パウロは外部の人々との関係を無視した歩みを勧めてはいない。
第一テサロニケ4:11-12
「11また静穏にしていることを名誉であると思い、自分自身の事をなし、自分の手で働くように、と。それは既にあなた方に指示しておいたとおりである。12そうすればあなた方は外に対して姿良く歩み、誰の助けも必要としないだろう」(田川訳)
「11また私が命じたとおり、静かに生活し、自分の勤めに励み、手ずから働くことをあなた方の目標としなさい。12それは、外部の人々との関係では適正に歩むため、またあなた方が何にも事欠くことのないためです」(NWT)
12節冒頭の「そうすれば」(hina)は、前述した事柄を受けて結果、理由を導く接続詞である。西洋語の結果は理由も意味する。田川訳は、結果の意味を強調し、NWTは理由の意味を強調している。
具体的には「互いに愛し合うこと」(9節)、「静穏にしていること」「自分の事をなすこと」「自分の手で働くこと」(11節)などを「ますます多くそうするように」(10節)という指示に従うことを指している。
11節の「自分の事をなす」の「なす」(prasso)という動詞の名詞形(pragma)は、「事柄、行為」という意味もあるが、これ一語で「(職業上の)仕事、商売」を意味する。日本語で、「あなたは何をしている人ですか」と尋ねる時の「する、している」という語に「仕事」という意味が含まれているのと同じである。つまり「自分の事をなす」とは、「自分自身の仕事をする」という意味であろう。
要するに、「そうすれば」とは、兄弟愛を示しつつ、自活して、自分の仕事に真面目に取り組みなさい、という趣旨である。
問題は、NWTが田川訳「外に対して姿良く歩み」を「外部の人々との関係では適正に歩むため」と訳している点である。
田川訳「姿良く」NWT「適正に」(euschemos)という語は、「良い」(eu)+「姿、形」(schema)+形容詞副詞語尾(os)を付けたもの。単に外見の良し悪しを言っているのではなく、日本語的には「品位を保ち」という趣旨。
NWTが「外部の人々」と訳した語の原文(tous exo)は、冠詞(対格男性複数)+「外部」(副詞)であるから、原文に「人々」という語はないが、「外部の人々」を指している。
この句は、外部の人々に対して、適正に、つまり誠実に品位を保って行動する結果(理由)となるように勧めているものである。
NWTが「関係して」と訳している語の原文は、前置詞のprosでKI=towardとしている。原文に「関係」に相当する語はない。
しかしここに「関係」という語を入れ、「外部の人々との「関係」において、適正に歩むため」、とすると、「適正」を判断する主導権は、「関係」を規定する側にあることになる。
結果ではなく、理由を強調して「ため」と訳しているので、「適正」の判断は、外部ではなく、内部の「理由」により左右されることになる。すると、組織の評判を落としかねないようなことは、事実であっても隠蔽するのが「適正に」歩むということだという意味にもなりかねない。
また、単に「関係で」ではなく、「関係では」、と格助詞を強調することにより、外部の人々に関しては「適正に」歩む必要があるが、内部の人々に関しては「適正に」歩む必要はない、というニュアンスを含んでいることになる。
NWT英文=YOU may be walking decently as regards people outsideとしている。as regardsが余計。「適正に」(decently)というのであれば、聖書の教え、特に道徳基準が「見方」(regard)によって左右されてはならないはずである。単にto の方が原義を伝えていると思える。
2013年版英訳はyou may walk decently in the eyes of people outsideとしている。組織の内情を知ると、より外部の眼を意識して、偽善的に歩むよう勧めているようにしか、思えない。
目標とすべきなのは、outsideの人たちではなく、自分自身を含めて、まずinsideの人たちに対してであろう。外部の人たちにdecently(適正に)というのであれば、まず内部の人たちにこそcorrectly(正確に)に歩むべきであろう。
外部の人々と内部の人々では、「適正」に関する異なる基準を容認する表現を聖書に持ち込むのはいかがなものでしょうか。原文の表現を出来るだけそのままに伝えるのが、字義訳の使命であろう。
しかし、訳に組織の論理や倫理を訳に織り込もうとしながら、「字義訳」と称したり、その聖書を使った教理を「真理」と称するのは、外部の人々に対しても内部の人々に対しても「適正に」歩んでいることになるのだろうか。
NWTの翻訳者がどれほどギリシャ語を理解して翻訳に携わったのか知らないが、英訳も和訳も残念な訳が多い。もちろん、三位一体の教理に毒されずに、原文に忠実に訳している個所もあるが・・・。