1966年(昭和41年)9月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの24枚目のシングル「夢は夜ひらく」のジャケット写真です。

 最初はタイトルがピンクでしたが、その後、同タイトルのアルバムで紫に変更された後、シングルの追加生産のものは紫になったようです。

 私が園まりさんの大ファンになった1974年当時はまだ廃盤になっていませんでした。

 園まりさんが、この曲を歌う事になった経緯は1992年に八曜社から発行された石原信一さんの著者「おけいさん」に詳しく書かれていますが、ネットで検索すると、それ以外の背景も見えてきます。

 1965年に作曲家の曽根幸明がテイチクレコードから発売された「ひとりぽっちの唄」が原曲と後に認められますが、この曲が発売される時には作曲者不詳で巷に広まっていた俗曲と捉えられていたようです。

 その曲にレコード会社各社が、それぞれの歌詞を付けて専属歌手に歌わせて競作にする事で話題作にしようという動きが水面下であったようです。

 その時にレコード会社との関係がこじれて新曲を出せない状況だった佐川ミツオ(満男)さんのために、親友の中村泰士さんがこの曲に歌詞を付けたものが完成して、それを手土産に日本グラモフォンへ移籍する話が進められたのではないかと思います。

 しかし移籍話はまとまらず日本グラモフォンの音楽プロデューサーで園まりさんを担当していた松村慶子さん(おけいさん)は大人の歌手に園まりさんが脱皮するチャンスと思い、この曲を歌わせたのだと思います。

 芸能雑誌「明星」昭和41年10月号の付録「秋のヒット曲まつり」によると「一人で踊るブルース」がA面で「夢は夜ひらく」はB面の予定だったようですが「夢は夜ひらく」がA面で発売されて、園まりさん最大のヒットになりました。