●使徒マタイはヘブライ語で福音書を書いたか?

 

「霊感」のマタイ福音書の概論P175で、最初に書かれた福音書はマタイであり、ヘブライ語で書いたとする註解がある。洞察にもエウセビオスの教会史にある「パピアスの証言」を証拠として挙げている。

 

しかし、新約の27のすべての文書は、初めからギリシャ語で書き下されたものである。知られている限り、他の言語で書かれた新約正典のオリジナルは存在しない。

もちろん、ギリシャ語で書かれた文書を、その後、アラム語やシリア語ヘブライ語ラテン語等に翻訳した写本は数多く存在する。

 

新約の中のある文書は、もともとはヘブライ語ないしはアラム語で書かれたもので、後にギリシャ語の翻訳したものという仮説は、キリスト教の正統性がヘブライ語聖書に依存せざるを得ない事情から考え出された無理な学説である。

 

イエス自身もイエスの死後キリスト教会を作りだした弟子たちも、ギリシャ語を母語していたわけではないから、残念ながらとてもギリシャ語で書物を書く実力はなかった。

疑問に思うなら、第二外国語で人々の生活や信仰に影響を与えるような伝記や論文を書いてみると良い。かなりの言語能力を必要とすることにすぐに気付くであろう。

 

少なくても、初期キリスト教は、WTが信奉するように、エルサレムの統治体が存在し、各地の会衆がその指示に従っていたという、中央集権体制ではなかった。ルカの描いた図式に当てはまりそうな所だけをつなぎ合わせているだけで、使徒行伝が描かれている初期キリスト教の実態を矛盾なく解説しているわけではない。

正典となる新約聖書を持っていなかった事実は、各会衆がそれぞれ一つの教会として独立した存在であり、ゆるやかな自治組織として機能していたことの傍証である。

 

各教会は、経典となる「旧約」とイエスの言葉をユダヤ人なら第一言語であるアラム語、ギリシャ人ならギリシャ語で記された資料を用いて、ユダヤ教のスタイルに倣って教会で朗読していたと思われる。

 1世紀後半、それ以後も多くの教会で用いていたイエスの言葉集が、いわゆるQ資料あるいはM資料、L資料である。近年話題となったトマス(ユダ)福音書などと呼ばれるようなものであるが、決して一冊の資料集として存在していたわけではない。カード書きを集大成させたようなものであったと思われる。

 

ただし、福音書を書くにあたり、資料としたこれらの資料原本までがギリシャ語で書かれたものだけだったというわけではない。

 

イエスや弟子たちが母語としたアラム語の言葉が口伝で広まり、そのまま書き写したメモ書きの資料が出発点であったと思われる。それらの数々の資料は公用語となっていたギリシャ語にさらに翻訳され、それらの資料がマタイやルカの福音書製作に用いられたのである。

 

ちなみに、Q資料とは、マタイとルカの両方に共通する資料のことで、Qはドイツ語の「資料」を意味するQuelleの頭文字に由来する。

マタイだけに見られる資料をMatthewの頭文字をとって、M資料、Lukeにだけ見られる資料をL資料と呼んでいる。

マタイもルカもマルコ福音書をベースにQ資料等を追加しつつ、福音書を作成していることが、それぞれに共通する伝承のギリシャ語本文の言葉遣いや単語から明らかである。Q資料のある伝承を書いた人のギリシャ語にはその人の癖があり、マルコのギリシャ語にはマルコの特徴があるのである。マタイやルカも同じである。別々の人間が書いているのだから、当然と言えば当然であるが、霊感説からはそれが見えない。

 

論文やレポートを書いたことのある人、JWなら神権宣教学校の割り当てを作成しているので、容易に理解できると思うが、まず資料を脇に置き、資料の表現を参照しながら、自分の意見を加えたり、資料の表現の一部を変えたりして、書き上げていくものである。(追記:同じ主題、同じ資料の割り当てでも、作る人によって、異なる話となるのと同じである。本会場と第二会場では別の話のようだった事を経験した人も多いだろう。)

 

現在では、引用箇所には出典を明記するのが基本的なルールではあるが、古代の著作権などいう考え方がなかった時代には、自説に合わせて、資料に自由に加筆・訂正・削除を施し、自分の書として発表することが普通であった。

 

したがって、「霊感」P176:4-7で、マタイが福音書筆者の最初の人物であり、ヘブライ語で書かれた原本があったことが、2世紀以降の教父たちによって、証明済みであるかのような書き方は、真実とは程遠い