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マルコ12:1-12 <葡萄畑の農夫の譬え> 並行マタイ21:22-46、ルカ20:9-19

 

マルコ12 (田川訳)

そして彼らに譬えでもって語りはじめた。「ある人が葡萄畑をえてまわりを柵で囲み酒ぶねの穴を掘り、を建て、それを夫たちゆだねて出かけたそして時節に農夫たちのもとに奴隷を遣わして農夫たちのところから葡萄畑の収穫物を受け取ろうとした。そして彼らはその奴隷をつかまえて打ち叩きから手で帰らせた。そしてまた、彼らのもとにほかの奴隷を遣わしたが、この者は頭を叩いて辱めた。そしてほかの奴隷を遣わしたが、この者は殺したそしてほかにも多く遣わしたが、ある者たちは打ち叩き、他の者は殺した6まだもう一人、愛する息子がいた。彼らのもとに最後にこの息子を遣わして、言った、わたしの息子に対してなら敬意を表するだろう。だがかの農夫たちは互いに言った、これは跡取りだ。どうだ、彼を殺そうではないか。そうすれば遺産は我々のものになる。そして彼をつかまえて殺し、葡萄畑の外に放り出した、ということですそうすると、葡萄畑の主人はどうするでしょうね。来て、農夫たちを滅ぼし、葡萄畑をほかの者たちに与えるでしょう。10書かれてあることお読みになっていないのですか、家造りらが廃棄した石こそが隅のかしら石となった、11これは主から生じたことであって、我々の眼には不思議である、と」。12そして彼を捕えようと欲したが、また群衆を恐れた。この譬えが彼らにあてはめて言われたものだ、と知ったからである。そして彼を残して、立ち去った。

 

マタイ21

33「もう一つ譬えをお聞きなさい。一人の家の主人がいた。葡萄畑を植えて、そのまわりを柵で囲み、その中に酒ぶねを堀り、塔を建て、それを農夫たちにゆだねて、出かけた。34果実の時が近づいたので、農夫のところに奴隷をつかわして自分の果実を受け取ろうとした。35そして農夫たちは彼の奴隷をつかまえて、ある者は打ち叩き、ある者は殺し、ある者は石打ちにした36またほかの奴隷たちを、最初の者たちよりも多く遣わし。そしてこの者たちに対しても同様に振舞った。37最後に、彼らのもとに自分の息子を遣わして言った、私の息子に対してなら恥を知るだろう。38農夫たちは息子を見て、自分たちの間で言った、これは跡取りだ。どうだ、彼を殺して、遺産を手に入れようではないか。39そして彼をつかまえ、葡萄畑の外に放り出して、殺した40そうすると、葡萄畑の主人が来る時には、くだんの農夫たちに対してどうするでしょうね」。41彼に言う、「彼ら悪い者たちを悪しく滅ぼすでしょうよ。葡萄畑は、果実の時期にその果実をきちんと納めるほかの農夫たちに貸与することになるんでしょう」。

42彼らにイエスは言う、「書物でお読みになっていないのですか。家造りらが廃棄した石こそが隅のかしら石となった。これは主から生じたことであって、我々の目には不思議である、とあるのを。43この故にあなたに申し上げる。神の国はあなた方には拒絶され、その実をみのらす民に与えられることになる。44(またこの石の上に倒れる者は潰され、誰かがその上に倒れれば、石がその者を砕き散らすことになる)」。

45そして祭司長とパリサイ派は彼のこの譬えを聞いて、これは自分たちのことを言っているのだと認識した。46そして彼を捕らえようと欲したが、群衆を恐れた。群衆は彼を預言者だと思っていたからである。

 

ルカ20

民に対して次の譬えを語りはじめた。「ある人が葡萄畑を植えて、それを農夫たちにゆだね、かなり長期間出かけた10そして時節に、葡萄畑の収穫物の一部を彼にわたすようにと、農夫たちのところに奴隷を遣わした農夫たちはその奴隷を打ち叩き、から手で帰らせた。11更にほかの奴隷を送った。彼らはこの者をも打ち叩き、辱めて、から手で送り出した。12して更に第三の奴隷を送った。彼らはこの者をも傷つけて、外に放り出した13葡萄畑の主人は言った、どうしようか。私の愛する息子を送ろう。息子に対してなら彼らもおそらく敬意を表するだろう。14だが農夫たちは彼を見て、互いに言った、これは跡取りだ。彼を殺そう。そうすれば遺産は我々のものになる。15そして彼を葡萄畑の外に放り出して、殺した。そうすると、葡萄畑の主人は彼らに対してどうするでしょうね。16来て、この農夫たちを滅ぼし、葡萄畑をほかの者たちに与えるでしょう」。彼らは聞いて言った、「そんなことがあってはならぬ」。17は彼らを見つめて言った、「では、次のように書かれているのはどういうことですか。家造りらが廃棄した石こそが隅のかしら石となった、と。18その石の上に倒れる者は潰され、誰かがその上に倒れれば、石がその者を砕き散らすでありましょう」。

19そして律法学者と祭司長たちは、まさにその時に、イエスに手をかけようと欲したが、民を恐れたこの譬えが彼らにあてはめて言われたものだ、ということを知ったからである。

 

 

マルコ12 (NWT)

また,[イエス]は例えで彼らにこう話し始められた。「ある人がぶどう園を設け,その周りに柵を巡らし,ぶどう搾り場のための大おけを掘り,塔を立て,それを耕作人たちに貸し出して,外国に旅行に出ました2 さて,しかるべき季節に,彼は耕作人たちのもとにひとりの奴隷を遣わしました。ぶどう園の実りのいくらかを耕作人たちから得るためです。3 ところが彼らは[その奴隷]を捕まえて打ちたたき,むなし手で去らせてしまいました。4 そこで彼は再び別の奴隷を彼らのもとに遣わしました。すると彼らはその者の頭を殴りつけて辱めました。5 それで彼は別の者を遣わしましたが,彼らはこれを殺してしまいました。こうしてほかにも多くの者を[遣わした]のですが,彼らはそのある者を打ちたたき,ある者を殺しました。6 彼にはもう一人,愛する息子がいました。『わたしの息子なら尊敬するろう』と言って,彼は最後にその[息子]を遣わしました。7 ところがそれら耕作人たちは互いに言いました,『これは相続人だ。さあ,こいつを殺してしまおう。そうすれば,相続財産は我々のものだ』。8 そうして彼を捕まえて殺し,ぶどう園の外に投げ出してしまいました。9 ぶどう園の持ち主はどうするでしょうか。彼はやって来て耕作人たちを滅ぼし,そのぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。10 あなた方はこの聖句を読んだことがないのですか。『建築者たちの退けた石,それが主要な隅石となった。11 これはエホバから生じたのであり,わたしたちの目には驚嘆すべきものである』」。

12 これを聞いて,彼らはどうしたら[イエス]を捕らえられるかを探り求めるようになった。彼らのことを念頭においてこの例えを話されたことに気づいたのである。しかし彼らは群衆を恐れた。それで,彼を残して去って行った。

 

マタイ21

33 「別の例えを聞きなさい。ある人,つまり家あるじがいました。その人はぶどう園を設け,その周りに柵を巡らし,その中にぶどうの搾り場を掘り,塔を立て,それを耕作人たちに貸し出して,外国へ旅行に出ました34 実りの季節が巡って来たとき,彼は自分の実りを得ようとして耕作人のもとに奴隷たちを派遣しました。35 ところが,耕作人たちは彼の奴隷たちを捕まえ,ひとりを打ちたたき,もうひとりを殺し,もうひとりを石打ちにしました。36 彼は再びほかの奴隷を最初より大ぜい派遣しました。しかし彼らはこれらにも同じことをしたのです。37 最後に彼は,『わたしの息子なら尊敬するだろう』と言って,自分の息子を彼らのもとに派遣しました。38 その息子を見ると,耕作人たちは互いに言いました,『これは相続人だ。さあ,こいつを殺してその相続財産を手に入れよう!』39 そうして彼を捕まえ,ぶどう園から追い出して殺してしまったのです。40 それで,ぶどう園の持ち主が来るとき,これらの耕作人をどうするでしょうか」。41 彼らは言った,「その者たちは悪らつですから,惨めな滅びをもたらし,そのぶどう園をほかの耕作人たち,[納める]べき時に実りを納める者たちに貸し出すでしょう」。

42 イエスは彼らに言われた,「あなた方は聖書の中で読んだことがないのですか。『建築者たちの退けたその石が主要な隅石となった。これはエホバから生じたのであり,わたしたちの目には驚嘆すべきものである』とあるのです。43 このゆえにあなた方に言いますが,の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです。44 また,この石の上に落ちる人は粉々になるでしょう。これがその上に落ちる人は,みじんに砕かれるでしょう」。

45 さて,祭司長とパリサイ人たちは,[イエス]の例えを聞いた時,自分たちについて話しているのだということに気づいた。46 しかし,彼を捕らえようとしながらも,群衆を恐れた。[群衆]は彼を預言者と見ていたからである。

 

ルカ20

9 それから[イエス]は民にこの例えを話し始められた。「ある人がぶどう園を設け,それを耕作人たちに貸し出して,かなりのあいだ外国へ旅行に出ました。10 しかし,しかるべき季節に,彼はひとりの奴隷を耕作人たちのもとに送りました。彼らがぶどう園の実りを彼に幾らか納めるようにするためです。ところが,耕作人たちは,[その奴隷]を打ちたたいたのち,むなし手で去らせてしまいました。11 しかし彼は重ねてほかの奴隷を彼らのもとに遣わしました。その者も彼らは打ちたたいて辱め,むなし手で去らせました。12 それでも彼はもう一度,三人目の者を遣わしました。この者も彼らは傷つけて追い出したのです。13 そこで,ぶどう園の持ち主は言いました,『どうしたものだろう。わたしの愛する息子を遣わすことにしよう。これなら恐らく尊敬すだろう』。14 彼を見ると,耕作人たちは互いに論じ合って言いました,『これは相続人だ。こいつを殺して,相続財産を我々のものにしよう』。15 そうして,彼をぶどう園の外に追い出して,殺してしまったのです。それで,ぶどう園の持ち主は彼らをどうするでしょうか。16 やって来て,これらの耕作人を滅ぼし,そのぶどう園をほかの者たちに与えるのです」。

[これを]聞いて彼らは言った,「そんなことは決して起きませんように!」17 しかし,[イエス]は彼らをご覧になって言われた,「では,『建築者たちの退けた石,これが主要な隅石となった』と書いてあるのはどういうことですか。18 その石の上に落ちる者は皆こなごなになるでしょう。だれでもこれがその上に落ちる者,その人はみじんに砕かれるでしょう」。

19 書士と祭司長たちは,ちょうどその時に,彼に手を掛けようとしたが,民を恐れた。彼らは,[イエス]が自分たちのことを念頭においてこの例えを話したことに気づいたのである。

 

 

マルコの「譬え」(parabolais)は複数形。

マタイとルカは単数形の「譬え」(parabolEn)。

譬話はそれ自体が一話なのに複数形ではおかしいので、マタイとルカは単数形に修正してくれている。

 

形式的には譬話であるが、マルコとしては、前段の「権威について」論争の続きと位置付けているものと思われる。

 

というのは、「権威について」論争の結びにあるマルコの編集句に32彼ら群衆を恐れていた。すべての者は…」という句が出て来る。

 

続く、「葡萄畑の農夫の譬え」の導入では、「そして彼らに譬えでもって語り始めた」という句で始まり、結びは12そして彼を捕えようと欲したが、また群衆を恐れたという句で終わっている。

 

この文脈からすると、この譬話の冒頭に登場する「彼ら」とは、前段に登場する「祭司長、律法学者、長老たち」を指すものと読める。

 

つまり、マルコは前段からの続きの話として、「そして彼らに譬えでもって語り始めた」という文で譬話を始めたのであろう。

 

マタイは「権威について」の論争後、「葡萄畑の農夫の譬え」の前に、23「祭司長や民の長老」に対して、「二人の息子の譬え」を語ったという編集となっている。

 

それで、「葡萄畑の農夫の譬え」は、「もう一つの譬えをお聞きなさい」というイエスの言葉で始めた、という設定に変えている。


もしかしたら、マルコの「譬え」が複数形なので、その前に「二人の息子の譬え」を組み込んだのかもしれない。

 

ルカは、マルコの構成の順は変えずに、「権威について」の論争後、「葡萄畑の農夫の譬え」を話したという編集となっている。

 

ただし、マルコでは「祭司長、律法学者、長老たち」というサンヘドリンの構成員に対して語った譬話であるが、ルカでは定冠詞付きの「民」(ton laos)に対して語ったという設定にしている。

 

これは、ルカが前段の「権威について」論争で、イエスが神殿で民(ton laon)を教えて、福音を伝えていた時に、祭司長と律法学者が長老とともに現われた」という設定にしているからであろう。

 

「権威について」論争においても、ユダヤ教の宗教指導者たちは5「民がみな(pas ho laos)我々を石で打つだろう」と考えていたことを示している。

 

そして、この譬話を「民」に対して語り始めた、という設定で書き始めている。

 

文脈からすれば、ルカにおけるこの「民」(ton laos)とは、ユダヤ教の指導者たちとイエスが教え、福音を伝えていた人々で構成されているその時「神殿にいた人々」を指していると思われる。

 

多くのキリスト教では、この譬話を「ユダヤ人の民」に対して語ったものと解釈している。

 

WTは「ユダヤ教の宗教指導者たち」と解釈している。(洞-II,p132)

WTの解釈は明らかにマルコやマタイをルカに読み込んだもので、聖書霊感説信仰を前提としている。

 

ルカは、イエスが「葡萄畑の農夫の譬え」を語った人々を、本当に宗教指導者たちを含め、「ユダヤ人の民」に限定しているのだろうか。

 

ルカにおける定冠詞付き「民」(ho laos)は、「ユダヤ人の民」を指す場合と特定の民族を限定せず、単にその場にいる「人々」という意味で使っている場合がある。

 

ユダヤ人著者が、定冠詞付きで「民」(ho laos)と表現する場合は、自分たち「ユダヤ人」のことを指している。

 

これはルカにも見られるし、新約全体に共通している表現である。

 

この表現には、The「民」と言えば、自分たち「イスラエルの民」のことだ、という意識が働いている。

 

それゆえ、「イエスエルの民」以外の民を指す場合、ユダヤ人著者は「民」(laos,laois)という語ではなく、意識的に「民族」(ethos)という語を単数形や複数形で用いる。

 

複数形の「民族」(ethnos)の場合は、「異邦人」の意味になる。

 

「イスラエル民族」以外は、定冠詞付き「民」(ho laos)ではなく、その他の「民族」(ethos)は「神の民」(ho laos)ではない「異邦人」(ethonos)に過ぎないという思想があるからである。

 

ルカの場合、定冠詞付き「民」(ho laos)であっても、「すべての」を意味する形容語(pas,hapas,holos,polu)が付く場合は、「イスラエルの民」を指すことはなく、すべて「そこに居合わせた不特定多数の人々」という意味で用いている。

 

例えば、ルカ18:43でエリコ近郊におけるイエスの奇跡に関して「すべての民が見て、神に賛美をささげた」とあるが、「イスラエルの民が全員」この場にいて、この奇跡を見た、という意味ではありえない。

 

その時その場にいた「人々」のみんなが、という意味で「すべての民」(pas ho laos)と言っているだけである。

 

「権威について」論争の宗教指導者の発言である「民がみな」(pas ho laos)という表現もこれと同じであり、神殿にいる「ユダヤ人の全員」という意味に限定されているのではない。

 

ところが、ルカは「みんな」という形容詞が付かない定冠詞付き「民」(ho laos)も、ユダヤ人著者とは異なり、その場にいる「人々」という意味で用いる場合も多い。

 

「民」という語はルカで36回、使徒行伝で48回出て来るが、はっきりと「イスラエルの民」を指して用いているのは、パウロの宣教旅行中におけるパウロの発言部分や登場人物がユダヤ人である場合の発言の中だけに限定されている。

 

つまり、ルカがユダヤ人の発言としてThe「民」を用いる場合は、ユダヤ人著者と同様、「イスラエルの民」の意味で用いるが、地の文でThe「民」と表現していても、「イスラエルの民」ではなく、その場に居合わせた不特定多数の「人々」という意味で用いていると考えられる。

 

おそらくルカはこの譬話の聞き手としているThe「民」とは、「ユダヤ人」を指すのではなく、その場にいた「人々」に対して語った、という設定にしているものと思われる。

 

 

ちなみに、ルカは福音書で定冠詞付き「民」という語を36回用いているが、マルコは2回、マタイは14回、ヨハネも2回、パウロ真正七書簡が11回である。

 

マルコとヨハネはユダヤ人でありながら、定冠詞付き「民」という表現を意識的に避けているように思われる。

 

ユダヤ教に対して最も厳しく批判的な二人の福音書著者がユダヤ人の選民意識に基づいたThe「民」という表現をできるだけ使わないようにしているのは興味深い。

 

 

しかしながら、なぜルカは、マルコの状況設定の構成は変えずにいるのに、イエスが話す譬話の対象を「宗教指導者たち」という設定から、その場に居合わせた「人々」の「民」という設定に変えたのだろうか。

 

話の流れからすれば、マルコと同じく「祭司長、律法学者、民の第一者たち(長老たち)」に対して語ったものとしても良いようにも思える。

 

ルカの三分類を手掛かりに考察してみる。

 

ルカは、イエス伝承として保存されていた説教や発言を自分なりに三分類に整理して記載しようとしている。

 

ルカは自分の分類方法に随分自信があったらしく、「はじめから、すべてを、詳細に、追ってきた」(1:3)と御満悦である。

 

一つ一つの伝承や発言や説教を誰に対して言われたものかを、ルカなりに分類したのであり、実際のイエスの発言の場面を正確に再現しているわけではない。

 

すべての人にいつでも必ず当てはまる普遍的な教訓などあろうはずがない。

 

仮にイエスの発言であったとしても、発言の状況や発言する対象が異なっているのであれば、異なる意味を持つものとして相手に届くことになる。

 

まして、イエスの発言とされているものの中には、イエスをキリスト化させた初期キリスト教団によって潤色された創作伝承も混在している。

 

誰に対してどのような状況で語られたのか、もはやわかっていない抽象的な発言を、実際の場面に復元するのは非常に難しい作業である。

 

短い単独伝承であれば正確性を担保できるものではない。

 

ルカは、ルカのキリスト教ドグマを話の前提に置き、それに応じて、イエスのロギアを図式的に三種類に振り分けることにしたのであろう。

 

第一に「キリスト信者」に対する説教とみなし得るイエスの説教や発言を「弟子たち」に言われたものに分類する。

 

第二に否定的な要素が感じられるイエスの説教や発言は、「群衆」(ocholos)相手に語られたものに分類する。

 

ルカにおける「群衆」は、話を聞いてもイエスを理解しない烏合の衆の代名詞のようなものである。

 

ルカのキリスト教を聞くことは聞くが信者とはならなかった人々や奇跡話を聞いて喜んで群がってくるけれども、それ以上は何も理解しない人々を「群衆」グループに分類することにしたのである。

 

ルカのキリスト教ドグマによると、ユダヤ人はイエスの話を直接聞いたが、イエスを理解しなかった民族である。

 

ルカの目から見れば、イエスを排斥し、キリスト教を拒絶した「ユダヤ人」の姿は、この「群衆」グループと同様なのであろう。

 

だから、キリスト教はユダヤ人を見捨て、異邦人の改宗へと向かい、神の祝福はユダヤ人から異邦人の方に移行したという構図をルカは考えている。

 

キリスト教はユダヤ人主導でユダヤ教を克服したとするマタイの親ユダヤ人キリスト教ドグマとは微妙に異なっている。

 

ルカはイエスに対して敵対的な集団を、第三のグループに分類する。

 

パリサイ派や律法学者などがこのグループに属することになる。

ユダヤ教の宗教指導者たちも当然このグループに属する。

 

ルカにとって第三のグループは救いとは縁のない「呪いの対象」でしかない。

 

 

ルカでは「葡萄畑の農夫の譬え」を聞いたユダヤ人の指導者たちが、19「まさにその時に、イエスに手をかけようと欲したが、民(ton laon)を恐れた」ので思い留まったとある。

ルカは、マルコの「群衆」(ton ochlon)を「民」に変えている。

 

ルカにとっての「群衆」はキリスト教に呼応しない「烏合の衆」に過ぎないが、この譬に登場するルカにおける「民」は、イエスに対して好意的な反応を示している。

 

ルカは、「葡萄畑の農夫の譬え」を聞いている人々を、ユダヤ教の「宗教指導者たち」だけでなく、イエスの周囲に集まっていた「人々」に設定した。

 

この譬話を聞いた、「神殿でイエスから教えられていた人々や福音を伝えられた人々」の中には、悔い改めて「キリスト信者」となったユダヤ人や異邦人もいたと考えたのだろう。

 

それで、第三のグループではなく、第二のグループのである「群衆」(ocholos)でもなく、第一のグループに属すると考え、「民」(ho laos)に対して語った、という設定に変更したものと思われる。

 

 

マルコの譬話では、奴隷や主人の息子を殺した「農夫」は「祭司長、律法学者、長老たち」の隠喩とされている。

 

マタイは「権威について」論争の続きの譬話に設定しているので、「農夫」は律法学者を外した「祭司長と民の長老たち」の隠喩となっている。

 

ルカでは、「農夫」は19「律法学者と祭司長」の隠喩とされている。

 

三者とも「農夫」=「ユダヤ教体制の支配者層」という点では共通している。

 

通称「悪しき農夫の譬え」と題されるこの物語は、「主人」=「神」、「奴隷」=「預言者」、「主人の息子」=「イエス・キリスト」の隠喩とするのは共通している。

 

 

この譬話はマルコに書かれているような形ですべてをイエス自身が語ったものとは考え難い。

 

イエスには、自分自身がキリスト教ドグマ的な意味で「神の子」であるという自覚はなかったものと思われる。

 

イエスが自分のこと指して「人の子」と発言しているロギアは存在するが、その場合の「人の子」とは「メシア」という意味ではなく、神のよって創造された一人の「人間」という意味(マルコ2:10並行マタイ9:8参照、マルコ2:28,3:28)、もしくは「自分自身」という意味(マルコ8:31、9:9,12,30、10:33、14:41)で使っているものと思われる。

 

他にもマルコのイエスによる「人の子」発言が登場する。(マルコ8:38、9:1、10:45、13:26、14:21、14:62)

キリスト教ドグマにおける終末時の「人の子」概念とも重なるが、元来はユダヤ教黙示文学に登場する「人の子」概念と重ねられて使われているものと思われる。

 

イエスが創造者によって人間界に遣わされた「神の子」であり、メシアなるキリストであるという概念はイエスの死後、キリスト教団によって宣教された理念である。

 

つまり、「地主の息子」が「神の子」イエス・キリストであり、「農夫」である「イスラエルの宗教指導者たち」が「神の子」なるイエス・キリストを殺してしまった、という宗教概念は、イエスの死後、キリスト教団が作り出したキリスト教ドグマである。

 

イエスのロギアはすべて教団によって伝承されているので、かなりの部分は教団の神学によって脚色されているものと思われる。

しかしながら、その元にはイエスの言葉が存在していたことは確かであろう。

 

「ある人が葡萄畑を植えて、…」で始まる譬話は、イザヤ5:2を意識して語られている。

文字通りの引用文というわけではないが、「植える」(ephuteusen)という動詞や「まわりを柵で囲み」(periethEken phragmon)という表現は七十人訳にしか登場しない。

神が葡萄畑の管理を農夫にゆだねるという旧約伝来のモチーフをテーマとしている。

 

NWTはマルコでは「ぶどう園を設け、周りに柵を巡らし」と訳しているが、引用元となっているイザヤ5:2を「ぶどう園を掘り起こし…その中央に塔を建てた」と訳している。

 

これは引用元である旧約のイザヤを七十人訳ではなく、ヘブライ語本文(マソラ本文)をテキストとして採用しているからである。

 

イエスがイザヤを念頭に語ったものか、マルコがイエス伝承にイザヤのモチーフを組み込んだものか定かではないが、神が遣わした預言者をユダヤ人が退ける、というモチーフはキリスト教だけのユダヤ教批判ではない。

 

マルコの譬話では、葡萄園の主人が自分の奴隷を繰り返し遣わすが、農夫たちは収穫を納めるどころか、奴隷に恭順することなく、辱めたり、最後には殺してしまう。

 

これも「奴隷」を「神の預言者」の「隠喩」として語られているが、イスラエルの民が神に対して不従順で、神が遣わした預言者に聴き従うどころか、預言者たちを殺すことさえしたというモチーフもキリスト教ドグマの専売特許ではなく、旧約にも登場するテーマである。

 

例えば、ネヘミヤ9:26に見られるが、旧約の比較的後期に繰り返し登場するテーマである。

 

預言者殺しの故に神はイスラエルに罰を与えるので、イスラエルは悔い改めなければならない、というのも旧約で繰り返し登場するテーマである。

 

故に、マルコのこの譬話のすべてがキリスト教団による脚色と言うのではないものと思われる。

 

旧約由来のテーマを扱っていることからして、イエスがユダヤ教の支配者層に対する批判の言葉が元伝承となっているのかもしれない。

 

 

この譬話のキリスト教的解釈を外し、イエスが何のために誰に対してこの譬話を語ったのかを探ってみたい。

 

まず「葡萄園の主人」と「その奴隷」と「葡萄園の農夫」の関係を整理しておく。

 

この譬話は、大土地所有を前提にした大規模農業経営という社会構造を背景に、「葡萄園の所有者+奴隷」vs「耕作者である農夫」という対立構造で描かれている。

 

「主人」=「神」、「奴隷」=「預言者」という概念を外して、この譬を俯瞰してみると、「農夫」と「主人」との関係に関して異なる側面が見えて来る。

 

キリスト教的概念で「主人」=「神」、それも「愛の神」と重ねてこの譬話を読むと、「愛の神」とその忠実な「僕」に対して、愛の神に養われているはずなのに非道な対応をする極悪な「農夫」としてこの譬話を解釈することになる。

 

ユダヤ教的概念を重ねても、「神」の代弁者としての神に対する悔い改めを告げる「預言者」に対して、不従順な「神の民」という構図であり、神に対して反逆的な「農夫」と解釈することになる。

 

しかしながら、描かれている譬話は、「経営者」vs「労働者」における搾取の構造とそれに対する農夫たちの反対運動という構図を語ったものとも読めるのである。

 

 

「主人」である「大地主」は葡萄畑の拡大に着手する。

葡萄畑の「まわりを柵で囲み」、境界を建設する。

「柵」(phragmon)は「囲い」の意味であり、本当は木でできた「柵」とは限らない。

立派な「塀」かもしれないし、「石垣」かもしれない。

 

ぶどう酒を作るための「酒ぶね」と「塔」の建造を見届けると、あとを「農夫たちにゆだねて」、「主人」は「出かけて」しまう。

 

「出かけた」(apedEmEsen)をNWTは「外国に旅行に出た」と訳しているが、原義は「家から離れる」。

 

ティンダル以降「よその土地に旅に出る」(went into a strange country)と訳されていたが、NWTはWTの終末におけるイエスの再臨教義を読み込み「外国(=天)旅行」と脚色したものだろう。

もちろん原文に「外国」などという語はない。

「外国旅行」の意味に訳している和訳聖書はNWT以外に存在しない。

 

「旅に出る」と和訳している聖書も多いが、原文のギリシャ語(apodEmeO)動詞は、実際にはもっと軽い意味で多用されており、単に「出かけた」訳すのが正しい、と指摘する学者もいる。(W.C.Kümmel, Das Gleichnis von den bösen Weingärtern)

 

「囲い」は野生動物の侵入を阻む目的の障害物(洞-II,p132)なのかもしれないが、作物が葡萄であり、葡萄を食べにくるのは主に鳥である。

 

「囲いの柵」は鳥には大した効果はないと思われる。

農場全体に天井まで防鳥ネットを張るのなら別であるが、そんなものはこの時代に存在しないし、現実的でもない。

 

農場が、羊や牛の牧場ではないことからしても、「囲い」は野生動物の侵入対策が主たる目的ではないと思われる。

 

農民の土地私有権が国家権力によって保証されていた時代の話ではない。

 

とすれば、「まわりを柵で囲む」という工事は、強制的に所有権を主張するための縄張りを示すためのものであり、自分の支配領域を誇示するための建造物なのであろう。

 

「塔」を建てる目的も野生動物の侵入対策や盗人対策の「護衛」のため(洞-II,p132)もあるのだろうが、おそらく耕作人である「農夫たち」や「収穫物」の「監視」のためであると思われる。

 

あるいはニムロデ以来、「塔」の建設は権力の象徴であることからすると、「大地主」の権力誇示が主な目的だったのであろうか。

 

おそらく、その両方の目的を兼ねているのだろう。

 

「主人」は、新たな「酒ぶね」の穴を掘らせるのだから、仮に「酒ぶね」が葡萄園にそれまでに一つも無かったのであれば、これまで以上の収穫を期待していることになる。

 

更なる「酒ぶね」を建造させたのであれば、「農夫」たちに、これまで以上の利潤追求を求め、保存と販売のために葡萄酒の加工場を建造させたことになる。

 

決して「農夫たち」の益を図ってのことではないと思われる。

 

そして「主人」は「塔」の建造を見届けると、あとを「農夫たち」に委ねて、自宅あるいは他の大規模農場へと出かけてしまうのである。

 

「囲い」を作るのも「酒ぶね」を作るのも「塔」を作るのも「農夫」たちであり、「奴隷たち」も建造に加わっているわけではない。

 

「奴隷たち」や「主人の息子」は、「主人」の家から遣わされた者として描かれている。

 

おそらく「大地主」の「主人」も「奴隷」も大都会に住んでおり、どこか離れた土地に「葡萄畑」を作ったのであろう。

 

他の土地にもさまざまな大規模農場を経営しており、小作人たちに農地の世話に関する一切をゆだね、ご本人は自分の家に帰ってしまった、というのだろう。

 

「大地主」の所有する農場で一年中労働する農夫たちにとっては、農地は自分のものではなく、自分の労働の成果である収穫物さえ、自分のものではなく、「主人」のものである。

 

収穫の季節になると、「大地主」の「主人」は自分の「奴隷」を遣わし、収穫物の一切を持ち去ってしまおうとする。

 

NWTは「収穫の実りのいくらかを」としているが、原文のギリシャ語はlabE apo tou karpou tou ampelOnosで、原文に「いくらか」とは書かれていない。

 

むしろ属格定冠詞付き「実り」と属格定冠詞付き「葡萄園」が並列されており、「葡萄園の実りのすべて」を受け取ろうとしたとも読める。

 

NWTの訳は「農夫たち」たちを必要以上に悪く描き、「主人」を必要以上に愛情深く描くための原文に不忠実な印象操作であろう

 

収穫のあとには「農夫たち」が辛うじて露命をつなぐことができるかどうかの僅かなものしか残されることはない。

 

大規模農場の経営者の下で働く「農夫たち」は「落ち穂拾い」ならぬ「落ち葡萄拾い」のような生活だったのであろう。

 

「囲い」の土地は、元はと言えば「農夫たち」が耕作していた土地だったのかもしれない。

 

大都会に住んでいた大地主の「主人」は暴力団のような兵隊を引き連れ、ここは俺の土地だと宣言し、強引に「まわりを柵で囲み」、所有権を主張し、農場経営を始めたのかもしれない。


あるいは権力者からの農場経営する了承を得ていたのかもしれない


自らが権力者だったのかもしれない。

 

いずれにしろ「農夫たち」にとって、「主人」は、自分たちの生活を脅かし、搾取する側の者たちである。

保護者ではなく、略奪者であり、敵に映ったことであろう。

 

「奴隷」は「主人」の家から遣わされているのだから、「大地主」の執事として財産の運営を委ねられていたのだろう。

 

この譬の「奴隷」は「農夫たち」の仲間ではない。

 

「奴隷」は「農夫たち」からなるべく多くの「収穫物」を「主人」の元に持ち帰り、自分の手柄にしたい。 

 

「農夫たち」にとっては、搾取するだけの「主人」の「奴隷」であり、「主人」と同じ「略奪者」に過ぎない。

 

NWTは「ゆだねた」(ekdidOmiの中動相)を「貸し出した」と訳しているが、「主人」と「農夫たち」との間に「賃貸契約」が成立しているわけではない。

 

「主人」が自分自身に戻って来ることを期待して、一方的に「農夫たちに」「ゆだねた」と言っているだけである。

 

 

「農夫たち」からすれば…

 

『ここを耕す権利を与えてやるだと?

 

ふざけるな!ここは俺たちが昔から耕してきた土地だ。どうして略奪者であるお前にそんなことをぬけぬけと言う権利があるのだ。

 

ぶどうの収穫がすんだら、ぶどう酒に加工して、収穫物を全部こっちによこせだと。

 

「主人」の「奴隷」さんよ。冬の寒い時に土地の手入れをし、夏の炎天下には枯れないように水をやり、葡萄の木を守り続けて来たのは、誰だと思っているのだ。

 

「主人」の庇護下でぬくぬくと贅沢な暮らしをしている「奴隷さん」よ。あんたはここで何をしてくれたと言うのかね。何もしなかったのだろう?それでも収穫物をよこせと言うのか?とっとと帰れ!』。

 

「農夫たち」にとっては理不尽な要求である。

「農夫たち」は一人目の「奴隷」に憤り、つかまえて打ち叩き、から手で帰らせた。

 

収穫の権利と所有者としての面目を潰された「主人」は、次々と「奴隷」を遣わすが、「農夫たち」は一向に「主人」の所有権と支配権を認めようとしない。

 

二番目に遣わされた「奴隷」に対して、「農夫たち」は頭を叩いて、辱めた。

 

三番目に遣わされた「奴隷」は、「農夫たち」に殺されてしまった。

 

農場の所有権を主張して収穫物の回収することに失敗した「主人」は、もっと多くの「奴隷たち」を遣わして収穫物を簒奪を図るのであるが、「農夫たち」は打ち叩いたり、殺したりして、自分たちの収穫物を守ろうとした。

 

これは大規模農場の経営者に対する農民一揆である。

 

あくまでも農地の領有権を主張する「主人」は、息子を遣わして、事態の収拾を図ろうとする。

 

「一人息子」ということは、「跡取り」ということである。


大地主」の「主人」は「農夫たち」が世話し、耕作し、収穫した葡萄の所有権に譲歩を示したのではない。


「主人」はあくまでも葡萄畑の全所有権を主張し、全相続権も「跡取り息子」に委譲するつもりであるということになる。

 

「大地主」との衝突が繰り返され、既に「奴隷たち」を何人も殺している「農夫たち」は、もう後には引けなくなっている。

 

『後継ぎの息子が来ただと?何の跡を継ごうというのだ。自分たちが耕していた土地を息子も奪おうと言うのか?すべての土地は神様のものだ。収穫物は労働した者のものだ。そんな奴は殺して、放り出してしまえ!』

 

「農夫たち」は彼をつかまえて殺し、葡萄畑の外に放り出した、ということです。

 

「農夫たち」は「大地主」の「息子」を殺し、「葡萄畑の外に放り出した」。


葡萄畑の中に遺棄してしまえば、主人の葡萄畑の所有権と収穫物に関する権利を認めた上での農夫たちの反抗と言うことになる。


大地主に対して服従の意思のないことを示すために、「葡萄畑の外に放り出した」のだろう。

 

イエスは譬を聞いていた者たちに尋ねる・・・

 

「そうすると、葡萄園の主人はどうするでしょうね」。

 

……

 

「大地主」が「来て、農夫たちを滅ぼし、葡萄畑をほかの者に与えるでしょう」。

 

「農夫たち」もそのような結末を迎えることは容易に理解できる。

 

資金と武力と権力を持つ「大地主」が「農夫たち」の反逆に遭遇し、一戦を交えるなら、結果は明らかである。

 

「農夫たち」に万に一つの勝目もないであろう。

 

「主人」に対して「農夫たち」が武力で対抗するのは得策ではない…

 

 

おそらく、これがイエスの語った元伝承の譬話の骨子だったのだろう。

 

マルコが採用したこの譬話は、イエスが「農夫たち」に語った譬話に、キリスト教的アレゴリーが加味されて伝承され、10節以降旧約の成就という神学的解釈が加わり、初期キリスト教団により流布されたものだと思われる。

 

マルコの譬話に登場する「彼ら」とは、イエスが語った元伝承では「農夫たち」を指すものだったのかもしれない。

 

もともとイエスが語った譬の骨子は、「葡萄畑の主人」に不満を持つ「農夫たち」が主人の「奴隷たち」に反抗的な態度で行動を起こすなら、どういう結末になるかを示すための譬だったのかもしれない。

 

地主に反抗するような悪い農夫は最後には滅ぼされるだけだよ、という結論の教訓に導くための譬話だったのだろう。

 

武力で抵抗して害を蒙るよりも、もっと別の手段で抵抗する方が効果的という話が続いていたのかもしれない。

 

知らんけど…

 

 

それはともかく、この譬話は、旧約のモチーフを読み込んだイエスの譬話の元伝承に、ユダヤ人キリスト信者がキリスト教ドグマを組み込み、キリスト教のアレゴリーに仕立て直し、さらに旧約の預言成就を組み込み、初期キリスト教団によって流布されたイエスの譬話として、マルコの元に届いたのだろう。

 

 

譬話の最初から、「主人」=「神」、「農夫」=「ユダヤ人」というイザヤ5:2をモチーフとしたアレゴリーで語られているし、「奴隷」=「預言者」が遣わされ、不従順なユダヤ国民に悔い改めを預言するという構図も旧約由来のものである。

 

マルコでは、三人目までは一人の奴隷が順に派遣されており、三人目の奴隷が派遣された時点で、殺されている。

 

しかし、マタイでははじめから多数の奴隷が派遣されており、最初から何人かは殺されている。

 

ルカでは、三人目の奴隷も殺すことはせず、傷つけて、外に放り出しただけにとどまっている。

 

 

マルコでは、三人目以降も次々と「奴隷」たちが多く遣わされ、打ち叩かれたり、殺されたりしている。

 

6「まだ、もう一人愛する息子がいた」とあることからすると、すべての奴隷を順に送り、息子だけが残った、ということになる。

 

「主人の息子」はユダヤ教における「最後の預言者」という設定で描かれている。

つまり、ここには「神の子」である「イエス・キリスト」は「最後の預言者」であるというキリスト教ドグマが読み込まれているのである。

 

譬話が現実的な話を想定しているのであれば、最初の奴隷がから手で主人の元に帰った後、主人は武力的手段を講じて直ちに農夫たちを制圧したであろう。

 

「奴隷」が殺されるまで「主人」が辛抱強く「農夫」たちの説得を図るというのは当時の社会において現実にはありえない話であろう。

 

その後も繰り返し、「奴隷」を遣わすというのは、明らかに旧約の預言者派遣を意識した物語となっている。

 

「主人の息子」を最後に遣わすという話もキリスト教における「神の子」派遣を重ねたものであり、イエスの元伝承にキリスト教団が付加したものであろう。

 

 

マルコのイエスが「書かれてあること」と指摘している10家造りらが廃棄した石こそが隅のかしら石となった、これは主から生じたことであって、われわれの眼には不思議である」とする句は、七十人訳詩篇117(118):22-23と完全に一致している。

 

七十人訳のこの個所は「ヘブライ語を直訳しすぎて、ギリシャ語としては文法的にまるで奇妙な文になってしまっているが、マルコはそのままに引用している」、という。(「訳と註」p376)

 

「廃棄した」(apodokimazOのアオリスト形)という動詞は、最初の「受難予告」(8:31)にも使われており、イエスの受難を描写する時に詩篇のこの個所と関連づけて用いられる決まった言い方である。

 

つまり、詩編の引用句も初期キリスト教団により付加され、伝承されたものであることを示している。

 

 

マルコの「書かれてある」(tEn graphEn)をマタイは「書物で」(en tais graphais)と複数形にし、はっきり「旧約で」の意味にした。

 

マルコでは単数であるから「特定の文書に」という意味になるが、マタイでは「複数の文書からなる特定の文書群の中で」という意味なるので、「旧約聖書全体」を指すことになる。

 

マタイは詩篇の引用に加えて、43神の国はあなた方には拒絶され、その実をみのらす民に与えられることになる」という句を付加している。

 

「あなた方」=「ユダヤ人」であり、「実をみのらす民」=「キリスト教徒」の隠喩となっている。

 

このマタイの「民」(ethnos)はルカの「民」(laos)とは異なる語を用いている。

ethnosの複数形は「異邦人」の意味になるが、このマタイの「民」は単数形であり、ユダヤ人以外の民という意味。

 

「神の国」は「ユダヤ人」という一つの民から離れ、実を実らす別のもう一つの民である「キリスト教徒」に与えられる、という趣旨。

 

もちろん旧約にそんなことは書かれていない。

マタイ派の旧約解釈をここに組み込んだもの。

 

マタイはこのマタイ派キリスト教ドグマを組み込むために、前節にもマルコに付加を施している。

 

「主人が農夫をどうするだろうか」という質問の答えに、マルコでは「来て、農夫たちを滅ぼし、葡萄園をほかの者たちに与えるでしょう」とあるだけであるが、マタイは「葡萄畑は、果実の時期にその果実をきちんと納めるほかの農夫たちに貸与することになるんでしょう」という句を付加している。

 

次節でキリスト教ドグマを組み込むための布石を打っているのである。

 

ルカはルカで、詩編の引用の後に、18その石に倒れる者は潰され、誰かがその上に倒れれば、石がそのものを砕き散らすでありましょう」というマルコにはない句を付加している。

 

この句はマタイ21:44とほぼ同じ。

 

ルカの「その石」(ekeinon ton lithon)がマタイでは「この石」(ton lithon touton)となっており、指示形容詞が異なるだけで、ほかは一言一句一致している。

 

ここまできれいに一致するということは、書かれた文章を目の前にして書き写しているものと思われる。

 

ただし、西方写本にはマタイ21:44の節全体が欠けている。

 

どういうことか。

 

マタイとルカに共通していることからすると、Q資料由来とも考えられるが、この段落でマタイとルカがマルコに反して一致する箇所は、このロギアだけである。

 

西方写本にはこのロギアが欠けているマタイ写本が存在しているということはマタイ・ルカの共通資料(Q資料)ではないことになる。

 

もし、このロギアが「Q資料」に由来するものであるなら、マルコにはこのロギアがないのであるから、ルカはこの位置ではなく、中間部分(9:51-18:14)に組み込んだであろうと思われる。

 

ルカは序論の序文と誕生物語を最初に置いた後は、マルコの前半部分を順に取り上げ、中間部分にマルコ以外の資料をまとめて記述し、再びマルコに戻り、後半部分を順に取り上げる、という文書構成にしている。

 

つまり、マルコにQ資料由来のロギアをこの個所に組み込んだのではなく、単独伝承としてルカが集めたロギアを「石」という語を鉤言葉として、ルカがこの位置に組み込んだものと考えられる。

 

マタイにルカと全く同じロギアが組み込まれているが、マタイにこのロギアのない写本が存在することからして、マタイ21:44は後代の付加ということだろう。

 

ルカを知っている後代のマタイの写本家が、ルカのロギアをマタイに輸入し、この位置に付加したものと考えるのが自然のように思われる。

 

 

マルコの12「そして彼を捕えようと欲したが…」以降はマルコの結びの編集句である。

マルコでは、「この譬にあてはめて言われたものだと知った」、一貫してこの譬が「彼ら」、つまり「祭司長、律法学者、長老たち」に対して語られたものとしている。

 

ところが、マタイは話の出発点では23「祭司長や民の長老」に対して語ったものという設定で、マルコの「律法学者」を削除しているが、話の結びでは45「祭司長とパリサイ派」に対して語られた譬話となっている。

 

いずれもエルサレムの最高議会の構成員であるが、厳密には「律法学者」と「パリサイ派」は別物である。

 

議会の構成員である「律法学者」はさまざまな宗派の律法学者の代表であるから、「パリサイ派」の代表というわけではない。

 

マタイは、サンヘドリンの構成員を「長老・祭司長・律法学者」(10:21)、「祭司長・律法学者」(20:18、21:15)としてみたり、「祭司長・民の長老」(21:23)、「祭司長・パリサイ派」(21:45)としてみたりである。

 

マタイの時代(70年のエルサレム戦争後)には、「律法学者」と言えば既に「パリサイ派の律法学者」となっており、マタイにとっては「律法学者」=「パリサイ派」なのであろう。

 

マタイ15:1で「エルサレムからパリサイ派と律法学者がやって来て」と、「パリサイ派」と「律法学者」とを別に扱っていることからして、必ずしも「パリサイ派」=「律法学者」ではないことは承知であったであろう。

ただ、この個所では「律法学者」でも「パリサイ派」でも同じようなものだと面倒になったのだろうか。

 

エルサレム議会の構成員を「祭司長とパリサイ派」と呼ぶのはヨハネ福音書にも出て来る(11:47,57,18:3ほか)が、「律法学者」という語は一度も出て来ない。

 

ルカは、譬話そのものは「民」に対して語られたものとしているが、譬話の「農夫」が「律法学者と祭司長」たちに適用されると解釈している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「葡萄園の農夫の譬え」に関して、田川訳の中で一つ疑問に思った箇所があるので、以下に記録しておく。

 

「わたしの息子」に対してなら、「敬意を表すだろう」と考えるマルコ12:6とルカ20:13の「主人」に対して、マタイ21:37の主人は「恥を知るだろう」と考える。

 

NWTの「主人」は三人とも「尊敬するだろう」と考える。

 

 

 

マルコ・ルカの原文の「敬意を表わすだろう」(entrapEsontai entrepOのvi2FutPas3Pl自動詞の命令形未来受動三人称複数)もマタイの原文「恥を知るだろう」(entrapEsontai entrepOのvi2FutPas3Pl自動詞の命令形未来受動三人称複数)も同じであり、田川訳がなぜマタイだけ「恥を知るだろう」と訳したのか疑問。

 

註には、entrepOの中動相。新約聖書ではこれは「恥を知る」という意味だ、と伝統的に言われてきた。しかしギリシャ語としての普通の意味は単に「耳を貸す、耳を傾ける」、従ってまた「敬意を表する」である。この動詞については第一コリントス6:5の註参照。…(「訳と註」p375)

 

第一コリントス6:5の註には、単語そのものの意味は「そちらに向くこと」である。ふつうは相手を尊敬する意味で用いられる(ヴルガータではad reverentainと訳している)。古典期のギリシャ語にも、ヘレニズム期のパピルスにも(VGT参照)、「恥」という意味は出て来ない。「恥」という意味が出て来るのは中世ギリシャ語になってからである(VGT)。…

…福音書では同じ動詞が「尊敬する」の意味に用いられている(マルコ12:6並行ほか。またヘブライ12:9)その方がこの動詞の普通の使い方。まさか同じ動詞が福音書とパウロで正反対の意味だというわけにもいくまい。…(「訳と註」p274)

 

マタイの箇所をなぜ「恥を知るだろう」と訳したのか不明。(マタイ21:37の註はない2014/10第四刷)

 

田川訳「新約聖書」もマタイだけ「恥を知るだろう」となっている。(2018/7第一刷)

 

なぜ、マタイだけ「恥を知るだろう」と訳しているのか、田川先生に確認してみたい。

 

この個所に関しては、三人とも「尊敬するだろう」と訳しているNWTの方が正解のように思われる。

 

参考までに他の和訳聖書の訳をあげておく。

 

共同訳 マルコ「敬ってくれるだろう」  

マタイ「敬ってくれるだろう」

 ルカ 「敬ってくれるだろう」

 

フ会訳 マルコ「恐れ敬うに違いない」

 マタイ「恐れ敬うに違いない」

 ルカ 「敬意を払うに違いない」

 

岩波訳 マルコ「敬ってくれるだろう」

 マタイ「はばかるところがあるだろう」

 ルカ 「憚るところがあるだろう」

 

新共同訳マルコ「敬ってくれるだろう」

 マタイ「敬ってくれるだろう」

 ルカ 「敬ってくれるだろう」

 

前田訳 マルコ「敬おう」

 マタイ「敬おう」

 ルカ 「おそれいろう」

 

新改訳 マルコ「敬ってくれるだろう」

 マタイ「敬ってくれるだろう」

 ルカ 「敬ってくれるだろう」

 

塚本訳 マルコ「恐れいるにちがいない」

 マタイ「恐れいるにちがいない」

 ルカ 「恐れいるにちがいない」

 

口語訳 マルコ「敬ってくれるだろう」

 マタイ「敬ってくれるだろう」

 ルカ 「敬ってくれるだろう」

 

文語訳 マルコ「敬ふならん」

 マタイ「敬ふならん」

 ルカ 「敬ふなるべし」

 

 

マタイ・ルカが一致しているのに、マルコだけ異なる訳としているのは岩波訳だけ。

岩波訳は、マルコ・マタイ・ルカで訳者が異なるので、異なる訳になるのはまだ理解できるが、個人訳である前田訳がルカだけ異なる訳としているのも疑問。

 

フランシスコ会訳がルカだけ「恐れ」という意味を外して異なる表現にしているのも疑問。

これもマルコ・マタイとルカでは訳者が異なるからなのか?

 

文語訳がルカだけ原文の同じ未来形を、「ならん」ではなく「なるべし」と表現を変えたのかも疑問。

主語が三人称であるから、「べし」を「推量」の意味に解しているのであれば、断定の助動詞「なり」+「推量」の助動詞「む」の「ならん」でも良いような気も…。

「なるべし」も断定の助動詞「なり」+推量の助動詞「べし」であろうが、未然形+終止形の「ならむ」よりも連体形+終止形の「なるべし」の方が「当然」もしくは「意思」の意味が強いように感じるのだが…

これもマルコ・マタイとルカでは訳者が異なるからなのか?

 

「敬う」だけでなく「恐れ」という意味を付加しているのは伝統的な訳である「恥を知る」という意味を読み込んだものだろう。

「はばかる」と訳しているのは、伝統的な訳を踏襲したものと思われる。

 

 

 

 

 

田川訳がマルコ12:6「敬意を表する」を並行マタイ21:37「恥を知る」と訳し、並行ルカ20:13「敬意を表する」と訳したのか、その理由が判明したら、後日加筆訂正しておきます。