マルコ6:14-29 <洗礼者ヨハネの死> 並行マタイ14:1-12、ルカ9:7-9、参照ルカ3:19-20
マルコ6:14-29 (田川訳)
14そしてヘロデ王が聞いた。彼の名前が有名になったからである。そして、洗礼者ヨハネが死人のうちから甦ったのであって、だから力がこの者のうちに働くのだ、と言った。15他の者は、エリヤなのだ、と言ったり、またほかの者は、預言者の一人のような預言者だ、と言った。16ヘロデは聞いて、自分が首を切ったあのヨハネが甦ったのだ、と言った。
17というのは、まさにこのヘロデが、自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディアの件に関して、自分が彼女と結婚したことについて、人をつかわしてヨハネを逮捕し、獄で縛っておいたのである。18ヨハネがヘロデに対して、自分の兄弟の妻を取るのは許されない、と言ったからである。19ヘロディアはヨハネに対して意趣を含んで、殺そうと欲したが、できなかった。20ヘロデの方がヨハネが正しくかつ聖なる人だと知って,恐れたからである。そして彼を監禁し、そして彼の話を聞いては、ひどく当惑していた。そして喜んで彼の話を聞いた。
21そして、よい機会の日が来た。ヘロデが自分の誕生日に、自分の高官や、千卒長や、またガリラヤの有力者たちを招いて、宴会を催したのである。22そして彼の娘のヘロディアがはいってきて、踊りをおどり、ヘロデや列席者たちを喜ばせた。王は少女に言った、「何か欲しいものがあれば頼んでごらん、お前に挙げるから」。23そして多く誓った、お前が頼むのなら、私の王国の半分でもあげよう」と。24そして娘は出て行って、母親に、「何をお願いしようかしら」と言った。母親は言った、「洗礼者ヨハネの首を」。25そして娘は入ってきて、すぐに急いで王のもとに行き、頼んで言った、「この場で洗礼者ヨハネの首をお盆にのせてくださいますように」。26王は困惑したが、誓ったことだし、列席者の手前もあって、彼女をこばむわけにもいかなかった。27そしてすぐに、王は衛兵をつかわし、ヨハネの首を持ってくるように、と命じた。そして出て行って、獄にてヨハネの首をはね、28そしてその首を盆の上にのせて持って来て、少女に与えた。そして少女はその首を母親に与えた。29そしてヨハネの弟子たちがこれを聞いて、行ってヨハネの死体を引き取り、墓に納めた。
マタイ14:1-12
1その頃、四分領主のヘロデがイエスの噂を聞いた。2そして自分の召使たちに言った、「それは洗礼者ヨハネだ。彼が死人たちのところから甦ったのだ。その故に、力がこの者のうちに働くのだ」。3というのもヘロデは、自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディアの件に関して、ヨハネを逮捕し、縛って、投獄したのである。4ヨハネが彼に、彼女を取るのは許されない、と言ったからである。5そして彼を殺そうと欲したが、群衆を恐れた。群衆は彼が預言者だと思っていたからである。6ヘロデの誕生日になって、ヘロディアの娘が真ん中で踊り、ヘロデを喜ばせた。7そこで彼は、彼女が頼むものをあげようと、誓って公言した。8彼女は母親にそそのかされて、言う、「この場で洗礼者ヨハネの首をお盆にのせて下さい」。9王は誓いと列座の者たちの手前困惑したが、その首が与えられるようにと命令した。10そして人を送って、獄にてヨハネの首をはねた。11そして首が盆にのせて持ってこられ、少女に与えられた。少女は母親のところに持って行った。12そしてヨハネの弟子たちが進み出て、死体を引き取って埋葬した。そしてイエスのもとに来て、報告した。
ルカ9:7-9
7四分領主のヘロデは起こったことをすべて聞いた。そして、ヨハネが死人の中から甦ったのだと言っている者、8あるいはエリヤが現れたのだと言っている者などが居り、あるいはほかの者が、昔の預言者の中の誰かが復活したのだ、と言ったりしているので、7困惑した。9ヘロデは言った、「ヨハネなら自分がすでに首を切った。今こういった噂が聞こえてくる者はいったい誰なのだ」。そして彼を見てみようとした。
参照ルカ3:19-20
19四分領主のヘロデは兄弟の妻ヘロディアのことについて、また自分がなしたあらゆる悪事について、ヨハネによって糾弾されていた。20そしてすべての悪事に更にこのことを加え、ヨハネを獄に閉じこめた。
マルコ6:14-29 (NWT)
14 さて,このことがヘロデ王の耳に達した。[イエス]の名が公になり,人々は,「バプテスマを施す人ヨハネが死人の中からよみがえらされた。だから強力な業が彼のうちに働いているのだ」と言っていたからである。15 しかしほかの者たちは,「あれはエリヤだ」と言い,さらにほかの者たちは,「預言者たちの一人のような預言者だ」と言うのであった。16 しかしヘロデは,それを聞いて,「わたしが打ち首にしたあのヨハネがよみがえらされたのだ」と言いだした。17 というのは,ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロデアに関することで,自ら人をやってヨハネを捕縛し,獄につないだからであった。それは,[ヘロデ]がその女と結婚していたからである。18 ヨハネは,「あなたが自分の兄弟の妻を有しているのは正しくありません」と,繰り返しヘロデに言っていたのである。19 一方ヘロデアは彼に恨みを抱き,殺してしまいたいと思っていたが,それができなかった。20 ヘロデが,ヨハネは義にかなった聖なる人であることを知っていて,彼を恐れていたためである。そして[ヘロデ]は彼を安全に守っておいた。また,彼[の語ること]を聞いてからは,どうしたものかと大いに惑ったが,それでもなお彼[の語ること]を喜んで聞いていた。
21 ところが,都合の良い日がやって来た。ヘロデが自分の誕生日に,自分に属する高官,軍司令官,ガリラヤの主立った人々などのために晩さんを設けた時のことである。22 そこへ,ほかならぬヘロデアの娘が入って来て踊りを見せ,ヘロデおよび共に横になっていた者たちを喜ばせた。王はその乙女に,「何でも自分の欲しいものを求めなさい。お前にそれを上げよう」と言った。23 しかも彼は,「お前の求めるものが何であれ,わたしの王国の半分まででも,お前に上げよう」と誓ったのである。24 すると彼女は出て行って,自分の母に言った,「わたしは何を求めたらいいでしょうか」。母は,「バプテスマを施す者ヨハネの首を」と言った。25 [娘]はすぐ,急いで入って王のもとに行き,「バプテストのヨハネの首を大皿に載せて今すぐわたしにお与えくださいますように」と,自分の願いを申し出た。26 王は深く憂えたが,[自分の]誓い,および食卓について横になっている者たちのことを考えて,彼女を無視してしまおうとは思わなかった。27 それで,王はすぐに護衛兵ひとりを派遣し,[ヨハネ]の首を持って来るようにと命令した。そこで彼は行って,獄の中で[ヨハネ]を打ち首にし,28 その首を大皿に載せて持って来た。そして,それを乙女に与え,乙女はそれを自分の母に渡した。29 [ヨハネ]の弟子たちはこれについて聞くと,やって来てその遺体を引き取り,記念の墓の中に横たえたのである。
マタイ14:1-12
14 ちょうどそのころ,地域支配者ヘロデはイエスの評判を聞き,2 自分の僕たちに,「これはバプテストのヨハネだ。死人の中からよみがえらされたのだ。だから,強力な業が彼のうちに働いているのだ」と言った。3 というのは,ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロデアのことでヨハネを捕らえて縛り,獄に入れたからであった。4 それはヨハネが,「あなたが彼女を有しているのは正しくない」と彼に言っていたためであった。5 [ヘロデ]は,彼を殺してしまいたいと思いながらも,群衆を恐れた。人々は彼を預言者とみなしていたからであった。6 ところが,ヘロデの誕生日が祝われていた時,ヘロデアの娘がその席で踊りを見せてヘロデをたいそう喜ばせた。7 それで彼は,何でも彼女の求めるものを与えると誓って約束した。8 そこで彼女は,母の指図のもとに,「バプテストのヨハネの首を大皿に載せて,ここでわたしにお与えください」と言った。9 王は憂えたが,自分の誓い,および一緒に横になっている者たちの手前もあって,それを与えるようにと命令した。10 そして,人をやって,獄の中でヨハネの首を切らせた。11 それから,彼の首は大皿に載せて運び込まれ,その乙女に与えられた。彼女はそれを自分の母のところに持って行った。12 最後に,[ヨハネ]の弟子たちがやって来て遺体を移し,彼を葬った。それから,イエスのところに来て報告した。
ルカ9:7-9
7 さて,地域支配者ヘロデはこうして起きている事柄すべてについて聞き,非常に困惑していた。というのは,ヨハネが死人の中からよみがえらされたのだと,ある者が言い,8 ほかの者は,エリヤが現われた,またさらにほかの者は,古代の預言者のある者がよみがえったのだなどと[言っ]ていたからである。9 ヘロデはこう言った。「ヨハネはわたしが打ち首にした。そうすると,わたしがこうしたことについて聞くこの人はだれなのだろうか」。こうして[ヘロデ]は彼に会ってみたいと考えていた。
参照ルカ3:19-20
19 しかし地域支配者のヘロデは,自分の兄弟の妻ヘロデアに関し,またヘロデが行なったすべての邪悪な行為に関して彼に戒められたため,20 そうした[行為]すべてに加えてさらにこのことを行なった。すなわち,ヨハネを獄に閉じ込めたのである。
絵画や戯曲で有名な悪女「サロメ」の元となった伝承。
四分領主フィリポスガ死去が後34年、ヘロデ・アンティパスの失脚が後39年のことであるから、洗礼者ヨハネの捕縛、監禁と殺害はそれ以前の話。
アンティパスはアグリッパの陰謀に加担した皇帝カリグラによって追放され、妻のヘロディアと共にガリア地方、現在のフランスのリヨンの近くに追放された。
フィリポスの死の直前とは考え難いので、おそらく遅くても30年前後の話を伝承化したものであろう。
この伝承には二つの事実誤認がある。
一つは舞台となった場所の設定。
共観福音書間でも互いに異なる記述があるが、聖書伝承と歴史的資料(ヨセフス「古代史」)との間にも異なる記載がある。
この話のマルコの舞台は、アンティパスの宮殿であり、洗礼者ヨハネの拘禁場所も宮殿のすぐ近くという設定である。
しかし、ヨセフス「ユダヤ古代史」18・118‐119」によると、洗礼者ヨハネが拘禁されていたのはマカイロス(Machairos)という町にあった要塞の牢獄であったと記されている。
死海東岸に位置する岩山の上にある要塞である。
一方、アンティパスの宮廷はガリラヤ湖南岸に位置するティベリウスの町にあった。
洗礼者ヨハネの拘禁場所からアンティパスの宮殿までの距離は、直線距離にして約100キロ以上離れている。
宴会の最中に首をはねて持って来いと言ったら、すぐに持って来た、ということは不可能な話である。
もう一つは、アンティパスがフィリポスの妻と姦淫結婚していたとしている点。
洗礼者ヨハネは「自分の兄弟の妻を取るのは許されない」とアンティパスを批判しており、マルコでは、アンティパスの妻であるヘロディアが以前は異母兄弟フィリポスと結婚していた、とされている。
しかし四分領主フィリポスと結婚していたのはヘロディアの娘であり、ヘロディア自身ではない。
ヘロディアがアンティパスと結婚する前に結婚していた夫は、大祭司の娘であるマリアンメの息子であるヘロデである。
ヘロディアはフィリポスとは結婚していない。
マルコあるいはこの伝承を広めた人間の事実誤認。
四分領主のフィリポはヘロディアの娘と結婚したのであり、ヘロディアと結婚していたという事実はない。
要するに、マルコあるいはこの話を伝承化した人が、フィリポとヘロディアの前夫のヘロデと取り違えたのである。
ヘロデ家の家系図は一夫多妻制の上、近親婚も多く、非常に複雑である。
おまけに同姓同名も多く、誰が誰やらこんがらがってくる。
ヘロデ大王には、五人の妻がおり、そのうちの二人はマリアンメという同じ名前である。
それぞれの妻との間には知られているだけで九人の子供がおり、一説には十五人の子供がいたと言われている。
その息子たちはすべてヘロデ・○○と名づけられていた。
アンティパスはヘロデ大王と妻マルタケとの間に生まれた子供である。
アンティパスの妻であるヘロディアはヘロデ大王とマリアンメ(ヒルカノス二世の孫娘)との間に生まれたアリストブロスの娘である。
アンティパスとヘロディアとは叔父と姪という関係にある。
そのヘロディアはアンティパスと結婚する以前に別のヘロデと結婚していたが、そのヘロデもヘロデ大王ともう一人のマリアンメという名の大祭司の娘との子供である。
こちらもヘロディアとは叔父と姪の関係にある。
つまりヘロディアは一人の叔父と結婚し、他の叔父と再婚した、ということになる。
さらにマルコで洗礼者ヨハネが批判の対象としたアンティパスも四分領主のフィリポスも異母弟である。
フィリポスは、ヘロデ大王とクレオパトラの子供であり、こちらもヘロディアからすれば、叔父と姪の関係になる。
このフィリポスとヘロディアの娘(サロメ)が結婚した。
つまり、へディアの娘(サロメ)は、自分の父の弟(叔父)で、かつ母の叔父である人間と結婚したことになる。
くり返すが、マルコは、四分領主フィリポスの妻とアンティパスが再婚したとしているが、アンティパスはフィリポスの妻とは再婚してない。
フィリポスガ結婚したのは、ヘロディアではなく、ヘロディアの娘である。
洗礼者ヨハネが批判したのは、フィリポスの妻との再婚ではなく、アンティパスとヘロディアの再婚のことである。アンティパスもヘロディアも二人とも再婚である。
今的に言えば、W不倫の末の再婚である。
JW的には、姦淫結婚ということになるのだろう。
結婚を現代の一夫一婦制の倫理観を前提に、福音書の記述を文字通りに信用するとヘロディアは希代の悪女、好色で物欲の塊、悪意に満ちた我儘な女という評価になりそうであるが、実際にはそうではないらしい。
ガリラヤ地方の領主であったアンティパスは、アラビアの王女アレタスの娘を妻としていた。
王家や貴族などの富裕層には良くある政略結婚である。
アンティパスにしてもその妻であるアレタスの娘にしても、愛情によって結ばれた結婚ではなく、互いの国益のための政治的意図を持った婚姻関係である。
アンティパスがアレタスの娘に心を許すことは、アラビアの征服を招くことに繋がる。
アレタスの娘にしても、実家のアラビア王家のために謀ることはあっても、アンティパスのために利することには無関心であったことだろう。
アンティパスはこのアレタスの娘と離婚してヘロディアと再婚するのであるが、彼女はこの事を口実にアラビア王の元に逃げ帰っている。
傷心のために帰国ではない。
用意周到に逃げ道にアラビア兵を配置して安全を確保しており、計画的逃亡である。
これをきっかけにアレタスとアンティパスの間には武力衝突が始まる。
宣戦布告のための口実としたのである。
ヘロディア自身の境遇は初めから悲劇的な立場に立たされていた。
祖母のマリアンメはイスラエル王朝の滅亡を招いた君主の孫娘であり、祖父のヘロデ大王に殺されている。
ヘロデ大王は自分で妻の祖父を殺しておきながら、妻マリアンメを溺愛していたようである。
しかし、そのマリアンメもヘロデ大王の嫉妬によって殺されてしまった。
その二十年後、ヘロディアの父親のアリストブロスも異母兄アンティパトロスの陰謀により、裏切りを疑われ、祖父のヘロデ王に殺されている。
その時、ヘロディアはまだ幼かったはずである。
自分の祖母と父を殺した祖父と父を殺した祖父や叔父たちの中で育てられたのである。
若くして、叔父の一人と結婚させられていた。
ヘロディアの母親ベレニケは自分の血縁家族を殺したヘロデ大王の姪である。
そんな中でアンティパスと知り合って結婚した。
伝えられた話では、アンティパスの方から誘惑したことになっている。
ローマの仕事が終わって帰って来たら結婚しよう、打ち合わせた、と伝えられている。(ヨセフス「古代史」)
その機会を狙って、アンティパスの妻であるアラビア王アレタスの娘は、アンティパスの領土の一部を簒奪しようと計画し、逃げ道を確保し、武装準備しながらアラビアに帰るのである。
それを洗礼者ヨハネがアンティパスの男女関係だけを焦点にして、「自分の兄弟の妻を取るのは許されない」とユダヤ教の教条主義を建前に批判した、というのが実情のようである。
支配階級のゴシップ記事のようなものである。
イギリス王室のゴシップ好きのパパラッチが娯楽のように脚色しながらまことしやかに噂する類の伝聞記事であろう。
しかしながら、洗礼者ヨハネ教団の性格がよく知れる。
確かに他人の男の妻を横取りするのは、ユダヤ教律法からしても厳しく禁じられている。
アンティパスとヘロディアの行為は、確かに褒められたことではないだろう。
しかしながら、複雑な家庭環境に育った支配者層の色恋の話であり、自己責任でお好きにどうぞ、という類の話であろう。
しかしながら、洗礼者ヨハネは、支配階級のW不倫を厳しく糾弾し、逮捕、監禁された、という。
井戸端会議や飲み屋での酒の肴の話であるなら、鞭打ちぐらいはされることがあったとしても、逮捕・監禁され、殺されるということはなかったであろう。
しかし、洗礼者ヨハネは、厳格なユダヤ教律法主義者であり、パリサイ人以上に道徳倫理観には厳しい。
しかも、ユダヤ教的終末思想と悔い改めを公に呼びかけていた。
衆目を集める人気集団の指導者のようなものである。
ヘロデ・アンティパスは、ユダヤ人たちが続々とヨハネから洗礼を受けているという実情を知っていたのであろう。
ヨハネが影響力の強い人間であったからこそ、自分に対する批判を黙認しておくことはできなかったのだろう。
「他の者たちも、ヨハネの言葉を聞いて非常に感動してこれに加わってきたので、ヨハネのこのような説得力が人々をして何かの暴動に至らしめるのではないかと恐れた。……それで、事態が変化して暴動的な状況になってから後悔するよりは、彼の活動から革新的な運動が生じる以前にこれに介入して滅ぼそうとしておいた方がよい、と思えたのである」(ヨセフス「古代史」18・118―119」)
飛んで火に入る夏の虫である。
おそらく、アンティパスが手ぐすね引いて待ちかまえているところに、持ち前の正義感から、厳格な律法主義の倫理観を振りかざし、おそらく弟子たちを引き連れて宮殿にでも乗り込んで行ったのであろう。
(知らんけど)
そこで逮捕され、死海の東岸にある要塞に監禁されたのであろう。
ルカは、ヨハネの逮捕、監禁をイエスの宣教開始以前に設定しているが、おそらくヨハネは逮捕、監禁後、ほどなくして処刑されたものと思われる。
マルコに従えば、洗礼者ヨハネは逮捕後、良い機会の日が来るまで監禁されていたことになるが、ヨハネの糾弾が再婚直後だとしても、ヘロディアの娘が少女になる期間が過ぎていたことになる。
その機会が訪れたヘロデの誕生日に娘の踊りに気を良くした王様が、嫁の差し金で娘にヨハネの首を褒美として切らせて、盆にのせて持って来させた、というのはエログロ好きなアングラ小説的創作であろう。
ヘロディアの娘が「少女」であったとされているが、実際にはヘロディアの娘サロメは四分領主フィリポスと結婚していたのであるから、「少女」であるはずがない。
ヘロディアにしても、希代の悪女というのではなく、アンティパスが失脚した時に、一緒にガリア地方の追放の地へ向かっていった、という。(ヨセフス「古代史」18・254)
カリグラと手を結び陰謀によってアンティパスを追い落としたアグリッパは、ヘロディアの実の兄である。
カリグラは彼女に夫(アンティパス)と縁を切って兄(アグリッパ)の庇護の元に今までと同じく多くの農地を領有して生きていくがよい、と勧めたという。
つまり、ヘロディアはアンティパスから多くの領地を分けてもらい、私有していたということになる。
マルコではアンティパスがヘロディアの娘に言った言葉となっているが、「お前が頼むのなら、わたしの王国の半分でもあげよう」と言うほどアンティパスがヘロディアを愛していたのは確かなことだったのだろう。
皇帝のその提案に対してヘロディアは、「夫が幸運な時にはそれにあずかって来たのに、今や不幸な運命が襲いかかって来たからといって、夫を捨てるのは正しくありませんでしょう」と答えた、という。(ヨセフス「古代史」18・254)
ヨセフスの記述からは、ヘロディアが淫乱で軽佻浮薄な放蕩の悪女、というイメージはない。
むしろ、すべてを捨てても夫を支え、恋に生きる純情な淑女のイメージである。
おそらくヘロディアにとってアンティパスとの結婚は、生涯ただ一度の自分の意思で行動し、勝ち得た恋愛だったのであろう。
それゆえに、物質的な豊かさや生活の安寧を捨ててまで、夫と共に追放の地で暮らす選択をしたのだろう。
マタイもマルコと同じく、フィリポスとヘロディアが結婚していたものとして「自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディアの件に関して」とマルコの間違いをそのまま写している。
しかし、マタイはマルコの「彼の娘のヘロディア」(田川訳)に関しては、「ヘロディアの娘」としている。
NWTはマルコを「ほかならぬヘロディアの娘」、マタイを「ヘロディアの娘」と訳している。
「彼の娘のヘロディア」(tEs thugatros autou hErOdiados)の読みは、B、シナイ、D、L、Δ他、ネストレ27版が採用。
「彼の」が入ると、アンティパスと前妻であるアラビア王の娘との間に生まれた子であり、再婚の際の連れ子であり、かつ後妻のヘロディアと同じ名前であったことになる。
アンティパスと後妻のヘロディアとの間の娘という可能性もあるが、フィリポスと結婚したヘロディアの娘(サロメ)とは別に、もう一人ヘロディアという母と同じ名前の娘がいたことになる。
アンティパスとヘロディアの間にヘロディアという名前の娘がいたとする記録はない。
「ヘロディア自身の娘」(tEs thugatros autEs hErOdiados)とする読みが、A、C、Θ、f13、ビザンチン系の多数、ネストレ25版が採用。
「彼女の」という女性形代名詞の読みを取ると、ヘロディアと前夫との間の娘ということになり、自分自身と同じ名前の連れ子がいたことになる。
しかしながら、「娘」の定冠詞が女性形であり、次に男性形属格代名詞が付くと、「娘」にかかる形容句となるが、女性形属格代名詞が付くと「ヘロディア」にかかる形容句と解することが可能になる。
つまり、「彼女の娘のヘロディア」ではなく、「ヘロディア自身の娘」と読ませることが可能になる。
最初に女性形定冠詞(tEs)が付いている「娘」とあるので、「ヘロディアの娘」の意味に読ませたいのであれば、続く「彼女の」(autEs)は不要の代名詞であり、無駄な強調ということになる。
おそらく「彼女自身の娘ヘロディア」の読みは、マタイの「ヘロディアの娘」の読みに合わせて、代名詞を「男性形」から「女性形」に変えたのであろう。
マタイの「ヘロディアの娘」(tEs thugtros hErOdiados)は、D写本を除いて、重要大文字写本が一致している。
マルコから、男性形属格代名詞「彼の」(autou)、あるいは女性形属格代名詞「彼女の」(autEs)という語を省いた文となっている。
D写本だけが、マルコに合わせて「彼の娘のヘロディア」。
ヘロディアにはフィリポスと結婚した娘(サロメ)がいるので、事実関係としては、マタイが正しい。
しかしながら、マタイの方がマルコよりヘロデ家の内情に詳しかった、というのではない。
そうであるなら、「自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディア」というマルコの間違いをそのまま写すことはなかったはずだからである。
おそらく、マタイは、マルコの「彼の娘のヘロディア」と読むと、アンティパスとヘロディアの子供ではなく、ヘロディアがアンティパスの前妻の子供であり、アンティパスの連れ子だった、と読むことになる。
ヘロディアと娘とは協働してアンティパスを謀ろうとしていたのだから、アンティパスとヘロディアの実の娘であると考えて、「彼の」を削除したのだろう。
マルコにも「ヘロディア自身の娘」の「自身」(autEs)を除いた「ヘロディアの娘」(tEs thugtros hErOdiados)とする読みもあるが、f1および古ラテン語訳写本の後代の極一部であり、大文字写本には存在しない。
マルコにマタイを持ち込んで、福音書間の相違を消そうとしたことは明らかであり、エイレナイオス以降の聖書霊感説信仰を補完するための改竄であろう。
NWTの「ほかならぬヘロディアの娘」という和訳は、NWT英訳の「the daughter of this very Herodias」を訳したものであるが、ギリシャ語底本としたKIに基づく訳ではない。
底本のKIのギリシャ語は、tEs thugatros autou hErOdiadosであり、of-the daughter of-him Herodiasを字義訳にあてている。
KIは「彼の娘のヘロディア」という読みを採用しているのである。
「ヘロディア自身の娘」の読みは、原文の男性形代名詞autou(彼の)ではなく、女性形のautEs(彼女の)という読みを採用した上で、「ヘロディア」にかけて読み、再帰代名詞的に強意と解したもの。
NWTの「ほかならぬヘロディアの娘」という訳が、「ヘロディア自身の娘」の読みを採用し、強意の意味に解した、というなら、ネストレ旧版の読みを採用したという理解もできるが、そうではない。
KIでははっきりと「彼の」とあるものを、女性形代名詞を用いずに「彼女の」という意味に読ませるためにof this veryと原文の代名詞の性を隠し、強意の意味で「ほかならぬ」と「訳」したのである。
原文の男性形代名詞を女性であるヘロディアに合わせて女性形代名詞であるかのように性転換させたのである。
もはや、原文に忠実な「訳」でもなく、原文を無視した「改竄」の部類であろう。
lectio diffiliciorの原則からしても、マルコの原文は「彼の娘のヘロディア」の読みだったのだろう。
驚くことに、NWTは銀色の2019年版では、マルコ6:22の「ほかならぬ」も削除し、マタイ14:6と全く同じく、どちらも「ヘロデアの娘」としている。
意図は明らかである。
マタイに合わせてマルコを改訳し、整合性を取ることにより、聖書簡の矛盾を悟らせないように、謀ったのであろう。
原文無視もはなはだしい暴挙。
聖書の正しい理解を求めているのではなく、組織が提供する聖書に対する聖書霊感信仰を強化するための削除、改訳、改竄である。
WT組織の責任者ならびにWT組織信仰のJW信者とNWT信奉者は、神の言葉と教える聖書の巻末の言葉をどう読むのであろうか。
「この巻物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば、神はこの巻物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。またこの預言の巻物の言葉から何かを取り去る者がいれば、神は、命の木から、また聖なる都市の中から、すなわち、この巻物に書かれている者から彼の分を取り去られるであろう。」(NWT啓示22:18-19)
WTは神やイエスを無視し、キリストよりも組織をキリスト化する統治体崇拝偶像集団である。
神やイエスよりも組織を高める無視ン論信者のキリステ教徒にとっては、聖書も組織崇拝に利用できるアイテムぐらいの位置付けなのでしょう。
組織崇拝者のJW様にとっては、「はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ、…頭の出来が違うので問題はナシ!」(by Ado)
…ということなのでしょう。
閑話休題。
マルコでは、洗礼者ヨハネの逮捕がいつであったのか、はっきりしないが、ルカでは、洗礼者ヨハネの逮捕が、ルカ3:19-20に記されており、イエスの宣教開始前の出来事であるとしている。
マタイはマルコの構図をそのまま展開させていることからすると、ヨハネの逮捕をイエスの宣教前に移動させたのはルカの編集であろう。
ルカとしては、ヨハネについてはイエスの活動が始まる前に終わらせておき、洗礼者ヨハネをキリストであるイエスの先駆者として位置付けるキリスト教の構図に適合させようとの意図があったのだろう。
マルコは、6:14-15イエスを洗礼者ヨハネあるいはエリヤの復活、もしくは預言者の一人とするイエスに関する人々の噂に対するヘロデ王の文言を導入句として、回顧的に誕生日でヨハネの首をはねるエピソードを伝承として、一つの物語に仕立てている。
ヘロデは、イエスが「ヨハネの甦り」と結論づけるが、17節の「というのは」(gar)という理由を導く接続詞とのつながりがいささか良くない。
ヨハネの死の前に、ヨハネの死後の噂が登場するからである。
16-17はマルコの繋ぎの編集句であり、このつながりの悪さは、二つの伝承を合成したことから来るものであろう。
14-15のイエスの正体に関する噂は、ペテロ告白と同じ要素で構成されている。
マルコ8:27-31でイエスが弟子たちに「人々は私が何者であると言っているか」という質問に対して、「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人」と答えるが、ペテロが「キリスト」と答える。
しかし、イエスは誰にも言うな、とペテロを叱る、という伝承と同じ要素が使われている。
キリストに関して、終末に再臨すると信じられていたエリヤとする説、終末に登場する預言者とする説、洗礼者ヨハネの再来とする説、などがマルコ以前から流布していたということであろう。
マルコは、一方ではヘロデの行為を説明するのに、このイエスに関する噂の要素を用い、他方ではペテロを中心とする弟子たちの行為を説明しているのに同じイエスに関する噂の要素を用いているのである。
ヘロデのイエスを「洗礼者ヨハネの再来」とする結論は、否定的に扱われている。
ペテロのイエスを「キリスト」とする結論には、「叱りつけ」、緘口令を布いている。
マルコのイエスは、ヘロデのイエス観に関しても、ペテロのイエス観に関しても、どちらも否定的に扱われているのである。
マルコにとっては、ヘロデ的集団もペテロたち弟子集団も同類項であり、本当のイエスとはお門違いのものだから、黙っていろ、と言いたいのだろう。
重複になる説明もあるが、上記以外の要素を列記しておく。
マルコ 14そしてヘロデ王が聞いた。彼の名前が有名になったからである。そして、洗礼者ヨハネが死人のうちから甦ったのであって、だから力がこの者のうちに働くのだ、と言った。15他の者は、エリヤなのだ、と言ったり、またほかの者は、預言者の一人のような預言者だ、と言った。16ヘロデは聞いて、自分が首を切ったあのヨハネが甦ったのだ、と言った。
マタイ 1その頃、四分領主のヘロデがイエスの噂を聞いた。2そして自分の召使たちに言った、「それは洗礼者ヨハネだ。彼が死人たちのところから甦ったのだ。その故に、力がこの者のうちに働くのだ」。
ルカ 7四分領主のヘロデは起こったことをすべて聞いた。そして、ヨハネが死人の中から甦ったのだと言っている者、8あるいはエリヤが現れたのだと言っている者などが居り、あるいはほかの者が、昔の預言者の中の誰かが復活したのだ、と言ったりしているので、7困惑した。9ヘロデは言った、「ヨハネなら自分がすでに首を切った。今こういった噂が聞こえてくる者はいったい誰なのだ」。そして彼を見てみようとした。
マルコは「ヘロデ」に対し「王」(basileus)という称号を付しているが、マタイとルカは「四分領主」(terarchEs)という称号を付している。
このヘロデは、ヘロデ「大王」のことではなく、その息子アンティパス(HErOdEs Antipas)のこと。
父親のヘロデ大王が前4年に死んだ後、その支配領域を三人の息子たちが分割継承した。
アンティパスはそのうちガリラヤ地方およびヨルダン対岸の一部を支配領域とした。
兄のアルケラオスがユダヤとサマリア地方を支配し、弟のフィリポスは北方地域、今日のゴラン高原と呼ばれているあたりを支配地域として継承した。
ローマ帝国は、この息子たちに「王」の称号を名乗ることを許さず、彼らはその一段下の「四分領主」という称号を名乗らざるを得なかった。
つまり、ヘロデの称号に関しては、「四分領主」とするマタイ・ルカが正確である。
マルコはヘロデ・アンティパスが「四分領主」であり、「王」ではなかったことを知らなかったのだろうか。
むしろマルコのような庶民感覚の人間には、権力構造上の身分を示す役職「称号」の「正確な」表現には関心がなかったのだろう。
自分たちの支配領域の盟主は、ローマ帝国の正式な称号とは無関係に「王」だったのであろう。
日本語的には、行政の役人はすべて「おかみ」である。
自治体の課長でも、県職員の局長でも、国政の政務次官でも、自分たちを支配する「偉い」人は、すべて「オカミ」である。
「上」「守」「神」「頭」等すべて「カミ」と発音する日本人の庶民感覚からすれば、文字通りの「王」様かどうかは別にして、自分たちにとって「王」的存在の人物を「王」と呼んだとしても大した問題ではないように思える。
マタイとルカは、マルコの「王」を「四分領主」という正確な称号に訂正してくれたのであろう。
この称号は、フィリポス二世時代のマケドニア、前三世紀のガラティア、ローマ帝政初期のパレスティナにおけるヘロデの息子たちの領土分割統治の時代にだけ使われた称号である。
同時代に「王」は一人であるが、「四分領主」は複数人存在する。
「王」と比べて幾らかの蔑視を含んだ称号でもある、という。
マルコではヘロデ王が「聞いた」とあるが、「何を」聞いたのか書かれていない。
文脈からすれば、前段の「弟子派遣の話を聞いた」とも解釈できるが、「彼(イエス)の名前が有名になったからである」と続く。
「からである」が微妙である。
「有名になった」理由は、「イエスに力が働くのは洗礼者ヨハネの甦りだから」という噂が原因である、とも読める。
とすれば、ヘロデが「聞いた」のは、「イエスは洗礼者ヨハネの甦り」という噂、ということになる。
イエスが有名になった原因の話を「言った」のは、誰か。
マルコ14の「言った」を三人称単数形にする写本(シナイACLΘf1f1333など多数)と複数形にする写本(BWD他僅か)がある。
単数なら「洗礼者ヨハネが死人のうちから甦ったので、力が働くのだ」と言ったのは、「ヘロデ」となる。
複数なら、非人称的三人称複数となり、主語は「ヘロデ」ではなく「人々」となる。
ヘロデは、人々が言っている「洗礼者ヨハネが死人のうちから甦ったので、力が働くのだ」という噂を聞いた、という意味になる。
しかし、マルコ16の「イエスをヨハネの甦り」という発言は、ヘロデの発言となっている。
14の「言った」が単数形なら、16の「言った」は無駄な重複となる。
複数形なら、世間の噂を聞いて、16でヘロデが「ヨハネの再生」という説を採用したという趣旨になり、意味が通りやすい。
次にマルコはここで別伝承の話に移っているだけであるから、文脈の前後関係から解釈するよりも、漠然と「イエスのことを聞いた」という趣旨であろう。
lectio diffilisiorの原則からすれば、単数形となるが、マルコの文法ミスであろう。
マタイは「イエスの噂を」と補っている。
ルカは「起こったことをすべて」と補っている。
マルコでは、この話の続き、ヘロデが洗礼者ヨハネを逮捕し、投獄した、という話が回顧的に続いて行くが、ルカではすでにイエスの活動が始まる前の3:19-20で投獄されていることになっている。
マルコが二つの伝承(「イエスに関する噂」と「洗礼者ヨハネの死」)をヘロデに関する一つの物語として伝承化しているものを、ルカは別々の伝承として扱い、それぞれの場面に組み込んだものだろう。
ルカが洗礼者ヨハネの逮捕、監禁をイエスの活動前に持ってきたことから、後述するが、矛盾が生じることとなる。
マタイでは、「イエスが洗礼者ヨハネの甦りである」という発言は、噂を聞いたヘロデが召使たちに対して発言した言葉となっている。
ルカでは、ヘロデの発言ではなく、人々の噂の一つとなっている。
ルカには「彼を見てみようとした」とあるが、マルコとマタイにはこの句はない。
ルカによる付加。
ルカは、ヘロデが野次馬的にイエスを見てみたいと思っていたと想像していたことは、23:8からも理解できる。
「ヘロデはイエスを見て、非常に喜んだ。彼についての話を聞いて、だいぶ前から会ってみたいと思っていた」とあるが、これも事実に反するルカの想像。
ルカ13:31では「ヘロデがあなたを殺そうと思っている」とあるが、イエスに会って徴を見てみたいと思っていたのではなく、イエスを危険人物とみて逮捕しようと思っていたのである。
前述のヨセフスの「古代史」記述からも明らか。
マルコ
17というのは、まさにこのヘロデが、自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディアの件に関して、自分が彼女と結婚したことについて、人をつかわしてヨハネを逮捕し、獄で縛っておいたのである。18ヨハネがヘロデに対して、自分の兄弟の妻を取るのは許されない、と言ったからである。19ヘロディアはヨハネに対して意趣を含んで、殺そうと欲したが、できなかった。20ヘロデの方がヨハネが正しくかつ聖なる人だと知って,恐れたからである。そして彼を監禁し、そして彼の話を聞いては、ひどく当惑していた。そして喜んで彼の話を聞いた。
マタイ
3というのもヘロデは、自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディアの件に関して、ヨハネを逮捕し、縛って、投獄したのである。4ヨハネが彼に、彼女を取るのは許されない、と言ったからである。5そして彼を殺そうと欲したが、群衆を恐れた。群衆は彼が預言者だと思っていたからである。
参ルカ3
19四分領主のヘロデは兄弟の妻ヘロディアのことについて、また自分がなしたあらゆる悪事について、ヨハネによって糾弾されていた。20そしてすべての悪事に更にこのことを加え、ヨハネを獄に閉じこめた。
前述したが、マルコは、ヘロデ・アンティパスの兄弟であるヘロデ・フィリポスがヘロディアと結婚したと述べているがそうした史実的事実は存在しない。
フィリポスが結婚したのはヘロディアの娘であり、ヘロディアではない。
マルコの「自分の兄弟フィリポスの妻ヘロディア」という間違いをマタイもそのまま「自分の兄弟フィリポスの妻」とそっくり同じ表現で、同じ間違いをしている。
マタイがマルコを写している証拠。
マタイの原文が「へロディアの娘」であり、マルコの原文が「彼の娘のヘロディア」であることからしても、逆はありえない。
マルコ
21そして、よい機会の日が来た。ヘロデが自分の誕生日に、自分の高官や、千卒長や、またガリラヤの有力者たちを招いて、宴会を催したのである。22そして彼の娘のヘロディアがはいってきて、踊りをおどり、ヘロデや列席者たちを喜ばせた。王は少女に言った、「何か欲しいものがあれば頼んでごらん、お前に挙げるから」。23そして多く誓った、お前が頼むのなら、私の王国の半分でもあげよう」と。24そして娘は出て行って、母親に、「何をお願いしようかしら」と言った。母親は言った、「洗礼者ヨハネの首を」。25そして娘は入ってきて、すぐに急いで王のもとに行き、頼んで言った、「この場で洗礼者ヨハネの首をお盆にのせてくださいますように」。26王は困惑したが、誓ったことだし、列席者の手前もあって、彼女をこばむわけにもいかなかった。27そしてすぐに、王は衛兵をつかわし、ヨハネの首を持ってくるように、と命じた。そして出て行って、獄にてヨハネの首をはね、28そしてその首を盆の上にのせて持って来て、少女に与えた。そして少女はその首を母親に与えた。
マタイ
5そして彼を殺そうと欲したが、群衆を恐れた。群衆は彼が預言者だと思っていたからである。6ヘロデの誕生日になって、ヘロディアの娘が真ん中で踊り、ヘロデを喜ばせた。7そこで彼は、彼女が頼むものをあげようと、誓って公言した。8彼女は母親にそそのかされて、言う、「この場で洗礼者ヨハネの首をお盆にのせて下さい」。9王は誓いと列座の者たちの手前困惑したが、その首が与えられるようにと命令した。10そして人を送って、獄にてヨハネの首をはねた。10そして人を送って、獄にてヨハネの首をはねた。11そして首が盆にのせて持ってこられ、少女に与えられた。少女は母親のところに持って行った。
ルカ
9ヘロデは言った、「ヨハネなら自分がすでに首を切った。…
参ルカ3
20そしてすべての悪事に更にこのことを加え、ヨハネを獄に閉じこめた。
このあたりの信憑性に関しては、前半で詳しく述べたので省略。
ヘロデが「誓いと列席者の手前」、ヨハネの首を切ることを渋々承諾した、という話も伝承化された時の創作であることは、ヨセフス「古代史」からも明らか。
ルカは、ヨハネの逮捕、監禁をイエスの活動の前に置いているが、参ルカ3の時点では「ヨハネを獄に閉じこめた」ことは記述しているが、ヨハネの殺害に関しては言及していない。
マルコを見ているはずだから、エログロの血なまぐさい話は避けたかったのか、削除している。
しかし、並行のルカ9:9ではヘロデがすでに「ヨハネの首を切った」ことにしている。
ところが、ルカ7:18-23では、監禁されているはずのヨハネが弟子たちを呼び寄せイエスの元に遣わして、イエスに質問し、イエスの活動を報告させている。
とすれば、洗礼者ヨハネはヘロデによって逮捕監禁された後釈放され、活動を再開し、ふたたび逮捕監禁され殺害されたのでなければ、時間軸に矛盾が生じる。
しかも、ヨハネの殺害はイエスの活動の開始前でなければならないことになる。
ところが、イエスが何者かという噂は、イエスが活動している最中に生じていることになっている。
つまり、ルカの構図では、ルカ9:9の噂は、イエスの活動前であり、洗礼者ヨハネの殺害後でなければならないのに、イエスの活動中に生じていたことになる。
この矛盾は、二つの伝承を組み合わせたマルコの伝承を、ルカが自分の構図に合わせて、別々の位置に置いたことに起因するものであろう。
実際には、ヨハネ3:32-4:2からすると、イエスが活動を始めた時には、まだヨハネが逮捕されていなかった可能性の方が高い。
マルコ
29そしてヨハネの弟子たちがこれを聞いて、行ってヨハネの死体を引き取り、墓に納めた。
マタイ
12そしてヨハネの弟子たちが進み出て、死体を引き取って埋葬した。そしてイエスのもとに来て、報告した。
ルカ
削除。
ルカの並行個所に洗礼者ヨハネの死に関する記述がないのは当然の帰結であるが、ヨハネの投獄をイエスの活動の前に置いた参ルカ3にも、洗礼者ヨハネの死に関する記述はない。
マルコにマタイの「そしてイエスのもとに来て、報告した」という句はない。
マタイによる付加。
ヨハネの弟子たちがヨハネ集団のもとに報告するのではなく、イエスのもとに報告した、というのは違和感がある。
マタイとしては、洗礼者ヨハネの死後、ヨハネの弟子たちはイエスの弟子となった、という構図を描きたかったのだろう。
ユダヤ教とキリスト教の融合を図ろうとしていたマタイ派教団の中には元洗礼者ヨハネ出身者が多くいたのかもしれない。