●「何も付け加えたり、削ったりしてはならない」とは、どういう意味か?
旧約には、申命記4:2に「私があなた方に命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない」とある。
また新約には、啓示22:18,19に「何も付け加えたり、削ったりしてはならない。」とある。
これらの聖句により、WTは聖書全体が信者によって正確に保存されてきた証拠とみなしてきた。
しかし、ギリシャ・ローマ時代を通じて、「何も付け加えたり、削ったりしてはならない。」と書かれた書物は、宗教書以外にも数多く存在している。
しかも、ギリシャ語聖書が最後に書かれたのは西暦98年としている。この時代は、まだ正典性を裏付けるリストであるカノンは存在していないことを見落としてはならない。
「何も付け加えたり、削ったりしてはならない。」というこの表現は古代オリエント世界全体に広く広まっていた表現で、これは宗教的タブーであるということを宣言しているに過ぎない。
この言葉遣いの伝統を考慮すれば、単に、自分の書は、聖なる、神的な預言だと自分で自分の書物を権威づけているに過ぎない。「付け加えても、削ってもならない」との宣言をもって、「自分の書物こそ、正典的な権威を持っている」ので、何人も否定しえない不動の証拠とすることなどできないのである。
したがって、「何も付け加えたり、削ったりしてはならない。」との奥付によって、聖書全体の神聖不可侵の根拠とみなすことはできない。聖書全体の聖句一字一句が、信仰のすべてを、また信者の生活のすべてを、支配すべき不動の権威であるとみなすことなどできないのである。
実際、新約聖書の写本の歴史を調べると、写本の過程において、ずいぶん手が加えられている。不注意の間違いだけでなく、意図的に文章の意味が変えられることも多かった。
しかも、4世紀以降、つまり、「正典性(カノン・リスト)」が確立された以降にも、まだまだ、ますます、付け加えたり、削られたり、ある場合には変えられたりしている。
まさに、「正典」であったがゆえに、教会の権威付けと教理の正統性を守る護教主義のために、「付け加えたり、削ったり、変えられた」のである。