マルコ6:45-52 <湖の上を歩く> 並行マタイ14:22-33、参照ヨハネ6:16-21
マルコ6 (田川訳)
45そしてすぐに、自分が群衆を解散させている間に、自分の弟子たちを舟に乗り込ませ、ベツサイダへと自分より先に行かせた。46そして群衆と別れると、祈るために山に去った。47そして夜になると舟はとっくに海の真ん中に来ており、そして彼だけが陸地に居た。48そして彼らが漕ぎ悩んでいるのを見て、というのも風が彼らに対して向かい風だったからだが、夜の第四警時頃に、海の上を歩いて彼らのもとに来る。そして彼らのところを通り過ぎようとした。49彼らは彼が海の上を歩いているのを見て、幽霊だと思い、叫び声をあげた。50つまり、みんなが彼を見て、狼狽したのである。彼はすぐに彼らと話した。そして彼らに言う、「勇気を出せ。私だ。恐れるな」。51そして彼らのもとに、舟の中へと上がってきた。そして風はしずまった。彼らは自分たちの中でひどくびっくりした。52パンのことを理解せず、その心が硬くなっていたからだ。
53そして(湖を)わたって陸に、ゲネサレトへと着き、舟をつないだ。
マタイ14
22そして直ちに、群衆を解散させている間に、弟子たちを舟に乗り込ませ、向う岸へと先に行かせた。23そして群衆を解散させると、祈るために、自分だけで山へと上った。夜になった時には、一人でそこに居り、24舟は陸からすでに多くのスタディオンも離れていて、波に悩まされていた。風が向い風だったからである。25夜の第四警時に、彼は海の上を歩いて彼らのもとに来た。26弟子たちは彼が海の上を歩いているのを見て狼狽し、「これは幽霊だ」と言った。そして恐れたせいで、叫び声をあげた。27イエスはすぐに彼らに語りかけて、言った、「勇気を出せ、私だ、恐れるな」。28彼に答えてペテロが言った、「主よ、もしもあなたであるのでしたら、私に命じて水の上をあなたのところに行くようにさせて下さい」。29彼は言った、「来なさい」。ペテロは舟から降りて、水の上を歩き、イエスの元に行った。30だが、強い風を見て恐れ、溺れはじめ、叫んで言った、「主よ、我を救い給え」。31イエスは直ちに手を伸ばしてペテロをつかみ、彼に言う、「信仰の少ない者よ、何のために疑ったのか」。32そして彼らが舟の中へと上って来ると、風はしずまった。33舟の中に居た者たちは彼の前にひれふして、言った、「まことにあなたは神の子です」。
参ヨハネ6
16夕方になった時、彼の弟子たちは海のところに下った。17そして舟に乗りこみ、海の向こう岸、カファルナウムへと行った。そしてすでに暗くなって、しかもイエスはまだ彼らのもとに来ていなかった。18大きな風が吹き、海が目を覚ましていた。19それで二十五ないし三十スタディオンほどのところに来た時に、イエスが海の上を歩いて来て、舟の近くに来るのを見る。そして恐れた。20彼が彼らに言う、「私だ。恐れるな」。21それで彼らは彼を舟の中に入れようと欲した。そして直ちに舟は彼らが向かっていた土地に着いていた。
マルコ6 (NWT)
45 それから直ちに,[イエス]は弟子たちを強いて舟に乗らせ,ベツサイダに向けて先に対岸に行かせ,その間にご自分は群衆を解散させた。46 そして,彼らに別れを述べたのち,祈りをするため山の中に入って行かれた。47 すでに夕方になっており,舟は海の真ん中にあったが,[イエス]は独りで陸におられた。48 それから,向かい風のために彼らがこぐのに難儀させられているのをご覧になると,夜の第四見張り時ごろであったが,[イエス]は海の上を歩いて彼らのほうに来られた。しかし,彼らのそばを通り過ぎる気でおられた。49 [イエス]が海の上を歩いておられるのを見かけると,彼らは,「これは幻影だ!」と考え,大きな叫び声を上げた。50 彼らは皆[イエス]を見て騒ぎ立ったのである。しかし,[イエス]はすぐに彼らと話をし,「勇気を出しなさい,わたしです。恐れることはありません」と言われた。51 そして,舟に上がって彼らと共になられた。すると,風は和らいだのである。それで,彼らは胸中に非常な驚きを感じた。52 彼らはまだ,さきのパンの意味を会得しておらず,その心は依然として理解が鈍かったからである。
53 やがて彼らは陸に渡り着いてゲネサレに入り,近くに停泊した。
マタイ14
22 それから直ちに,[イエス]は弟子たちを強いて舟に乗らせ,自分に先立って向こう側に行かせ,一方では群衆をお去らせになった。23 やがて,群衆を去らせた[イエス]は,祈りをするために自分だけで山に上って行かれた。[時刻は]遅くなっていたが,ただ独りでそこにおられた。24 そのころまでに,舟は陸から何百メートルも離れていたが,波のために難儀させられていた。向かい風だったからである。25 ところが,夜の第四見張り時に,[イエス]は海の上を歩いて彼らのところに来られたのである。26 海の上を歩いておられるのを見かけたとき,弟子たちは騒ぎ立ち,「これは幻影だ!」と言った。そして,恐れのあまり叫び声を上げた。27 しかし,イエスはすぐに,「勇気を出しなさい,わたしです。恐れることはありません」と彼らに言われた。28 ペテロは答えて言った,「主よ,あなたでしたら,水の上を[歩いて]みもとに来るようわたしにお命じください」。29 [イエス]は,「来なさい!」と言われた。そこでペテロは舟から降り,水の上を歩いてイエスのほうに行った。30 ところが風あらしを見て怖くなり,沈み始めたときに,「主よ,お救いください!」と叫んだ。31 イエスはすぐに手を伸ばして彼をつかみ,「信仰の少ない人よ,なぜ疑いに負けたのですか」と言われた。32 そして,ふたりが舟に上がってから,風あらしは和らいだ。33 その時,舟にいた者たちは,「確かにあなたは神の子です」と言って,敬意をささげた。
参ヨハネ6
16 夕方になった時,弟子たちは海に下りて行った。17 そして,舟に乗り,海を渡ってカペルナウムに向かった。ところで,そのころまでには暗くなっていたが,イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。18 また,強い風が吹いていたので,海は荒れてきた。19 ところが,三,四マイルほどこいだ時,彼らは,イエスが海の上を歩いて舟に近づいて来るのを見たのである。それで彼らは恐ろしくなった。20 しかし[イエス]は彼らに言われた,「わたしです。恐れることはありません!」21 それで彼らは,よろこんで彼を舟の中に迎え入れた。すると,舟はじきに,彼らが行こうとしていた土地に着いた。
マルコの「そしてすぐに」(kai euthys)は、時間的な意味で文字通りの「すぐに」という意味ではなく、マルコのアラム語的表現由来の口癖。
接続小辞として使う「そして」(kai)と大して変わらない。文字通りの意味ではない「すぐに」。「そうして」「それから」という程度の軽い接続詞的表現。
マタイは、マルコの口癖を理解せず、文字通りの意味に解した。
それで、「すぐに」(euthys)をeitheOsに書き変え、「群衆を直ちに解散させた」という意味に読んだ。
イエスの「群衆」軽視、「弟子たち」重視の姿勢を描こうとしたのだろう。
マルコでは舟で向ったのは「ベツサイダ」となっている。
マタイは、単に「向う岸」となっている。
それに対し、参ヨハネ6では「カファルナウム」となっている。
ベツサイダはガリラヤ湖北岸の町。
ヨルダン川を挟んで、約4キロ離れたところに位置している。カファルナウムの東側。
ベツサイダは東岸に位置するのであるから、弟子たちはガリラヤ湖の西側から東側のベツサイダに向かって、出発した、と読める。
弟子たちが舟に乗って出発すると、途中で嵐に遭う。
ところが嵐がしずまると、ベツサイダに向かっていたはずなのに、彼らは「(湖を)わたって陸に、ゲネサレに着いた」(6:53)、というのである。
ゲネサレはガリラヤ湖の西側の町である。
西側から東側に向かって湖を横切って出発したはずなのに、着いたのは西側の町だった、と読める。
参ヨハネ6は、ガリラヤ湖の「向こう岸」の「カファルナウム」へと行った、とされている。
カファルナウムもヨルダン川を挟んで西側に位置するのであるから、東側から西側に向かって出発した、と読める。
とすれば、前段の<五千人の供食>はどこで行なわれたのか。
マルコ6:45に従がえば、ガリラヤ湖東岸の町であるベツサイダの「向こう岸」で行なわれたことになり、マルコ6:53に従えば、ガリラヤ湖西岸にあるゲネサレの町の「向こう岸」で行なわれたことになる。
参ヨハネ6に従えば、東側から西側に向かって出発し、カファルナウムに行った、と読める。
パンの奇跡がどこで行なわれたのか、マルコのどちらを採用するかで、ガリラヤ湖の東岸、西岸が、真逆に読めることになる。
政治的行政区で考えれば、ヨルダン川が境界線で、西側はガリラヤ地方に属し、ヘロデ・アンティパスの支配領域である。
東側は<洗礼者ヨハネの死>でも言及されていたその異母兄弟のフィリポスの支配領域である。
一応、西側はガリラヤ地域であるから「ユダヤ人地域」。
東側は、「異邦人地域」に色分けされている。
WTはこの矛盾の解決を次のように述べている。
*** 洞‐2 713–714ページ ベツサイダ ***
しかし,ガリラヤ地方とは言っても,その範囲は必ずしも明確に定まっていたわけではないように思われます。ヨセフスでさえガウラニティス人のユーダスという人物を「ガリラヤ人」と呼んでいるからです。(ユダヤ古代誌,XVIII,4 [i,1]; ユダヤ戦記,II,118 [viii,1])また,ベツサイダ市の住民の一部がヨルダン川の西岸,約1.5㌔先の地域にも住んでいた,ということも十分あり得ます。
さらに,ジェームズ王欽定訳のマルコ 6章45節ではイエスが使徒たちに「先に[舟で]向こう岸へ渡り,ベツサイダへ行くように」と指示したことが述べられている一方,その並行記述のヨハネ 6章17節では一行の目的地がカペルナウムとなっているため,ある人たちは,やはりヨルダン川の西側のカペルナウムの近くにもう一つのベツサイダがあったに違いない,と主張してきました。しかし,マルコ 6章45節の幾つかの現代訳によると,使徒たちはまず「ベツサイダに向けて」海岸沿いを行くことによりカペルナウムへの旅を始め(使徒たちがイエスのもとを出発した地点は,5,000人の人々に奇跡的に食物が与えられた場所の近くだったようで,ベツサイダから南へ少し離れた,カペルナウムの対岸に当たる所であったと思われる),その後,湖の北端を横切って最終目的地のカペルナウムへ向かった,と理解することもできます。彼らはゲネサレの地の岸辺に降り立ちました。そこはカペルナウム市のやや南だったようです。―マル 6:53。
WTの説明を読んでも、どれほどのJWが正確な知識を理解できるのだろうか。
ベツサイダは、ガリラヤ湖東岸の町であるが、西岸にもベツサイダという町があったとする説を否定しながら、ベツサイダ市の住民の一部がヨルダン川西岸にも住んでいたことを支持している。
つまり、東岸のベツサイダを西岸にも住んでいたベツサイダ市民をも含むという解釈を暗に支持している。
マルコ6:45「向こう岸へ渡り、ベツサイダへ行く」とは、パンの奇跡の場所から、「まずベツサイダに向けて海岸沿いを行き、カペルナウムに行き」、最終的に、マルコ6:53「ゲネサレ」の地に着いた、としている。
NWTは「向こう岸」ではなく、「対岸」と訳している。
出発点(パンの奇跡)→(対岸の)ベツサイダ(東岸)→カペルナウム(西岸)→ゲネサレ(カペルナウムの南であるから西岸)
ベツサイダの「対岸」であるから出発点は「西岸」となる。
つまり、西岸→東岸→西岸→西岸というジグザグのコースを支持しているように思える。
ところが、パンの奇跡は「ベツサイダの少し南のカペルナウムの対岸」であったと説明する。
ベツサイダ側であり、カペルナウムの対岸であるから「東岸」である。
「湖の北端を横切って」というのは、「ベツサイダ」を通過してという意味である。
実際には、東岸→(対岸の)ベツサイダ(東岸)→カペルナウム(西岸)→ゲネサレ(西岸)というコースを支持しているのである。
これではパンの奇跡はガリラヤ湖西岸か東岸か、どちらで生じた奇跡なのか理解できるはずがない。
もしも、パンの奇跡が「東岸」で行なわれたとすれば、同じ東岸の「ベツサイダ」を「向こう岸の」あるいは「対岸のベツサイダ」と呼ぶことはおかしいことになる。
しかし、もしパンの奇跡がガリラヤ側である西岸で行なわれたとすれば、弟子たちは「向こう岸」または「対岸」に出かけたにもかかわらず、また「西岸」のゲネサレに戻って来た、という話になる。
「向こう岸に」(eis to peran)を「東岸」から見れば「西岸」に、「西岸」から見れば「東岸」に解釈して、「対岸」と訳しておきながら、「東岸」から「東岸」へ渡ることも「向こう側」と解釈する二重構造になっているからである。
パンの奇跡の場所に関する互いに対立する学説を取り上げながら、聖書には矛盾がないことを説明しようとして、かえって矛盾する説明となってしまったのだろう。
もしかしたら、「洞察」執筆者自身も翻訳者自身も理解できていなかったのかもしれない。
(よう知らんけど…残念!)
「パンの奇跡が行われた場所がガリラヤ湖東岸か、西岸か、ということが問題になるのは、なぜか。
パンの奇跡をイエスの奇跡による「救いの象徴」と解することにあるようだ。
「キリストの救済」を、<五千人の供食>が行われた場所で解釈しようとするのである。
東岸なら、異邦人地域であるから、「異邦人の救いの象徴」、西岸ならガリラヤ地域であるから「ユダヤ人の救いの象徴」と解釈するようである。
マルコの間違いのようにも思えるが、マルコはガリラヤの地図を知らなかったのだろうか。
しかし、当時の社会で近代国家のような厳密な国境のようなものは存在しない。
問題は「向こう岸に」(eis to peran)という句の方向を示す前置詞(eis)の解釈にある。
マルコは、北を上にした地図を見ながら福音書を書いているわけではない。
またローマの行政区に厳密に従って、地名を上げているのでもない。
湖の「向こう側」という時に、いつでもヨルダン川を挟んでの東西、あるいは南北を指す、と解釈する必要はないと思われる。
楕円形に近いガリラヤ湖での話である。
出発点から見て、東西南北、どの方向であっても、湖を介して臨める町は「向こう側」の町、と表現し得るものであろう。
事実、舟で湖を渡る、という場合や目的地をはっきりと指摘する場合(6:32、53、8:10)以外には、マルコは「向こう岸に」という表現を使っている。(3:8,4:35,5:1,21,6:45,8:13,10:1)
つまり、マルコは一つの場所から他の場所へと湖を渡って移動する場合を「向こう岸に」と言っているのである。
要するに、この「向こう岸に」と「ベツサイダに向かって」(pros bEthsaida)の句を東西の方向を示している句と解釈する必要はないのである。
その点では、WTの「いくつかの現代訳によると…」以降の説明は正しい。
しかし、聖書地図を参照に、洞察に書かれている事柄を理解し、きちんと説明できるJWはどれぐらいおられるのだろうか…
私には洞察からの説明からでは理解できず、頭の中がバビロンでした…w
混乱の原因にたどり着いて、はじめて理解できたのであった…
閑話休題
マルコの「別れる」(apotaxamenos)は、丁寧に「別れを告げる」というニュアンス。
NWTは「別れを述べた」。
マタイは、前節の「解散させる」(Enagkasen)を繰り返す。
マタイのイエスは烏合の衆である「群衆」に別れを告げる必要など無いかのように、さっさと解散させることに尽力する。
しかし、NWTにおけるマタイのイエスは「群衆をお去らせになった」と群衆に優しい。
逆にマルコのイエスは、群衆には冷たく、「解散させる」。
原文とは逆のニュアンスを演出している。
マルコは「山に去った」。
原義は「山に行った」。
マタイは「上った」。
マタイは、山だから「行く」じゃなくて、「上る」ものだろうと訂正してくれた。
マルコの「夜になると」(opsias genomenEs En)。
マルコには主動詞En=wasが付いている。
直訳は「夜が生じることがなった」。
マタイは「夜になった時には」(opsias genomenEs)。
中動相アオリスト形分詞のみの分詞構文。
マルコの主動詞を省いて、わかりやすく書き直してくれた。
「夜」(opsias)、「夕方」(NWT)は、日没以後暗くなってからの時間、人がまだ起きて夜の時間を過ごしている間を指す語。
日本語の「夕方」は、日没前後のまだ明るさが残っている時間を指す。
ギリシャ語のopisaはもっと時間の幅が広い。
日本語では多くの場合「夜」に相当する。
マルコの「海の真ん中に来ており」という句を、マタイは「多くのスタディオンも離れていて」と書き直している。
参ヨハネ6は、「二十五ないし三十スタディオンほどのところに来た時に」としている。
スタディオン(stadia)は、距離の単位で、英語のstudiumの語源。約200m。
「多くの」(pollous)を20~30と想定すれば、4~5kといったところ。
ガリラヤ湖の大きさは最も長いところで南北21k、東西13k。
マタイとしては、陸から遠く離れたとしても、「湖の真ん中」とは言えないのだろう、お考えになったのだろう。
ヨハネはマタイを知っていたのか、と思いたくなるが、その可能性はほぼ皆無である、という。
マタイと共通の伝承を想定するのも、マタイとヨハネだけに共通する伝承の存在も知られておらず、その可能性もほぼ皆無。
つまり、ヨハネはマルコを読んでおり、マタイと同じように「湖の真ん中」ではなく、岸から「少し離れたところ」を想定し、「二十五ないし三十スタディオン」としたのだろう。
マルコの「漕ぎ悩んでいた」の直訳は「漕ぐのに悩まされていた」。
マタイは「波に悩まされていた」と書き変えてくれた。
弟子たちが「悩まされていた」のは、弟子たちの「漕ぐ」力量が原因ではなく、「波」が原因である、と考えたのだろう。
弟子たちの「漕ぐ」技術を擁護してくれた。
マルコの「風が彼らに対して向かい風だった」(ho anemos enantios autois)という句も、マタイは単に「風は向かい風だった」(enantios ho anemos)とマルコの「彼らに対して」(autois)という与格代名詞を削除している。
「向かい風」なら「彼らに対して」吹く風に決まっているからというので削除してくれたのだろう。
「夜」の第四警時の「夜」(nuktos)は、日没から日の出までの時間を指す語。
こちらの「夜」は、日本語のほぼ「夜」に相当する。
「第四警時」は、ローマの夜の時間の数え方がギリシャ語にも入り込んだもの。
夜を四つの区分に分け、四組の夜警が見回りを担当した。
「夜」が18:00から06:00までの12時間とすれば、「一警時」約三時間となるので、第四警時は03:00-06:00ぐらいに相当する。
夜明け前の時間になる。
マルコには「夜の第四警時頃」と「頃」(peri)を入れているが、マタイは削除し、単に「夜の第四警時」。
マルコの「頃」を削除したのは、「第四警時」という語自体が、もともと厳密な時間を指す表現ではないので「頃」を入れるのはおかしいと思ったのか、無駄、と思ったのか。
ご親切にもマルコを訂正してくれている。
何かとマルコの表現を削除、訂正したがるマタイさんである。
まだまだ続く…
マルコの「彼らのもとに来る」の「来る」(erchetai)は現在形。
マタイは「来た」(erthen)と正確に過去形に直してくれた。
マルコの「彼らは彼が海の上を歩いている…狼狽したのである」の文は、主語が混乱している。
直訳は、「彼が湖の上を歩いているのを見た者たちは、幽霊だと思い、叫び声をあげた。つまり、みんなが彼を見て、狼狽したのである」。
最初は定冠詞を付け「見た者たちは」と主語を定めて置きながら、次に「みんなが見て」と主語を「見た者たち」に限定せず、不特定多数の者たちを主語に変えている。
マタイは、それを「弟子たちは」を主語にして、文を整えてくれている。
マルコは「すぐに彼らと話した」(eutheOs elalEsen met auton)。
前置詞met=withを使っており「彼らと共に話を交わした」というニュアンスになる。
マタイは「すぐに彼らに語りかけて」(eutheOs de elalEsen autois)。
前置詞を省き、与格代名詞だけを置いている。
一方的にイエスが彼らに話している、感じになる。
マタイとしては、いきなり湖上を歩いて「幽霊」「幻影」(NWT)だと思い、叫び声をあげたり、狼狽しているのに、「すぐに彼らと共に話し合う」というのはおかしいと考えたのであろう。
それで、イエスの方から一方的に声をかけて、弟子たちを励ます、という構図にしたのだろう。
それならマルコの「すぐに」を削除すればよいのに、そのまま写し、「すぐに」イエスが彼らに声をかけた、という構図になっている。
イエスと弟子たちとの信頼関係を演出しようとしたのだろう。
しかしながら、マルコのイエスと弟子たちとの信頼関係は薄い。
弟子たちはイエスが海の上を歩いているのを見ると、幽霊だと思い、「叫び声をあげ、狼狽した」のである。
「狼狽した」(etarachthEsa)は、「混乱させる」という動詞の受身形。
弟子たちは、イエスに対する「信頼」や「信仰」を持っていたのではなく、イエスが海の上を歩いているのを見て、叫び声をあげて、混乱させられるほど、動揺させられていたのである。
しかもマタイとは異なり、ペテロがイエスに対する信頼、信仰を示したというのではない。
イエスと会話を交わしたにもかかわらず、一人残らず「みんな」が「狼狽した」のである。
マルコは、この弟子たちの態度を「不信仰」の証拠としている。
最後まで「パンのことを理解せず、心が硬くなっている」のがマルコの弟子たちである。
マルコからすれば、舟の中にいた「弟子たち」全員がアウトである。
当然ペテロだけでなく、使徒集団全体がイエスに対する信仰の欠如を示していると見ていたのだろう。
それに対して、マタイのイエスは、弟子たちに愛情深く、同情的に接する。
ペテロの信仰を擁護する姿勢を示す。
弟子たちはイエスが海の上を歩いているのを見て、マルコと同じように、「狼狽する」。
しかし、マルコとは異なり、「幽霊だ」と思うが、「叫び声」をあげたりはしない。
その代わりに、自ら「これは幽霊だ」という発言をする。
そして、「叫び声」を上げたのは、「恐れた」ためであった、と釈明する。
マタイはマルコを写しながらも、マルコにおける弟子たちの不信仰の要素をできるだけ排除しようとするのである。
マルコの「勇気を出せ、私だ、恐れるな」というイエスの言葉は、弟子たちの不信仰を示す言葉となっている。
弟子たちを、イエスと話し合っても、「勇気」も無く、イエスを見ても、イエスを理解せず、「恐れている」存在として描いている。
そのような弟子たちを諌めるため、あるいは糾すために、イエスは「勇気を出せ、私だ、恐れるな」と申し渡すのである。
マタイのイエスも「勇気を出せ、私だ、恐れるな」という言葉を弟子たちに申し渡す。
しかし、それはマルコとは異なり、弟子たちの不信仰を諌めるためではない。
むしろ、イエスの言葉を聞いて、信仰を抱いていることを示そうとする励ましの言葉となっている。
ペテロは、イエスのその言葉に促されて、「勇気」を出し、イエスと同じように水の上を歩こうとするのである。
「私に命じて、あなたのところに行くようにさせて下さい」と応える。
そして、イエスの「来なさい」という命令にすぐに従がい、水の上を歩こうとするのである。
イエスの命令にすぐに応じる弟子を演出しているのである。
沈みかけると「主よ、我を救い給え」とキリスト教の救済信仰を口にする。
イエスに対する強固な信仰が揺るがなければ、イエスと同じように水の上を歩くことも可能であることを演出するのである。
「主よ、我を救い給え」という表現は、後の教会の祈祷文である。
イエスは、ペテロのその言葉に「直ちに」応じて、ペテロの手をつかみ、自ら引き上げるのである。
マタイはここにキリスト教会の救済信仰を読み込もうとしているのである。
そしてマタイのイエスは「信仰の少ない者よ、何のために疑ったのか」と諌める。
疑うことは信仰の少なさを証明するものであり、水の下に沈むことになる。
教会の救済信仰に絶対的な信頼を抱き、疑ってはならない。
マタイのイエスは、水の上でペテロに救済信仰の説教をするのである。
ペテロとイエスが一緒に舟に戻ると、「舟の中に居た者たち」はイエスの前にひれ伏すのである。
この「舟の中に居た者たち」とはペテロを除いた弟子たちを指すのであろう。
彼らが言った言葉は「まことにあなたは神の子です」というキリスト教の信仰告白の言葉である。
ペテロはイエスに「主よ」と呼びかけており、イエスが救い主であること認めている。
イエスと一緒に居て、救済をも体験している。
マタイは弟子集団の中でもペテロを一番に評価しているのである。
最後には「信仰の少ない者よ」とイエスに諌められるのであるが、不信仰な弟子ではなく、未熟ではあるが信仰を抱いている忠実な弟子にすり替わってしまったのである。
マルコにはマタイに登場するペテロに関する記述はない。
参ヨハネ6にもペテロに関する記述は登場しない。
ヨハネには、弟子たちが「彼を舟の中に入れようと欲した。そして直ちに…向かっていた土地に着いていた」とある。
これは、弟子たちがイエスを舟の中に入れようと欲して、湖面にいるイエスを迎え入れた。すると直ちに…」という意味ではない。
マタイとは違い、イエスを本当に水の上から舟へと引き上げた、とは書いていない。
「欲した」が主動詞である。
そうではなく、彼らが、そう欲した途端、直ちに、気がついたら、すでに舟は彼らが向かっていた土地に着いていた、という趣旨である。
「欲した」途端、ワープしたのである。
ヨハネらしく、奇跡の奇跡性をさらに強調している表現である。
ヨハネもペテロをはじめとする使徒集団には批判的である。
以前の記事で取り上げたが、使徒集団を「悪霊」と同一視している箇所がある。
むしろマルコよりも批判的かもしれない。
ルカにもペテロがイエスの言葉に勇気をもらい、水の上を歩くという奇跡話は登場しない。
ルカはこの話自体を記録していない。
もしQ資料にもある伝承であるなら、ルカがこのマルコの奇跡話を割愛するはずがない。
つまり、このペテロが水の上を歩き、沈みかけるが救済されるという信仰証明話は、Q資料に由来するものではなく、マタイのオリジナルである、ということになる。
マタイだけが有していたマタイ資料という可能性もある。
しかし、マタイはマルコの文を訂正しながら写しており、このペテロ話はマルコの文に挿入される形で構成されている。
とすれば、ペテロの信仰証明話は、おそらく、マタイの創作ということであろう。
マルコでは、イエスの言葉に、勇気や信仰を示す弟子は誰一人おらず、イエスが自分一人で「彼らのもとに、舟の中へと上がる」のである。
しかも、彼らはイエスと一緒にいる舟の中でも、「自分たちの中でひどく、びっくり」したままだったのである。
この「びっくりする」という表現は、奇跡物語の締めの常套句ではあるが、ここではその理由を「パンのことを理解しなかった」ことにあるとしている。
この「驚き」は神信仰の証明ではなく、弟子たちの「無理解」と結び付けられている。
そして「心が硬くなっていたから」である、とこの話を結んでいる。
弟子たちの「心の頑なさ」が原因であるというのである。
マルコとしては、イエスと一緒にいるにもかかわらず、弟子たちは不信仰のままだったと言いたいのであろう。
イエスと一緒に居たと主張する「弟子たち」を標榜するキリスト教団は、依然としてイエスに従がってはいない、という批判をここでも読み取れるのである。
マタイには、この「パン」に関する句は登場しない。
マタイの弟子たちは、すべてイエスの前にひれ伏して、「まことにあなたは神の子です」とキリスト教信仰を宣言するのである。
マタイは、マルコの弟子たち批判をことごとく消し去りながら、加筆、訂正、削除、付加、創作を加えて行く。
ペテロを中心としたユダヤ人的キリスト教の教会信仰を説教仕立てにして、イエスの口に置き、イエスのキリスト信仰物語を再構築させているのである。
田川訳「パンのこと理解せず」をNWT「先のパンの意味を会得しておらず」と訳す。
マルコの原文は、ou gar sunEkan epi tois artois Enである。
文頭に否定語が置かれており、完全否定であることが強調されている。
「全くの無理解であった」という趣旨。
「会得しておらず」とすると、「一部は理解していたが、完全には理解できていなかっただけ」という部分否定の趣旨になる。
つまり、NWTはマルコにマタイを読みこんで、「信仰の少ない人」との整合性を図ったのであろう。
パンの意味についての解釈もマタイとの整合性を意識したものにすり替えられていく。
*** 塔80 9/1 31ページ 読者からの質問 ***
● マルコ 6章52節で言及されている「パンの意味」とは何のことですか。
マルコ 6章51,52節にはこう記されています。「[イエスは]船に上がって彼ら[弟子たち]とともになられた。すると,風は和らいだのである。これを見て,彼らは胸中に非常な驚きを感じた。彼らはまだ先のパンの意味をつかんでおらず,その心は依然として理解が鈍かったからである」。これより先に,弟子たちは,イエス・キリストが五つのパンと2匹の魚を奇跡的に増やして,5,000人ほどの男とそのほかにも女や子供たちに食べ物をお与えになったのを目撃していました。残ったかけらを集めると12のかごに一杯になりました。これは,その場にいたすべての人が食べて満ち足りたことを示す有形の証拠となりました。弟子たちはこの出来事から,イエスが奇跡を行なう力を神から賦与されていたことを学び知ってしかるべきでした。―マタイ 14:19‐21。マルコ 6:41‐44。
ですから,イエスが後に水の上を歩き,船に上がると風が和らいだ時,弟子たちにはこうした奇跡とパンを増やした奇跡とを結びつける根拠がありました。イエス・キリストが大勢の人に食物を与えることができたのであれば,水の上を歩き,風を和らがせることは異常でも驚くべき出来事でもなかったはずです。
しかし弟子たちは,この時にはまだ,一つの奇跡を別の奇跡と関連づけて考えることができませんでした。弟子たちの心は,聖霊によってイエス・キリストに賦与されていた力の偉大さを理解しかねていたのです。水の上を歩き,吹き荒れる風を止める力が神のみ子に備わっていることを信ずる根拠を何も持たない人々が表わすのと同じような驚きを弟子たちは示しました。
*** 塔08 2/15 29ページ 1節 マルコによる書の目立った点 ***
6:51,52 ― 弟子たちが会得できなかった「パンの意味」とは何ですか。数時間前に,イエスは五つのパンと2匹の魚だけで,5,000人の男のほかに女や子どもたちに食事をさせたばかりでした。弟子たちがその出来事から理解すべきだった「パンの意味」とは,イエスが奇跡を行なう力をエホバ神から与えられているということでした。(マル 6:41‐44)その力がいかに偉大なものかを会得していたなら,水の上を歩くという奇跡にそれほど驚いたりはしなかったでしょう。
WT80/09/01の資料によると、聖霊は弟子たちがイエスを理解できないように働き、信じる根拠を持たない人々と同じようにさせるようである。
この時点では、それを「聖霊」の責任にしているが、まだ婉曲的に弟子たちがイエスの力に関して無理解であったことを示唆している。
さすがにこの解釈はまずかったらしく、WT08/02/15では「聖霊に対する責任転嫁」は削除されている。
「その力の偉大さ」に対する認識不足であり、「会得して」いなかっただけである、と釈明している。
WTの資料によると、「聖霊」を注がれると不信仰の人と同じになるようです。
「聖霊を注がれている」と自認するJWの見解は、うのみにしない方が良いよのかもしれません。
信仰は自己責任のようですから、どうぞご自由に。