昨日は、忘れたくても忘れられないことの苦しさについて書いたので、せっかくなら今日はポジティヴに、ずっと昔から僕を支えてくれている素敵な言葉を紹介したいと思う。
いきますよ。

『道はある日 どーんと開ける』

調べてみると、五日市剛さんという方が出している日めくりカレンダーの1ページに出てくる言葉だそう。僕はこの言葉を初めて聞いたとき、呆れるくらい、今まで悩んでいたことが吹き飛んだのを、確かに覚えている(何を悩んでいたかは、もう覚えていないけどね)。

なんか、変な話だけど、この言葉を知るまで、今まで悩んでいたことが、突然何かの拍子に、それも簡単に、解決できちゃだめなんじゃないか、っていう先入観が僕の中で確かにあった。
長時間悩んで、苦しんできたことは、相応の時間と労力をかけてでないと、解決できないんじゃないか、と。
でも、なんていうんだろう。簡単に解決してもいいんだぜ、っていう、許可をもらった気がした。僕は凄く救われた。そもそも、今まで悩んでいたことが、実はたいしたことじゃなかったり、思い込みだったりすることもよくあるし、仮にほんとうに一大事だとしても、その解決が容易なことなんて、いくらでもある。よく考えたら、そうだ。そうなのに、僕は今まで、それがわからなかった。

僕が生きてきて、人生で一番悩んだのは小学四年生のときだ。
ばかみたいな話だけど、僕は自分の家のパソコンで、友達とエロサイトを見ようとした(実際には検索の仕方がへたくそで、行きつくことが出来なかった)。そのあとすぐに、僕はエロサイトを見ると、家に請求が来たりするらしい…という恐ろしい噂を耳にする。もしかして僕も、と思った。見えない矢で心臓を射抜かれたような、胸の痛みと、血の気が引く感じと、いろいろなものが、僕を襲った。すべて、「恐怖」で済まされることなのだが、そのひとことでは済まされないくらいの迫られる感じが、確かにしていた。

それからは、生きた心地のしない日々が続いた。毎日、毎日、ポストに請求の紙が届いているんじゃないかと思って、それが親にばれるのが怖くて、数時間おきに、ポストを調べた。驚くことに、そのポスト確認は11か月も続いた。皮肉なことに、三日坊主の僕が、驚くべき継続力を見せたのだった。
さらに数か月を経て、最終的に、僕はプレッシャーに耐えられなくなって、母親にエロサイトを見ようとしたことを自白する。母は笑った。よもや1年以上前のそんな小さな罪を、この世の終わりのような面持ちで告白されるなんて、思うまい。そんなことがあったら、そりゃあおかしくて笑うだろう。
果たして、1年以上の、死ぬほどつらい恐怖は、たった5分の自白で、簡単に幕を閉じた。

僕らは、たぶんいつまでたっても未熟だ。死ぬまでに、この世の何%を知り尽くせるだろう。たぶん、そのほとんどを見ずに、人生は終わるだろう。
だから、今自分が抱える悩みが実際にどれくらいの大きさか、正確にわかっている人なんてたぶん、いない。そしてきっと、その殆どは、実際の大きさよりも深刻に捉えすぎている。だって、深刻に捉えすぎてるから、「悩み」として現れてるもんね。

僕にも悩み事はある。そして悩みは尽きない。けど、「道はある日、どーんと開ける」、この言葉が、いつでも、悩み事を軽くしてくれる。重い荷物を一緒に持ってくれるような温かさが、確かにある。もっともっと、軽くなってもいいと思う。

その悩みが大きな悩みだと思ってるのは、あなただけかもよ。




夜明けはすぐそこ!絶対に!