ立てたのである。
右翼的運動に迎合したユダヤ人群衆に、キリスト教徒弾圧の責任が全くない、などとするわけにもいかないであろう。
逆に、ユダヤ人はキリストであるイエスを殺害し、キリスト教徒を弾圧したのだから、キリストに対する「血の罪」に対するあらゆる報復を受けるべきだ、とすることもできないであろう。
ヨハネ書の著者は、イエスに「上からあなたに与えられたのでなければ、あなたは私に対していかなる権限もお持ちでない。この故に、私をあなたに引き渡した者はより大きい罪がある」と語らせている。
イエスをピラトに「引き渡した者」とは誰を指しているのか。
WTは次のように解説。
*** 塔08 4/15 32ページ 5節 ヨハネによる書の目立った点 ***
19:11 ― イエスは,ご自分を引き渡した人についてピラトに述べた時,ユダ・イスカリオテのことを言っておられたのですか。イエスは,ユダなどの特定の人物ではなく,ご自分を殺す罪にかかわっている人々すべてを念頭に置いておられたようです。その中には,ユダ,「祭司長たちおよびサンヘドリン全体」,さらにはバラバの釈放を求めるよう説きつけられた「群衆」も含まれていました。―マタ 26:59‐65; 27:1,2,20‐22。
WTは「イエスを殺す罪にかかわっている人々すべて」と解釈している。
「上から与えられたのでなければ」とは、ヨハネ書の著者の言い方(3:31)からして、「神が与えたのでなければ」という意味であろう。
とすれば、このイエスの発言は、自分を「キリスト」あるいは「神の子」と自認していることを前提とした「もの言い」であり、実際のイエスの発言ではありえない。
おそらく、ヨハネの著者は、ピラトの責任を多少免責しようとしているのだろう。
イエスをピラトに「引き渡した者」とは、「裏切り者ユダ」(「裏切り者」の原義は「引き渡した者」)とされたユダを指しているわけではない。
ピラトにイエスを「引き渡した者」は大祭司一派であり、「裏切り者ユダ」は大祭司一味にイエスを「引き渡した」に過ぎない。
つまり、ヨハネ書の著者は、ピラトの責任よりも、大祭司一派の責任の方がより重いことをイエスに語らせて、多少免責しようとしているのである。
しかしながら、ピラトに責任がない、と言っているわけではない。
ヨハネ書における「裁きの壇」における細かい描写やピラトの宣言、吠えるユダヤ人の様子や皇帝を盾にしたピラトに対する迫り方など、臨場感に満ちた描写は、受難物語の全体について、直接事実を知っている人から情報を多く得ていることを示すものだろう。
多少マルコを参考にしたり、脚色を加えている箇所はあるが、受難物語に関しては、おおむねヨハネの方が史実に即しているように思われる。
*字数制限のためNWT訳はカットいたしました。