●マルコはなぜ福音書を書いたか?
以上のeuangelionとXristianousの歴史的背景を考慮すると、マルコがあえてeuangelionをキリスト教史上初めて描かれるイエスの伝記書の表題として選んだ理由が推察される。
パウロはイエスの生涯や活動の詳細も知らないどころか、元は信者を迫害していた。しかも、幻の中でイエスから改宗を促され、直接イエスから諸国民の使徒に任命されたと言う。
伝えるangelionは、イエスの活動をユダヤ教のドグマで解釈したキリスト神学である。それなのに、「キリストは律法の終わりである」としながら、「正統性」はユダヤ教に依存している。
おまけに、自分たちの教義以外は福音ではないと称し、自らクリスチャンと名のり、正統的後継者であるかのような振舞いをしている。
マルコとしては、本当の福音とはイエスの生き方であり、イエスの活動そのものである、と言いたかったのであろう。それゆえ、パウロ派神学用語であるeuangelionという言葉に、あえて定冠詞を付け、福音書を表題とした。
パウロ派に対する否定的な思いが強く表れている。
パウロの改宗の手助けしたのは(アナニアであるが、パウロの活動の中心となったアンティオキアはヘレニストであるバルナバが中心となっていた教会である。訂正付記)マルコはバルナバのいとこであり、おそらく地中海貿易で財をなしたギリシャ語を第二外国語とするユダヤ人の家系の出であったと思われる。母親は早くからイエスの信奉者であり、集会所を提供したり、信者の世話をしていた。
現代の(長老や)司会者と研究生の関係からも推察できるように、パウロもマルコの家に世話になった信者の一人であろう。バルナバの紹介によるのかもしれない。
バルナバにあれほど世話になって置きながら、パウロは仲たがいしている。
第二回の宣教旅行にマルコを連れていくかどうかに関して、激しい論争が起きたからである。マルコが最初の宣教旅行の途中で帰ってしまったからというのが、パウロの言い分であった。
マルコとしては、独善的でユダヤ教の知識をひけらかす排他的なパウロとは、とても一緒に行動する気にはなれなかったのかもしれない。
「慰めの子」との異名を持つとルカが書いたバルナバとしては、あれほどマルコの家族に世話になっておきながら、自分の性格的欠陥から簡単にマルコを除外したパウロの行為は赦しがたいものだったのであろう。
旅行の中断がマルコの病気か家族の必要か、やむを得ない事情であるなら、「鋭い対立」(田川訳)「激しく怒りがぶつかる」(NWT)ほどの議論となることは考えられない。
ケンカ別れとなったパウロとバルナバは、別々に第2回宣教旅行に出発することになるが、聖書に記録されているのは、パウロの側の記録だけである。「バルナバ書」と題する外典と「バルナバ行伝」が存在するが、正典に収められることはなかった。写本も少なく真偽は確かめられないようである。
いずれにしても、新約正典はパウロ神学優位に集められていることが理解できる。初期キリスト教会においてパウロ派が勢力を拡大していたのであり、ペテロ派を吸収していきローマ・カトリックへの道と続いて行くのである。