マルコ3:20-35 <イエスの家族、ベエルゼブル論争>2

 

2)   共観福音書間の相違から見える各著者の意識の相違

 

まず、相違を整理しておく。

 

マルコ3:20-21の「イエスの家族」の話は、マタイとルカにはない。

 

マルコは、イエスの母や兄弟がイエスを気が変になった人間、悪霊に憑かれた状態にあるので、つかまえに来たと評価している。マルコのイエスとイエスの家族の間には対立関係が存在する。

 

31「外に立って、人をやってイエスを呼ばせた」ことからすると、彼らはイエスに対して非常に威圧的である。

 

 

 

しかし、マタイ12:46は、イエスの母と兄弟がイエスのもとに来たのは、「話をしようとして」である、としている。マタイのイエスとイエスの家族たちの関係は、融和的である。

 

イエスの親族たちがキリスト教の教組に対して否定的な感情を持っていたということを認めたくないのであろう。

 

マルコとは違い、イエスの家族は「話をしようとして、外に立って」イエスを待っている姿に描いている。

 

マタイの描くイエスの親族は、イエスに対して恭順的である。

 

 

 

ルカ8:19-20にいたっては、単に合うために面会を申し出た、ことになっている。しかも「群衆によって阻まれた」事とした。

 

マタイと同じように、イエスの家族持っていたイエスに対しする否定的な感情を消したかった、だけでなく、ルカは、マルコとは逆に、イエスの家族ではなく、群衆の方をヒールに仕立てているのである。

 

 

 

後半の「イエスの家族」でも同様の相違がある。

 

マルコ12:34では、「これぞ我が母、我が兄弟」と真の信者としている対象は、「自分の周りを囲んでいる者たち」=12:32「群衆」に対してである。

 

「群衆」を「神の意志を行なう者」と評価しているのである。

 

 

 

しかし、マタイ12:49では、イエスが「自分の手を弟子たちの上にのばして」言ったとあり、「弟子たち」が神の意志を行なう者とされている。

 

マタイは、マルコのイエスが評価した「群衆」を「弟子たち」=「十二使徒」に変更させたのである。

 

 

しかし、この話の中でマルコには、「弟子」という表現は、一度も出て来ない。

 

3:13-19で十二使徒の名前を列挙し、その続きの話であるにもかかわらず、マルコではイエスと共に行動している十二弟子の姿は無視されているかのように、登場しない。

 

マルコにおけるイエスのまわりにいるのは、いつでも「群衆」であり、むしろ弟子たちは、イエスを無理解する存在として描かれている。

 

 

 

マルコのイエスでは「神の意志を行なう者」であったはずの「群衆」を、マタイは、「弟子たち」=「十二使徒たち」が「父の意志を行なう者」であることに変えてしまったのである。

 

 

 

ルカ8:21は、マルコ3:33のイエスの問い「私の母、私の兄弟とは誰のことか?」を省き、さらに「イエスが自分の周りに座っている群衆を指して言った」という文も削った。

 

そして、マルコ3:35「神の意志を行なう者」という表現を「神の言葉を聞いて行なう」に変えて、採用した。

 

その結果、マルコのイエスの家族に対する批判的な精神が消えてしまい、「神の言葉を聞いて行なう者こそが、私の母、私の兄弟である」という抽象的な一般論としてのロギアとなっている。

 

 

 

 

その違いは、どこから生じるのだろうか。単に福音書著者の個性の違いというだけでなく、時代背景の違いからも生じているように思われる。

 

マルコの当時は、イエスの兄弟であるヤコブがエルサレム教会の指導者であったと思われる。

それゆえ、マルコにおけるイエスの兄弟に対する批判は、当然、エルサレム教会にも向けられているのだろう。

 

マルコが執筆したのはどんなに早く見積もっても50年代である。それに対して、使徒の一人であるゼベダイの子ヤコブが殉教を遂げたとされるのは40年代前半であり、彼の死後、十二弟子が捕われたとする記録は存在しない。

 

パウロが、「十二人」に言及しているのはコリント第一15:5であるが、そこでもイエスが「十二人」に現われたと伝説的に語られているだけである。

 

もしかしたら、パウロの時代にはすでに十二使徒は存在しておらず、原始教団の理念的存在として伝説化されていただけで、現実的な影響力はなかったのかもしれない。

 

パウロが軟禁されるきっかけを作ったのも、エルサレム教会の指導者であったイエスの兄弟のヤコブである。

 

 

 

一方、マタイやルカの時代になると、キリスト教の教条が確立されつつあり、エルサレム教会の権威も確立されつつあったものと思われる。

 

ペテロをはじめとする十二使徒たちはいつもイエスとともにいて、イエスと行動を共にしていたという「十二人衆」という理念は、クムラン教団の理念ともエッセネ派の教団運営とも一致する。

 

おそらく、原始エルサレム教団がユダヤ教の理念を継承したのであろうが、ルカの時代になって初期キリスト教組織の歴史を記録するにあたり、「十二使徒」信仰思想が再構築されたのかもしれない。

 

そう考えると、マルコとルカの「十二使徒」の表が異なることの説明ができるかもしれない。

 

「十二使徒」の権威が集団指導体制として、実質的支配運営を構築できていたのであれば、名簿の名前が異なるという事態は生じないはずである。

 

別々の伝承が存在するということ自体が、少なくてもルカの時代には「十二使徒」による集団指導体制という概念は理想的なもの、あるいは単に観念的なものとして形骸化していたのかもしれない。

 

いずれにしても、マルコは「十二使徒」やエルサレム教団の指導者であった「イエスの親族」対する評価は低い。

彼らを「神の意志を実行している」存在とはみなしていない。

 

 

一方、マタイやルカは、「十二使徒」や「イエスの親族」に対する評価が高く、「神の言葉を聞いて行なう者」という存在と評価して描いている。

 

 

 

エルサレム教会の指導者はイエスの親族たちが継承していったことがエウセビオスの「教会史」には記録されている。

 

 

マタイやルカの時代には、イエスのキリスト信仰が確立されており、それに伴い、イエスの親族に対する神格化も進んでいったのであろう。

 

おそらく教団の指導者であったイエスの親族に否定的な見解を付与することは考えられなかったのであろう。

 

 

それで、マタイとルカは、マルコの否定的な見解を無難なものに書き換えて編集することにしたものと思われる。

 

 

 

 

マタイとルカには、「イエスの家族」の話の代わりに、「聾者の癒し」が「ベエルゼブル論争」の導入話として載っている。

ただし、マタイは、「盲人の聾者」とあるが、ルカはただの「聾者」であり、盲人であるとはされていない。

 

 

これは、マルコ資料ではなく、Q資料に基づく伝承である。おそらく源伝承ではただの「聾者」であったものを、マタイが奇跡効果をより高めようとして、「盲人の聾者」にグレードアップさせたものだろう。

 

 

マタイでは12:23で群衆が「まさかこの者がダヴィデの子なのではなかろうか」と発言したことになっているが、ルカ11:14にはその発言記述はなく、ただ「群衆は驚いた」あるだけ。

 

おそらく、これもイエスを「ダヴィデの子」として王の系譜に結び付けたいマタイによる付加であると思われる

 

 

マタイ9:32-34でも、「聾者の癒し」が載せられており、こちらの方がルカの言葉遣いと共通する箇所が多い。

 

 

 

マタイとルカが共に、聾者の癒しに続いてベエルゼブル論争がセットで語られていることからすると、二人が参照にしたQ資料にも、もともと連続した伝承として語られていたものと思われる。

 

 

 

マルコでは、「イエスが悪霊を追い出して治療できるのは悪霊どもの支配者だからである」と批判したのは、「エルサレムから下って来た律法学者」である。

 

マタイでは、「パリサイ派」となっている。

 

しかし、ルカでは、「群衆のうちの何人か」が批判したことになっている。ルカの「群衆」嫌いが露呈している。

 

 

 

マルコでは、イエスが「律法学者どもを呼び寄せ、譬を用いて」反論しているが、マタイとルカでは、「彼らの思いを知って」、反論したとされている。

 

マタイ・ルカのキリスト信仰が超能力を発揮させたのだろう。イエスの神格化が進んでいることの証拠。

 

 

 

マルコの反論内容は、マタイとルカと趣旨は同じだが、表現が微妙に異なっている。

 

それに対し、マタイ12:25-28とルカ11:17-20はほぼ完全に一致している。

 

違いは、マタイ12:25が「国」に続いて、「自分自身に逆らって分裂する町や家はすべて立つことがない」と「町」を加えている。

 

それに対し、ルカ11:17には「町」はなく、「家」に関しても、「立つことがない」とではなく、「また家は家の上に倒れる」としていること。

 

 

マタイもルカもQ資料を元にしているが、微妙な違いがあるということは、Q資料にもいろいろあったのであろう。

便宜上マタイとルカの共通資料をQ資料と呼ぶことにしているが、確立された一つの辞書的な資料集のようなものだったわけではなく同じ伝承にも表現の異なるバージョンが存在したものと思われる。

 

 

マルコ3:27の「強い者を縛ってからでなければ、その家を略奪できない」というロギアは、マタイ12:29と一致するが、ルカ11:21-22とは一致せず、表現が異なっている。

 

マタイの一致はマルコを写したものだろう。

 

 

ルカ11:21-22のロギアは、ルカだけに登場する。Q資料の源伝承を写したものかもしれないが、ルカが独自に集めた伝承の可能性もある。

 

 

 

マタイ12:30とルカ11:23には、「私とともにいるのではない者は私に反対する者であり、私と共に集めない者は散らすものである」というロギアが納められているが、マルコにはない。

 

むしろマルコ9:40では、マタイとルカに反して、「我々に反対でない者は、我々に賛成する者である」というロギアが載せられている。

 

 

マタイとルカのロギアは、自分たちに賛成しない者は、誰でも皆排除する、という排他主義の思想である。

 

マルコは表現は似ているが、根底で向いている方向がマタイとルカとは正反対である。

マルコのロギアは、自分たちに敢えて反対するのでないかぎりは、みんな仲間であるという許容主義の思想である。

 

 

 

マルコ3:28には、「アメーン、あなたに言う」というイエスの言葉が冒頭に付与されているが、マタイ12:31「この故にあなた方に言う」であり、「アメーン」というアラム語由来の言葉は省かれている。

 

ルカには、このロギアの記述はなく、「パリサイ派のパン種」の結び12:10に短く登場する。

 

 

 

マルコ3:28-29の「人の子らの罪や冒涜は一切許されるが、聖霊に対する冒涜は永遠の罪」とするロギアは、マタイ12:31-32で表現を変えて採用している。

 

マタイではマルコの「人の子ら」を「人間」に言い換えた上で採用し、もう一度繰り返すように「人の子に反対して言葉を言う者は赦される」というロギアを付加している。

 

こちらの「人の子」は、イエスを指す称号として使っており、明らかにイエスを指している。

 

マタイは、「人の子(=イエス)に反対する罪」は赦されるが「聖霊に反対する罪」は赦されない、と言っていることになる。

 

ルカ12:10もマタイとまったく同じである。称号として「人の子」をイエスに適用しているのである。

 

 

マタイもルカも、キリスト信仰を読み込んでいるものであろうが、「人の子」であるイエスに反対する罪は赦されるが、「聖霊」に反対する罪は赦されない、というのである。

 

 

「聖霊」を持っているかどうかは、イエスの死後に成立したキリスト教会が信者信仰の根拠として認定したものである。

 

つまり、「生前のイエス」に反対する罪は赦されるけど、イエスをキリストとする「キリスト教会」に反対することは「永遠の罪」とされ、赦されないぞ、という脅しである。

 

もちろん、実際のイエスの言葉であろうはずもない。初期エルサレム教団がイエスの口において広めた伝承であろう。

 

マルコの「永遠に」という言葉をマタイは「此の世においても来たるべき世においても」と書き換えた。教会の権威主義の確立と強化を意図しているのだろう。

 

 

マルコ3:35の「神の意志を行なう者こそが…」を、マタイ12:50は「天にいます我が父の意志を行なう者こそが…」とドクソロギアを付加した表現に変えている。

 

ルカは「神の言葉を聞いて行なう者こそが…」と変えている。

 

趣旨はみな同じであるが、マタイとルカがマルコの表現を変えたのはそれぞれ属していた教会の言い方だったのだろうか。

 

 

 

マルコ3:35には「姉妹」が付加されているが、3:31-34には「姉妹」は含まれていない。

 

「誰が本物のイエスの肉親か」という問いに対して、「神の意志を行なう者」として、最初にあげられているのは「兄弟」である。

 

マルコとしては、当時のエルサレム教会の指導者がイエスの兄弟であったという意識が働き、「母」ではなく「兄弟」を先にしたのかもしれない。

 

また「父」の意志を行うかどうかの問題であるから、信者が対象の問いである。「母」は「父」に付随的に当然のものと考え最後に回し、信者である「兄弟」「姉妹」を先に「母」を最後の順番にしたのであろう。

 

マタイもイエスの回答に「母」「兄弟」に加えて「姉妹」を足している。おそらく、マルコと同様の意図をもって写したのであろう。

 

マルコの場合は、自分の周りにいる群衆に対する回答である。肉親関係の問題ではなく、「神の意志を行なう」かどうかという問題である。

 

マタイの場合も、弟子たちに対する回答となっているの。当然女性信者も対象となる。それで、「兄弟」だけでなく、「姉妹」も加えたのだろう。

 

ルカ8:21は「神の言葉を聞いて行なう者こそが…」とし、マルコ、マタイにあるイエスの回答から、「姉妹」を削っている。

 

ルカの場合、「母と兄弟」に対するイエスの返答という形式であるから、「私の母」「私の兄弟」だけで「私の姉妹」という返答は必要ないと考えたのであろう。

 

 

 

この伝承における相違を分析すると、マタイとルカは、マルコとQ資料をもとに、福音書を再編集しているのが理解できる。

 

 

 

マタイは、マルコとQ資料を組み合わせて再編集し、福音書を創り上げているが、ルカは双方に同じような資料があった場合、どちらか一方を採用して、編集している。

この個所におけるルカの資料は、Q資料に由来している。

 

 

マタイとルカは、マルコの弟子やイエスの家族に対する批判的精神を、骨抜きにし、キリスト教会の権威を強めようとしていることが読みとれる。

 

マタイの弟子=「使徒」権威信仰に加えて、ルカには「群衆」蔑視信仰が随所に見え隠れする。

 

マタイやルカを前提に福音書を読むとマルコの記述に違和感を覚えることになる。しかし、マルコを前提にマタイやルカを読むと彼らの意図が読めて来るのである。

 

 

 

マタイやルカがマルコより先に書かれたと解説する註解書や組織の教えには、注意が必要だと思う。

 

マタイやルカに重きを置くことにより、無意識のうちに聖人信仰や組織信仰を教化させてしまうように思う

 

聖書霊感説信仰にとらわれるなら、聖書の真実の姿はみえてこないかもしれない。

 

 

 

 

しかし、聖書から何を学び、何を自分の人生に取り入れるかは、各自が好きな聖書の言葉を参考にすればよいのではないだろうか。

 

文字通りの「神の言葉」ではないのであれば、聖書に書かれているすべての言葉に縛られる必要はないのではなかろうか。

 

「神の言葉とは思えない」「神の意志を行なう」事にはならない、と感じる箇所は、自由に自分の「聖書」の中から削除してもよいし、感銘を受けた聖書にはない「言葉」は自由に自分の「聖書」に書き加えても、何ら問題はないのではないかと思う。

 

もちろん、その時点で自分の「聖書」は、「聖書」ではなくなるのであるが……。

 

 

しかし、マタイやルカがマルコを削ったり、付加したりして、福音書を再編集し、それが聖書とされているのだから、自分の「聖書」を再編集しても、何の問題があるのだろうか?

 

 

クリスチャンであるというのであれば、単にイエスをキリストと信仰するだけではなく、生前のイエスからも、「これぞ我が母、我が兄弟」と呼ばれる存在となることが重要であるように思う。

 

 

福音書の研究からはずれて、余計な感想を加えてしまいました。

 

 

次回は、田川訳とNWTの比較検討してみたい。