HAJIMEのひとりごと -90ページ目

HAJIMEのひとりごと

           

9月になっても暑い、そして多くの相談やオーダーをいただき、目まぐるしい日々が続く。

某日のお食事。
朝食!。
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昼食は東京駅八重洲のラーメンストリートで。
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夜は会食。刺身の盛り合わせに、海苔の天麩羅。
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9月1日、いきなり大番狂わせの出張になった。

朝、羽田空港へ直行、サクララウンジで昼食のサンドイッチを食べながら搭乗を待つ。
外は、急に雨が降ったりと不安定な天候。
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羽田発伊丹行きのJL117 便は順調に飛行。
機材は昨秋に導入されたばかりのB767-300ER,JA658J。
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ところが伊丹着陸寸前に、真っ黒な雲に突っ込み、ゴーアラウンド(着陸復航)。
左旋回し、神戸空港を右眼下に。さらに旋回すると、すぐ下に関空が見えてきた。
奈良県上空でホールドし、天候回復を待つが30分ほど経った頃、天候が回復しないので関空に着陸するとの機長アナウンスが。

関空からは南海「ラピート」で難波へ。運転席の様子。
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大阪府内で講演、懇親会後、新大阪のホテルに移動、宿泊。

2日(日)の朝、新大阪7:50の「のぞみ110」で帰京。
13時から、私の主宰するインターネット番組の特番を配信。
素敵なMC、ゲストの方々と1時間のトーク番組だった。
終わって、銀座マロニエゲートのヴェトナム料理店で打ち上げ。


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日曜日は外出せずに家で過ごした。
買い物に出かけた妻が、夕食を買ってきてくれた。

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平日は、蕎麦、蕎麦・・・。
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ランチ、ランチ。王将に大戸屋と定番巡り。
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某日夜、長男が会議のため上京。それで寿司屋で一献。
穴子の白焼に、鰯の梅肉揚げ。
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光り物盛り合わせに、煮穴子。
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げそにトロたくで締め。
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25日(土)は有楽町へ。オフィスでデスクワークする前に、ちょっと有楽町まで足を伸ばして。
(実は有楽町までの定期を買ってあります。)

マロニエゲートのレストラン街に行ったら、急におなかが空いてきた。
印度料理屋に入り、「南インドランチ」なるものを注文。北インドランチもあったが、南の方が珍しいものが入っていそうだったから。
北国育ちのせいか、「南」に憧れるのだ。南欧、南仏、南九州、南千住、南船橋・・・。

最初にドリンクを出してもらう。アイスチャイ。右は前菜。
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メイン。手前のクレープみたいなのは、DOSAという南インドの米粉クレープ。
ヨーグルト入りなのか、酸っぱい。
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銀座で、デザートまでついて1,100円はお買い得。食後もゆっくり読書した。

有楽町のJALプラザを覗くと、787ステッカーがあったので購入。
すると、スタッフ手書きのカードやキャンディ、団扇をくれた。

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私はやっぱりJALの方が好きかな・・・。


24日(金)の夜は都内某所で密談。「密会」ではなく。
料理はみな美味しかった。素材も、料理の腕も・・。

前菜の盛り合わせに、雲丹のパスタ
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マトウダイにラム
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デザート
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経営に関する話が多かったな。
とても勉強になりました。
今日は、早帰りして家で夕食。久しぶりだ。

先日、夕方値引きをしていたのでつい買ってしまったオードブル。
すんごい量で、2名×3食分のおかずになった。
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翌日は天丼にしたり、海老フライ丼にしたり、なかなか楽しめた。

先日(またか)、いきつけの台湾料理屋で、ランチメニューにないのに作ってもらった。
台湾風担々麺。挽肉を卵でとじている。
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そして今日のランチ。神田のベトナム料理屋へ。
画像以外にサラダとドリンクもついて、700円。
これは「フォーガセット」。ミニ炒飯もついている。
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なんかこのところ、食事がモチベーション維持の原動力になっているなあ。

最近買った本。まだ読んでない。
政府と反乱―すべての男は消耗品である<Vol.10> (幻冬舎文庫)/村上 龍
¥520
Amazon.co.jp
「すべての男は消耗品である」、か。納得・・。


高校のプチ同窓会(?)で「ひつじや」へ。
コースをいただきました。
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楽しかった!。
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妻の誕生日。

帰りに神田から三越本店まで歩き、地下の食品売り場へ。

Johanでパンを買い、DEMELでケーキを買って帰る。
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妻の勤務先からは花束も届けられた。
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明日8月20日は妻の誕生日なので、今日は私が料理を作る。
年に1回、料理をする日にしているのだ。

KALDIで買ってきたキーマカレーブック。スパイスがセットになっている。
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スタータースパイスと、タマネギを炒める。
次にニンニク、生姜、トマト、塩、キーママサラ、レッドペッパーを加える。
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挽肉とカレールーを加え、最後にガラムマサラを入れる。
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人参をすり下ろし、酢と塩こしょう、オリーブオイルでドレッシングに。
キーマカレーを盛りつけて完成。
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美味しかった!。

年に1回の料理だったが、これからリタイアに備え、毎月料理をしようかと思った。

「プリーズミスターポストマン」という曲があります。ビートルズがカバーして有名になりましたが、もともとはアメリカの「マーヴェレッツ」というグループが1961年に作った曲だそうです。
私は中2の頃、カーペンターズのカバーで初めて聴きました。いたく感動し、小学校の頃から切手収集が趣味で文通をしていた、同い年の群馬県の男の子に、その「プリーズミスターポストマン」の曲をプレゼントしました。違法だとは思いますが、LPレコードからカセットレコーダーでダビングして、そのカセットを送ったのです。曲の前には、自分の声もメッセージとして入れて送ったのを憶えています。
その子も「プリーズミスターポストマン」におそらく感激したのでしょう。その後カーペンターズからビートルズを知り、エレキギターに惹かれていきました。芸術センスが豊かで、詩を書き、絵を描いた。その中に「プリーズミスターポストマン」と名付けた絵もあったのです。

1977年の夏、私は不思議な体験をしました。家が薬局で、店舗の2階に私の部屋があったのですが、ある日の夕方どこからかそれまで見たこともない大きなトンボ(オニヤンマ?)が飛んできて、私の肩にとまりました。羽根をつかみ、窓を開けてそのトンボは逃がしてやったのですが、その夜、今度は廊下で足音がして、私の部屋のドアを誰かがノックしたのです。そのとき、私は動けませんでした。翌朝、母に訊いてもだれも2階に上がっていないという話でした。
それから半月ほど経ち、夏休みが終わった頃、一通の手紙が来ました。それは群馬の文通友達の友人で、その手紙には、私と文通していた子が亡くなったと書かれていました。亡くなったのが、ちょうどそのトンボがやってきた日だったのです。
その子が亡くなったあと、部屋からたくさんの詩や絵が発見され、のちにその詩や絵は多くの人に大変な感動を与えることになったのです。
その男の子とは、「山田かまち」。
私が「プリーズミスターポストマン」を教えなかったら、彼は別の人生を歩んでいたかも知れません。
この夏は、彼の没後35年でした。夏になると、いつも思い出してしまうことを、綴ってみました。