霜月七日。
雨降り。
先日の相模大野の際、
雨降りにあったので、
昨日はそれらの検品と塗り直しの一日。
とある小説家の随筆に、
『 知人に貰った陶器が、
仕事場での灰皿にとても重宝している。
後でその陶器の事を訊いたら、
著名な作家のとても高価な器だと判った。
でも自分にとっては灰皿として重宝しているので、これでよし。』
ってあった。
何か品をつくる時、
用途を決めたり、
主題を決めたり、
作り手としては、
こうして欲しいというモノを加味していた。
今もそれは変わらずいろいろつくっているのですが、
以前、
使い手である猫宙さんの感性で万華鏡に進化した。
猫宙さんは、
「折角作ってもらったのにスミマセンね。」 と、仰った。
その時以来である、
当方がつくるものは、
一応当方の中では完成品の心算でお披露目しているけど、
あくまでそれは作り手側の思惑であって、
使い手側の考えとは別。
実際、猫宙さんの様な使い方の発想、感性、視点の違いが、
途轍もなく面白い。
「拙品はあくまで素材であって、
どのような愉しみ方をされても使い手さんの自由。」
と、感じる様になった。
って事を
夕食後のお茶の時間に山の神さんに話したら、
「大人になったね。」 だって。
この話、
前にもした?