1966年(昭和41年)1月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの21枚目のシングル「逢いたくて逢いたくて」のジャケット写真です。

 私が園まりさんの大ファンになった1974年当時、まだ廃盤になっていませんでした。

 1965年8月に発売された社会歌謡「あれがお父さまよ」がNHKで放送禁止になり、この曲で紅白歌合戦出場をという日本グラモフォンの狙いは裏目に出て園まりさんの紅白歌合戦出場は危ぶまれる状況になったと思われます。

 9月の園まりさんとファンの対談では後にアルバム「逢いたくて逢いたくて 園まりヒット曲集」に収録されるシャンソン風の曲「しあわせの涙」が新曲候補であった事が分かりますが、渡辺プロダクションは、それでは駄目だと判断したようで起死回生の新曲作りに取り掛かり完成したのが「逢いたくて逢いたくて」とB面の「あんたなんか」だったと思われます。

 「逢いたくて逢いたくて」はザ・ピーナッツさんの1962年発売のシングル「手編みの靴下」を作詞、編曲を変えてリメイクした楽曲で、ザ・ピーナッツさんが大事なオリジナル曲を園まりさんに譲る形になりました。

 B面は東芝レコード所属のクレイジーキャッツのメンバーで当時、絶大な人気を誇った植木等さんとレコード会社の枠を越えたデュエットでした。

 この二曲を年明け早々に発売する事を発表して、渡辺プロダクションが翌年の園まりさんの活躍を全面的にバックアップする姿勢をNHKに示す事で、この年の紅白歌合戦に園まりさんの出場が決まったと思います。

 この年、伊東ゆかりさんはサンレモ音楽祭で入賞した「恋する瞳」の日本語バージョンと「おしゃべりな真珠」のヒットで中尾ミエさんはカバー曲の「アイドルを探せ」「夢見るシャンソン人形」のヒットで紅白歌合戦は当確と見られていました。

 12月3日「第7回日本レコード大賞」が発表され大賞は美空ひばりさん、作詞賞は「おしゃべりな真珠」の安井かずみさんでした。

 そして12月8日、「第16回NHK紅白歌合戦」の出場者の発表が有り、園まりさんは三回目の出場が決定、中尾ミエさんは四回目、伊東ゆかりさんは三回目の出場が決まりました。

 初出場は水前寺清子さん、日野てる子さん、都はるみさんなどでした。

 12月31日に放映された「第16回NHK紅白歌合戦」では園まりさんは年明け早々発売の期待の新曲「逢いたくて逢いたくて」を歌唱されて大きな反響を呼び起こしました。

 この時の映像は現存していてYouTubeでも観る事が出来ました。