●牧会書簡について。
第一、第二ティモテオス書簡とティトス書簡の三つをまとめて「牧会書簡」と呼ぶ。西洋語のpastoralという語が示しているように、羊飼いが野で羊を飼うことを指している。
WT初代会長チャールズ・T・ラッセルは、「パスター」という称号で呼ばれることを好み、パスター・ラッセルと呼ばれていた。自分がキリスト教における単なる一牧師という立場というのではなく、現代のキリスト教における唯一の「羊飼い」であり、信者たちを「羊飼い」に従うべき「羊」とみなしていたことを示している。
現在でも、「牧羊訪問」と称して、信者の組織に対する信仰を長老が査定し、「霊性」を増し加えるために指導、強化するための訪問が続けられている。
この三つの書簡は、パウロが二人の筆頭弟子に対して、教会の指導者として何をなすべきかを教えているという体裁のものだと解釈されている。JWにおいては、巡回訪問における長老・僕の集まりで、毎回のように第一テモテ3章やテトス1章が開かれ、長老・僕の資格に関して検討される。
WTはパウロがその著者であることの信憑性は十分確立されている。その根拠として、ムラトーリ断片などの二世紀以降の顕著な目録が正典としていることを挙げている。(洞‐2テモテへの手紙の項ほか)
「その信憑性に対する反論は、初期教会の提出する強力な証拠に逆らおうとする現代の新奇な考えにみなさなければならない」(感P234:5)と真実であることに間違いがないとしている。
パウロが著者であることの証拠として、第一テモテ1:3をあげる。パウロが著者であることを示しており、エフェソスからマケドニアに向かって出発する時に、テモテに対してはエフェソスにとどまり、そこの教会の指導を続けるように託したという話である。
しかし、使徒行伝19:22によると、この時、テモテは、パウロよりも先にエフェソスを離れ、マケドニアに派遣されている。エフェソスに居たのはパウロ自身である。その後パウロはエフェソスでの騒動に遭い、マケドニアに向かうが、テモテはそれ以降ずっとパウロの同行していることになっている。(使徒20:4参照)
パウロは、エルサレム教会に多額の献金を届けた時、ヤコブを中心とするエルサレムの長老団の要請に基づき、神殿でユダヤ人キリスト信者のために弁明をしている時に逮捕されている。(使徒21:17‐37参照)その後一度も解放されることなく、囚人としてローマに向かい、軟禁状態のまま二年間を過ごしたところで、使徒行伝は終わっている。(使徒28:30参照)
おそらく、パウロはそのままローマによって処刑されたと考えるのが自然である。
つまり、パウロがテモテと共に活動した期間において、会衆の指導のためにエフェソスにとどまるように指図できる時間的要素は使徒行伝を見る限り、存在しなかったということになる。
その矛盾を回避するために、WTでは、パウロは2年間のローマ軟禁の後、一度釈放され、再び宣教活動をしたと教えている。(洞‐2「テモテへの手紙」の項ほか参照)
しかし、ローマでパウロが釈放となり、ふたたび逮捕され処刑された、という記録は聖書にも歴史的資料にも存在しない。WTもそのことは認めている。……と判断している、とあるだけである。(感P234:2参照)
パウロが上訴に成功してローマで釈放されたとする解釈は、第一テモテ書簡はパウロがテモテに当てて書いたものであることを正しいとするための推論であろう。
真正パウロ書簡であるかどうかを検証するのに、真正であることを前提に、確証できないパウロの釈放を根拠に真正であると論理を展開するのは、本末転倒である。
聖書が「神の言葉」であるか否かを論議するのに、聖書は「神の言葉」であるから「神の言葉」なのだ、「神の言葉」であるから「聖書」は「聖書」なのだ、と言っているようなものである。これでは検証ではなく、単なる信仰の表明に過ぎない。
またパウロがローマで釈放された時に牧会書簡を書いたのであるとしたら、おかしなことになる。エルサレムにあるヤコブを中心とする統治体はいつパウロを統治体の成員に任命し、テモテやティトスを長老として派遣する権限を与えたのだろうか。
パウロの逮捕は、エルサレム教会のヤコブと長老たちによるユダヤ人キリスト信者擁護の依頼がきっかけであった。(使徒21章参照)エルサレムのユダヤ人とユダヤ人キリスト信者の間には融和が存在しているが、異邦人伝道の使徒として活動していたパウロとは敵対関係にあった。ユダヤ教に迎合しているエルサレムの統治体が、そのパウロに統治体の総意として長老や僕の任命権をあたえ、細かな資格条件を独自で決定できる権威を与えた、とはとても考えにくい。
また内容からしても、パウロの考えとは矛盾している箇所がある。
例えば、JW的には「監督の職」の資格について列挙されている中に、3:3で「酔って騒いだり……せず」(NWT)「酒に溺れず」(田川訳)とある。
この原文は、me paroinonである。否定辞meに、paroinosという語の対格単数男性を付けたもの。「ぶどう酒」(oinos)に接頭語paraを付けたもので、paraは「傍ら、そば、横」を意味する。「酒のところに居る」という趣旨。単に酒を飲むというより、かなりの酒好きで、酒をそばから離さない感じである。原文では否定辞meと一緒に用いているので、田川訳は、「酒に溺れず」と訳している。
パウロは飲酒に関しては、ローマ14:21で「肉を食べること、ぶどう酒を飲むこと、また何にせよあなたの兄弟がつまずくようなことは行なわないのが良いのです」(NWT)としている。
田川訳は「肉を食べず酒を飲まないのは良いことである。また何か兄弟が障害を覚えるようなものを食べないのも良いことである」となっている。
NWTの訳だと、「肉を食べる」ことも「酒を飲む」ことも、決して勧めているわけではないが、兄弟がつまずかないのであれば構わない、という趣旨に読める。「兄弟がつまずくかどうか」が「酒を飲む」ことの判断基準となっている。「酒を傍らに置く」ことを「否」とはしていないという前提である。
一方、田川訳では、「肉を食べない」ことや「酒を飲まない」ことが良いことであり、「酒を飲む」ことは、「兄弟が障害を覚える」ことと同様に、「良くない」ことである、という趣旨である。「酒を傍らに置く」ことを「否」としている前提である。
NWTは原文のローマ書の語順を変えて、第一テモテと矛盾しないようにし訳しているのであるが、原文でのパウロは「飲酒」を「是」とはしていない。
しかし、牧会書簡の著者は「飲酒」を「是」としたうえで、条件を付加している。パウロはローマで釈放され、統治体の一員となったら、根底から自分の価値観を変えたのであろうか。
また、「監督の職」の資格として、3:6で「新しく転向した人であってはなりません」(NWT)、「新人であってもならない」(田川訳)という条件が付与されている。
この「新人」(neophytos)という語は、「若い、新しい」(neos)+「生じる」(phyo)+形容詞語尾(tos)。「信者になりたての者」という趣旨。
新約ではここだけに登場する語であり、「新人」に対応する「古参」信者が多く存在していることを前提としなければ生れない表現である。つまり、この表現は、すでにキリスト教が既成宗教教団として組織がためしている時代に書かれたものであることを示している。パウロが生きていた時代にはこのような「新人」「古参」という区別はまだ存在していない。パウロは「使徒たち」とさえ、対等に渡り合おうとしていた。
NWTは、「新しく転向した人」と訳しているが、「転向する」という語は原文にはない。ユダヤ教から転向したという意味なのか、他のキリスト教から転向したという意味なのか。どちらの意味に解したとしても、WT教理と矛盾する。
ユダヤ教から転向した人という意味であるなら、使徒たちを初めすべての初期キリスト教徒は、キリスト教に転向したのであるから、だれも監督とはなれなかったことになる。パウロは使徒たちより新しく転向したキリスト信者であったにもかかわらず、使徒たちを差し置いて、キリスト信者に宛てて、「新人」を監督には推薦するな、と指示していたことになる。
他のキリスト教から転向した人という意味であるなら、パウロが生きていいた当時すでにいくつものキリスト教が組織宗教化していたことになり、キリスト教が統治体を中心とした中央集権体制としてまとまっている一つの宗教組織であったとする教理と矛盾する。
新約の記録には、パウロが生きていた時に、使徒たち以上の権威をもって、全信者に対して指示できる立場にあることを示している箇所はない。
パウロの死後、パウロ派が主流になり始めていた時に書かれた、疑似パウロ書簡であることは明らかであろう。
「監督の職」(3:1)「奉仕の僕」(3:8)という表現も、すでにキリスト教がすでに既成宗教化しており、指導者側と一般信者との位階制度が確立しつつある時代の表現であることが理解できる。
パウロの時代に、「使徒」や「長老」という表現があるとしても、称号としての「監督の職」という意味ではなく、文字通り「遣わされた者」「年長の者」という意味の方が強い。
権威ある「称号」として信者の中に定着するのは、ある程度の期間が必要であり、組織としての秩序が確立されていなければならない。
パウロは、「使徒たち」から「使徒」として任命されたのではなく、自らの経験に根拠に、異邦人への「使徒」であると宣言し、活動していた。パウロの時代には、パウロを「使徒」と認めるキリスト信者もいたが、認めないキリスト信者がいたことは、コリント書簡からも明らかである。
つまり、キリスト教の組織としてはまだまだ未成熟であり、一本化された組織としてのキリスト教は存在していなかったことになる。
第二書簡の「パウロがローマの皇帝ネロのもとに二度目に出頭した時期にローマから書かれた」とする表題は、中世になって普及したいわゆるビザンチン系の大多数の写本に記されているものである。古い主な写本の表題は、「後書」で「ティモテオスへ、第二」とあるだけである。
WTが真の聖書研究者の組織を標榜するのであれば、事実を無視し、中世のカトリック全盛の時代に創作された表題を根拠に真実の証拠とするのは、バビロンの軍門に下ったことを示すだけであり、真理の追求を放棄した愚行としか思えない。
いずれにしても、牧会書簡がパウロの書であるとするならば、理解に苦しむ箇所がいくつも存在する。
実際、牧会書簡は二世紀前半にはまだ知られていなかった。その事実を示す証拠が二つある。
140年ごろのマルキオン聖書とパピルス46番である。
P46は、Chester Beattyとして知られているが、新約写本の中でもP45と並び、最重要の写本である。パウロ書簡集の写本であるが、断片ではなく、ある程度まとまった写本の中では最古のものである。200年ごろ、あるいはそれ以前の大文字写本である。一部の護教論者が、この写本にも牧会写本が含まれていたが、失われたのだと主張するが、それはパピルスの枚数と書かれた文字の比率からして、不可能であるという。
この写本家が牧会書簡の存在を知っていて、パウロ書簡集の中に入れるわけにはいかない、と判断したのか、あるいはその存在を知らなかったのかわからないが、少なくても200年ごろでもまだ牧会書簡がパウロ書簡として、広く認められていなかったのは確かである。
マルキオン聖書(140年ごろ)は初期キリスト教の諸文献を収集してキリスト教の正典にしようとした史上最初の試みである。彼は、徹頭徹尾パウロ信者であり、マルキオン聖書はパウロ系文書だけで構成されている。パウロ書簡集とルカ福音書をくっつけたものであるが、この中に牧会書簡は含まれていない。(Tertullianus,Adversus Marcionem,V,21,1)
彼の場合はおそらく意図的に排除したのではなく、そもそも牧会書簡の存在を知らなかったものだと思われる。マルキオンは非常に精力的にパウロ書簡を集めまわって魁集したのであるから、もし牧会書簡がその時代に存在していたとすれば、確実にマルキオン聖書の中に含められていたはずである。つまりその時期にはまだ牧会書簡が存在していなかったことはほぼ確実である。
またヴルガータの写本にのっている、いわゆる「マルキオン的序文」からも、マルキオンが牧会書簡を意図的に排除したのではないことが理解できる。この序文は、マルキオン派の者たちが書いたものであるが、牧会書簡にもこの序文が付けられている。
つまりマルキオンの弟子たちは、牧会書簡をパウロの書簡として受け入れていたことを示している。マルキオン派を排除した正統派教会の写本にマルキオン的序文が組み入れられたのだから、皮肉なことであるが、逆に言えば、異端としてマルキオン派を排除したものの、その影響は正統派の中でもまだまだ大きかったのであろう。
もしマルキオンが牧会書簡をパウロ書簡として認めていなかったのであれば、彼の弟子たちが牧会書簡をパウロ書簡として認めることはなかったであろう。
したがって、マルキオン聖書が編集された140年ごろまで、牧会書簡は存在しなかったことになる。牧会書簡が書かれたのは、マルキオン聖書が編集された140年からマルキオン的序文がかかれるまでのどこかの時点ということになろう。140‐170年ごろの間、ということになろうか。
つまり、WTがパウロの真正書簡の根拠としてあげているムラトーリ断片は170年ごろ(実際には170‐210年)と想定されているのだから、それ以降の目録に牧会書簡がすべて含まれているからといって、真正書簡の根拠とはならないと思われる。
ほかに牧会書簡の存在が確認できる資料として最も古いのは、エイレナイオスの「異端論駁」(180年ごろ)である。彼はこの書の最初に第一テモテ書簡を引用している。
もう一つはテルトゥリアヌスの「マルキオン論駁」(三世紀初め)。彼はこの個所で、マルキオンが牧会書簡を採用しなかったのはけしからんと言っている。その頃には、パウロの真正書簡として信じられていたことを示している。
三世紀以降の正統派が牧会書簡を採用したのは、エイレナイオスの影響が大きかったからであるが、その理由は、牧会書簡に見られる異端排除の正当化にあるのであろう。各キリスト教派が、互いに正統派を主張し、異端排除を始めたのは一世紀末から始まり、非常に顕著になったのは二世紀後半からである。その代表格がエイレナイオスであるが、牧会書簡もその同じ流れにあるものであろう。
WTは感P234:5でポリュカルポス(155年ごろ)、イグナチウス(107年ごろ)、ローマのクレメンス(101年ごろ)など、初期クリスチャン著述家が、テモテへの二通の手紙をパウロの手になるもの、また霊感による聖書の一部として、受け入れられていた、かのように書いている。( )の年代は筆者の付加没年。
JWがほとんど知らない初期教父の名前を挙げているが、その事実は確かめられていない。
パウロの名を語って、教会指導者の秩序を確立するため、また因習的な身分制度をキリスト教の名で信者に押し付けるため、さらに、自分たちと意見を異にする相手を「異端」と決めつけて排除するために書かれた偽パウロ書簡を神の霊感によって書かれた「聖なる書物」と信じるのも信仰の自由であろう。
しかしながら、疑似書簡を含む聖書を神の霊感を受けて書かれた真理の書と信じている人間が、世界中に存在する神話を真実の書ではないと批判することも、他の宗教を批判することもできないであろう。真実ではないものを真実と信じている点では同じであるのだから、それも信仰の自由であろうと思う。
パスター・ラッセルが創設したWTは初めから異端排除を内包していた正統派の流れにあるのだろう。聖書霊感説を信奉するキリスト教のみならず、一神教を信奉する宗教、絶対化思想を持つ者はすべて異端排除に向かう危険性を内包しているように思う。
「愛は……不義を喜ばないで、真実なこと共に歓ぶ」(①コリ13:6)という言葉が真理なのであれば、それと知らずに「偽り」を信じてしまったことは仕方がないかもしれない。しかし、「偽りを好んでそれを信じる者」に真の「愛」は存在しないではなかろうか。
どんなに詭弁を弄しても、危害を加える者ではなく、単に自分とは異なる考えの者を排除しようとする者に「愛」など存在しないように思える。
愛のない著者を用いて、「愛の神」がご自分の言葉を書かせたとすれば、それは一体どんな「愛」なのであろうか。
「わたしは真実を告げており、偽りを語ってはいません」(①テモ2:7)と、他人の名を語って、組織の正統化と異端排除を図ろうとする者を、「真実の神」が用いたするなら、そこには一体どんな真実があるのだろうか。
私には理解不能である。