| ●ヨハネ書簡の解説 WTによるとヨハネ書簡の著者は、ヨハネ福音書の著者である、使徒ヨハネであるとされている。その根拠として、洞察は次のように述べている。 *** 洞‐2 1130–1133ページ ヨハネの手紙 *** これらの手紙は,霊感のもとに記された聖書のうち最後に書かれた部分の一部でした。使徒ヨハネの名はこれらの手紙のどこにも出ていませんが,学者たちの意見は一般に,ヨハネによる良いたよりの筆者とヨハネの第一,第二,第三の3通の手紙の筆者は同一であるという伝統的な見方と一致しています。これらの手紙と第四福音書との間には多くの類似点があります。 これらの手紙の信ぴょう性は十分に確証されています。内的証拠はこれらの手紙が聖書の他の部分と調和していることを証明しています。また,多くの初期の著述家たちもこれらの手紙の真正性を証ししています。ポリュカルポスはヨハネ第一 4章3節から引用しているようですし,パピアスはテルトゥリアヌスやキプリアヌスがしたように,ヨハネの第一の手紙の真正性を証言したと,エウセビオスが述べています。またその手紙はシリア語ペシタ訳に含まれています。アレクサンドリアのクレメンスは他の2通の手紙を知っていたことを示唆しているように思えます。イレナエウスはヨハネ第二 10,11節を引用しているようです。エウセビオスによれば,アレクサンドリアのディオニシウスはそれらの手紙に言及しています。これら後に挙げた著述家たちもヨハネの第一の手紙の信ぴょう性を証明しています。 多分ヨハネは,福音書を書いた時に近い西暦98年ごろ,エフェソスからこれらの手紙を書いたのでしょう。よく用いられている「子供ら[あるいは,幼子たち]よ」という表現は,これらの手紙が老齢のヨハネによって書かれたことを示唆しているように思えます。 ヨハネの第一の手紙 この手紙は,どちらかと言えば論文の形式で書かれています。あいさつも結びの言葉もないからです。2章の中でヨハネは,父たち,幼子たち,および若者たちに語りかけており,これはこの手紙が個人あての手紙ではなかったことを表わしています。多分,一つまたは複数の会衆にあてられたものだったのでしょう。実際,その内容はキリストと結び付いている人たちの交わり全体に当てはまるのです。―ヨハ一 2:13,14。 ヨハネは最後まで生き残った使徒でした。クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の手紙の最後のものが書かれてから30年以上がたっていました。やがて使徒たちはみな活動舞台から姿を消すことになっていました。この時よりも何年も前に,パウロはテモテに自分がテモテと共にいる期間はもうそれほど長くないと書いていました。(テモ二 4:6)パウロはテモテに健全な言葉の型を保つよう,またパウロから聞いた事柄を忠実な男子にゆだねて,それらの人が今度は他の人たちを教えられるようにすることを勧めました。―テモ二 1:13; 2:2。 使徒ペテロは,会衆内から偽教師が起こり,破壊的な分派を持ち込むようになることについて警告していました。(ペテ二 2:1‐3)さらに,パウロはエフェソス(後にここでヨハネの幾つかの手紙が書かれた)の会衆の監督たちに,「圧制的なおおかみ」が入り込んで群れを優しく扱わなくなることを告げていました。(使徒 20:29,30)また,その「不法の人」が引き起こす大規模な背教を予告しました。(テサ二 2:3‐12)そのようなわけで,西暦98年には,「幼子たちよ,今は終わりの時です。そして,あなた方が反キリストの来ることを聞いていたとおり,今でも多くの反キリストが現われています。このことから,わたしたちは今が終わりの時であることを知ります」とヨハネが述べたとおりの状態でした。(ヨハ一 2:18)したがって,この手紙は最も時宜にかなっており,背教に対する堡塁である忠実なクリスチャンを強めるのに非常に重要でした。 目的 しかし,ヨハネは偽りの教えを論ばくするだけの目的で書いたのではありません。むしろ,そのおもな目的は,初期のクリスチャンが教えられていた真理に対する彼らの信仰を強めることにありました。ヨハネはそれらの真理と偽りの教えとをしばしば対比しています。恐らく,ヨハネの第一の手紙はその地域のすべての会衆への回覧用の手紙として送られたのでしょう。そう考えるのが正しいことは,筆者がギリシャ語の「あなた方」を意味する複数形を頻繁に用いていることに裏書きされています。 ヨハネの論議は整然としていて,強力です。そのことは以下に続くこの手紙に関する考察から分かります。この手紙には感情に訴える強い力があり,ヨハネが真理に対する深い愛と誤りに対する憎悪 ― 光に対する愛と闇に対する憎しみ ― を抱いて書いたことは明らかです。 ヨハネの第二の手紙 ヨハネの第二の手紙は,「年長者から,選ばれた婦人とその子供たちへ」という言葉で始まっています。(ヨハ二 1)このように,ヨハネは自分が筆者であることを巧みな仕方で示唆しています。彼はその時90歳ないし100歳ぐらいになっており,実際に「年長者」でした。また,クリスチャンとしての成長の点でも年長者であり,会衆の「柱」でした。―ガラ 2:9。 中には,「選ばれた婦人」あてのこの手紙はクリスチャン会衆の一つにあてられたもので,その子供たちとは霊的な子供たちであり,その「姉妹」の子供たち(ヨハ二 13)とは別の会衆の成員のことであった,と考える人もいます。他方,この手紙は実際に一個人に,恐らくキュリア(「婦人」を意味するギリシャ語)という名の人にあてられたものと考えている人もいます。 ヨハネの第三の手紙 第三の手紙は「年長者」からガイオにあてられており,その会衆内の他の人たちへのあいさつも含まれています。この手紙は普通の手紙文の形式で書かれています。形式も内容も第一および第二の手紙と非常によく似ているので,同じ人物すなわち使徒ヨハネによって書かれたものであることは明らかです。ガイオとはだれなのか,定かではありません。聖書の中でこの名で言及されている人は幾人かいますが,さらに別のガイオであったかもしれません。この手紙は,同じくガイオという名の出ている使徒たちの活動,ローマ人への手紙,コリント第一の手紙が書かれた時よりも30年かそれ以上後に書かれているからです。―使徒 19:29; 20:4; ロマ 16:23; コリ一 1:14。 ヨハネはクリスチャンに,もてなしの精神を勧め,デオトレフェスという人物が会衆内で第一の地位を占めたがって,ヨハネや責任ある他の人たちからの音信を敬意をもって受け入れなかったこと,またデオトレフェスが初期のクリスチャン会衆の他の旅行する代表者たちに何の敬意も示さなかったことを述べています。そればかりでなく,デオトレフェスはそのような兄弟たちを実際に暖かく迎えた人たちを会衆から追い出そうとさえしました。それゆえにヨハネは,もし自分が希望したとおりにそこへ行ったなら,その事態を正すであろうと述べました。(ヨハ三 9,10)ヨハネはガイオに語りかけ,デメテリオという名の忠実な兄弟をほめています。デメテリオはこの手紙を届けた人であったかもしれません。そしてガイオに,クリスチャン会衆を築き上げるために遣わされた人たちを暖かく迎えるよう勧めました。 これら3通の手紙全体を通して,クリスチャンの一致,すなわち神のおきてを守り,闇を避けて光の中を歩み,兄弟たちに愛を示し,真理のうちを歩み続けるなどによって示される神への愛が強調されています。そのようなわけで,この「年長者」ヨハネは老齢であったにもかかわらず,小アジアの諸会衆にとって,またこれらの手紙を読むクリスチャンすべてにとって大きな励ましと力の源だったのです。 以下に田川訳聖書の解説を紹介する。 第一、第二ヨハネ 意図明白。やや後になって「仮現論」(ドケティムス)と呼ばれるようになった「異端」の排除。つまりキリストは本当に人間(此の世的、物質的な有限の存在)になったわけではなく、なったように見えただけだ、と言って説明する意見。ただし、本当のところは、その人たち自身が何をどう語っていたのかは、まったく不明。この種の「異端」排除の常、相手が誠実にいろいろ語っていることの片言隻句だけをとらえて、あいつらはこういう間違ったことを言っている、と騒ぎ立てている可能性の方が高い。自分たちに従がおうとしない他人を排除するために「正統主義」を振りかざす、典型的な「異端」排除の嫌らしさ。 慌てて読むと、何せ新約全体の中で「愛」という単語を際立って多用している文書であるから、穏やかに「愛」を説くキリスト教らしい文書、などと誤解され易いが、とんでもない。確かに、第一、第二ヨハネを合わせて(と言っても、合計してもたいした量にはならないが)、「愛」という語が名詞動詞合わせて48回も出て来る。異常と言ってもいいくらいの多さ。同じせりふを飽きもせずに何度もくりかえしているからだが、よくある話、愛の愛のと言い立てる奴ほど愛を知らない、という典型的な図。ちなみにマルコ福音書には「愛」という名詞(agape)は出て来ず、「愛する」(agapao) は6回出て来るが、10:21以外はすべて旧約の引用句。あの、やたら「愛」を口にしたがるパウロでさえも、たとえばローマ書で(第一、第二ヨハネよりはるかに長い)、名動詞あわせて15回である。そして、第一、第二ヨハネの言う「愛」は「兄弟を愛する愛」である。この「兄弟」は自分たちの派閥に属する者だけを指す。そして、自分たちの仲間にならない他のキリスト信者のことを「兄弟を憎む者」と呼んで、むきになって排斥する。あの人たちには「真理」はない、「罪を犯している」、「闇の中にいる」、「反キリスト」である、等々。ぴんからきりまで、その悪口の羅列である。ひどくえげつない。 彼らのえげつなさは、第二ヨハネに鮮明に出て来る。もともと同じ教会のキリスト信者であったとしても、我々の仲間にならない者は「反キリスト」「惑わす者」だ、もしもそういう者があなたの家を訪れて来ても、中に入れるな、道で会っても挨拶するな……(10節)。いまどきの中学生のいじめによくある意地悪な「しかと」。しかしそれをいい年をした大人のキリスト信者が組織的にやらかそうというのだから、実に低級、陰湿、嫌らしい。しかし、中世ヨーロッパになって猛威をふるった異端排斥の歴史を考える時に、すでに新約聖書の時代にこういった代物が存在した、という事実は頭に置いておかねばならない。毒麦は、はじめは小さな種だが、ほっておくと蔓延する。もちろん、新約の時代ではまだ、大勢いるキリスト信者の中で一部のえげつない連中がこういう傾向に走ったというだけの現象だろうが、「異端」排除がいったん権力と結びつくと(中世ヨーロッパのように社会全体を支配する権力であれ、最初の頃の、まだちっぽけな宗教教団を牛耳ろうとする小権力であれ)、非常に害悪となる。 著者は不明。しかし、多分第三ヨハネがディオトレフェスと呼んでいる人物(そちらの9節)。内容、文体、ギリシャ語の極度なつたなさ(語彙が極端に少ないから、同じ表現ばかりを飽きもせずにくり返す。構文も稚拙、単純で、しばしばとてもギリシャ語になっていない、等々)、などからして、ヨハネ福音書に後からドグマ的教条の文を多く書き加えた教会的編集者たちの仲間であることは鮮明。とすれば、早くて一世紀末、多分二世紀に入っている。 念のため、ギリシャ語が極端につたない(従ってもちろん母語ではない)からといって、ユダヤ人出身とは限らない。当時のローマ帝国支配下のヘレニズム都市には様々に異なる民族の出身者が集って来ていた。彼らも多くはギリシャ語がたどたどしかったはずである。また、アラム語を母語ないし第一言語とする者の場合も、もちろんユダヤ人とは限らない。アラム語は中近東の多くの民族の第一言語になっていた。 この著者は、冒頭の文ではヨハネ福音書序文を下手に真似しており(しかし最初からすでに、この著者独特の顕著な特色が並ぶ。たとえば「我々は生命のロゴスを自分の手でさわった」)、また福音書の教会的編集者の口癖みたいな言い方を多くそのまま真似しているので、慌てて表面だけをなぞる神学者たちは、この文書もヨハネ福音書の仲間だと思った。古代からすでに、これもヨハネ福音書の著者が書いたと信じ込んだ人が大勢いた。その結果、「ヨハネ書簡」と名づけられてしまったのだが、著者自身、自分の名が「ヨハネ」であるということはどこにも言っていないし、似ているのは教会的編集者であって、ヨハネ福音書のあの独創的で優れた質とはまったく無関係、爪の垢ほども似ていない。 第三ヨハネ こちらは第一、第二ヨハネの著者たちのえげつない「異端」狩りの運動が広まるのを危惧した人物が、つまり彼らの運動の被害者の側だが、穏やかに、そのように排除的な姿勢を戒め、他処の町から訪れて来る同信の者たちを、意見が異なるからと言って排除したり、「しかと」したりせずに、みんな仲良くしようではないか、と呼びかけた短文の手紙。多分、同文の手紙の写しをあちこち知り合いの諸教会に送った?著者名はわからないが、宛先のガイオスという人物名、「異端」狩りの直接の被害者となったデメトリオスという人物名、「威張りたがって」異端狩りをやらかしているディオトレフェスという人物名のいずれも、実在の人物の名前だろう。それなら、第一、第二書簡の著者はディオトレフェスであったということになる(ないしその仲間)。 短文の手紙だから、それ以外のことはわからないが、第一、第二ヨハネのえげつなさを前にして、うんざりし、嫌な気分になった読者にとっては、第三ヨハネの穏やかに、みんなが仲良くしようではないかと呼びかける文の運びは一服の清涼剤だろう。 ギリシャ語は素直、きれいな文で、それだけ見ても、第一、第二ヨハネの著者とはまるで違う人物だということはすぐにわかる。 以上が田川訳聖書の解説。 WTの註解には、つっこみどころが満載なのであるが、洞察の引用箇所で赤字の箇所を検証してみようと思う。 まず、「これらの手紙の信ぴょう性は十分に確証されています。内的証拠はこれらの手紙が聖書の他の部分と調和していることを証明しています。また,多くの初期の著述家たちもこれらの手紙の真正性を証ししています。」という点について。 WTでは、多くの初期の著述家たちの手紙によって、信憑性は十分確証されている、としているが、それらの初期の著述家たちとは、エウセビオスの「教会史」に記録されている文言。WTは、二世紀半ばに「統治体」は消滅した、とされているので、背教したキリスト教の教父たちの証言に信憑性を求めていることになる。背教者とは挨拶を交わしてもならないし、彼らの文書を読むことすら許されないはずなのに、彼らの文書にヨハネ書簡の文言が引用されていたり、言及されているから、信憑性が十分に確証されているというのである。しかも、どの個所をどのような意図でどのように引用したのかについては、一切触れていない。それにもかかわらず、内的証拠は他の部分と調和していることを証明しているのだ、という。 ちなみに、エウセビオスの時代にまだ現在のような正典聖書は存在していないのであるが、信憑性を証明している、という。 また、WTはパピアスが第一ヨハネの真正性を証言したとエウセビオスが述べたとしているが、「教会史」3:39:4には次のようにある。 「パピアスの著作はヨハネの名を二度あげているが、それは知っておくべきである。彼は最初ヨハネの名を、ペテロやヤコブ、マタイ、及びそれ以外の使徒たちと一緒にあげている。明らかに、彼は福音伝道者を指してる。しかしその先では、使徒たちの数に入らない他の人々と一緒に、別のヨハネの名をアリスティオンの後にあげ、明らかにこちらのヨハネを長老と呼んでいる。このことはアジアには同名の者が二人いて、ヨハネの墓と今日でも呼ばれているものがエフェソスには二つある、と言った人々の真実性を証ししており、これは注意を要することである」。(秦剛平訳) この中のどの箇所が、第一ヨハネの真正性を証言しているのだろうか。私には理解できない。ヨハネという名を持つ人物はすべて使徒ヨハネであった、とするのでなければ、成立しない根拠であろう。しかも、教会史では、「注意を要する」と述べているのに、WTによれば、エウセビオスは「ヨハネ第一の手紙の信ぴょう性を証明しています」ということらしい。 どのように信憑性が証明されているのか、私には理解できない。ただ信憑性は十分証明されているのだから、真偽を確かめず、何も考えずに組織の見解を信じなさい、と言っているようにしか、私には聞こえない。 次に、「子供ら[あるいは,幼子たち]よ」という表現は,これらの手紙が老齢のヨハネによって書かれたことを示唆している」という点について。 第一ヨハネ2:1で「わたしの子供らよ」と呼びかけているが、そこで使われているギリシャ語は、tekniaという語で、teknionという指小辞付きの名詞の複数形。通常なら、teknonという指小辞なしの表現を用いるところであろう。指小辞を付けると、文字通りには、「小さい」という意味を付加するが、呼びかけ語として使うと、自分は大きい存在であるが、相手は小さい存在であることを前提とした表現となってしまう。つまり、この指小辞付きの「子供たちよ」(teknion)、「幼子たちよ」(paidion)という語を読者に対する呼びかけ語として使っている第一ヨハネの著者は、非常に思い上がっている人物であることを示唆している。 特に、「幼子たち」(paidion)の方は、「子」(pais)という語に指小辞を付けたものであるが、この語は「子」という意味と「下僕、召使」という意味がある。このような指小辞付きの語を相手に対する呼びかけ語として使うということは、教会に集ってくる立派な大人の信者たちを平気で「召使、下僕」とみなし、「子供たちよ、幼子たちよ」と呼んで、相手を下に見て、偉ぶっているのである。指小辞付きであるから、必ずしも愛情や親しみを込めて、「小さい」と言っているわけではなく、文字通り、呼びかける相手を「小さいもの」とみなしているということである。 この呼びかけ語は、新約の中でも第一ヨハネの著者がお好みで、2:1,12、3:7、4:4、5:12で使っている。それ以外には、ヨハネ13:33だけで、イエスが弟子たちに語ったという体裁で書かれた箇所だけである。イエスが弟子たちに語ったのであれば、指小辞付きで呼びかけても納得できるかもしれないが、キリスト信者が同信の読者に対して指小辞付きで呼びかけているのだから、この著者はイエス気取りなのであろう。しかも、福音書のその箇所は、ヨハネ福音書の原著者の文ではなく、後代にキリスト教ドグマを織り込むために書く加えられた教会的編集者の文である。 WTはヨハネ福音書とのこの呼びかけ語の一致を根拠の一つとし、第一ヨハネもヨハネ福音書も同一の筆者であり、指小辞付きの呼びかけ語も「愛情」の表現である、というのだろう。しかしながら原文のニュアンスを無視して、聖書中の文言を何でも神格化して解釈するのは、原文に忠実なのであろうか。 次に、「「年長者から,選ばれた婦人とその子供たちへ」という言葉で始まっています。(ヨハ二 1)このように,ヨハネは自分が筆者であることを巧みな仕方で示唆しています。彼はその時90歳ないし100歳ぐらいになっており,実際に「年長者」でした。また,クリスチャンとしての成長の点でも年長者であり,会衆の「柱」でした。―ガラ 2:9。」という点について。 「年長者」(presbyteros)というギリシャ語の原義は「年配の人物」という意味であるが、パウロ後のパウロ派教会では、この語は年齢に関係なく、教会の指導者と指すようになっていた。JWにはおなじみの「長老」という会衆における制度上の役職名と同じ使い方である。この語は都市の自治組織などで指導的な役割を果たす者を指す代名詞として使われていたので、その用法を教会組織が採用したのである。使徒15:22,23、16:4では「使徒」と並んで「長老」が出て来る。牧会書簡では「長老」と「司教」(episkopos)は同一人物を指していると思われる。(第一テモテ5:17、テトス1:7)牧会書簡では他にも何度も出て来る(第一テモテ3:1,2、4:14、5:19、テトス1:5)し、パウロ派とは距離を置いていたヤコブ書でも教会の世話人のことを「長老」と呼んでいる。(5:14) この個所の「子供たちへ」という呼びかけの語は、原文のギリシャ語では、指小辞の付かない「子供」(teknon)の複数形であるが、ここでは実際の子供ではなく、読者に対する呼びかけとして使っている。WTでは、「選ばれた婦人とその子供たちへ」と訳されているが、原文のギリシャ語は、eklekte kyuria kai tois teknoisという表現である。直訳は、「選ばれた女主人と彼女の子供たちへ」。WTは「ヨハネは自分が筆者であることを巧みな仕方で示唆している」としているが、これはおそらく、eklete kyuriaという表現のことを指しているのだろう。ekleteとは、「選びの、選ばれた」という形容詞で、JWにはおなじみのエクレーシア(ekklesia)「会衆」と同根の語である。kyuriaはkyurios「主」という語の女性形で「女主人」の意。 ここでは、WTも認めているように、宛先となっている「選ばれた婦人」とは「クリスチャン会衆」つまり他の「教会」を指して使われている。13節でも、自分の「会衆、教会」のことを「あなた(=選ばれた婦人)の姉妹」と呼んでいることからして明らかである。つまり、第二ヨハネの著者と宛先となった教会とは相互に姉妹関係にあったということである。 このkyuria(女主人、「婦人」NWT)という語をekklesiaに当てはめて用いるのは、何もヨハネが特別に技巧をこらして、「巧みな仕方で示唆している」わけではなく、当時の都市はそれぞれ自治独立都市であり、その市民の公的な集まり、集会全体をekklesiaと呼んでいたのである。JWには、お馴染みであるが「呼び出された者たちの集まり、選ばれた者たちの集団」という意味である。当時の市民とは、その自治都市に住んでいる者たちという意味ではなく、自治都市の行政に参加することのできる市民権を持った市民のことであり、都市の行政は市民の全体集会で最終的に決定された。その全体集会を敬意を込めて、kyuria ekklesiaと呼んでいた。第二ヨハネの著者は、この表現を教会に適用したのであろう。キリスト教内部では、キリストのことを「主」(kyuria)と呼んでいたのであるから、教会をその女性形でkyuriaと呼べば、うまく対応すると考えたのであろう。 いずれにしても、「ヨハネは自分が筆者であることを巧みな仕方で示唆している」とされる箇所はどこにも見当たらない。 最後に、WTが、第三ヨハネと第一、第二ヨハネとでは、形式、内容ともよく似ているので、著者が同一人物であり、使徒ヨハネとされる点について。 第三の手紙は「年長者」からガイオにあてられており,その会衆内の他の人たちへのあいさつも含まれています。この手紙は普通の手紙文の形式で書かれています。形式も内容も第一および第二の手紙と非常によく似ているので,同じ人物すなわち使徒ヨハネによって書かれたものであることは明らかです。 確かに、冒頭の書き出しの部分や結びの部分には、共通の表現が多く存在する。結びの句を比較してみる。 第二ヨハネ11-12(NWT) 「わたしにはあなた方に書き送るべき事がたくさんありますが、紙とインクによってそうしたいとは思いません。むしろ、あなた方のところに行き、あなた方と向かい合って話すことを望んでいます。それによって、あなた方の喜びが満ちたものとなるためです。」。 第三ヨハネ13-14(NWT) 「私にはあなたに書くべきことが沢山ありましたが、インクとペンで書いてゆくことを望みません。むしろ、わたしはすぐにでもあなたに会うことを希望しています。そうすれば、向かい合って話せるでしょう。あなたに平和がありますように。」。 第二書簡も第三書簡も差出人が「長老」と名のっている点では同じである。しかし、ギリシャ語の質としては、第三書簡の著者の方が格段にうまく、文法的にも正確である。第二書簡の著者とは雲泥の差がある。 結びの句も、第二書簡と第三書簡ではほとんど同じであるが、内容のニュアンスとしてはまったく異なっている。 第二書簡「書くべき」は現在不定詞。第三書簡「書き送るべき」はアオリスト。文法的にはアオリストの方がよい。 第二書簡「たくさんあります」は現在形。第三書簡「たくさんありました」とアオリスト。日本語では現在形でも違和感がないかもしれないが、「現時点ですでにたくさんあった」ものでないと現在「書き送る」ことはできないのだから、文法的には「アオリストでないと意味が通じない。 第二書簡「紙とインク」。第三書簡「インクとペン」。趣旨は同じであるからどうでも良いが、第二書簡「思わない」(ouk eboulethen)は、否定辞を使い、気取った感じの表現となっている。しかもアオリストで書かれているから、文法的に間違い。現在形で書くのが普通。第三書簡「望みません」(outhelo)は素直な表現で書かれており、現在形。 第二書簡「行く」(gignomai)と訳されているギリシャ語の意味は「生じる」。直訳すると「あなた方のところに生じる」。それでは、草木のように生え出るか、突然出現するか、という趣旨になってしまう。語彙の乏しさから生じた奇妙な表現であろう。第三書簡「会うことを希望してます」は言葉としても自然な表現。 第二書簡「話すことを望んでいます」。第三書簡「話せるでしょう」。趣旨は同じであるが、ものの言い方の態度が異なっている。第二書簡の方は、一方的に俺がお前に話をしてやる、というニュアンス。第三書簡の方は、みんなで一緒に話し合おう、という姿勢であり、全く異なっている。 細かな点はまだまだたくさん存在する。WTは、それでも、同じような表現が共通しているから、同一人物の著作であるというのだろうか。 もっとも、多くのJWにとっては、誰の著作がどのようなニュアンスであるかなどは瑣末な問題であり、重要なのは、ヨハネ書簡が聖書正典の文書であるということなのであろう。神が人類のために与えた唯一の神の霊感を受けた書物が正典聖書である、ということを事実として受け入れること、つまり正典聖書信仰こそが重要なのだろう、と私は思う。 |