マルコ12:13‐17 <帝国の税金と神殿税> 並行マタイ22:15‐22、ルカ20:20‐26

 

マルコ12 (田川訳)

13そして彼のもとに、何人かのパリサイ派とヘロデ派の者を遣わして、言葉でもって彼をつかまえようとする。14そして来て、彼に言う、「先生、あなたが真実な方で誰をはばかることもなさらない、ということは存じております。現にあなたは人間の顔を見、真実な仕方で神の道を教えておいでだ。では皇帝人頭税支払うことは許されているかいないか、我々は支払うべきか否か、どちらでしょうか」。15彼は彼らの偽善を見て、彼らに言った、「あなた方は何故私を試みるのか。デナリ貨幣を持っておいでなさい。見てみようじゃありませんか」。16彼らは持って来た。そして彼らに言う、「この肖像は誰のものです」。彼らは彼に言った、「皇帝のものですよ」。17イエスは彼らに言った、「皇帝のものは皇帝に納めなさいな。そして神のものは神に」。そして彼のことを大いに驚嘆した

 

マタイ22

15その時、パリサイ派は行って彼をどのように言葉でもって罠にかけようかと会議をした。16して自分たちの弟子をヘロデ派とともに彼のもとに遣わして、言う、「先生、あなたが真実な仕方で神の道を教えておられ、誰をはばかることもなさらない、ということは存じております。現にあなたは人間の顔を見ることをなさらない。17そこで、あなたはどう思われるか、我々におっしゃっていただきたい。皇帝に人頭税を支払うことは許されているか否かを」。18イエスは彼らの悪意を知って、言った、「偽善者よあなた方は何故私を試みるのか。19人頭税の貨幣を見せてごらんなさい」。彼らは彼のもとにデナリ貨幣を持ってきた。20そして彼らに言う、「この肖像と銘は誰のものです」。21彼に言う、「皇帝のものですよ」。その時、彼らに言う、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めるがよろしい」。22そして彼らはこれを聞いて驚嘆し、彼をそこに残して立ち去った

 

ルカ20

20そして彼らは機会をうかがい、まわし者を遣わした。このまわし者は、自分は義人であると偽善的に言っている者たちであった。彼の言葉じりをとらえて代官の当局に引き渡そうとしたのである21そして彼に問うて言った、「先生、あなたは正確にものをおっしゃり、教え、顔によって片寄り見ず真実な仕方で神の道を教えていらっしゃる、と存じております。では、我々は皇帝に税金を支払うことが許されているかいないか、どちらでしょうか」。23その嫌らしさを見抜いて、彼らに対して言った、24デナリ硬貨を見せなさい。誰の肖像と銘がついているか」。彼らは言った、「皇帝のものですよ」。25彼は彼らに対して言った、「それだったら皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めるがよろしい」。26そして彼らは民の面前で彼の言葉じりをとらえることができず、彼の返事に驚いて、黙ってしまった

 

 

マルコ12 (NWT)

13 次に彼らは,パリサイ人およびヘロデの党派的追随者のある者たちを彼のところに遣わした。そのことばじりを捕らえようとしてであった。14 これらの者はそこに着くや彼にこう言った。「師よ,わたしどもは,あなたが真実な方であり,だれをも気にされないことを知っております。あなたは人の外見をご覧にならず,真理に即しての道をお教えになるからです。カエサルに人頭税を払うことはよろしいでしょうか,よろしくないでしょうか。15 わたしどもは払いましょうか,それとも払わないでおきましょうか」。[イエス]はその偽善を見破って彼らに言われた,「なぜあなた方はわたしを試すのですか。デナリをわたしに持って来て見せなさい」。16 彼らはそれを持って来た。すると[イエス]は言われた,「これはだれの像と銘刻ですか」。彼らは,「カエサルのです」と言った。17 そこでイエスは言われた,「カエサルのものはカエサルに,しかしのものはに返しなさい」。それで彼らは[イエス]に驚嘆するようになった。

 

マタイ22

15 その時,パリサイ人たちは出かけて行き,彼をその語ることばの点でわなにかけようと相談した。16 そして,自分たちの弟子を,ヘロデの党派的追随者と一緒に彼のところに派遣して,こう言わせた。「師よ,わたしどもは,あなたが真実な方で,道を真実をもってお教えになることを知っております。そしてあなたはだれをも気にされません。人の外見をご覧にならないからです。17 それで,どうお考えになるか,わたしどもにお話しください。カエサルに人頭税を払うことはよろしいでしょうか,よろしくないでしょうか」。18 しかしイエスは,彼らの邪悪さを知って,こう言われた。「なぜあなた方はわたしを試すのですか,偽善者たちよ。19 人頭税の硬貨をわたしに見せなさい」。彼らはデナリを[イエス]のところに持って来た。20 そこで彼らにこう言われた。「これはだれの像と銘刻ですか」。21 彼らは,「カエサルのです」と言った。そこで[イエス]は言われた,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかしのものはに返しなさい」。22 すると,彼らは[これを]聞いて驚嘆し,彼を残して去って行った。

 

ルカ20

20 そこで,彼の様子をつぶさにうかがったのち,義人のようなふりをさせるためにひそかに雇った者たちを遣わした。そのことばじりを捕らえて,彼を政府に,そして総督の権限のもとに引き渡そうとしてであった。21 そこで,その者たちは質問してこう言った。「師よ,わたしどもは,あなたの話したり教えたりされることが正しく,また不公平な扱いをなさらず,かえって真実に即しての道をお教えになることを知っております。22 わたしどもがカエサルに税を払うことはよろしいでしょうか,よろしくないでしょうか」。23 しかし,[イエス]は彼らのこうかつさを見破ってこう言われた。24 「デナリをわたしに見せなさい。それにはだれの像と銘刻がありますか」。彼らは,「カエサルのです」と言った。25 [イエス]は彼らに言われた,では,ぜひとも,カエサルのものはカエサルに,しかしのものに返しなさい」。26 すると彼らは,民を前にして,このことばの点では彼をつかまえることができず,むしろその答えに驚いて何も言えなかった。

 

 

 

「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」というイエスの言葉で有名な神殿における税に関する論争物語である。

 

具体的な適用に関しては宗派によりさまざまに説明されるが、一般にカエサル=政治、もしくは世の象徴と解釈し、神=聖もしくは宗教的行為の象徴として解説されている。

 

神に対する服従と国家に対する義務とは、次元の違うものであり、両者をともに遵守することは矛盾ではない、という趣旨に解説されることが多い。

 

税に関する国民の義務をはじめ、国家の権威に服することは、権威の存在を認めているより上位の存在である神に従がうことと矛盾するものではない。むしろ、神のものを神に返すことにも繋がる、と説明される。

 

WTは崇拝に関する神の要求に矛盾しない限り、良心的に国家の要求に従がう義務があるが、政府が宣教を禁止するのは「神の領域」を侵害することになる。(WT96/5/1参照)

神の崇拝者が政治活動に関わることは「政治的メシア」を求めることであり、「神のものを神に返す」ことに注力すべきである、と解説している。(WT2012/5/1)

 

 

イエスは本当のそのような意味で、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と言ったのであろうか。

 

イエスが「カエサルのもの」とはローマ帝国がユダヤ人に要求した人頭税を指していることはあきらかである。

 

では、「神のもの」とは何を指しているのか。

 

 

具体的な検討に入る前に、イエス当時のローマ帝国での税金事情とユダヤ教体制の社会的背景を確認しておく。

 

この税金論争において、パリサイ派は反ローマ宗教組織で、ヘロデ派は親ローマ政治集団であり、普段は対立していた党派同士であるが、イエスの殺害に関しては互いに利害関係が一致したので暗黙の協定を結んだと解説されることが多い。

 

しかし、イエスの当時のパリサイ派は一つではなく、自由主義のヒレル派と伝統主義のシャンマイ派という大きく二つの派閥に分かれていた。

 

どちらも指導者である律法学者(ラビ)の名前に由来するもので、ラビ・シャンマイ派は、ユダヤ教の伝統主義を推奨しており、ラビ・ヒレル派の方は、自油主義を推奨していた。

 

シャンマイ派はユダヤ主義に固執しており、反異邦人的傾向が強い。

つまり、ローマ帝国からすれば、シャンマイ派は政治的には反ローマ主義であり、左派傾向が強いということになる。

 

一方、ヒレル派は自由主義傾向が強く、ローマ帝国からすれば、親ローマ主義であり、右派もしくは保守的傾向が強い派閥であった。

 

「ローマ皇帝に人頭税を払うことは、許されているのかいないのか」。

 

この問題は、後6年にローマ帝国がユダヤとサマリア地方を直轄の属州として支配下に置いた時から、ユダヤ人の間に生じた論争である。

 

この問題をきっかけにして、ユダヤ人の間で、ユダヤ主義の反ローマ運動が動き出している。

 

ローマがユダヤ人を直接支配したのは、この時が始めてである。

それまで、ローマはヘロデ王家を通じて間接的に支配していた。

 

しかし、前4年のヘロデ王の死以後ローマは、直接支配に転じる機会をうかがっていたのだろう。

ヘロデの死後、その領土は三分割され、ユダヤとサマリア地方はヘロデの息子のアルケラオスが領主となった。しかし、王位継承に関わる内紛と反ローマ運動に対する不手際からカエサルの信任を得られず、後6年に失脚し、ガリア(現フランスのリヨン近くのヴィエンヌ)に追放されてしまう。

 

それ以後、ユダヤとサマリアはローマの属州となり、帝国の直接の支配下となる。

 

直接支配の基礎は、住民の戸籍を作り、帝国に登録させることにある。それによって、細大漏らさず人頭税を課し、税金を徴収する基礎が出来る。

 

それゆえ、ローマ帝国は後6年に、まずシリアのキリニウスという人物を総督とし、住民登録台帳の作成に取り掛かる。(ルカ2:2参照)

 

これに対して、ユダヤとサマリア地方の住民から、強力な反対運動が生じる。

この反対運動を指導したのがガリラヤのユダと呼ばれる人物であり、後の熱心党はこのユダの流れをくむ。

 

ユダは、「ローマ人に税金を納めたり、ひとたび神のみを主権者と仰いだのに、なお死すべき人間に仕えるなどというのは卑怯者だ」と主張して、ザドクというパリサイ派の人物とともに、反ローマ運動を呼びかけている。(「ユダヤ戦記」2・117、「古代史」18・4ほか)

 

パリサイ派の中でも比較的多くの者たちは、親ローマ路線を取ることによって生き延びようとしていた。

このザドクというパリサイ派の人物は、反ローマ主義のシャンマイ派であったと思われる。

 

ユダヤ民族が異邦人であるローマ人の帝国に直接税金を支払うことは、ユダヤ主義による神聖政治を理念としているユダヤ人にとっては、神の支配を否定することになる。

選民思想を揺るがすことにもつながる。

 

ヘロデ王や大祭司がローマにユダヤ人から徴収した税金を支払うことは、一般のユダヤ人にとっては、神聖政治の理念も選民思想も崩すものではない。

 

ユダヤ人はユダヤ教の神の支配に恭順しているだけで、偶像崇拝者である異邦人の支配に恭順しているのではない、というユダヤ主義に対する言い訳が立つからである。

 

直接ローマに税金を納めるとなると、純粋ユダヤ主義者に対しては、その言い訳が効かなくなる。

 

ヘロデ家の時代とローマの直接支配の場合では、住民にとってどちらの税負担が大きかったのかは、定かではない。

少なくてもサマリアとユダヤの住民にとっては、税負担は重くなったことは間違いないであろう。

 

しかし、ユダヤ人の反ローマ運動は税負担の重さに対する反対というよりも生活全体に対する支配感覚が強化されることによる束縛に対する反感の方が問題だったのではないかと思われる。

 

ガリラヤのユダは、ローマ帝国による直接支配を「奴隷」状態と呼んだが、それは、ユダヤ教に対する束縛、つまりユダヤ人の人権に対する支配の問題として受け取ったからであろう。

 

ユダの反ローマ運動は、相当な影響力を持って展開されたが、結局は権力の手にかかって、ユダが殺されることにより、鎮圧されている。(使徒5:37参照)

 

ユダヤ教の聖地であるエルサレムがローマ帝国の属州内にあることは、ユダヤ主義のユダヤ人からすれば、民族全体がローマ帝国の支配下に置かれている感覚だったのであろう。

 

しかしながら、ユダヤ人でも祭司からなる支配者層貴族は親ローマ主義であり、帝国の手先となる。

 

大祭司ヨアザル(後16‐17)は、ガリラヤのユダ騒動を念頭に、反抗は無駄であり、ローマの支配は神によってイスラエルに下された罰なのだから甘受せよ、と説得して、民衆に税金を払うことを勧めた。

 

ユダヤ教の宗教家で最高権力者である大祭司が、ローマ帝国の支配者に最も露骨に政治的に媚び、宗教家ではないユダのような人物がかえって宗教的な運動を徹底して展開するという皮肉な構造となっている。

 

「神以外は支配者としては認めない」という理念を宗教的に徹底するならば、いかなる政治権力も容認しないし、民衆の上に特定の階級が支配することも容認しないことになり得る

 

それゆえ、ユダのローマに対する人頭税反対運動は、いったん潰されても、宗教的根源として生命力を保ち、やがて第一次ユダヤ戦争へと繋がってゆく。

 

パリサイ派にも親ローマの自由主義ヒレル派と反ローマのユダヤ主義シャンマイ派がおり、ローマによる人頭税の是非に関して意見が分かれていた。

 

大祭司や祭司たち神殿貴族のユダヤ教支配者層は親ローマである。

ユダヤ人に対して建前上は親ユダヤであるが、保身から納税容認派であった。

 

パリサイ派の中で人頭税の納付反対派はシャンマイ派であり、反ローマ政治運動の核となる熱心党と結びつき、第一次ユダヤ戦争の精神的支柱となる。

ローマ帝国によってエルサレムが占領され、崩壊すると、シャンマイ派も滅亡することとなった。

 

エルサレム滅亡後のユダヤ教は親ローマ主義のパリサイ派ヒレル派だけが生き残り、ユダヤ教の主流となっていく。

 

ガリラヤのユダの運動は後6年以降の出来事であるから、イエスの時代から四半世紀ほど前のことである。

 

キリニウスによる人口調査とローマによる人頭税の直接徴収は、ユダヤ、サマリア地方に限られた出来事であり、ガリラヤの住民であるイエスにとって、直接関係する出来事ではない。

 

しかし、その間にもずっとローマ帝国に税金を払うことが正しいかどうか、という問いは問われ続けていた。

 

おそらく、この「税金問答」は、エルサレムでのイエス伝承という形で、マルコの元に届いたのであろう。

 

ガリラヤとローマの属州であるサマリヤ・ユダヤでは、税金事情も支配状況も異なっていた。

 

イエスの時代ガリラヤの住民は誰から支配されていたのか。

 

サマリヤとユダヤがローマの直接支配となる以前のイスラエルは、ヘロデがエルサレムに王として住んでおり、それ以前の時代も大祭司を含めエルサレムの中央権力によって支配されていた。

 

ヘロデの死後、イスラエルは三分割され、ガリラヤはエルサレムから来た息子のヘロデ・アンティパスが領主となる。

 

しかし、ガリラヤを支配していたのはヘロデ家だけではない。

 

社会的には常にエルサレムからの支配が続いていた。

経済的には、エルサレム貴族による大土地所有による農場経営が農夫たちを支配していた。

 

公的には、エルサレム神殿とユダヤ教律法体系が支配の力を作り、経済的にはエルサレム神殿とその祭司たちの神殿貴族により、絞りあげられていたのである。

 

サマリアとユダヤに限らず、ガリラヤ地方も含め、すべてのユダヤ人にとって、人頭税とは呼ばれてはいないものの、事実上人頭税と同じ趣旨の税金がエルサレムの支配者層から課せられていた。

 

すべてのユダヤ人は青年になると、パレスチナ全土だけでなく、地中海全土の世界中に散らばっていたディアスポラのユダヤ人たちにも、毎年定まった額の税を支払わなければならなかった。

 

エルサレムによりユダヤ人に課せられていたその税とは「神殿税」のことである。

 

毎年春と秋の祭りの時期になると、大量の金銭がローマ帝国内をエルサレムに向かって移動し、神殿に納められたのである。

 

そのシステムが長年維持され、神殿に献金可能だったのはローマ帝国の容認と庇護があったからであろう。

 

大祭司や祭司である神殿貴族たちが親ローマである理由も理解できるであろう。

ローマ帝国がユダヤとサマリア地方に目を付けたのも理解できるだろう。

 

神殿は、ローマ帝国の庇護の元に集められる神殿税によって維持されていたのである。

しかも、神殿税はローマ帝国の流通貨幣ではなく、肖像の刻印のない硬貨に両替しなければならなかったのである。

 

ユダヤ人には、神殿税以上に収めなければならない律法上の献納物があった。

十分の一税だけでなく、出産、病気の治癒、罪の赦しなど様々な機会に清める必要があり、その度に神殿に参内し、献納する必要があった。

 

必ずしも律法の条文通りに徴収されたわけではなかったと思われるが、それでも巨大な献納物がエルサレムの神殿に納められ、祭司たち神殿貴族に巨額の富をもたらしていたことは間違いないであろう。

 

神殿税とは異なり、これらの献納物は主にパレスチナ在住のユダヤ人から徴収されていたのである。

 

イエスはガリラヤ人であったから、ローマからの直接税である人頭税は課せられていない立場であったが、ユダヤ人であるからエルサレムから神殿税は課せられていた。

 

 

以上を背景に「帝国の税金と神殿税」論争を読み解いてみたい。

 

 

マルコ12

13そして彼のもとに、何人かのパリサイ派とヘロデ派の者を遣わして、言葉でもって彼をつかまえようとする。14そして来て、彼に言う、

 

マタイ22

15その時、パリサイ派は行って彼をどのように言葉でもって罠にかけようかと会議をした。16して自分たちの弟子をヘロデ派とともに彼のもとに遣わして、言う、

 

ルカ20

20そして彼らは機会をうかがい、まわし者を遣わした。このまわし者は、自分は義人であると偽善的に言っている者たちであった。彼の言葉じりをとらえて代官の当局に引き渡そうとしたのである。21して彼に問うて言った、

 

 

 

マルコでは「パリサイ派とヘロデ派の者」がイエスの元に遣わされる、のであるが、マタイでは、「パリサイ派」が行って、会議した後、ヘロデ派と共に来て、イエスと論争する。

 

ルカでは、「彼ら」は機会をうかがっており、「まわし者」が遣わされた、という設定となっている。「まわし者」が、パリサイ派ともヘロデ派とも書かれていない。

たが、ルカは彼らが「自分たちは義人であると偽善的に言っている者たちであった」という文を付加している。

ルカの「まわし者」を遣わした「彼ら」とは、前節の19律法学者と祭司長たち」を指すと読める。

 

 

マルコの「遣わした」という動詞は三人称複数形であり、主語のない不人称的複数形。

文法的には、特定の誰かが遣わしたという意味ではなく、「遣わされる」ということがあった、という趣旨である。

 

しかしながら、文脈からは、男性形複数の動詞であるから、「まわし者」を遣わしたのは、12:1,12の「彼ら」、すなわち11:27の「祭司長、律法学者、長老」を指すものだろう。

 

マタイでは、「農夫の譬え」の後、「息子のために婚宴を催した王」の譬えが語られた後の設定となっている。

 

「行く」の主語は「パリサイ派」と明記してあり、彼らは「農夫の譬え」が語られた場所から離れて、会議をして、イエスをどうするか相談した、と読める。

 

「ヘロデ派とともに」という句を「パリサイ派」にかけて読むと、パリサイ派がヘロデ派と一緒になって自分たちの弟子たちをイエスの元に遣わした、と読める。

 

「弟子たち」にかけて読むと、パリサイ派は自分たちの弟子たちとともにヘロデ派を遣わした、と読める。

 

パリサイ派主導での税金論争と読むか、パリサイ派とヘロデ派の共謀での税金論争と読むかの違いになるだけで、大筋に違いはない。

 

このパリサイ派はヘロデ派と行動をともにしたのであるから、親ローマのパリサイ派(ヒレル派)にまつわる伝承だったのであろう。

 

「ヘロデ派」(HErOdianoi)という語は、マルコにしか登場しない(3:6、12:13、8:15のカイサリア系異読)。

マタイのこの個所はマルコの並行であり、単にマルコを写したものであるから、マタイが「ヘロデ派」をどうとらえていたのかは不明。

 

ヨセフス「古代史」14・450に「ヘロデのことを考える者たち」と出て来るが、マルコの「ヘロデ派」と同じ意味とも言えない。

 

マルコが「ヘロデ派」に言及する時には必ず「パリサイ派」とともに用いている。

 

ヘロデ王家と関わりがある者たちを指すのであろうが、詳細は不明。

 

NWTは「ヘロデの党派的追随者」と訳し、ヘロデ党という政治組織という解釈。(洞-II,p801)

 

 

マルコのパリサイ派とヘロデ派は、「言葉でもってつかまえよう」とするに対して、マタイのパリサイ派とヘロデ派は「言葉でもって罠にかけよう」とする。

 

ルカの律法学者と祭司たちは「彼の言葉じりをとらえて、代官の当局に引き渡そうとした」。

 

NWTはマルコをルカと同じく「言葉じりをとらえて」と訳されているが、マルコとルカでは厳密に言うと意味が違う。

 

マルコの「言葉でもってつかまえようとした」(agreusOsin logO)の「言葉をもって」は前置詞も定冠詞もついていない単なる与格単数形。

 

田川訳の「言葉でもって」という訳は、与格の「言葉」を手段・道具の与格と解したもので、「言葉によって」あるいは「言葉という仕方で」という意味。

 

物理的な手段でつかまえようとしたのではなく、言葉という手段で、相手をやっつけようとした、という趣旨。

今風に表現するなら、ディベートして打ち負かそうとした、ということ。

 

マタイはそれを「言葉でもって罠にかけようとする」(pagideusOsin en logO)と動物をとらえる時にしかける「罠」から派生した動詞に変え、前置詞(en)を付けて、「言葉の中に罠を仕掛けて捕える」という趣旨に修正してくれた。

 

ルカの「言葉じりをとらえて」(epilabOntai autou logou)の直訳は「彼の言葉をとらえる」。epi-(上に)という強調の接頭語付きのlambanomai(捕まえる)に、属格男性形代名詞付きの「言葉」が付いており、文字通り「イエスが発する言葉をまな板の上に置くようにして捕えようとした」、という趣旨。

 

NWTの訳は、ルカをマルコに読み込んだもの。

これも聖書霊感説信仰の所産。

 

 

そして、「彼ら」はそれぞれの意図を持って、それぞれのイエスに言う

 

マルコ12

先生、あなたが真実な方で誰をはばかることもなさらない、ということは存じております。現にあなたは人間の顔を見ず真実な仕方で神の道を教えておいでだ。では皇帝人頭税を支払うことは許されているかいないか、我々は支払うべきか否か、どちらでしょうか」。

 

マタイ22

「先生、あなたが真実な仕方で神の道を教えておられ、誰をはばかることもなさらない、ということは存じております。現にあなたは人間の顔を見ることをなさらない。17そこで、あなたはどう思われるか、我々におっしゃっていただきたい。皇帝に人頭税を支払うことは許されているか否かを」。

 

ルカ20

「先生、あなたは正確にものをおっしゃり、教え、顔によって片寄り見ず、真実な仕方で神の道を教えていらっしゃる、と存じております。22では、我々は皇帝に税金を支払うことが許されているかいないか、どちらでしょうか」。

 

 

相手を批判する意図を持って近づく場合、こちらの意図を探られないように、最初に十分におだてておく、というのは、邪悪な輩が用いる義礼的常套手段である。

 

マルコでは、彼らはイエスが「人間の顔を見ず、真実な仕方で神の道を教えている」と評価している。

 

「人間の顔を見る」(blepeis eis prosOpon anthrOpOn)の直訳は前置詞eisが付いており「人間の顔の中を見る」。

 

この表現はパウロ系文書に出て来る「顔を取る」(lambaneis prosOpon)という言い方と同じだと説明されるが、「人によって差別する」という意味ではない。

 

「顔を取る」という表現は、「その人の外見、此の世的な地位などの顔に応じて人と人とを比較して取る」という意味だから「人によって差別する」という趣旨になる。

 

しかし、マルコで「人間の顔の中を見る」と比較対照されているのは、「人間」ではなく「神の道」である。

つまり、「神の道」ではなく、「人間的な仕方」でものを考える」という趣旨で「人間の顔を見る」という言い方をしているのである。

 

マタイは「人間の顔を見ることをしない」ということを「誰をはばかることもしない」と同義にとらえている。

つまり、マタイはマルコの「人間の顔を見ない」という表現を「人によって左右されない」という意味に捕えたのであろう。

それでマルコの「人間の顔を見る」(blepeis eis prosOpon anthrOpOn)という表現はそのままに写したのだろう。

 

ルカはマルコの「人間の顔を見る」という表現を「顔によって片寄り見る」(lambaneis prosOpon)という表現に変えた。

直訳は「顔を取る」で、パウロ系文書に出て来る表現と同じ言い方に修正している。(ロマ2:11、エフェ6:9、ガラ2:6ほか)

 

しかも、マルコにある「人間の」という語をルカは削った。

 

その結果、マルコでは「人間的な道」と「神の道」とを対照させているのに対し、ルカでは「人間」と「神」との対照関係が消えてしまうことになり、単に「人」と「人」とを「顔」によって差別することはしない、というだけの意味になってしまった。

 

さらに、それがルカのイエスにとっての「真実な仕方で神の道を教える」ことであるという意味にもなってしまった。

 

 

彼らはイエスが「真実な仕方で神の道」を教えている、と持ち上げてから、罠にしかける言葉を投げかける。

 

「皇帝に人頭税を支払うことは許されているかいないか」

 

「皇帝」(kaisar)はラテン語のCaesarのギリシャ語綴りであるが、もともとはユリウス一族の添名である。

Julius Caesarが有名になり、オクタヴィアヌスの時から帝政が確立すると、ユリウス家出身の皇帝が称号の一つとしてCaesarを名乗った

これがギリシャ語に入り、kaesar一語で「皇帝」を指す呼称となる。

 

イエスの時代の皇帝はティベリウスであり、その時代に発行された貨幣には、TI CAESAR DIVI AUG F AUGUSTUS(神聖なるアウグストゥスの子でみずからアウグストゥスたるティベリウス・カエサル)と刻印されていた。

 

「人頭税」(kEnsos)は、ラテン語の「住民登録」を意味するcensusの音写。

住民登録に基づいて人頭税が課せられたので、ギリシャ語ではローマ帝国が徴収する「人頭税」の意味に用いられるようになったもの。

 

「許されている」(exestin)という言い方は、ユダヤ教の視点からして律法的に「正しいかどうか」という意味。

 

イエスが人頭税を「払うな」と言ったら、帝国に対する反逆者としてローマの代官に告訴できる。

 

逆に「払え」と言えば、反ローマのユダヤ主義パリサイ派(シャンマイ派)の主張を持ちだし、異邦人である偶像崇拝者の奴隷となる律法違反者だと批判することが出来る。

 

親ローマ派と反ローマ派のパリサイ派律法解釈を両天秤にかけた偽善的な質問である。

イエスに議論を吹っ掛けたパリサイ派はヘロデ派と組んでいることからして、親ローマであり、神殿からの恩恵を十分に受けていたヒレル派のパリサイ派であろう

 

彼らの狡猾な質問に対してイエスは次のように返答する。

 

マルコ12

15彼は彼らの偽善を見て、彼らに言った、「あなた方は何故私を試みるのか。デナリ貨幣を持っておいでなさい。見てみようじゃありませんか」。16彼らは持って来た。そして彼らに言う、「この肖像は誰のものです」。彼らは彼に言った、「皇帝のものですよ」。17イエスは彼らに言った、「皇帝のものは皇帝に納めなさいな。そして神のものは神に」。

 

マタイ22

18イエスは彼らの悪意を知って、言った、「偽善者よあなた方は何故私を試みるのか。19人頭税の貨幣を見せてごらんなさい」。彼らは彼のもとにデナリ貨幣を持ってきた。20そして彼らに言う、「この肖像は誰のものです」。21彼に言う、「皇帝のものですよ」。その時、彼らに言う、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めるがよろしい」。

 

ルカ20

23その嫌らしさを見抜いて、彼らに対して言った、24デナリ硬貨を見せなさい。誰の肖像がついているか」。彼らは言った、「皇帝のものですよ」。25彼は彼らに対して言った、「それだったら皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めるがよろしい」。

 

 

マルコのイエスは彼らの「偽善」(tEn hupokrisin)を見て、言う、「あなた方は何故私を試みるのか。デナリ硬貨を持って来て、見てみよう」と。

彼らは持って来た。

 

マタイのイエスは彼らの「悪意」(tEn ponErian)を知って、言う。

マルコの「偽善」という語を彼らに対する呼称に変えて「偽善者よ」(hupokritai)と呼びかけて、「あなた方は何故私を試みるのか。マルコの「デナリ硬貨」(dEnarion)を「人頭税の硬貨」(kEnsou)に変えて、見せるように」と。

彼らは「デナリ硬貨」を持って来た。

 

ルカのイエスは彼らの「嫌らしさ」(tEn panourgian)を見抜いて、言う。

「デナリ硬貨を見せなさい。」と

さらに「誰の肖像と銘がついているのか」と言う。

彼らは答える。「皇帝のものです」と。

 

マルコのイエスとマタイ・ルカのイエスでは、動詞の位置が異なる答え方をする。

 

マルコのイエスは、まず「皇帝のもの」を文頭におき、次に命令形の動詞の順で、「皇帝のものを、納めなさい、皇帝に。そして神のものは神に」(ta kaisaros apodote kaisari kai ta  theou tO theO)と言う。

 

マルコのイエスの言い方だと、「皇帝のものだというなら、皇帝に納めればよろしいんじゃないの」と説明的に言っておいてから、付加的に、「それで、まあ、神様のものだって言うなら、神様にね・・・」と本音を吐露するという感じになる。

 

マタイとルカのイエスは、命令形の動詞を文頭に置き、目的語の「皇帝のものは皇帝に」と「神のものは神に」を「そして」で並列につないでいる。「納めなさい、皇帝のものは皇帝に、そして、神のものは神に」(apodote ta kaisaros kaisari kai ta tou theou tO theO)と言う。

 

マタイとルカのイエスの言い方は、「皇帝のものを皇帝に納めることも大切だが、神のものを神に納めることも同じように大切だ」というニュアンスになる。

 

このイエスの言葉で使われている動詞は、一つだけであり、「納める」(apodidOmi)という動詞しか使われていない。

17節に出て来る、「納める」(apodidOmi)という動詞は、14節で「支払う」(didOmi)と訳されている動詞に接頭語apo-を付けて、強調したもの。

 

接頭語のないdidOmiの元来の意味は「与える」で、接頭語のついたapodidOmiは「返す、返却する」と言う意味で使われたが、どちらの語も「税金の支払い」について良く用いられる語である。

 

特に17節に出て来る接頭語付きのapodidOmiは、税金の納入について用いる術語となっていた。(ロマ13:6,7参照)

 

もともとは、ローマに「税金を納める」か否かの話だったのが、神に納めるものが、「税金」の話ではなく、「宗教信仰」にかかわる話であるとする解説が多い。

 

1959年「イエスの使信、過去と現在」E.Stauffer以前にも、オリゲネスなど古代の教父たちの時代から、「これは、本来皇帝に属するものは皇帝に返却すべきであり、本来神に属するものは神に返却すべきである」、という意味に解されて来た。イエスはここで、皇帝に税金を払うことをいやいや認めているのではなく、人間としても当然の義務責任とみなしてきた、と解説される。

 

しかし、エルサレムの神殿境内で税金の納入に関して使われる術語を用いて、「納める」ことに付いて議論しているのだから、「皇帝のもの」が「人頭税」を指すのであれば、「神のもの」とは「神殿税」を指すと考えるのが自然であると思われる。

 

「カエサルのもの」と「神のもの」とで、動詞が使い分けられているのでもなく、ただ一つの接頭語付きのapodidOmiがどちらの句にもかかる動詞として用いられているだけである。

 

この時代においては、すでに税金の納入について用いる術語となっていた「納める」(apodidOmi)という動詞を、接頭語付きだからと言って、「カエサルのもの」と「神のもの」とでは、異なる意味で使っている、と解するには無理があるように思う。

 

「カエサルのもの」に関しては「人頭税を納める」と言う意味であるが、「神のもの」に関しては、「返却する、本来その人に属するものをお返しする」という意味だと読むのは解釈を前提にしたものであろう。

 

イエスの時代はまだ、人頭税支払い義務がローマ直轄地のユダヤとサマリアに限られており、ガリラヤには課せられていなかった。

 

神殿の権益を握っていたヘロデ王家の者たちは人頭税も神殿税も支払う必要のない立場だった。

 

さらに、マタイ17:24-27「神殿税」伝承から、イエスは神殿税を払わなかった、という噂が出回っていたことが分かる。

 

イエスにこの質問をしているのは、エルサレム議会当局から「派遣された者たち」であり、みずから神殿税と献納物で巨額の利得を得ている祭司からなる神殿貴族階級の者たちである。

マルコのイエスは11:15-18「宮潔め」伝承で彼らの搾取を「強盗」と批判している。

 

とすれば、ここでの彼らに対する「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に納めよ」との言葉は、「(人頭税が)皇帝のものだ、おっしゃるのでしたら、お納めになったらどうですか、皇帝にね。(神殿税は)神のものだから、神にと、言ってお前さんたちは納めさせているのですから」という含みのある言い方になる。

 

マルコのイエスの真意は「あなた方は、神のものは神に納めよ、などと言って神殿税を徴収し、自分の懐を肥やしていい気になっているではないか。そんなあなた方が、皇帝に税金を納めるのが是か非かなどと議論を吹っ掛けてくるとはどういう神経だ。どの口が言う!皇帝にでも言ってくれば!とてもそんな議論に付き合う気はないね…」というニヒリズムであろう。

 

NWTは、マルコの「そして」を「しかし」と訳し、原文の付け足し感を、より重要なものであるかのように逆転させている。これでは、マルコの皮肉がまったく伝わらず、「皇帝のものを皇帝に返すことも大切だが、神のものを神に返すのはもっと重要だ」という趣旨になる。

 

更に「納める」(apodidOmi)という動詞を、「返す」と訳すことにより、税金の話ではなく、崇拝に関係した説教話であると解せるような表現になっている。

 

NWTのルカの訳は、本来マタイと同じに訳すべきであるが、マルコと同じ訳にしている。

KIの字義訳はマタイと同じであるのに、英訳がマルコと同じに訳している。

原文のkai=andをすべてbutに訳している。

原文は、並列につないでいるのに、NWTはすべて「神のもの」に重きを置く訳にしている。

 

Mr12:17= ta kaisaros apodote kaisari kai ta tou theou tO theO(KIT)

Pay back Caesar’s things to Caesar, but God’s things to God

カエサルのものはカエサルに、しかし神のものは神に返しなさい

 

Mt22:21= apodete oun ta kaisaros kaisari kai ta tou theou tO theO(KIT)

Pay back, therefore, Caesar’s things to Caesar, but God’s things to God

それでは、カエサルのものはカエサルに、しかし神のものは神に返しなさい

 

Lu20:25= toinon apodote ta kaisaros kaisari kai ta tou theou tO theO(KIT)

by all means,then,pay back Caesar’s things to Caesar, but God’s things to God

         では、ぜひとも、カエサルのものはカエサルに、しかし神のものは神に返しなさい

 

NWTがマタイのounという順接の接続小辞やルカのtoinonという結論に導く接続詞をことさら強調した訳にしているのも恣意的に思われる。

 

実際には、税金の話を崇拝の話に展開させ、パリサイ人やサドカイ人まで驚嘆させた。だからイエスは素晴らしい説教師であり、教師である。さすが私たちが崇拝するイエス様は、反対者でさえ立ち向かえない、と信仰心を熱くする話ではない。

 

マルコのイエスの権力側に対する反逆的な思いを、マタイとルカは、「皇帝のもの」も「神のもの」もどちらも大事だ、という話にすり替えたのである。

 

それを後代の「皇帝もの」の側に重用された、「神のもの」を大事にする教会権力者が、信者のイエスに対する信仰心を利用し、神の代理人となる教会崇拝を盤石したいとの意図を持って、説教壇からの話に利用したのであろう。

 

 

それぞれの結びの編集句も三者三様である。

 

マルコ12

17…そして彼のことを大いに驚嘆した

 

マタイ22

22そして彼らはこれを聞いて驚嘆し彼をそこに残して立ち去った。

 

ルカ20

26そして彼らは民の面前で彼の言葉じりをとらえることができず、彼の返事に驚いて、黙ってしまった。

 

 

マルコの「大いに驚嘆した」(ekthaumazO)は、接頭語付きの「驚く」の強意形。主語なしの非人称複数形。形としては三人称複数形であり、話の流れからしても、「大いに驚いた」彼らとは、13「パリサイ派とヘロデ派」を受けるものと読める。

 

しかしながらマルコにおける結びの「驚く」(thaumazO)と言う動詞は、接頭語のあるなしにかかわらず、主語を意識して使っているわけではない。単に、これは驚くべきことだった、という奇跡物語の結びに多用される表現と同じものであろう。

イエスのこの返答の仕方は実に見事なものだった、と言っているのであり、パリサイ派やヘロデ派の者たちが「大いに驚嘆した」という意味ではない。

 

それに対し、マタイでは、イエスを言葉によって罠にかけようとした「彼ら」パリサイ派とヘロデ派の者たちは、イエスの返答を聞いて「驚嘆し」、罠にかけることができず、イエスをそこに残して、立ち去った、という結びとした。

「彼ら」は別の悪だくみのために、立ち去り、罠にかけようと再び会議をする、という設定なのであろう。

 

ルカの、自分は義人であると偽善的に言っている「まわし者」である「彼ら」は、民の面前でイエスの言葉じりをとらえることができず、イエスの返事に驚いて、黙ってしまった。

「彼ら」は、イエスに対して言葉じりをとらえて、代官に引き渡そうとするたくらみには敗北宣言し、沈黙せざるを得なかったという設定なのであろう。

 

ルカの次段には、復活に関する論争伝承が取り上げられているが、律法学者たちは、40もはや彼に何も敢えて問うことはしなくなった」という結びにしている。