マルコ6:30−44 <五千人の供食>2 並行マタイ14:14−21、ルカ9:10−17
参照マルコ8:1−10、マタイ15:32−39、ヨハネ6:1−15
マルコ6
30そして、派遣された者たちがイエスのもとに集って来る。そして自分たちがなしたこと、また教えたことすべて、彼に報告した。31そして彼らに言う、「さあ、あなた方自身、自分たちだけで、寂しいところに行って、少し休みなさい」。というのも、来る者、去る者が大勢いて、食べる時間もなかったからである。32そして舟で寂しいところに自分たちだけで去って行った。33そして彼らが去って行くのを見て、多くの者が知り、すべての町から徒歩で一緒に走ってそこに行き、彼らより先に着いた。34そして(イエスは舟から)出て来ると、多くの群衆を見、憐れんだ。羊飼いのいない羊の群のようだったからである。そして彼らに多くのことを教えたのであった。
35そしてすでに多くの時が生じたので、彼のところに彼の弟子たちが進み出て、この場所は寂しく、すでに多くの時が生じている、と言った。36「彼らを解散して下さい。そうすれば、まわりの畑や村々に行って、何か食べるものを自分で買うでしょう」と。37彼は答えて、彼らに言った、「あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさい」。そして彼に言う、「私たちが出かけて、二百デナリものパンを買ってきて、彼らに食べさせるのですか」。
マタイ14
13イエスは聞いてそこから舟で去り、自分だけで、寂しいところへと行った。そして群衆が聞いて、町々から徒歩で彼に従って行った。14そして(イエスが舟から)出て来ると、多くの群衆を見、彼らを憐れんだ。そして彼らの中の病弱な者を癒した。15夕方になったので、弟子たちが進み出て、言った、「この場所は寂しく、すでに時は過ぎています。群衆を解散して下さい。そうすれば、村々に行って、自分で食べ物を買うでしょう」。
ルカ9
10そして使徒たちが帰ってきて、自分たちがなしたことを彼に語った。そして弟子たちを連れて、自分たちだけでベツサイダと呼ばれる町へと行った。11だが群衆が知って、彼に従って行った。そしてイエスは彼らを受け入れて、彼らに神の国について語った。そして治療を必要とする者たちを直した。12だが日が傾きはじめた。十二人が進み出て、彼に言った、「群衆を解散して下さい。そうすれば、まわりの村々や農家に行って宿をとり、食料を調達するでしょう。ここでは私たちは寂しいところにいるのですから」。
マルコでは、直前の<洗礼者ヨハネの死>と<五千人の供食>との間に直接的な因果関係はなく、単に並べているだけである。
それに対し、マタイは、イエスが洗礼者ヨハネの死を聞いて、難を避けるために人里離れた場所へと隠れた、という設定にした。
マルコの「自分たちだけで」を「自分だけで」とイエスの単独行動に書き換えたために、マタイの文には矛盾が生じることになった。
イエスは自分一人で舟に乗って、さびしいところに移動したのであるから、「弟子たち」はイエスと一緒に舟に乗ってはいないことになる。
「去る」(anechOrEsen)も次節の「出て来る」(exelthOn)という動詞も、単数形であるから、舟から出て来たのはイエス一人であったことを示している。
弟子たちが、イエスと一緒の舟に乗っていたとも、群衆と一緒に行動したとも書かれていない。
ところが、15節で群衆と接する時には、弟子たちがイエスと一緒にいたことになっている。
マルコの前半の「自分たちだけで」を「自分だけで」に変えたのに、後半を「夕方になったので弟子たちが進み出て‥‥‥」とマルコのままに写したことから生じた矛盾。
マタイは、マルコの「出て来る」(exelthOn)という動詞が男性形単数であるから、マルコの「自分たちだけ」を「自分だけ」としたのかもしれない。
しかし、後半もマルコに従って写しているために、イエスと一緒ではなかったはずの弟子たちが、いつの間にかイエスと一緒にいたことになってしまった。
これをマルコに合わせて、舟にはイエスと弟子たちが一緒に乗っていたなどと読もうとするのは、聖書不謬信仰を前提とした解釈。
福音書間の矛盾を無意識に解消しようとする信仰の所産である。
ルカは、イエスが弟子たちを連れて、「自分たちだけで」、「ベツサイダと呼ばれる町へ行った」とある。
マルコにもマタイにも、移動した場所が「ベツサイダ」であったとは書かれていない。
これは、ルカの創作。
というよりも、マルコを読んでいたことから生じた場面設定であろう。
というのは、マルコではこの話に続いて、嵐を鎮め、湖の上を歩く奇跡伝承が編集されている。
ところが、ルカはその奇跡話を省いている。
多分マルコ4:35-41の<嵐を鎮める>話の別バージョンだと思ったのだろう。
マルコは、嵐を鎮める奇跡話の冒頭で、五千人の供食の場所から、弟子たちは舟に乗って、湖をわたってベツサイダへ行こうとした(6:45)、と述べている。
ルカは、話自体は丸ごと削除したのに、冒頭の状況設定だけを利用しようと考えたのだろう。
それで、<五千人の供食>の伝承も、「ベツサイダ」での出来事という設定にしようとしたことから出て来た「ベツサイダ」なのであろう。
そのおかげで、ルカにも矛盾が生じることになる。
マルコでは、<五千人の供食>は人里離れた湖畔の「寂しいところ」でなされたことになっている。
それに対しルカでは、「ベツサイダ」と呼ばれる「町」(poleOs<polis)、「都市」(NWT)で生じた<五千人の供食>である。
それのに、後半ではわたしたちは「寂しいところにいる」という設定にすり替わってしまっている。
そのおかげで、イエスと弟子たちと群衆は、ベツサイダの町(都市)の中にいるはずなのに、食料も調達できない、寂しいところであるという矛盾が生じてしまった。
これも、ルカがマルコを写すのではなく、部分的に採用し、ちぐはぐに繋ぎ合わせたことから来る矛盾。
田川訳のマルコ「派遣された者たち」(apostoloi)という原文のギリシャ語は、一般には「使徒」(apostlos)という尊称の複数形。
NWTは「使徒たち」と訳している。
和訳聖書の中で、「遣わされた者たち」と訳しているのは岩波訳だけ。
ほかはすべて「使徒たち」と訳されている。
共同訳 「使徒たち」
フランシスコ会訳 「使徒たち」
岩波訳 「遣わされた者たち」
新共同訳 「使徒たち」
前田訳 「使徒たち」
新改訳 「使徒たち」
塚本訳 「使徒たち」
口語訳 「使徒たち」
文語訳 「使徒たち」
ちなみに、ルカでも、マルコと同じapostoloiが使われており、こちらは「使徒たち」と訳されている。
なぜ、田川訳と岩波訳はマルコのapostoloiを「使徒たち」ではなく、「遣わされた者たち」と訳出したのか。
それに対し、NWTを含め、他の和訳聖書はなぜ「使徒たち」と訳出したのか。
マルコの時代以前から、この語はキリスト教会の創設期の指導者を指す尊称として用いられていた。
しかし、マルコでは、イエスによってapostlosたちが帰って来た、という場面で使われている。
apostolosという語は、尊称として用いられているのではなく、語源的な意味で用いられているのである。
つまり、「使徒」と称されるキリスト教会のお偉いさんが帰って来た、という意味ではなく、イエスによって「派遣された者たち」が派遣先から帰って来た、という趣旨で、apostoloiが帰って来た、と言っているのである。
マルコは、他の新約文書では尊称として用いられている「使徒」apostolos(複数形apostoloi)という語をこの個所でしか用いていない。
NWTをはじめ、多くの聖書は、マルコ3:14を「そして十二人を定め使徒と名付けられた」と「使徒」という尊称を付加しているものが多い。
共同訳 「そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。・・・」
フランシスコ会訳「このように、イエスは十二人を選び、使徒とお呼びになった。…」
岩波訳 「そして彼は十二人を立て[、その彼らを使者としても任命し]た。…」
新共同訳 「そこで十二人を任命し、使徒と名付けられた。…」
前田訳 「そこで十二人をお決めになった。…」
新改訳 「そこでイエスは十二弟子を任命された。…」
塚本訳 「そこで十二人(の弟子)をお決めになった。…」
口語訳 「そこで十二人をお立てになった。…」
文語訳 「ここに十二人を擧げたまふ。…」
教会主導の訳には「使徒」あるいは「弟子」という語を付加しており、原文の「定めた」を「任命した」「名付けた」「お決めになった」等、イエスから賜わった権威ある呼称として扱っている。
岩波訳が[ ]付きで「使徒」ではなく「使者」と原義の意味で採用しているが、この「使徒として任命した」という句は、マタイをマルコに逆輸入したもの。
前田訳、口語訳、文語訳、が採用している、「そして十二人を定めた」という読みの写本があることからも明らかであるが、正文批評からして、「使徒」という語は出て来ないのが原文。
つまりマルコは、この語を語源的な意味の当てはまる場合に限定して、例外的に用いているのである。
マルコの時代にも「使徒」という語は、キリスト教指導者の尊称として定着しており、敬意を込めて広く用いられていたのであるから、マルコのこの態度は意図的である。
マルコは「使徒」という語を尊称として使いたくないのである。
敬意を込めて「使徒」という言葉を発音したくないのである。
ペテロたち十二弟子たちに対して、何が「使徒」様だ、という気持ちがあったのであろう。
JWあるいは離れたクリスチャンで、WT「統治体」に対して、何が「統治体」だ、と感じる人と同じような気持ちをマルコは抱いていたのであろう。
この個所を「使徒」と訳している聖書には、「使徒」権威擁護を支持する組織信仰が無意識のうちに働いているのだろう。
マルコは、イエスが憐れんだ多くの群衆に対して、「羊飼いのいない羊の群のようだったからである」とその理由を述べている。
この「羊飼いのいない羊の群」という表現は旧約に多く出て来る。(民数記27:17、列王記上22:17、歴代下18:16、エゼキエル34:5他)
旧約では必ず「イスラエル民族」だけを指し、イスラエル民族にモーセのような指導者がいない状態を指して、適用されている。
しかし、マルコはイスラエル民族に限定せず、イエスのもとに集まって来た大勢の無名の民衆に対して適用している。
マタイは、「多くの群衆を見、彼らを憐れんだ」とあるだけで、「羊飼いのいない羊たち…」の句を削除した。
そのため、なぜ憐れんだのかわからなくなった。
そこでマタイは、彼らの中の病人を憐れんだことにした。
「病弱な者」(arrOstous)という語はマタイでは他では用いていない。
しかしながら、マルコ6:13「多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病弱な人を癒した」に登場する語と一致する。
マタイはマルコ6:13を自分の並行箇所では省略している。
それを埋め合わせるために、マルコの憐れみの要素をマタイは病気ゆえの憐れみに変え、「病弱な者」という語を用い、病人治癒の要素を付加させたのであろう。
この話において、マルコには病人治癒の要素はない。
それに対しルカは、マルコとは異なり、群衆に対する憐れみの要素はないが、供食の伝承の前に、治療を必要とする者たちを直した」とあり、マタイと同じく病気治癒の要素が登場する。
ただし、マタイとは異なり、マルコの言葉遣いである「病弱の者」という語は使われていない。
マルコには「彼らに多くのことを教えた」とあるだけなのに、ルカは「彼らに神の国について語った」という句を付加している。
マタイにも「神の国」あるいは「天の国」の要素は登場しない。
もしかしたら、マタイとルカが見たマルコ以外の「五千人の供食」の伝承には、どちらにもイエスが多くの群衆を見て憐れんだ、という句の後に病人治癒の要素が加わっていたのかもしれない。
それで、マタイはQ資料とマルコの両方を参照しつつ、マルコをベースに6:13の要素を採用し、ルカはQ資料をベースに「病気治癒」の要素をそのままに編集したのかもしれない。
ただし、「神の国について教えた」という句はルカによる付加であるのは確実。
Q資料に書かれていたのであれば、マタイにも「天の国」に対するイエスの言葉が付加されているはずである。
マタイが「神の国」を見逃すはずがない。
マルコにもマタイにも「神の国」の要素は登場せず、ルカだけに登場するのであるから、「神の国」に関する要素は、ルカによる加筆に決定。
ルカはイエスに「神の国」の説教をさせたいのであろう。
ルカにとってのイエスは、「神の国の説教者」であり、キリスト教を「神の国を宣べ伝えること」(ルカ4:43,8:1.9:2,使徒1:3)あるいは「神の国を待望する宗教理念」(ルカ9:2,9:60、16:16、23:51、使徒8:12,14:22,19:8,20:25,28:23.31)と考えているのである。
マルコ6
35そしてすでに多くの時が生じたので、彼のところに彼の弟子たちが進み出て、この場所は寂しく、すでに多くの時が生じている、と言った。36「彼らを解散して下さい。そうすれば、まわりの畑や村々に行って、何か食べるものを自分で買うでしょう」と。
マタイ14
15夕方になったので、弟子たちが進み出て、言った、「この場所は寂しく、すでに時は過ぎています。群衆を解散して下さい。そうすれば、村々に行って、自分で食べ物を買うでしょう」。
ルカ9
12だが日が傾きはじめた。十二人が進み出て、彼に言った、「群衆を解散して下さい。そうすれば、まわりの村々や農家に行って宿をとり、食料を調達するでしょう。ここでは私たちは寂しいところにいるのですから」。
マルコには、間接話法と直接話法が混在している。「この場所は寂しく、すでに多くの時が過ぎている」が間接話法。「彼らを解散させてください。…買うでしょう」までが直接話法。
マタイは、マルコにおける話法の混在を整え、「この場所は寂しく、…買うでしょう」までを直接話法に直してくれた。
マルコの「すでに多くの時が生じた」(EdE hOras pollEa genomenEs)とくり返している表現を、マタイは直接話法の中で「すでに時は過ぎている」(hE hOra EdE parElthen)に直してくれた。
多くの時が「生じた」(genomenEs)、とすると、春夏秋冬などのある特定の時が多く生じた、という趣旨にもなるので、一日のうちの「時」(hOras)が複数回「過ぎた」(parElthen)と正しく完了形動詞を使い、直してくれたのだろう。
マルコの「多くの時が生じた」という最初の表現を、マタイは「夕方になった」(opsias genomenEs)と書き変え、ルカが「日が傾き始めた」(he hEmera Erxato klinein)と書き直していることからも、「夕方」(opsios)の意味に解していたのは明らかである。
マタイはマルコの表現をなるべくそのままに残しながら、意味が素直に通る表現に書き直しているのに対し、ルカはマルコの稚拙な表現を格調高い表現に書き変えてくれていることが理解できる。
マルコの「彼ら」をマタイとルカは「群衆」としている。
マルコは、「群衆」という語を好意的に好んで用いるが、この話では6:34でしか用いていない。
それに対し、マタイはその並行箇所(14:14)だけでなく、ここ(14:15)でも、前節(14:13)でも、後節(14:19)でも二度、この話で合計5回、用いている。
ルカは、この話で「群衆」という語を3回用いているが、そのうちの二回がマタイと一致する。ルカ9:11とマタイ14:13 、ルカ9:12とマタイ14:15。
残りのルカ9:16とマタイ14:19でも、多少表現は異なるものの、「群衆」という語が用いられており、趣旨は同じ。
つまり、この話における「群衆」という語の用い方が、マタイとルカは一致しているが、マルコとは一致していない。
マルコにおける「群衆」に対してイエスは好意的である。
それに対し、ルカは「群衆」(ochlos)という語をイエスの真意を理解しない「烏合の衆」という趣旨で否定的に用いる。
次節でも、ルカは「まさか私たちがこのすべての民のために…」と集まっている民に対して弟子たちが否定的な感情を示している。
それにもかかわらず、反マルコであるルカが、イエスから祝福を受ける対象として、マタイとルカが一致して「群衆」という語を用いている。
もしかすると、マタイとルカはマルコとは異なるQ資料の供食伝承を参照しているのかもしれない。
マルコの「まわりの畑や村々」(tous kuklO agrous kai kOmas)という表現を、マタイは「村々」(tas kOmas)だけを残し、「まわりの畑」を削除した。
ルカはマルコの「畑」と「村々」を逆にして、「まわりの村々や農家」(tas kuklO kOmas kai tous agrous)とした。
田川訳マルコの「畑」とルカの「農家」はどちらも同じagrousという複数形のギリシャ語。
原義は「畑」だが、「農家」をも指す。
マルコの並行記事も本文の訳も「農家」に第三刷以降修正します(ルカ訳と註)、とあるが、マルコ、本文とも2018年7月時点では未修正。
マルコ6
37彼は答えて、彼らに言った、「あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさい」。そして彼に言う、「私たちが出かけて、二百デナリものパンを買ってきて、彼らに食べさせるのですか」。38彼は彼らに言う、「あなた方はパンをいくつ持っているか。行って、見てみなさい」。確かめて言う、「五つです。それに魚が二尾」。
マタイ14
16イエスは彼らに言った、「彼らが去る必要はない。あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさい」。17彼らは彼に言った、「私たちはここにはパンを五つと二尾の魚しか持っていません」。18彼は言った、「それをここに持って来なさい」。
ルカ9
13彼らに対して言った、「あなた方がみずから彼らに食べるものを与えなさい」。彼らは言った、「私たちにはパンが五つと魚が二尾しかありません。まさか私たちがこのすべての民のために食べ物を買いに出かけて行くなんぞというわけには」。
マルコでは、イエスと弟子たちとの間に信頼関係は薄く、むしろ対立関係にある。
それに対しマタイとルカは、イエスと弟子たちとの対立関係を薄めようとしていることが理解できる。
基本的にはマルコの筋を変えずに、イエスと弟子たちの間には信頼関係が存在していたようなシナリオに演出している。
イエスと弟子たちとの会話を拾い出してみる。
マルコ
弟子 「彼らを解散して下さい。そうすれば、まわりの畑や村々に行って、何か食べ
るものを自分で買うでしょう」
イエス 「あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさい」
弟子 「私たちが出かけて、二百デナリものパンを買ってきて、彼らに食べさせるの
ですか」
イエス 「あなた方はパンをいくつ持っているか。行って、見てみなさい」
弟子 「五つです。それに魚が二尾」
マタイ
弟子 「この場所は寂しく、すでに時は過ぎています。群衆を解散して下さい。そう
すれば、村々に行って、自分で食べ物を買うでしょう」
イエス 「彼らが去る必要はない。あなた方が自分で彼らに食べるものを与えなさ
い」
弟子 「私たちはここにはパンを五つと二尾の魚しか持っていません」
イエス 「それをここに持って来なさい」
ルカ
弟子 「群衆を解散して下さい。そうすれば、まわりの村々や農家に行って宿をと
り、食料を調達するでしょう。ここでは私たちは寂しいところにいるのです
から」
イエス 「あなた方がみずから彼らに食べるものを与えなさい」
弟子 「私たちにはパンが五つと魚が二尾しかありません。まさか私たちがこのすべ
ての民のために食べ物を買いに出かけて行くなんぞというわけには」
マルコでは、弟子たちは、「彼ら」(群衆)を解散させようとし、彼ら自身が食物を買えば良いと言う。
それに対してイエスは異議を唱え、群衆が食物を用意するのではなく、「弟子たち」が彼らのために食物を用意すべきだ、と指示する。
それに対する弟子たちの答えは、自分たちが群衆のために食物を用意する意思はなく、不当であると考えていることを明らかにする。
それでイエスは弟子たちに自分たちの中に食物があるかどうかを見て来るように調べさせる。
弟子たちの食物を持って来させた上で、僅かな食物から大勢の供食を備えるという奇跡をおこなう。
イエスが「弟子たち」に与えた「群衆」に食物を備えるようにと言う指示に対して、「弟子たち」は拒否反応を示したのである。
イエスの指示に対する「弟子たち」の言い訳から、「弟子たち」は「群衆」の食料を賄うためには二百デナリを必要とすることを理解していたのであり、その費用も有していたであろうことが露呈されてしまったのである。
しかし、「弟子たち」はその費用を負担する意志もなく、群衆を養う福祉的精神も無く、群衆を解散させた上で、群衆自身に食物を買わせようとさせたのである。
イエスが弟子たちの食料を見て来るように指示したところ、弟子たちは、自分たちの食物は隠すように確保してあることが明らかになってしまった。
「弟子たち」には、「群衆」のために自分たちの食物を分け与える気持など微塵もなかったのである。
そこで、イエスは彼らの食料を持って来させ、食物を「群衆」のために分配させたのである。
本来ならば、「弟子たち」が「群衆」のために食物を分配出来たはずなのに、イエスが代わって、「群衆」に分配することになったのである。
イエスが神に祝福を求めると、「弟子たち」が持っていた僅かな食料は、無尽蔵に湧き出て来て、「憐れな群衆」に行き渡るほどの食料を供給することが出来たのである。
「憐れな群衆」がすべて満ち足りただけではなく、「屑」も「余り」も有り余るほど集められたのである。
「弟子たち」は一体どれほどの「食物」を隠し持っていたのだろうか。
マルコにとって、「弟子」と称する集団は、イエスとは異なり、「群衆」を世話する意思はないのである。
有り余るほどの「食物」も資金も有していながら、隠しておき、イエスから指摘されると、僅かな「食料」しか持ち合わせていないかのように振舞うのである。
それにもかかわらず、いざ「群衆」に施す際には、自分たちの食料だけが神からの祝福を受けているかのように恩着せがましく分配し、イエスの代理者として権威主義的に振舞うのである。
マルコにとっては、「弟子たち」(エルサレムの原始キリスト教団)とは、十分な資金を教団に集めているにもかかわらず、「群衆」(困窮している信者や地域の人々)には博愛も食物を施す意思もないキリスト教集団に見えたのだろう。
エルサレム教団は、自らを「貧しい者」と称して、寄付を要求していた。(参照ローマ15:26)
文字通りの意味で貧困し窮乏している者という意味ではなく、WT的に言えば「霊的に貧しい者」という趣旨で、神からの祝福を享受できる存在、という趣旨で使っていた。(参照マタイ5:3)
自らは神から祝福を受けるべき「貧しい者」と称しながら、その日の食物に事欠くような文字通りに「貧しい者」からは搾取するだけで、巨額の資金を分配することも、彼らの福祉のために活用することもしない。
イエスなら、「群衆」を養うために行動したはずである。
それに対してイエスの代理を唱える「弟子たち」は…。(WTの統治体のようだw)
マルコとしては、五千人もの貧しい者たちを養っても、まだ有り余るほどの資産を有しているにもかかわらず、「弟子たち」にはイエスとは異なり、「群衆」を養う行動を起こすこともなければ、「群衆」の福祉を気遣う意志も、心も無いのだ、と言いたいのだろう。
ここでも、マルコは「弟子たち」に対しては極めて批判的であり、イエスの意志を継承している存在ではなく、むしろイエスに敵対する存在として描いているのである。
WTは、弟子たちは食料を持っていたのではなく、ヨハネの「少年が持っていた」とする記述を採用し、マルコに反して弟子たちが見つけた食料は弟子たちのものではなかったことを事実としている。
*** 塔87 9/1 17ページ イエスは奇跡によって大勢の人々を養われる ***
アンデレは,これほど多くの人たちに食事は出せないということを示すためかもしれませんが,「ここに,大麦のパン五つと小さな魚二匹を持っている小さな少年がいます」と申し出て,「でも,これほど大勢の中でこれが何になるでしょう」と付け加えます。
マルコではなく、ヨハネを事実として採用した意図は、エルサレム教団と同じであろう。
自らを「貧しい者」であるかのように演出し、信者から搾取するためであろう。
「弟子たち」の中に食料が見出されてしまうといろいろと隠蔽工作がばれてしまうので、都合が悪いのだろう。
マタイは、イエスの弟子たちに対する「あなた方が自分で彼らに食べる者を与えなさい」という指示の前に、「彼らが去る必要はない」というイエスの言葉を付加している。
その一方で、マルコの「わたしたちが出かけて、二百デナリ…」の句は削除している。
マルコにおけるイエスと弟子たちとの対立関係を緩和させ、弟子たちの群衆に対する優位性とイエスとの信頼関係を保たせたかったのだろう。
マルコでは、弟子たちがイエスに見て来るように言われて、初めて自分たちの中に食料があることに気が付く、という構図をマタイは逆にした。
マタイは、初めは弟子たちが食料を持っていないかのように振舞っていたのではなく、初めから自分たちには僅かな食料しかないことに気付いていたという構図に書き変えたのである。
自分たちが所有する僅かな食料でも群衆のために提供する意思も用意もあるということを演出したいのだろう。
ルカも同じである。
弟子たちは、初めから、自分たちには僅かな食料しか持ち合わせていない、という構図にしたのである。
しかしながら、ルカは、「まさか(mEti)私たちがこのすべての民のために食べ物を買いに出かけて行くなんぞというわけには」という言い方で、イエスの指示に不平不満の感情を示している。
この「まさか」(mEti)という間投詞は、相手に否定の答えを期待する言い方である。
ルカの気持ちを強調するのであれば、「イエス様、まさか、弟子である私たちに対して、こんな群衆のために、食べ物を備えるために出かけて行け、なんて本気で言っているわけではありませんよね…」という趣旨になるのだが…。
ルカのこの話の中では、「群衆」がイエスに「従って行った」存在であり、奇跡的な供食を受けた祝福された存在として表現したにもかかわらず、本音が吐露されてしまったのだろう。
とすれば、マルコと一致せず、マタイとルカが一致して「群衆」という語を用いている箇所は、Q資料に由来するのかもしれない。
NWTは「わたしたち自身が行ってこの民全部のために食料品を買ってくると言うなら別ですが」と弟子たちが謙虚な仕方でイエスの指示に従おうとしていたかのように訳している。
しかし原文の意図は逆である。
「イエス様よ。まさか、この民全部のために買いに行け、などと言うつもりではないよなぁ!」という気持ちを表わしている言葉である。
NWTは、ルカにおける、弟子たちの「群衆」蔑視を読者に悟られないように、という配慮をしてくれたのであろう。
マルコ6
39そして彼らに、みんな緑の草の上に組々に座るように、と命じた。40そして彼らは、百人ずつ五十人ずつ、野菜畑のように座った。41そして五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、祝福して、パンを割き、弟子たちに与え、彼らに配らせた。また二尾の魚もみんなに分けた。42そして皆が食べて、満腹した。43そして屑を十二の背負い籠いっぱいに集めた。また魚の余りも集めた。44食べた者は五千人であった。
マタイ14
19そして群衆に、草の上に座るようにと命じ、五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、祝福して、割き、弟子たちにパンを与え、弟子たちが群衆に与えた。20そして皆が食べて、満腹した。そして屑の余りを十二の背負い籠いっぱいに集めた。21食べた者は、女と子どもは別として、男がおよそ五千人ほどであった。
ルカ9
14すなわちおよそ五千人の人がいたのである。彼の弟子たちに対して言った、「およそ五十人ずつの群にして、座らせなさい」。15そして彼らはそのようになし、全員を座らせた。16彼は五つのパンと二尾の魚を取って、天をあおぎ、それらを祝福して、割き、弟子たちに与えて群衆に配らせた。17そして皆が食べて、満腹した。そして彼らにとっては多すぎたあまりの屑が十二の背負い籠に集められた。
マルコが「五千人」(田川訳)としているのを、NWTは「五千人の男たち」と訳している。
マタイの「男がおよそ五千人」(田川訳)をNWTは「約五千人の男たち」。
ルカの「およそ五千人の人」に対し、NWTは「約五千人もの男」。
田川訳に「男」が入っているのはマタイだけ。
NWTは、すべてに「男」が入っている。
田川訳に従うと、マルコとルカは総数で「五千人」の人々が供食にあずかったと読むが、マタイでは「男五千人+女子供」となり、マタイとマルコ・ルカの間に人数の差が生じる。
NWTに従うなら、マルコ、マタイ、ルカのすべてに「男」という語が入っているので、マタイの男五千人+女子供」とマルコ・ルカの間に人数の矛盾は生じない。
WTは、一万人以上を想定している。
*** 塔87 9/1 16ページ イエスは奇跡によって大勢の人々を養われる ***
なぜなら,そこには男が約5,000人,女や子供も数えるなら1万人よりずっと多い人々がいたかもしれないからです。
この「五千」という数字は、「男」だけの数字か、それとも「男+女+子」の数字か。
マルコの「五千人」の原文は、pentakischiloi andresで、「五千」「人」または「男」の語順。
マタイの「男がおよそ五千人」の原文は、andres hOsei pentakischiloiで、「人」または「男」「およそ」「五千」の語順。その後に、「女と子どもを別にして」という句が続いている。
ルカの「およそ五千人」の語順は、hOsei andres pentakischiloiで、「およそ」「人」または「男」「五千」の語順。
三人ともandresという語を用いている。
「人」または「男」(andros)の複数形である。
英語のman、複数形のmenに相当する語。
ギリシャ語のandrosは一般的な意味で「人」という意味でも、「成人男性」の意味でも使われるのは英語のmanと同じ。
複数形の場合もmenと同じ用法で使われる。
マタイの場合には、「女と子どもを別にして」(chOris gunaikOn kai paidiOn)とあるので、andresは、明確に「成人男性」の意味で使っていることが理解できる。
マルコとルカには、「女と子供を別に」というような内容を限定するような句は付いていない。
マルコ・ルカ共に、「数字」と「人」または「男」という語で成っている。
<四千人の供食>の話でも、マタイには「女と子どもを別にして」という句が付加されているから、「四千」「人」または「男」という語順のandresという語は、明確に「成人男性」を意味している。
一方、マルコにおける<四千人の供食>の「四千人」には、andresという語は付いていない。
単に数字だけで述べている。
原文は、hOs tetrakischiloiで、直訳は、「およそ四千」。
田川訳「およそ四千人であった」。
NWT「しかも、そこには約四千人いたのである」。
どちらも、「男」に限定しての「四千人」ではなく、総数で「四千人」であった、という解釈である。
NWTに従い、もし、マルコの<五千人の供食>のandresを「成人男性」の意味に読むのであれば、マルコは女子どもを無視して「男」だけを数えたことになる。
他方<四千人の供食>の方は、andresが付いていないので、全部の数が四千であるから、男女子どもを含めて総数で四千人であった、とマルコは数えていたことになる。
<五千人の供食>におけるマルコのandres=menを「人」ではなく「男」という意味に読むのであれば、同じ人間が、同じ話を記すのに、一方では「成人男性」の数だけを数え、他方では「女子ども」を含めた数を数えていたことになる。
同じような話を記録するのに異なる数え方で数を記述していることになる。
同じ著者が混乱を生じさせるような書き方をすることがあるのだろうか。
古代ギリシャ語、特にヘレニズム的ギリシャ語では、複数形の「男」(andres)は特に男女を区別せずに単に「人々」という意味に用いられた、そうである。
今日の英語でも複数形のmen が、「男」だけを意味するのではなく、男女を含む「人々」の意味にも用いられているのと同じである。
つまり、andresを「男」の意味に読むのは、前後関係からはっきりと「男」のみとわかる場合だけである。
マタイの場合は<五千人の供食>も<四千人の供食>も、「女と子どもを別にして」(chOris gunaikOn kai paidiOn)という句が付加されているので、andresを「男」の意味に読むのは当然である。
しかしながら、<五千人の供食>におけるマルコのandresには、五千という語があるだけで、「男」を意味すると特定できる付加語は付いていない。
男女子どもの別なく「人々」の数が「五千」であったと読むのが自然である。
ルカも同様である。
<五千人の供食>におけるルカのandresにも、五千という語があるだけで、「男」の意味に特定できる付加語は付いていない。
マルコと同じく、男女子どもの別なく「人々」の数が「五千」であったと読むものであろう。
<五千人の供食>におけるマルコとルカのandresを「男」の意味に読むのは、マタイとの整合性を図るための信仰の所産にほかならない。
「当時の男性中心的慣習で人数を数える時には男性のみを数える」などと説明するのも根拠のない詭弁に過ぎない。
確かにマタイは男性中心主義の女性蔑視の思想を持ち合わせている。
「女子どもを別にして」という句を付加しているし、婚姻関係に言及する個所でも男性形の動詞は能動で用いるのに女性形の動詞は受動でしか用いない等の男尊女卑思想の言葉遣いが随所に登場する。
マタイが男性のみを数に入れているからといって、ユダヤ人が数を数える時にはいつでも男性だけを数えていた、とする慣習など確認されていない。
マルコとルカの「五千人」を「男」の数、と解するのは、聖書不謬信仰に根ざしたものである。
聖書である福音書に書かれていることに矛盾はなく、マルコもマタイもルカも同じことを言っているはずだ、という信仰を前提とした解釈である。
主な和訳を載せておく。
マルコ6:44
共同訳 「パンを食べた人は、五千人であった」
フランシスコ会訳 「パンを食べた人は男五千人であった」
岩波訳 「こうして、[パンを]食べた者は、男五千人であった」
新共同訳 「パンを食べた人は男が五千人であった」。
前田訳 「パンを食べたものは男五千人であった」
新改訳 「パンを食べたのは、男が五千人であった」
塚本訳 「パンを食べた者は、男五千人であった」
口語訳 「パンを食べた者は男五千人であった」
文語訳 「パンを食ひたる男は五千人なりき」
ルカ9:14
共同訳 「というのは、五千人ほどの人がいたからである」
フランシスコ会訳 「そこには、およそ五千人の男がいたからである」
岩波訳 「なぜなら、男五千人ほどの人がいたからである」
新共同訳 「というのは、男が五千人ほどいたからである」。
前田訳 「男五千人ほどいたからである」
新改訳 「それは、男が五千人ばかりもいたからである」
塚本訳 「男五千人ばかりもいたからである」
口語訳 「というのは、男が五千人ばかりもいたからである」
文語訳 「男おほよそ五千人ゐたればなり」
NWTだけではなく、共同訳以外には、すべて「男」という語が入っている。
「男」が入っている訳は、マタイをマルコやルカに読み込んだもので、「聖書霊感説」あるいは「聖書無謬説」支持している聖書である。
あるいは、マタイの精神を受け継いでいる男尊女卑好みの聖書なのであろう。