●福音(euangelion)とクリスチャン(Xristianous)
「イエス・キリストの福音の初め」という言葉から始まるマルコの福音書であるが、結論から言うと、福音(euangelion)と言うギリシャ語を用いたことには、パウロに対する批判があった。
Euangelionという言葉を「福音」の意味で用いたのは、パウロが初めてであり、真正7書簡で48回も用いている。「私の福音」(田川訳)「私の宣明する良いたより」(NWT)とも言っている。(ローマ2:16,16:25、ほか)
マルコは、「良いたより」を意味するだけなら、kale angeliaとすべきところを、「良い」を意味する接頭語のeu-を付け、抽象名詞語尾ではなく、-ionという指小辞を用いて、さらに頭に定冠詞を付けた。
つまり、マルコとしては、ta euangelionとは、イエスの生き方全体を指すのであり、イエスの語った教えの一つ一つの教理を指すのではない、との考えがあった。
マタイは、マルコのようにeuangelionという語を、定冠詞付き絶対用法では用いていない。
euangelionの語幹は「知らせを伝える」(angello)という意味の他動詞であるから、その派生語のeuangelionという言葉も、目的語となる知らせる中身がないと言葉として舌足らずである。本来、定冠詞を付けた絶対用法には向かない言葉である。
そこで、ギリシャ語に堪能なマタイは、「王国の」という形容詞を付け、「王国の良いたより(euangelion)」としている。
マルコにとっては、イエスの存在、活動のすべてが「福音」であったが、マタイはイエスを「福音」の「伝え手」としてしまったのである。
マタイ書を読むと良いたよりの内容に注目が行くのはそのためである。
ルカは、euangelionという言葉は、福音書では一度も用いていない。注意深くその語の使用を避けている。その代わり、「良いたよりを伝える」という動詞であるeuangelizesthai(euaggelizo)という言葉を多用している。
ルカ神学の基本概念は、「世の中の人間はすべて「罪人」であり、「悔い改める」つまりキリストの信者になることで罪人は赦されて、救いを得られる」という単純なドグマである。
euangelizesthai(euaggelizo)という他動詞を用いることにより、イエスの生き方に倣うことよりも、悔い改めを「宣べ伝える」ことに重きがおかれることになる。
正統的教会が自らの権威と教理の典拠として、マタイとルカを重用したがるのは良く理解できる。イエスの生き方そのものよりも、神格化されたイエスの権威を笠に信者を支配するのに好都合のドグマが成立しているからである。
ヨハネ福音書にもeuangelionという言葉は一度も使われていない。
ヨハネ書は一人の筆者によって書かれたものではなく、教会的編集者が各所に教会的ドグマを挿入して編纂された福音書である。
教会的編集者が削除した部分は補足しようがないが、書き足した部分を削除して見ると、純粋ユダヤ主義的キリスト教であったペテロ派に対する批判が見える。ヨハネ1:35-42に出て来る二人の弟子の一人はアンデレであるが、ペテロはアンデレから証言を受けて信者となっている、もう一人の弟子はなぞであるが、ペテロは一番弟子ではないということを指摘している。
共観福音書にはないイエスや弟子たちに関するエピソードを取り上げ、正統派教会に流布している伝説は真実ではないことを指摘したかったのだろうと思われる個所がいくつも見出せる。いずれにしても、ヨハネ書は、エフェソスを中心としたグループの教会的編集者により数回にわたり、追記挿入され、ヨハネ教会ドグマが織り込まれていった。
パウロ系文書以外では、啓示14:6で、み使いが携える「永遠の良いたより」一か所だけである。
euangelionという言葉は、パウロの最初の書簡であるテサロニケ第一の手紙の冒頭から出現する。テサロニケ第一の手紙は、第二回宣教旅行の途上に訪れたコリントで、西暦50年ごろ書かれた。
その1:5で「我らの福音」(田川訳)「われわれの宣べ伝える良いたより」(NWT)、euangelion emonという表現は、「われわれの理解する教理こそ福音」であるとの自負の表れである。もっともNWTの訳にある「宣べ伝える」に相当するギリシャ語の動詞は本文にはない。
パウロのこの表現は、同時にパウロ派とは異なるキリスト教が存在していたことの傍証でもある。
使徒11:26で「クリスチャン」という名称が、パウロが拠点としていた異邦人の多かったアンティオキアの教会から始まったことは興味深い。
英語版82年、日本語版84年発行の「洞察」1-P807によると、早くは44年遅くても58年には、「クリスチャン」という呼び名は定着していたという。
09年発行の「徹底的な証し」のP74には、46年のクラウディウス帝下に生じた飢饉を11:27の飢饉に比定しているが、WT2012.3.15では、44年ごろとしている。
年を追うごとに、年代を可能な限りイエスの時代に近づけたいという露骨な意図が見えて、面白い。(笑)
パウロの第一回宣教旅行は47-8年ごろ。第二回は49-52年ごろ。第三回は52-56年ごろとされるから、パウロの宣教旅行以前に、クリスチャンという名称は採用されていたとの見解である。
パウロの宣教旅行以前にパウロの属していた教会により、イエスの追随者を意味する「クリスチャン」という呼び名が使われていたのであれば、パウロにとって自説を受け入れない他の教会はクリスチャンではないとの認識を持っていたことになる。
パウロが述べたeuangelionとは、パウロ神学のみを指していたことになる。それゆえ、「われわれの福音」だったのである。
裏を返せば、パウロたちにとって「われわれ以外の福音」は、euangelionではなかったのである。どこかで聞いたことがあるドグマである。(W)