マルコ6:1-6 <故郷で> 並行マタイ13:53-58 参照ルカ4:16-30
マルコ6:1-6 (田川訳)
1そしてそこから出た。そして自分の故郷に来る。そして彼の弟子たちが彼に従う。2そして安息日になると、会堂で教えた。そして多くの者が聞き、驚愕して言った、「どこからこの者にこういうことが生じるのか。またこの者に与えられている知恵はどうだ。またその手によってこれほども多くの力ある業が生じている。3この者は大工で、マリアの息子、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないのか。その姉妹たちもここで、我々のところに居るではないか」。そして彼に躓いた。4そしてイエスは彼らに言った、「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」。5そしてそこではいかなる力ある業もなすことができず、何人かの病弱な人に手を置いて癒しただけだった。6そして彼らの不信心の故に驚いた。そしてまわりの村々をまわって、教えた。
マタイ13:53-58
53イエスはこれらの譬えを終えた時に、そこから立ち去ったのであった。54そして自分の故郷に来て、彼らの会堂で彼らを教えた。そこで彼らは驚愕し、言った、「この知恵と力はどこから生じるのか。55この者は大工の息子ではないのか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダというのではないのか。56また姉妹たちも皆我々のところにいるではないか。では、これら一切のことがどこからこの者に生じるのか」。57そして彼に躓いた。イエスは彼らに言った、「預言者は自分の故郷と家以外では敬われないことはない」。58そしてそこでは、力ある業を多くはなさなかった。彼らの不信心の故である。
参照 ルカ4:14-30
14そしてイエスは霊の力においてガリラヤへともどって行った。そして周辺のすべての土地に彼について噂が広まった。15そして彼は彼らの会堂で教え、すべての人々が、彼に栄光を帰した。
16そしてナザレに行った。自分が育てられた土地である。自分の習慣に従って安息日に会堂に入り、読むために立った。17そして彼に預言者イザヤの巻物が与えられた。そして巻物を広げ、次のように書かれてある個所を見つけた。18主の霊が私の上にある。
主が私に油注ぎ給うたからだ。
貧しい者たちに福音を伝えるために、
私を遣わし給うたのだ。
囚われた者たちに開放を、
また盲人に見えるようになることを告知するため、潰された者たちを解放して送り出すため、
19「主に受け入れられる年を告知するためである。
20そして巻物を閉じて世話係の人に返却し、座った。そして会堂にいるすべての者の眼が彼を見つめたのである。21そして彼らに対して、ここに書かれてあることが、今日、あなた方の耳で成就したのだ、と語りはじめた。 22そして皆が彼のことを証言し、彼の口から出る恵みの言葉に驚いて、言った、「この者はヨセフの息子ではないのか」。23そして彼らに対して言った、「いつもあなた達は私に、医師よ、自分自身を癒せ、という格言を口にして、カファルナウムで起こったと聞いていることをここでも、お前の故郷でやってみな、などと言っている」。24また言った、「アメーン、あなた達に言う、いかなる預言者も自分の故郷では歓迎されない。25まことにあなた達に言う、「エリヤの時代にイスラエルには大勢のやもめがいた。三年六カ月にわたって天が閉じ、大飢饉が全地を覆った時に、26エリヤが遣わされたのは、イスラエルのやもめ達にではなく、シドン地方のサレプタのやもめの女のところであった。27また預言者エリシャの時には大勢の癩病人がいたのだが、シリア人ナイマン以外はだれも淨められなかった」。 28そして会堂でこれを聞いたすべての者が憤りに満ち、29立って、彼を町の外に追い出し、彼らの町が立っている丘の縁まで連れて行って、崖から突き落とそうとした。30だが彼は彼らの中を歩み去った。
マルコ6:1-6 (NWT)
1それから[イエス]はそこを立って,ご自分の郷里に入られた。そして弟子たちもそのあとに従った。2 安息日になると,[イエス]は会堂で教え始められた。すると,聴いていた人々の大半は驚き入って,こう言った。「この人はどこでこうしたことを得たのだろうか。また,これほどの知恵がこの人に与えられ,このような強力な業が彼の手を通してなされるのは,いったいどうしてなのか。3 これはマリアの息子,そしてヤコブ,ヨセフ,ユダ,シモンの兄弟の大工ではないか。それに彼の姉妹たちもわたしたちと一緒にここにいるではないか」。こうして人々は彼につまずくようになった。4 しかしイエスは続けて彼らにこう言われた。「預言者は,自分の郷里や親族の間また自分の家以外なら敬われないことはありません」。5 それで,幾人かの病身の者の上に手を置いてその人々を治す以外には,そこで強力な業をすることがおできにならなかった。6 実際[イエス]は,人々の信仰のなさを不思議に思われた。そして,村々を巡回して教えてゆかれた。
マタイ13:53-58
53 さて,これらの例えを[話し]終えると,イエスはそこから移って行かれた。54 そして自分の郷里に入ってから,そこの会堂で人々を教えはじめられた。その結果,人々は驚き入って,こう言った。「この人は,これほどの知恵とこうした強力な業をどこで得たのだろうか。55 これはあの大工の息子ではないか。彼の母はマリアと呼ばれ,兄弟たちはヤコブ,ヨセフ,シモン,ユダではないか。56 そして彼の姉妹たちも,みんなわたしたちと共にいるではないか。では,この人はどこでこれらのすべてのことを得たのだろうか」。57 こうして彼らはイエスにつまずくようになった。しかしイエスは彼らにこう言われた。「預言者は自分の郷里や自分の家以外なら敬われないことはありません」。58 そして,彼らの信仰の欠如のゆえに,そこでは強力な業を多くはなさらなかった。
参照 ルカ4:14-30
14 それからイエスは霊の力に動かされてガリラヤに帰られた。すると,彼の評判は周囲の全地方にあまねく広まった。15 また,彼は人々の会堂で教えはじめ,すべての人から敬われた。
16 そして[イエス]はナザレに来られた。そこは彼の育てられた所である。そして,安息日ごとの自分の習慣どおり会堂に入り,次いで,朗読のために立ち上がられた。17 そこで預言者イザヤの巻き物が彼に手渡された。彼は巻き物を開き,こう書いてある所を見いだされた。18 「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕らわれ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,19 エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。20 そうして彼は巻き物を巻き,それを付き添いの者に返して,腰を下ろされた。すると,会堂にいたすべての人の目がじっと彼に注がれた。21 その時,彼はこう言い始められた。「あなた方がいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」。
22 それで人々はみな彼について好意的な証しをし,またその口から出る,人を引きつける言葉に驚嘆するようになった。また彼らは,「これはヨセフの子ではないか」と言うのであった。23 すると[イエス]は彼らにこう言われた。「きっとあなた方はこの例えをわたしに当てはめるでしょう。『医者よ,自分を治せ。カペルナウムで起きたとわたしたちが聞いた事柄を,ここ,自分の郷里でも行なえ』と」。24 だが,[イエス]はこう言われた。「あなた方に真実に言いますが,預言者はだれも自分の郷里では受け入れられないものです。25 例えば,あなた方にほんとうに言いますが,エリヤの日に,イスラエルには多くのやもめがいました。その時,天は三年六か月のあいだ閉ざされ,そのため大飢きんが全土を襲いました。26 それでも,エリヤはそれら[女たち]のだれのもとにも遣わされず,ただシドンの地のザレパテにいた一人のやもめのもとに[遣わされました]。27 また,預言者エリシャの時に,イスラエルには多くのらい病人がいましたが,そのうち一人も清められず,ただシリアの人ナアマンが[清められたのです]」。28 さて,会堂でこれらのことを聞いていた者はみな怒りでいっぱいになった。29 そして,立ち上がって彼を市の外へせき立て,彼らの都市が建てられた山のがけ端に連れて行った。彼をさかさに投げ落とそうとしてであった。30 しかし[イエス]は彼らの真ん中を通り抜けて,そのまま進んで行かれた。
共観福音書におけるイエスの故郷での話は、マルコとマタイはほぼ同じ内容である。
マタイはマルコを下敷きに修正を加えているので、納得できる。
しかしながら、ルカにはマタイにもマルコにも登場しない情報が満載されている。
マタイと共通の情報もみられない。
もし、ルカの情報がQ資料によるものであるのであれば、マタイにもその痕跡が残っているはずである。だが、そのような痕跡がマタイからは伺えない。
それでも、ルカはマルコを念頭において、イエスの故郷での話を描写している痕跡がみられる。
ルカの前半に登場するイザヤ61:1,2の成就としているイエスの説教は、マルコ1:21-22を踏襲して展開したもののように思える。
マルコはイエスの宣教の開始をカファルナウムに設定している。(マル1:21)ペテロとアンデレ、それにゼベダイの子のヤコブとヨハネをガリラヤ湖畔と招集する。
その後、イエスは本拠地としていていたガリラヤ湖北岸の小さな町、カファルナウムに入る。
そこで、安息日に会堂に入り、律法学者とは異なる人々が驚嘆する教えを施した、というのがマルコのイエスの宣教開始である。
マルコは、イエスの宣教の開始をカファルナウムと設定した。
ところが、ルカはイエスの故郷であるナザレの会堂に設定し、イザヤの預言成就として、宣教の開始を宣言させたのである。
「安息日に会堂に入り」というマルコと共通の概念を手掛かりに、ルカのイエスはイザヤの巻物を読み、説教を始める、という設定にされている。
通常はその安息日に会堂の礼拝で読む個所は決まっている。
「安息日に会堂に入る」ことがイエスの「習慣に従った」ことであったとしても、イザヤの巻物を渡されて、適当な箇所を見つけて朗読するという習慣は当時ありえないことである。
それにもかかわらず、ルカはナザレの会堂におけるイザヤの朗読をイエスの宣教の開始と位置付けたのである。
実際、イエスの宣教の開始を旧約の預言成就とする定型引用をマタイはしていない。
ということは、Q資料に基づくものでもなく、マタイ教会に属すものでもないということになる。
要するに、イザヤ61:1-2をイエスの宣教の開始とする定型引用もしくは預言成就の型は、ルカ、もしくはルカ教会の解釈であったと思われる。
ルカ自身の創作というよりもルカの周辺のキリスト信者たちの間で、すでに形成されて、口にされていたものをルカが採用したものであろう。
というのは、ルカ自身が旧約を引用する場合には、七十人訳をそのまま一字一句そのままに引用するのであるが、イザヤの定型引用の場合、旧約の一部の句が削除されており、文法的に形を整えて整形している合成引用となっているからである。
ルカの意図は、ユダヤ民族がイエスを拒絶した故に、キリスト教はユダヤ民族を捨てて、異邦人へと解放されていく、という構図にイエスの宣教とキリスト教の拡大を固定化させたかったからであろう。
その最初の宣教活動を、イエスの故郷であるナザレに設定し、拒絶されることで正当化されていくキリスト教のギリシャ化を描きたかったのだろう。
ルカ福音書の後編となる使徒行伝の結論は、軟禁中のパウロが異邦人宣教をイザヤ預言の成就として正当化することで、結びとしている。(使徒28:25-31)
以上の状況証拠から考えられるのは、イエスが実際にナザレの会堂でイザヤの巻物を開き、預言成就としてナザレの人々に語ったという話は、ルカあるいはルカが知り得た教団による創作物語であると思われる。
ちなみに、マタイはイエスの宣教の開始を山上の垂訓で始めており、説教師、宗教教師としてのイエスを描こうとしている。
これから、各書の違いを分析しながら、それぞれの著者の意図を探ってみたい。
マルコ
1そしてそこから出た。そして自分の故郷に来る。そして彼の弟子たちが彼に従う。2そして安息日になると、会堂で教えた。
マタイ
53イエスはこれらの譬えを終えた時に、そこから立ち去ったのであった。54そして自分の故郷に来て、彼らの会堂で彼らを教えた。
ルカ
14そしてイエスは霊の力においてガリラヤへともどって行った。そして周辺のすべての土地に彼について噂が広まった。15そして彼は彼らの会堂で教え、すべての人々が、彼に栄光を帰した。
16そしてナザレに行った。自分が育てられた土地である。自分の習慣に従って安息日に会堂に入り、読むために立った。
マルコの「そしてそこから出た」、マタイの「これらの譬えを終えた時に、そこから立ち去ったのであった」はそれぞれの導入句。
次の話に移るための段取りの句であり、違いは状況設定の違いによるもの。
マルコの「彼の弟子たちが彼に従う」という句をマタイは削除しているが、これもマタイの状況設定の違いから削除したものだろう。
マタイではサタンの誘惑を退けた後、ガリラヤ湖畔でペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの四人を招集した後、彼らは直ちにイエスに従い、イエスと行動を共にした、という設定となっている。
山上の垂訓をイエスの宣教のはじめと設定しているマタイは、イエスの宣教が進んでいる状態の13章にマルコの<故郷で>を編集した。
マタイにとって、弟子たちは常にイエスに同行している存在である。
そういう設定の弟子たちが、改めて「イエスに従う」という記述は不必要なものだったのであろう。
「イエスに従う」という記述を改めて入れることは、むしろマタイにとってはそれまでに弟子たちが「イエスに従わなかった」ことがあったという事実を想起させるだけで読者の混乱を招くことになろう。
マタイのイエスと弟子との師弟観には不要の要素である。
ルカは、マルコ1:21-22の導入句を4:14-16で利用した。
マルコはイエスの活動の拠点をガリラヤのカファルナウムに設定して福音物語を始めている。
ルカはマルコの状況設定のままに写すのではなく、<故郷で>を悪魔の試みを終えた直後に置いた。
そうして、イエスの宣教の開始をマルコのカファルナウムからナザレに設定変更させた。
ルカとしては、イエスが故郷で拒絶されることにより、キリスト教がユダヤ民族から異邦人へと展開していく、という構図で描きたかったのだろう。
ルカでは、イエスがナザレに入る前に、ガリラヤの周辺の地では、「彼についての噂が広まった」という設定になっている。
ルカの言う「彼についての噂」とは、「すべての人々が彼に栄光を帰した」とあることからして、「イエスがキリストであるという噂」のことを想定しているのだろう。
しかし、イエスの生地であるナザレでは「イエスをキリスト」と認めないばかりか、殺そうとした、という結びになっている。
マルコでは、文字通り「預言者は故郷には受け入れなれない」という一般的な逸話をイエスをキリスト化した上で伝承化させたものにすぎなかったのであるが、ルカはそれをキリスト教の拡大の根拠として展開させたのである。
マルコ
そして多くの者が聞き、驚愕して言った、「どこからこの者にこういうことが生じるのか。またこの者に与えられている知恵はどうだ。またその手によってこれほども多くの力ある業が生じている。3この者は大工で、マリアの息子、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないのか。その姉妹たちもここで、我々のところに居るではないか」。そして彼に躓いた。
4そしてイエスは彼らに言った、「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」。5そしてそこではいかなる力ある業もなすことができず、何人かの病弱な人に手を置いて癒しただけだった。6そして彼らの不信心の故に驚いた。そしてまわりの村々をまわって、教えた。
マタイ
そこで彼らは驚愕し、言った、「この知恵と力はどこから生じるのか。55この者は大工の息子ではないのか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダというのではないのか。56また姉妹たちも皆我々のところにいるではないか。では、これら一切のことがどこからこの者に生じるのか」。57そして彼に躓いた。イエスは彼らに言った、「預言者は自分の故郷と家以外では敬われないことはない」。58そしてそこでは、力ある業を多くはなさなかった。彼らの不信心の故である。
ルカ
17そして彼に預言者イザヤの巻物が与えられた。そして巻物を広げ、次のように書かれてある個所を見つけた。18主の霊が私の上にある。
主が私に油注ぎ給うたからだ。
貧しい者たちに福音を伝えるために、
私を遣わし給うたのだ。
囚われた者たちに開放を、
また盲人に見えるようになることを告知するため、潰された者たちを解放して送り出すため、
19「主に受け入れられる年を告知するためである。
20そして巻物を閉じて世話係の人に返却し、座った。そして会堂にいるすべての者の眼が彼を見つめたのである。21そして彼らに対して、ここに書かれてあることが、今日、あなた方の耳で成就したのだ、と語りはじめた。 22そして皆が彼のことを証言し、彼の口から出る恵みの言葉に驚いて、言った、「この者はヨセフの息子ではないのか」。
23そして彼らに対して言った、「いつもあなた達は私に、医師よ、自分自身を癒せ、という格言を口にして、カファルナウムで起こったと聞いていることをここでも、お前の故郷でやってみな、などと言っている」。24また言った、「アメーン、あなた達に言う、いかなる預言者も自分の故郷では歓迎されない。25まことにあなた達に言う、「エリヤの時代にイスラエルには大勢のやもめがいた。三年六カ月にわたって天が閉じ、大飢饉が全地を覆った時に、26エリヤが遣わされたのは、イスラエルのやもめ達にではなく、シドン地方のサレプタのやもめの女のところであった。27また預言者エリシャの時には大勢の癩病人がいたのだが、シリア人ナイマン以外はだれも淨められなかった」。 28そして会堂でこれを聞いたすべての者が憤りに満ち、29立って、彼を町の外に追い出し、彼らの町が立っている丘の縁まで連れて行って、崖から突き落とそうとした。30だが彼は彼らの中を歩み去った。
マルコにおけるこの<故郷で>のイエス伝承は、重層的な構造になっている。
この伝承は、一つの物語というよりも、イエスの故郷と家族におけるイエスに対する姿勢とガリラヤ地方におけるキリスト教に対する姿勢とが絡み合って、一つの物語に伝承化されているのだろう。
ナザレの人々の反応。
「どこからこの者にこういうことが生じるのか。またこの者に与えられている知恵はどうだ。またその手によってこれほども多くの力ある業が生じている」
「この者は大工で、マリアの息子、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟ではないのか。その姉妹たちもここで、我々のところに居るではないか」
イエスに多くの力ある業が生じており、知恵が与えられていることを認めている姿勢と、同郷および同族の人間として神格化せず、特別視する態度を否定する姿勢が同居している。
それに対するイエスのロギオン。
「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」。
このロギオンは、自分が預言者であることを前提としている発言であり、イエス自身の言葉というよりも、イエスを預言者として仕立て上げたキリスト教団の言葉を投影させたものであろう。
それに対するイエスの反応と行動
そこではいかなる力ある業もなすことができず、何人かの病弱な人に手を置いて癒しただけだった。そして彼らの不信心の故に驚いた。そしてまわりの村々をまわって、教えた。
弟子たちと故郷の人々の対比
弟子たち
自分の故郷に来る。そして彼の弟子たちが彼に従う。
故郷の人々と親族
そして彼に躓いた。
弟子たちは「イエスに従った」が、故郷の人々は家族も含めてイエスに躓いて、従わなかった。
つまり、イエスの同郷や親族がイエスに従わなかった、という話とイエスの力と知恵を認めてイエスに従ってキリスト信者となった弟子たちとの対比が一つの物語として描かれているのである。
この重層構造は、弟子たちを中心とした初期キリスト教団がガリラヤ地方での宣教が思った以上に浸透していかなかったことを反映させているのだろう。
イエスを幼少の時期から知っている故郷の人々は、初期キリスト教団の中で語られているキリスト化されたイエス像を受け入れることができなかったのであろう。
それを反映させたイエスの言葉が、「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」という故郷の人々の反応である。
初期キリスト教団によりキリスト化されたイエスの話を宣教された時のナザレの人々の反応が「どこからこの者にこういうことが生じるのか。またこの者に与えられている知恵はどうだ。またその手によってこれほども多くの力ある業が生じている」というものだったのだろう。
弟子たちが、いくら「多くの力ある業」や「知恵」がイエスに生じていることをキリスト様であることの証拠として宣教しても、イエスの現実像が身近に存在しているナザレでは、浸透していかなかったものと考えられる。
それで、イエスの口に「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」という格言的教訓を腹いせに語らせ、ナザレを移動することにした。
「預言者は故郷には受け入れられない」というロギオンはマルコだけに伝えられているわけではない。
トマス福音書31「イエスが言った、いかなる預言者も自分の村では受け入れられない。いかなる医者も自分を知っている人々を癒さない」とある。
トマス福音書の著者はマルコにはない句が同居しており、マルコとは別系統の伝承であることを示している。
ルカが採用している「医師よ、自分自身を癒せ」という格言とも異なる表現である。
ルカは次節の4:24で、「いかなる預言者も自分の故郷では歓迎されない」というイエスのロギオンを採用しているが、これはマルコ6:4を念頭に組み込んだものであろう。
「預言者は故郷には受け入れられない」というロギオンは、同じ趣旨でも幾つかの異なるバージョンがイエスのロギオンとして伝承されていたのだろう。
またイエス独自の体験というわけでもないようである。
同じような言葉がブルータルコス(de exil.13)に「最もすぐれた人、最も賢い人のうち、ごく僅かな者しか自分の故郷には葬られていない、ということが分かるだろう」とある。
「ティアナのアポロニウスの書簡」(後一世紀)88節には、「他の人々は私のことを神に等しい者とみなし、神そのものとみなす人さえいるのに、今にいたるまで、故郷だけでは私を無視している」と書かれているそうである。
現在にも通じるが、偉人とされる者や傑出した人物は、同族嫌悪あるいは同郷嫌悪による嫉妬感情から過少評価されるのが一般的傾向であった。
弟子たち初期キリスト教団は、イエスの名を使って、奇跡物語や知恵物語、論争物語などをキリストの福音として宣教していた。
だが、そのようなイエスのキリスト神話は、実際のイエスを知っているナザレ地方の人々には響かず、信者獲得には功を奏さなかったのだろう。
そのような内実を初期キリスト教団は、彼らの「不信仰の故」とすり替え、成果を上げられないまま移動し、「まわりの村々をまわって教えた」というのが実情のように思える。
それを「イエスに従った」弟子たちキリスト教団は信心の故に奇跡にあずかることができたが、故郷のナザレの人々は不信心の故にイエスに躓いた、という一つのイエス物語に創り上げ、伝承させたのだろう。
そのキリスト教団由来のイエス伝承をマルコが採用したものと考えられる。
ただし、同種の他伝承ではイエスの親族に対する具体的な名前には言及されてはいない。
とすれば、ナザレにおける不信仰の者たちの言葉として「大工の息子で、マリアの息子、ヤコブとヨセとユダとシモンの兄弟、その姉妹もここにいる」という情報は意図的である。
このイエスの家族に関する事実を編集に組み込んだのはおそらくマルコであろう。
マルコは、故郷の人々がイエスの家族を知っているがゆえに、イエスを受け入れなかった、という伝承に、イエスの家族がイエスを受け入れなかった、という事象を組み込みたかったのだろう。
実際、マルコは、3:20-21でもイエスの親族がイエスを「気が違っている」として拒絶する伝承を採用している。
その意図は、マルコの福音書執筆当時の初期教団=エルサレム教団で、イエスの実弟であるヤコブが実権を掌握しており、マルコが反感を抱いていたからであると思われる。
マルコにとっては、ヤコブを中心としたエルサレムの宗教支配体制は、イエスの福音思想とは真逆の親ユダヤ主義体制であったからであろう。
マルコが知り得たイエスの姿とイエスの親族が支配するキリスト教団の姿があまりにも乖離していた。
イエスの「家族」を不信仰の故にイエスを拒絶した故郷の人々と同列に設定することにより、イエスの親族に対する批判を展開させたものと想像される。
同時に、「弟子たちがイエスに従っていた」という導入句を入れることにより、「弟子たち」とはいつでも「イエスに従っている」べき存在であるはずなのに、マルコとしては彼らのキリスト集団も「不信仰の故に」イエスを拒絶したナザレの人々に同類である。
マルコにとっては彼らもイエスを拒絶し、「彼に躓いた」集団でしかない、という評価だったのであろう。
イエスの両親に関して。
マルコは、「大工で、マリアの息子」。
マタイは、「大工の息子」と「母親はマリア」に切り離した。
マルコには、「大工の息子で、マリアの(息子)」の読みの写本(P45、f13などのカイサリア系写本)がある。
同じカイサイリア系写本でも大文字写本のΘは「大工で、マリアの息子」。
他の重要大文字写本もすべて同じ。
「大工の息子で、マリアの(息子)」の読みは、「大工で、マリアの息子」という読みの「息子」と「マリアの」の位置を置き変えただけである。
マタイは、マルコとは異なり、イエスが「大工」とは明言しておらず、「大工の息子」としており、「母親はマリア」という表現になっている。
マタイやルカには、イエスの処女降臨信仰が読み込まれており、二世紀以降、処女降臨はキリスト教のドグマとして成立した。
その結果、イエスを「大工の子」とは、言いたくないという傾向が強まる。
大工のヨセフはあくまでも仮の父親であり、本当はマリアが一人で聖霊によってみごもった神の子である、というのがキリスト教のドグマとなる。
それでマルコのカイサリア系写本の中にも、「大工の息子で、マリアの(息子)」とする読みをする写本が登場するのであろう。
P45他のマルコの「大工の息子でマリアの(息子)」という読みは、マタイに影響され、マタイを読み込んだものであろう。
オリゲネスが「異端」としたケルソス(Kelsos)に対して、ケルソスは「イエスは大工だった」と言っているが、「教会で用いられている福音書にはどこにもイエス自身が大工だった読める箇所はない」と反論している。(Contra Celsum, VI,36)
つまり、オリゲネス自身は「大工」ではなく「大工の子」と書いてある写本を読んでおり、ケルソスは「大工」と書いている写本を読んでいたことになる。
というわけで、正文批判的にはマルコの読みは「大工で、マリアの息子」という読みを採用することになる。
しかしながら、当時の社会状況からすれば、父親が「大工」であるなら、その息子も「大工」であるのが普通である。
結局は、イエスが「大工の息子」でも「大工」でも同じことであろう。
イエスの兄弟に関して。
マルコは、「ヤコブとヨセとユダとシモン」の順。
マタイは、「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」の順。ユダとシモンが入れ替わっている。
マルコの「ヨセ」(Ioses)は、「ヨセフ」(Ioseph)の省略形。ギリシャ語の男性形語尾は-sであるから、「ヨセフ」ではなく「ヨセ」と表記したもの。
NWTは、原文で表記が異なるが、マルコもマタイも「ヨセフ」と同じ表記としている。
マルコとマタイでは、ユダとシモンの順番が入れ替わっているが、マタイはシモンの方がユダより年上と考えていたのだろうか。
「教会史」(エウセビオス)によるエルサレム教会における歴代の主教の系図を見ると、ヤコブの後任とされたのは、クレオパの子シメオンとあり、クレオパは主の兄弟ヨセフの兄弟であったと語っている。
三代:ユストス、四代:ザッカイオス、五代:トビアスと続いて行くが、ユダには言及されていないので、何とも言えない。ただ、シモン(シメオン)の方がユダよりも年上だった可能はある。
イエスのロギオンに関して
マルコは、「預言者は自分の故郷、自分の親族、自分の家以外では、敬われないことはない」
マタイは、「預言者は自分の故郷、自分の家以外では、敬われないことはない」。
マルコの「自分の親族」の句を削除。
ルカは、「いかなる預言者も自分の故郷では歓迎されない」。
マルコ、マタイの二重否定の構文ではなく、単純な否定構文。
二重否定の構文は、例外的な事象であることを強調するものであるが、単なる否定文はある事象を否定することに力点が置かれている。
マルコ・マタイでは、イエスが故郷以外ではどこでも尊敬されている、ということに重きが置かれている構文である。
それに対して、ルカの単純な否定構文は、単にイエスが故郷で尊敬されなかった、という事象に重きが置かれている。
意味としては、大差ないと感じるかもしれないが、マルコ・マタイの二重否定の構文は、故郷に対する著者の否定感情が単純構文よりはるかに強く出ている。
ルカの「主に受け入れられる年を告知するため」とするイザヤ61:1-2の預言成就に関する記述はルカ(教会)の創作。
ルカ4:18の「潰された者たちを解放して送り出すため」という句だけは、イザヤ58:6の引用。
ルカにおけるこの個所の引用は、七十人訳からの混成引用ということである。
ルカが七十人訳から引用する場合には、完全に一字一句正確に引用するのであり、混成引用することはない。
ルカは「アメーン」というヘブライ語に関しても、引用している24節では「アメーン」とそのままヘブライ語で音写しているが、「然り」あるいは「まことに」とギリシャ語に字義訳している箇所が多い。(4:25、9:27、11:51他)
「アメーン」はマルコ13回、マタイ31回、に対してルカは福音書6回、使徒は0回である。
福音書の長さを考えるとルカのヘブライ語使用率は非常に小さい。
ルカはこの種の非ギリシャ語の単語は通常ギリシャ語に訳すことにしている。
24節で「アメーン」をそのまま音写しているのは、資料をそのまま写しているからであろう。
ルカには旧約を混成引用できるほどヘブライ語・アラム語に対する造詣はなかったものと思われる。
つまり、この個所の引用は、ルカ独自のものというよりは、ルカの周辺で旧約に造詣のあるユダヤ人キリスト信者によって、イエスに適用して語られていたものをルカが採用したということだろう。
エリヤの時代におけるサレプタ(NWT:ザレパテ)のやもめ物語に登場する「三年六カ月」に関しても同様であろう。
列王上17章に登場する有名な話の一つであるが、18:1では「三年六カ月」ではなく「三年」とある。
しかし、ヤコブ5:17では同じ話が「三年六カ月」として記されている。
これはおそらくダニエル書の影響で、「三年半」という数字が災害の象徴として用いられていることから、エリヤの話も、いつの間にか「三年半」として語られるようになったものだろう。(クロスターマン)
つまり、ルカ自身が列王上を七十人訳で確かめ写していたのであれば、「三年」となっているはずである。
しかし、ルカ当時のユダヤ人の終末思想の影響を受けた記述である「三年六カ月」を採用しているということは、ルカ自身のオリジナルではなく、ルカ周辺のユダヤ人キリスト信者による伝承をルカがそのまま採用しているということになる。
ちなみにサレプタ(Sarepta)は、列王上17:9では、Carephathaという綴りで出て来るので、口語訳等は「ザレパテ」と表記している。
しかし、「サレパタ」もしくは「ザレパタ」がヘブライ語発音に近い。
ルカ4:26の表記は、Sareptaであり、発音的には「サレプタ」と表記すべきもの。
「ザレパテ」の表記は、旧約との一致を図った聖書正典信仰に忖度したものだろう。
ルカは、エリヤには「預言者」という肩書を付けていないが、エリシャに関しては、「預言者エリシャ」としている。
おそらく、「エリヤ」は誰もが知っている「預言者」であるから、「預言者」という肩書がなくても分かるであろうが、「エリシャ」の方はそれほど有名ではない。
「預言者」という肩書を付けて、紹介してあげた方が親切だと考えたのだろうか。
ルカは「大勢の癩病人がいたのだが、シリア人ナイマン以外はだれも淨められなかった」としている。
確かに列王下5章には、ナイマンの癩病が癒されたことは記述されているが、エリシャがシリア人ナイマン以外の癩病人を癒すことがなかった、とは書かれていない。
エリヤが飢饉の時に遣わされたのは、サレプタのやもめのところだけであるが、エリシャが遣わされたのは、シリア人ナイマンのところだけとは書かれていない。
この話をイエスに適用した創作者たちが、預言者はどちらもただ一人に遣わされた、と意図的に強調したかったのだろう。
その方が、預言者気取りのキリスト教宣教者、あるいはイエス気取りのキリスト教宣教者を受け入れることの有難味と拒絶することの罪悪感を強調することができる。
ルカのイエスが、いかにも劇画調で行動に矛盾があり、創作であることを感じさせる点を指摘しておく。
会堂の人々は「彼の口から出る恵みの言葉に驚く」(NWT:「その口から出る、人を引きつける言葉に驚嘆するようになった」)とある。
イエスの語る「恵みの言葉」に会堂の聴衆が「引きつけ」られて、驚嘆したのであれば、続くイエスの行動があまりにも不自然となる。
イエスは彼らから、何の反対のことを言われていなのに、自分の側から「医師よ、自分自身を癒せ」と言われた、とか「いかなる預言者も自分の故郷では歓迎されない」と語ったというのである。
これでは、イエスの側から「恵みの言葉」に引き付けられた故郷の人々に宣戦布告をしたようなものである。
自分を高く評価してくれた人たちに対して、自分から「お前らは悪い奴らだ」と喧嘩を売っておいて、聴衆のすべて者が憤り、殺そうとすると、イエスはヒラリとかわし、殺気立った暴徒の中を静かに歩み去った、というのである。
いくらスーパーマンでも、もう少しリアリティのある脚色ができるのではないかと思ってしまう。
崖から突き落とそうとして、憤りに満ちている群衆の中央をモーセの十戒のよう歩き去ることは、海を渡ることよりも難しいのではなかろうか。
聖書にそう書いてあるから、実際に起こったことなのでしょうが…
信じたい人はご自由に…
ルカの「驚く」(thaumazO)が「不思議に思う」あるいは「訝る」という意味であったとしても、イエスの行動の破天荒ぶりはキリスト様らしいものではない。
会堂の聴衆が、おらが村のヨセフのガキがおかしなことを言うもんだねぇ、と批判的なことを口にしたら、イエスはブチ切れて、お前らなんか、誰一人癒してやんねぇからなぁ、と喧嘩を売っている事になる。
どちらにしろ、キリスト様には似つかわしくない行動である。
ルカは、ナザレの人々は所詮ヨセフの息子ではないか、と怪訝な顔をした、という。
それに対してルカのイエスは、所詮お前らにはわかるわけがないだろうと、敵愾心をむき出しにして、ユダヤ人を切り捨てたのである。
このイエス象は、ルカのキリステ教精神を描いたものであり、実際のイエスとは無関係の創作であろう。
以上が、<故郷で>の並行記述を比較、分析したことから見えて来る、イエスの実像と、当時のキリスト教の実態である。