マタイとルカはなぜ「福音書」を書いたのか?

 

マルコは単に「福音」と言えば、それは即、イエスの生き方であり、イエスの活動全体のことであると感じていた。

しかし、パウロたちがeuangelionを濫用し、自分たちの教理こそ「福音」であるとし、イエスの生き方を無視した教えを広めていたのを面白からず感じていたのであろう。

それゆえ、あえてパウロ派の用語であるeuangelionというギリシャ語に定冠詞を付け、「イエス・キリストの福音」という言葉を表題として選んだのである。

 

 

正統派教会がマルコ書に戸惑った別の理由は、使徒ではないマルコがイエスに関する生涯を書物に書き下ろしたからであろう。

イエスについての思い出は、使徒たちが伝承として伝えていることを正統派教会のすべてが知っている。「イエスの言葉」の権威は、書物の中に限定されるべきではない。

しかも、マルコはイエスの活動の一部しか書いていない。イエスの誕生物語や復活物語はマルコにはないのである。

 

マタイやルカがマルコの修正版を試みた理由である。マルコ以外、イエスの生涯を記録した文書がなかったからである。

 

事実、マタイとルカはマルコを主な資料としつつも、Q資料からそれぞれマルコ資料の半分以上も付け加えている。

マタイやルカの文はいかにもギリシャ語知識人が書いた流麗な文章である。マルコの稚拙な文章はどうしても低く評価された。

さらに、イエスの正典的記録となれば、直接イエスを知っていた使徒の書いたものでなければならないはずなのに、マルコは使徒ではない。

 

マルコ福音書公刊後230年は、キリスト教会はイエスについての書物として、使徒ではない者が書いた福音書一冊しか持っていなかった。

しかも、マルコはイエスのバプテスマからイエスの死までの記録であり、神の子の誕生物語や復活のドラマに関しては記述していない。サタンの誘惑も記述していない。ありがたい奇跡話もほとんどない。正統派教会は不満だった。

 

 

正統派教会にとっては、人間臭いイエスではなく、うまく、きれいに自らの宗教教義の中におさまってくれるイエス像が必要とされた。

 

マタイの福音書が正統派教会に歓迎された理由である。

 

しかも実際の直弟子マタイとは全く関係のない人間による著作でありながら、使徒マタイの著作であるという名目で流布していった。

しかし、流暢なギリシャ語の知識と旧約の知識の深さを考慮すると、田舎ガリラヤ出身の使徒マタイとはとても考えられないという。

マタイのギリシャ語は、ギリシャ語を母語とするユダヤ人のものと思われる。ユダヤ人であるというのは、70人訳聖書の表現を多用しているからである。

実際にマタイという名前であったかもしれないが、使徒マタイによる福音書という権威付けは正統派教会にはその内容からも相応しいものだった。