●直ちにすべてのものを後にしてイエスに従うとは…?

 

   ペテロやヨハネをはじめとする使徒たちは、イエスの弟子となる際に、ただちにすべてのものを後にして、イエスに従った、と一般に解されている。

   最初の福音書であるマルコ(1:16-20)には、イエスがガリラヤで福音を宣教し始めてから、最初に弟子となったペテロとアンデレの兄弟たち、ヤコブとヨセフの兄弟たちは、「そしてすぐに」(田川訳)、「すると、彼らは直ちに」(NWT)網を捨ててイエスの「後に従った」、とある。

 

   その後、カペルナウムでの会堂で教え、悪霊を追い出し、イエスの活動についてのうわさがすぐにどこで、周辺地帯全域に広まった、と続く。

   ペテロやヨハネたちの弟子たちは、ただちに「イエスに従っていた」のだから、家を出て、イエスと共に村や町を訪問し、イエスとともに旅をしていた、と想定されている。

 

   ところが、カペルナウムの会堂での話に続いて、マルコ1:29-31で、イエスは、ペテロとアンデレの家に行き、ペテロの姑の熱病をいやしている。この「ペテロとアンデレの家」は、属格で表現されており、「ペテロとアンデレに属する家」である。つまり、単に「生家」というだけでなく、実際に生活していた「ペテロとアンデレの家」であった可能性もある。

 

   続く1:35では、イエスは朝暗いうちに、起きて外に出て、寂しい場所で祈りを捧げる、とあるが、出て来たのは、ペテロの家だったのだろうか。ペテロの家であるとすれば、ペテロたちは、出家した弟子ではなく、在家している弟子ということになる。するとペテロたちは、「すべてのものを後にしてイエスに従った」のではないことになる。

 

   また、2:1には、幾日か後に再びカぺルナウムに入った時、イエスが「家」に居た、と述べられている。この「家」は対格であり、「イエスの家」なのか単に滞在していただけの「家」であり、ペテロの家か、ほかのだれかの家であるのか、はっきりしない。イエスの生家はナザレにあるのだから、カペルナウムにも自分の家を持っていたとするのは考えにくい。

 

   ペテロたちが本当にイエスの弟子となった時に、物質的なものをすべて後にして、イエスと共に行動したのかどうかを、意識してマルコ1:29を見てみる。

 

「そしてすぐに、会堂から出て、シモンとアンドレアルの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった」(田川訳)

「それからすぐに会堂を出て、シモンとアンデレの家に入った。ヤコブとヨハネも一緒であった」(NWT)

 

   「行った」と訳されている原文のギリシャ語は、非人称的三人称複数のerchomai(来る、行く)であり、主語は特定されていない。しかし、この語に「入る」という意味はない。

   NWTが「入る」としたのは、ペテロたちは、イエスと共に宣教活動をしていたのであり、ペテロの姑の熱病の話を聞いて、イエス一行は、一時的にペテロの家に立ち寄っただけである、という体裁を取りたいためであろう。

 

   マタイは、ペテロの姑の癒しの話を、マルコと同じ位置には置いていない。マタイ(8:14-15)は、ペテロたちの弟子招命を4:18-22に置き、ペテロの姑の癒しを山上の垂訓を経た後の出来事であり、カペルナウムの士官の「下男」(NWT)の癒しの後、に置いている。

 

   ルカは、ルカで、ペテロの姑の癒しの話をサタンの誘惑を退けた後、カペルナウムで悪霊祓いをして後の出来事として、4:38-39に置いている。ペテロたちの招命は、その後の話として、大漁の奇跡を示した後の出来事として、5:1-11に置いている。

 

   三人三様である。つまり、マルコ1:17-18で「人をすなどる者にならせましょう」というイエスの言葉に、直ちに網を捨ててイエスの後に従った、という話や、1:20でヤコブとヨハネが父を雇い人たちと共に船に残し、イエスに付いて行った、という話は、歴史的な事実ではないと考えられる。

 

   マルコでは、直ちにイエスに従って行動を共にしているはずの直弟子たちが、1:36,7でイエスを見つけるために後を追わなければならないし、イエスの言葉を理解していないことを暴露されることになる場面が多く出てくる。

 

   弟子たちがすべてのものを持ち寄り、一つの共同体として活動していたと思わせるような話は、使徒行伝の4章にも出てくる。JW的にはアナニアとサッピラの話で嘘をつくと滅ぼされるという教訓として有名な個所のすぐ前に出てくる。アナニアとサッピラの話の真実と欺瞞の話は、別の機会に譲るが、初期エルサレム教会が、イエスの弟子たる者は、自分の物質的な資産はすべて後にし、宣教活動に専念すべし、という理想を掲げていたのは、間違いないであろう。

 

   つまり、ペテロたちやヨハネたちが、すべてのものを後にしてイエスに従った、という伝承が初期エルサレム教会にあったことは確かであろうが、それはキリスト教の理想形を投影したものに過ぎないと思われる。初期エルサレム教会の指導的立場であった、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの権威を高めるために、イエスに声をかけられた時にすぐに応じた、という体裁を取って語られていったものであろう。

 

   マルコは、イエスの活動の具体的実例を記す前に、弟子の「招命」を置いている。おそらく教会に伝わっていた伝承のほとんどすべては、弟子たちの存在を前提にしているものがほとんどだったからであろう。

   物事の順番として、まずどのようにして弟子が出来たかを最初に書いておかないと、論理的に物事が進まないと考えたと思われる。イエスの活動をこれから描写していくのに、常に共にいる存在としての弟子を設定しておきたかったのだろう。

 

   マルコの考えるイエスの「弟子」とは、イエスがイエスであるから従うのであり、「従う」とは、イエスそのものに倣う生き方をすることであった。マルコにとって神格化されたメシアなるイエスや終末的神の子なるイエスなどという神学的理念は必要なかったのであろう。

 

   ルカは、まず先にイエスの説教と奇跡の場面を描き(4:19-44)、さらにペテロ、ヤコブ、ヨハネの前でイエスが奇跡をおこない、その結果弟子となって従う(5:1-11)という設定にしている。

   ルカ1:3で「私もすべてのことについて・・・・・・正確にそのあとをたどりました」、としていることの一因は、マルコの状況設定の不備を自分が正してやろうと考えたことにあるのだろう。

 

   マタイもマルコがイエスの招命だけですぐに従うのはおかしいと思ったので、招命の前に山上の垂訓や奇跡話を入れ、イエスが預言されたメシアであることを信じたので、後に従ったのだ、という設定にしたのだろう。

 

 

   いずれにしても、イエスの弟子たちはすべて自分の持ち物を後にしたのだから、現代のイエスの弟子たちも、家族も仕事も後にして、イエスに従うべきである、などという聖書的な根拠や歴史的な根拠は乏しい。

 

   聖書にはそう書かれているのだから、矛盾をモノともせずにそう信じるべきだ、お考えの方は、どうぞご自由に……。ただし自己責任で……。

 

 

 

 

                                  (マタイに関する記述を一部追加)