マルコ14:12-16 <過越の準備> 並行マタイ26:17-19、ルカ22:7-13

 

マルコ14 (田川訳)

12そして種入れぬパンの最初の日、過越(の犠牲)をほふる時であるが、彼の弟子たちが彼に言う、「過越の食事をなさるのに、私たちが出かけて行ってどこで準備するのがよろしうございますか」。13そして彼の弟子たちのうち二人を遣わして、言う、「町に行きなさい。そうすると水瓶をかついだ人があなた方に出くわだろう。その人について行きなさい。14そしてその人がはいった場所で、家の主人に言いなさい。先生が言っておられます、私の弟子たちと一緒に過越の食事をする私の宿はどこにありますか、と。15そしてその人はあなた方に大きな、きちんと整えられた階上の部屋を見せてくれるだろう。そしてそこで我々のための準備をしなさい」。16そして弟子たちは出て行って、町に来、言われたとおりのことを見出した。そして過越を準備した。

 

マタイ26

17種入れぬパンの最初の日、弟子たちがイエスのところに進み出、言った、「あなたが過越の食事をなさるのに、どこで準備するのがよろしうございますか」。18彼は言った、「町に、ある人のところに行って、言いなさい先生がおっしゃっておられます、私の時が近づいた私の弟子たちと共にあなたのところで過越の食事をしたい、と」。19そこで弟子たちはイエスが命じたようにし、過越を準備した。

 

ルカ22

種入れぬパンの日が来た。過越(の犠牲)をほふる日である。そしてペテロとヨハネを遣わして、言った、「行って、過越の食事ができるように、我々のために準備しなさい」。彼らは彼に言った、「どこで準備いたしましょうか」。10彼は彼らに言った、「見よ、町に入ると、水瓶をかついだ人があなた方に出くわすだろう。その人について行って、その人が入る家まで行きなさい。11そうして、その家の主人にいなさい。先生があなたに言っておられます、私の弟子たちと一緒に過越の食事をする宿はどこにありますか、と。12するとその人はあなた方に大きな、きちんと整えられた上の部屋を見せてくれるだろう。そこで準備をしなさい」。13らは出かけて、言われたとおりのことを見出した。そして過越を準備した。

 

 

マルコ14 (NWT)

12 さて,無酵母パンの最初の日,それは慣例として過ぎ越し[のいけにえ]を犠牲にする時であったが,弟子たちが彼にこう言った。「過ぎ越しの食事をなさるため,わたしたちがどこに行って準備をするようにお望みですか」。13 そこで彼は弟子の二人を遣わしてこう言われた。「市内に入りなさい。そうすれば,水を土器に入れて運んでいる男があなた方に出会うでしょう。そのあとに付いて行きなさい。14 そして,彼の入って行くのがどこであっても,そこの家あるじにこう言いなさい。『が言われます,「弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事ができる,わたしのための客室どこでしょうか」と』。15 そうすると彼は準備の整った大きな階上の部屋を見せてくれるでしょう。そこでわたしたちのために準備をしなさい」。16 それで弟子たちは出て行った。そして市に入ってみると,[イエス]が彼らに言われたとおりであった。こうして彼らは過ぎ越しの準備をした。

 

マタイ26

17 無酵母パンの最初の日,弟子たちがイエスのところに来て,こう言った。「過ぎ越しの食事をなさるため,わたしたちがどこに準備するようお望みですか」。18 [イエス]は言われた,「市内に入ってこれこれの人のところに行き,こう言いなさい。,『わたしの定めの時が近づきました。わたしは弟子たちと共にあなたの家で過ぎ越しを祝います』と言っておられますと」。19 それで弟子たちはイエスが命じたとおりに行なって,過ぎ越しの用意を整えた。

 

ルカ22

7 さて,無酵母パンの日が来た。それは過ぎ越し[のいけにえ]が犠牲にされねばならない[日]であった。8 そこで[イエス]ペテロとヨハネを派遣して,こう言われた。「行って,わたしたちが食べる過ぎ越しを用意しなさい」。9 彼らは言った,「どこに用意するようにお望みですか」。10 [イエス]は彼らに言われた,「見よ,あなた方が市内に入ると,水を土器に入れて運んでいる男があなた方に会うでしょう。そのあとに付いて行って,彼の入る家に入りなさい。11 そして,その家のあるじにこう言わねばなりません。『があなたに言っておられます,「わたしが弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をすることのできる客室はどこでしょうか」と』。12 するとその[人]は整えられた大きな階上の部屋を見せてくれるでしょう。そこに用意をしなさい」。13 それで彼らが出かけて行ってみると,[イエス]が言われたとおりであった。こうして彼らは過ぎ越しの用意をした。

 

 

 

マタイは、ところどころにイエスのキリスト化を施しながら、マルコの文を短くまとめている。

 

ルカは、基本的にはマルコを踏襲しているが、文を整える工夫をしたり、動詞の態を整えてくれている。

 

三者の間に大きな違いはなく、マルコの伝承は受難物語の一部として広く知られていたものと思われる。

 

 

「過越(の犠牲)」の原文(pascha)は、一語で「過越祭」全体を意味することもあれば、「過越の食事」を意味することも、過越の食事で食べる「犠牲の子羊」を指すこともある。

「種入れぬパン」(azuma)も同様で、「祭」全体を指すこともあれば、食事やパンを指すこともある。

どちらも、文脈から判断する。

 

マルコの文体の特徴の一つに、kai +動詞の現在形を置いて、文を始めるというものがある。

ここでは、kai で始めているが、続けて導入となる前置きの副詞句が長めに続いた後に、「彼に言う」(legousin autO)という三人称複数現在形の動詞が置かれている。

 

「ユダの裏切り」計画の心情を描写する文に続けて、この文をkaiで始めるのは、kaiの意味を無視したギリシャ語の文のつなぎ方である。

マルコらしいと言えばマルコらしいが、マルコでなくてもセム語の影響が強い人物により書かれた伝承であるなら、十分あり得ることのようである。

 

マルコの弟子たちは、イエスに対して普通に「言う」(legousin autO)のであるが、マタイの弟子たちは、イエス様のところに「進み出て」(prosElthon)から言わなければならないのはいつものことである。

 

マルコの「わたしたちが出かけて行ってどこで準備するのがよろしうございますか」(pou theleis apeithontes hetoimasOmen)をマタイは「どこに準備するのがよろしうございますか」(pou theleis hetoimasOmen)と「出かけて行って」という分詞を削って、すっきりした文に修正してくれた。

 

「よろしうございますか」(theleis)は二人称単数の現在形で、直訳は「あなたは欲するか」。

NWTは「お望みですか」。

 

ルカは、マルコの文を短い文で、繋ぎながら、イエスと弟子たちの会話形式に整えてくれている。

 

マルコでは、「弟子たち」(hoi mathEtai)が過越の食事を準備する場所をイエスに聞くのだが、準備のために派遣されたのは「弟子たちのうちの二人」(duo tOn mathEtOn)である。

 

マタイでは、複数の17「弟子たち」(hoi mathEtai)がイエスの意向を伺い、複数の19弟子たち」(hoi mathEtai)が過越を準備する。

マタイにおける複数の「弟子たち」(hoi mathEtai)とは、基本的には「十二使徒」を指す。

 

ルカでは、初めからイエスが8「ペテロとヨハネ」を派遣して、「我々(イエス+弟子たち)のために」準備することを指示し、13「彼ら」が過越を準備する。

ルカは、マルコの後半に出て来る15我々のために準備をしなさい」を最初の導入句に組み込み、文の流れを整えてくれている。

 

ルカはマルコに「弟子たちのうちの二人」とあるので、それなら「ペテロ、ヤコブ、ヨハネ」のうちの二人だろうと考えたのだろう。

 

ルカがヤコブを外したのはなぜか。

 

マルコでは、ヤコブとヨハネが並んで登場する時は、いつでもヤコブが先でヨハネが後。

ヤコブの方が兄だったからであろう。

 

しかし、ルカでは8:51以降、ヤコブとヨハネが並んで登場する場合は、ヨハネ・ヤコブの順になる。(9:28)

ヤコブはアグリッパ一世の弾圧時(44年)に、殉教したものと思われる。(使徒12:1‐2)

ヨハネはその後も生きて活動しており、ルカの時代にはヤコブよりもヨハネの方が有名だったのであろう。

 

ルカは十二人から二人を選ぶとしたら、一番弟子のペテロは外せないから、ヤコブを外し、ペテロとヨハネとしたのだろう。

 

 

マルコは、町で「出くわす」(apantEsei)人の主人に「私の宿」(to katalyma mou)の提供を求めるが、ルカは「私の」(mou)を削り、ただの「宿」(to kataluma)。

マタイは町の「ある人」のところに行って、過越しの食事をしたい、と告げる。

 

自分の用事で出かけて行くのに、相手が自分に「出くわす」というのは、奇妙に感じるが、西洋語の感覚ではそれが正常なのだという。

常に「私」(ego)を中心にものを考える西洋人らしいと言えばらしいのかも…。

 

「宿」(katalyma)の原義は、kata=down+lyO=looseの抽象名詞で、「くつろぎ、くつろぐ場所」の意。実際には、旅人がくつろぐ場所を指し、「宿屋」を意味する。

 

NWTは「客室」(KI=guest room)。

これは、ティンダルがguest chamberと訳し、欽定訳に継承され、伝統的に英訳が「客間」の意味に解してきたものを踏襲したのだろう。

独訳は、ルター以来、Gasthaus(宿屋)と正確に訳している。

仏語訳では古くから「部屋」(salle)と訳されているが、註解書(ラグランジェ他)ではapartementと訳している

 

マルコの、家の主人に「言いなさい」(eipate)はアオリスト命令形。

マタイの、ある人のところに行って、「言いなさい」(eipate)はマルコをそのまま写している。

ルカの、その家の主人に「言いなさい」(ereite)二人称未来形。

二人称命令形は、未来形の方が柔らかくなる。

 

マルコの14「先生が言っておられます」(ho didaskalos legei)に対し、ルカの11先生があなたに言っておられます」(legei soi ho didaskalos )の語順は「言っている」「あなたに」「先生が」。

ルカの言い方は、ほかならぬ「先生」が、「あなた」に対して、言っているのですよ、というニュアンスになる。

 

マルコの、きちんと整えられた部屋を見せてくれた15「その人」(auto)は人称代名詞。

マタイの、18「ある人」(ton deina)は、定冠詞付きで、名前はわからないが「ある人」(a certain one)の意。

ルカの、「きちんと整えられた部屋を見せてくれた12「その人」(kakeinos)はkai+ekinosからなる指示代名詞で「かの人」(and that one)の意。

イエスが「あなた」と見込んだ「かの人」というニュアンスになる。

 

「きちんと整えられた」(estrOmenos)は受動形の完了分詞で、原義は「広げられた」。

NWTは「準備が整った」。

原義からすると「絨毯等の敷物が広げられている部屋」ということだろう。

 

マタイのイエスは、「ある人」に「私の時が近づいた」(ho kairos mou eggys estin)とマルコにもルカにもない事を言うように指示する。

マタイは、イエスの受難を「キリストの時」、つまり、「イエスがキリストになるために必要な時」と考えているのだろう。

 

マルコの弟子たちは、町に来、「言われたとおり」(kathOs eipen)のことを見出し、過越の準備をした。「言われた」(eipen)はアオリスト形で過去を意味する。

 

ルカはマルコをそのまま写し、「彼ら」(ペテロとヨハネ)は、出かけて、「言われたとおり」(kathOs eirEken)のことを見出し、過越しを準備した。「言われた」(eirEken)は現在完了形。

 

文法的にはルカの方がより丁寧になるが、アオリストで現在完了でも、意味の大差はない。

 

マタイの弟子たちは、イエスが「命じたように」(hOs synetaxen autois)し、過越を準備する。

マタイにとって、イエスの「言う」ことは、絶対であり「命令」として受け取り、その通りに実行しなければならないようである。

 

過越の準備が整い、イエスと弟子たちは、「最後の晩餐」を迎えることになる。