マルコ14:10-11 <ユダの裏切り> 並行マタイ26:14-16、ルカ22:3-6

 

マルコ14 (田川訳)

10そして十二人の一人であるイスカリオテのユダが祭司長たちのもとへと去った。彼を彼らに引き渡すためである。11彼らは聞いて喜び、ユダにを与えると告げた。そしてユダはいかにして彼をうまい時に引き渡そうかと計っていた

 

マタイ26

14その時、十二人の一人でイスカリオテのユダと呼ばれる者が祭司長たちのところに出かけて行き、15言った、「あなた方は私に何を下さいますか。私はあなた方に彼を引き渡しますが」。彼らはユダに銀貨三十枚わたした16そしてその時からユダは彼を引き渡すのに良い機会を計っていた

 

ルカ22

3サタンがイスカリオテと呼ばれるユダの中に入り込んだ十二人の数の中の一人である。そしてユダは去って、祭司長や神殿長たと、どのようにして彼を彼らに引き渡そうかと、話し合った。彼らは喜んで、ユダにを与える約束をした。ユダはこれに同意、彼を群衆から離れたところで引き渡す機会をねらっていた。

 

 

マルコ14 (NWT)

10 それから,十二人の一人,ユダ・イスカリオテは,[イエス]を裏切って渡すため,祭司長たちのところに行った。11 それを聞くと,彼らは歓び,彼に銀子を与えることを約束した。それで彼は,どうしたら[イエス]をうまく裏切って渡せるかを探るようになった。

 

マタイ26

14 その時,十二人の一人で,ユダ・イスカリオテと呼ばれる者が,祭司長たちのところに行って,15 こう言った。「彼を裏切ってあなた方に渡せば,わたしに何をくれますか」。彼らは銀三十枚を彼に[与えることを]定めた。16 それで,その時以後,彼は[イエス]を裏切って渡す良い機会をうかがいつづけた。

 

ルカ22

3 しかし,ユダに,つまりイスカリオテと呼ばれ,十二人の中に数えられていた者にサタンが入り込んだ。4 こうして彼は出かけて行き,祭司長および[神殿の]指揮官たちと,[イエス]を裏切って彼らに渡すうまい方法について話し合った。5 すると彼らは歓び,彼に銀子を与えることに同意した。6 それで彼は承諾し,まわりに群衆のいないときに[イエス]を裏切って彼らに渡す良い機会をうかがうようになった。

 

 

 

マルコの「イスカリオテ」(IskariOth)には、ギリシャ語語尾が付いていないが、マタイの「イスカリオテ」(IskariOtEs)と男性形語尾(-Es<os)が付いている。

 

マルコがギリシャ語語尾を付けていないのは、ヘブライ語由来の名前だからであろう。

語源は、Ish KeriOthで、Ishは「人」、KeriOthは地名。「カリオーテの人」の意。

 

ヨハネ(6:71)には、ユダを「カリュオートス出身」(apo KaryOtou)としている写本(シナイ写本の第一写記、Θ、f13)がある。

 

エレミヤ48:24に出て来るモアブ地方にある「ケリオート」(「ケリヨト」NWT)に比定する説が有力。

 

 

マルコは「イスカリオテのユダ」(ho ioudas ho iskariOth)と「十二人の一人である」(heis tOn dOdeka)を同格に並べている。

「ユダ」も「イスカリオテ」も定冠詞付きであり、「イスカリオテ」と言えば「ユダ」のことであり、「十二人の一人」であったことは周知の事実として描いている。

 

マタイでは「十二人の一人」(heis tOn dOdeka)と「イスカリオテのユダと呼ばれる者」(ho legomenos ioudas iskariOtEs)が同格で並べられている。

マタイは定冠詞に「呼ばれる」という分詞を付けて、「イスカリオテのユダ」を置いており、「人々が言っているところのイスカリオテのユダ」という者が、というニュアンスになる。

マタイは弟子たち重視の傾向が強いのに、あるいは、強いからこそなのか、十二使徒の一人である「イスカリオテのユダ」に対して、他人行儀に距離を置いている。

 

ルカも「イスカリオテと呼ばれるユダ」(ioudan ton epikaloumenon iskariOtEn)としているが、定冠詞の位置がマタイとは異なっている。

この定冠詞付き「イスカリオテと呼ばれる者」は、「十二人の数の一人」(ek tou arithmou tOn dOdeka)を補語とし、「である」(onta)という分詞の意味上の主語ともなっている。

 

ルカは「イスカリオテ」とは「ユダ」の別名あるいは通称と考えているのだろう。

 

マルコのユダが「祭司長たちのもとへと去った」(apElthepros tous archiereis)の「去った」(apElthen<aperchomai=apo+erchomai)には、分離の接頭語が付いており、方向を示す前置詞prosが置かれている。

つまり、ユダはこの時点からイエスの弟子集団から離れて、エルサレムの権力者である祭司長たちの側についた、ということ。

 

マタイは、「祭司長たちのところに出かけて行った」(poreytheis…pros tous archiereis)とマルコとは別の動詞を使っている。

「出かけて行った」(poreytheis<poreuomai=go)には、初めからイエスを「引き渡す」決意はなく、普通に「出かける」という趣旨。

マタイとしては、祭司長たちのところに、交渉するために「出かけて行った」と言いたいのだろう。

 

ルカは、サタンがユダの中に入り込んだので、「去って」(apelthOn)、「祭司長や神殿長たち」(tois archiereusin kai tois stratEgois)と「引き渡し」(parasO)について「話し合った」(synelalEsen)、としている。

 

ルカ福音書では、イエスの活動期間中は特別な聖なる時であって、いわゆる「時の中心」期間である。(H・コンツェルマン「時の中心」)

 

4:13でサタンがイエスの誘惑に失敗した後、ここまで活動を停止していた。

ここでは、いよいよその休止期間が終わり、サタンが活動を開始した、ということ。

ルカのこの考え方は、22:31,53にも出て来る。

 

「去って」(apelthOn)はマルコと同じ語。

その時から弟子集団から離れて、「引き渡す」(paradO<paradidOmi)ことにしたという趣旨。

 

マルコ・マタイの「祭司長たち」(tois archiereusin)に対し、ルカには定冠詞付き「神殿長たち」(tois stratEgois)が加わっている。

 

「神殿長たち」(tois stratEgois)は、「隊長」(stratEgos)の複数形。

軍隊なら、「部隊長」か「将軍」を指す。

エルサレム神殿の祭司組織の場合は、定冠詞付き単数であれば、大祭司に次ぐ二番目の権力者を指す固有名詞的な意味で用いられる

神殿の運営、管理の最高責任者であり、アラム語で「セガン」と呼ばれる役職で、使徒行伝4:1にも登場する。

 

しかし、ルカのこの個所では、定冠詞付き複数形のstratEgosであり、実際には意味不明。

ただし、神殿内で高位の役職についている者を指していることは明らかであるから、田川訳では「神殿長たち」と訳したもの。

NWTは「[神殿の]指揮官たち」と訳している。

[神殿の]と[ ]を付けているのは、22:52では、同じ語に「神殿の」(tou hierou)という定冠詞付き属格が付いているから、そちらと合わせたのであろう。

 

ユダに対する報酬について、マルコとルカは「銀」(argyrion)であるが、マタイは「銀三十」(triakonta arguria)としている。

 

マルコ・ルカの「銀」(argyrion)は単数形で、集合名詞的に「おかね」という意味。

つまり、「金」とか「銀」とかの区別なしに、「金銭」ということ。

NWTは「銀子」と訳している。

 

マタイの「銀三十」(triakonta arguria)は、「三十」と「複数形の銀」であり、「銀貨三十枚」の意味。

マタイは「ユダの裏切り」をエレミヤの予言成就(27:3-10)としている。

「銀三十」としているのはエレミヤではなくゼカリヤであるが、マタイは定型引用の伏線として、マルコの「銀」を「銀三十」に書き換えたのであろう。

 

マルコ・ルカは「銀貨」とは言っていない。

ルカはマルコを写しているだけだが…

 

マルコの「いかにして彼をうまい時に引き渡そうかと計っていた」(ezEtei pOs eukairOs auton paradO)に対し、マタイは「彼を引き渡すのに良い機会を計っていた」(ezEtei eukarian hina auton paradO)。

 

マルコの疑問詞pOsを使った構文から、マタイはhinaを使った名詞節を導く接続詞に変えて、意味の通りやすい文に修正してくれている。

 

ルカは、「彼を群衆から離れたところで引き渡す機会をねらっていた」(ezEtei eukaririan tou paradounai auton autois ater dochlou)と「群衆から離れたところで」という句を付加している。

 

ルカには「ベタニア塗油」伝承は載っておらず、「イエス逮捕の陰謀」伝承の後に、「ユダの裏切り」伝承が置かれており、祭司長や律法学者たちが、「民を恐れていたからである」と結んでいる。

それを受けて、「群衆から離れたところで」という句を付加したのであろう。

 

「イエス逮捕の陰謀」と「ユダの裏切り」が進行している中で、「過越の準備」の日を迎えることになる。