マルコ8:1-10 <四千人の供食> 並行マタイ15:32-39 参照マルコ6:30-44、ヨハネ6:1-14

 

マルコ8 (田川訳)

その頃また大勢の群衆がいて、食べるものを持っていなかった。弟子たちを呼び、彼らに言う、「この群衆を私は憐れむもう三日間も私のところに留まっているのに、食べるものを持っていない。もしも彼らを空腹なまま解散して家に帰らせると、途中で衰弱するだろう。そして彼らのうち何人かは遠くから来ている」。そして彼の弟子たちが彼に答えた、「ここで誰が、どこから、この人たちに荒野パンを十分に食べさせることができましょうか」。5そして彼らにたずねた、「パンをいくつ持っているか」。彼らは言った、「七つです」。そして群衆に地面に座るように告げる。そして七つのパンを取り感謝して割き、彼の弟子たちに与えて、配らせた。そして彼らは群衆に配った。そして小魚もいくつか持っていた。そしてそれを祝福して、それも配るようにと言った。そして食べ、満足した。」そしてパンくずの余りを七集めた。およそ四千人であった。そして彼らを解散させた。10そしてすぐに彼の弟子たちとともに小舟に乗り、ダルマヌタ地域へ行った。

 

マタイ15

32イエスは自分の弟子たちを呼んで言った、「私はこの群衆を憐れむ。もう三日間も私のところに留まっているのに、食べるものを持っていない。彼らを空腹なまま解散させることをは望まない。途中で衰弱してはいけないから」。33そして弟子たちは彼ら言う、「これほどの群衆を満足させるほどのパンが荒野どこから手に入りましょう」。34そしてイエスは彼らに言う、「いくつのパンを持っているか」。彼らは言った、「七つです。そして小魚もいくつか」。35そして群衆に地面の上に座るように告げ、36七つのパンと小魚を取った。そして感謝して割き弟子たちに与えた。弟子たちは群衆に与えた。37そしてみんなが食べて満足した。そしてパンくずの余りを集めたが、七つの籠にいっぱいになった。38食べたのは、女子どもを別として、四千人の男であった。39そして群衆を解散させて、舟に乗り、マガダン領域へ行った。

 

参マルコ6

30そして、派遣された者たちがイエスのもとに集って来る。そして自分たちがなしたこと、また教えたことすべて、彼に報告した。31そして彼らに言う、「さあ、あなた方自身、自分たちだけで、寂しいところに行って、少し休みなさい」。というのも、来る者、去る者が大勢いて、食べる時間もなかったからである。32そして舟で寂しいところに自分たちだけで去って行った。33そして彼らが去って行くのを見て、多くの者が知り、すべての町から徒歩で一緒に走ってそこに行き、彼らより先に着いた。34そして(イエスは舟から)出て来ると、多くの群衆を見、憐れんだ。羊飼いのいない羊の群のようだったからである。そして彼らに多くのことを教えたのであった。35そしてすでに多くの時が生じたので、彼のところに彼の弟子たちが進み出て、この場所は寂しく、すでに多くの時が生じている、と言った。36「彼らを解散して下さい。そうすれば、まわりの畑や村々に行って、何か食べるものを自分で買うでしょう」と。37彼は答えて、彼らに言った、「あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさい」。そして彼に言う、「私たちが出かけて、二百デナリものパンを買ってきて、彼らに食べさせるのですか」。38彼は彼らに言う、「あなた方はパンをいくつ持っているか。行って、見てみなさい」。確かめて言う、「五つです。それに魚が二尾」。39そして彼らに、みんな緑の草の上に組々に座るように、と命じた。40そして彼らは、百人ずつ五十人ずつ、野菜畑のように座った。41そして五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ祝福してパンを割き弟子たちに与え、彼らに配らせた。また二尾の魚もみんなに分けた。42そして皆が食べて、満腹した43そして屑を十二の背負い籠いっぱいに集めた。また魚の余りも集めた。44食べた者は五千人であった。

 

参ヨハネ6

その後イエスはガリラヤの海、つまりティベリアスの海の対岸へと去った。多くの群衆が彼に従って行った。彼が病気の人たちに対してなした徴を見ているからである。イエスは山にのぼり、そこに自分の弟子たちと共に座した。過越、つまりユダヤ人の祭が近かった。それでイエスは目を上げ、多くの群衆が彼のもとへと来るのを見て、フィリポスに言った、「我々はどこからパンを買って、この人たちに食べさせようか」。これを言ったのは、フィリポスを試みたのである。彼自身は自分がこれから何をなそうとしているのか、知っていたのだ。彼にフィリポスが答えた、二百デナリのパンも、この人たちがそれぞれ少し食べるだけでも足りませんよ」。彼の弟子たちの一人で、シモン・ペテロの兄弟のアンドレアスという者が言う、「ここに、大麦パン五つを持っている少年がいます。それにおかず(の魚)も二尾。しかしそれでは、これほど多くの人々に対して、何になりましょう」。10イエスが言った、「人々を座らせなさい」。その場所には多くの草があった。それでよそ五千人ほどの人数の人が座った。11それでイエスはパンを取り、感謝して、座っている者たちに与えた。そしてまたおかずも、それぞれが欲するままに与えた。12彼らが満足した時に、彼の弟子たちに言った、「余ったパン片を集めなさい。無駄にならないように」。13それで彼らは集めて、五つの大麦パンから食べた人たちに残ったパン片で、十二の背負いをいっぱいにした。14それで人々は彼がなした徴を見て、本当にこの人こそ世に来たるべき預言者なのだ、と言った。

 

 

マルコ8 (NWT)

そのころ,またもや大群衆が[集まって]いて食べる物が何もなかった時,[イエス]は弟子たちを呼び寄せてこう言われた。2 「わたしは群衆に哀れみを覚えます。わたしの近くにとどまってすでに三日になるのに,食べる物を何も持っていないのです。3 そして,何も食べないままで家に帰らせたりすれば,途中で力が尽きてしまうでしょう。実際,彼らの中には遠くから来ている人もいるのです」。4 しかし弟子たちは彼に答えた,「この人里離れた場所で,この人々を満足させるだけのパンをどこから[得]られるでしょうか」。5 それでも[イエス]は続けてお尋ねになった,「あなた方にはパンが幾つありますか」。彼らは言った,「七つです」。6 すると[イエス]は,地面に横になるよう群衆に指示し,七つのパンを取って感謝をささげ,それを割いてから,[人々に]供するために弟子たちに与えはじめ,次いで彼らがそれを群衆に供した。7 彼らはまた小さな魚を何匹か持っていた。そこで,それを祝福してから,それをも供するようにと彼らに言われた。8 そこで,人々は食べて満ち足りた。そして,かけらの余りを拾うと,七つの食糧かごにいっぱいになった。9 しかも,そこには約四千人いたのである。終わりに,[イエス]は彼らをお去らせになった。10 それから[イエス]は弟子たちと共にすぐに舟に乗り,ダルマヌタ地方に入られた。

 

マタイ15

32 ところがイエスは弟子たちを自分のもとに呼んで,こう言われた。「わたしはこの群衆に哀れみを感じます。わたしのもとにとどまってすでに三日になるのに,食べる物を何も持っていないからです。そしてわたしは,何も食べないままで彼らを去らせたくありません。彼らは途中で力が尽きてしまうかもしれません」。33 しかし,弟子たちは言った,「この寂しい場所で,これほどの群衆を満足させるだけのパンをわたしたちはどこで得るのでしょうか」。34 するとイエスは言われた,「あなた方にはパンが幾つありますか」。彼らは言った,「七つです。それに小さい魚が何匹かあります」。35 そこで,地面に横になるよう群衆に指示してから,36 [イエス]はその七つのパンと[数匹の]魚を取り,感謝をささげてから,それを割いて弟子たちに配りはじめ,ついで弟子たちが群衆に[配った]。37 そしてすべての者が食べて満ち足りた。また,かけらの余りとして,七つの食糧かごいっぱいに拾った。38 しかも,食べていたのは四千人の男であり,ほかに女や幼子たちがいたのである。39 終わりに,群衆を去らせてから,[イエス]は舟に乗ってマガダン地方に入られた。

 

参マルコ6

30 それから,使徒たちはイエスの前に集まり,自分たちが行ない,また教えた事柄すべてを報告した。31 すると[イエス]はこう言われた。「さあ,あなた方は自分たちだけで寂しい場所に行き,少し休みなさい」。来たり去って行ったりする者が多く,食事をする暇もなかったからである。32 そこで彼らは舟に乗り,自分たちだけになれる寂しい場所に向かった。33 ところが,人々は彼らが行くのを見,また多くの者がこのことを知った。それですべての都市から人々が徒歩でそこに駆けつけ,彼らより先に着いてしまった。34 そこで,外に出た時,[イエス]は大群衆をご覧になったが,彼らを哀れに思われた。彼らが羊飼いのいない羊のようであったからである。そして,彼らに多くのことを教え始められた。35 そのころまでに時刻は遅くなっていた。それで,弟子たちが彼のもとに来て,こう言いはじめた。「ここは人里離れた場所ですし,時刻ももう遅くなりました。36 彼らを去らせて,周りの田舎や村に行かせ,彼らが自分で何か食べ物を買うようにしてください」。37 [イエス]は答えて言われた,「あなた方が彼らに何か食べる物を与えなさい」。すると彼らは言った,「わたしたちは出かけて行って二百デナリ分のパンを買い,[それを]人々に与えて食べさせましょうか」。38 [イエス]は彼らに言われた,「あなた方は幾つのパンを持っていますか。行って見て来なさい!」 それを確かめてから,彼らは言った,「五つです。ほかに魚が二匹」。39 すると[イエス]は,組になって青草の上に横になるようすべての者に指示された。40 そこで彼らは百人また五十人の群れになって身を横たえた。41 次いで[イエス]は五つのパンと二匹の魚を取り,天を見上げて祝とうを述べ,パンを割いて弟子たちに与えはじめた。[弟子]たちがそれを人々の前に置くためであった。また,二匹の魚をみんなのためにお分けになった。42 こうしてすべての者が食べて満ち足りたのである。43 そして,かけらを拾うと,魚を別にして,十二のかごがいっぱいになった。44 その上,そのパンを食べたのは五千人の男たちであった。

 

参ヨハネ6

こうした事ののち,イエスはガリラヤの,つまりティベリアの海の向こうへ行かれた。2 しかし,大群衆がそのあとにずっと付いて行った。彼が病気の人たちに行なうしるしを見たからであった。3 それからイエスはある山の中に上って行き,そこで弟子たちと共に座っておられた。4 さて,ユダヤ人の祭りである過ぎ越しが近かった。5 そこでイエスは,目を上げて大群衆が自分のところに来るのをご覧になると,「これらの人々の食べるパンをどこで買いましょうか」とフィリポに言われた。6 しかし,彼を試そうとしてこう言われたのである。自分がこれから何を行なうかを,ご自身は知っておられたからである。7 フィリポは彼に答えた,「二百デナリ分のパンでも彼らには足りず,めいめいに少しずつ得させるほどにもならないでしょう」。8 弟子の一人,シモン・ペテロの兄弟アンデレが彼に言った,9 「ここに,大麦のパン五つと小さな魚二匹を持っている小さな少年がいます。でも,これほど大勢の中でこれが何になるでしょう」。

10 イエスは言われた,「人々を食事のときのように横にならせなさい」。さて,その場所には草がたくさんあった。それで人々は横になったが,その数は五千人ほどであった。11 それからイエスはパンを取り,感謝をささげてから,横になっている者たちにそれを配り,また同じようにして,その小さな魚を彼らの望むだけ[配られた]12 しかし,彼らが存分に得た時,[イエス]は弟子たちにこう言われた。「余ったかけらを集め,何も無駄にならないようにしなさい」。13 そこで,彼らはそれを集め,大麦のパン五つから出たかけらで十二のかごをいっぱいにした。それは,食べた人たちが残したものであった。14 そのため,彼の行なったしるしを見て,人々は,「これこそ確かに,世に来ることになっていた預言者だ」と言いはじめた。

 

 

 

マルコ6章の<五千人の供食>と同じく、8章の<四千人の供食>においても、弟子たちはイエスの意志に無理解な存在として登場する。

 

マルコのイエスは、「群衆」を憐れみ、食物を与えようとする意思を持っているのであるが、弟子たちは、「荒野」であるから、食物を備えることは無理であると抗議し、イエスの意志を遂行しようとしない。

 

この数千人の供食という伝承は、四福音書で、全部で六回登場する。マルコ二回。マタイ二回。ルカ一回。ヨハネ一回。

 

マタイとルカは、マルコを単に写しているわけではなく、Q資料も参照にして供食物語を編集している。

 

ヨハネもマルコを参照にしながら独自の供食物語を展開させている。

 

どの供食物語も、話の焦点はパンの奇跡物語によって群衆の食糧難や貧困を解決したことにあるのではない。

 

イエスが儀式的にパンを割き、弟子たちに与え、群衆に配る行為を頂点として描かれている。

 

特に、マタイの場合は、イエスと弟子たちの会話を必要最小限度にして、イエスの儀式的行為に早く進みたいとさえ、感じさせる描写となっている。

 

 

つまり、パンを食べた人数を無視するなら、これは奇跡物語ではなく、教会の儀式的典礼を織り込んでいる伝承であるようにも思えるのである。

 

パンを割いて、それを一つ一つ群衆に配る。

まさしく、教会における聖餐式を思わせる行為である。

 

イエスの弟子を公言する教会の権威者が、イエスから与えられたパンとして、信者一人一人に対して配る。

 

イエスの権威のもとに小さなパンを配るという行為は、まさに教会の指導者が執り行うミサそのものである。

 

弟子たちは、イエスと群衆との間を取り持つ仲介者として描かれているのである

 

各福音書で、供食物語が必ず取り上げられており、微妙に異なる複数の話が伝承されていたという事実は、この物語が単なる奇跡伝承ではなく、教会における聖餐式の原因譚としても語られていた、ということなのだろう。

 

 

 

<五千人の供食>と<四千人の供食>との間には、イエスの儀式的行為に関して微妙に異なる点がある。

 

6章の<五千人の供食>では、パンを割くに際して、「天をあおぎ、祝福して、パンを割く」。

 

これは、聖餐式設定場面伝承のマルコ・マタイ版と一致する。(マルコ14:22、並行マタイ26:26)

 

8章の<四千人の供食>では、「祝福して」ではなく、「パンを取り、感謝して、割く」。

 

こちらは、パウロ・ルカ版と一致する。」(第一コリントス11:24、ルカ22:19)

 

最初期のキリスト教会設立以来、聖餐式は洗礼式と並んで、キリスト教会の最重要な儀式だったと思われる。

 

とすれば、マルコがこの二つのパンの奇跡物語の、イエスがパンを割く、儀式的場面で、キリスト教会の聖餐式の場面を念頭においていたものと考えられる

 

それを、<五千人の供食>の場面では「祝福して」を書き、<四千人の供食>では「感謝して」と書いている。

 

ともすれば重複とも感じられる同じような話を、マルコは二つ取り上げている。

事実、ルカはマルコの二つを合成して一つの物語に仕上げている。

 

 

ということは、マルコが二つの供食物語を取り上げたことには、何らかの意図があったのだろう。

 

 

 

 

 

 

ユダヤ教の本来の食前の言い方からすれば、「祝福して」という言い方がヘブライ語の言い方の直訳となるという。

 

「祝福する」(eulogeO)の原義は、eu(良く)+logeO(言う)であり、「神をよく言う」つまり「神に感謝する」という趣旨。

 

ただし、ヘブライ語では「神を」という目的語を付けることはしない。

 

「感謝する」のは神に対してであるに決まっているから、「神に」などという付加語である目的語をつける必要はないのは自明のことだからである。

 

それゆえ、「祝福する」という語は、ヘブライ語では目的語を必要としない自動詞として扱われるのである。

 

 

しかし、ギリシャ語の「祝福して」(eulogeO)は他動詞であるから、自動詞として用いると、目的語がない座りの悪さが残ることになる。

 

ギリシャ語としては、「感謝して」(eucharisteO)という言い方の方が、無理がない。

 

6章のパンと小魚を配るに際しては、「祝福して」とあるが、目的語は付いていない。

 

8章のパンではなく小魚を配るに際しては、「それを祝福して」(eulogEsas auta)と「祝福する」に「それを」という目的語を付けている。

 

 

つまり、ヘブライ語になじみのあるキリスト教会とギリシャ語にしかなじみのないキリスト教会では、聖餐式における祈祷の表現が異なっていたことを示しているのだろう。

 

ユダヤ人キリスト教会とヘレニストのギリシャ人キリスト教会ではそれぞれ異なる聖餐式伝承が伝わっており、祈祷文も異なる語を用いた定型が存在していたのであろう。

 

 

マルコは、6章でも8章でも供食伝承において、どちらも弟子たちの無理解を批判している。

 

では、マルコは二つの供食伝承において、弟子たちは何を理解していない、と言っているのだろうか。

 

<五千人の供食>の話でも、弟子たちは奇跡をおこなうマルコのイエスに対して信頼感も理解も無いことを示している。

 

<湖の上を歩く>の話でも、弟子たちがマルコのイエスを信頼せず怖がっているのは、パンの奇跡を理解しなかったことと同じだ、と批判している。

 

とすれば、マルコは弟子たちがイエスと共に居るにもかかわらず信頼感がなく、不信仰であることを批判していることになる。

 

 

供食物語は、奇跡的供食と聖餐式の原因譚が合体されている伝承であろう。

 

元来奇跡物語であったものが、イエスの言葉を聖餐式設定の言葉として、祭儀的要素を強めて、再構築されたのか。

 

逆に聖餐式の原因譚であった伝承に奇跡的要素が加味されて、奇跡物語として再構築されたのか、どちらとも言えない。

 

ただし、マルコ以前の段階から、聖餐式の典礼的要素が含まれていた伝承であったことは確かなように思われる。

 

 

供食物語の前半に登場する群衆に対する気遣いを示すイエスの会話からすると、初めから奇跡物語としての要素はあったのだろうが、奇跡的要素を強調した物語に再構築したのは、マルコの方であるように思えるのである。

 

マルコが自分の福音書全体の編集方針として、奇跡物語の採用と強調を指針にしていることとも整合性が取れるように思える。

 

 

では、元来祭儀的伝承であったものを奇跡物語に重きを置いて解釈することによって、マルコは何を言いたかったのだろうか。

 

供食の伝承が、聖餐の原型であるなら、パンとぶどう酒という聖餐式スタイルではなく、パンと小魚という通常の食事スタイルなのはなぜか。

 

 

Alfred Loisy(『L’evagile selon Marc』,p.195)は、供食物語が聖餐の原型として語られているとすれば、聖餐の意義づけについて二つの異なった伝承が初期教会に発達していたことになる、と解説している。

 

一つは、イエスの死の記念として聖餐を解釈して、典礼に位置付けるもの。

 

もう一つは、イエスの死とは無関係に感謝の食事として聖餐を解釈するもの。

 

第一コリントス11:20-34のパウロの聖餐式に関する指示を分析すると、パウロの時代から聖餐に関する解釈が分かれていたことが示唆されているようにも読める。

 

パウロ自身は、聖餐をイエスの十字架の死と結び付け、パンをイエスの体、ぶどう酒をイエスの血の象徴と解していることを示している。

 

それとは別に、パウロは否定的にとらえているが、一つの場所に集まって共に食事をすること、つまり供餐を聖餐と解していた派の存在に関しても示唆されているようにも読めるのである。

 

つまり、パウロのように、聖餐をイエスの十字架と関連付けて解釈するキリスト信者のグループとイエスの贖いの死とは無関係に、すべての者に食事を分配する供餐を聖餐と解するキリスト信者のグループがエルサレムの教会設立時から存在していたものとも考えられるのである。

 

初期キリスト教会の活動を、伝説的伝承を含め、護教的にまとめ上げた使徒行伝の中にも、贖い信仰とは無関係に信者に限らず貧しい人々に食事を提供する供餐を重要視していたとする記述が散見される。

 

例えば、使徒2:42-47には、「パンを割き」(NWTは、単に「食事を取ること」と訳しているが、原文は「パンを割くこと」)、家ごとに集まって信者同士の交わりや貧しい人々と食事を共にすることが、救いや神への賛美と密接に結び付けられている。

 

NWTだけを見ていると気付かないが、「食事」(原文は「パンを割く」)という行為が聖餐ではなく、供餐と結び付けられているのである。

 

使徒2:42「パンを割くこと」(tE klasei tou artou=to-the breaking of-the bread :KI)の「パンを割く」を「食事を取ること」と訳している和訳聖書はNWTだけである。

 

使徒2:46「家でパンを割き」(klOntes te kat oikon arton=breaking and according-to of-food:KI)の「パンを割く」を「食事を取ること」と訳している和訳聖書もNWTだけである。

 

 

英訳聖書でも、in breaking of breadあるいはbreaking breadであり、taking of mealsあるいはtook their mealsと原文の「パン」を「食事」と訳している英訳聖書もNWTだけである。

 

「パンを割く」という行為が記念式以外の食事行為と結び付けられる可能性を排除したかったのだろうか。

 

いわゆる「ミサ」は年に一度の記念式を意味している、というWTドグマを聖書本文に織り込みたかったのであろうか。

 

また「交わり」を基本的に信者間だけに限定しているWTにとって、非信者を含めた「交わり」が「記念式」と同様に重要視されていることは悟られたくなかったのだろう。

 

原文は「パン」であり、「食事」とは書いていない。

いずれにしても、「パンを割く」=「食事」という解釈を本文にまで導入した改竄である。

 

 

 

 

閑話休題。

 

話を元に戻そう。

 

 

キリスト教の成立時から、聖餐をイエスの贖い結び付けて解釈するキリスト信者グループと信者同士の供餐を聖餐とするキリスト信者グループが存在した、ということであろう。

 

イエスの死をユダヤ教の贖罪信仰と結び付けて解釈することはパウロ以前から存在していたが、パウロの宣教以降、贖い信仰のキリスト教の論理的土台となり、聖餐=パンとぶどう酒という典礼スタイルが確立されていったものと考えることもできそうである。

 

その一方、聖餐=供食とするキリスト信者グループの方は、イエスの十字架とは無関係の食事であるから、「パンとぶどう酒」つまりイエスの血=ぶどう酒にこだわるのではなく、聖餐=「パンとおかず」というスタイルで交わりや供餐を重視した教会運営が遂行されて行ったものと考えられるのである。

 

 

これから、そう考えられる根拠を分析してみたい。

 

供食における「パンを割く」時のイエスの祈り。

 

マルコ6 <五千人の供食>

41「五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、祝福してパンを割き」

マルコ8 <四千人の供食>

「七つのパンを取り、感謝して割き」

「小魚もいくつか持っていた。そしてそれを祝福して

 

マタイ14 <五千人の供食>

19「五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、祝福して割き」

マタイ15 <四千人の供食>

36「七つのパンと小魚を取った。そして感謝して、割き」

 

ルカ9 <五千人の供食>

16「五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、それらを祝福して、割き」

 

ヨハネ6 <五千人の供食>

11「パンを取り、感謝して、座っている者たちに与えた。そしてまたおかずも」

 

 

最後の晩餐の祈り

マルコ14

22「パンを取り、祝福して割き」

23「杯を取り、感謝して

 

マタイ26

26「パンを取り、祝福して割き」

27「杯を取り、感謝して

 

ルカ22

17「杯を受け取り、感謝して

19「パンを取り、感謝して割き」

20「杯についても同様に

 

ヨハネには、最後の晩餐における食事の場面は登場しない。

ヨハネ13

2「晩餐になり、悪魔はすでにイスカリオテ」

12「彼らの足を洗った時に、[そして]自分の衣をとり、再び座り」

 

パウロにおける主の晩餐の祈り。

第一コリントス11

23「パンを取り、24感謝して割き」

25「杯についても同様に

 

目的語を付けずに「祝福する」(eulogeO)という言い方がユダヤ人の食事の際の祈り方であり、「感謝する」(eucharisteO)という言い方がギリシャ語としては自然であることを考慮して、パンとおかずとぶどう酒の祈りを整理してみる。

 

パン 

「祝福して」 マルコ<五千人>、マタイ<五千人>、ルカ<五千人>

       マルコ<晩餐>、マタイ<晩餐>

「感謝して」 マルコ<四千人>、マタイ<四千人>、ヨハネ<五千人>

       ルカ<晩餐>、パウロ<晩餐>

 

小魚(おかず) 

「祝福して」 マルコ<五千人>、マタイ<五千人>

       マルコ<四千人>ルカ<五千人> (目的語付)

「感謝して」 マタイ<四千人>、ヨハネ<五千人>

 

ぶどう酒

「祝福して」 なし

「感謝して」 マルコ<晩餐>、マタイ<晩餐>、ルカ<晩餐>、パウロ<晩餐>       

       全部

 

「背負い籠」(kophinos) マルコ<五千人>、マタイ<五千人>、ルカ<五千人>、

             ヨハネ<五千人>

「籠」(spyris) マルコ<四千人>、マタイ<四千人>

 

「籠」に関しても、マルコは<五千人>と<四千人>では、単語を変えている。

弟子たちが集めた「あまりのパンくず」(「くず」の原意は「かけら」、「パンを割いた」あまりのかけらの意)を入れるための籠を別々の単語を用いて表現しているのである。

 

 

供食のパン

ヘブライ語由来の言い方が、マルコ<五千人>、マタイ<五千人>、ルカ<五千人>

ギリシャ語由来の言い方が、マルコ<四千人>、マタイ<四千人>、ヨハネ<五千人>

 

ヨハネの供食物語は、マルコを読んだ上での後代の創作であり、マルコの<五千人の供食>の言い方を写したものではない。

原語の違いに起因する意図はないものと思われる。

 

ルカには<五千人の供食>しかなく、マルコの<四千人>物語と合成して一つの物語に仕上げている。

こちらもヨハネと同様、言語の違いに起因する意図はないものと思われる。

 

マタイは、マルコを写しているので、マルコの意図を共有しているだけであり、マタイの意図はないものと思われる。

 

つまり、マルコでは<五千人>と<四千人>の二つの供食物語を、言語的に異なる言い方で取り上げている事には何らかの意図があると思われる。

 

 

主の晩餐に関しては、パンに関しては、マルコとマタイvsルカとパウロで分かれている。

マルコ・マタイはヘブライ語由来。

ルカとパウロはギリシャ語由来。

 

しかしながら、ぶどう酒に関しては、すべてギリシャ語由来の言い方となっている。

 

 

供食物語の小魚(おかず)に関して

ヘブライ語由来の言い方は、マルコ<五千人>、マタイ<五千人>

目的語を付加して、ヘブライ語由来の言い方をギリシャ語化している言い方が、マルコ<四千人>、ルカ<五千人>

ギリシャ語由来の言い方は、マタイ<四千人>、ヨハネ<五千人>

 

ルカは、マルコの供食物語のヘブライ語的言い方を正しい言い方に修正してくれたもので、言語の違いに起因する意図はないものと思われる。

 

ヨハネもマルコを写しているわけではないので、同様に言語の違いに起因する意図はないものと思われる。

 

マタイ<五千人>に関しては、マルコのイエスの言葉をそのまま写しているだけであり、マタイの意図は働いていないものと思われる。

 

マタイ<四千人>の「感謝して」はマルコ<四千人>の「それを祝福して」という言い方とは異なっている。

マルコが「祝福する」に目的語を置いてヘブライ語由来の言い方の違和感を消しているので、マタイはよりギリシャ語として自然な「感謝して」という表現に直してくれたのだろう。

マタイに原語の違いに起因する意図はないものと思われる。

 

ルカが供食物語の中で、「それらを祝福して」と対格複数形の目的語を置いて書いているのは、マルコの「それを祝福して」という<四千人>対格単数形の言い方を、正しく修正してくれただけであろう。

原語の違いに起因するルカの意図はないものと思われる。

 

 

マルコ<四千人の供食>物語で、パンに関してはギリシャ語由来の言い方で「感謝して」と述べ、小魚に関しては、「それを祝福して」とヘブライ語由来の言い方を残しながらギリシャ語として不自然な言い方を消したのはなぜか。

 

ユダヤ教の律法学者的解釈からすれば、食事の前に「祝福する」(eulogeO)のは、「食事にあずかれるのは神の祝福」のおかげであり、神に対して感謝の表現をするための行為として、当然のことである。

それゆえ、自動詞なのである。

 

しかし、「祝福する」(eulogeO)を他動詞とするギリシャ語感覚すると、目的語がないと受身を取ることができず、「食べ物が与えられたとを」感謝するという意味にはならない。

 

「食べ物そのものが祝福する」という意味になり、食べ物に何らかの呪術的効果が存在し、祝福する、という趣旨に解される。

 

それゆえ中動相や受動相で用いても、目的語ないと食物を「感謝する」という意味には解し難い。

 

 

マルコはヘブライ語を母語するユダヤ人ギリシャ語人間である。

ヘブライ語的には理解できるが、ギリシャ語としては目的語ないと落ち着かないので、<四千人の供食>物語の小魚に関しては、「それを」という目的語を付加したのだろう。

 

とすれば、マルコの採用した<四千人の供食>の原伝承では、小魚に関して「祝福して」と書かれてあったものかもしれない。

 

それをマルコが目的語を付加して「それを祝福して」とギリシャ語としての不自然さを修正し、マタイがさらに、ギリシャ語として自然な言い方である「感謝して」という言い方に修正を加えてくれたのだろう。

 

つまり、供食の伝承に関しては、「パンを割く」に際してイエスの祈りに関して、ヘブライ語由来の伝承とギリシャ語由来の伝承の二種類が存在したのだろう。

 

ただし小魚(おかず)に関しては、ヘブライ語の影響を受けた伝承が主体となっていたということだろう。

 

 

主の晩餐に関しても、パンに関しては、ヘブライ語の影響を受けた伝承とギリシャ語由来の伝承の二種類が存在した。

 

ぶどう酒に関しては、ギリシャ語由来の伝承しか存在していない。

 

 

供食の際の「パンを割く」際のイエスの祈りに関して、ヘブライ語由来の言い方とギリシャ語由来の言い方の二種類が存在しているということは、ユダヤ人キリスト信者の「パンを割く祈りとギリシャ人キリスト信者の「パンを割く」祈りとは異なっていた、ということだろう。

 

パンを割く」際のイエスの祈り、つまり聖餐式の祈りも二種類の伝承があったことをマルコは知っていたのであろう。

 

主の晩餐に関するパンとぶどう酒の祈りに関しても、マルコ・マタイ型とルカ・パウロ型の二種類が存在する。

 

それを分けるのは、「パンを割く」際のイエスの祈りであり、ヘブライ語由来の言い方とギリシャ語由来の言い方で区別される。

 

ぶどう酒に関しては、ギリシャ語由来の言い方しか伝承されていない。

 

供食の小魚(おかず)に関しても、<五千人>に関しては、ヘブライ語由来の言い方であり、<四千人>の方もヘブライ語を意識した言い方となっている。

 

つまり、聖餐式の原伝承となった「パンを割く」際の祈りはヘブライ語由来であり、キリスト教成立以前からの言い方に従ったものであるということになる。

 

ギリシャ語キリスト信者の増加に伴い、「パンを割く」際の祈りはギリシャ語の言い方に修正されていったが、ヘブライ語キリスト信者の影響が強い教会では、ヘブライ語由来の言い方が継承されていた。

 

「パンを割く」祈りと同じく、小魚(おかず)に関しても、ヘブライ語由来に加えて、ギリシャ語を意識した言い方が存在しているということは、元来はヘブライ語由来の言い方がなされていたことを示している。

 

「パンを割く」=「聖餐」として供食物語を読むと、マルコは、「パンと小魚(おかず)」を貧しい人たちと食事を分け合う供餐を、聖餐として描いているように思えるのである。

 

マルコにおける主の晩餐に関する「パンとぶどう酒」を用いた伝承は、当時のキリスト伝承をそのまま写しているだけであり、マルコは聖餐を「パンとぶどう酒」を用いて執行する典礼儀式と認識してはいないように思えるのである。

 

使徒行伝でも、信者の家々で人々を招いて「パンを割き」、食事を共にしながら、救われていく者たちが日ごとに増し加わって行ったとする伝承が残されている。

 

これらは、聖餐をパンと小魚(おかず)で執り行なう供餐がヘブライ語キリスト信者によって始められ、ギリシャ語キリスト信者にも継承されていった。

 

それと並行して、イエスの死がユダヤ教由来の贖罪信仰が、特にパウロ以降、キリストの贖い信仰と結び付けられて行く。

 

パウロ以前から、ユダヤ教キリスト信者によって、イエスの活動を旧約の定型引用に結び付けられており、旧約律法の契約概念とも結びつく。

 

契約の締結に必要な贖罪の動物とイエスの死が結び付けられる。

 

その結果、聖餐をパンと小魚(おかず)を結び付けた供餐だけではなく、贖罪の動物とイエスの十字架が結び付けられ、イエスの体と血をパンとぶどう酒に結びつけた主の晩餐由来の聖餐がキリスト教の主流となって行く。

 

パンと小魚による供餐と共に、パンとぶどう酒による聖餐も、広くキリスト信者にも受け入れられていったのだろう。

 

おそらく、マルコは、聖餐式設定の場面においても、キリスト教の中で二つの言い方があることを知っていて、二つの供食物語を別々に記載したのであろう。

 

 

 

しかしながら、どちらの供食伝承においても、登場する弟子たちは、イエスに対する無理解を示す、イエスを信頼していない存在として登場するのは意味深である。

 

 

さらに供食の話に続いて、マルコではパン種に関する話が続いている。

 

<五千人の供食>物語に続く<湖の上を歩く>奇跡伝承でも、弟子たちの無理解と不信仰の話が続き、「パンのことを理解」していない存在として描かれている。

 

<四千人の供食>物語でも、弟子たちの無理解と不信仰が描かれ、続く<パリサイ派のパン種>論争でも弟子たちは意味を悟らない無理解な存在として描かれている。

 

 

 

マルコは、二つの供食物語を通して、何を訴えたかったのであろうか。

 

 

マルコの供食物語は、聖餐式の原伝承というよりも、供食の奇跡物語の方が強調されている。

 

供食物語の伝承を通して、聖餐の伝承に関して、自分の主張を織り込もうとしたようにも感じられるのである。

 

主の晩餐におけるパンとぶどう酒の典礼的儀式とキリスト教の護教的解釈の説教は、イエス自身に由来するものではないのは明らかである。

 

イエスはキリスト教信者でもキリスト教の創始者でもない。ユダヤ教の世界で生きながらユダヤ教の倫理支配体系に対するアンチテーゼを展開して、殺された一人のユダヤ人である。

 

福音書中にあるイエスの言葉とされる護教的説教は、すべてイエス後のキリスト信者により創作された伝承物語である。

 

あるものは、生前のイエスの言葉を元にキリスト化された上で創作され、あるものは教会の護教体制を維持するために創作され、あるものは民間伝承をキリスト化して創作された。

 

実際のイエスをモチーフにしたキリスト化物語であり、実際のイエスとは無関係のキリスト教的創作寓話を伝承化したものである。

 

マルコにおける聖餐式設定の物語は、マルコの考えを直接表現するものではなく、聖餐の意義付けを二つの供食物語で展開しようとしているようにも思われるのである。

 

つまり、聖餐のパンはイエスの肉で、ぶどう酒はイエスの血である、という神学的解釈は、イエスに由来するものではない。

 

イエス後のキリスト教会により、聖餐式によってイエスの死と復活からもたらされる信者の救済を保証することは、イエスに由来するものでも、イエスの本意でもない。

 

むしろ、貧しい人々と共に分け合いながら食事を共にすることこそが、イエスとともにいることになるのだ。

 

現在の生活においても、イエスが共に居る。そのイエスを信頼して、感謝と祝福を感じて、生きてゆけば良い。

 

「弟子たち」と称する者たちによって、イエスから分け与えられたとする聖餐式のパンやぶどう酒などの祭儀的キリストや神学的な意義づけなど不必要である。

 

 

マルコは、供食物語における弟子たちのイエスに対する無理解と、イエスの弟子たちに対する批判を通して、マルコはそう訴えたかったのではなかろうか。

 

 

 

 

しかしながら、この供食物語には、もう一つの伏線がある。

 

「パンを割く」が主の晩餐から聖餐に結びついたように、主の晩餐が供餐と結びついた伝承も存在している。

 

聖餐がキリストの贖罪信仰と結びついたが、供餐は終わりの時における神の国での食事待望信仰と結びつく。

 

 

「十二使徒の教え」(ディダケー)は、一世紀末ごろ書かれたとされているが、かなり古い伝承を伝えている。

 

9章と10章で、二度、聖餐に言及されているが、イエスの死とは結びつけられてはいない。

 

ほとんどのJW、元JWは読んだことも無いと思うので、ちょっと長いが、聖餐の祈りに関する全文を引用してみる。

 

9「聖餐については、次のように感謝しなさい。最初にについて。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた、あなたの僕ダビデの聖なるぶどうの木について、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)」3パンについて。「わたしたちの父よ。あなたがあなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた命と知識とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。4このパンが山々の上にまき散らされていたのが集められて一つになるようにあなたの教会が地の果てからあなたの御国へと集められますように。栄光と力とはイエス・キリストによって永遠にあなたのものだからです」(『聖書の世界』講談社刊、訳佐竹明)

 

10「満腹した後、次のように祈りなさい。「聖なる父よ。あなたがわたしたちの心の中にお住まわせになったあなたの聖なる名と、あなたの僕イエスを通してわたしたちに明らかにされた知識と信仰と不死とについて、あなたに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。全能の主よ。あなたはあなたの名のゆえに万物をお創りになりました。また、人々があなたに感謝を献げるように、彼らに飲食のために食物と飲物とをお与えになりました。他方、わたしたちには、霊的な食物と飲物と永遠の生命とを、あなたの僕(イエス)を通して賜りました。あらゆることに先立って、わたしたちはあなたが力強い方であることに感謝します。あなたに栄光が永遠に(ありますように)。主よ。あなたの教会を覚え、それをすべての悪から解放し、あなたの愛によって完全なものとして下さい。また、それを聖くして、四方から、あなたがそれのために準備されたあなたの国へと導き集めて下さい。力と栄光とは永遠にあなたのものだからです。恵みがきますように。この世が過ぎ去りますように。ダビデの神にホサナ。聖なる人は来るように。聖でない人は悔い改めなさい。マラナ・タ、アーメン」。(『聖書の世界』講談社刊、訳佐竹明)

 

ここには、共観福音書やパウロのパンとぶどう酒の祈りとは異なり、イエスの贖いに対する感謝とは無関係に、聖餐が祝われていたキリスト教会の存在が示されている。

 

日々の供餐が聖餐と結び付けて祝われており、終末の神の国での合同の食卓を待望するキリスト信者の姿が描かれている。

 

 

終末論的食事待望信仰は、正典聖書の中にも残されている。

 

ルカ13:29、14:15、黙示録19:9等。

 

ルカ13「29そして東から西から、北から南から来たって、人々が神の国で食卓につくだろう」。

ルカ14「15ともに座していた者の一人がこれを聞き、彼に言った、「神の国でパンを食べる者は祝福されています」。

黙示19「そして私に言う、「書け。子羊の祝宴に招かれた者は幸いである。[そして私に言う、]これらの言葉は神の真実な(言葉)である」。(原著者)

 

ほかにも、「王の食卓に招かれる客」の譬え(マタイ22:1-14)やルカ14:12-14の「午餐や晩餐の際に貧しい者たちを招くなら、義人の復活の際に報いを受ける」という伝承にも示唆されている。

 

ルカにおける主の晩餐伝承(22:14-23)には、贖い信仰基づく聖餐式伝承と共に、終末論的食事待望信仰の両方が描かれている。

 

ルカ22「15そして彼らに対して言った、「私は自分が受難する前にこの過越の食事をあなた方とともに食べるようにしたいと強く欲していた。16すなわち、あなた方に言う、神の国において成就するまでは、私はもはや過越の食事をすることはしないだろう」。

 

この伝承を作った初期キリスト教会の人たちは、終末に到来する神の国での輝かしい食事と重ねて供餐を聖餐としていたのであろう。

あるいは、日々の共同の食事の供餐を聖餐の雛型として食卓を囲んでいたのだろう。

 

終末時の合同の供餐を待望していたことが示唆されている。

 

イエスの時代にそうした待望信仰があったことは、ヨセフス『ユダヤ戦記』(2・8・5)でも、エッセネ派の「聖なる食事」で言及している。

 

「身を潔めた後、神聖な宮に入るように食堂に入る。客があれば一緒に食卓に着く。パンを焼く者は順次パンを配り、料理人は一皿だけの食事を各自の前にそなえる。祭司が食前の祈祷をし。食事が終わると再び祈る」(『ユダヤ戦記』秦剛平訳より要約)

 

ここには、信者以外の人々を含めた日々の供餐を聖餐として、日々実行しているユダヤ教信者の姿がある。

 

「死海文書(1QSa2・11-22,1QS6・4-5)からしても、クムランのエッセネ派は、日々の共同の食事を終末論的食事をかたどった聖なる食事と考えていた、と言えるようである。しかも、五千人の供食物語と似た雰囲気を持って書かれているようである。」(参照『原始キリスト教の一断面』p232田川健三著)

 

クムラン教団のエッセネ派は洗礼者ヨハネと密接な関係があると推察されており、ヨハネからバプテスマを受けて活動したイエスやその弟子たちや初期キリスト教会とも密接な関係がある。

 

エッセネ派の倫理観がエルサレムの初期キリスト教会に継承されていたとしても何の不思議もない。

 

しかしながら、マルコの供食物語には、上述したキリスト教信者に見られる終末における神の国での供餐を待望している様子はない。

 

むしろ、イエスの奇跡的食事にすべて満足しているという書き方である。

 

<五千人の供食>の結びは「そして皆が食べて、満腹した」。

<四千人の供食>の結びも「そして食べ、満足した」。

そしてどちらにも、多くの籠にあまりを集めた、とする記述が続くのである。

 

二種類の籠によって、割かれたパンのかけらが集められたことは、弟子集団を名乗る別々の教会において、キリスト信者が集められていることを示唆しているのだろう。

 

 

マルコは、供餐を終末的聖餐と結び付けるのではなく、現在の供餐で十分すぎるほど満足している、という描き方である。

 

供食物語で、弟子たちのイエスに対する無理解を批判しているマルコは、聖餐に神学的解釈を施し、救いを展開しているキリスト教会だけでなく、供餐を終末待望と結びつけているキリスト教会に対しても、イエスの無理解であると批判しているのだろう。

 

 

ガリラヤ湖畔でのイエスと共なる食事で十分である…と。