●田川訳新約聖書における各文書の解説

最新刊の「新約聖書」における巻末の解説に各文書の解説の短く載せられている。

訳と註にはより詳しい解説が載せられているが、WTが真実を教える新約聖書の概論と著しく異なるので、参考のために載せておく。

聖書の正しい理解を持っているのはWTだけであると豪語し、カトリックほかの聖書理解を大いなるバビロンの教えと揶揄するが、聖書学からは程遠い信仰を植え付けようとしていることが理解できて面白い。

 

マルコ福音書

最初に書かれたイエス伝の書。イエスに非常に近い位置で、イエスの事実を読者にいろいろ提供している。」著者は極めて確かに、使徒行伝12:12、13:5,13、15:39で言及されているヨハネ・マルコ。エルサレムで生れ育ち、多分母親の影響でイエスを知った。ギリシャ語の特色はすぐ前の476-477頁を見られたし。

476-477

(非常にわかりやすい単純な例だけ二、三紹介するにとどめるが、たとえば、マルコは、文(文法的な一文)のはじめはほぼ常に「そして」(kai)ではじめる。これはギリシャ語のkaiの用法としては、あるまじき幼稚な作文なのだが、ヘブライ語の文章は、次の文を「そして」で始めることが極端に多いから、それをそのままギリシャ語の作文に持ち込んだだけである。われわれなら「しかし」にする場合も、マルコはほとんど常に「そして」にしている。つまりマルコのkaiは「そして」とか「しかし」という「意味」であるよりも、単に文法的に次の文が始まりますよ、という指標に過ぎない。それをいろいろ違う接続詞に訳したり、接続詞をつけないで訳したり、といった「意訳」に走ると、どうしても原文にない論理を持ち込むことになるし、しばしば誤訳にもなる。だから我々は、ユダヤ人出身でヘブライ語のへ異教の強い著者の文の場合は、これをすべて「そして」で訳している。そうすれば、原文の流れや雰囲気が読者の皆さんにそのまま伝わるだろう。実際、マルコみたいにどの文もこの文も「そして」ではじめられたら、日本語だと小学校一年生の作文みたいなたどたどしい感じになってしまうが、この素朴さの故に、少し読み進めば、すぐに、マルコさんらしい口ぶりに親しみがわいてくる。

同種の言い方は、「そしてすぐに」。話の継ぎ目で、マルコはしばしば「そしてすぐに」と書きはじめる。これもヘブライ語的な語法をギリシャ語に持ち込んだだけであって、実際には時間的な「すぐに」という意味はまったくない。我々なら単に「それから」という程度。いわば合いの手の句といった程度なのだが、それを従来の日本語訳は、しばしば、本当に「何かの後すぐに」という意味だと思って、文法的にまるでつながっていない前後の他の単語と無理に結びつけてお訳しになっているが、それではむろん誤訳である。確かにこの場合も、直訳して「そしてすぐに」と書いたら日本語としてはまるで様にならないが、これがマルコの文章なのだから、そのまま訳しておくのがお愛嬌というものであろう。)

執筆年代は通説では60年代後半だが、もっと可能性の幅を広くみて、50‐70年のどこか、と考える方がいい。執筆場所は不明。(田川訳解説より)

 

WTによるマルコ福音書の解説 (洞-2、p901-902

ヨハネ・マルコによって記された,イエス・キリストの宣教に関する,神の霊感による記録。「イエス・キリストについての良いたより」に関するこの記述は,キリストの前駆者であるバプテスマを施す人ヨハネの業をもって始まり,イエスの復活に関連した状況の報告をもって終わっています。したがって,西暦29年の春から33年の春までの出来事が扱われています。―マル 1:1。

四福音書のうち最も短いこの書は,奇跡を行なう,神のみ子イエス・キリストの宣教に関する,テンポの速い描写的な記録です。「すぐ」とか「直ちに」といった言葉が頻繁に使われています。(マル 1:10,12,18,21,29)記述は,会話の部分と行動に関する部分が大体半々になっています。

情報源  古くからの伝承が示唆するところによれば,マルコの福音書のための基本的な情報を提供したのはペテロであり,このことはマルコがバビロンでペテロと交わっていた事実と一致するようです。(ペテ一 5:13)オリゲネスによれば,マルコはその福音書を「ペテロの指示に従って」書きました。(「教会史」,エウセビオス,VI,XXV,3‐7)テルトゥリアヌスは自著「マルキオン反駁論」(IV,V)の中で,マルコの福音書は「ペテロの著作だと言えるかもしれない。マルコはペテロの通訳者だったのである」と述べています。(「ニケア会議以前の教父たち」,第3巻,350ページ)エウセビオスは,パピアス(西暦140年ごろ)が引き合いに出した「長老ヨハネ」の言葉を次のように引用しています。「そして,同長老はよくこう言っていた。『マルコはペテロの通訳者となって,主が言われたり行なわれたりした事柄に関し,実際に順序どおりにではないとしてもペテロが思い出した事柄すべてを正確に書いた。……マルコはペテロが思い出したとおりに個々の事柄をそのように書き記す点で全く間違いを犯さなかった。というのは,マルコはこの一つのことに注意を払ったからだ。すなわち,聞いた事柄を何一つ書き漏らさず,決して偽りの陳述を含めない,ということである」―「教会史」,III,XXXIX,12‐16。

ヨハネ・マルコには他の情報源もあったであろうと思われます。イエスの初期の弟子たちはマルコの母親の家で集まりましたから(使徒 12:12),マルコはペテロ以外にも,イエス・キリストをよく知っていた人たち,つまりイエスが業を行なうのを見,イエスが宣べ伝えて教えるのを聞いたことがある人たちと知り合っていたに違いありません。マルコ自身は多分,キリストを捕縛した者たちが捕まえようとしたとき「裸のまま逃げてしまった」「ある若者」でしたから,イエスとの個人的な接触が全くなかったわけではないようです。―マル 14:51,52。

非ユダヤ人を念頭に置いて書かれたものと思われる  マルコによる良いたよりはユダヤ人の読者にも関心を抱かせ,益を与えるはずですが,特に彼らのために書かれたものではなかったようです。この書はおもに非ユダヤ人の読者,とりわけローマ人のために書かれたように思われます。その簡潔さや話題転換の速さは,特にローマ人の読者の知性に合っていたとみなされています。ラテン語の用語はギリシャ語に音訳されている場合もあります。ラテン語のプラエトーリウムに対してギリシャ語のプライトーリオンという言葉が使われている箇所などがそれです。(マル 15:16,行間)また,100人の兵士を指揮する士官を表わすラテン語のケントゥリオーに対してはギリシャ語のケンテュリオーンという言葉が用いられています。―マル 15:39,行間。

マルコの記述には,ユダヤ人の読者なら必要としなかったような説明が含まれています。ヨルダンというのが川であることが示唆されており,オリーブ山から神殿を見渡せたことが示されています。(マル 1:5; 13:3)パリサイ人が慣例として「断食」を行なっていたことや,サドカイ人が「復活などはないと言う」ことが述べられています。(2:18; 12:18)また,この福音書には,過ぎ越しのいけにえが「無酵母パンの最初の日」に犠牲とされることや,「準備の日」とは「安息日の前日」であることも説明されています。―14:12; 15:42。

普通はユダヤ人の一般読者のためにセム語の用語を説明する必要はなかったはずですが,マルコの福音書にはそのような説明が数多く見られます。「ボアネルゲス」(「“雷の子ら”」),「タリタ クミ」(「乙女よ,あなたに言います,起きなさい!」),「コルバン」(「神に献納された供え物」),「エリ,エリ,ラマ サバクタニ」(「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」)など,それぞれに注釈が加えられています。―マル 3:17; 5:41; 7:11; 15:34。

書き記された時期と場所  古くからの伝承によれば,マルコの福音書は最初にローマで公刊されました。クレメンス,エウセビオス,ヒエロニムスなど初期の著述家たちがそのことを証言しています。マルコはパウロがローマで投獄されていた最初の時,ローマにいました。(コロ 4:10; フィレ 1,23,24)そのあと,マルコはバビロンにいたペテロと共になりました。(ペテ一 5:13)その後パウロは,ローマで二度目に投獄されていた時テモテに,マルコを連れてすぐに来てくれるよう頼みました。(テモ二 4:11)多分,その時マルコはそのことばどおりローマに戻ったのでしょう。イエスの預言の成就としてのエルサレムの滅びについては何も述べられていないので,マルコは西暦70年にそれが起きる前に自分の書を編さんし終えたに違いありません。マルコが西暦60‐65年の間に少なくとも一度,恐らくは二度,ローマにいたことからすると,マルコはその期間のある時期にそこで自分の福音書を完成させたと考えられます。

マルコの記述にしか見られない幾つかの特色  マルコは大体においてマタイやルカと同様の題材を扱っていますが,補足的な詳しい点も述べています。その中には,イエスがある種の事柄についてどのような気持ちを抱かれたかを明らかにしているものもあります。イエスは,片手のなえたある男の人を安息日にいやしたことに異議を唱えた者たちの『心の無感覚さを憂え』ました。(マル 3:5)イエスは自分の郷里の人々から冷遇されたとき,「人々の信仰のなさを不思議に思われ」ました。(6:6)また,永遠の命を得るための必要条件について尋ねた富んだ青年に「愛を感じ」られました。―10:21。

地上におけるイエスの生涯の終わりに関する幾つかの点も,マルコの記述にしか見られません。マルコは,イエスが裁判にかけられた際の偽りの証人たちの言うことが一致していなかったことを伝えています。(マル 14:59)イエスの苦しみの杭を運ばせる奉仕に徴用された通行人は,「アレクサンデルとルフォスの父である」,キレネのシモンでした。(15:21)またピラトは,アリマタヤのヨセフがイエスの体を埋葬のために運び去る許可を与える前に,イエスが死んでいることを確かめさせた,とマルコは述べています。―15:43‐45。

マルコの福音書に記されているイエスの四つの例えのうちの一つは,ほかのどの書にも記されていません。(マル 4:26‐29)この書は,イエス・キリストの行なわれた少なくとも19の奇跡に言及しています。そのうちの二つ(耳が聞こえないうえに言語障害も抱えていた男の人がいやされたこと,および目の見えないある男の人が治されたこと)はマルコの福音書にしか記されていません。―マル 7:31‐37; 8:22‐26。

ヘブライ語聖書への言及  マルコはおもにローマ人のために書いたようですが,この記録にも確かにヘブライ語聖書への言及や,そこからの引用が含まれています。バプテスマを施す人ヨハネの働きは,イザヤ 40章3節,およびマラキ 3章1節の成就であったことが示されています。(マル 1:2‐4)イエスがヘブライ語聖書の言葉を当てはめたり,引用したり,それに言及したりした例もこの記述の中に見られます。次のような例が含まれています。神に対して口先だけの奉仕をすること(マル 7:6,7; イザ 29:13),親を敬うこと(マル 7:10; 出 20:12; 21:17),男と女が創造され,結婚が創始されたこと(マル 10:6‐9; 創 1:27; 2:24),様々なおきて(マル 10:19; 出 20:12‐16; レビ 19:13),神殿に関するイエスの論評(マル 11:17; イザ 56:7; エレ 7:11),退けられることについてのイエスの陳述(マル 12:10,11; 詩 118:22,23),燃えるいばらの茂みでエホバがモーセに語られた言葉(マル 12:26; 出 3:2,6),愛に関する二つの大きなおきて(マル 12:29‐31; 申 6:4,5; レビ 19:18),敵を従わせることに関する,ダビデの“主”に対するエホバの預言の言葉(マル 12:36; 詩 110:1),イエスの弟子たちが散らされること(マル 14:27; ゼカ 13:7),神に捨てられることに関するイエスの陳述(マル 15:34; 詩 22:1),いやされたらい病人に対するイエスの指示(マル 1:44; レビ 14:10,11),および荒廃をもたらす嫌悪すべきものに関するイエスの預言的陳述(マル 13:14; ダニ 9:27)。

マルコの記述の中のヘブライ語聖書に言及されている箇所を見ると,イエス・キリストがヘブライ語聖書を信頼しておられ,宣教においてその聖句を用いておられたことがよく分かります。この福音書は,「仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,かつ自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来た」人の子をよりよく知るための基礎ともなっています。―マル 10:45。

 

 

洞察の解説は、「古くからの伝承」に依拠しているだけで、正統派キリスト教のドグマや使徒教父の証言に依拠しているだけである。現在のWT教理によると、「使徒たちの死後、大規模な背教が始まり、「事物の体制の終結」の時まで、油注がれたクリスチャンたちは個人としてはイエスの恵みを受けましたが、統治体は存在しませんでした。つまり、イエスが追随者たちを導くために用いる、地上における明確な経路はなかったのです。(組織3:2参照)

二世紀半ばには統治体は背教に覆われて機能しなくなっているのですから、WTが依拠している「古くからの伝承」としているクレメンス、エウセビオス、ヒエロニムスなどの著者は、彼らが「油注がれた者」であり、今日のWT教理と同じ理解を持っていたことを証明しなければならないのだが、そのような証拠は提出されていない。

彼らは、カトリックの教父であり、「大いなるバビロンの主要な部分」の著者をご都合主義で利用した、WTの妄想的筋書きによる検証されていない解説であるように思われる。