最近、何気なく小学校の卒業アルバムを開いて衝撃を受けたのですが、その作文コーナーに載っている僕のやつが常体(~だ、みたいな語尾)だったんです。

 

他のだれ一人として「~だ」で作文した人はいませんでした。ただの一人だけ、小説みたいに自分の小学校生活を振り返っているんです。

 

そして、テーマは思い出と将来の夢と決まっていたので、ほとんど全員が修学旅行や将来の夢について書いているのですが、

僕のは「転校で成長した自分」という題でひたすら激動の小学校生活と、その時の自分の心情を綴るのみ(将来の夢どこ行った)。

 

加えて、「担任の先生を一言で表すと?」という寄せ書きコーナーみたいなところに、みんな「意外と怖い」「ふわふわしている」などと書いている中、僕一人だけ「アルミニウム」とか書いてる。

 

「将来の大分県大予想!」というコーナーでは「大分が首都」。

 

 

なんじゃこいつ。

 

 

僕は当時そこそこ普通の奴だと思っていたし、そこそこに人気者だったと思うのですが、それ以上にまあ変わり者過ぎる。

 

不思議なものです。そういう小説みたいな作文を書いた当時はサッカーをやっていたし、いつか小説を書きたいなんて一ミリも思っていたなかったのに、まるでそれが初めから決まっていたように、僕は高校生で文芸部に入り、のちにその部長になり、今はこうやって毎日のようにブログを更新しているんです。

 

その時に、作文が上手いとか褒められたわけでもない。作文が好きだったわけではない。

 

僕は今でも「普通な人なんでどこにもおらん」と思っているので、じゃあ何を持って小学生だった自分を変わり者とするかは難しいところですが、でも変なものは変なんです。

 

 

さて、ここでお聞きしたいのですが、あなたは変わり者ですか?

 

僕が思うに、世界の9割くらいの人は、自分が変わり者だと思ってるんじゃないかなと。(だからこういうタイトルにしました)

 

西野カナさんの何かの曲の歌詞で、変わり者同士仲良くしようみたいなのがあったのですが、あれは巧いなあと思ったんです。

 

変わり者って、他の人とは違う少数派みたいなことではあるんでしょうけど、でも実はみんな自分のことを変わり者だと思ってるんじゃないかと。それだから、ああいう歌詞でもいろんな人に共感されてるのかなあと考えたりします。

 

 

皆さんも変わり者だとして、難しいですよね。どれくらい自分を前面に押し出して、どれくらい周りに合わせるか。

 

世界中の人が自分勝手にしたら大変なことになってしまうから、協調ってとても大事なことだと思うんですが、でも個性あってこその協調だと思う。結局バランスということかもしれません。

 

『N』

 

久しぶりにグラフィックアートを作りました。自分らしさを押し出してみようかな~と思いまして。

(中田ヤスタカのアルバムのジャケットにちょっと似てる。。。)

 

でも、みんな変わり者だとしたら、なんか安心しませんか。もっと自分らしくしても良いのかもって。

 

世の中そんなもんかもしれませんね。

 

 

変わり者でも大丈夫!

 

理解者は大事にしてあげましょうね。

 

ではまた明日!