巷をにぎわしていた話題作Plemya(ザ・トライブ)を観た。

この作品、字幕また吹き替えなど存在せずすべての意思疎通が手話によっておこなわれる。物語にかかわる人すべてが聾唖者であり、音楽も物語の説明も一切存在していない。そのため、見る側も視覚から得られる情報のみを使って物語の意味を感じ取り読み取っていくしかない。

驚くべきことは多くあるが、まず演じている人は全て実際の聾唖者だということだ。彼らの体当たりの演技には演技という枠に収めることができないエネルギーが溢れていた。そして初の長編映画でこの作品を作り上げたウクライナの新鋭ミロスラブ・スラボシュピツキー監督。

大雑把な物語の展開は、主人公の青年が聾唖の学校に転校してくる。その学校に存在する不良グループの仲間になり様々な悪事を働いていく。同じ学校の女子生徒をトラックの運転手に売春させるという仕事を任されるようになる。しかしその女子生徒のうちの一人に恋をしてしまいその組織と対敵することになる。というようなものだ。そもそもこの話を手話だけで表現するのはとんでもなく難しいはずなのに、観る側(あくまで僕個人)は感情移入してしまうほど1人ひとりの存在感がある。おそらく、なんでもない行動のカットにとても長い時間をかけていることが原因だろう。音もなくその時間に動く内的な変化に耳をすますことができる。音のない映画を見たはずなのに観終わった後、いろいろな会話を聞いたように感じるのはおよそそのためだろう。そう簡単にわかることができるものだはないけれど、映画を通してすこしでも聾唖の人の心が読めた気がして普段味わうのとは別な感動が沸き起こってくる作品だった。