子どもの頃、
「好きな食べ物は何?」
と聞かれたら、すぐに答えることができた。
大人になった今、
「好きな食べ物は何?」
と聞かれても、すぐに答えがでない。
なぜだろう。
特に、社会人になってからそう感じるようになった。
この歳になると、そういう話をあまりしなくなるからだろうか。
食べること自体が好きなのは変わらない。
しかし、「これ!!」っていうものがない。
子どもの時はなんて答えてたか思い返してみた。
お寿司?ハンバーグ?唐揚げ?
そんな風に答えていた気がする。
たしかに今でも好きといえば好きなもの。
でも、特別に好きってわけでもない。
子どもの頃は、たぶん誕生日とか、クリスマスとか、
特別な日に食べるメニューを答えていたんだと思う。
普段あまり食べない=特別=たのしみ=好き
という感覚だったんだろうか。
逆に、子どもの頃はなかった嫌いな食べ物が、
大人になって見つかった。
それはきっと食べるものが増えたから。
嫌いな理由を考えるとすんなりでてくる。
紅生姜は他のものに色が移るから。
空豆は皮が厚くてひっかかるし、クセが強いから。
食べものに限らず、好きよりも嫌いの理由のほうが自然と出てくる。
それはたぶん、好きは感覚的であり、嫌いは論理的であるから。
もちろん、感覚的な嫌いもあると思うけど、
何かしらの原因があって嫌いになるはず。
嫌いな理由はあるけど、好きな理由はない。
よく、人を好きになることに理由なんてない、
なんていうけど、それってちょっとさみしい。
後付けでもいいから、好きな理由はあったほうがいい。
そんなことを考えていたら、
「嫌い」よりも「好き」がたくさんある人になりたいと思った。
「好きな食べ物は何?」
と聞かれたら、すぐに答えることができた。
大人になった今、
「好きな食べ物は何?」
と聞かれても、すぐに答えがでない。
なぜだろう。
特に、社会人になってからそう感じるようになった。
この歳になると、そういう話をあまりしなくなるからだろうか。
食べること自体が好きなのは変わらない。
しかし、「これ!!」っていうものがない。
子どもの時はなんて答えてたか思い返してみた。
お寿司?ハンバーグ?唐揚げ?
そんな風に答えていた気がする。
たしかに今でも好きといえば好きなもの。
でも、特別に好きってわけでもない。
子どもの頃は、たぶん誕生日とか、クリスマスとか、
特別な日に食べるメニューを答えていたんだと思う。
普段あまり食べない=特別=たのしみ=好き
という感覚だったんだろうか。
逆に、子どもの頃はなかった嫌いな食べ物が、
大人になって見つかった。
それはきっと食べるものが増えたから。
嫌いな理由を考えるとすんなりでてくる。
紅生姜は他のものに色が移るから。
空豆は皮が厚くてひっかかるし、クセが強いから。
食べものに限らず、好きよりも嫌いの理由のほうが自然と出てくる。
それはたぶん、好きは感覚的であり、嫌いは論理的であるから。
もちろん、感覚的な嫌いもあると思うけど、
何かしらの原因があって嫌いになるはず。
嫌いな理由はあるけど、好きな理由はない。
よく、人を好きになることに理由なんてない、
なんていうけど、それってちょっとさみしい。
後付けでもいいから、好きな理由はあったほうがいい。
そんなことを考えていたら、
「嫌い」よりも「好き」がたくさんある人になりたいと思った。