その後、朝日新聞の求人で怪しい会社を発見「ぐるなび」の立ち上げのスタッフの募集だった。この頃、○○ナビというとなんか怪しかった。
そして、面接に行くと今にも壊れそうなビルで、エレベーターはついているが4階まで行くのに1分くらいかかった。事務所の扉は木だった。ただ、この時代一人1台パソコン支給というのに惹かれていた。独立する為にパソコンを勉強しかかったからだ。そして、受かった。ここでも、我武者羅にがんばった。

しかし、またココで挫折。
契約が全然取れないどころか、門前払いばかり。今まで、契約欲しさに即決営業をしていたそこで、契約はいつでもいいですよというやり方に変えた。そこで、ある一人の飲食のオーナーが契約をしてくれた。全身の力が抜けていくのを覚えた。それほど嬉しかった。そして、今までのプライドを全て捨て、そのオーナーに相談した。「僕全然営業取れないんですよ」と。そうしたら、そのオーナーが飲食店に行くんやったらこうしなさいといろいろアドバイスをくれ、紹介もくれた。そして、その地域の約8割のお店が契約をしてくれた。その功績が認められ、3ヶ月でチーフに昇格し部下を4人持った。

そして、東京本社の次長に今年中に1000店舗達成したら、全員を東京に招待すると言われ、関西支社全員一丸となって頑張った。そして、1000件を本当に達成!後から聞いた話だが、次長いわく絶対に達成できるわけないと思っていたらしい。そしてこの頃の給料は平均42万円。月給100万円を目指した。そして、今まで以上に頑張った。夜も毎日終電。仕事さえあれば、夜中の4時くらいまで働いていた。もちろん休日も必ず事務所に居た。そしてもちろん営業成績はいつもトップ。クライアントには喜ばれ、お客としていくとVIP扱い。たまらなく楽しかった。給料はジャンジャン入る、お客さんには喜ばれるし、美味しいものが沢山食べれる。こんな楽しい仕事はないと。コレが俺の求めてた仕事だと思った。そして、決めたこの仕事で独立すると。期限は30歳になるまで!

そして、一つの夢だった月給100万円を達成!
そしてまた、俺は天狗になっていた。営業成績はトップ、年上の部下からも年下の部下からも慕われ俺のそばにはいつも沢山の部下が居た。そして更に夜遅くまで働いた。その分、朝が遅くなってしまっていた。そして、ある日東京の上司に呼び出された、「何でお前は朝遅いんだ?」俺は「夜中も働いているので、ちょっと朝が遅くなっています」俺の気持ちの中で、営業マンは成績あげて何ぼだろう!という気持ちがあった。そして「僕は成績上げてます。部下にも全員100%以上達成させてます。何が悪いんですか?」。そしたら「君より朝9時に来て、5時に帰る社員の方がマシだと」「そこまで言われるんなら、僕辞めます」と。今考えると、組織のことを考えると上司の方が正しかった。でも、その時の俺に迷いも無かった。独立という夢があったから、いい機会だと思った。そして、円満に退職した。