僕が23歳の頃から温めていた『マスメディア・マルチメディアを融合し様々な広告媒体の中から最良のものを提案し、実現していく日本の会社』と言う意味でグローバルメディアジャパンと言う名前で広島本社で会社登記をした。僕が若干25歳で代表取締役に就任した。予定より5年も早くできた。まずは、商品はぐるなびだけしかないが徐々に様々な媒体を増やしていこうと思っていた。そして、今まで売っていた商品だったので自信があった。というより、めちゃくちゃ儲かると思った。実績から言って最低でも月商150万~250万は行くと思った。そして、10月25日飛び込み開始。まずは1件目すぐに目に飛び込んだ日本料理吉。仲居さんに話店長につないでもらった、意外にすんなり事務所に通され早速提案。1時間くらい話、すんなり契約にいたった。(この店長吉永さんとは今でも良いお付合いをさせていただいている。俺の兄貴的存在だ。)本当にいけると思った。初めの3ヶ月くらいは良いとはいえないが悪くはなかった。だが、前途多難。食べるのが精一杯だった。

そして、資本金の300万がなくなりかけていた頃、相方のWとの間に溝が出来かけていた。
この頃、吉永さんからある話を持ちかけられた「俺が持ってるビルのテナントが一つ空くんじゃが、お前店やってみんか?」僕には一つ後ろめたいことがあった。飲食店相手に仕事をしていろいろ偉そうに提案しているにも関わらず、アルバイトとしても飲食店で働いたことがなかったのだ。
そこで、またチャンスだと思った。

そして、条件を聞き一つ返事で決めた。
なんと、保証金なし家賃15万という好条件!
場所はビルの5階と良いとは言えないが、広島の繁華街流川の中心地だった。
そして、1ヶ月半の準備期間をもらい企画を練った。
企画もある程度決まりオープン二週間前、相方が店をやらないと言い出した。
初めて相方とケンカをした「今になってやらないってないやろ!」と。相方は、ぐるなびから福岡に行ってくれと言われたらしい。もう後戻りが出来ない、一人で個人経営としてオープンすることにした。
二足の草鞋だ。もちろん、本業の方もがんばった。あくまでも、お店は俺にとっては勉強の場。

そしてお店はいろいろ考えた結果、まずは手っ取り早いスナックをすることになった。知り合いの女の子を片っ端から誘い、スタートした。女の子のほとんどが素人だったのがウケかなり繁盛した。もちろん、その時のママの力も大きかった。

そして、1年半後SHOTBARに変更し僕もお店にたって現場の勉強をした。
いろんな会社の社長さんにであった。もちろん、社長としては大先輩ばかりだ。
皆が口をそろえて言ったのが「なんでこんなことをしてんの?」
「僕は、こういう仕事をしてるのに飲食店で働いたことがないんです。なので、自分自身で体験(勉強)したくてやってるんです」と伝えると、皆通ってくれた。そして、本業にも繋がったこともあった。
そんなある日・・・・。