●キリスト教の二大典礼、洗礼式と聖餐式はどのように形成されたか。

 

真正パウロ書簡には、初期エルサレム教会やヘレニストのユダヤ人教会に遡る信仰告白や宣教内容が保存されている。イエスの十字架の死は「宥めの供え物」(田川訳)「なだめのための捧げ物」(NWT)であり、「我らの罪科の故」(田川訳)「わたしたちの罪科のため」(NWT)に死んだのであり、罪の赦しをもたらすものと理解していた。(ロマ3:25、4:25、コリ①15:3

 

パウロは、これらの節で、「罪」を複数形で扱っている。つまり、パウロは、過去に犯した諸々の罪、律法に対する違反を「罪」と呼んでいるのである。律法違反を「罪」としている以上、旧約聖書が前提である。旧約の律法違反は「神の審判と罰」すなわち「死」を意味していたが、イエスの十字架の死は、その律法違反を贖い、罪の赦しを与えるものと理解した。イエスの死と復活を旧約の伝統を前提としながら、共存を図ったのがイエスの「贖い」の教理、「律法違反による神に対する赦し」がパウロ神学を受け入れた原始キリスト教の福音の中心であった。

 

パウロ神学を受け入れる前のエルサレム教会の福音の中心はイエスの復活をユダヤ教メシア信仰と結びつけたものが柱となっていたのだろう。

 

マタイと同様、エルサレムの神殿崩壊後に福音書を著わしたルカは独自の神学(救済史観)から、福音書と使徒行伝を記している。ルカはパウロの第二、第三回宣教旅行に同行し、大きな流れではパウロ派に属するが、euangelionというパウロ用語の名詞を徹底的に避けていることからして、熱心なパウロ信奉者というわけではない。

 

それゆえ、キリスト教伝播の実体を見極めるには、パウロ書簡と比較分析しつつ、エルサレム教団の宣教活動状況を理解する必要がある。ルカ神学における「罪」とはアダムから受け継いだ「原罪」のことであり、パウロの説く、律法に対する「罪」とは異なる。

 

また、「悔い改め」や「贖い」に関しても、パウロのそれとは厳密には異なる宗教観のものである。パウロの「罪」はあくまでもユダヤ教律法からの逸脱に関する「罪」であるが、ルカの「罪」は「原罪」を意識している。ルカはイエスによって「贖われる罪」を律法における「罪」だけではなく、アダムとエバが犯し、人類すべてが受け継いだとされる「罪」に拡大した。

 

 

この「罪の贖い」という信仰は、いったいどこから来たのだろうか。旧約の贖いは動物の生贄を捧げることで、個人の一時的救済が得られた。しかし、自分が捧げた犠牲が、誰か全くの他人の罪を贖うという信仰は存在していない。

 

イエスの時代に見られた「贖い」とメシア信仰に関するユダヤ人の原点はどこにあるのか。ハスモン王朝の祖となったマカバイ家についての記録とされる、マカバイ書第四17:21の「覆う」に相当するギリシャ語ilasthrionを「犠牲」として理解している。この」「犠牲」を「覆う」と同義と解釈していることは、ヘレニズムのユダヤ教は殉教者の死を「死を贖う力」を持つ「犠牲」と考えていたことが分かる。つまりマカバイ時代の殉教者は神の民の罪を「覆う」ために身代わりの「犠牲」となって死んだと理解されたのである。西暦前二世紀中ごろの話である。

 

パウロは、ロマ3:25のilastrionを同様にイエスに適用している。当時のユダヤ教に受け継がれていた律法による「生贄の犠牲」が罪の赦しを得るのとの信仰があった。また、ユダヤ教やユダヤ教支配体制の犠牲なり「殉教」した人は、ユダヤ人の罪を「贖う力」があるとの信仰もあったのである。

 

それでパウロは、イエスの死を、ユダヤ人の律法の罪を覆うためのもの、つまりユダヤ人の罪を贖うための殉教であるとしたのであろう。初期エルサレム教会もこのパウロ神学を受け入れ、踏襲していったのだろう。

 

殉教者の死による「罪の赦し」を実際に得るためには、旧約を前提としている以上、儀式的に清められている必要があった。汚れているものは聖なるものに触れることは許されていないからである。そのためには、罪から清められる為に、まず「洗礼」を受ける必要があった。(レビ14:49、民数8:5719:921

 

レビ14:49に見られるように、「洗礼による罪の清め」と「血」(aima)とには密接な関連がある。さらに、新約で「血」は聖餐と関連しており、「体」と対で用いられている。(コロ1:20、エフェ1:7、ペテ①1:2、ヨハ①1:7、ヘブ9:1410:29

 

ユダヤ人中心の初期エルサレム教会と同じくユダヤ人であるヘレニストのキリスト教会では、イエスの死を「罪からの解放、救い、清め」と結びつけ、旧約を前提とした「洗礼」の儀式が重要な意味を持っていたのだろう。

 

律法では身体上の穢れや儀式上の穢れから清められるためには、水を浴びたり、振りかけられたりする必要があった。(レビ11:32-40、民数19:11-19ほか)また律法にはないが、マルコは律法学者が穢れた器を清めるための「洗礼」を要求していたことを述べている。(マルコ7:4)律法上もイエス時代の慣習においても、「清め」と「洗礼」は不可分の関係にあったことが理解できる。

 

ユダヤ教における「罪の赦し」は祭壇に祭司による犠牲の煙と祭壇の基部に注がれる血により得られる、とされていた。(レビ記16章など)しかし、ヘレニズム時代の動物の犠牲は祭壇で焼かれたのではなく、動物の生血が注がれることにより神に捧げられたものとされた。

 

ユダヤ教における神に捧げられる共与の犠牲は「平和の犠牲」とも呼ばれ、祭司とともに神と食事をすることは、犠牲を捧げる者と神との和解の儀式でもあった。

 

動物の犠牲の「血」と身代わりの「体」を神に捧げる行為は、神との「和解の食事」であり、「罪の許し」をもたらす力を持つとする信仰が継承され、キリスト教の聖餐式に導入されたものと思われる。

 

イエスの死を「新しい契約」の犠牲と解釈することにより、聖餐式では、旧約の身代わりの動物の犠牲が「イエスの身体」と「イエスの血」になり、「贖罪」をもたらすと理解されたのであろう。聖餐式で、身代わりの犠牲となった「イエスの身体」の代用である「パン」を食べ、「血」の代用である「葡萄酒」を飲むことが、神との和解の食事であり、罪の許しを得ていることを確認するための儀式となったと思われる。

 

こうしてキリスト教の2大典礼である「洗礼式」と「聖餐式」が、「罪の許し」と「聖化」(罪からの清め)には欠かせないものとなる。

 

ユダヤ教色の強い教会では、「罪の赦し」(清め)のために必要な「洗礼」は全身を浸す儀式を要求とし、ヘレニズム色の強い教会では、より簡素になり、頭に水を注ぐ「洗礼」が、「罪の赦し」(清め)を得るための儀式とされたのであろう。

 

しかし、旧約を前提としている以上「罪(複数形)」はあくまでも、律法に対する罪であり、全人類に共通の「アダムの罪」ではなかった。初期エルサレム教会とヘレニストのユダヤ人教会にとっての「罪の赦し」を得ることは、「律法に対する罪の赦し」を得ることであり、「全人類の罪」という意識はまだなかったのだろう。パウロがエルサレム教会と同調せず(使徒15:1‐2)、異邦人への使徒として宣教活動を拡大していくにつれ(使徒13:46、14:27、第三回宣教旅行参照)、「律法に対する罪」から「人間の罪(原罪)」へと移行させる必要性がキリスト教に生じた。

 

こうして、パウロの「キリストの信による義」というドグマから、ルカ神学の、世の中のすべての人は「罪人」であり、「悔い改める」つまりキリスト信者になることにより、罪人は赦され、救いが与えられる、というパウロ神学を単純化したドグマに基づくイエスと使徒の歴史書が脚光を浴びるようになって行く。パウロはルカをフィレモン書の中で、「同労者」と呼んでいるが、パウロ神学を踏襲するだけの「弟子」だったわけではない。ルカの「罪」を原罪とする解釈の広がりから、贖いの解釈の広がりにつながって、多くの異邦人を中心としたキリスト教に広がっていたのであろう。

 

  イエスは復活した、我々はそのことの証人である、として始まったのが、ペテロのメシア・イエス信仰である。それがパウロの「贖い」信仰と結びつき、律法の「罪の許し」が「原罪の赦し」に拡大され、ルカの悔改めと罪の許しと救済信仰と結びつくことにより、イエス・キリストの誕生となったのであろう。キリスト・イエスというユダヤ教由来のメシア信仰が、イエス・キリストと固有名詞化し、イエス=キリストが常識となった、それ以降が、いわゆるキリスト教なのであろうか。

 

   ギリシャ語複数形のbibliaがラテン語単数形のbibliaとなり、「聖書」となったように。

 

   キリスト教も、その名の通りイエス教ではなく、イエスの教えとは言えないもののようである。 

  

 

聖餐式に二つの流れがあったことは、4000人の供食と5000人の供食の伝承にその原型が示されているようである。