「黙示録」は本当に「主の日」に関する預言の書?

 

  黙示録における「主の日」という表現は、原著者の文と編集者Sの文が混在した箇所の中に出て来るが、原著者の文は、1:11の後、4:1に続いている。1:11の後半から、2,3章の七つの会衆に宛てた手紙の説教文はすべて編集者Sの文である。

 

 

1:9-11(NWT)

あなたがの兄弟であり、イエスと共になって患難と王国と忍耐をあなた方と分け合う者であわたしヨハネは、神に付いて語り、イエスに付いて証ししたために、パトモスと呼ばれる島に来ることになった。10わたしは霊感によっての日に来ており、ラッパの[音]のような強い声がわたしの後ろでこう言うのを聞いた。11「あなたが見ることを巻物に書き、それを、エフェソス、スミルナ、ペルガモン、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアにある七つの会衆に送りなさい」。

 

4:1−2

これらのことの後、わたしが見ると、見よ、開かれた戸が天にあった。そして、わたしが聞いた最初の声はラッパのようであり、「その声がわたしと話して、「ここに上れ。必ず起きることをあなたに示そう」と言った。これらのことの後、わたしはすぐに霊[の力]の中に入った……」。

 

1:1−11(田川訳)

私ヨハネは、あなたの兄弟、イエスにおける患難と王支配と忍耐を共にする者であるが、神の言葉とイエスの証しの故に、たまたまパトモスと呼ばれる島にいた。10主の日に私は霊の中にいた。そして私の後ろにラッパのような大きな声がするのを聞いた11ラッパは言った、「汝が見ることを書物に記せ。そして七つの教会に送れ。(すなわち)エフェソスに、スミュルナに、ペルガモンに、テュアティラに、サルディスに、フィラデルフィアに、ラオディケアに」。

 

4:1−2

その後私は見た。そして見よ」、天にて扉が開いた。そして私に語りかけてきたのを聞いたあのラッパの音のような最初の声が言った。生じるべきことをお前に見せてやろう」。その後直ちに私は霊の中にいた。……」

 

 

 

  この「主の日」を、WTは、「1914年のイエス・キリストの即位をもってはじまり、千年統治の終りにまで及ぶ」期間であると解している。

 

*** 塔07 3/15 21ページ 1節 み使いたち ― 人間に対するその働き ***

  年老いた使徒ヨハネは,パトモス島で流刑の身でいる間に,預言的な幻を与えられます。その時ヨハネは「霊感によって主の日に」おり,胸を躍らせるような出来事を見ます。「主の日」は,1914年のイエス・キリストの即位をもって始まり,千年統治の終わりにまで及びます。―啓示 1:10。

 

 

 

 「主」とは「イエス」のことであるから、「イエス・キリストの日」とは「イエスが臨在する期間」のことであるという解釈である。

 

  ここの「主の日」という表現は、「主」(kyrios)の属格(kyriou)ではなく、形容詞(kyriakosの女性形kyriakE)を用い、「日」という女性名詞にかけている。「主の」を形容詞にして「主の日」(tE kyriakE hEmera:the lord’s day)という言い方をしているのは、キリスト教文献の中で、この個所が初めてであるようだ。しかしながら、ここではすでに、少なくてもキリスト信者の間では知られた言い方になっているようである。

 

  形容詞の意味は属格よりも広く、「主の」と言っても、「主に属する」という意味にも、「主に関する、主においての、主のような…」等々の意味にも解せるが、この「主の」という形容詞の女性形kyriakEはやがて「日」が省略され、単独で「主の日」を意味する言い方になった。

 

  もし、「主キリストの再臨の日」あるいは「大いなる審判の日」の意味で、「主の日」と表現したのであれば、形容詞の「主の」(kyriakE)ではなく、はっきりと属格の「主の」(kyriou)を用いて、「主の日」(tE hEmera tou kyriou:the day of-the lord)と表現したであろう。

 

 「十二使徒の教え」(通称ディダケー)では、「主の(名詞属格)kyriake」という言い方が出て来る。字義的に訳せば「主の主の(日)」となるが、また単にkyriakEだけではわかり難いと思ったのだろう、丁寧に属格の「主の」(kyriou)をつけて、いわゆる「主の日」(キリストの再臨の日)とは区別して表現されている。

 

  そこには、「主のkyriakEごとに集まって、(聖餐の)パンを割け」と言われているから、明確に「日曜日」を指している。

 

  使徒教父の一人であるアンティオキアの司教、イグナティオスがマグネシア教会に宛てた手紙には、9:1で「(キリスト信者は)安息日の日を守るのではなく、kyriakEに従がって生きている」と述べられている。つまり、ユダヤ教徒が土曜日を神の礼拝として捧げられた日として安息日を守っているが、キリスト教徒は「主の(日)」(kyriakE)に従がって生きている、すなわち「日曜日」を「主の日」として仕事を休み、教会に集い、礼拝するのだ、と言っている。

 

  キリスト教徒が「日曜日」を「主の日」(kyriakE)にしたのは、おそらくイエスが復活したのがユダヤ教の安息日の翌日であった(マルコ16:2)という信仰からであると思われる。

 

  「イグナティオス書簡」は、110~130年ごろ。「十二使徒の教え」は1世紀末から2世紀前半。黙示録の原著者が書いたのは90年代と思われるが、それに編集者Sがユダヤ教的ドグマを加筆して発行したのは、それから二世代以降であろうから、同様に二世紀前半であると思われる。

 

  つまり、「黙示録」の時代における「主の日」(kyriakE)という表現は、「日曜日」を指しているのであり、「キリストの再臨の日」を指す言葉ではなかったのである。

 

  原著者は、キリスト教徒が礼拝のために教会に集う「日曜日」に「霊の中にいた」のであり、決して、「霊感によって主の日に来ていた」のではないことになる。

 

  JW的に表現するとすれば、「日曜日の集会中にあまりにもつまらないので、楽しい空想世界の物語に浸ってしまった」(笑)のであり、「神から特別な霊感を与えられて、イエスが王として支配する時代にタイムスリップさせられた」というのではない。

 

  NWTが「来た」と訳しているギリシャ語は、ginomaiの中動アオリストであり、自分にそういうことが「生じた、おきた」という趣旨である。WTが解釈するような「霊感によって連れて来られた」あるいは「来た」という意味ではない。

 

  「霊感によって」(en pneumati:in spirit)と訳しているギリシャ語も字義的には、「霊の中に」である。enという前置詞の原義はin(中に)であり、「神に選ばれた者にだけ特別に生じた」というのではなく、「たまたまそういうことが起きた」というのだから、それを「によって」、つまり「霊という手段を使って」という意味で解するのはとても無理がある。

 

  黙示録の著者は、1:10で「わたしは霊の中にいた」と言っているが、4:2でも「その後直ちに私は霊の中にいた」という文で書きはじめている。

 

  NWTは1:10では「霊感によって来ており」と訳し、4:2では「霊の力の中に入った」と異なる訳にしているが、原文のギリシャ語の表現はどちらも同じ「私は霊の中にいた」(egenomEn en pneumati)である。

 

  編集者Sの文を無視して、原著者の文を続けて読むと、この書物に書いていることは、自分が「霊の中にいる」という不思議な状態において見た幻視を書いたものです」という体裁で書いていることになる。

 

  1:9-11a が原著者の短い序文で、そこにすぐ4:1の本文がつながっていると解するなら、違和感なく本文が続いて行く。

 

  1:11b-3章全体までの教会宛の独善的な説教文は、4-6章の原著者の文とは異質のものである。

 

  WTは啓示の「主の日」が「日曜日」を指す、という解釈を否定しているが、その根拠を次のように解説している。

 

*** 塔91 4/15 26–27ページ 「主の日」 ***

  「わたしは霊感によって主の日に来て(いる)」。(啓示 1:10)上の挿絵に描かれている老年の使徒ヨハネは,聖書の啓示の書の第1章でそのように述べました。その言葉は,ヨハネが続けて描写する壮大な幻の成就する時を見定めるのに役立ちます。

 

  しかし,啓示 1章10節のこの訳し方にすべての人が同意しているわけではありません。例えば,ドイツ語聖書の翻訳者イェルク・ツィンクは,「わたしは聖霊に満たされた。―それは日曜日であった」と訳出しています。しかし,大半の聖書翻訳では,その「テーイ クリアケーイ ヘメラーイ」というギリシャ語の語句は「主の日」と訳されています。ところが,聖書翻訳の多くは脚注において,それが日曜日を指していると主張します。この主張は正しいでしょうか。

 

  カトリックが出した参考書であるドイツ語の「ヘルダーの聖書注釈」は,そうした考えの背後にある論拠をこう説明しています。「ここ[啓示 1章10節]で言われているのは,同じように『主の日』として知られている最後の審判の日のことではなく,週の特定の曜日のことである。初期クリスチャンは早くも1世紀の半ばごろから,週の最初の日を教会の主な礼拝の日とするようになった。(使徒 20:7。コリント第一 16:2)」しかし,この参考書に引用された二つの聖句は,1世紀のクリスチャンたちが週の最初の日を「教会の主な礼拝の日」とみなしていたことを証明するものではありません。

 

  最初の聖句,使徒 20章7節には,パウロとその旅行の同行者,およびトロアスのクリスチャンたちが,食事をするために週の最初の日に集まったことが記されているにすぎません。パウロは翌日そこをたつことになっており,しばらくは彼らと会えなくなるので,その機会を活用して彼らに長い講話をしたのです。

 

  2番目の聖句,コリント第一 16章2節は,ユダヤの困窮していた人々に幾らか寄付できるようにするため「週の初めの日ごとに」お金を取り分けておくよう,コリントのクリスチャンたちを励ますものでした。古典学者のアドルフ・ダイスマンは,この日が給料日だったのかもしれないというようなことを述べています。いずれにしても,週中にはお金を使い果たしてしまう可能性もあったので,パウロの提案は実際的でした。

 

  聖書のどこにも,使徒時代のクリスチャンが,今日では日曜日と呼ばれている週の最初の日を,いわばクリスチャンの安息日,専ら崇拝をささげる定期的な集会のために取り分けられた日とみなしていたという記述はありません。日曜日がそのようにみなされ,「主の日」と呼ばれるようになったのは,使徒たちが死んだ後です。これは,イエスや使徒たちが自ら予告していた背教の一部でした。―マタイ 13:36‐43。使徒 20:29,30。ヨハネ第一 2:18。

 

  では「主の日」とは何でしょうか。啓示 1章10節の文脈を見ると,主の日の主とはイエスであることが分かります。神の言葉の中では,「主イエス・キリストの日」といった表現は,人類のための裁きの時,またパラダイスが回復される時と同じ意味で用いられています。―コリント第一 1:8; 15:24‐26。フィリピ 1:6,10; 2:16。

 

  ですから,ハンス・ブルンスが自分で翻訳した注釈付き聖書の「新約聖書」の中で述べていることは正しいと言えます。「ここで彼[ヨハネ]は日曜日のことを言っていると主張する人もいるが,むしろ,主の輝かしい日に言及している可能性のほうがはるかに高い。結局,その後に続く記述はすべてその日に関する事柄なのである」。W・E・バインは,「『主の日』とは……世に対する主の明示された裁きの日のことである」と述べています。フリッツ・リーネッカーの「聖書辞典」には,「主の日」が「裁きの日」を指すことは明らかであると述べられています。

 

  「主の日」という表現を正しく理解することは,啓示の書全体を理解するのに役立ちます。しかも,証拠からすると,その日はすでに始まっています。ですから,『啓示の書の預言の言葉を聞き,その中に書かれている事柄を守り行なう』ことは本当に大切です。―啓示 1:3,19。

 

 

 

 

  啓示の「主の日」とは、使徒やコリントの「週の最初の日」という表現とは無関係なのに、その解釈を根拠に、「主の日」は「日曜日」とは無関係だと主張している。論理として成立していないと思うのは私だけだろうか……!?

 

  あとは、「主の日」とは「最後の審判の日」「裁きの日」「パラダイスが回復される日」であると根拠もなく主張しているだけで、「主の日」が「日曜日」ではあり得ないのは、使徒たちが死んだ後の背教の一部だから、というのが主な根拠である。

 

  しかしながら、「啓示」が使徒ヨハネの著作ではなく、使徒の死後に発行されたものであるとすれば、その根拠も根底から覆されることになるだろう。

 

  確かに、「主の日」という表現を正しく理解することは、啓示の書全体を理解するのに役立つであろう。

 

  WTが教える「主の日」が「キリストが王として支配する期間」を指す表現ではないとすれば、WTの啓示の解釈はすべて間違った解釈による無意味な信仰を押しつけていることになるのではないだろうか。

 

  信仰は自己責任ですから、ご自由に……!?