マルコ14:66-72 <ペテロ、三度イエスを否む> 並行マタイ26:69-75 ルカ22:56-62

参照ヨハネ18:15-18,25-27

 

マルコ14 (田川訳)

66そしてペテロが下の中庭いた時に大祭司の下女の一人が来る。67そしてペテロが(焚き火で)暖まっているのを見つけ、見つめて言う、「あんたもあのナザレ人のイエスと一緒に居たでしょ」。68彼は否んで言った、「知らない。お前が何を言っているのか理解できない」。そして中庭の通路に出て行った。そして鶏が鳴いた69そして下女がまた彼を見つけて、まわりに立っていた者たちに、この者は彼らの仲間だ、と言いはじめた。70彼はまた否定した。そしてしばらくして、まわりに立っていた者たちがまたペテロに言った、「本当に彼らの仲間だ。お前もガリラヤ人ではないか」。71彼は詛の言葉を言い、また「あんたらが言っている人のことなど、私は知らない」と誓いはじめた72そしてすぐに二度目に鶏が鳴いた。そしてペテロはイエスが彼に「鶏が二度鳴く前にあなたは私を三度否むであろう」と言った言葉を思い出した。そして身を投げ出して泣いた

 

マタイ26

69ペテロは外の中庭に座って居た。そして一人の下女が彼のもとに来て、言った、「あんたもガリラヤ人イエスと一緒に居たでしょ」。70彼は皆の前で否んで言った、「お前が言っていることなぞ、知らない」。71そこで彼は門のところに出て行ったのだが、ほかの下女が彼を見つけて、そこに居た者たちに言う、「こいつはナゾライ人イエスと一緒にいたよ」。72彼はまた否定し、「そんな人のことなぞ知らない」と誓った。73しばらくして、そこに立っている者たちがペテロのもとに来て、言った、「本当にお前も彼らの仲間だ。お前のしゃべり方ではっきりわかる74その時彼は呪詛の言葉を言い自分はその人のことを知らない、と誓いはじめた。そして直ちにが鳴いた75そしてペテロは「鶏が鳴く前にあなたは私を三度否むであろう」と言ったイエスの言葉を思い出した。そして外に出て行って苦く泣いた

 

ルカ22

56するとある下女が彼が焚き火のところに座っているのを見て、じろじろ見ながら言った、「こいつもあの人と一緒に居たよ」。彼は否んで言った、「その人のことなぞ知らないよ、女め」。そしてしばらく後にほかの者が彼を見て言った、「あんたも彼の仲間だろう」。ペテロは言った、「人よ俺は違うよ」。59そして一時間ほどたってから、またほかの者強い調子で言った、「本当にこいつもあの男の仲間だ。こいつはガリラヤ人だ」。60ペテロは言った、「人よ、あんたの言うことなぞ知らないよ」。すると即座に、彼がまだ話している間に、鶏が鳴いた。61すると主が振り向きペテロを見つめた。そしてペテロは、「今日鶏が鳴く前にあなたは私を三度否むであろう」と主が彼に言い給うた言葉を思い出した。[62そして外に出て行って、苦く泣いた。]

 

参ヨハネ18

15イエスにシモン・ペテロともう一人の弟子がついて行った。その弟子は祭司長の知り合いで、イエスとともに祭司長の中庭に入った。 16ペテロは門のところで外に立っていた。それで祭司長の知り合いであったそのもう一人の弟子が門番の女に言って、ペテロを中に入れてやった。17それで門番の下女がペテロに言う、「お前さんもあの人のお弟子さんの一人じゃないのかい」。彼が言う、「私じゃない」。18奴隷と下役がいて、寒かったので炭火をおこして、あたっていた。ペテロもまたその者たちと一緒に立ってあたっていた。

・・・・・・

25シモン・ペテロは立って、(炭火に)あたっていた。それで人々が彼に言った、「お前も彼の弟子のひとりではないのか」。彼は否んで、言った、「私じゃない」。26祭司長の下僕の一人で、ペテロが耳を切り落とした者の身内の者が言う、「お前が庭園であの人と一緒にいるのを見たんだけどな」。27それでペテロは再び否んだ。そして直ちに鶏が鳴いた

 

 

マルコ14 (NWT)

66 さて,ペテロが下の中庭にいたところ,大祭司の下女の一人がやって来た。67 そして,ペテロが身を暖めているのを見ると,彼をまともに見て,「あなたも,ナザレ人のこのイエスと一緒にいました」と言った。68 しかし彼はそれを否定し,「わたしはあの人を知らないし,あなたの言っていることも理解できない」と言って,入口の間のほうに出て行った。69 その所で下女は彼を見つけ,そばに立っている者たちに,「この人は彼らの一人です」と,また言い始めた。70 彼は再びそれを否定するのであった。それからしばらくして,そばに立っていた者たちがまたもやペテロに向かって言いだした,「確かにあなたは彼らの一人だ。現に,あなたはガリラヤ人ではないか」。71 しかし彼は,「わたしはあなた方の話しているこの人を知らないのだ」と[言って],のろったり誓ったりし始めた。72 するとすぐにおんどりが二度目に鳴いた。それでペテロは,「おんどりが二度鳴く前に,あなたは三度わたしのことを否認するでしょう」と,イエスが自分に言ったことばを思い浮かべた。そして,くずおれて泣きだした

 

マタイ26

69 さて,ペテロは外で中庭に座っていた。すると,ひとりの下女がやって来て,「あなたも,ガリラヤ人のイエスと一緒にいました!」と言った。70 しかし彼はみんなの前でそれを否定し,「あなたが何のことを話しているのか,わたしには分からない」と言った。71 彼が門舎のところに出て行くと,別の女が彼に気づき,そこにいる者たちに,「この人はナザレ人のイエスと一緒にいました」と言った。72 すると,彼は再びそれを否定し,「わたしはその人を知らない!」と誓って[言った]。73 しばらくのち,周りに立っていた者たちが寄って来て,ペテロに言った,「確かにあなたも彼らの一人だ。現に,あなたのなまりがあなたのことを明かしているではないか」。74 その時,彼は,「わたしはその人を知らないのだ!」と[言って],のろったり誓ったりし始めた。するとすぐにおんどりが鳴いた。75 それでペテロは,「おんどりが鳴く前に,あなたは三度わたしのことを否認するでしょう」と言われたイエスのことばを思い出した。そして,外に出て,激しく泣いた

 

ルカ22

56 しかしある下女は,彼が明るい火のそばに座っているのを見,彼をじっと見つめてこう言った。「この人も彼と一緒にいました」57 しかし彼はそれを否定して,「女よ,わたしはあの人を知らない」と言った。58 それからしばらくして,別の者が彼を見て言った,「あなたも彼らの一人だ」。しかしペテロは,「人よ,わたしはそうではない」と言った。59 それから一時間ほどたった後,ほかのある[人]が強く言い張るのであった,「確かにこの[人]も彼と一緒にいた。現に,ガリラヤ人ではないか!」60 しかしペテロは言った,「人よ,わたしはあなたの言うことが分からない」。するとすぐ,彼がまだ話しているうちに,おんどりが鳴いた。61 そして,は振り向いてペテロをご覧になった。ペテロは,「今日,おんどりが鳴く前に,あなたはわたしのことを三度否認するでしょう」と言われたのことばを思い浮かべた。62 そして,外に出て,激しく泣いた

 

参ヨハネ18

15 さて,シモン・ペテロ,それにもうひとりの弟子がイエスのあとに付いて行った。その弟子は大祭司に知られており,イエスと共に大祭司[の家]の中庭に入って行ったが,16 ペテロは外で戸口のところに立っていた。それで,大祭司に知られていたほうの弟子は,出て行って戸口番に話し,ペテロを中に入れた。17 その戸口番である下女がその際ペテロに言った,「あなたもこの人の弟子の一人ではないでしょうね」。彼は,「違います」と言った。18 さて,奴隷や下役たちは,寒かったので炭火をおこし,まわりに立って身を暖めていた。ペテロも彼らと一緒に立って身を暖めていた。

……

25 さて,シモン・ペテロは立って身を暖めていた。すると人々が彼に言った,「あなたも彼の弟子の一人ではないだろうな」。彼はそれを否定して,「違います」と言った。26 大祭司の奴隷の一人,それはペテロが耳を切り落とした男の親族であったが,[その者が]こう言った。「わたしはあなたが園で彼と一緒にいるのを見たではないか」。27 しかし,ペテロは再びそれを否定した。すると,すぐにおんどりが鳴いた。

 

 

マルコのペテロは、鶏が二度鳴く前に、イエスを三度否認する。

マタイとルカのペテロは、鶏が鳴く前に、イエスを三度否認する。

ヨハネのペテロは、イエスを三度度否認したところで、鶏が鳴く。

 

他にも詳細は、それぞれの著者によって、微妙に異なっている。

 

マルコの「の中庭」(en tE aulE katO)に対し、マタイは「の中庭」(exO en tE aulE )。

「中庭」は建物に囲まれている場所にあるのだから、著者が建物の外部に居る視点で書いているのであれば、「中庭」は建物の外にあることになる。

 

しかしながら、著者の視点が、中庭に面した建物の内部にあるのであれば、建物の二階にあたる位置から「下」の中庭を見降ろしていることになる。

 

前段の大祭司による裁判の場面が、建物の中で行なわれたのであれば、建物の外に居た人間はその詳細について知りようがない。

 

おそらく、この受難物語の原形は、この時に建物の中に居た人間によって、語られたことが基本にあるのであろう。

 

大祭司の裁判が関係していることを考えると、サンヘドリンの議員一人か、彼から詳細を聞いた人物によって語られたのであろう。

 

マルコの「の中庭」(en tE aulE katO)という表現は、その視点を残しているものと思われる。

 

マタイは、「中庭」は建物の「下」ではなく、建物に面した「外」にあるものであると解し、「外の中庭」(exO en tE aulE)と変えてくれたのであろう。

 

マルコのペテロは、一度イエスを否認した後、「中庭の通路」(eis to proaulion)に出て行くと、鶏が鳴く。

 

マタイのペテロは、一度イエスを否認した後、「のところ」(eis ton pylOna)に出て行くが、鶏はまだ鳴かない。

 

マルコの「通路」(proaulion)は、「前」を意味する接頭語pro+語幹の「中庭」aulE+指小辞ionからなる語で、中庭に通るために建物の一部が切り取られている場所を指す。

 

現代においてもそうであるが、この時代においても、中庭にある建物は、中庭を囲むようにロの字に建物が建築されており、その一部が切り取られ、中庭に入ることができるように設計されている。

 

その切り取られている部分(proaulion)は、道路と中庭を結ぶ通路となっており、建物全体への入り口ともなっていた。

 

その「通路」(proaulion)は、建物の「門」の役割も果たしていた。

proaulionには、pro+「笛」aulos+ionからなる同音異義語があり、こちらは「笛で奏でる序曲」の意味で用いられた。

マタイは、こちらの語との混同を避けるために、「門」(pylOn)に書き変えてくれたのであろう。

 

田川訳のマルコでは、大祭司の下女が、焚き火で暖まっているペテロを見つけて、イエスと一緒に居たことを指摘すると、ペテロは否認し、中庭の通路に出て行くが、「そして鶏が鳴いた」(kai alektOr ephOnEsen)とある。

 

NWTは、「そして鶏が鳴いた」(kai alektOr ephOnEsen)という句を削除している。

 

これはアレクサンドリア系写本の読みに従がったもの。

カイサリア系、西方系、いわゆるビザンチン系の写本は入れている。

ネストレは、旧版は削除しているが新版は( )付きで採用している。

 

写本の重要性からしても、カイサリア系の入れている読みに傾くが、マルコだけが「鶏が二度鳴く前に」と言っているのだから、ここでまず鶏が鳴いてくれないと都合が悪くなる。

 

アレクサンドリア系写本はなぜ削除したのか、わからないが、マタイに合わせたのであれば、「鶏が二度鳴く前に」という句をなぜそのまま採用しているのか疑問。

マタイでも、「鶏が二度鳴く前に」とあるのだから、マルコの原文に「鶏が二度鳴く前に」とあったことは確かであろう。

 

ちなみに、マルコでは、ペテロがイエスの仲間であることを指摘するのは、最初も二度目も同じ下女であるが、マタイでは、別々の下女となっている。

 

マルコにおける三度目の指摘は、「まわりに立っていた者たち」であるが、マタイでは「そこに立っている者たち」が「お前も彼らの仲間」であると指摘する。

 

ルカでは、最初の指摘は下女であるが、二度目以降は、女性ではなく、「ほかの者」(heteros)という男性名詞の自分物が男性形単数で「言った」(idOn)ことになっている。

 

ルカにおけるペテロによる否認物語は、大祭司による裁判が始まる前のイエスがまだ中庭に拘束されている時に生じた出来事という設定である。

大祭司による裁判は朝にならないと始まらないのであるから、当然鶏が鳴いた後でなければならない。

それ故、ルカでは61「主が振り向き、ペテロを見つめ」、ペテロが三度否認する姿をイエス自身が目撃することになった。

 

これは、ルカがマルコの構成を変えたために生じた小説的描写であり、実際の事実を知る手掛かりとはならない。

 

ルカさんの描写は、ご本人が自画自賛するほど、1:3すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどった」(NWT)ものでも、4「論理的な順序で書いて」(NWT)いるものでもなさそうである。

 

ヨハネのペテロの否認物語には、イエスの弟子として、ペテロだけでなく、16「もう一人の弟子」が登場する。

 

WTは、この「もうひとりの弟子」をヨハネ福音書の著者である使徒ヨハネであると解説している。

*** 塔91 4/1 31ページ 読者からの質問 ***

使徒ヨハネの福音書にはこう書かれています。「さて,シモン・ペテロ,それにもうひとりの弟子がイエスのあとに付いて行った。その弟子は大祭司に知られており,イエスと共に大祭司の家の中庭に入って行った」― ヨハネ 18:15。

使徒ヨハネは,バプテスマを施す人ヨハネに言及する際には「ヨハネ」という名前を用いていますが,自分自身のことを述べるときには一度も名前を出していません。例えば,ヨハネは「これらの事について証しし,またこれらのことを書いた弟子」について書いており,同様に,「それを見た者が証しをしたのであり,その証しは真実である。その者は,……自分が真実を告げていることを知っている」とも書いています。(ヨハネ 19:35; 21:24)ヨハネ 13章23節にも注目してください。「イエスの懐の前に弟子の一人が横になっており,イエスはこれを愛しておられた」とあります。これはイエスが捕縛される少し前のことです。その日の後刻,杭に付けられたイエスは一人の弟子を選ばれましたが,ヨハネはその弟子のことを同様の呼び方でこう記しています。「イエスは,自分の母と,自分の愛する弟子がそばに立っているのをご覧になり,母にこう言われた。『婦人よ,見なさい,あなたの子です!』」― ヨハネ 19:26,27。ヨハネ 21:7,20と比較してください。

自分自身のことを名指しで呼ばないというこの同じ特色は,ヨハネ 18章15節にも明白に見られます。それに,ヨハネ 20章2節から8節にある復活後の記述の中では,ヨハネとペテロが一緒に出てきます。これらの証拠は,『大祭司に知られていたその弟子』とは使徒ヨハネである,ということを示唆しています。

 

 

しかしながら、ペテロと同じく「使徒」と呼ばれた「使徒一派」のヨハネが「もう一人の弟子」とは考え難い。

 

この場面は、ペテロが人々の前でイエスを裏切った、という話である。

イエスの死後、我こそがキリストの一番弟子であり、キリストの復活の最初の証人である、と自己主張するペテロにとっては、こんな話がキリスト信者の間で流布してしまったとしたら、まことに不名誉な話である。

 

イエスが逮捕され、死刑にされた、まさにその時に、私はイエスの弟子ではありません、イエスのことなんぞ知りません、と否認するだけでなく、マルコやマタイによれば、「呪詛の言葉」を言い、「誓いはじめる」ことまでしてイエスを否認した、という話である。


ペテロの人間性の質そのものが問われる問題である。

 

ペテロ一派である「使徒集団」にとっても、とても歓迎できる話ではなかったであろう。

 

ペテロのご都合とはお構いなしに、マルコがペテロによるイエス否認物語を取り上げていることからすれば、キリスト教発足当時から、一番弟子であるはずペテロがイエスの弟子であることを完全に否認した、という伝承が流布していたことになる。

 

護教主義のキリスト教信仰からすれば、ペテロはその後自分の態度を痛く後悔し、その悔い改めを礎にキリスト教会を発足させたのだ、と語られてきた。

 

しかし、ペテロがこの件を悔い改めた上でキリスト教を始めることにした、などということは、新約聖書のどこにも記されていない。

 

マルコの72「そして身を投げ出して、泣いた」、マタイの75そして外に出て行って、苦く泣いた」、ルカの62そして外に出て行って、苦く泣いた」という句が、ペテロの悔い改めを示唆している、解説される。

 

WTも然り。

*** 塔08 6/1 23ページ 進んで許してくださる神 ***

ペテロはイエスのとりわけ親しい友の一人でした。ところが,イエスの地上における生涯の最後の夜,ペテロは恐れに屈して重大な罪を犯してしまいました。イエスが違法な裁判にかけられていた場所の近くの中庭で,ペテロはイエスを知っていることを公に一度ならず三度も否定したのです。ペテロが三度目に強く否定すると,イエスは『振り向いてペテロをご覧になりました』。(ルカ 22:55‐61)イエスの目がじっとペテロに注がれた時,ペテロがどんな気持ちになったか想像できますか。罪の重大さに気付いたペテロは,『くずおれて泣きだしました』。(マルコ 14:72)この使徒は悔い改めたものの,三度否定した自分が果たして神に許していただけるのだろうか,と思ったかもしれません。

 

 

しかしながら、マルコ14:72「身を投げ出して、泣いた」(epibalOn eklaien)とは、ペテロの悔い改めを示唆しているのものではなさそうである。

 

「身を投げ出して」(epibalOn)は、epiballOのアオリスト分詞で、「~の上に投げる」という意味の他動詞だが、意味が定かではない。

自動詞としても用いられるが、本来の意味に即して解すると、「泣く」と「投げ出す」という意味が結び付かず、どう訳しても意味の通じる文にはならないようである。

 

田川訳の「身を投げ出して」は、自動詞と解した上でアオリスト形を中動相的な意味で、「自分自身を投げ出して」と解したもの。

 

伝統的には、この分詞epibalOnを「はじめた」の意味に解し、続く「泣いた」(eklaien)という定動詞と合わせて、「泣きはじめた」と訳されてきた。(ヴルガータ:coepit flere、ルター:er hub an zu weinen)

 

ただし、ヴルガータが本文としたギリシャ語写本とルターがテキストとしたギリシャ語写本は異なっている。

ヴルガータは、西方系写本で、Erxato klaieinと書いてあり、ルターが本文としたギリシャ語写本は、エラスムスが発行したビザンチン系の小文字写本を写したテキストであり、epibalOn eklaienと書かれていた。こちらはアレクサンドリア系とカイサリア系の写本と一致している

 

ヴルガータがテキストとしたErxatoは「はじめた」という定動詞であり、klaieinは「泣く」の不定詞形であるから、「泣きはじめた」の意味になる。

 

おそらく、ルターは、epibalOnと書かれてあったギリシャ語の意味がわからず、ヴルガータがcoepitとラテン語訳したギリシャ語(Erxato)とエラスムスがテキストとしたギリシャ語(epibalOn)には同じギリシャ語が書かれていると勘違いし、ヴルガータのラテン語訳に従がい、「泣きはじめた」と訳したのであろう。

 

ところが、ルターやエラスムスの権威のせいで、その後の聖書訳者たちは、epibalOnに「はじめる」という意味があると解釈してしまう。

 

ティンダルはand began to weep、ドイツ語諸訳er began zu weinen、仏語訳il se mit a pleure等は、ルターの誤訳を継承したもの。

 

マタイもルカも、マルコの並行をマタイ26:75「外に出て行って、苦く泣いた」(exelthOn exO eklausen pikrOs)、ルカ22:62「外に出て行って、苦く泣いた」(exelthOn exO eklausen pikrOs)と訳している。

 

マルコに「苦く」(pikrOs)に相当する語は付いていないが、マルコのepibalOnという語を「外に出て」という意味に修正してくれている。

 

もしも、当時の言葉遣いとしてマルコの表現が「泣きはじめた」という意味であるなら、マタイもルカもわざわざマルコを修正することはなかったであろう

 

マタイとルカの並行は、マルコにはない「苦く」(pkrOs)という副詞も含めて、一言一句同じである。

 

マタイとルカは、それぞれ相互には関係なしにマルコの文を写しながら修正を加えているはずなのに、両者がマルコに反してぴったり一致しているのは、偶然の一致なのか。

 

ただし、ルカにはマタイとまったく一致している「そして外に出て行って、苦く泣いた」とする句が削除されている写本がある。

 

大文字写本の0171番と古ラテン語諸訳写本である。

ただし、重要大文字写本はすべて一致してこの句を入れている。

正文批判上はネストレのように、本文とみなすべきものであろうが、田川訳は[ ]付きでの採用となっている。

 

つまり、田川訳は、ギリシャ語にしてこの五文字(kai exelthOn exO eklausen pikrOs)をマタイからルカに持ち込まれたものと解釈している。

 

特に「泣いた」という語に「苦く」(pikrOs)という副詞を用いることは、マルコを単に修正しようとしたことによる偶然の一致というよりも、写本家がマタイの文を見て、ルカの個所に挿入した可能性が高い、と考えている。

 

マルコでは、イエスを完全否認する姿を、ペテロが後悔しているかのように読める箇所は、「そして身を投げ出して、泣いた」とする箇所だけであるが、心を入れ替えて、悔い改めました、という話にはなっていない。

 

マルコの物語では、ペテロはこの場面以降、最期まで姿を消しており、イエスの死刑、埋葬、そして「復活」を示唆する「空の墓」の物語にも一切ペテロは登場しない。

 

マルコ福音書しか知らないキリスト信者がいたら、ペテロという人物はあの時イエスを裏切って、身を投げ出して泣いた以降、どこかに姿を消し、一生キリスト教とは縁を切ったのだろう、と思うことだろう。

 

一体、どの面下げて、イエスの弟子であると大手を振って言えるのだろうか、と考えるであろう。

 

とても、マルコ福音書だけからは、ペテロがイエスを裏切った後、悔い改めて、一番弟子となって、キリスト教の礎を築いた、などとは想像の片隅にも上らない。

 

ヨハネ書の原著者は、マルコのこの一言さえ、無視している。

「ペテロは再び否んだ。そして直ちに鶏が鳴いた」と、ペテロのイエス否認物語を終えている。

ペテロがイエスを繰り返し、繰り返し、三度し否認することを待っていたかのように、鶏が鳴き、幕が閉じるのである。

 

ペテロがこの話を自分から喜んで宣伝して歩いた、とはとても考えられない。

 

むしろ、ペテロさんたち使徒一派は、キリスト教の礎となったイエスの立派なお弟子さんだ、という伝承が先にあったのであろう。

 

それに対し、誰かほかの人が事実を知っていて、本当はこんなことがあったのだよ、と語ったことがやがて人々に知られるようになり、伝承として広く、伝播していた、と考えた方が自然である。

 

しかし、この話がマルコの伝承どおりであるとすれば、イエスの側の人間は、ペテロだけしかおらず、この場面には大祭司の「下役」や「下女」たちしかいなかったことになる。

 

つまり、ペテロによるイエスの否認が事実であったとしても、ペテロ自身が口を閉ざしていたとすれば、この話が他の人たちにばれる可能性は低い。

 

この時の状況や、これ以後のエルサレムのキリスト教会の状況からして、大祭司の下役や下女たちから、キリスト教会に伝わった、という可能性も低い。

 

ところが、ヨハネの話では、イエスの側の人物として、ペテロのほかに、「もう一人の弟子」がいた。

 

この「弟子」は、この時のペテロの態度を目の前でよく見ている。

そしてこの「弟子」は、イエスの死後、ペテロが中心となってキリスト教を発足させた「使徒一派」の様子もよく知っていたことであろう。

 

この人物は、「祭司長の知り合い」であったというのだから、祭司長邸の中庭に入ることができたとしても不思議ではない。

 

マルコの話だけでは、ペテロがどのようにして一人で祭司長邸の中庭に入ることができたのか、理解できない。

常識的には、祭司長邸の門番によって、部外者は排除されたはずである。

 

実際、ヨハネでは、「ペテロは門のところで立っていた」だけで、中に入ることはできないでいる。

 

しかし、ヨハネにあるように、祭司長の知り合いであるこの「弟子」が、門番の女に言って、ペテロに一緒についておいで、と誘ったのであれば、ペテロも容易に中に入ることができたはずである。

 

ただし、シモン・ペテロと「もう一人の弟子」(kai allOs mathEtEs:直訳「と他の、と別の、弟子」)という言い方からして、彼はペテロたち「十二弟子」一派には属していない「弟子」だったと思われる。

 

マルコからしても、イエスはいつも群衆に囲まれて、「十二使徒」以外にイエスの理解者や信奉者はいなかったとは考え難い。むしろ、マルコからすれば、イエスに対して無理解なのは、「ペテロ一派の「十二使徒」である。

 

ヨハネの「もう一人の弟子」とは、ペテロ一派とは違う角度からイエスに接していた「弟子」であり、このペテロのイエス否認物語以外にも、イエスに関する事実や初期キリスト教会の実体についてもいろいろ多く知っていたのだろう。

 

「弟子」というのだから、単に知っていただけではなく、おそらく、他の人たちにもイエスについていろいろ語っていたと思われる。

 

しかし、新約すべての文書の中で、この人物に言及しているのはヨハネ福音書だけである。

ヨハネ書の原著者は、この「弟子」から直接話を聞くことができたキリスト信者だったのか、本人なのか、あるいは間接的に知り得る立場の人物だったのであろう。

 

ヨハネ福音書は、エルサレムとその近辺におけるイエスの行動については、マルコよりも詳しい点があり、エルサレムとその近辺の地理的描写についても、微細な描写が正確である。

 

例えば、イエスの逮捕、処刑を演出した最大の責任者はアンナスであった、という点を正確に指摘しているのはヨハネ書の著者だけである。

 

ペテロが耳切りをした大祭司の下役の名前が「マルコス」であったことを明かしているのもヨハネ書だけである。

 

ヨハネ書では、ペテロがイエスの弟子の一人であることを最初に指摘するのは、「もう一人の弟子」の招聘により、ペテロを中に入れた「門番の下女」であり、二番目に指摘するのは、大祭司の奴隷と下役たちであり、三番目に指摘するのは、ペテロが耳を切り落とした者の身内の者である。

 

マルタとマリアの姉妹たちが住んでいるベタニアが11:18エルサレムの近く、およそ十五スタディオン離れたところ」に位置していることを指摘しているのもヨハネだけであり、ルカでは10:38「ある村」とあるだけである。

 

「もう一人の弟子」としては、ペテロ一派により伝承されているキリスト物語やマルコの受難物語とは異なる事実を知り得ていたので、ヨハネ福音書を書こうという動機の一つとなったのであろう。

 

ペテロの三度にわたるイエス否認物語もヨハネ福音書の方が真実に近いと思われる。