マルコ5:1-20 <ゲラサ人の癒し> 並行マタイ8:28-34、ルカ8:26-39
マルコ5:1-20 (田川訳)
1そして海の向こう岸に、ゲラサ人の地方に来た。2そして彼が舟から出るとすぐに、汚れた霊に憑かれた者が墓場から出て来て、彼に出会った。3この者は墓場に住んでいて、もはや誰も、鎖をもってしても、縛っておくことができなかった。4というのも、しばしば足かせや鎖で縛っておかれたものだが、鎖は引き裂かれ、足かせは砕かれてしまった。そして誰も彼を縛っておくことができなかった。5そして常に、夜も昼も、墓場や山にいて、叫んだり、自分を石で打ちたたいたりしていた。6そしてイエスを見ると遠くから走って来て、拝礼した。7そして大きい声で叫んで言う、「俺とあんたの間にどういう関係がある、いと高き神の子イエスさんよ。神かけてあんたに言ってやる、俺にちょっかいを出すなよ」。8というのも、この男に「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言ったからである。9そしてこの男にたずねた、「あなたの名前は何というのか」。そして彼に言う、「俺の名前はレギオンだ。なんせ俺たちは大勢だからな」。10そしてこの地方から追い出さないようにと、しきりに頼む。11そこに、山の方に、豚の大群が飼われていた。12そして彼に頼んで言った、「俺たちをあの豚の方に送り出してくれ。俺たちが豚の中に入れるように」。13そして彼らに許した。そして汚れた霊どもは出て行って、豚の中に入った。そして豚の群は走り出した、崖から海へと。およそ二千頭だったが、海の中で溺れた。
14そして豚を飼う者たちは逃げ、町や畑などで話を告げた。そして何が起こったのかと見に来た。15そしてイエスのもとに来て、悪霊に憑かれていた者が衣を着て正気になって座っており、それがレギオンを宿していた者であるのを見る。そして恐れた。
16そして見た者たちが、悪霊に憑かれていた者と豚の群とに起こったことを彼らに説明した。17そして彼に、彼らの領域から出て行ってくれるようにと頼みはじめた。
18そして彼が舟に乗ると、悪霊に憑かれていた者が、一緒に行かせてくれと彼に頼む。19そしてそれを許さず、その者に言う、「あなたの家に、自分の者たちのところに行きなさい。そして彼らに、主があなたになして下さったこと、あなたに慈悲を与えて下さったことを伝えなさい」。20そして彼は去って行き、イエスが彼になしたことを、デカポリス(地方)で宣べ伝えはじめた。そして皆が驚愕した。
マタイ8:28-34
28そして彼が向う岸に、ガダラ人の地方に来ると、悪霊に憑かれた者が二人、墓場から出て来て、彼に出会った。これは非常に厄介な者たちで、誰もその道を通ることができないほどだった。29そして見よ、彼らが叫んで言った、「俺たちとあんたの間に何の関係がある、神の子さんよ。俺たちにちょっかいを出しにここにお出でになるのは、ちょっと早すぎますぜ」。30彼らから遠くに、多くの豚の群が飼われていた。31悪霊どもは彼に頼んで言った、「もしも俺たちを追い出すってんなら、あの豚どもの群の中に行かせてくれよ」。32そこで彼らに言った、「行け」。彼らは出て行って、豚の中に入った。そして見よ、群が全部走り出した、崖から海へと。そして水の中で死んだ。
33飼う者たちは逃げ、町に行って、一切のことを、また悪霊に憑かれた者たちのことを告げた。
34そして見よ、町中がイエスに会いに出て来て、イエスを見ると、彼らの領域から移ってくれるようにと頼んだ。
ルカ8:26-39
26そして彼らはゲラサ人の地方へと着いた。これはガリラヤの対岸である。27彼が陸にあがると、悪霊に憑かれた一人の男が町から出て来て、出会った。この男は長い間衣服も着ず、家におらず、墓場にとどまっていた。28この男がイエスを見ると叫び声を上げ、ひれふし、大声で言った、「私とあなたの間に何の関係があるのですか、いと高き神の子イエスよ。私をかまわないでおいて下さるよう、お願いします」。29というのも、汚れた霊に対して、この人から出て行くようにと命じたからである。すでに長い間霊がこの人をつかまえていて、この人は鎖や足かせで縛られ、監視されていたのだが、縛ってあるものを引き裂いて、悪霊によって荒野へと追いやられていたのである。30イエスがこの男にたずねた、「あなたの名前は何というのか」。彼は言った、「レギオンです」。これは、沢山の悪霊がこの男の中に入り込んでいたからである。31そして悪霊どもはイエスに、地獄に行けなどと命じないようにと頼んだ。32そこに、山に、かなり多くの豚の群が飼われていた。そこで悪霊どもは彼に、その豚に入るのを許してくれるように、と頼んだ。イエスが彼らに許すと、33悪霊どもはその人から出て行って、豚の中に入った。そして豚の群は走り出した。崖から湖へと。そして溺れた。
34飼う者たちは起こったことを見て、逃げ、町や農家などで話を告げた。 35そして、起こったことを見に、出て来た。そしてイエスのもとに来て、その人から悪霊がすでに出て行って、衣を着て正気になってイエスの足もとに座っているのを見た。そして恐れた。
36そして見た者たちが彼らに、悪霊に憑かれた者がどのようにして救われたのかを告げた。37そして近隣のゲラサ人の多数の者がみな彼に、彼らのところから出て行ってくれるように、とたずねた。大きな恐れにとらえられたからである。彼は舟に乗って帰っていった。
38そして、悪霊が出て行った男が彼に、一緒に行かせてくれるようにと願った。しかしイエスは男を去らせて、言った、39「あなたの家に帰りなさい。そして神があなたになして下さったことをすべて話しなさい」。そして去って、イエスが彼になしてくれたことをすべて、町中で宣ベ伝えた。
マルコ5:1-20 (NWT)
1さて,彼らは海の向こう側に着き,ゲラサ人の地方に入った。2 そして,[イエス]が舟から出てすぐのち,汚れた霊に支配された男が記念の墓の間から[出て来て]彼に会った。3 この男は墓場を住みかとしていた。その時まで,全くだれも,鎖をもってしてさえ彼を縛りつけることができないでいた。4 足かせと鎖で幾度も縛られたことがあるが,鎖は引きちぎり,足かせは現に打ち壊してしまったからである。だれも彼を従わせるだけの力がなかった。5 そして彼は夜も昼も絶え間なく墓場や山の中で叫んだり,石で自分の身を切りつけたりしていたのである。6 ところが,遠くからイエスを見つけると,彼は走って来てイエスに敬意をささげた。7 そして,大声で叫んでから,こう言った。「至高の神の子イエスよ,わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしを責め苦に遭わせないことを神にかけて誓ってもらいます」。8 これは[イエス]が,「その男から出て来なさい,汚れた霊よ」と命じておられたからであった。9 それでも[イエス]は,「あなたの名は何か」と尋ねはじめられた。すると彼は,「わたしの名は軍団<レギオン>です。わたしたちは大勢いるからです」と言った。10 そして彼は,霊たちをその地方から追い出さないようにと何度も懇願するのであった。11 ところで,豚の大群がそこの山で物を食べていた。12 そこで彼らは懇願し,「わたしたちを豚の中に送り込んで,彼らの中に入れるようにしてください」と言った。13 それで[イエス]はお許しになった。そこで,汚れた霊たちは出て来て豚の中に入った。すると,その群れは突進して断がいから海に落ち,二千頭ほどいたのが,次々に海の中でおぼれ死んだ。
14 しかし,牧夫たちは逃げて行き,市内とあたりの田舎でそのことを報告した。すると人々は,どういうことが起きたのかを見ようとしてやって来た。15 こうして彼らはイエスのところに来て,悪霊に取りつかれた[男],軍団を宿していた当の[男]が,衣服をまとい,正気になって座っているのを見た。それで彼らは恐ろしくなった。
16 また,それを見ていた者たちは,悪霊に取りつかれた[男]にこのことがどのように起きたか,そして豚のことについても彼らに話した。17 それで彼らは,自分たちの地域から去ってくださいと[イエス]に懇願し始めた。
18 さて,[イエス]が舟に乗ろうとしておられると,それまで悪霊に取りつかれていたその[男]が,ずっと一緒にいさせていただきたいと懇願しはじめた。19 しかし[イエス]はそれを許さず,彼にこう言われた。「あなたの親族のもとに帰り,エホバがあなたにしてくださったすべての事,またあなたにかけてくださった憐れみについて知らせなさい」。20 それで彼は去って行き,イエスが彼のために行なったすべての事をデカポリスでふれ告げ始めた。それで,人々はみな不思議に思うようになった。
マタイ8:28-34
28 [イエス]が向こう側に着いて,ガダラ人の地方に入ると,悪霊に取りつかれた二人の男が記念の墓の間から出て来て彼に会ったが,[この二人は]ことのほか狂暴であったので,だれもその道を行ってそばを通る勇気がなかった。29 ところが,見よ,彼らが絶叫してこう言った。「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に遭わせようとして,定められた時よりも前にここに来たのですか」。30 ところで,彼らから遠く離れた所で豚の大きな群れが放牧されていた。31 それで悪霊たちは彼に懇願しはじめ,「わたしたちを追い出すのでしたら,あの豚の群れの中に送り込んでください」と言った。32 そこで[イエス]は,「行け!」と言われた。彼らは出て来てから,豚の中に入り込んだ。すると,見よ,その群れ全体が突進して断がいから海に落ち,水の中で死んだ。
33 ところが,牧夫たちは逃げて行き,市内に入って,悪霊に取りつかれた男たちの事を含め,一切のことを知らせた。
34 すると,見よ,全市[の人々]がイエスに会おうとして出て来た。そして,[イエス]を見たのち,自分たちの地域から出てくれるようにと切に求めるのであった。
ルカ8:26-39
26 こうして彼らはゲラサ人の地方の岸に着いた。それはガリラヤの向かい側である。27 ところが,[イエス]が陸に上がると,そこの都市の者で,悪霊たちにつかれている男が彼に出会った。そしてこの男はかなり長いこと衣服を着たことがなく,家にではなく,墓場に住みついていたのである。28 彼はイエスを見ると大声で叫び,その前にひれ伏して,大きな声でこう言った。「至高の神の子イエスよ,わたしはあなたと何のかかわりがあるのですか。お願いします,わたしを責め苦に遭わせないでください」。29 (というのは,その男から出て来るようにと,[イエス]がその汚れた霊に命じておられたからである。その[霊]は長いあいだ彼を堅くとらえてきたのであり,男は何度も監視のもとに置かれて鎖と足かせでつながれたが,かせは断ち切り,悪霊によって寂しい場所へと追いやられるのであった。)30 イエスは彼に,「あなたの名は何か」とお尋ねになった。彼は,「軍団<レギオン>です」と言った。数多くの悪霊が彼に入り込んでいたからである。31 そして彼らは,去って底知れぬ深みに行けとはお命じにならないようにと,しきりに彼に懇願するのであった。32 ところで,かなりの数の豚の群れがそこの山で物を食べていた。それで彼らは,その中に入ることを許してくださるようにと彼に懇願した。すると[イエス]は,彼らにその許しをお与えになった。33 そこで,悪霊たちは男から出て行って,豚の中に入った。すると,その群れは突進して行き,断がいから湖に落ちておぼれ死んだ。
34 しかし,牧夫たちは起きた事を見て逃げて行き,そのことをそこの都市やあたりの田舎に知らせた。35 そこで人々は起きた事を見ようとして出て来た。そしてイエスのところにやって来て,悪霊たちの出た男が衣服を着け,正気になってイエスの足もとに座っているのを見た。それで彼らは恐れの気持ちでいっぱいになった。
36 その場を見ていた者たちは,悪霊に取りつかれた男がどのようにしてよくなったかを人々に伝えた。37 それで,周辺のゲラサ人の地方から来た大勢の人々は皆,自分たちのところから離れてくれるようにと彼に求めた。彼らは非常な恐れにとらわれていたのである。それから[イエス]は舟に乗って戻って行かれた。
38 しかし,悪霊たちの出た男は,ずっと一緒にいさせて欲しいとしきりに願い求めるのであった。しかし[イエス]はこう言って男をお去らせになった。39 「家に帰りなさい。そして,神があなたにしてくださったすべてのことについて語りつづけなさい」。それで彼は去って行き,イエスが自分にしたことすべてをその都市全体にふれ告げた。
マルコは、三部構成の構造。
1-13 汚れた霊に憑かれたゲラサ人をイエスが癒し、豚に送り込まれた悪霊が豚を溺死させたという奇跡物語の民間伝承。
14-17 それを受けて、奇跡を目撃した町の人々の反応。
18-20 癒された者に対するイエスの宣教指示。
マタイは、マルコの記事を可能な限り短くしている。
1-13に対応するのは、28-32の5節。
14-17に対応するのは、33の1節だけ。
18-20に対応するのも、34の1節だけ。
ルカは、マルコの表現を修正しながら、ほぼそのまま踏襲している。
1-13に対応するのは、26-33の7節。
14-17に対応するのは、33-36の4節。
マルコの構成を変えながら、ほぼマルコ文を踏襲している。
18-20に対応するのは、38-39。
ほぼマルコを踏襲している。
具体的にマルコを基準に共観福音書間の相違を順に比較してみる。
マルコ ゲラサ人の地方
マタイ ガダラ人の地方
ルカ ゲラサ人の地方
マルコとルカは、「ゲラサ人の地方」であるが、マタイは「ガダラ人の地方」。
マルコの「ゲラサ人の」(gerasEnOn)には異読があり、「ガダラ人の」(gadarEnOn)とするC写本、コイネー写本群他、「ゲルゲザ人の」(gergesEnOn)とするL、Θ写本他、「ゲルギュスタ人の」(gergystEnOn)とするW写本がある。
「ゲラサ人の」とするのは、シナイ写本、バチカン写本のアレクサンドリア系の最重要写本に、西方系の写本が一致して採用している。
マタイの「ガダラ人の」にも異読があり、マルコと同じく「ゲラサ人の」とするもの、「ゲルゲザ人の」とするもの、「ガザラ人の」(garazarEnoi)とするもの。
写本の数からすれば「ゲルゲザ人の」とするものが非常に多いが、写本の重要性(BCΘ他)からすれば「ガダラ人の」の読みであることは確実。
「ゲラサの町」は「デカポリス」の一つで、ヘレニズム諸都市の中でも有力な都市の一つ。ガリラヤ湖と死海のほぼ中間点から東に60キロほど離れた場所。ガリラヤ湖の向こう側というよりも、ヨルダン川の中間点の内陸側であり、ガリラヤ湖岸からはかなり距離が離れている。
他方、「ガダラの町」は、ヨルダン川の上流から10キロほど内陸に位置している町。「ゲラサの町」よりは、はるかにガリラヤ湖に近い。しかしながら、湖岸に面している町ではない。
マタイの読みの方に従う方が正しいと思われるかもしれないが、この奇跡物語の舞台は、ガリラヤ湖岸である。
「ゲラサ」がダメであるなら、同じ理由で「ガダラ」もダメであろう。
マルコの原文は、正文批判上、写本の重要性からしても「ゲラサ」であったことは確実。
しかしながら、マルコには、「ゲラサ人の町」とあるのでも「ゲラサの地方」でもなく、「ゲラサ人の地方」。特定の「町」と限定しているわけではなく、「ゲラサ人」が居住している「地方」、「領域」という趣旨。
マタイでも、「ガダラ人の町」とあるのではなく、「ガダラ人の地方」。
マルコは、この奇跡物語が「デカポリス」で宣べ伝えられたと出来事としている。
「ゲラサ」という町は、デカポリスの中でも有力な都市の一つである。
マルコとしては、ガリラヤ湖畔の一帯だけでなく、ヨルダン川の東側全体を「ゲラサ人の地方」と考えていたのだろう。単に「デカポリスの地方」のことを「ゲラサ人の地方」と呼んだものとも考えられる。
マタイは、「ゲラサ」の町はガリラヤ湖の近くではないことを知っており、よりガリラヤ湖岸に近い「ガダラ」に変えたのであろう。
「ゲルゲザ人の」という読みは、カイサリア系(Θ、f128、565、700、L、Δなど)があり、三世紀初めのオリゲネスが支持している。著書「ヨハネ福音書註解」によると、
「(この悪霊と豚の話は)ゲラサ人の地方で起こった、と記されている。ゲラサはアラビアの町で、近くに海も湖もない。……またいくつか(の写本)には「ガダラ人の地方へ」とある。これを指示する理由として、ガダラはユダヤの町であり、近くには有名な温泉がある、と言われる。しかし崖のある湖などはないし、海もない。しかしゲルゲザは古い町で、今日ティベリアス湖と呼ばれる湖のほとりにある。そこには湖に接して崖があり、豚たちは悪霊によってそこから落ちたのだと示される」(『ヨハネ福音書註解』6・41)
オリゲネスは実際にこのあたりの土地を自分で調べて言っているのであり、ゲルゲザという名前の町がガリラヤ湖東岸にあり、そこにはこの奇跡物語に登場するような崖があったのも確かなのであろう。
このゲルゲザは今日アラビア語でkursiないしkurseと呼んでいる場所に推定されている。
「ゲルゲザ人の」とする読みは、カイサリア系の写本にだけ出て来る読みである。オリゲネスとカイサリア系写本との間には密接な関係がある。
オリゲネスはアレクサンドリアで活躍した神学者であるが、アレクサンドリアの司教によってカイサリアに追放された人物。
引用した『ヨハネ福音書註解』もアレクサンドリアで書きはじめ、カイサリアで完成させたもの。
オリゲネスは「ゲラサ」あるいは「ガダラ」とは、実は「ゲルゲザ」の町である、としたのである。
カイサリア系の写本はマルコ福音書だけに見られるもので、他の三福音書とは異なった経路を経て伝播していたことを示している。
オリゲネスがカイサリアに移ってから用いた写本系統であり、原本はパレスチナで成立し、それがエジプトにもかなり早い段階から流布していた、と考えられる。
『ヨハネ福音書註解』には「ゲルゲザ」という読みの写本には言及されていない。
「ゲルゲザ」の読みをする写本はオリゲネス以降のものである。しかしながら、「ゲルゲザ」の読みをする写本の存在を否定しているものでもない。
チェスター・ビーティーが発見されて以降、マルコに関してはカイサリア系の読みが原文である可能性が高くなっている。
従がって、「ゲルゲザ」という読みをしているカイサリア系の写本は、オリゲネスの見解に従ったものであろう。
マタイの「ゲルゲザ人の」という読みも、オリゲネスの影響を受けたマルコを逆輸入したものと考えられる。
マルコ 汚れた霊に憑かれた者(単数)
マタイ 悪霊に憑かれた者が二人
ルカ 悪霊に憑かれた一人の男
マルコでは「汚れた霊に憑かれた者」とは、男性形単数。
ところが、12節の「頼んで言った」(parekalesan,legontes)以降、複数形になる。
ルカも「悪霊に憑かれた者が一人」と単数。
マタイは「悪霊に憑かれた者が二人」としている。
マタイは、マルコ(10:46)が「盲人一人」としているところを、並行(マタイ9:27)でも「二人の盲人」としている。理由は不明。マタイは盛るのがお好き…?
マルコ 墓場から出て来て
マタイ 墓場から出て来て
ルカ 町から出て来て
マタイはマルコをそのまま写し、「墓場から」としているところを、ルカは「町から」と書き変えている。
ルカの直訳は「町から出会った」。
「町から」(ek tEs poleOs=out of-the city)という前置詞句を「出会った」という動詞にかかる副詞句と解したもの。
NWTは「そこの都市の者で」。
「町から」という句を「そこの者」(anEr tis=man any)にかかる形容詞句と解したもの。
ルカがなぜ「墓場」を「町」にしたのかは不明。「町」に「墓場」もあったと考えたのだろうか。
マルコ
この者は墓場に住んでいて、もはや誰も、鎖をもってしても、縛っておくこと ができなかった。というのも、しばしば足かせや鎖で縛っておかれたものだが、鎖は引き裂かれ、足かせは砕かれてしまった。そして誰も彼を縛っておくことができなかった。そして常に、夜も昼も、墓場や山にいて、叫んだり、自分を石で打ちたたいたりしていた。
マタイ
これは非常に厄介な者たちで、誰もその道を通ることができないほどだった。
ルカ
この男は長い間衣服も着ず、家におらず、墓場にとどまっていた。
(男に対する描写が続くマルコの構成の順番を変え、イエスに対する悪霊の言葉を挿入する構成に編集)
すでに長い間霊がこの人をつかまえていて、この人は鎖や足かせで縛られ、監視されていたのだが、縛ってあるものを引き裂いて、悪霊によって荒野へと追いやられていたのである。
マルコはこの男の現状を、「もはや誰も、鎖をもってしても、縛っておくことができなかった」等々、詳しく描写している。
マタイはそれを「非常に厄介な者たち」と一言に要約した。複数形にしたことは忘れずに。
ルカは、マルコにおけるこの男に対する長い現状描写を、「長い間衣服も着ず、家におらず、墓場にとどまっていた」と、まず導入句的に描写している。
「町から出て来て出会った」としたので、「家におらず、墓場に住んでいる」という設定にしたのだろう。
マルコにはこの男が悪霊に憑かれていた状態の時に、「衣を着ていなかった」という描写はないが、癒された後に「衣を着て正気になった」という記述がある。
ルカはそれを知っていたので、イエスが最初にこの男と出会った時には「衣服も着ず」と付加したのだろう。
次にルカは、この男がイエスに懇願する場面を描き、この男の現状についてさらに説明を加えるという構成に変更した。
「もはや誰も、鎖をもってしても、縛っておくことができなかった」というマルコの描写を「すでに長い間霊がこの人をつかまえていた」と書き変え、「しばしば足かせや鎖で縛っておかれたものだが、鎖は引き裂かれ、足かせは砕かれてしまった」というマルコの表現は生かした。
更に「墓場や山にいて、叫んだり、自分を石で打ちたたいていた」というマルコの描写を「悪霊によって荒野へと追いやられていた」と書き変えた。
この男の状態が、悪霊の影響であることを強調し、マルコを仕立て直したのである。
マルコ
そしてイエスを見ると遠くから走って来て、礼拝した。そして大きい声で叫んで言う、「俺とあんたの間にどういう関係がある、いと高き神の子イエスさんよ。神かけてあんたに言ってやる、俺にちょっかいを出すなよ」
マタイ そして見よ、彼らが叫んで言った、「「俺たちとあんたの間に何の関係がある、神の子さんよ。俺たちにちょっかいを出しにここにおいでになるのは、ちょっと早すぎますぜ」
ルカ この男がイエスを見ると叫び声を上げ、ひれふし、大声で言った、「私とあなたの間に何の関係があるのですか、いと高き神の子イエスよ。わたしをかまわないでおいてくださるよう、お願いします」
マルコは、悪霊に憑かれた男がイエスを見ると、「遠くから走って来て、礼拝した」と描写しているが、マタイもルカも「遠くから走って来て」という句を削除している。
マタイはマルコの「叫んで言った」だけを採用。
マルコの「礼拝した」(piptO)に対して、ルカは「ひれふし」(prospiptO)。
マルコとルカの違いは、pros(=前方) という接頭語の有無。
piptOの原意は、「倒れる」。
拝礼する行為の場合には、一語で「ひれふす」を意味する。イスラム教の礼拝の場面を思い浮かべるなら理解できる。強調の接頭語。ルカの方が強調されている。
マルコの悪霊の言葉は「俺とあんたの間にどういう関係がある、いと高き神の子イエスさんよ。神かけてあんたに言ってやる、俺にちょっかいを出すなよ」。
マタイとルカはマルコの「神かけてあんたに言ってやる」(horkizO se ton theon=I-put-under-aoth you the God)を削除。
悪霊の方がイエスを支配しようとしている表現を避けたのだろう。
マルコの「ちょっかいを出すなよ」(basanizO)をマタイは「ちょっかいを出しにここにおいでになるのは、ちょっと早すぎますぜ」。
メシアが世界全体を支配するときはまだ来ていないはずだ、と悪霊が言う。キリストの再臨信仰を読み込んでいる。
ルカは、「かまわないでくださるよう、お願いします」。
マルコの悪霊がイエスに命令する表現を、悪霊がイエスに懇願する表現に変えた。キリスト信仰の読み込み。
NWTは「ちょっかいを出す」(basanizO)をNWTは「責め苦に逢う」と訳す。
それほど重い意味はないそうだ。
マルコ
というのも、この男に「汚れた霊よ、この人から出て行け」と言ったからである。
マタイ 削除
ルカ
というのも、汚れた霊に対して、この人から出て行くようにと命じたからである
マルコに登場するイエスの言葉「汚れた霊よ、この人から出て行け」をマタイは削除。
ルカは、マルコの直接話法を、間接話法に変えて、採用。
マルコ
そしてこの男にたずねた、「あなたの名前は何というのか」。そして彼に言う、「俺の名前はレギオンだ。なんせ俺たちは大勢だからな」。そしてこの地方から追い出さないようにと、しきりに頼む。
マタイ 削除
ルカ
イエスがこの男にたずねた、「あなたの名前は何というのか」。彼は言った、「レギオンです」。これは、沢山の悪霊がこの男の中に入り込んでいたからである。そして悪霊どもはイエスに、地獄に行けなどと命じないようにと頼んだ。
マタイはマルコのイエスと悪霊の名前に関する問答を削除。
ルカはマルコの「この地方から追い出さないように」という依頼を、「地獄に行けなどと命じないように」という懇願に変えた。
「地方」を「地獄」に変えている。キリストには悪霊を地獄に落とす権威と力を持っているというキリスト教ドグマの読み込み。
マルコの「この男にたずねた」(原文:彼にたずねた(「たずねた」は三人称単数形の動詞)、「そして彼に言う」(原文:答えられた(三人称単数形の受身形))というぎこちない文をルカは整えてくれた。
「たずねた」のはイエスが悪霊に対してであり、受身の「答えられた」とはイエスが返答を受けた、という意味なので、「俺の名はレギオンだ」という直接話法の主語が一致していない。
それで、ルカは「イエスが彼にたずねた」のであり、「彼(悪霊)は言った」とそれぞれの直接話法の主語と導入句の主語が一致するように整えてくれたのであろう。
「レギオン」(legiOn)は、ローマ帝国の軍隊用語。ラテン語のlegioをギリシャ語化したもの。「軍団」を意味する。
広大な帝国全体を支配する軍隊である。一軍団が六千人で構成されるという規定であるが、実際には四千人から五千人の規模であったらしい。皇帝アウグストゥスの時代には全ローマ帝国で二五軍団が存在していた。
それが、三世紀初めには三三軍団にもなる。一つの属州に一ないし二軍団、最大で四軍団駐留していた。舞台の場所となっている「ゲルゲザ」は帝国の東端に位置しており、軍事上重要な属州に位置していた。四軍団が駐留することが多かった。人数にして、およそ二万人の規模となる。
彼らは地方住民を守るために駐留しているのではない。ローマ帝国の名のもとに地方住民から搾取することは軍事上の当然の権利とされていた。帝国公認の暴力団のようなものである。
当時の農村や漁村などの一般民衆にとっては、一軍団といえども巨大な軍隊である。二万人もの軍隊の群は、恐怖を感じるほどのものだったであろう。
マルコは、「レギオン」を、この地方から「追い出さないように」と頼む「大勢」の者たちの比喩として用いている。
「悪霊」をローマ帝国の「軍団」に比喩したのももっともなことのように思われる。
「悪霊」の名前を「レギオン」(軍団)としたのは、ローマ帝国軍隊に対するせめてもの反感、軽蔑感の表われだったのであろう。
ルカは、「レギオン」という名は「沢山悪霊がこの男の中に入り込んでいた」ことが由来であるとしている。
ルカに従えば、悪霊に憑かれた男が一人としているのだから、彼に二万人の悪霊が憑いていたということになる。
キリスト様の権威と奇跡的能力が盛り盛りである。何せ、悪霊を「地獄に行かせる」権威も能力ももっていることを悪霊自身も認めているのだから。
マルコ
そこに、山の方に、豚の大群が飼われていた。そして彼に頼んで言った、「俺たちをあの豚の方に送り出してくれ。俺たちが豚の中に入れるように」。
マタイ
彼らから遠くに、多くの豚の群れが飼われていた。悪霊どもは彼に頼んで言った、「もしも俺たちを追い出すってんなら、あの豚どもの群れの中に行かせてくれよ」。
ルカ
そこに、山に、かなり多くの豚の群が飼われていた。そこで悪霊どもは彼に、その豚に入るのを許してくれように、と頼んだ。
「豚の群が飼われていた」のは、マルコは、「山の方」、マタイは「遠く」、ルカは「山」であるとしている。
マルコの表現は、pros to(_)i orei=toward the mountain、「山がある方向に」という趣旨。
ルカはそれを、en to orei=in the mountain、「山の中に」という趣旨にした。
これでは、山中に豚の群がいたことになる。木々に覆われている山中に飼われているかなり多くの豚の群がルカには見えたのだろうか…
ルカはマルコの直接話法による悪霊の懇願を、間接話法に変えた。
マルコ
そして彼らに許した。そして汚れた霊どもは出て行って、豚の中に入った。そして豚の群は走り出した、崖から海へと。およそ二千頭だったが、海の中で溺れた。
マタイ
そこで彼らに言った、「行け」。彼らは出て行って、豚の中に入った。そして見よ、群が全部走り出した、崖から海へと。そして水の中で死んだ。
ルカ
イエスが彼らに許すと、悪霊どもはその人から出て行って、豚の中に入った。そして豚の群は走り出した。崖から湖へと。そして溺れた。
マタイはマルコの叙述の文をイエスの直接話法命令文に変えて編集。
マルコの「崖から海へと」とした個所を、ルカは「崖から湖へと」に訂正。
マタイは、マルコをそのまま写し「崖から海へと」。
「湖」と「海」を厳密に区別するのは純ギリシャ語人間のルカだけ。
日本語の「うみ」が海と湖の両方を指して用いられるのと同じく、ヘブライ語でも海と湖は区別されていない。ヘブライ語が母語のマルコの言い方。
ギリシャ語に厳しいルカは、「海」ではなく「湖」であると訂正したくなったのであろう。
「悪霊」のようなローマ帝国の「軍団」は「豚の大群」のようなものであるから、せめて早くこの地方から出て行ってくれ、崖から落ちて海で死んでくれたら良いのに……、という現地の民衆の気持ちがマルコの原伝承には描かれていたのだろう。
元はイエスがローマ帝国軍隊を揶揄するイエスの民間伝承だったものを、弟子たちがキリスト信仰の奇跡物語に仕立て直して流布させたキリスト伝承であろうか…
マルコ
そして豚を飼う者たちは逃げ、町や畑などで話を告げた。そして何が起こったのかと見に来た。そしてイエスのもとに来て、悪霊に憑かれていた者が衣を着て正気になって座っており、それがレギオンを宿していた者であるのを見る。そして恐れた。
そして見た者たちが、悪霊に憑かれている者と豚の群に起こったことを彼らに説明した。そして彼に、彼らの領域から出て行ってくれるように頼みはじめた。
マタイ
飼う者たちは逃げ、町に行って、一切のことを、また悪霊に憑かれた者たちのことを告げた。そして見よ、町中がイエスに会いに出て来て、イエスを見ると、彼らの領域から移ってくれるようにと頼んだ。
ルカ
飼う者たちは起こったことを見て、逃げ、町や農家などで話を告げた。そして起こったことを見に、出て来た。そしてイエスのもとに来て、その人からすでに悪霊が出て行って、衣を着て正気になってイエスの足もとに座っているのを見た。そして恐れた。
そして見た者たちが彼らに、悪霊に憑かれた者がどのようにして救われたのかを告げた。そして近隣のゲラサ人の多数の者がみな彼に、彼らのところから出て行ってくれるように、とたずねた。大きな恐れにとらえられたからである。
マルコは「町や畑など」(eis tEn polin kai eis tous agrous=into the city and into the fields)。NWTは「市内とあたりの田舎で」。
マタイは「町」(eis tEn polis=into the city)。NWTは「市内に入って」。マルコでは、最終的に「デカポリス」でイエスの話が宣ベ伝えられた、とあるがマタイは「町中」に限定した。
ルカは「町や農家など」(eis tEn polin and eis tous agrous=into the city and into the fields)。NWTは「そこの都市やあたりの田舎に」。
マタイはマルコの「畑など」を削り、ルカはマルコをそのまま写している。
マルコ、マタイ、ルカ共に「町」は単数形。
ppolisは行政的には独立都市を指すが、厳密な意味でゲルゲザの町をpolisと呼んでいるわけではないのだろう。1:33でカペルナウムの町をpolisと呼んでいるのと同じく、一般的な意味で「町」から人々が見に来たという趣旨に思える。
マルコとルカの「畑など」「農家など」は、「畑」の複数形。
NWTは「あたりの田舎」と訳しているが、この語を「村」とは呼べない小さな村を指すという解釈に従ったもの。
日中なら畑で働いている人は大勢いたから、その人たちに話を伝えた。
あるいは畑の中に点在していた農家、畑に囲まれた小さな集落に話を伝えた、という可能性もある。いずれにしても、原義は「畑」。
(田川訳はマルコでは「畑など」、ルカでは「農家など」と同じ語を異なる訳にしている。理由は不明。マルコ執筆時には訳語を統一しきれなかったのかもしれない。単なる不注意か、ルカ執筆時には「農家」の方が適語と考えたのか。田川先生に確認できたら追記します。)
マルコの「悪霊に憑かれていた者」と「豚の群に起こったこと」を、マタイは「悪霊に憑かれた者たちのこと」と一つにまとめた。
ルカはマルコの「悪霊に憑かれていた者」という過去形の表現と「それがレギオンを宿していた者である」という説明を、一つにまとめて、「その人からすでに悪霊が出て行った」と表現してくれた。マルコより整った文章を書けることを示したかったのだろう。
マタイはマルコの「彼らの領域から出て行ってくれるように」の動詞「出て行って」(apelthein=to-go-off)を、「移って」(metabE=he-might-go-across)に変えている。
同じ語の繰り返しを避ける西洋のレトリックに従ったただけで同義語として使っているのだろう。
ルカは、話を告げられ、「出て行ってくれ」とイエスに頼んだ「町や農家など」人々が、「近隣のゲラサ人の多数の者」であった説明を加えている。
ゲラサ人の地方の話であるのだから、近隣のゲラサ人の多数の者と説明する必要があるのか疑問。それとも、豚を飼う者たちが住んでいた町のほかにも近隣の多くの村で、という趣旨だろうか。
ゲラサ人の町や近隣の村々の農家にはイエスを追い出そうとするような無理解な群衆が大勢いた、という趣旨だろうか。
ルカの群衆蔑視を反映させているのかもしれない。
いずれにしても、マルコの重複表現を整えてくれているわりには、ルカさんも無駄な重複表現をなさるようだ。
マルコ
そして彼が舟に乗ると、悪霊に憑かれていた者が、一緒に行かせてくれと彼に頼む。そしてそれを許さず、その者に言う、「あなたの家に、自分の者たちのところに行きなさい。そして彼らに、主があなたになして下さったこと、あなたに慈悲を与えて下さったことを伝えなさい」。そして彼は去っていき、イエスが彼になしたことを、デカポリス(地方)で宣べ伝えはじめた。そして皆が驚愕した。
マタイ 削除
ルカ
彼は舟に乗って帰っていった。そして悪霊が出て行った男が彼に、一緒に行かせてくれるようにと願った。しかしイエスは男を去らせて、言った、「あなたの家に帰りなさい。そして神があなたになしてくださったことをすべて話しなさい」。そして去って、イエスが彼になしてくれたことをすべて、町中で宣べ伝えた。
マタイは、悪霊に憑かれた二人の男が家に帰り、デカポリスで宣教したという話を全削除した。
マルコの「悪霊に憑かれていた者」(ho daimonistheis=the one-being-demonized)をルカは「悪霊が出て行った男」(ho anEr aph hou exelEluthei ta daimonia=the man from whom had-come-out the demon)。
マルコの直訳「悪霊化された者」という俗な言い方を丁寧な表現にしてくれた。
マルコの「頼む」(parekalei=entreated)を、ルカは「願う」(edeeto=besought)に書き直してくれた。
キリスト様に「頼む」などという直接的な行為ではなく、謙虚に「願い」出るべきなのだろう。
マルコの「舟に乗ると」をルカは、「舟に乗って帰って行った」と過去形にした。
論理的には、「帰った」後に、男がイエスに願うことも、イエスが男を去らせることも、できないはずであると思うのだが…。
イエスが舟に乗って帰ろうとした時に、という意味であろうが、下手に他人の文章に手を加えようとして、藪から蛇を出してしまったのだろうか…。
マルコは「主があなたになしてくださったこと」を「イエスが彼になしたこと」と言い換え、「主」=「イエス」という構図に描いている。
ルカはマルコの「主」を「神」に変え、「神があなたになしてくださったこと」を「イエスが彼になしてくれたこと」と言い換えている。
ルカは「神」=「イエス」(=「主」)とみなしているのだろうか。
ルカはマルコの「あなたに慈悲を与えて下さったことを」(伝えなさい)という句を削除した。
「慈悲を与える」(eleeO)という動詞は、「主よ、我を憐れみ給え」というキリスト教の決まり文句で使われる動詞。
この男にキリスト様がキリスト教的に「慈悲を与えた」ことを理解できなかったのか、快く思わなかったのか…。
理由は不明だが、マタイはこのくだり全文、ルカもこの句を削除している。
ルカはマルコの「デカポリス」を、「町中」に限定している。
いくらなんでも、一人の男によって「デカポリス」一帯に宣教活動がなされたというのは大げさすぎると思ったのだろう。
この男は「町から出て来て」、癒され、「町中に宣べ伝えた」という帰結にした。
文末に登場する無人称複数形の「恐れた」、「驚愕した」(マルコ)、「恐れた」「大きな恐れにとらえられた」(ルカ)は、奇跡物語の結びの常套句。
マタイは削除している。
マタイとルカはガリラヤのキリスト伝承を矮小化し、エルサレム伝承の方は誇大化する傾向があるようだ。