●ヘブライ書は本当にパウロが書いたの?……その2
前の記事では、ヘブライ書に関するWTの主張を取りあげた。
それに対して、田川訳聖書の解説では、ヘブライ書に関して以下のように解説されている。
「新約聖書 本文の訳」における短い解説だけでは、「霊感」の論議に十分応えることができないので、訳と註6に載せられている解説をそのまま載せておく。かなり長いが最後まで読まれるなら、WTが根拠と豪語する「内面的な証拠」がいかに脆弱なものかが理解できると思う。
ヘブライ書
これだけ優れた知性の持ち主が、何でこんなことを考え、当時としてはずい分と長い文章を書きあげるのにエネルギーを注ぎ込んだのか、もったないことである。今となっては古色蒼然たる古代人の屁理屈集。しかし彼がこういう作業に熱中せざるを得なかった事情は理解できるし、それを理解することがキリスト教史の問題点を知る作業に連なる。その意味ではなかなか重要である。
著者は単語の用法からすれば(9:4「石板」、9:7「知らずに犯した罪」)、エジプト(多分アレクサンドリア)のギリシャ語教養人。旧約の引用を大量に並べているから、慌て者の解説者たちは長い間この人もユダヤ人出身だと決めつけてきたが、さすがに今日の学者たちは、この人のギリシャ語(ユダヤ人ギリシャ語の特色が極めて少ない)、大量に旧約を引用してるくせに意外とユダヤ教も旧約も正確に知らない、及びその基本姿勢、等々からして、明白に「異邦人」出身だろう、と認識している。また、註の冒頭(「表題」の項)でも書いたように、「ヘブライ人へ」という表題は本書の中身、なりたちとは全く関係のない誤解から生じたレッテルにすぎない。
彼は、ほぼ確かに、長じてからキリスト信者になった。だが、自分が信じたキリスト教のドグマを自分で十分に納得できるところまで突きつめて考えようとした。その点では、非常に誠実、かつ真面目な人物である。彼が取り組んでいる問題は、確かに、当時のキリスト信者にとっては、もしも知的、良心的に誠実であろうとするならば、重要な、キリスト教の根本に関わる問題であった。キリスト教は出発点からすでに(少なくてもいわゆる「ヘレニスト」、使徒行伝6章以下に登場する人たちだが、彼ら以降は)、明白に、ユダヤ教を越える、ユダヤ教徒は根本的に異なる質の宗教運動であり、そうなるように努力していた。けれどもそのキリスト教が同時に、自分たちの正典として旧約聖書をかついだ。古代人にとって、書物、それも非常に古い時代に書かれて、長い伝統によって継承されている書物に書かれてあるということは、真理であることの非常に重い保証であった。「書かれてある」ということについてのこの通念、通念というよりほとんど信仰と言ってもいい姿勢は、ほとんど人類全体の古代に共通する。わたしたちはこう思います、と言うのと、権威ある書物にこう書かれてあります、というのとでは、受け取る側にとっても説得力が違ったのだ。だから、新興キリスト教にとっては、旧約聖書は二重に重要な正典であった。非常に古い書物であるということ、及びキリスト教以前からすでにユダヤ教の伝統的な正典であった、という二点である。
けれどもそれはまた、以後のキリスト教がかかえ続ける何ともいえぬ、奇妙に七面倒くさい矛盾であった。ユダヤ教は自分たちが否定克服したはずのものである。それにもかかわらず、自分たちの正典としては、唯一ユダヤ教の正典を借用し続けた。これはどう見ても奇妙な矛盾である。確かに、ユダヤ人出身のキリスト信者にとっては、そんなことは考える必要のない、当然のことであった。ユダヤ教を超えてキリスト信者になったとは言っても、ユダヤ教をまるごと放棄したつもりはなく、その伝統、その基本的理念の中にずっぽりひたりつつ、その上で、新しくキリスト教を構想していたからである。パウロが然り、マタイ福音書の著者が然り。この二人にとっては、旧約聖書というのは、その事柄が真理であることを保証してくれる絶対的な根拠である。ほかの何よりも、旧約聖書に書いてある、と言えば、だからこれは真理だ、ということになる。イエスが何者であるかを言うのに、実際に生きていたイエスのことを考えるのではなく、ほら、旧約聖書にこう書いてある、と言えばすむと思っている。我々から見れば実に奇妙な発想だが、この二人にとってはそう考えるのがごく自然の発想であったのだ。この二人は、他の多くの点でまるで資質が異なるけれども、この点についてはまったく同じである。まさにユダヤ人キリスト信者というものである。
しかし、もともとユダヤ人ではない、従がって旧約聖書が絶対的な真理の基準だ、などとただの一度も信じたこともなかったいわゆる「異邦人」出身の人々がキリスト信者になったら、これは、当り前では通らない。もちろん、よく言われるように、宗教信仰というのはしばしば知性の自殺を伴う。知性をもって誠実に考えればとても信じることのできないようなことを、これは宗教信仰なのですから知性を超えているのです、とか言いわれて下手な魔術にかけられると、なんだか有難く思えて来て、喜んで知性の自殺を決行し、ちょっと考えればとても無理なことを、有難そうに信仰してしまう。当時の「異邦人」キリスト信者でも大勢の者がそのようにしてパウロやマタイのキリスト教を受け取って、信奉したことだろう。けれども、中には、たとえ基本姿勢としてはキリスト教信者となったとしても、やっぱり、誠実な知性をもって納得のいくように考えたい、と思った人たちも、大勢いただろう。当然である。誠実にものを考える人であれば、やはり、ユダヤ教を克服したはずの新しい宗教がユダヤ教聖典を真理の絶対基準として担いでいるという図は、奇妙な矛盾だ、という程度のことにはすぐに気がついただろう。
我々の著者は、その問題に自分の納得のいくところまで取り組もうとした。もしもそのように反省しはじめたら、もはやマタイやパウロのように、旧約聖書を単に有難がって引用しているだけではすまなくなる。いやその後もずっと長い間キリスト教神学者たちは、ヘブライ書の著者もマタイやパウロと同様の姿勢で旧約聖書に接しているのだ、と思い込んでいた(実は私も比較的最近までそう思い込んでいた。どうもすみません)。近現代のキリスト教学者にしたところで、すでに長い間キリスト教の伝統で旧約聖書は新約聖書と並ぶ正典になっていたから、旧約聖書を有難い文書として引用することなぞ当たり前に思えたからである。けれども初期のキリスト信者で、「異邦人」出身で、誠実にものを考えようとする人だったら、それではすむまい。キリスト教がユダヤ教を克服した新しい宗教であるのなら、ユダヤ教聖典をかつぐこともないはずである。逆に、もしも旧約聖書を絶対的な正典としてかつぐのであれば、キリスト教なんぞやめて、ユダヤ教に改宗すればよかったはずである。その矛盾に取り組むためには、キリスト教以前にキリスト教へと至る道を準備した過去の遺産として旧約聖書を尊重しつつも、そこに記されている基本姿勢は、すでにキリスト教によって乗り越えられた、いわば過ぎ去った過去である、といことを立証する必要がある。しかもその立証は、旧約聖書の有効性をある程度までは保つ仕方で、つまり一方では旧約聖書は真実を述べている、とみなしつつ、しかも旧約聖書の基本の質はすでに乗り越えられたものだ、と言う必要があった。これは、あちら立てればこちら立たずになりかねないから、けっこう難しい課題だったはずである。けれども、本当に知的に良心的になろうとするのなら、その作業を抜きにするわけにはいかなかっただろう。
私見では、この作業を本気になって本格的にやろうとしたのは、新約聖書中ヘブライ書だけである。もちろん他方では、キリスト信者になった以上ユダヤ教を本気になって克服する必要がある、ユダヤ教に見られるユダヤ民族絶対性を克服、放棄するのでなければ、世界中のすべての人々に平等、同時に開けた新しい宗教たりえない、またユダヤ教的な質の宗教のあり方も克服しなければ、本当に世界の人々の間で生きる宗教にはなり得ない、と言う程度のことは、素直に考えれば誰でもわかったはずである。だから、旧約聖書もすでに乗り越えられた過去の遺産だ、とずばっと認めれば、それだけですんだはずである。実際、ヨハネ福音書の著者は、旧約聖書はキリストの到来を予言しただけであって、それ自体としては何の価値もない、と冷たく言い切った(5:39)。非常に冷静に優れた判断である。マルコもまた、マタイのように旧約文章こそイエスの真理を証明するものだ、などという姿勢で旧約を引用することなぞほとんどやっていない。そもそも旧約を引用すること自体がマタイよりも桁違いに少ない。つまり、きれいさっぱりと自信をもって、旧約聖書はあくまでもユダヤ教の聖典であって、ユダヤ教とともに乗り越えられたものなのだ、と言えるだけの人であれば、この矛盾の問題そのものが生じないのだから、それと取り組む必要のなかった。けれどもヘブライ書の著者はおそらく、キリスト教と言えばパウロ系のキリスト教しか知らない(パウロ系にしか見られない特殊なキリスト教ギリシャ語単語の使い方がそのことを示している)。従って彼のキリスト教信仰はパウロ教から出発した。けれどもこの問題をそのままほっておくわけにもいかなかったので、パウロ的前提から出発しつつも、その矛盾に何とか取り組もうとしたのである。
だから、読んでいると、そういった知的良心を誤魔化さずにいようとするこの著者の誠実な姿勢は十分に感じ取ることができる。その意味では、尊敬に値する文書である。けれどもこの問題はそれ自体として矛盾であるから、ヨハネやマルコのように出発点からすっきりとしていたのならともかく、パウロ的矛盾の前提をそのままでそれを解決しようとするのなら、どうしても無理な屁理屈に走らざるをえない。そのためにこの著者は、当時のアレクサンドリアを中心に流行していた昔の文書を解釈する解釈方法を借りることにした。キリスト教発生よりも少し前のアレクサンドリアのユダヤ教著者フィロン(Philon)などに見られる、いわゆるアレゴリーの方法である。多分我々の著者は直接にフィロンに影響されたと言うよりは、アレクサンドリアほかでいろいろ流行っていたこの種の文献解釈の方法を自分で学んで、それを自己流にひねくって、独自の旧約解釈の方法を編み出した。一見アレゴリーの手法みたいだが、よく見るととてもアレゴリーとは言えず、むしろ類型論(typologie)と呼ぶ方がいいみたいだが、徹底的に類型論の論理をあてはめているわけでもない。そういった手法をごたまぜにして、というよりも、最初に解釈の方法があって、それを旧約のテクストに適用した、というのではなく、一所懸命自分の目で旧約聖書を読んでみて、自分の頭でいろいろ考えて、こう考えれば何となく納得がいくかな、という解釈を自己流に展開していったのである。
最初のうちは彼もパウロ流の「預言成就」の手法によっている。1-2章がそうである(キリストは天使よりも桁違いな水準の存在である、ということを旧約の文書が予言していると言っている)。だから、ヘブライ書を最初から慌てて読むと(私もそうだった)、この人がやらかしている大量の旧約引用はすべて預言成就の図式によっているのだ、と思いたくなる。しかし実はそうではなく、その後から少しづつせり上がって行って、3章以下この文書の頂点である10章まで徐々にはっきりと、最後には露骨にはっきりと、旧約の諸文書が述べている水準の宗教のあり方は、キリストによって決定的に乗り越えられたのだ、ということを論証しようとしている。その目的で、旧約のさまざまな文を一つ一つ次から次へと並べて論じているのである。
と、このように紹介すると、なんだか非常に面白いように思えるかもしれないが、実際には全然面白くもなんともない屁理屈の羅列である。そりゃまあそうだろう、旧約聖書はすでにキリストによって乗り越えられたということを、旧約聖書そのものが述べている、というのだから、当然、理屈のとしては無理がある。アレゴリーもどきの奇妙な論理と言っても、今の我々から見れば、あまりに下手くそな屁理屈の羅列にすぎない。それを著者は一所懸命真面目に展開しているのである。
と言うと、今度は、何だ、つまらない、ということになりそうだが、実際、つまらない。しかしこの著者のために弁護しておくと、古代ヘレニズム・ローマ世界にあっては、この程度の屁理屈の羅列でもすでに高度の知性の発露であったのだ。「書物を読む」という作業について、彼らの世界の水準としては、これは精一杯の努力である。だから、結論から言えば、その時代としては非常に優れた知的努力の表現であったとして、いわば歴史博物館的価値を認めるべき相手ではあるのだが、我々自身にとってはやはり、それ自体としては面白くも何ともなく、退屈な屁理屈の羅列にすぎない。まあ、私個人としては、文章のすみずみにちらちらと顔を出す彼個人の誠実さに対しては一種の愛情を感じるけれども。
けれどもこの文章、人類の宗教史の長い歴史の中で見れば、非常に貴重な一石を投じる試みであった。その点を見逃すわけにはいかない。つまり、たとえばパウロの場合、ユダヤ教を批判的に克服したとはいっても、ユダヤ教として彼の頭の中にあったのは律法、すべてのユダヤ人の日常生活をさまざまな形でうるさく束縛する律法だけである。その桎梏をどのように克服すべきかが彼の課題であった。確かに一人のユダヤ人としてユダヤ人社会(ディアスポラも含めて)の中で生きていれば、律法というのは日常生活の多くの場面にうるさくからみついてくるのだから、根本問題であったには違いない。けれどもパウロは律法ばかりに目が向いて、祭儀宗教としてのユダヤ教については、ほとんどまったくふれることもしていない。基本的には神殿祭儀を批判したり拒絶したりすることはなく、むしろそのまま受け入れていた。最後にエルサレムに行った時には、イエスの弟ヤコブの指示におとなしく従がって、神殿に「誓い」とそれにともなう「浄め」の儀式をやりに行った(使徒行伝21:18-26)。また自分から率先して「誓い」の儀式に従がって頭を剃ったりし(同18:18)、半拘束の身分でローマに護送される船旅の途中でも、おそらく、断食の期間は律法の規定を遵守しておとなしく断食している(同27:9)。パウロ以前では、ペテロたちの「十二使徒」集団がエルサレムで最初にキリスト教会を発足させた時には、神殿に日参して、神殿崇拝の忠実な実践者であることを世間に見せようと努力している(同2:46ほか)何せ彼らは何かとイエスとは正反対で、一緒にエルサレムに行った時に神殿の建物を見て、「何というすばらしい建物でしょう」と感激してイエスに皮肉られた人たちである(マルコ13:1)。
確かに、現実に当時のユダヤ人社会の中で一人のユダヤ人として生きてきたのであれば、日常生活をやかましく規定する律法の問題が最大の問題に思えただろう。けれども宗教歴史的には、神殿祭儀を中心とした宗教儀礼こそが、ユダヤ教という民族全体を支配する宗教の基本の機能であった。だから、キリスト教徒がユダヤ教を本当に克服したと言えるためには、祭儀宗教としてのユダヤ教を徹底して克服する必要があったはずである。その点ではペテロもパウロもまだいかにも中途半端にユダヤ教の枠内にとどまっていた。
そうであってみれば、ヘブライ書の著者がキリスト教とユダヤ教の関係を彼なりの仕方で徹底的に考えぬこうとした時に、何よりもまず、神殿祭儀を中心としたユダヤ教祭儀の全体を批判克服することに焦点を定めたのは、根本を突いた非常にすぐれた姿勢であったと言わねばなるまい。彼は、神殿祭儀で神様にいろいろな供え物を捧げてみたところで、そんなものは何の意味もないのだ、ということを旧約聖書をあちこち引用しながら丁寧に立証しようと試みたのである。けれども本当は、そんなことはそもそも立証する必要もないことであった。神殿で神様に犠牲の獣を捧げれば罪を許してもらえる、という理屈、そしてそれに従がって日々、年々とり行なわれる血なまぐさい儀式の祭義は、それ自体として何の意味もありえない。それにもかかわらず古代世界において神殿祭儀が強力に維持され続けたのは、それを維持していたのが祭司階級であり、彼らがそれぞれの社会、国家において官僚として政治、経済的にも強大な権力を手にしていたからである。だからこそ彼らは、その権力を維持する基盤として、それ自体無意味な祭儀行為にいろいろ理屈を付けて維持をはかってきた。しかしヘブライ書の著者はまだそこまで見抜くことはできていない。ただ理屈として、神殿祭儀が本当は無意味だということを、古代人なりに理屈で立証しようとしたのである。
もちろんそのことをもっと鋭く見ていた人々もいる。イエスは端的に冷たく、こんな建物は石の上に石が一つも積み残ることがないほどに壊れ去って、それで終わりだ、と宣言し(マルコ13:2)、ユダヤ人であれば毎年支払わねばならなかった高額の神殿税を支払わずにけろっとしていた(マタイ17:24-27)。マルコもその姿勢を継承しているから、神殿については冷たい姿勢を保ち続けている。イエスの神殿批判の姿勢を最も鮮明に受け継いだのは、多分、使徒行伝6章以下に登場する「ヘレニスト」、つまりギリシャ語を第一言語とする者でエルサレム教会に加わった人々であっただろう。彼らは端的に、神殿批判を自分たちの主張の中心に据えた。他方マタイは、神殿でいくら犠牲や捧げ物を捧げても、神様が喜んでくれるわけがない、という預言者の言葉(実は、ユダヤ教そのものの歴史の中でも、神殿祭儀の虚妄を批判するいわゆる預言的伝統は細々ながらも続いていた)を引用して、神殿祭儀の空しさをずばっと指摘して(9:13)、それですませている。それですませるだけの自信があれば、それですんだことなのだ。もっとも、本気になってそれですませるためには、古代社会においては、大きな勇気を必要とした。イエスは十字架につけられて殺された。またヘレニスト・グループの中心人物だったステファノスも、エルサレムの右翼勢力につかまって、石打ちにされて殺された。
しかしヘブライ書の著者は、長々と議論を展開する必要があると思った。最初は遠まわしに、イエスは「メルキゼデクの位に対応する祭司」などというわけのわからない表現を持ち出し(5-7章)、七面倒くさい議論をいろいろ並べた。多分、いちばんの焦点は、メルキゼデクはイスラエル人ではなく、イエス自身も祭司になりうる家系(レヴィ族)の出身ではないのに、神によってユダヤ教祭司階級を超えるものとみなされた、という点にあったのだろうけれども(7:6,13)。その次に、また長々と、イエスこそユダヤ教の大祭司とは次元の違う、天的な大祭司だ、といういわゆる大祭司キリスト論を展開する(7章末―10章)。一見「大祭司」というユダヤ教の理念を当てはめてキリストの何たるかを示そうとする一種の類型論みたいだが、言っていることは、本当は、イエスが自らを犠牲として捧げた以上、もはや此の世で神殿祭儀なぞ必要ないよ、ということである。その最後の本音が10章になってほぼ正直に語られる。
確かにヘブライ書のこの議論は、我々から見れば、無用にくだくだしい屁理屈の羅列である。しかしユダヤ教に限らず、古代中近東地中海世界においては、ほとんどすべての民族において、神殿祭儀が宗教の中心であった。神様に供え物を捧げないと災いを下される、ちゃんと犠牲ないし捧げ物を捧げれば嘉してもらえる……。ギリシャ・ローマ世界に残っている町の遺跡を訪ねてみるといい。小さな町なのに、びっくりするほど多くの神殿跡が存在する。中近東でもまた然り。彼らの世界は、神殿祭儀を中心として回転する宗教が律していたのだ。だから、初期キリスト教がもたらした神殿批判は、単にユダヤ教批判にとどまらない。それは、宗教というものの在り方を根本的に変える革命的な運動だったのだ(このことを角度を変えて論じたのが『キリスト教思想への招待』第三章である)。だからヘブライ書の著者が、我々から見れば非常な屁理屈でも、彼なりに用意周到な議論を展開しようとしたのは、気持ちとしては大いに理解できることである。
なお、もしかするとヘブライ書の場合、このように表に出して書かれていることよりも、敢えて言わずにいることの方が、もっと重要なのかもしれない。少なくとも、そちらが面白い。使徒たちを「使徒」とは呼ばない。(「使徒」はイエスのみの呼称である、3:1.いわゆる使徒たちには、そもそもまったく言及することもない、2:3)此の世のキリスト教の組織を「教会」とは呼ばない(「教会」は天にある、12:23)信者の復活に言及することはあっても、イエスの復活にはただの一度も言及しない!(4:14の「やって来た」の註の末尾)、等々。これらの現象をどう評価するか、『概論』の時に詳しく検討することにします。
以上の他に、この著者自身の意図とは無関係のことだが、ヘブライ書は我々に大きな作業を一つ押しつけてくる。御覧のように、これは新約中でも最も、桁違いに、旧約の引用が多い文書である。実は引用しているのはほとんど詩篇ばかりだから、彼が実際に丁寧に読み、検討したのは詩篇だけだろうけれども(あと創世記、出エジプト記、及び8:8以下に見られるように「新しい契約」という理念と関連してエレミヤ書は、それぞれ何ほどか。ほかの文書は自分で読んだというよりは、重要と思われる個所の引用を他の人から学んだ程度だろう)、ともかくその旧約引用の分量は非常に多い。とすると我々はここで、新約時代のキリスト信者、特にいわゆる「異邦人」出身のキリスト信者が読んでいた旧約聖書というのは、どういう状態の文書であったのか、という難しい問題に取り組むのに、最大の重要資料を持っていることになる。彼らはもちろん旧約聖書をギリシャ語で読んだ。つまり、七十人訳である。けれども七十人訳というのは、正体がかなり不鮮明な代物なのだ。このことは意外と知られていない。もちろん現代において学者が復元した(ことになっている)印刷本の「七十人訳」を見て、ヘブライ書の著者もそれと同じものを読んでいたのだ、などと空想するのは、いわゆる「あさって」の方向しか見ていない見当はずれである。正文批判だけでも、実は、七十人訳という代物は、新約聖書よりもはるかに難しく、従がって、「大元の本文」なんぞ知りようもない。いやそもそも「大元の本文」なんぞが存在したと言えるようなものではないのだ。
そうすると、ヘブライ書の著者が(及び新約の他の著者が)どういう状態の旧約聖書(七十人訳)を読んでいたのか、著者の引用文がどの程度「正確」なのものなのか、それがわれわれが今日知っている七十人訳の写本(新約諸文書よりもはるかに後世のものばかりである)の読みと食い違う場合、それをどう判断するか。これは非常にややこしい問題である。狭義の正文批判だけでも、引用文(ヘブライ書ならヘブライ書の)一つ一つの正文批判があり、引用された元の文(詩篇なら詩篇の)一つ一つの個所の正文批判があるから、困難さは二乗になる。いあや、二乗どころか、それに加えて、大元のヘブライ語本文との関係(だいたい、新約の著者の時代の旧約ヘブライ語本文なぞ、本当のところ、すべての字句を正確な仕方で確定できるなどというものではない)、その他さまざまな事情がからむから、僅かな長さの引用文でも、まことにややこしくなる。少なくとも、知ったような顔をして、現代に発行されている七十人訳の印刷本の本文を見て、これが七十人訳の原文です、ヘブライ書の著者の引用文はそれをかくかくしかじかの点で書き変えています、などとのんきに解説できるようなわけにはいかないのである(私も以前はそれをやっていた。どうもすみません)。
この問題に首を突っ込むと、文字通り一字一句やたらと面倒な比較検討、さまざまな推論等々が必要になってくるから、八幡の藪知らずに迷い込んだみたいで、きりがなくなり、本巻がひどく分厚くなってしまうから、どうしようかと思ったのだが、問題があることがわかっているのに手を抜いて通り過ぎるのはどうしても嫌なので、結局、合計するとかなりな頁数を割いてこの問題を扱うことになってしまった。多分、大多数の方々にとっては、この種の細かい議論は興味をお持ちになれないだろうけれども、お急ぎの方も、最小限523頁以下の七十人訳の付論だけは是非お読みいただきたし。
そして、七十人訳がからむと、ギリシャ語の単語の語義の推定も非常にややこしくなる。どんな翻訳でもほとんどの場合そうなのだが、訳者は一方の言語が母語であっても、他方の原語を母語に近いほどよく知っているとは言えない。特に七十人訳の場合、ヘブライ語をよく知っている当時のユダヤ教学者であったとしても、ギリシャ語の知識がたどたどしい場合が多い。加えて、ヘブライ語と言っても、旧約のかなりな部分は彼らにとってもすでにずい分古い古代の言語だから、彼らもまたヘブライ語本文を細部にわたってすべて正確に理解できていたとは限らない。単語の意味でも、七十人訳の訳者が原文のヘブライ語の単語の意味を正確に把握できていたとは言えない場合も何ほどかは存在する、と見積もっておく必要がある。もちろん、現代の、一応専門家向けの辞書にしたところで、この種の問題についてはかなりな程度杜撰にあてずっぽうである。しかし我々は訳さないといけないから、この単語の語義は本当のところわかりません、と言ってほっておくわけにもいかない。かと言って、知った顔をして誤魔化す仲間に入りたくはない。この種の問題を毎度ていねいに扱うわけにもいかないが、一つだけ、古代言語の単語の意味をできるかぎり正確に推定するという作業がどういうものかお知りいただくために、多くのページを割いて一つの単語にこだわっておいた(10:7「書物のはじめには」の註。単語の「意味」なるものに興味のある方でお時間のある方は、是非お読みいただきたし。
なお、内容とは直接関係はないが、正文批判について非常に面白件が一つ。普通は正文批判というのは、諸写本に見られるさまざまな異読を校合して、出来る限り元の「原文」に近づく、という作業だと思われているが(そうには違いない)、本当は写本だけを頭においていても正文批判はできない、ということを教えてくれる典型的な事例が一つ(2:9)。これは面白い。是非お読みいただきたし。
すでに述べたように、ヘブライ書の著者はいわゆる「異邦人」出身の人物。この点は今や疑いがないほどに鮮明であるが、本書の非常に多くの註で、その件にかかわる観察を並べておいた。この件について議論したい人は、少なくとも本書の註はすべてお読みいただきたし。生まれ育ったギリシャ語教人。新約の著者たちの中では、という限定つきで言うなら、最もきれいな良いギリシャ語を欠いている。語彙も他の著者と比べて非常に豊富、文体もきれい。出身地はほぼ確かにエジプト(多分、アレクサンドリア)、814頁参照。ただしこの文書を書いた場所はわからない。著者年代もまったく不明。使徒的教父の第一クレメンスとの類似(510頁以下参照)が一応の手がかりだが、第一クレメンスそのものの著作年代も確かなところはわからない。当たるも八卦的な推測だが、両者とも後1世紀末か多分2世紀の比較的早い頃か。
以上が、田川健三著「新約聖書訳と註」6に載せられている、ヘブライ書に関する解説である。
WTはヘブライ書の著者をパウロとする「内面的証拠」として13:23,24を指摘し、著者がイタリアにおり、テモテと交わっていた人物であるから、パウロである、としている。
しかし、実はこの指摘こそが、ヘブライ書の著者がパウロではないことを示す内面的証拠となっているのである。
この点については、次回の記事で扱いと思っている。