島んちゅぬが生命の形
沖縄の長寿・長生きは、昭和の動乱期、日本の本土決戦に向けて、米・連合軍が突如上陸、そして、激的戦争、「いくさ」が海からやってきた。そして、沖縄は占領されてしまう。これ以後、ハワイ島に次ぐ沖縄蕋地からの空爆が本格的にはじまった。やがて、戦況は悪 化し、食料.物資の不足から、日本の強度のインフレを招き、国民に、より強度の高い日 常生活に苦痛が降りかかった。B-29攻搫型爆撃機による長時間の空爆をうけ、我が国は、首都東京、大阪をはじめ、本州全土、及び、四国、九州にかけ、空襲が絶えず行われて、焼夷弾の、ガソリンによって、一夜のうちに、まるで、焼け野原と化した。戦争の、その惨たらしい悲惨さは、当時の我が国の誤った政府のあり方にあったものである。そして、「新型爆弾の投下のびら」が撒かれたにもかかわらず、その戦闘は続行された。そして、広島に次ぎ、長崎に、予告し、各国がその研究を進めてきた、当時、これ以上にないとされる「原子核爆弾」が投下された。それは、放射線により、地表温度が5000度とされる、驚異的なもので、資料によると、その熱線によって、ヒトの体がまるで炭のようになり、又、ある人は、当時、座っていた階段にその影を残し、体が灰と化した事例も残されている。小説「暗黒日記」、「黒い雨」にもその当時の状況などが記されている。そして、日本は無条件降伏。昭和20年。昭和天皇の「玉音放送」により、終戦を迎えた。たつた60年前のことである。日本は連合軍のGHQの支配下となつた。北海道・本州・四国・九州が日本国とされた当時、沖縄は未だアメリカ領であつた。沖縄が日本に帰還した後、「沖縄海洋博覧会」を期に、日本人へと回帰した。そして、「沖縄県」とされた。 現在も、米軍基地問題に含有する、米兵の犯罪と基地の移転等に揺れている。日米安保の要事がもたらした、経済因願は、県民の主波とは異なる。自然に伏す、沖縄本島だけで はない、「島人」の、田舎で、住島者の素朴な生き様は、都会に柔らかく浸透してきた。戦後、生きながらえた子孫による繁栄について、三線や、エィサーの島唄が奏でる伝授としてとらえる考査が分る現在。 |
その長寿食と風土に由来する感性に満ちた空気と、訪れる民の心情を伝え続ける心の 礎。そこには、自然とともに、打ち沈んだり、高揚の唄と踊りがあつた。そして、沖縄や 島について、現在もなお、特異としてとらえられがちである。激戦地であつた事実から、死んでしまつた人々の魂や、そこに見られたかつての生命の沈殴が海と森を創り、並立する