1962年(昭和37年)5月10日に日本グラモフォンから発売された園まりさんのデビュー曲「鍛冶屋のルンバ」のレコードジャケットとその原曲が収録されたウーゴ・ブランコ楽団のLPレコードのジャケットです。

 園まりさんは小学生の時にコーラスグループ「杉の子こども会」に入会して安西愛子さんに師事、小学校五年から六年までキング児童合唱団に所属して小学校五年の時には「つゆの玉ころん」という曲をレコーディングされていますが流行歌手、園まりとしてのデビュー曲はベネズエラの作曲家でアルパの名手、ウーゴ・ブランコが作曲して自らの楽団で演奏した「鍛冶屋のルンバ」に日本語歌詞を付けたものでした。

 ウーゴ・ブランコ楽団の「コーヒールンバ」は1961年に日本でも大ヒットしますが同年8月発売の西田佐知子さんのカバーバージョンが更に大ヒットをして西田佐知子さんは、その年の紅白歌合戦に初出場して,この曲を歌唱されています。

 日本グラモフォンでは「鍛冶屋のルンバ」も大ヒットして、園まりさんのカバーも西田佐知子さんの「コーヒールンバ」のように大ヒットする事を願い、この曲が園まりさんのデビュー曲に決まったのではないかと思っています。

 しかし園まりさんは1960年11月にテレビのオーディション番組「あなたをスターに」でザ・ピーナッツの歌謡曲ヒット「心の窓にともし灯を」を歌って優勝され,その後、渡辺プロダクションのオーディションで大津美子さんの代表曲「ここに幸あり」を歌って合格して渡辺プロダクション入りを果たされています。

 その経緯からデビュー曲は当然、歌謡曲になると期待していた園まりさんは困惑されたと思います。

 残念ながら「鍛冶屋のルンバ」は日本では大ヒットにはならず園まりさんのカバーバージョンも話題になりませんでしたがデビュー曲がペネズエラの世界的作曲家の楽曲という事は今、振り返ると、園まりさんにとって、とても光栄な事だったと思います。

 

 


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