マルコ 14:1-2 <イエス逮捕の陰謀> 並行マタイ26:1-5、ルカ22:1-2

 

マルコ14 (田川訳)

過越種入れぬパン(の祭)が二日後となった。そして祭司長や律法学者たちが、どのようにたばかって彼をつかまえ、殺そうかと計った。彼らは、祭の間ではいけない、民の騒乱があるといけない、などと言っていたからだ

 

マタイ26

1イエスはこれらの言葉をすべて終えた時に彼の弟子たちに言ったのであった2「知ってのとおり、二日後には過越になるそして人の子は十字架につけられるために引き渡される」。3その祭司長や民の長老たちが集って、カヤパと呼ばれる大祭司の中庭に集り、4たばかってイエスをつかまえて殺そう、と相談した。5しかし彼らは言っていた、「祭の間ではいけない。民の間で騒乱が起こるといけないから」。

 

ルカ22

過越と呼ばれる種入れぬ祭が近づいた。そして祭司長や律法学者たちが、いかにして彼を滅ぼそうかと計った。民を恐れていたらである。

 

 

マルコ14 (NWT)

さて,過ぎ越しと無酵母パン[の祭り]は二日後であった。そして祭司長と書士たちは,どうしたらうまく仕組んで彼を捕らえて殺せるかを探り求めていた2 彼らは,「祭りの時はいけない。もしかすると民の騒動があるかもしれない」と繰り返し言っていたのである。

 

マタイ26

1さて,これらすべてを語り終えてから,イエスは弟子たちにこう言われた。2 「あなた方の知っているとおり,今から二日後には過ぎ越しが行なわれます。そして,人のは杭につけられるために引き渡されるのです」。

3 その時,祭司長および民の年長者たちは,カヤファと呼ばれる大祭司[の家]の中庭に集まり,4 うまく仕組んでイエスを捕らえ,これを殺そうと相談した。5 しかし彼らは,「祭りの時はいけない。民の間に騒動が起きないようにするためだ」と言い合っていた。

 

ルカ22

さて,無酵母パンの祭り,いわゆる過ぎ越しが近づいていた。2 また,祭司長と書士たちは,[イエス]を除き去るためのうまい方法を探っていた。彼らは民を恐れていたのである。

 

 

受難物語は、欧米の大多数の神学者が、福音書における最も重要なテーマであり、マルコにおいてもそうであるとしている。

しかしながら田川先生は、マルコにとって受難物語は付録的な位置にあり、マルコのキリスト教において、受難物語の細部はそれほど重要ではなかったとしている。

 

いくつかの理由を挙げているが、その一つとして、1-13章までの編集方針と14-15章の編集方針が異なっていることを指摘している。

 

本論部分では個別の断片伝承を集めてマルコが積極的に物語に編集して再録したものである。従って、特に伝承と伝承をつなぐ導入部分と結論部分、別々の伝承をつないでいる場合、間のつなぎ部分はマルコ自身の編集句である。

当然そこには、マルコの主張が反映されていると考えられる。

それに対し、受難物語は、話の内容が連続しており、全体としてまとめて伝えられている。

おそらくマルコは、それをほぼそのまま再録したものであろう。

 

その証拠は形式的には文体の違いにも見られ、1-13章では、文章のはじめをkaiで始める文体が極めて多く出現する。

それに対し、受難物語では、kaiを文頭に用いる文体は減り、deを接続小辞とする文体が増えて来る。

13章までは、kai文章=473に対しde文章=71で比率として、6.66倍。

14章以降は、kai 文章=109に対しde文章=42で比率として、2,59 倍。

ただし16章は全8節だけであるが、kai文章=8に対しde文章=1で、8倍。

本論部分と同じくkai文章の比率が高くなる。

このような基本的な文体の変化は、同一著者の同一著作においてはありえないほどの比率。

 

内容的にも、「民衆」に対するイエスの態度が異なっている。

本論部分(14:1-2を含む)では、一貫して「民衆」はイエスを囲み、イエスは「民衆の友」であり、「弟子たち」たちではなく、「民衆」がイエスの教えを聞く者として描かれている。

それに対し、受難物語では、「民衆」はイエスを囲んでおらず、一転してイエスは「孤独」になる。「群衆」はイエスの「敵対者」の側に付き、イエスを十字架につけろと叫ぶ者である。

 

「キリスト」論に関しても13章までと14章以降の受難物語では異なっている。

13章までは、イエスに対して「キリスト」論的称号を用いて理解しようとする姿勢を一貫して批判的に否定している。

それに対し、14章以降では、むしろ積極的に「キリスト」論的称号を用いてイエスを理解しようといている。

 

「福音」に対する概念も異なっている。

13章までの「福音」(1:1,15、8:35,10:29)は、「神が此の世を訪れた、という救いの告知」を意味しており、「イエスの活動の全体」を指し、「イエスの人格、生き方」そのものを指す。

それに対し14章以降では、「キリストについての福音」(evangelium de christo 14:9)とされており、「イエスがキリストとして活動したことの記録」を指すことになっている。

 

旧約の預言成就とするイエスの活動の視点も異なっている。

13章(1:2-3を除く)までは、旧約が引用、もしくは暗示されている箇所に、旧約の預言成就という概念を適用している箇所は登場しない。

受難物語では、旧約の預言がイエスの十字架の死において実際に成就した、という視点で描かれている。

(「訳と註」p419-423、「一断面」p338-354参照

 

以上の指摘を考慮すると、マルコにおける受難物語は、13章までの本論部分に、キリスト教信者の間で信じられている伝承に積極的に手を加えて編集することなく、付録的に収めたものであるように思える。

ただし、ところどころにペテロたち初期キリスト教団に対する批判を納めることを忘れてはいない。

 

マルコ1:2-3で旧約預言の成就としているのは、イエスに対してではなく、洗礼者ヨハネに対するものである。

おそらくイエスに対しても旧約の預言成就を適用したのは、洗礼者ヨハネ集団に端を発しているのだろう。

 

マタイにはイエスに対する旧約の預言成就という形でいわゆる定型引用が11回登場するが、マルコでは受難物語(14:27)でしか登場しない。

 

受難物語そのものは、元洗礼者ヨハネの弟子であったユダヤ人キリスト信者によって旧約の預言成就という視点から解釈され、初期キリスト信者たちが中心となって伝承させたものであろうと考えられる。

 

 

 

マルコの受難物語は、「過越」を二日後に控えた「イエス殺害」の陰謀計画から始まる。

 

マルコ14

過越種入れぬパン(の祭)が二日後となった。そして祭司長や律法学者たちが、どのようにたばかって彼をつかまえ、殺そうかと計った。彼らは、祭の間ではいけない、民の騒乱があるといけない、などと言っていたからだ

 

マタイ26

1イエスはこれらの言葉をすべて終えた時に彼の弟子たちに言ったのであった2「知ってのとおり、二日後には過越になるそして人の子は十字架につけられるために引き渡される」。3その祭司長や民の長老たちが集って、カヤパと呼ばれる大祭司の中庭に集り、4たばかってイエスをつかまえて殺そう、と相談した。5しかし彼らは言っていた、「祭の間ではいけない。民の間で騒乱が起こるといけないから」。

 

ルカ22

過越と呼ばれる種入れぬ祭が近づいた。そして祭司長や律法学者たちが、いかにして彼を滅ぼそうかと計った。民を恐れていたらである。

 

 

マルコとマタイは「過越祭」と「種入れぬパン祭」を別々の「祭」としているが、ルカはどちらも同じ「祭」としている。

 

「過越」(pascha)は、アラム語のpashaをギリシャ語に音写したもの。

ヘブライ語ではpesahaに対応する。

アラム語・ヘブライ語のhはきつい気息音であるから、ギリシャ人には「パスハ」よりは「パスカ」に聞こえたのであろう。

 

この語は、「過越祭」もしくは「過越祭の時に屠られる羊」を指す。

イスラエルの民がエジプトから脱出した時を記念するユダヤ教最大の祭であり、ユダヤ暦ニサン14日の夕方から始まり、翌日の夜遅くまでに及ぶ。

日没を一日の始まりとするユダヤ暦の数え方からすると、ニサン14日から翌15日までになる。(出エジプト12:43~参照)

 

WTはユダヤ暦が夕方から始まるので、過越しがニサン13日の夕方から始まるとしている。

*** 洞‐1 1253ページ 過ぎ越し ***

ユダヤ人は,一日を日没後に始まり翌日の日没に終わるものとみなしたので,ニサン14日は日没後に始まることになります。過ぎ越しが祝われるのは,ニサン13日が終わった後の夕方です。聖書は,キリストが過ぎ越しの犠牲であって(コリ一 5:7),キリストは死に処される前の夕方に過ぎ越しの食事を祝われたことをはっきり述べているので,律法によって備えられた型もしくは影の時間的要素を正確に成就するためにはキリストの死の日付はニサン15日ではなくニサン14日になります。―ヘブ 10:1。

 

キリスト教では、イエスの復活がこの祭りに重なったというので、「復活祭」の呼称となった。

英語では、Passoverであるが、ラテン語でPascha、独語Pessach、仏語Pa^ques、露語Пacxa等では、ヘブライ語ギリシャ語と同じく「パスカ」と呼ばれる。

 

(日本語で「パスカ」(passca)と言えば、pasmoと同じ交通系ICカード。pass cardの略。「パスカ」で「パスカ」に出席…と駄洒落たら、キリスト教信者の皆さんからお叱りを受けるかも…)

 

「種入れぬパン」(azuma)の原意は否定辞a+zumE(パン種)の女性形で「無酵母のもの」。

NWT「無酵母パン(の祭)」と訳している。

ただし、現代のパン作りとは異なり、古代では酵母菌を使って発酵させていたわけではない。焼かずに残している前日に発酵させた麦粉生地をパン種として二次発酵させてパンを焼いた。そのパン種を指す語がzumE。

 

出エジプトの際、急いで脱出しなければならずパンを醗酵させている時間がなく、パン種を入れずに焼いたパンを持って出たので、以後それを記念して、この祭りの時に種入れぬパンを食べる祭となった。

 

基本的には、過越の準備をするニサン14日の夕方から21日の夕方までの足かけ一週間の祭。

一日目と最後の七日目に聖会が開かれた。

(出エジプト12:14~、34:18~参照)

 

「過越祭」と「除酵祭」とは、日付が重なっているものの本来は別々の祭りである。

 

しかし、ルカは両者を同じ祭りと考えている。

ルカは「過越と呼ばれる種入れぬ祭」(he heortE tOn azumOn hE legomenE pascha)としている。

原文の並びは「定冠詞付き単数形の祭」「定冠詞付き除酵(祭)」「定冠詞付き呼ばれる過越(祭)」と「祭」を指す三つの定冠詞付き名詞からなっている句。

ルカは「除酵祭」を「過越祭」と呼ばれる同じ定冠詞付き「祭」であると考えている。

 

マルコとマタイは、ユダヤ人であるから「過越祭」と「除酵祭」が別の祭りであることを承知していたのであろうが、異邦人のルカは両者の区別がつかなかったのであろう。

 

 

マタイは「イエスは…終えた時に、…のであった」(kai egeneto hote etelesen ho iEsous…)という構文で受難物語を始めている。

マタイは、五か所でこの構文を用いている。(7:28、11:1、13:53、19:1、26:1)

 

7:28は、5-7章の山上の「説教」を「終えた」後に。

11:1は、10章の十二使徒の派遣関する「説教」の後に。

13:53は、「天の国」に関する「譬」を通して、「天の国の秘義」に関す「説教」の後に。

19:1は、「天の国」に入る者となるための「説教」の後に。

26:1は、24-25章の終末と再臨の徴に関する「説教」の後に置かれている。

 

このkai egeneto…(直訳は「そして…のことが生じたのであった」)で始まる構文は、七十人訳にもよく登場する構文。

ヘブライ語アラム語の発想をそのままギリシャ語に持ち込んだもので、古典的な格調を印象付けるものとなる。

アラム語が母語のマルコには良く登場するし、マルコを写している箇所のマタイにもしばしば登場する。

 

マタイがイエスの長い「説教」の終りに、必ずこの古典的な格調高い言い方で、「イエスが…を終えたことが生じたのであった」という構文で弟子たちに対する「説教」を締めくくっているのは、非常に意図的である。

 

マタイは、この締めの言葉の前に置かれている五つのイエスの「説教」をキリスト教の柱として非常に重要視しているのであろう。

 

ところが、この個所では、ギリシャ語に堪能で、言葉の魔術師のようなマタイにしては、ややもたついている印象の文となっている。

 

マルコでは、祭司長と律法学者たちが、イエス殺害の陰謀計画を「祭の間ではいけない、民の騒乱があるといけない」とする自分たちの間での会話という形式になっている。

その会話には、「イエス」も「弟子たち」も関与していない。

 

しかしマタイは重要な「説教」の後には、「イエスはこれらのことを弟子たちに語り終えた」とする定型文が必要だと考えたのであろう。

 

マルコの文と自分の定型文のスタイルを融合させようとした。

 

そのためには、自分の定型文に合わせて、イエス殺害の陰謀をイエスが弟子たちに言ったことにする必要が生じる。

その結果、マルコでは、単に祭司長たちが陰謀計画の内幕を指摘しているだけの文が、マタイでは、祭司長たちによる陰謀会議を指摘する前に、イエスが殺害計画を弟子たちに知らせるというちぐはぐが生まれることになってしまったのだろう。

 

マルコは、イエスの殺害を「祭司長と律法学者たち」の陰謀としているが、マタイは「祭司長と民の長老たち」の陰謀としている。

マタイがなぜ長老たちにしたのか不明。

 

サンヘドリンは、「祭司」「長老」「律法学者」で構成されている。

もしかしたらマタイは「律法学者たち」よりも「長老たち」の方が政治的権力の影響が強いと思ったのかもしれない。

 

マタイはイエスを処刑した大祭司「カヤパ」(Kaiaphas)の名(26:3,57)をあげているが、マルコには「カヤパ」という名前は出て来ない。

ルカには、「カヤパ」という名前が一度出て来るが、3:1の洗礼者ヨハネの宣教開始における時代背景の人物として登場する。

ルカの受難物語に大祭司の名前は登場しない。

 

ヨハネでは、受難物語に繰り返し大祭司「カヤパ」の名前が出て来る。(11:49,18:13,14,24,28

 

マルコは陰謀計画について、間接話法で「彼らは・・・などと言っていたからだ」(elgon de…)と理由を示す接続小辞を使って説明しているが、論理的には殺害計画の理由とはならない。

マルコとしては、「祭の間ではいけない、と彼らは言っていた。だからその前にイエスを捕まえようとしたのだ」と言いたかったのだろう。

それを「彼らが…言っていたからだ」と端折ってしまったのだろう。

 

マタイ先生はマルコの舌足らずの文を的確に修正してくださり、しかし彼らは言っていた、「…」と直接話法で素直に意味の通る文に校正してくれている。

 

マルコの「民の騒乱があるといけない」(mE thorubos genEtai tO laO)は、主格の「騒乱」に動詞「ある」の後に定冠詞付き属格の「民」を直接置いている。

マタイは「民の間で騒乱が起こるといけない」(mE thorubos genEtai en tO laO)と「民」の前に前置詞enを入れてくれている。

 

前置詞なしで、定冠詞付き「民」を置くと、定冠詞付き「民」の「騒乱」があるという意味になり、「民全体」が大祭司の勢力に反対して騒乱を起こす、という趣旨になる。

前置詞en=inが付くと、「民全体」ではなく、民の中には「そういう者」もいるという趣旨になる。

 

マタイ先生は「ユダヤ人全部」ではなかろうと、マルコの不備を細かく修正して下さっているのである。

 

 

ルカは、イエス殺害をマルコと同じく「祭司長や律法学者たち」の陰謀としているが、「過越祭」の二日前とはしておらず、単に「近づいた」時の設定にしている。

 

 

イエスの「エルサレム入城」からを「キリストの受難週」として、「イエスの十字架」までの出来事を一週間の出来事に割り振るのは、ヨハネ12:1の「ベタニア塗油」が過越の「六日前」とあるのを手掛かりに護教的解釈し、創作された福音書物語。

どの福音書の記述とも一致しない。

 

 

マルコは、過越祭二日前の「イエス殺害」計画に続く、受難物語に、「ベタニア塗油」伝承を置いている。